No.777~776(2016/09/20~2025/01/01)
真田アサミ
本名は柳沢麻美(やなぎさわ・あさみ)で真田氏とは関係ありません。
福永一秀 2025/01/01(Wed) 00:53 No.805
織田信成
あの人は自分が織田信長の子孫だと主張していましたが、全くの嘘でした!
台湾人林浩生 2024/07/05(Fri) 22:34 No.804
片倉氏について
はじめまして。子供の頃から、祖母に先祖が片倉小十郎と聞かされていましたが、気に留めることなく過ごしていました。しかし、数年前に祖母が亡くなり、先祖について調べるようになりました。ネットで色々検索していて、こちらの系図にたどりつき、片倉家について教えて頂きたく、投稿させて頂きました。祖母は山形県出身で、旧姓は片倉です。祖母が子供の頃、実家の蔵には小十郎が使った馬の鞍があり、それで遊ぶと小十郎の物だから、壊さないようにと注意されたそう。祖母は大正4年生まれ、祖母の父親の名前は市三郎、母親の名前はツルノです。祖母の父親かその前の代は、北海道に開拓に行ったと聞きました。北海道に開拓に行ったとしたら、景範、景光らの時代ですが、祖母の父親の名前はどこにも見つからず、本当に片倉家と関係があるのか、わかりません。何かわかりましたら、教えていただけませんでしょうか。よろしくお願いします。
ゆう 2024/05/19(Sun) 00:04 No.803
広島の久保田家調べ
明治期に広島の戸主久保田仁(学校の先生・浅野家家従)さんがご先祖は日下丹波守秀柴と記載しています。久保田仁さんの父は御用人久保田平司(秀雄)、王政復古の大号令の後の「小御所会議」に出席しています。参与となりますが、翌年3月、広島に帰ります。
「三次分家済美禄」によると細川家家臣日下秀柴は2千石取りで、1万石まで加増されますが、お暇を乞い京都の稲荷で浪人します。窪田小助に改名します。娘お岩は、初め羽林家の寺明院基久の室となり、河鰭家を再興する基秀を産みます。その後基久と離縁します。基久は後に大阪夏の陣で大阪城に入り戦死します。浅野長晟が京都で北政所の警備についていた時、ご奉仕につき、浅野長治を産みます。河鰭基秀と浅野長治は異父兄弟です。基秀の娘の娘が霊元天皇の典侍となります。長治は、庶子として三次藩5万石を分地され、三次藩主となります。長治は赤穂事件の奥方阿久里の父です。長治に窪田小助の子窪田十郎左衛門秀正が召し出され、三次藩家臣となります。長治は母お岩のために妙栄寺を創建します。秀正の子の源太夫正信の時、主命で久保田に改名します。正信は組頭から御用人、一代家老になります。その子久保田右門豪秀は執政となります。三次藩は4代藩主早世し、廃藩となり、広島藩に戻ります。本藩で右門は、御用人、年寄となります。40歳で江戸で亡くなっています。
T.H 2024/05/01(Wed) 06:46 No.802
Re:[800] 土岐家系図に付いて
>土岐藤兵衛様
詳しい説明ありがとうございました。また更新する際にはご質問させて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します。
KUBO 2024/03/19(Tue) 21:18 No.801
Re:[799] 土岐家系図に付いて
KUBO様お返事ありがとうございます
残念ながら長男頼勝惣家は5代後頼盈で断絶しています。
現在確認できているのは頼藝七男越前守頼重(賴元)(1000石)系、2家
本家頼元700石は現在15代目、分家頼房300石は分家後病死とある。
頼藝二男惣家頼師(二郎賴次)(500石)系、当家含め4家
(注、頼藝五男五郎頼次と間違わないように)頼勝・頼高・頼泰
惣家賴次長男頼勝(ヨリカツ大和生れ)父より河内500石と美濃300石と摂津200石
惣家1000石は頼晴までで700石頼恭、養子頼盈、で断絶、分家300石頼行となる
300俵賴重本家は、分家300石頼行に二男を2代と4代に後継ぎとして養子に
出すも6代頼雄以降300石頼行系に統合されたと思われる。
現在頼行系は9代目が継承中、頼次二男頼高は現在調査中です
頼次三男600石頼泰(ヨリヒロ)は当家上総300石と下総300石で現在14代目になります
廃嫡された頼藝長男頼栄(賴秀)系も令和の現在子孫まで分かります
明智系も一部分かります(沼田土岐系)、光秀系は土岐賴基(明智九郎)に繋がらない
人も多く土岐家惣家頼定(頼貞)までも明智だと言う人もおり、今だ信用の出来る
物を見た事がなく弟十郎又は惣家頼忠三男頼兼が明智の祖と言われる方もおり
事実が解っておりません、ただ崇禅寺 (土岐市)の位牌は当方認識と同じでした
資料の無い明智家の事は仕方ないとしても土岐家は資料が残っているので正しい
情報を広めて頂きたいので何でもお尋ね下さい、当家の資料は国会図書館に200点
ほど寄贈しましたので今後閲覧出来ると思います。
当方の認識で惣家、本家、分家と分けておりますが、間違いであればご容赦ください
惣家(後継ぎ)本家(新規召出し)分家(本家より分地してもらい新規取り立て)
で分けております。
土岐藤兵衛 2024/03/18(Mon) 16:03 No.800
Re:[798] 土岐家系図に付いて
>土岐藤兵衛様
書き込み、ありがとうございます。
土岐氏の系図は、もう4年ほど前に更新したものですが、見直し
てみると、高家となった系統のみで、そこから分かれた頼泰・頼
重・頼行の系統については省略していたので、次の更新の際には
こちらも追加したいと思っていますので、情報をいただければ大
変助かります。後ほどメールさせていただきますので、よろしく
お願いします。
KUBO 2024/03/17(Sun) 21:18 No.799
土岐家系図に付いて
初めましてKUBO様
私は頼藝公の孫600石頼泰の13代目の子孫です
当家にも家系図があり(現在は岐阜県博物館に寄贈済)
惣家頼勝長男1000石賴直より送られたと思われる物と
当家9代目賴功がこれを写し追記した物と
300俵賴重より5代目賴房より送られた家系図
すべてフリガナ付です、現在公表されている
系図をより正確に、また正しい読み方にできますので
もし更新の予定があればご連絡下さい。
土岐藤兵衛 2024/03/15(Fri) 21:34 No.798
Re:[796] 兒島家について
兒島様、はじめまして。当サイトの管理人・KUBOと申します。
出水市というと鹿児島ですね。川崎大十氏の「さつまの姓氏」には八流の兒島家が載っており、(1)は姶良郡重富郷居住の藤原姓(清和源姓)。(2)は肝属郡髙山郷居住の清和源姓武田氏族。(3)~(5)は(2)の庶流。(6)は伊佐郡宮之城郷の宇多源姓で宮之城島津家の家老を務めた家。(7)は(6)の分家。(8)は出水郡長島郷平尾村の兒島姓とありますので、(8)の兒島家が関係ありそうですが、以下のような記述となっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
八、長島流
出水郡長島郷平尾村(同郡長島町)に、本姓・出自不詳の児島氏がある。1通徳―2庵―3孝顕と続く。初代通徳は西長島村会議員・同村収入役、二代庵は西長島村会議員・同村助役・長島町教育委員長等を歴任。三代孝顕は歌人で歌誌「歩道」鹿児島主宰、南日歌壇賞・南日本短歌会大会賞等受賞。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
通字を見ると(1)は盛、(2)~(4)は綱、(6)~(7)は高となっているので、(8)の流れとはあまり関係がなさそうに思えます。
ちなみに同書には小島家が16流載っていますが、(1)~(3)は高木郡高木郷城上村、(4)~(14)は高木郷麓村、(15)は伊佐郡宮之城郷下舟木、(16)は囎唹郡財部郷なので出水の児島家とは関係なさそうですね。
取りあえず当方で分かったことは以上です。もしもご参考になれば幸いです。
> 私は出水市の兒島家の流れを汲む者なのですが、おそらく薩摩藩士(郷士?)だったと思われる本家の兒島家を同定(推定)できそうな資料というものはご存知でしょうか?
KUBO 2023/07/19(Wed) 21:11 No.797
兒島家について
管理人様、皆様、初めまして。
私は出水市の兒島家の流れを汲む者なのですが、おそらく薩摩藩士(郷士?)だったと思われる本家の兒島家を同定(推定)できそうな資料というものはご存知でしょうか?
何か少しでも分かりましたら幸いです。
兒島 2023/07/10(Mon) 23:20 No.796
Re:[794] 有難う御座います。
どういたしまして。手術されたとの事、お大事になさって下さい。
> KUBO様返事が遅れて申し訳ありません。
> 白内障の手術をしましてこの談話室見るのが遅れて、
> お礼のメール送れましたこと、お詫び申し上げます。
> この度の件誠にありがとうございました。
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/Japan/matumae/kasindan.htm
KUBO 2020/08/30(Sun) 20:45 No.795
有難う御座います。
KUBO様返事が遅れて申し訳ありません。
白内障の手術をしましてこの談話室見るのが遅れて、
お礼のメール送れましたこと、お詫び申し上げます。
この度の件誠にありがとうございました。
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/Japan/matumae/kasindan.htm
菊谷彰 2020/08/29(Sat) 13:50 No.794
Re:[792] 引用お許しいただきたくお願い申し上げます
菊谷様、はじめまして。
当サイトの管理人・KUBOと申します。
ご質問の件ですが、下国氏の系図を確認したところ、下国勘解由季致の次子季政の欄に「下国倭太利 久助 才蔵 下国矢門季幸嗣子」とありましたので、同一人物と思われます。
以下のリンク、または「松前藩 松前・蠣崎一族の系図」のページの「松前藩家臣団コンテンツ」の「下国家の系図」にてご確認下さい。
引用の件は構いません。どうぞお使い下さい。もともと各種の文献に載っていたものをまとめたものですので。
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/Japan/matumae/matumae11.htm
KUBO 2020/08/15(Sat) 21:56 No.793
引用お許しいただきたくお願い申し上げます
初めてメールします。
室蘭地方史研究会会員の菊谷彰と申します。
蝦夷地巡覧筆記の高橋壮志郎、、南条郡平、牧田藤九郎は寛政十年の藩士録に御近習列にありますが、下国才三の名が有りません。下国和多里と同一人物でしょうか?又地方史研究会の会報に役職名の引用お許しいただきたくお願い申し上げます。
http://http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/Japan/matumae/kasindan.htm
菊谷彰 2020/08/14(Fri) 11:23 No.792
Re:[790] はじめまして
>蠣崎某様
当サイトの管理人KUBOです。ご投稿ありがとうございます。員廣系蠣崎家の家系に就きましては、「松前藩 松前・蠣崎一族の系図」の参考文献にあるとおり、蠣崎太郎系の縁者の方から情報を頂き掲載しております。
今回頂いた情報は次回更新の際に参考にさせて頂きます。ありがとうございます。
> 員廣系蠣崎の蠣崎清彦の最年少の孫です。といっても古希をとうに過ぎていますが。清彦には六男三女の子がありましたが、全員亡くなっています。従兄弟とは疎遠となっていて許可を得る事ができませんので名前をお知らせする許可を得る事ができませんので人数だけお知らせ致します。
> ただ 清彦の弟 勇造の孫まで系図に記されていますので、お知らせ致します。勇造の長男廣良は父の死により明治二十二年五月八日に清彦の戸籍に届けられています。七才でした。
KUBO 2020/05/16(Sat) 21:05 No.791
はじめまして
初めてお便り致します。
員廣系蠣崎の蠣崎清彦の最年少の孫です。といっても古希をとうに過ぎていますが。清彦には六男三女の子がありましたが、全員亡くなっています。従兄弟とは疎遠となっていて許可を得る事ができませんので名前をお知らせする許可を得る事ができませんので人数だけお知らせ致します。
ただ 清彦の弟 勇造の孫まで系図に記されていますので、お知らせ致します。勇造の長男廣良は父の死により明治二十二年五月八日に清彦の戸籍に届けられています。七才でした。
蠣崎某 2020/05/16(Sat) 03:33 No.790
Re:[788] お久しぶりです
> 行方不明でした(笑
> auがHPを突然やめましたので・・
お久しぶりです。自分のサイトの掲示板なのに、しばらく覗いていなかった…(^^;)
了解しました。URL変更しておきます(^^)
KUBO 2019/12/10(Tue) 20:52 No.789
お久しぶりです
行方不明でした(笑
auがHPを突然やめましたので・・
http://zikihatiman.uji-masa.com/
地黄八幡 2019/11/21(Thu) 15:21 No.788
お礼と石川県の喜多家の件
仙台藩中村氏の系図の件、新田貞長が登場し納得しました。ここ神奈川には新田貞政の堀江氏の子孫が健在で、新田貞方の庶子とされる二つの家系ともに、子孫が健在です。さて、NIFTYの遺産(63)にありました喜多家は、子孫の方のブログを見つけました。KUBO様の新田氏系図中の岩松満純の8代後の秀純弟・義勝(新田四郎兵衛)を祖とする家系らしいのです。その二男の四郎二郎が羽咋の喜多家の祖になったとしています。喜多家も今に続いており、加賀藩の十村役を務めた喜多家の屋敷は国の重文に指定されています。https://www.hot-ishikawa.jp/spot/4886(喜多家)。能登新田家は参照先の欄に。
佐藤 2019/03/22(Fri) 21:44 No.787
御礼
KUBO様
お返事有難うございます。
手代木氏の家系を調べていてこちらのサイトにたどり着きました。
戦国期の蘆名氏、伊達氏の家臣に手代木氏の名前が見られるのですがその二家と亀田番所の手代木氏のつながりが解っておりません。
もし何か情報を見つけられましたらこちらでご教示頂けましたら幸いです。
今後も更新(特に日本史!)を期待しております。
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-02/shishi_03-02-01-00-04~05.htm
滝沢芳夫 2019/03/18(Mon) 18:35 No.786
いろいろとお返事…
管理人のKUBOです。
いろいろと放置状態で申し訳ありません。やりたいことは色々あるんですが、なかなか進みません、今のところ、当サイトの系図のJPG化を進めております。テキストで系図を書くのはどうしても表示が崩れてしまうので、去年くらいから取り組んでいるのですがなかなか遅々として進みません。今は「ユーグ・カペーの末裔」シリーズに取り組んでいまして、早いうちに終わらせて「高家シリーズ」やらいろいろなことを進めたいのですが…
と愚痴はここまでにしてお返事を。
>疑問様
申し訳ありませんが全く存じません。昨年久しぶりにK氏に会いましたが、そんな話は全く出ませんでしたので。
>滝沢芳夫様
申し訳ありません、手代木惣右衛門については特に情報を持ちあわせておりません。ただ手代木姓は宮城から福島にかけて多い姓のようで、「宮城県姓氏家系大辞典」には仙台藩家臣の手代木家は藤原姓で医師を務めていた家と志田郡三本木町に住む家(遠祖は紀伊国熊野)という家が載っていました。確か会津藩士にも手代木氏がいたので、その辺りを出自とするのかもそれません。関係ない情報ばかりですみません。
>佐藤様
仙台藩中村氏の系図は、確か『姓氏家系大辞典』の「新田氏」の項と、『宮城県姓氏家系大辞典』の「中村氏・藤沢氏」の項を参照してまとめたものと記憶しています。それから『史料仙台伊達氏家臣団事典』の「一家・中村」の項には景綱以降のもっと詳しい系図が載っておりますのでご参考までに。
KUBO 2019/03/17(Sun) 21:26 No.785
新田氏系図
KUBO様
新田貞方の庶子の系統とされる奥州に逃避した貞長の子孫で、仙台藩中村氏が元禄から幕末までの170年の間、領主だった岩ケ崎生まれの者です。中村氏のルーツを調べ始めて、直ぐにKUBO様のサイトを知りました。新田系図は詳細なもので感服しています。 KUBO様提示の新田氏系図は、複数の出典元を検討・吟味されて作成された貴重な成果と思います。引用史料(出典)をお教え願いませんでしょうか?
佐藤 2019/03/02(Sat) 18:19 No.784
亀田番所奉行
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-02/shishi_03-02-01-00-04~05.htm
上記函館市史に載っております手代木惣右衛門という人物について何かご存知ありませんでしょうか?
家臣団には載っていないようですが家系を調べております。
よろしくお願いします。
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-02/shishi_03-02-01-00-04~05.htm
滝沢芳夫 2019/02/17(Sun) 17:53 No.783
ウィキペディアの謎をご存知ですか?
以下の記事の事情を知りませんか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B2%B8%E6%9C%AC%E8%89%AF%E4%BF%A1
疑問 2018/12/06(Thu) 21:45 No.782
軍師官兵衛黒田孝高の男系子孫断絶
現在の黒田氏は藤堂高虎の男系子孫です。
台湾人林浩生 2017/03/09(Thu) 21:39 No.781
Re:[779] 真田幸隆二子真田昌輝の男系子孫傳承
>林浩生様
書き込みありがとうございます。
> 元内閣法制局長官真田秀夫は真田昌輝の男系子孫。
それに関しては、知っています。昌輝の系統は越前福井藩士で兄信綱の子孫から受け継いだ真田家累代の文書を伝えていると聞いております。
KUBO 2017/02/28(Tue) 20:56 No.780
真田幸隆二子真田昌輝の男系子孫傳承
元内閣法制局長官真田秀夫は真田昌輝の男系子孫。
台湾人林浩生 2017/02/25(Sat) 04:59 No.779
紀州武田の御本家(みもとけ)
紀州武田の御本家は家系図に、土佐に住む と記述が あり四万十町の志和薬師寺の棟札に御本家領家次第沙汰人(みもとけりょうけしだいさたにん)と残っているが、ごほんけりょうけしだいさたにんと 読み誰のことだかわからなくなっています。
また、他の書物に、棟札の写しとして 御本尊領家次第沙汰人(みもとのみことりょうけしだいさたにん)と あるのですが、ごほんぞんーーと読まれて誰のことだかわからなくなっています。
また、御本は三本とも書くと、ルーツである三重県和気の御本明神社に残っています。
http://www.keyspot.info/fudoki/wakemura.html
三本一博 2016/11/19(Sat) 00:24 No.778
ログが…
>みなさま
迷惑投稿が大量にあったため、いろいろやっているうちに掲示板のログが再設置時に戻ってしまいました。ご了承下さい。
こんなことが続くと、ちょっと考えなくてはいけません(--;)
KUBO 2016/09/20(Tue) 21:09 No.777
