No.1~200(2003/11/23~2004/12/06)


[200三つ巴紋 投稿者:福田兵庫 投稿日:2004/12/06(Mon) 23:59  

結城氏も浜名氏(三ケ日地方)も同じ三つ巴紋です。結城氏の家臣として巴紋を使用したと推計するのは無理がありますか。


[199よろしくお願いします。 投稿者:虎猫 投稿日:2004/12/06(Mon) 20:13  

管理人さま、たいへん失礼いたしました。記憶が時々途切れるといいますか、あやふやな面もあり、誠にすみませんでした。 これを機会にさらなるお付き合いよろしくお願いします。

樋爪さん、同名の誼で、今後ともどうぞよろしくお願いします。


[198無題 投稿者:福田兵庫 投稿日:2004/12/05(Sun) 23:29  

浜名氏については、本日茨城県立図書館より新情報がありました。浜名信平家の家譜によると、浜名家の遠祖は三河国の浜名三河守後胤で、結城七郎朝光の家臣であったということです。三河の浜名三河守はどのように調査したらいいのでしょうか?


[197すみませ~ん(^^;) 投稿者:KUBO 投稿日:2004/12/05(Sun) 16:43  

>みなさま
 1か月近く放置状態になってしまい申し訳ありませんでした(^^;) とはいってもこ
れからまた学期末が迫ってますので、またしばらく出てこれないかもしれませんが(^^;)

>筈衛さん
 毎度いろいろとフォローありがとうございます。

>樋爪克好さん
 筈衛さん、虎猫さんからいろいろと情報が出てますんで、私の出番はありませんが、
こうやって調べている時がまた楽しいんですよね(^^) いろいろなことを調べていく
と意外なところでつながることもありますので。

>信生法師さん
 ええ、私も古書店サイトから入手しましたので、公共図書館等で探すのが無難だと
思います。

>虎猫さん
 はじめまして(^^) ですが、虎猫さんのサイトは以前におたずねしたことあります。
遠野はだいぶん前に高校時代の友人と一緒に行ったことがありますが、その時は友人
の趣味に合わせてまわったんで、横田城とか鍋倉城等が気になりつつも、行かず仕舞
いであとから後悔したことがあります。

>天野英夫さん、福田兵庫さん
 どちらの名前でお呼びすればいいでしょうか? 書き込まれる時は、HNを統一し
て下さいね。
 家系研究協議会の掲示板の方でも同じ質問をされていますが、あちらでの解答の通
り、葵紋は加茂神社の神紋で、立葵を家門とした本多氏ももと加茂社の神官であった
との家伝もあるようですから、加茂神社に関係することは間違いなさそうですね。和
歌山藩士についての情報は申し訳ありませんが持ち合わせておりません。
 また浜名家・福田家についても、手持ちの資料を見ても関連する情報を見つけられ
ませんでした。


[196浜名・福田家の先祖探し 投稿者:福田兵庫 投稿日:2004/12/04(Sat) 19:13  

相模原市下溝に私の先祖の家系である福田家があります。この福田の祖は小田原北条氏の氏政・氏照の家臣、福田兵庫助忠光であり、その父(又は改姓前の本人)は浜名豊後守某です。同時代に浜名豊後守時成という武将がいます。遠江国三ケ日の浜名氏、加賀藩の浜名氏、群馬県の浜名氏等を調査してますが、我が浜名との関係がわかりません。家紋は丸に抱沢瀉紋です。遠江国の浜名氏は三つ巴紋のようです。加賀藩の浜名氏は丸に抱沢瀉紋です。


[195天野家の先祖探し 投稿者:天野英夫 投稿日:2004/12/04(Sat) 19:11  

私の天野家の先祖は和歌山藩の表御用部屋坊主・天野文良です。我が家では代々立ち葵紋を使用しておりますが、表紋は地紙紋(角扇地紙)ですす。同系の天野も立ち葵紋や蔦葵紋を使用してます。下級士族にもかかわらず、葵紋を使用しているのは疑問ですが、藩に提出していた先祖書にも替紋・立ち葵と書かれています(和歌山県立図書館蔵)。先祖書には本国は河内と書かれています。何かご存知の方、教えてください


[194Re:[193] はじめまして 投稿者:樋爪克好 投稿日:2004/11/22(Mon) 14:32  

> ひょんなことからこちら様を訪ねた次第です。
> 申し遅れましたが、陸奥国在の虎猫と申します。
> 最近、奥州城壁癖稲用氏、陸奥の城塞の睦月庵氏の影響で地元の舘等を調べた経緯があって、こちら様のサイトの紹介形式等一部参考とさせていただきました。ありがとうございました。
>
> 樋爪さん、はじめまして。
> 岩手県紫波の樋爪、その名残が地名として残されております。現在は日詰となっております。岩手県紫波郡紫波町日詰。
> また実は私の名は克好といいます。なんとなく親近感が湧いたものですから、ご挨拶いたしました。
> それでは失礼いたします。

虎猫さま こんにちは
樋爪です。 ご挨拶ありがとうございます。
また、情報ありがとうございました。
初めてです。『克好』て同じ人にあったの
昔両親が『何事も克服して誰からも好まれる人になってほしい』
と言っていたのを思い出しました。
そんな自分になれているか分かりませんが....。

それではこれからも、よろしくお願いします。


[193はじめまして 投稿者:虎猫 投稿日:2004/11/20(Sat) 10:43  

ひょんなことからこちら様を訪ねた次第です。
申し遅れましたが、陸奥国在の虎猫と申します。
最近、奥州城壁癖稲用氏、陸奥の城塞の睦月庵氏の影響で地元の舘等を調べた経緯があって、こちら様のサイトの紹介形式等一部参考とさせていただきました。ありがとうございました。

樋爪さん、はじめまして。
岩手県紫波の樋爪、その名残が地名として残されております。現在は日詰となっております。岩手県紫波郡紫波町日詰。
また実は私の名は克好といいます。なんとなく親近感が湧いたものですから、ご挨拶いたしました。
それでは失礼いたします。

http://toraneko.cside.com/


[192感動です。 投稿者:樋爪克好 投稿日:2004/11/19(Fri) 12:30  

樋爪です。皆々様には大変お世話になっております。
『美浦村お散歩団』のひづめ様からこちらの事をお聞きしてから、
インターネットへの書込みをはじめてやって見たのですが
素人の私にたいして、皆様からこのような暖かいご教示いただけるとは、夢にも思いませんでした。正直感動してます。

なにとぞ今後とも、諸先輩につきましてはご指導よろしくお願いします。

  樋爪克好


[191そのとうり、下野でした(^^ゞ 投稿者:HAZU 投稿日:2004/11/18(Thu) 20:30  

 訂正ありがとうございます。

筈衛


[190ありがとうございました 投稿者:信生法師 投稿日:2004/11/18(Thu) 20:12  

「消された一族」ですね。わかりました。もう絶版本でしょうから群馬の図書館にでも行って探してみます。
それと[188]のは「下総の宇都宮氏」ではなく「下野」では?


[189Re:[188] 左三つ巴 投稿者:樋爪克好 投稿日:2004/11/18(Thu) 17:35  

>  左三つ巴は、下総の宇都宮氏が使っています。
>  また、八田、茂木、塩谷、中条、宍戸など宇都宮氏の一族はほとんど巴紋を使っています。
>  そのほかに藤原秀郷の子孫という佐野、小山、結城氏なども巴紋を使用しています。
>
>
> 筈衛

HAZU様こんにちは、樋爪です。
いつもお世話になっております。
家紋の件について『うーなるほど』です。
なんでも結構です。いろいろ教えてください。


[188左三つ巴 投稿者:HAZU 投稿日:2004/11/17(Wed) 19:25  

 左三つ巴は、下総の宇都宮氏が使っています。
 また、八田、茂木、塩谷、中条、宍戸など宇都宮氏の一族はほとんど巴紋を使っています。
 そのほかに藤原秀郷の子孫という佐野、小山、結城氏なども巴紋を使用しています。

筈衛


[187ありがとうございます。 投稿者:樋爪克好 投稿日:2004/11/17(Wed) 17:48  

HAZU様 このたびは、ご教示ありがとうございます。
川口は、私の家から10キロほどしか離れていませんし、また
樋爪には、俊衡のほかに、「弟の季衡と子の忠衡は宇都宮配流に配流になった」とのことですと、その子孫が現在の地にきた可能性も考えられるわけですね。なるほど

もし藤原氏の関係の樋爪ですと、『藤』の家紋になると思ったのですが、実際の我家の家紋は『左三つ巴』なので、その辺がどうなのかが分かりません。


[186一応念のため 投稿者:HAZU 投稿日:2004/11/16(Tue) 20:20  

 一応、埼玉県には
 北足立郡樋爪村→南平柳村(明治22)→川口市(昭和8)
 と地名が変更しているところもありますので、地名から来ている可能性もあります。

筈衛


[185八田知家 投稿者:HAZU 投稿日:2004/11/16(Tue) 19:49  

 八田知家は奥州藤原氏との戦いのとき、東海道を進む一軍の大将でした。樋爪俊衡を頼朝に預けられたのも知家です。
 俊衡の弟、季衡と子の忠衡は宇都宮配流に配流になりましたが、知家が宇都宮宗綱の子であることを考えると樋爪氏は八田氏をはじめ宇都宮一族の家臣となった可能性がありますね。

筈衛


[184無題 投稿者:樋爪克好 投稿日:2004/11/16(Tue) 16:45  

KUBO様
先日は、ご丁寧にご教授いただきありがとうございました。
お陰様で大変勉強になりました。
ところで、樋爪には、奥州、安芸国高田郡、能登国(石川県)鳳至郡と別々の発祥があるとの事、知りませんでした。
そうしますと、埼玉の樋爪はどれにあたるか、もしくはそれとも別なのか、今後探っていけば良いのですね。(どう探ればよいのかも分からずに....)
まずは、家のそばには、八田知家の砦があることを考えると奥州説もあるのではないかと素人仮説を立てて、いろいろ足取りを探ってみます。
勝手なお願いですが、今後ともご指導よろしくお願いいたします。


[183まだまだまだまだ秋... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/11/13(Sat) 23:09  

 今年の11月は変です。うちの車のエアコンでたまに外気温を調べると17度なんてい
う時もある始末... この時期ならもっと寒いんですけどねえ、北海道は。その分冬は
寒いよ~!、なんてのはやめて欲しいなあ(^^;)
 blogにも書きましたが、昨日買った学研の「よみがえる日本の城」シリーズの第9
弾は北海道・北東北方面の特集で、ほとんどが行ったことのある城でした。このシリ
ーズはCGやイラスト・模型などで城を再現するものですが、今回は盛岡城・五稜郭
はCGで復元していました。
 北海道関係では、松前城はもちろん四稜郭や戸切地陣屋、志苔館、勝山館、白老元
陣屋、モロラン陣屋など主要な城郭は紹介されていますし、チャシも1ページだけで
すが紹介されています。
 最近はこのシリーズの他にもPHP研究所の「名城を歩く」(完結)、小学館の「名
城をゆく」などお城を取り上げたシリーズがいくつも出ていてうれしい限りです。

>源次郎さん
 リンクの報告遅くなりましてすみませんでした。さくらさんのサイトは数年前に福
島県に行った時に参考にさせて頂きまして、会津に泊まった夜にちょっとだけお会い
することもできました。
 そういえば、筈衛さんに三春や二本松・白河などを案内してもらったのも、その同
じ旅行の時でしたっけねえ。

>信生法師さん
 はじめまして。世良田氏の項に載っているのは、参考文献に載っている『消された
一族 清和源氏新田氏支流・世良田氏』(清水昇、あさを社)という本の情報が全て
です。『系図纂要』にも政親の子孫は載っておりませんので、当然真船村のことは載
っていません。

>木村信行さん
 宗像氏の系図について詳しく調べたことはありませんので手持ちの資料をもとにお
答えするしかありませんが、確かに『姓氏家系大辞典』にも清氏は宇多天皇の御子と
書かれています。ですが、Hikoさんも書かれているとおり仮冒であるとしか考えられ
ません。『系図纂要』では清氏は「実宇多天皇皇子以母賊故不列皇子」と書かれ、宗
像君滋光宿禰の養子となっていますが、それであればなおのこと宗像大宮司になぜな
れたのかということが疑問ですし、素直に古代氏族の宗像君(胸形君)の末裔と考える
のが妥当だと思います。

>Hikoさん
 はじめまして。フォローありがとうございます。

>樋爪克好さん
 はじめまして。ひづめさんからもメールが来ていました。さて、樋爪姓は奥州藤原
氏の庶流で藤原清衡の四男十郎清綱の子樋爪太郎俊衡を祖とし、陸中国(岩手県)紫波
郡火爪邑から起こる火爪(樋爪)氏があり、その他に文字は違いますが安芸国(広島県)
高田郡の豪族の樋詰氏、能登国(石川県)鳳至郡の日詰氏などがあったようです。樋爪
姓は現在石川県・富山県に多く、これは上記の能登の日詰氏の子孫はないかと思われ
ます。全国でも200軒ほどの珍しい名字ですが、埼玉県では確かに旧与野市に樋爪姓
が多いようですね。
 あまりご参考になったとは思えませんが、とりあえずこんなところで。


[182源次郎より 投稿者:源次郎 投稿日:2004/11/13(Sat) 08:03  

報告が遅れて申し訳ありません。相互リンクとして頂き感謝しております。今後とも宜しくお願い致します。さくらさんのサイトは福島県の城館画像が豊富なので以前より訪れていました。KUBO様もご存じの方だったのですね!実際の城館画像を見ていると文書を作成するときイメージがわいてきます。遠い所に住んでいるハンデイが少し縮まるかな。


[181177へ 投稿者:Hiko 投稿日:2004/11/10(Wed) 20:27  

そもそも宗像姓で太政大臣とか中納言になった人は居ないと思います。だから説明もなにも、その系図の少なくとも近世以前は明らかに捏造ってことでしょ。
※もちろん補任にも脱落・間違いは有るでしょうが、その人たちが実在していたとしたら全員が漏れているというはあり得ないと思いますね。


[180源次郎よりリンクの件 投稿者:源次郎 投稿日:2004/11/06(Sat) 21:29  

なぜかメールにうまく繋がらないので掲示板の方に投稿します。準備が出来次第kuboさまのサイトにリンクさせて頂いて問題ないでしょうか。


[179はじめまして 投稿者:樋爪克好 投稿日:2004/11/06(Sat) 19:30  

はじめまして、樋爪(ひづめ)と申します。
子供の頃に見た「ルーツ」を思い出して
「樋爪」で検索しましたところ、『美浦村お散歩団』のひづめ様から、こちら様のHPをご紹介していただきました。

早速ですが、「樋爪」について分かることがあれば、教えていただければ、幸いです。
家紋は、左三つ巴、古くからさいたま市(旧与野市)に住んでいると地元の本に書いてあったのを覚えています。

また、ひづめ様には、いろいろありがとうございました。
この場をお借りしまして、再度お礼を述べさせていただきます。


[178177に関連して 投稿者:木村信行 投稿日:2004/11/06(Sat) 10:46  

宇多天皇の皇子という清氏は桓武天皇皇子で太政大臣清広という人の養子という説がありますが、清広や清氏というのも宗像系図にはいても、皇室系図になく、公卿補任にも居ません。なぜだか説明できる人は居ますか。

http://nihonrekishiken.com/


[177宗像氏について 投稿者:木村信行 投稿日:2004/11/06(Sat) 10:43  

宗像氏の系譜についてご存知の方が居たら教えてください。この一族が宇多天皇の子孫で代々中納言という高い官位を得ていたという系図があるのですが、肝心の公卿補任や公卿辞典に登場せず、宇多天皇皇子といわれる清氏という人も本朝皇胤紹運録などに登場しないので、この理由が理解できませんが、この疑問に答えてくれる人は居ますか。

http://nihonrekishiken.com/


[176RE:真船について 投稿者:HAZU 投稿日:2004/11/02(Tue) 04:32  

 こんにちは、わたしはつい最近白河地方に戻ってきたばかりのものです。
『尊卑分脈』、『系図纂要』ですが、白河市の図書館にあったように記憶しています。
 西郷村?からでしたら、15分くらいでしょうから、ぜひ調べにこられるといいでしょう。

筈衛


[175真船について 投稿者:信生法師 投稿日:2004/11/01(Mon) 21:08  

白河の近くのある村役場に勤めている者です。世良田氏の系図に載っている真船村という記事は、『尊卑分脈』や『系図纂要』とかにも掲載されているのでしょうか?うちの村の図書室にはそういうものがないため、調べに行きたいのですが、なかなか時間がとれずに苦慮しています。教えていただければ幸いです。


[174ありがとうございます 投稿者:源次郎 投稿日:2004/11/01(Mon) 11:04  

昨日は法事のあと親戚と知床の宇登呂のホテルに泊まり、今帰って来たところです。早速ご返事を頂きありがとうございました。系図の罫線参考にさせて頂きます。これからも宜しくお願いします。


[173はい(^^ゞ 投稿者:HAZU 投稿日:2004/10/31(Sun) 22:44  

 はい(^^)
 福島県の話題となると見逃せません。

筈衛


[172まだまだ秋... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/10/31(Sun) 21:51  

 先日、雪に見舞われてびっくりしましたが、すっかりこの前降った雪も消えてしま
い、ここ数日はあたたかい北海道です。

>秋山如雪さん
 ご無沙汰しております。リンクは訂正済みです。今後ともよろしゅう(^^)

>フェニックスさん
 ご無沙汰してます。
> なんかついこの間、おめでとうのカキコをしたように感じます。
 ほんと1年なんて早いもんですね。最近はしっかりあちこちイタズラして回ってま
す。これで歩くようになったらどうなるんだろう...(^^;)

> ところで、11月に発売する浪漫堂のスタトレですが、
 そういえば11月の末でしたね(^^;) 私のあの色違いはいらんです。それよりライン
ナップ増やしてくれんかなあ... フルタの方はどうなったんでしたっけ?

>源次郎さん
 その節はどうもありがとうございました。早速サイト見せて頂きました。二階堂氏
についてはあまりネット上では見かけませんので、貴重な情報ですね。早速、筈衛さ
んがおじゃましているようですね(^^)

 系図の線については、だいぶ前にこの談話室に書いたことがありますが、私は全て
テキストで打ち込んでます。私のネット生活はniftyのパソコン通信から始まってま
すので、パソコン通信の場合、全てコミュニケーションはテキストのやりとりですの
で、系図を書く時も文字を打ち込むしかありません。それで、考えたのが単語登録で
す。
 私のパソのATOKくんには、
「せ1→―」「せ2→――」「せ3→―――」「せ6→――――――」
「せ0→――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
「つ1→∥」「てん→…」なんていうように実線・二重線・点線が単語登録しており
ますので、これらを駆使すればテキストだけで系図が書けるというわけです。「|」
と「=」はキーボードから直接入力できますし、あとはコピー&ペーストで何とかな
るもんです。
 最近はブロードバンド環境も普及しましたので、ワープロで打ち込んだものを画像
にした方がきれいなんでしょうね。まあでも、ある意味面倒ですけど、これにもう慣
れてしまいましたので、別に苦にもなりません(^^;)


[171ご無沙汰しています。 投稿者:源次郎 投稿日:2004/10/30(Sat) 08:27  

1月に本を贈らせて頂いた者です。。今後は源次郎と名乗りたいと思います。今度「戦国大名二階堂氏の興亡史」というサイトを立ち上げました。ホームページビルダーのマニュアルを見ながらの打ち込みで、まだ工事中のところが多いですが順次更新していきたいと思います。暇があったら訪れてください。それにしても皆さんは系図の罫線はどのように引いているのでしょうか。私には頭が痛い問題なのですが、どなたか教えて頂けないでしょうか。

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/welcome.html


[170もう1年!? 投稿者:フェニックス 投稿日:2004/10/28(Thu) 21:00  

こんばんは。Blog拝見させていただきました。
もうお子さんが1歳になられたのですね。
大変遅くなりましたが、おめでとうございます。
なんかついこの間、
おめでとうのカキコをしたように感じます。
歳ですね(^^;)

ところで、11月に発売する浪漫堂のスタトレですが、
サラトガとスターゲイザーがキット化されるのは、
嬉しいのですが、全体的にイマイチという気がしますね。
特に、色違いって出す必要あるんでしょうかねえ。

でも、第1段同様統一スケールなのは魅力ですね。
ファラガットと一緒にフォーメーション組ませたら、
カッコ良さそうです。

http://www.geocities.jp/phenixshonan


[169リンク変更願い 投稿者:秋山如雪 投稿日:2004/10/27(Wed) 00:15  

 リンクさせていただいている「心を開いて」の秋山如雪と
申します。
 この度、サイトアドレスが変更になりました。
 新しいアドレスはこちらになります。
http://www.medianetjapan.com/2/20/entertainment/josetsu/
 お暇な時にでも変更の方、よろしくお願いします。
 ちなみに戦国時代コーナーを扱っていましたが、都合の関係上、
現在は閉鎖していて、幕末と第二次世界大戦コーナーを設けて
います。戦国時代コーナーはいずれ復活させるかもしれませんが、
現在は未定です。
 では。

http://www.medianetjapan.com/2/20/entertainment/josetsu/


[168Re2:[166] ブログなるものを... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/10/20(Wed) 22:10  

>三楽堂さん
 どうも、おいで下さいましてありがとうございます(^^)

> それにしても、正誤表ならぬ事実誤認表ができちゃいますね。
 全くですね(^^;) 八幡氏はご自分のサイトをお持ちだそうなので、そこにメールで
も送ろうかなと一瞬思いましたが、どうしましょうかねえ(^^;)

> 「バカ殿と名君
 現在別の本を読んでますんで、こちらはまだぱらぱらとしか見てませんが、また付
箋でも貼りながら読んでみますか(^^;)

>みなさま
 そういえば、のぞいてみて下さいといいながら、ブログの場所を示していませんで
した(^^;) http://kubo.cocolog-nifty.com/hitorigoto/ です。うちのトップページ
の「新着情報・お知らせ」の上の方に入り口を作りましたので、そちらから入っても
OKです。


[167Re:[166] ブログなるものを... 投稿者:三楽堂 投稿日:2004/10/20(Wed) 09:16  

KUBOさん、こちらの掲示板ではおそらく初めて書き込ませていただきます。いつもウチには書き込んでいただいているので、わたしもと思い、八幡氏著書のことはこちらのほうに書かせていただきます。

それにしても、正誤表ならぬ事実誤認表ができちゃいますね。「バカ殿と名君」(このタイトル、好きではないのですが)も初版で行うとさらに楽しい誤りが見つかることでしょう。
氏は前著あとがきで歴史小説なんか読むなと言いながら、けっこう小説が引き合いに出されていますね。
今回の著書も秀吉没後、佐竹や上杉が関東の覇権を狙いだしたとか、前田利家が生きていたら徳川家康は天下をとれなかったとか、小説に毒されているような記述が目につきます。


[166ブログなるものを... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/10/19(Tue) 23:13  

 少し良くなってきたけど...久しぶりに風邪引いちゃいました(^^;) 先週からちょ
っと調子が悪かったんですが、土日月あたりがピークで、今日はだいぶ楽になりまし
た。熱はないんですけど、咳とのどの痛みが... まあどうしても季節の変わり目は弱
いんですよねえ...

 ところでTitle通り、ブログなるものを始めてみました(^^;) もとはうちのサイト
の隠しページだった私の独り言コーナーだったんですが、ちょっと最近流行りのブロ
グなるものにチャレンジしてみることに
しました。
 まだ初めて1~2週間ですんで、うちの坊主くんのこととか、最近読んだ八幡和郎
氏の『江戸の殿さま全600家』のことくらいしか書いてませんが、よろしかったらの
ぞいて下さい。
 それでいま名前をあげた八幡氏ですが、最近『江戸300藩 県別うんちく話』(講談社)
とか『江戸三○○藩 最後の藩主』(光文社)等歴史関係の本を良く出してますが、ブ
ログに書いた通り、どうもあまりにもまちがいが多くて... まあ所詮元官僚で歴史が
専門ではないにしても、本として世に出す以上もっときちんと校正したらどうなんで
しょうねえ?

>津々堂さん
 毎度窪田姓情報をいただきまして、ありがとうございます。吉田神道の吉田氏です
か... 追加情報楽しみにしております。


[165164追記 投稿者:津々堂 投稿日:2004/10/13(Wed) 23:17  

ぴえーるさんから「時代がちがう」とご指摘を受けました。
どうやら吉田神道の吉田氏が匂ってきました。
宣賢、兼右、兼見・・・・???


[164またまた・肥後窪田家 投稿者:津々堂 投稿日:2004/10/11(Mon) 22:48  

 先の窪田家祖、丹波国窪田城主三輪丹波守秀久は吉田侍従六男
靭負と有りますが、吉田侍従といえば池田輝政なんですですよね。
ありうる話ですが、裏が取れません。


[163なんだかのんびりしちゃってます(^^;) 投稿者:KUBO 投稿日:2004/10/04(Mon) 00:02  

 研究授業が終わったせいか、この土日はのんびりしちゃってます(^^;) サイトの更
新を少ししようと思っていましたが全く手つかずです(をい(^^;))
 昨日は札幌にできたという新しい本屋に行ってきましたが、うちから1時間くらい
かかりました。ちょっと遠いのでなかなか行けそうもありませんが、とにかく広くて
本を探すのが大変かも(^^;) 歴史の棚ものぞいてきましたが、結局歴史読本の別冊『中
世・戦国・江戸の城』という本を買ってきただけでした。
 この本、中世城郭から近世城郭まで全国の代表的な200近くの城が出てますけど、
このうち北海道・東北で行ったことがないのは山形県の松山城だけで95%制覇、関東
・甲信越は31%、東海・北陸は16%、近畿は47%、中国・四国は4%、九州・沖縄は
11%で、全体では31.5%でした。
 東北は何度も行ってますし、近畿もこの夏を含め4回行ってますので、当然の結果
ですが、この結果を見るとやはり西の方が少ないですね。まずは1城もいっていない
空白県を埋めねばダメですねえ。今度はいつ城巡りに行けるかなあ...(その前に関西
遠征の更新しろってば...(^^;))

>筈衛さん
 御紹介のサイト見てみました。なるほどねえ、私も自分の誕生日が靴の記念日だな
んて初めて知りました(^^;)

>津々堂さん
 ご教示ありがとうございます。確かにご指摘の頁に窪田氏についての記述があるの
を確認しましたが、まだきちんと読んでおりません(^^;) まあわが家は熊本の窪田氏
とは関係はないでしょうけど、ほんとあちこちに窪田姓もあるものです。


[162老爺(?)心ながら 投稿者:津々堂 投稿日:2004/09/26(Sun) 10:47  

「戦国細川一族」における窪田氏の記述は、282頁及び
297~298頁にあります。いまだその「窪田家先祖附」の
所在が判明しません。分かり次第ご報告・・・・


[161苗字の日 投稿者:HAZU 投稿日:2004/09/24(Fri) 00:39  

 わたしも知らなかったので、調べたところ

 次のサイトに載っていました。

今日は何の日~毎日が記念日~
 (http://www.nannohi.jp/

  苗字の日:1870(明治3)年9月19日 「平民苗字許可令」
  苗字制定記念日:1875(明治8)年  「平民苗字必称義務令」

 ちなみに9月24日は「清掃の日」「みどりの窓口記念日」「畳の日」「南洲忌」「言水忌」でした。
 うーん、西郷隆盛の祥月命日だったのか。

筈衛


[160なんか忙しい... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/09/24(Fri) 00:03  

 お久しぶりです、二週間ほど放置状態でしたね(^^;) 実は来週研究授業をやるもの
でいろいろと忙しい目にあってます。おまけに昨日からうちの坊主くんが熱を出して
まして、しばらく反応がにぶくなると思いますんで(^^;)

>筈衛さん
 ご無沙汰です(^^) うちの職場のしだれやなぎですが、結局伐採されまして、未だ
にそのまま積まれたままです。キッとそこまで手が回らないんでしょうねえ...
 ところで苗字の日なんていうのがあるんですね。でもなんで9月19日なんでしょ?
おまけに2月13日が苗字制定記念日ですか。明治初期に苗字公称化になった日なの
かな?

>津々堂さん
 うちの御嫡男は熱出して寝てます。早く熱が下がると良いんですけどねえ。ところ
で熊本の窪田氏情報ありがとうございます。次回更新時に参考にさせていただきます。
『戦国細川一族』は私も持ってますが、全く読んでませんでした(^^;) 今度読んでみ
なくっちゃ。

>フェニックスさん
 北海道に来られてたんですね。北大のポプラ並木は北海道新聞にも写真が載ってい
ましたがひどいもんですね。とはいっても私は先月北大図書館に行ったのが北大に行
った初めてでポプラ並木はまだ直に見たことないんですけど(^^;)

>あわわさん
 おお岩手出身の佐々木さんですか。岩手県で佐々木姓は二番目に多いそうですから
ね。佐々木に限らず東北には工藤・千葉など鎌倉御家人の姓が多いようです。

>りつさん
 立花氏の『信長と十字架』ですか。私は現在挫折中なんです(^^;) 途中まで読んだ
んですけど... 今は大森映子氏の『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)を読み終わ
って、鈴木眞哉氏の『戦国鉄砲・傭兵隊 天下人に逆らった紀州雑賀衆』(平凡社新書)
に取りかかってます。

>yukiさん
 はじめまして。当サイトにリンクしていただけるとのこと、どうもありがとうござ
います。リンクページにありますが、当サイトは基本的にはリンクフリーですが、で
きればご一報下さいということでお願いをしています。ですので、そちらからリンク
して下さるのはどうぞお構いなく。
 なお、リンクバナーもリンクページに2種類載せておりますので、そちらをお使い
下さい。(http://homepage1.nifty.com/t-kubo/link/link0.htmからどうぞ)


[159リンクについて 投稿者:yuki 投稿日:2004/09/22(Wed) 11:29  

主人が城跡が好きで とうとうHPを作りました
それで ここのHPにリンクを貼りたいのですが
どのようにしたらいいのでしょうか?(どこにもそのページがなくて…) 教えてください


[158北大のポプラ 投稿者:りつ 投稿日:2004/09/20(Mon) 22:02  

観光でいつかは見るの楽しみにしていたのに、本当に悔しいですよ。
以前、掲示板で自問した戦国期の下克上を容認する思想は何だったか?ですが、立花京子氏の”信長と十字架”(おもしろいですよ)に溜飲の下がる記述がありました。孔子の春秋、儒教だったのですね。清原一族の教えは大江広元に通じているようで、当然、地元の毛利元就公まで影響していた思想か否か、謎は深まります。しかし、吉田家がキリシタンでもあったとは初耳でした。本当に知らない事ばかりです。鉄と包丁道、鉄砲造り、古代の神も関係あるのですかね。とんちんかんな質問ですみません♪


[157苗字の日 投稿者:HAZU 投稿日:2004/09/19(Sun) 09:13  

 なんと、今日9月19日は苗字の日なんですと(^^ゞ
 みなさん、わかっていましたか。私は今日わかりました。
 ちなみに、2月13日は苗字制定記念日だそうです。

筈衛


[156はじめまして。 投稿者:あわわ 投稿日:2004/09/17(Fri) 21:47  

KUBOさん、こんにちは。
日本史のサイトを検索していてここにたどり着きました。
私も岩手(南部地区)出身の佐々木です。家系についてのページを見て自分のルーツに興味をもちました。佐々木姓が関西発祥というのに驚きです。


[155北海道に何が・・・ 投稿者:フェニックス 投稿日:2004/09/17(Fri) 20:22  

お久しぶりです。
実は昨日まで北海道に行っていました。
函館、恵山、札幌、美瑛、富良野、旭川、小樽、室蘭に行ってきました。
札幌では、北大の植物園が、台風の影響で閉鎖のまま、
北大のポプラ並木も惨憺たる有様で・・・
大好きな北海道が大変なことになっていたのは辛かったです。
事前にテレビで放送されてはいましたが、実際に見ると・・・

でも、シェラトンのカニの食べ放題は最高だったし、
野生のキツネにも逢えたし、良い旅になりました。


[154アドレス間違いました 投稿者:津々堂 投稿日:2004/09/16(Thu) 23:33  

http://www.syuuhou-kano.com/history.htm


[153肥後の窪田氏 投稿者:津々堂 投稿日:2004/09/16(Thu) 23:29  

お久しぶりです。ご嫡男君はお元気ですか・・
[152]に筈衛さんのお名前が見え偶然に驚いています。
肥後の窪田氏の項「肥後狩野派二代目狩野秋則が窪田五郎を名乗ってから云々」の記事は筈衛さんのご教示があったと書かれていました。そのご子孫は熊本では大変有名な能楽師狩野秀鵬氏です。
 http://syuuhou-kanou.com/history.htm
簡単な系図が載せられています。

処で狩野秋則は筈衛さんご指摘の狩野秀久(三輪丹波守)ですが、戸田敏夫著「戦国細川一族・細川忠興と長岡与五郎興秋」に詳しい記述がある事に気つきました。非業の死を遂げる忠興の二男興秋の守役をつとめた宗斎(五助)について記した「窪田家先祖付」が紹介されています。

私先祖三輪丹波守(秀久実吉田侍従六男幼名靭負)与申候 丹波国窪田之城主ニ而御座候 天正之比 明智日向守ニ被攻落討死仕候
(後筆、妻米田壱岐守求政之女 元和二年丙辰九月十九日於京都卒
法号了祥院秋風月日詠大妹) 以下相当の書き込みがありますが、略しますが、興秋との関係なども記されています。
米田求政は将軍義昭、義輝に仕え従五位下息是政は細川藤孝、忠興に仕え岐阜討死、孫の興季も藤孝、忠興に仕えますが慶長十二年退去後大阪入城、元和八年に帰参後家老職で一万石、子孫は代々御家老の家柄です。この本も何度か読み返しているのですが、「窪田」の名前があった事には気付きませんでした。
「窪田家先祖付」が果たしてどこに存在するのか、楽しみが又増えました。


[152RE:台風一過... 投稿者:HAZU 投稿日:2004/09/09(Thu) 23:57  

 恐ろしい状態ですね(+_+)
 福島県にはそういう台風、来ないでほしいな(^_^;)

筈衛


[151台風一過... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/09/09(Thu) 23:35  

 いやあ昨日はビックリしました。前日から台風が来るということで、職場の学校は
臨時休校という連絡がありました。夜中から風が強くなり、昨日の朝も風はかなり吹
いていましたが、雨は降っていなかったので、「思ったほどでもないなあ」と甘く見
ていました。しかし出勤途中の道路ではあちこちで木が倒れているし(途中で折れて
いるものもあれば、根こそぎ倒れているものも)、停車していると車体が揺れるほど
の風が... 街路樹の木の枝や木の実が飛んでくるし、職場に着くまで生きた心地がし
ませんでした。同僚の一人は看板が飛んできて、車にかなりひどい傷ができたとのこ
と。
 職場に着くと、校長住宅の物置が横倒しになっており、早速その後かたづけをして
いると、今度はその横に立っている市の名木百選にも選ばれている大きな柳の木が大
きく揺れて根本が浮き上がっているじゃないですか。結局、柳の木は根本から倒れ、
学校の周りの木も何本も倒れてしまいました。
 市内のある学校では、屋根が飛んで職員の車に直撃したという話ですが、幸いうち
の職場もわが家も大きな被害はありませんでしたが、台風で臨休になったのも初めて
ですし(吹雪で臨休はよくある)、台風でこんなに被害が身の回りで起きたというのも
記憶がありません。
 今年はずいぶんと北海道に台風が上陸してますが、もう来ないで欲しいですねえ(^^;)

>蝦夷城家臣さん
 えらく遅いレスになってしまいました。いやあ、本当ですねえ。駒苫の写真集買っ
ちゃいました(^^;)

>木村信行さん
 御紹介ありがとうございます。なかなか興味深い本ですねえ。ですが、御紹介だけ
の書き込みはちょっとご遠慮願えないでしょうか?

>りつさん
 厳島だけでなく、あちこちのお城も被害があったと聞いております。こちらは風が
ひどくて、こんな経験は初めてです。今朝の北海道新聞の一面は、北大のポプラ並木
が倒壊している写真でした(T_T)
 歴史書庫のコーナーは、本当はただ名前を並べるだけじゃなくて、中身の紹介なん
かも入れたいなあと思っているんですが、今のところそちらに取りかかれるような暇
がありません(^^;)


[150厳島が一部倒壊 投稿者:りつ 投稿日:2004/09/07(Tue) 21:21  

今日の台風は最悪でした。
前回が拍子抜けの程度だったので油断しておりました。
一部おもらししたような雨漏りの跡が天井にくっきりです。
残念ながら厳島も能舞台が一部倒壊したようです。
本の紹介ページ参考になります。あの中で、桐野作人氏の本能寺関係、河合氏の毛利元就は私も読みました。
下記の龍野の私の先輩の旧姓は龍田さんです。
写真では実家がものすごい門構えの豪邸でした。
たぶん地方屈指の旧家の方だと思いますよ。もっと真面目に話を聞いておけば良かったと悔やんでいます。


[149新刊刊行ー日本歴史研究所より 投稿者:木村信行 投稿日:2004/08/30(Mon) 14:28  

なんちょうくまざわけとあさい・とよとみのなぞ
南朝熊沢家と浅井・豊臣の謎
E51 定価9500円、申込金10675円 B5判箱入り上製本
南朝皇胤の中田憲信が書き残した諸系譜・各家系譜所載の南朝熊沢家・浅井長政一族・豊臣秀吉一族が親戚であるという形で伝える系図と豊臣秀頼の薩摩亡命を伝える系図を基に関連する<中臣>・<藤原>・<物部>・<浅井>・<清和源氏-浅野・安井>・<桓武平氏-杉原>・<宇多源氏-佐々木高島木下>・<豊臣>・<三輪>・<加茂>・<樹下>・<木場家>などの一族の系図を一挙掲載し、さらに秀頼が能登に渡って時国家に養子に行き、葛原・桂・山本良寛一族の先祖になったと伝える説を吟味解明し、それに関連して<時国>・<葛原>・<桂>・<山本>などの一族の系図も作成掲載。さらに本書掲載系図の詳細な説明、南朝熊沢家の謎・西陣南帝の謎・秀頼薩摩亡命の真相・良寛出生の秘密など、一挙解明。

http://nihonrekishiken.com/


[148Re:[147] やりました!駒大苫小牧優勝!! 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/08/27(Fri) 19:56  

素晴らしい試合でしたね。あのような新聞の構成は初めて見ました。記念に取っておきます。
北海道出身の南極の越冬隊員の方もメールで声援していたそうです。とにかく、優勝旗がショッパイ海を渡り感激です。


[147やりました!駒大苫小牧優勝!! 投稿者:KUBO 投稿日:2004/08/23(Mon) 00:14  

 いやあ、やりましたねえ駒大苫小牧(^^) 昨日の準決勝、今日の決勝とテレビに釘
付けでした(^^;) だいたい今までのパターンとして、良くてもベスト8くらいで負け
てしまうので、まさか本当に優勝してしまうなんて、ビックリと同時にうれしかった
です。
 苫小牧には1年だけですが住んでいたことがありますし、駒苫の姉妹校・駒大岩見
沢は私の母校の近くの学校でした(中学の同級生で駒岩に行ったのもいたし...)ので、
なんだか人ごとと思えずテレビを見てました。
 駒大苫小牧、優勝おめでとう! 今日の道新トップページは上半分がこの話題でし
たが、明日は3分の2くらいこれかも(^^;)

 ところで話は変わりますが、最近ウイルスメール・スパムメールが非常に多いです。
それで、以前トップページからリンクさせていたメールアドレスを画像化したんです
が、今回掲示板過去ログのメールアドレスのリンクもすべて解除して再アップしまし
た。私のだけでなく掲示板に書き込んで下さった方々のものもすべてです。こういう
ところからアドレスを読み取って、迷惑メールを送ってくるようですので、今回こう
いう措置をとりましたので、ご了承下さい。>みなさま
 なお、今後過去ログを登録する際にも同じ措置をとらせていただきますので、ご承
知おき下さい。


[146涼しいを通り越して... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/08/17(Tue) 22:49  

 ついこの間まで「暑い、暑い」と言っていたのがウソのような北海道です。昨日今
日は家の中でも半そで短パンだと寒いので、短パンはやめました(^^;) 暑い盛りと比
べると、5~6度?、もっとかな?違う感じがします。くしゃみが出るんですが、風
邪引いたかな?
 サイトの更新の方ですが、訪城記以外の部分は終わりました。あとはそれぞれお城
に行った時のことを忘れないうちに文章に書くだけですが... 「滅びた(?)名族」の
更新もしようと思っているうちに夏休みが終わりそうです(--;) 困ったもんだ...

>Kirchiesさん
 ご無沙汰しています。郡上八幡ですか、いいですね。郡上八幡どころか岐阜県自体
にまだ行ったことがないので、城とチャシの部屋には載せてませんけど、そのうちに
行ってみたいところの一つです。愛知と岐阜・三重をセットに行ってみたいですねえ。
郡上八幡・大垣・岐阜・犬山・清洲・名古屋・岡崎・桑名・神戸・津・松坂なんての
はちょっとスケジュールがハードかなあ?
 二度の降格とはご愁傷様ですm(__)m 私は今のところイベントに失敗しても、降格
だけは免れているので、助かってます(^^;) でもいつの間にかニュータイプの称号が
消えているのは、イベントに失敗したからでしょうかねえ?


[145郡上八幡城とカイザー君 投稿者:Kircheis 投稿日:2004/08/12(Thu) 21:14  

お久しぶりです。
今年の夏は岐阜県の郡上八幡に行ってきました。
ここは郡上踊りと名水・宗祇水で有名ですが、城下町の風情が充分残されており昭和戦前に再建された郡上八幡城の「木造」天守閣も見ごたえがありました。コンクリート製の再建天守は外観こそ差が無いもののどうしても風情に欠けるように思えますので。(よく戦前に再建できたものです、それも木造で!)
このサイトでは郡上八幡城の紹介はまだの様ですが、予定がありましたら是非見て欲しいと思います。

P.S. ここ一週間で、某サイトのカイザー君から討伐イベント2連続失敗により2度の降格を食らってしまいました・・・
  今度のカイザー君に仕えるのは本当に大変です(ToT)。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis


[144少し涼しいかな? 投稿者:KUBO 投稿日:2004/08/10(Tue) 10:34  

 北海道は、昨日まで13日連続だかで真夏日だったそうですが、今日は少し風があっ
て涼しいみたいです。とにかく例年にない暑さで、涼しさを求めて本州方面から来た
人にとってははずれだったようですね(^^;)
 旅行の写真の整理もだいたい終わりました。結局デジカメ・一眼レフ合わせて580
枚ほど撮りました。といってもデジカメで説明板なども撮ったので、多めになってい
ますが... あとはサイト用に加工したり、訪城記を書いたりせにゃあいかんのですが、
もうちょっとかかりそうです。
 この前の土曜日には北大付属図書館に行って『伊達世臣家譜』『上杉家御年譜』を
見てきました。北大には道立図書館にもない文献があるので、なかなかいいです。た
だ冷房がないんで暑くって... 今度はもう少し涼しくなってから行こうかな?
 それから、某所で教えていただいたんですが、国立国会図書館のサイトの「電子図
書館の蔵書」の中に「近代デジタルライブラリー」というのがあるんですが、著作権
保護期間が満了した明治期の刊行図書を見ることができるデータベースです。結構参
考になるものが掲載されていまして、『肥後文献叢書』には肥後を中心に九州の諸族
の系図が載っていますし、『伊達世臣家譜略記』『伊達世臣録』『津軽系図略』『新
田族譜』なども収録されているので、この前から印刷しておりまして、ファイル三冊
分ほどになってしまいました(^^;) これをいつ活用できますかねえ?

>ひづめさん
> 本当に暑い函館でした。行って帰ってきて、茨城との間で違和感なく連続していました。
 そうでしょうねえ、ほんと今年は暑いですから。

> 主な部分は『美浦村お散歩団』へすでにアップしておきましたのでご覧下さい。箱
> 館戦争時期の台場がほとんどです。ほとんど知られていないものばかりで、場所の
> 特定が難しいです。
 見せていただきました。ほんと知らないことばかりです。今年も「函館お散歩団」
は健在ですね。

> そういう我が家もなだらかな古墳の斜面に建っております。
 そうなんですか。こちらの方は古墳というものがそうないので、ちょっとびっくり
しました。市内に国の史跡に指定されている「北海道式古墳」と呼ばれる遺跡がある
ことはあるんですが、ちょっと大きめの土まんじゅうという感じですしねえ。

>りつさん
 吉田町いつか行きたいですね。龍野はなかなか良い雰囲気でしたよ。雨が降ってい
なけりゃあ、のんびりと城下町を歩いてみたいところでしたが。でもどっちみちあの
日は予定が詰まっていて、そんな時間なかったでしょうけど。
 でも案内して下さったのも家系研究協議会の方だったので、資料館の図書室で龍野
藩士の系図を見つけた時には3人でそれを見たりしていましたが(^^;) ほんとは旅行
に行ったらその土地の図書館などで資料漁りなどもしてみたいところですが、決まっ
た時間の中でいろいろと回ろうとするとどうしてもそんな時間が作れないんですよね
(^^;)


[143龍野城 投稿者:りつ 投稿日:2004/08/07(Sat) 09:19  

下に龍野のことが書いてあったので思い出しました。
大学のひとつ上の先輩で非常に美しい女性がおられたのです。
私のこと、りっちゃんなんてよく可愛がっていただきました。
久しぶりに手紙でも書いてみようかな。龍野のこと大好きだったようです。


[142行きました♪ 投稿者:りつ 投稿日:2004/08/07(Sat) 09:11  

台風は通り過ぎてました。が、小雨でお宮はしまっておりました。
吉田町歴史資料館もなかなかでした。
江の川沿いは祇園社が多いんですね。出雲文化の合流点も近いですし・・・正直これほど地元が魅力があったとは思いませんでした。元就公は、被差別者を虐待していたことで自分の家臣の方を処分したと読んだことがありますけど、こうした考え方も何かこの地域特有の信仰とか、基になるものがあったように思いますね。吉田盆地の山々はすべて栗の実を形にしたように点在しています。吉田町に来られたら是非、この山の形の変化にも注目です。人々の性質もこの山に似て温和で丸いものなんでしょうね。


[141暑い函館でした 投稿者:ひづめ 投稿日:2004/08/05(Thu) 06:20  

KUBOさん、こんにちは。

> >ひづめさん
>  もう茨城の方に戻られたでしょうか? 先週は北海道もずいぶんと暑かったせいか、
> それほど暑さには驚きませんでした(^^;) それより奈良でホテルのすぐ裏に古墳があ
> ったり、道路に普通に鹿がいて草を食べてるのにはちょっとびっくりしましたけど(^^;)

 本当に暑い函館でした。行って帰ってきて、茨城との間で違和感なく連続していました。函館は実質3日間でしたが、昨年までの3ヶ月に相当する充実の「函館お散歩団」でした。主な部分は『美浦村お散歩団』へすでにアップしておきましたのでご覧下さい。箱館戦争時期の台場がほとんどです。ほとんど知られていないものばかりで、場所の特定が難しいです。
 「土方歳三埋葬地」について特集ページを考えています。それをアップしたら今年の「函館お散歩団」は終了です。

 宿泊されたホテルの裏に古墳がありましたか。驚かれたのですね。近畿も古墳が多いですが、私の住む茨城県南も多いのですよ。そういう我が家もなだらかな古墳の斜面に建っております。このご近所は、一家に一基古墳があると言えるな。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.osanpodan.com/


[140戻りました 投稿者:KUBO 投稿日:2004/08/05(Thu) 00:00  

 昨日、北海道に戻って参りました。暑いのは北海道も関西もそう変わりませんが、
やはり北海道の方が湿気が少ないような気がします。旅行初日は台風のせいで雨に当
たってしまいましたが、あとは天気も良く、良い旅行になりました。
 家研協の例会での発表も無事終わりましたし、お城も竹田城・龍野城・明石城・大
阪城・岸和田城・和歌山城・伊賀上野城・大和郡山城・淀城と9つ回ってきました。
そのうちに更新せねば...

>ひづめさん
 もう茨城の方に戻られたでしょうか? 先週は北海道もずいぶんと暑かったせいか、
それほど暑さには驚きませんでした(^^;) それより奈良でホテルのすぐ裏に古墳があ
ったり、道路に普通に鹿がいて草を食べてるのにはちょっとびっくりしましたけど(^^;)

>みかさん
 う~ん、私は蠣崎家の方に直接お会いしたことはないんでわからないです(^^;) あ
しからず。

>りつさん
 中国・四国方面は台風が直撃だったようですから、残念でしたね。私の方は31日こ
そ兵庫県方面は雨が降ってましたけど、翌日以降はまあいい天気で回ることができま
した。中国地方は倉敷までで、広島・山口や山陰方面など毛利に関係するところはま
だ行ったことがないのですが、いつか行きたいなとは思っています。
 中国西部・四国・九州・東海はまだ行ったことがないもので。


[139台風きてます 投稿者:りつ 投稿日:2004/07/31(Sat) 20:03  

明日、毛利公でおなじみの清神社(木瓜紋)にお参りするつもりでしたが、あいにくの台風です。歴史民族資料館も訪問予定でした。毛利アレルギーの方も多くおられるでしょうが、歴史勉強の意味です。私先祖系はいずれも毛利方であったようです。少し前まで先祖は鉛筆がすりきれるまで使用する勉強家だったようです。今の私はどうでしょうか。明日が台風とは・・・。まだまだ私などお呼びでないのかもしれません。安芸地方の歴史についても詳しい方、よろしくお願いいたします。


[138明日から不在となります 投稿者:KUBO 投稿日:2004/07/30(Fri) 22:37  

>みなさま
 No.128に書きましたように、明日から3日まで関西に出かけますので不在となりま
す。どうぞよろしくお願いいたします。ここ1週間ほど、「関西の暑さに備えれよ~」
とばかりに北海道も30度を超す暑さが続きまして、毎日汗だくです(^^;) さあ、関西
の暑さはどうでしょうかねえ?
 なんでも紀伊半島の方に台風が来ているそうで、明日明後日の天気が悪いのが気に
なりますけど...(^^;)

>ひづめさん
 私の留守の間、北海道を頼みます(?) なんてね。3日間楽しんで下さい。また今年
もお会いできないのが残念ですが...

> KUBOさんは、大阪の暑さに驚かないようにね。
 ここ1週間ほどは北海道もえらく暑いんですが、大阪の暑さとは違うんでしょうか
ねえ?


[137はじめまして 投稿者:みか 投稿日:2004/07/30(Fri) 19:47  

はじめましてこんにちはいきなりですが質問があります
かきざき家の人は
のどぼとけはおおきいのですか?
ちなみにわたしの知ってるかきざき家のかたは
大きいです(笑


[136KUBOさんと入れ替わりに北海道入りです 投稿者:ひづめ 投稿日:2004/07/29(Thu) 21:43  

KUBOさん、こんばんは。

 明日夜函館に着きます。翌31日から3日間の短い滞在ですがいくつかの新たに見つかった遺跡を中心に回ってきます。帰ったらまた報告しますね。

 KUBOさんは、大阪の暑さに驚かないようにね。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.osanpodan.com/


[135暑いです(^^;) 投稿者:KUBO 投稿日:2004/07/24(Sat) 23:24  

 ここ数日、北海道も暑いです(^^;) 今日は札幌で32度を超えたそうで、私も汗だく
になりました。家研協の発表の方は、一応資料を用意しまして事務局の方に送りまし
た。あとは旅行の準備をせにゃあなりませんね。今日から夏休み(といっても休みなの
は子どもたちで私は別に休みではないんですが(^^;))に入りましたので、今までより
は多少余裕ができますので、少し休みの間に更新することができればいいですが。

>小百合さん
 ご無沙汰しています。まあ通字は封建時代の慣習ですから、旧華族の方でも今では
そういう名前の付け方をしないしないところもあるようですけどね。でも徳川宗家の
御当主の息子さんはやはり名前に「家」が付いているそうですし、伊達家の御子孫も
「宗」が付いていますし、これも伝統ですかね。

>かなこさん
 はじめまして。ようこそ当サイトにおいで下さいました。「侍たちの北海道開拓」
をご覧いただいたようですけど、あのコーナーもすっかり放置気味で何とかせねばと
は思っていますが、子どもが小さいもんで土日もなかなか時間が取れずままなりませ
ん。(こんなところでグチってどうする(^^;))
 稲田家の静内開拓は、それを題材にした吉永小百合主演の映画を撮っているようで
すけど。そろそろクランクアップしたんじゃないですかね。来年初めには公開の予定
らしいですけど。手持ちの資料では榎本守恵氏の『侍たちの北海道開拓』、栗賀大介
氏の『サムライ移民風土記』などが参考になると思いますが、やはり『静内町史』に
当たるのが一番かと思います。
 なお、最近新人物往来社から出た『仙台藩最後のお姫さま 北の大地に馳せた夢』
は、伊達市を開拓した亘理伊達家の邦成の養母で仙台藩主慶邦の妹保子の生涯を取り
上げたものですが、この中にも8ページほど稲田家のことが出てきますので、ご参考
までに。


[134はじめまして。 投稿者:かなこ 投稿日:2004/07/22(Thu) 23:15  

はじめまして。かなこと申します。北海道開拓について調べていたら、こちらにヒットしました。
数年前から稲田藩による北海道開拓史について、調べたりしていたましたが、あまり資料がなく詳細までは分かりませんでした。でもこちらで紹介されている本の多さに驚きました。こんなに北海道開拓史の本があるとは!夏休みに読んでみようかと思います。
私は今大学生で学校司書教諭の授業を取っているのですが、その授業の試験で「自己課題」が出ることになりました。それは、自分の興味関心のあるものから「問い」を見つけて、その「問い」についての資料など情報をどう集めるか・・・などなどというものです。(説明になってませんね、ごめんなさい。)それで、私は北海道開拓史を取り上げることにしました。試験は明日です!いいHPにたどり着くことができて嬉しいです。
試験が終わったら、またじっくりと見たいと思います☆これからよろしくお願いします。

http://members.goo.ne.jp/home/music-galaxys


[133Re:[132] 連休も終わり... 投稿者:小百合 投稿日:2004/07/22(Thu) 00:08  

>大分ご無沙汰しておりました。岩城?の流れです。この前、戦後華族の家紋の本(家の裏が図書館)を見ている方いてその後に見てみましたら岩城の祖先が出ていてやはり、隆がついておりました。こんな時代なので、う~ん?なんだかわかりません。祖父も3歳で親に死に別れ(親戚たらい回し)姉2人の養女に出されているので、どうなっているのか、祖父も戦争で亡くなって写真でしか見た事がありません、私が言うのもなんですが、鼻筋がとうりとても美男子です。で!話は変わりますが、息子がいま塾で歴史を読んでおくようにと言われ、漫画の歴史の本で親子で勉強しています。


[132連休も終わり... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/07/19(Mon) 23:15  

 無事金曜日に通知表の方が終わりましたんで、この連休はのんびりしてました。ほ
んとは少しマルつけが残っているんですが(をい(^^;))
 まあのんびりといっても今度の家研協の発表の準備はせねばいけませんので、資料
の準備をしたりはしてましたが。それもだいたい終わりましたので、今日は嫁さんと
坊主くんと3人でミニドライブに出かけました。ドライブといっても、まだ何時間も
車に乗ったりはできませんので、市内にあるウマやヤギなどがいる場所に行ってきた
だけですが(^^;)
 3人で旅行に行けるのはいつになることやら...

>真江田長老さん
 薩摩の真江田家についての詳しい御紹介ありがとうございました。鹿児島と聞いた
ので、安易に真江田家を連想してしまいましたが不注意でした。ご教示ありがとうご
ざいました。
 真江田長老さんが13代目ということは菊蔵さんが9代目ということですか。まだ
時期は未定ですが、「滅びた(?)名族」シリーズで真田幸村(信繁)の末裔についても
取り上げる予定なんですが、その時に真江田家のことも御紹介しようと思います。た
だ、プライバシーの問題もありますから、菊蔵さんとそのお子さんまでの紹介とした
いと思います。
 もし不都合がありましたら、メールでもこちらの掲示板でも宜しいですから、ご連
絡下さい。


[131真田選手と真江田家とは関係ない 投稿者:真江田長老 投稿日:2004/07/15(Thu) 10:57  

野球の真田選手は、真江田家とは全く関係ない。私は、真田幸村の頴娃における系図を作成したが、野球の真田選手とは全く関係ない。私は、真田幸村の末子・瓢左衛門から13代目に当たります。江戸末期、名字帯刀を許された真江田菊蔵には、3人の息子と何人かの娘がいた。長男は市左衛門といい、実子がいなかったので、末弟の三左衛門を養子とした。その孫か幸一であるが、近年亡くなった。幸一には2人の息子がいる。幸一の母フクも先日亡くなり、妻の「のり子」は真江田商店を店じまいした。真江田菊蔵の次男が周八で、難波姓と武家の株を買った。その後、造士館(現在の鹿児島大学)の塾頭(現在の学長)となった。これが私の曾祖父です。周八の次男難波秀幸は知覧町の塩屋の浜崎家に婿養子で入った。このため、真江田から難波、難波から浜崎と名字が替わった。浜崎秀幸の長男昌幸が夭折した後、次男の秀男が誕生した。近年亡くなった私の父浜崎秀男である。頴娃町の大川には、真江田だけでなく、難波家(私の祖父秀幸の末弟・利幸の系統)がいる。いわゆる難波の浜崎家は、鹿児島県鹿屋市、加治木町、千葉県市原市、埼玉県鶴島市、埼玉県所沢市、東京都西東京市などに分散している。


[130今週が... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/07/11(Sun) 22:39  

学期末のヤマ場ですので、昨日今日は自宅に籠もって仕事してました(^^;) あ、今日
は投票するのにちょっと外に出ましたけど。というわけで、関西遠征の準備は、当面
棚上げで、来週末の連休でやろうと思ってます。家研協の発表の準備もせねばいけま
せんし...(^^;)
 ちなみに、この前某雑誌に出ていたフリーソフトでPDFファイルを作るという方法
を試したところ、うまくできましたので、そのうちに昔、一太郎などで作った系図な
どをPDF化してみようかなと思っています。ワープロ専用機を使っていた頃に作った
戦国大名とか公家・華族、あるいはヨーロッパの諸侯系図などをテキストコンバータ
で一太郎ファイル化したものが結構あるんですよね。
 ああ、また宿題を増やしてしまった...

>kojiさん
 正直、わざわざ暑い時期に南の方に行くつもりはなかったんですが、家研協の例会
に一度出てみたいと思っていて、ちょうど休みの時期があるのは夏しかなかったんで
すよ。初日の城巡りでバテなきゃいいですが(をい(^^;))


[129ご無沙汰してます 投稿者:koji 投稿日:2004/07/08(Thu) 23:19  

 KUBOさん皆さんお久しぶりです。KUBOさん真夏に大阪ですか。
 私は以前大阪で勤めていたことがあったのですが,暑かったですよ。それから北海道に帰ってきてからは夏なのに夏という気がしない数年間を過ごしましたよ。
 暑さに負けないように体には十分気をつけてくださいね^o^/。
 それからひづめさん7/31~8/2ですか?また会って一緒に回れたらうれしいです。


[128関西遠征...の予定 投稿者:KUBO 投稿日:2004/07/04(Sun) 23:39  

 一応、飛行機・ホテル・レンタカーの手配が終わりまして、関西遠征の予定がおお
よそたちました。

 去年のGWに道南に桜とお城を見に行って以来、もう一年以上もすっかりお城巡り
から遠ざかっていましたが、今年の夏は家系研究協議会の夏の例会に出席するついで
に関西のお城を回ってくる予定です。

 7/31~8/3の4日間の予定で、7/31はこちらに掲示板にも以前見えられましたマハ
ラジャさんに兵庫方面(竹田・赤穂・龍野・明石)を案内してもらい、8/1は午前中に
大阪城、午後からは家研協の例会に参加(ていいますか何故か発表をすることになっ
てしまったんですが(^^;))、8/2は岸和田・和歌山(できれば伊賀上野も)、8/3は大和
郡山(できれば淀か勝竜寺も)を回ってこようと思っています。

 ただ問題は、夏に東北以南に行ったことは10年ほど前に福井に行った一度だけで、
関西の夏の暑さに負けないかどうかということです(^^;) 去年の1月の沖縄以来、久
しぶりの道外遠征で今からわくわくしているんですが、その前に学期末の仕事が残っ
てるんですけどね(^^;)

というわけで
>infi~さん
 そちらの縄張りに侵入しますので、よろしく~(^^;)


[127新たな発見... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/06/27(Sun) 13:48  

 え~無事帰ってきております(^^;) まあ出張といっても自宅から車で10分ほどの
ところに缶詰になっていただけですが(^^;)
 最近読んだ本ですが、面白かったのが宮本昌孝の『陣借り平助』。やはりこの人の
小説は主人公に勢いがあるのがいいですね。あと映画は見損なってしまいましたが、
『女王ファナ』を読みました。大航海時代のスペインの女王で〈狂女王〉と呼ばれた
ファナが主人公ですが、〈カトリック両王〉と呼ばれた両親フェルナンド&イザベル
に息子でハプスブルク家の最盛期を現出したカール5世(カルロス1世)の狭間であま
り知られていない人物だけに興味深く読みました。映画は見に行けなかったんでDV
Dでませんかねえ...

>ひづめさん
> いやはや、よりによって夏に大阪ですか、、、。お察しいたします。
 そうなんですよ。家系研究協議会の夏の例会に出ることになったんで、ついでに何
日かお城も回ってこようと思っているんですが、暑くてバテそうですね(^^;) 何かい
い暑さ対策はありませんか?

> 行き帰りで2日使うから函館を動けるのは3日間(7/31~8/2)
 ちょうど私が大阪に行くのと重なってますので、今年もお会いできなさそうですね。
う~ん、残念です...

>世良田君さん
 そうですか、やはりご存じじゃないですか。以前に何かで系図を見たような気もす
るんですが...

>蝦夷城家臣さん
 私は昨日は教職員の体育大会で応援に行ってましたが、今日はうちでのんびりです。
「写録宝夢巣」で調べたら、長崎には北川さんが2軒あるようです。油為頭にももち
ろんありましたが。
 北川さんの話が出たので、うちの実家のあたりの自治会で編纂した郷土誌が手元に
あって、それに各家の紹介文が載っていたことを思い出したので見てみたら、私も新
たな発見をしました!
 うちの隣の北川さんの初代は金七さんといい、油為頭の平沢家の出で北川家に養子
に入ったそうですが、どうやら私の曾祖母・津ゑさんと兄弟のようです。私の祖父が
北海道に来た時、北川さんを頼ったのは同じ油為頭出身だというだけでなく、親戚だ
ったからだったんですねえ。母に確かめてみると、父から「北川さんとは縁戚らしい」
ということは聞いていたそうですが、どういうつながりかは知らなかったそうです。
 ちなみに金七さんの先代(養父)は安平さんというそうです。
 おかげさまで一つ新たな発見をしました。ありがとうございました。


[126良い天気です。 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/06/27(Sun) 10:20  

今日の日曜日は各地でイベント真っ盛りのようです。
妻も朝から福祉関係で参加するため準備に出かけました。

久し振りにKUBOさんのルーツを覗かせて貰い、一つ発見がありました。油為頭に本家がある〈北川〉さんというお名前が出てきますね。じつは、祖父の姉〈ち里〉が明治36年7月に高椋村長崎の〈北川外吉〉さんと婚姻届け出しています。その後については、丸岡を訪ねないと解りませんが、調べる楽しみが一つ増えました。
丸岡城略史によりますと【御山守 御林方支配-北川五作】
とあります。


[125真田昌輝の末裔の真田秀夫 投稿者:世良田君 投稿日:2004/06/22(Tue) 01:45  

真田秀夫は彼の祖先の家が結ぶと説明していないで、だから私も知らない!


[124今年の函館はたったの3日間です 投稿者:ひづめ 投稿日:2004/06/20(Sun) 13:25  

KUBOさん、お久しぶりです。

>  実は夏に大阪に行くことにしまして、暑がりの私としては今からその暑さに悩んでいるわけでして...(^^;) ~

 いやはや、よりによって夏に大阪ですか、、、。お察しいたします。ヨメさんは大阪出身ですが夏には絶対に帰省しませんよ。わたしも学生時代7年ほど大阪暮らしでしたが、体の具合悪くした年もありました。あの暑さは半端じゃないですから気を付けてください。

 ところで、函館出張がとうとう無くなってしまい、なんとかもらった夏休みは5日間。行き帰りで2日使うから函館を動けるのは3日間(7/31~8/2)。こちらもよりによって函館港まつりの最中です。いくつか確認しておきたいところを回って、文化財担当の知り合いと飲みに行って、それで終わりですね。

 ところでkojiさん、最近どうしているのかな?

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.osanpodan.com/


[123明日から留守にします。 投稿者:KUBO 投稿日:2004/06/20(Sun) 11:19  

 6月後半に入り、だんだんこちらも暑くなってきました。昨日なんかは半袖でも暑
いくらいでしたが、今日はちょっと涼しい感じです。南の方はだいぶん暑いんでしょ
うけどねえ。
 実は夏に大阪に行くことにしまして、暑がりの私としては今からその暑さに悩んで
いるわけでして...(^^;) 今まで夏に東北以南に行ったことは福井に一度行っただけ
ですけど、あのときは暑かったですねえ。夜も寝苦しくて参りました。帰りのフェリ
ーで冷房が効きすぎで風邪引いちゃいまして、それをこじらせて肺炎になってしまっ
たという苦い思い出もあります(--;) お城巡りも久しぶりにしたいんですけどどうな
りますことやら。
 それから明日から3日間、水曜日まで出張で不在となります。普段以上に反応が鈍
くなると思いますが、よろしくお願いします。

>蝦夷城家臣さん
> 読売新聞の夕刊、見ました。道新(北海道新聞)でも取り上げて貰えないのですか。
> 読者数が全然ちがいますよね。
 見ていただけましたか(^^;) まあ、そりゃあそうですけど、こっちから道新に売り
込むわけにもいきませんしねえ(^^;)

> ・なぜお墓が丸岡町にあるのに、菩提寺が丸岡町でなく
>  福井市にあるのか。
 地図で確認しましたが、願乗寺は福井市内で、お城まで1kmほどのところですね。
近くに大谷派の福井東別院もあるし。
 我が家も丸岡出身なのに、菩提寺は隣町の松岡町にある慶崇寺ですが、距離的には
3kmほどしか離れてませんので、まあありかなと思いますが、福井市内となると10数km
はありますね。

>東京のみひなさん
 私も「福井組」という言葉は初めて聞きました。それ以外にも「○○組」というグ
ループはあるんでしょうね。

>世良田君さん
 ああ真田昌輝の子孫ですか、実はそれは知ってました(^^;) 昔、真田秀夫元長官が
新聞で紹介された時に、紹介の中で真田昌輝の子孫ということが載っていたので、覚
えていたんです。真田昌輝の子孫ということは、以下のページに載っている家系の方
でしょうかねえ?
 ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~kamomax/ryuutakuji.htm


[122真田昌輝の末裔 投稿者:世良田君 投稿日:2004/06/18(Fri) 02:25  

真田昌輝

官途名兵部丞。昌輝は幸隆の次子である。兄信綱の補佐役として、また真田氏の副将として、兄と一緒に戦っていたと思われる。天正三年の長篠合戦で討死した。
兄の信綱にしても昌輝にしても、残された資料は非常に少なく、またその業績を伝えるものもない。子の信正は松平忠輝・忠昌に仕えている。

真田昌輝の末裔──元内閣法制局長官「真田秀夫」


[121東京の みひな 様 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/06/13(Sun) 18:36  

こんにちは。
こちらは天気もよく過ごしやすい1日でした。

蝦夷城家臣さまの先祖と私の先祖は縁続きかもしれませんね。

曾祖父や祖父も兄妹がいますから、近所から嫁にもらったり嫁に行ったりしてたので、遠戚がいるかも知れませんね。

> 次にお寺の話ですが、真宗大谷派というのは浄土真宗ですよね。浄土真宗 なら福井市内にはお寺の数は60を越える程あって、福井組(ふくいそ)というそうです。手許にある名簿には願乗寺という名は見あたりません。
福井組という言葉は初めて聞きました。
願乗寺は福井市照手2丁目にあります。地図をみますと近くに大きな大谷派のお寺があります。願乗寺の歴史は分かりませんが、小さなお寺のようで、敷地が狭く寺内にお墓をつくることが出来なかったのかも知れません。
大変勉強になりました。有り難うございました。


[120蝦夷城家臣さま 投稿者:東京の みひな 投稿日:2004/06/13(Sun) 13:59  

こんにちは。
蝦夷城家臣さまの先祖と私の先祖は縁続きかもしれませんね。

まず、福井市から丸岡町まではタクシーで20分位かかったと記憶しています。小松から空港バスに乗り、北陸自動車道でたしか小松→丸岡→福井市だったと思います。丸岡インターを降りるとそこが丸岡町です。盆地らしくはるか遠くに多分白山の山並だと思いますが、かすむように残雪が見えて、先祖も朝な夕なに眺めていたのかと思うと感慨深いものがありました。畑も多いですが、福井市のベッドタウンとなっています。
次にお寺の話ですが、真宗大谷派というのは浄土真宗ですよね。浄土真宗 なら福井市内にはお寺の数は60を越える程あって、福井組(ふくいそ)というそうです。現代風にいうと福井グループ?。手許にある名簿には願乗寺という名は見あたりません。願照寺ならありますが。照手辺りは大谷派の大きなお寺があり、その周囲に大谷派のお寺はたくさんあります。
おっしゃるように、浄土宗の願乗寺だとしたらその名簿は持っておりませんので、蝦夷城家臣さまの疑問にはお答えすることができませんが。丸岡町にも浄土真宗のお寺はいくつかあります。
ご参考になりましたら幸いです。


[119しばらくです。 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/06/12(Sat) 10:07  

kuboさん、しばらくです。
読売新聞の夕刊、見ました。道新(北海道新聞)でも取り上げて貰えないのですか。読者数が全然ちがいますよね。

> >筈衛さん
>  ご無沙汰です。もう少しでネットに復帰ですね。確かに常時接続になれるとダイヤルアップはきついですね。接続スピードはもちろんですが、通信料がねえ... 私もフレッツにする前は結構かかってましたねえ。ましてその頃は石狩にいて札幌までの市外料金がかかってましたから。

会社の同僚も、回線の切断を忘れ、2万円近く請求が来たそうです。普段あまりネットをやらないからと言っていたのですが、最近フレッツの申し込みをしたそうです。

> >みひなさん、大倉さん
>  そんな話を聞いていると、ほんと丸岡に行きたくなります。もう10年くらいになり
> ますし、丸岡行きの計画を立てなきゃなあ、と思います。

小生も計画しなくては。
みひなさん、我が家も親戚に田中家があり、一緒に北海道に渡ったそうです。
※皆さんに推測をお願いししたいのですが。今までいろいろ想 像したのですが、まとまらなくて。
  ・曾祖父、祖父は坂井郡磯部村出身。
  ・丸岡町(磯部村も丸岡に統合)にお墓があるそうです。
  ・菩提寺は福井市照手の願乗寺(真宗大谷派)です。  
 疑問は 
  ・なぜお墓が丸岡町にあるのに、菩提寺が丸岡町でなく
   福井市にあるのか。   
   距離感がないので。福井市と丸岡町を徒歩でいくと     かなりの時間かかるとおもうのですが。  
今は、婿さんがご先祖を守られています。昨年祖父の弟さんの23回忌でお墓を改修した時、丸岡に行く予定だったのですが準備の良い祖父の弟さんらしくて、自分の23回忌までをお寺さんにお願いしてお勤めも終えており丸岡行きが中止になりました。お墓の改修のとき、今まで読めなかった墓誌名も判読されたようです。

それでは、失礼いたします。


[118また間があいちゃいました... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/06/11(Fri) 23:55  

 先週末、運動会が終わりほっとしたところですが、今週はやっぱり疲れが残ってい
るのか、眠かったです(^^;)
 え~、『逆説の日本史』を読み終わりまして、今はある歴史シミュレーション小説
を読んでいるのですが、本を読む時間もトイレに入っている間とか寝る前のちょっと
した時間しか普段は取れないんで、なかなか進みません。休み日に本を読んでいると
嫁さんに坊主くんのお世話してよ~と言われるし...(^^;) 明日は新しく買った食器
棚&レンジ台の組み立ての指令が出ておりますんで、本を読む時間が取れるかどう
か(をい(^^;))
 また相変わらず食玩を買ったり、ネットオークションで落札したりなんてこともし
ていますが、歴史がらみのものもいろいろとあってなかなか楽しいです。『世界の神
話』シリーズも前回の第2弾は不動明王とか四天王など仏教関係のものでしたが、第
3弾はオリエント神話編でエジプト神話のラーとかホルス・オシリスなどがあったり、
食玩ではありませんが「武(MONONOFU)」という刀などの武器のミニチュアのシリーズ
があったりします。今年の大河ドラマに合わせて新選組がらみのものもいくつかあり
ます。たいして新選組とか幕末は好きじゃないんですが、新選組関係の食玩も結局買
ってますね(^^;)
 あ、そうそう新選組の永倉新八は松前藩出身なんで永倉関係の本は2冊ほど買いま
したっけ。
 なんかとりとめのない話ばかりで(^^;)

>りつさん
 おかげさまで風邪はすっかり良くなりました(^^) 私も映画は好きなんで、ほんと
は「ラストサムライ」とか「タイムライン」「女王ファナ」それから今やってる「ト
ロイ」も見に行きたいんですが、坊主くんがいるんで嫁さんと息子を置いて自分だけ
見に行くってのも、誰かに預けて見に行くっていうのも何なんで結局しばらく映画館
に入ってません。車で10分ほどのところに映画館があるんで、坊主くんが生まれる前
はよく嫁さんと映画を見に行ったんですけどねえ...
 「ラストサムライ」はDVD買いましたけどね、今度家で見る暇がない...(^^;)

>筈衛さん
 ご無沙汰です。もう少しでネットに復帰ですね。確かに常時接続になれるとダイヤ
ルアップはきついですね。接続スピードはもちろんですが、通信料がねえ... 私もフ
レッツにする前は結構かかってましたねえ。ましてその頃は石狩にいて札幌までの市
外料金がかかってましたから。

>みひなさん、大倉さん
 そんな話を聞いていると、ほんと丸岡に行きたくなります。もう10年くらいになり
ますし、丸岡行きの計画を立てなきゃなあ、と思います。


[117みひなさま 投稿者:ookura(大倉) 投稿日:2004/06/08(Tue) 23:01  

一昨年、白道寺の本堂、瓦の吹き替え後に嫁とお墓参りに行きました。
私らの時は、島原の乱の掛け軸が本堂裏の大きい座敷で見せて頂きました。
島原の乱後、島原半島には、人一人も存在しないほど壮絶な
戦いであったそうです。(和尚さん談)


[116大倉さま 皆さま 投稿者:東京の みひな 投稿日:2004/06/07(Mon) 23:48  

はい、私が訪ねたのは白道寺です。大倉さまの義理のお父上の件ですが、お寺に大変長い大きな掛け軸がございました。大きすぎて下の方、畳に着く部分はやむなく切ったとのお話でした。幕末頃の600余家の名前が書かれていましたので、たぶん大倉さまのお父上のお名前もあるのでしょう。かなり詳しい資料もありました。私も先祖の話としてとぎれとぎれに身内から聞いておりましたが、近藤家、田中家とも縁戚である旨教えて頂きました。お寺で伺うと色々の事が分かるのではないかと思います。福井辺りに転居してきて浄土宗だからと墓所を希望する方もおられるそうですが、白道寺は有馬家家臣ゆかりの方々のみの菩提寺です。きっと大倉さまゆかりの墓も残っているのでしょう。私の先祖の縁戚ですでに途絶えた家もありますが、位牌は守って下さっていてありがたい事だと思っております。


[115やっと、Bフレッツに戻れる 投稿者:HAZU 投稿日:2004/06/06(Sun) 00:12  

 4月24日に白河に引っ越しましたが、それ以来、ダイヤル接続でした。
 今日、NTTから電話があり、6月15日にBフレッツの接続工事が行われることになりました。
 Bフレッツから、ダイヤル接続になるとかなり不自由ですね(^_^;)
 お金もかかるし・・・・

筈衛


[114お久しぶりです 投稿者:りつ 投稿日:2004/06/05(Sat) 10:12  

人の読んでいる本に興味があるもので・・・。
風邪、いけませんね。
私もひきかけで、昨日、庭のアロエでジュースをつくりました。直ったようです。
「逆説の日本史」読んでみたいです。
最近はついドラマや映画で知識を安易に得ています。
トロイは結構おもしろかったです。脇役のヘクトル役が中々でした。欝気味でしたが、好きな俳優できてうれしいです。


[113疲れた... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/06/02(Wed) 22:46  

 風邪の方はすっかり治ったんですが、今日はうちの学校の運動会の総練習で、半日
外にいたもんで、腕や首周りは日焼けするし疲れました...(^^;) 今度の土曜日が運
動会なんですけど、晴れるといいですねえ。
 最近は『湯築城と伊予の中世』とか歴史群像シリーズの『よみがえる日本の城』、
佐藤賢一の『カエサルを撃て』、宮本昌孝の『陣借り平助』、あるいは歴史群像新書
のシミュレーションものを買ったりと本だけは着実に増えていますが、読むペースが
なかなか追いつきません。今読んでいるのは井沢元彦氏の『逆説の日本史』ですけど、
次はどれですかね? 読む本も溜まってきているので読んでも読んでもなかなか減り
ません(をい(^^;))

>石松庵武衛さん
 私の持っている『九州戦国の武将たち』という本にも宗像氏貞に子がなく断絶した
ことは書いてありました。斯波氏の末裔については、熊本藩士の津川氏などは知って
いましたが、貴重な情報をいただきました。
 石松姓の由来について手持ちの資料を見ましたが、特に記載されているのを見つけ
ることはできませんでしたが、『系図研究の基礎知識』の中で、宗像大宮司家の家臣
・立花氏の家臣、それから豊後日田郡の豪族日田氏の一族として石松氏があったとい
う記述が若干あっただけでした。
 なお、No.107・109・110の文末に余分なものが付いていたようなので、勝手ながら消去
しました。ご了承下さい。

>大倉さん
 やはり転封の際はお墓や遺骨なども持って行ったんですね。そういえば、米沢に
行った時に訪れた林泉寺は上杉家の菩提寺で越後国から移ってきたそうですし、秋
田の角館に行った時に訪れた芦名家の菩提寺・天寧寺も会津時代の菩提寺会津天寧
寺から分かれて建立されたそうですので、お寺と一緒にお墓も移動したんでしょう
かねえ?
 なお、No.111は誤送信と判断し削除させていただきました。


[112無題 投稿者:ookura(大倉) 投稿日:2004/05/29(Sat) 22:02  

みひな様 皆様

以前、この談話室に投稿しました大倉です。
昨年亡くなった、義理の父の話(有馬家家臣)を思い出すと
徳川家康の号令の元、有馬家の浄土宗信仰を始め、白道和尚が九州有馬家に派遣されたと聞いています。
その後、みひなさんが書かれているようにお墓等を船に載せて糸魚川より福井(丸岡へ)行かれたと聞いています。
丸岡城の城下町に月光院白道寺(丸岡藩の家臣)のお墓と聞きました。


[110無題 投稿者:石松庵武衛 投稿日:2004/05/28(Fri) 22:12  

先に投稿した分の中程の訂正箇所、
宗像氏貞が病没後、氏貞にがなかった事と、
あるのは、氏貞に子供がなかった事とに、
訂正して下さい。


[109無題 投稿者:石松庵武衛 投稿日:2004/05/28(Fri) 21:57  

源氏(八幡太郎義家)の流れを引くのが足利一門
であり、斯波氏も足利の流れある事はご承知の
事と思います。
鎌倉北条執権が衰微していく頃、源氏の一統が
政権奪取を計り、例えば木曽義仲は京に攻め上
り一時は威勢は張ったが破れ、足利尊氏も一統
を引き連れ政権奪還をはかるべく立ち上がった
が戦に敗れ、尊氏は筑前宗像に下り、宗像氏を
味方に付け、再度京に攻め上り足利幕府を開い
た。足利一統の斯波・畠山・細川は三管領とし
て守護職を代々担っていたのです。
斯波氏は越前は朝倉に乗っ取られ、尾張半国を
治めていた斯波義達の頃、今川氏親との深嶽山
の戦で敗れ、足利尊氏の故事来歴に習い、筑前
宗像に下るも、戦国末期の事でもあり、宗像大
宮司家の家臣となったのです。
その後の尾張は、尾張を嗣いだ斯波義統→斯波
義銀で滅亡し、斯波氏は尾張半国も織田信長に
乗っ取られ失ったと言う事になります。
歴史の書物はここで終わっているものがほとん
どです。しかし、実は斯波義達は筑前に落ち延
び、宗像氏の家臣となり、石松と姓を改姓し、
今日まで続いていると言う事になります。
当時の宗像氏は、宮家と武家に分かれており、
武家の宗像氏俊の代に、斯波義達の子、斯波義
佐が宗像の家臣となり、斯波義佐の子供3人の
代に石松と改姓する。
徳重村の石松(当方先祖)・田久村の石松・陵巖
寺村の石松の3家。3名とも宗像の家臣となる。

宗像氏俊のあとの宗像氏貞(大内氏より来る)の
代に石松も重臣として活躍するのですが、宗像
氏貞が病没後、氏貞にがなかった事と、秀吉の
九州征伐で宗像氏(武家)の居城(蔦が城)も取壊
され宗像氏(武家)の滅亡とともに、宗像の家臣
団は農人となったのです。
そして、筑前は秀吉の命を受け小早川氏が治め
る事となったのですが、その後は、黒田氏が治
める事となり、江戸時代末(幕末)まで、ずっと
黒田氏の所領であった。武家の宗像氏は滅んだ
が、宮家は存続し現在の宗像大神宮です。
余談だが、蔦が城址は現在福岡教育大となって
いますので城の面影は全くありません。
戦国末期の宗像氏は大内の配下であった。
我が石松家にも大内義隆の感状が残っています。
別の余談ですが、私が小学校の頃、友達に森の
石松とからかわれ、森の石松の子孫ではない。
歴とした源氏の流れであり、斯波家の子孫であ
ると言って喧嘩した事も、たびたびでした。
我家の系図や古文書には斯波とあるが、どうし
ても石松とのつながりを公証できるものを発見
する事が、小さいときからの悲願でした。
それを発見したのが、宗像の年毛神社の永島宮
司が田久若八幡神社(年毛神社の末社)に奉納さ
れいる「書上書」(カキアゲショ)で斯波が石松
に改姓された事実(史実)が立証できると、その
書上書を見せられ小さい頃からの悲願を達成し
たのです。
更に余談ですが、石松姓は大分県日田市を発祥
とする石松もあるが、これは石松邑(石松村)と
言う地名から石松姓となった方々です。
福岡県宗像には多くの石松姓の者がおり、福岡
県内に散らばっている石松姓は、斯波氏が発祥
の石松と言えると思います。
江戸時代の筑前黒田家の家臣となった石松の末
裔もそのほとんどが、宗像氏の家臣の末裔と言
えます。
最後に歴史の書物に載ってない事実(史実)を立
証するのには骨が折れる作業です。
多分全国の石松姓を名乗っている方々は、石松
の由緒・来歴を知らないと思います。
ネットサーフィンをしていて、KUBOさんの
ホームぺージにぶち当たり、こんな事を投稿す
る機会を得た事を有り難く思っています。
と同時に全国の石松姓の者が覗いて呉れればと
も思っています。誰もがルーツを知りたいもの
です。私は小さい頃、森の石松とからかわれた
事がキッカケでしたがね。
調査したのが50才の頃、当方現在60才です。
長崎から宗像に出向いてでの調査だったので、
期間もかかり、くたびれた事を思い出します。


[108また風邪引き... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/05/27(Thu) 23:36  

 すっかりご無沙汰で申し訳ありません(^^;) 先週末は治っていた風邪がまたぶり返
し、2日間寝てました(^^;) 最近、坊主くんが夜中に必ず一回お腹を空かせて起きる
ので寝不足気味だったのがたたったようです。
 でもとうとう寝返りができるようになりまして、そのうち床をはいずり回るんじゃ
ないかと戦々恐々としております(をい(^^;))
 風邪の方も、だいぶん治ってきましたが、疲れ気味であることには変わりないので、
週末はしっかりと休みたいところです。

 そんなこんなで、全然更新をする時間がとれません(^^;) 6月には少し手を付けた
いと思ってはいるのですが、どうなることやら...

>石松庵武衛さん
 詳しくご説明いただきありがとうございます。斯波氏と宗像大宮司って何か関係が
あったんでしょうかね? 宗像氏も、戦国期は大内・大友・毛利等の大勢力の狭間で
苦労したようですが。

>ookuraさん
 旧No.108は誤送信と判断し削除させていただきました。ご了承下さい。


[107石松家古文書および系図の一部写し 投稿者:石松庵武衛 投稿日:2004/05/11(Tue) 20:51  

久保さん斯波義達の没年ありがとうござます。
石松家の3家(福岡県宗像郡の①徳重の石松、②田久の石松、
③陵巌寺の石松(別家に吉留の石松あり)の合体の系図を、
年毛神社の永島宮司にまとめてもらったものを改めて開い
てみると、当家に残る古系図の斯波治部太輔義達の箇所の
脇にペン書きで大永元年11月卒と宮司の注記がありました。
つまり、1521年没と言うことでした。
ただ、この古系図の冒頭の中間に、越前は家臣朝倉に奪わ
れ、今は尾張半国を領し、清洲の城に居玉いけるが、軍勢
を相催し、五千三百余騎にて遠州に発向し深嶽山の城に楯
篭もり玉うに、永正十年三月に、今川上總介氏親一万二千
三百余騎にて易々と深嶽山の城を乗っ取り玉う。斯波義達
は城中忍び出で、つらつら考えるに我先祖の足利尊氏郷、
軍(イクサ)敗北の節、筑前に逃げ下り、一番に宗像大宮司
を味方に付け、夫より次第に又大軍となり二度(ふたたび)
運を開き玉いし例(ためし)もある事なればとて、筑前に下
り、宗像大宮司に仕え、赤馬庄石松浦と云う処に住居して
斯波氏を石松氏と改め子孫大いに繁栄なり。とあり、
更に、この古系図の斯波治部太輔義達の欄に、尾州の太守
清洲の城主なりしが、人皇百五代後栢原院永正十年落城せ
り、然処に筑前に下り宗像大宮司に仕う、夫より至り、天
正十四年丙戊三月に、大宮司氏貞郷五十四歳にて卒し玉う
時に相続の御子なくて、家断絶仕る依りて家臣も皆無録と
なり、これ迄の配置にて農人となりし人多し。とあり、
斯波義達の没年の記載がなかった事と、系譜関係の本でも
記載があったり、なかったり、?であったりしたものです
から確実なところが不明でした。墓標も随分と捜したので
すが、戦国末期の事であり、見つけきらずでした。
斯波義達が落人として筑前宗像に下る途中で没したのか、
赤馬(赤間とも書く)で没したのか、不明でしたが、大永元
年(1521年)の没ならば、宗像で没した事になりますね。
今一度墓標の探索をしてみます。我一統の墓地は数十箇所
もあるので探索は一仕事ですが、いずれしたいと思います。
斯波義達の息子(斯波左兵衛義佐)の代までは、斯波姓を名
乗っていたようだが、その息子達:石松彦三郎(徳重の祖)・
石松対馬守義正(陵巌寺の祖)・石松和泉守義宣(田久の祖)
から、石松となり宗像氏の家臣となったようです。
尚、徳重・陵巌寺・田久・吉留というのは村の名前です。
私は、石松彦三郎の末裔で、石松彦三郎が本宗家なので、
古系図や古文書は下関の実兄(石松義男)が保持しています。江戸時代になり我家は大庄屋を代々したおりました。
大庄屋は概ね30カ村(各村は庄屋)を束ねた村役人であり、
苗字帯刀を黒田藩から許された家でした。
石松の家紋は丸に扇ですが、筑前宗像に流れついた斯波家の
家臣団の中には、丸に二の字の二引きを家紋している滝口家
なども宗像には残っております。


[106桜は見頃... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/05/10(Mon) 22:58  

 前回お知らせしたとおり、読売新聞北海道版5/8付夕刊で当サイトが紹介されま
した。後ほど、その記事もどこかで紹介しようと思っています。
 わが家の風邪ですが、私から息子とうつりまして、今は嫁さんがピークです(--;)
私はおかげで咳もほとんどでなくなりましたが... いよいよこちらの方でも桜が見頃
になってきましたので、この前の週末には桜見物にでも出かけようと思ってましたが、
来週になりそうです。

>石松庵武衛さん
 斯波氏の末裔の方ですか。義達は新人物往来社の『戦国大名家系譜人名事典』『室
町幕府守護職家事典』、あるいは『系図纂要』などでは大永元年(1521)に没したとな
っているようです。いずれにしても石松氏のことは初耳でした。貴重な情報ありがと
うございます。いずれ「滅びた(?)名族」シリーズで活用させていただきます。

> ルーツ探しのコツはその家に残っている系図や古文書を基
> に戸籍謄本(江戸時代末までは解る)と、先祖の墓所の個人
> 墓石の裏に個人の事績が刻まれており、これを調べたり、
> 過去帳と照らし合わせたりしていくと、かなりの事が遡れ
> ます。但し、時間とお金と労力と聞き込みがいりますが。

 これはまさにその通りだと思います。私も時間とお金があれば福井県まで行って調
べたいことは山ほどあるんですが、何せ北海道から福井県は遠くって...

>石松庵武衛さん、東京のみひなさん
 旧No.105&106は送信ミスと判断しまして削除させていただきましたので、ご了承
下さい。


[105蝦夷城家臣さま 投稿者:東京の みひな 投稿日:2004/05/10(Mon) 22:31  

東京のみひなです。去年の3月、羽田→小松を2日間で往復しました。蝦夷城家臣さまは北海道の方でいらっしゃいますか?私、現在は多忙でなかなか「談話室」の前の方を読み返すことができず誠に申し訳ない質問でごめんなさい。私は札幌出身です。ネットのおかげでいろんな事実が分かり、前もって丸岡の寺へ除籍謄本(曾祖父は嘉永4年出生ー黒船が来た頃)を送付してから(子孫の確認をしてもらうため)丸岡を訪問しました。丸岡城は本当に素敵な城でした。でも城の下までしか足が進みませんでした。最も印象的だったのは、ゆかりの寺を訪問した時、自分の先祖の墓参りをしようとして「まず殿様の墓にお参りを」と言われてはっとしたことです。自分の先祖を遠い昔のことのように思っていましたが、実は先祖あっての今の自分なのだという厳然とした事実と、平成になっても家臣なのネという事実にばーんと当たってしまった??という感じでしょうか。過去帳、分限帳、その他歴代藩主の書や資料の数々を説明して頂きました。撮影禁止にも関わらず我が母のためにと写真を撮らせてくださった寺の配慮にも感謝です。丸岡は5万石の小藩で九州から移って以来、リストラにつぐリストラで<永のいとま>を賜ると墓の遺骨さえ持って流浪しなければならなかったという住職の話も大変重みのあることでした。日向、長崎、糸魚川、丸岡へ(ゆかりの遺骨はすべて船に乗せて運んだ)来て、飢饉や一揆、コレラ、大火事、藩政の逼迫、幕末の混乱、困難な時代を生き抜いた先祖の地を訪ねて、その核心とも言うべき城へ踏み入ることができなかったのは自分の未熟を感じたせいかもしれません。ともあれ因縁の糸に導かれて城の下に立つことができ、感無量でした。字面で先祖を知る事と事実を目で確かめて知ることは知るの意味が違いました。丸岡のことで私に分かることはわずかかと思いますが何でもお答えしますので、ご質問下さいませ。また談話室を訪問させて頂きます。お読みくださってありがとうございました。


[104尾張斯波家の末裔 投稿者:石松庵武衛 投稿日:2004/05/10(Mon) 00:42  

尾張守護の斯波家(斯波義達)のその後について、
当方(石松家)の系図では、斯波義達は永正10年(1513年)に
今川上總介氏親に深嶽山の戦いに敗れ、足利尊氏の故事に
ならい筑前宗像に下り、赤間の庄石松浦と言うところに着き、宗像大宮司家(宮司と言っても武家で大内家の家臣)に
仕え、斯波義達の子、斯波左兵衛義佐の次の代から斯波氏
を石松氏に改めるとあります。
系譜関係の本では斯波義達の没について?が多く、また当
家(石松と言う名字の来歴)と、斯波との繋がり(接点)を探
索した結果、福岡県宗像郡の年毛神社の末社若八幡神社の
書上書に前記の斯波義佐の子より石松姓となったと年毛神
社の宮司から聞き及び、石松家系図と、宗像での小金原の
戦い(宗像と立花の戦い、もっと言えば大内と大友の戦い)
の折りに書かれた石松但馬守入道宗龍が残した我石松家の
由緒書(古文書)とで、ルーツの接点が見つかり、我石松家
のルーツが斯波家(義達)であった事が判明しました。
多分間違いないといます。
系譜関係の本で斯波義達の没が?なのは、この辺にあると
思われる。
私は内藤家に養子に行ったので今は内藤ですが、旧姓の石
松と斯波家は武衛(唐名:兵衛)とも言われていましたので、
ペンネームを石松庵武衛(セキショウアンブエイ)としたの
です。武衛(唐名:兵衛)とは、武士の頭領の事を言います。
ルーツ探しのコツはその家に残っている系図や古文書を基
に戸籍謄本(江戸時代末までは解る)と、先祖の墓所の個人
墓石の裏に個人の事績が刻まれており、これを調べたり、
過去帳と照らし合わせたりしていくと、かなりの事が遡れ
ます。但し、時間とお金と労力と聞き込みがいりますが。


[103東京の みひな 様 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/05/08(Sat) 18:44  

> はじめまして。丸岡藩で検索したらここへ迷い込んでしまいました。

丸岡へ行かれたのですか、羨ましい限りです。
小生も、訪問したいのですが、遠いですね。
学生の頃ゼミ合宿の帰り一度親戚を訪ねたのですが時間が無くてお墓も丸岡城も訪ねられませんでした。

丸岡の情報は何でも良いので、お知らせください。


[102無題 投稿者:Iwarehiko 投稿日:2004/05/05(Wed) 15:41  

長々とおつきあいいただいて有り難うございました。
では、お体にはお気をつけて


[101今年の連休は... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/05/04(Tue) 23:20  

↑どこにも出かけないで終わりそうです(^^;) 一日くらいは、坊主くんを連れてお出
かけしたいなと思っていましたが、私の風邪がうつったのか、坊主くんが昨日くらい
から咳をしてまして、お出かけ禁止になってしまいました(T_T) まあ熱はないし、元
気に歩行器に乗って遊んでいますので、たいしたことはないと思いますが、ちょっぴ
り残念...
 GWに旅行に行かないなんてのは、何年ぶりでしょうね? 調べてみたら7年ぶり
くらいみたいです。夏にはどこかに出かけたいですねえ。

 それから、皆さんに一つお知らせです。読売新聞北海道版で当サイトが紹介される
ことになりました。(ということは道内の方しか見れませんが(^^;)) 読売新聞北海道
版の「You Yomi Hokkaido」土曜日夕刊隔週掲載「電脳注目サイト」という欄で紹介
されるそうです。一応5/8の予定だそうです。
 先日、メールと電話で取材を受けましたが、どんなふうに紹介されるのか、私も楽
しみです(^^)

>iwarehikoさん
>  家康以前に「康」の使用例がほとんど見られないと言うことからすると、この康元
> も家康由来と考えるのが自然でしょうねえ・・。
 そうなんでしょうね。他に考えようがないですが...

>  このような一字書き出しなどは「実記」等に記載されて無いのでしょうか?その方
> 面は詳しくないので、ご存じの方がおられたら教えていただけると有り難いです。
 私もさすがに「実記」は持っていませんので、その辺のことは分からないです(--;)

>kojiさん
> 風邪の具合はどうですか?
 私の方は少しずつ良くなってきてますが、上に書いたようにうちの坊主くんがやら
れました。嫁さんも咳してますし、病人家族です(^^;) まあでも、みんな咳だけで熱
が出たりはしていないのが救いです。

 江差、上ノ国、松前ですか、いいですねえ。今年の夏こそは道南に行けるでしょう
かねえ? ただ今年の夏は大坂で開かれる家系研究協議会の例会に出席したいと思って
いるので、道南に行けるかどうかは微妙です。ただ、私の高校時代以来の友人が函館に
転勤になりましたので、それを口実に行けないかなと思っております(をい(^^;))

>ひづめさん
>> 上の国は勝山館跡ガイダンス施設というものが出来てました。
> これの建設のための緊急発掘をしていたときに行ったことがあります。火葬墓など
> を見せてもらいました。
 そうなんですか。勝山館にはもう3年くらい行ってませんが、今年こそは行きたい
ですねえ。

>  ところで、今年はとうとう夏の函館出張がなくなりました。悲しい~!でも、な
> んとか時間を見つけて残った調査をやりに行くつもりです。時間が合えばそのとき
> オフしましょう。
 そうですか。また道南をご一緒に回れることを期待しています。

>東京の みひなさん
 はじめまして。みひなさんも丸岡縁の方ですか。私は直に丸岡に行ったのはたった
一度で、しかも両親と一緒だったので満足な調べはできていません。ですから一度ゆ
っくり丸岡に行ってきたいと思っているのですが、なかなか時間がないですね。


[100KUBOさま 投稿者:東京の みひな 投稿日:2004/05/03(Mon) 20:43  

はじめまして。丸岡藩で検索したらここへ迷い込んでしまいました。KUBO様や蝦夷城家臣様の書き込みを拝見しました。色々調査されている方々がおられるのですね。丸岡城略史は今私の母が枕元に置き寝ています(ちょっと失礼にあたるかも)。母が幼少期に聞いた不思議な話など検証できましたし、丁度1年前私が母の代理にて丸岡を訪問し、ゆかりの寺とも交流が出来まして、以後先祖供養をお願いしております。大叔母から聞いた亀石の墓の謎も解けて母親孝行ができました。簡単ですがお知らせまで。


[99Re:[98] 道南ぐるりと 投稿者:ひづめ 投稿日:2004/05/03(Mon) 11:42  

kojiさん、KUBOさん、こんにちは。

> 久々に土曜日に江差→上の国,日曜日は松前と行ってきました。江差では開陽を見て隣の開陽丸青少年センターでは幕末の展示をしていました。

 kojiさんは開陽丸が好きだと言われていましたね。

>上の国は勝山館跡ガイダンス施設というものが出来てました。~勝山館跡の模型等が展示してあるようです。

 とうとう出来ましたか。これの建設のための緊急発掘をしていたときに行ったことがあります。火葬墓などを見せてもらいました。

>そして松前はかなりの渋滞でしたが桜もきれいで楽しかったですよ!

 松前はGWが桜の季節でしたね。

 ところで、今年はとうとう夏の函館出張がなくなりました。悲しい~!でも、なんとか時間を見つけて残った調査をやりに行くつもりです。時間が合えばそのときオフしましょう。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.osanpodan.com/


[98道南ぐるりと 投稿者:koji 投稿日:2004/05/03(Mon) 01:01  

 KUBOさん皆さんこんにちは。風邪の具合はどうですか?
久々に土曜日に江差→上の国,日曜日は松前と行ってきました。江差では開陽を見て隣の開陽丸青少年センターでは幕末の展示をしていました。そこで中島三郎助の系図を発見!上の国は勝山館跡ガイダンス施設というものが出来てました。もう6時過ぎていたので終わってましたが,勝山館跡の模型等が展示してあるようです。そして松前はかなりの渋滞でしたが桜もきれいで楽しかったですよ!


[97加賀松平家 投稿者:Iwarehiko 投稿日:2004/04/26(Mon) 13:03  

>Iwarehikoさん
>  松平系図を眺めていて思ったのですが、「康」を一字に持つ一族って家康以前は
> 信康・康孝・康忠など清康関係の人だけのようですね。他に使用例など有るのでし
> ょうか?
 ちょっと調べてみましたが、宮石系の康次・福釜系の康親・大草系の康安などは家
康の頃の人物のようですので、家康以前はちょっと見受けられないようです。

 家康以前に「康」の使用例がほとんど見られないと言うことからすると、この康元も家康由来と考えるのが自然でしょうねえ・・。
 このような一字書き出しなどは「実記」等に記載されて無いのでしょうか?その方面は詳しくないので、ご存じの方がおられたら教えていただけると有り難いです。


[96まずい... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/04/25(Sun) 18:09  

どうも皆様、すみませんでした。すっかり放置状態ですね(^^;) 新学期が始まって忙
しいというのを言い訳にして、すっかりご無沙汰してしまいました。申し訳ありませ
んでした。ただいま家庭訪問週間中でして、今週もちょっと忙しいです。おまけに風
邪まで引いてしまいました。なかなか咳が抜けなくって... というわけでレスは短めに。
 GWは少しゆっくり休みたいところですが...

>Iwarehikoさん
>  松平系図を眺めていて思ったのですが、「康」を一字に持つ一族って家康以前は
> 信康・康孝・康忠など清康関係の人だけのようですね。他に使用例など有るのでし
> ょうか?
 ちょっと調べてみましたが、宮石系の康次・福釜系の康親・大草系の康安などは家
康の頃の人物のようですので、家康以前はちょっと見受けられないようです。

>こたつ城主さん
 ご無沙汰です(^^) ここしばらくお城に入ってないので、最近某オークションで手
に入れたお城のビデオを見てガマンしているこの頃です(^^;) 久留里城・大多喜城等
も出てましたけど、千葉県方面に入ってないので行きたいんですけどねえ...

>Infi~さん
 こっちはだいたいGWの頃が桜の時期ですんでこれからですねえ。去年のGWは桜
が満開の五稜郭・松前城に行きました。

>久保さん
 毎度ご紹介ありがとうございます。

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
> 近江佐々木氏は源頼朝の奥州藤原氏追討で功を立て、領地を獲得し、その結果、奥
> 州の地で子孫が繁栄したそうですね。
 岩手県は佐々木姓が1番目か2番目に多い姓のはずです。

> そう言えば、千葉琢穂先生の佐々木氏族を扱った本の第2巻に奥州佐々木氏の事が
> 出ていたそうですが・・・。
 それは知りませんでした。今度道立図書館で見てこようっと。

>kojiさん
 とうとうブロードバンドですか。これに慣れたらダイヤルアップには戻れませんね
え(^^;) またおいで下さい。

>ひづめさん
 今年の夏こそは...(以下略) 余計なことをいうのはやめておきましょう(^^;)

>フェニックスさん
 姫路城行かれましたか。私も二度行ってます。姫路城ももう一度行きたいのですが、
和田山町の竹田城ももう一度行きたいです。

> B型のナセルが非対称なのは、許せませんが。
 こちらをご覧になってみて下さい。(知人のブログです)
 →http://anchor.way-nifty.com/holadeck/2004/02/b_1.html
  http://anchor.way-nifty.com/holadeck/2004/03/b.html

 私も無償交換してもらおうと思ってダブリを一つ取ってあるんですが、まだ取り替
えてもらってません(^^;)

>蝦夷城家臣さん
 ご無沙汰です。着々と研究を進められているようですね。貴重な情報ありがとうご
ざいました。石川県立図書館ですか。ではそのうちに取り寄せてみますか。なんて忘
れたりして(をい(^^;))


[95越前国 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/04/24(Sat) 12:06  

KUBOさん、お久しぶりです。
地元の図書館を通じ、『越前国宗門人別御改帳』全6巻と
『近世農村の数的研究越前国宗門人別御改帳の分析綜合』
吉川弘文館、佐久高士編、著を石川県立図書館から取り寄せ
て貰いました。ここですと送料負担無し、自宅で読めますが、国会図書館からですと、送料負担、館外持ち出し禁止とのこと。申し込みから5日で到着しました。便利ですね。
越前国数(天保郷帳)1533村の内135村の調査で、
KUBOさん、小生の知りたい村はありませんでした。残念。
1800(文政、天保、弘化、嘉永、安政)年頃の改帳を
調査したものです。
人別御改下帳、・切支丹宗門御改帳とか題がついています。(個人所蔵)
百姓、水呑、雑者などの宗派の報告。切支丹の調べか。
武士、庄屋などは改帳としていないのですかね。
活字を羅列します。
・松岡 慶崇寺(京都西本願寺末)旦那百姓○△(名のみ)。
・浄土真宗、浄土宗、法華宗、日蓮宗、曹洞宗、願済宗、
 黄檗宗、真言宗、天台宗-9宗12派。
・浄土真宗が調査全体の69.13%。
  本願寺派(2437檀家)、大谷派(1661)、高田   派(183)外5派。
・大庄屋、庄屋、百姓、水呑百姓、水呑、雑者。
・福井領北横地村、丸岡藩領..村とか、かなり複雑。
・願乗寺旦那-百姓(姓なし名のみ)○△、以下同居者全員の 宗派、性別、年令、続柄を記載。
・同居家族でも、夫婦や兄妹で違う宗派も結構有り。
・福井に旦那寺をもつ百姓、水呑も結構多い。遠いのに。
 福井から出てきたものと想像。

以上、長々とすみません。


[94関西旅行 投稿者:フェニックス 投稿日:2004/04/21(Wed) 21:02  

先月の話になりますが、関西旅行に行ってきました。
姫路にも足を伸ばして、「姫路城」を見てきました。
さすがに日本3大名城の一つですね。
フェニックスがこれまで見てきた城とは、
大きさが違います。連立式天守閣も美しかったです。

スタトレフィギュア
ボイジャーが手に入りません。
キットの出来の方ですが、
D型やファラガットは意外と良いできですね。
B型のナセルが非対称なのは、許せませんが。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5604/


[93昨年はありがとうございました 投稿者:ひづめ 投稿日:2004/04/15(Thu) 06:32  

kojiさん、お久しぶりです。

 昨年の夏は、七飯台場にお付き合い頂きありがとうございました。良いものを見ることが出来ました。本当に楽しかったです。

 確かにブロードバンドにすると、接続の煩わしさから解放されますね。通信速度よりもそちらの方が価値があるかも。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.osanpodan.com/


[92ご無沙汰しました 投稿者:koji 投稿日:2004/04/15(Thu) 00:07  

KUBOさんそして皆様大変ご無沙汰しています。ようやく私もパソコンを代え待望のブロードバンドにしました。今まではダイヤルアップでなかなかネットにつないだりするのが面倒だったのですが,これからまたちょくちょく書き込みしますのでKUBOさんそして皆様またよろしくお願いします。


[91奥州佐々木氏と古代氏族の系譜 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2004/04/13(Tue) 00:08  

>KUBO様
>  そうそう佐々木氏もありましたね。私の母方も佐々木なんですが(^^;)
近江佐々木氏は源頼朝の奥州藤原氏追討で功を立て、領地を獲得し、その結果、奥州の地で子孫が繁栄したそうですね。そう言えば、千葉琢穂先生の佐々木氏族を扱った本の第2巻に奥州佐々木氏の事が出ていたそうですが・・・。

> かつてあちこちにいた古代氏族の末裔はどこに行ったんだ?
失われた古代氏族の末裔を記した系譜が出てくるのを期待しています。


[90葡萄の先覚者 神田善太郎伝 投稿者:久保 投稿日:2004/04/11(Sun) 17:29  

「久保郷土文化館」です。平成十六年四月、「葡萄の先覚者 神田善太郎」を展示しました。神田善太郎は広島県竹原市の人ですが明治期から昭和期にかけ、日本の葡萄歴史上大きな足跡を残した人物です。郷土史の一つとして「神田善太郎伝」を纏め掲載しました。「久保郷土文化館」へ今一度入館戴きますよう御案内いたします。
  
 

http://www6.ocn.ne.jp/~kubo386/


[89大和の地より 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/04/11(Sun) 01:35  

ご無沙汰です!!
大和郡山城は桜が散り始めてます。。そちらはまだなんでしょうね~
http://ringo.sakura.ne.jp/~mkrone/yamato/siro.jpg

年度末はみなさん忙しい様ですね~税金の払いも多い月ですしね(;~;)
「武田・織田家が430年ぶり和睦、遺恨越えて握手」なんて記事をみました。ん~いいともの企画・・御先祖は誰?のコーナーちゃんとみとけばよかった・・と思う今日この頃です(笑)


[88お久し振りです(^^) 投稿者:こたつ城主 投稿日:2004/04/11(Sun) 00:22  

KUBOさま、新年度スタート、お忙しいご様子ですね。
今年は私も年度末あたりからバタバタしてました(^^ゞ。

が、桜の時期に(ウチの方は先週がちょうど満開でした)、
桜と言えば、増尾城の裏手の桜が綺麗だったよな、と何年ぶりか
で思い出して、久々に行って来た所です。

下総千葉氏の系図をアップされたのですね(゜.゜)。
これにある師常というのが、このお城の説明版に出ておりました。
(前にここの説明版を下の記事に書いたので、
http://kotatujo.cool.ne.jp/hyo/tawagoto/2002/tawagoto-08.htm
相馬として後に東北にいった家系なのですが、お城の跡だけは
下総にしっかり残ってるのが面白いです(^^)。

http://kotatujo.cool.ne.jp/


[87Re:[86] [85] 加賀藩松平家 投稿者:Iwarehiko 投稿日:2004/04/07(Wed) 14:11  

レスありがとうございます。
やっぱり、そこまでしか分からないですよねえ・・・
この先を調べようと思ったら家紋ぐらいしか無いかもしれないですね。
 松平系図を眺めていて思ったのですが、「康」を一字に持つ一族って家康以前は信康・康孝・康忠など清康関係の人だけのようですね。他に使用例など有るのでしょうか?


[86Re:[85] 加賀藩松平家 投稿者:KUBO 投稿日:2004/04/07(Wed) 00:38  

>Iwarehikoさん
 はじめまして。当サイトにおいでいただきありがとうございます。

> 幕末に加賀藩の家老の一人になった松平大弐が所属する
> 加賀藩松平家の先祖松平康定の出自についてです。
 『三百藩家臣人名事典』(新人物往来社)の加賀藩の項に松平康定が立項
されています。それによりますと、康定は三河の人で、父は三河伊保城主
松平紀伊守康元。康定は伯父康政が前田利家に仕えていたので、それを頼
って前田家に仕えたようです。いくつか手持ちの史料を見てみましたが康
定の父康元以前のことについては良く分かりませんでした。


[85加賀藩松平家 投稿者:Iwarehiko 投稿日:2004/04/06(Tue) 14:49  

KUBOさんをはじめここを見ておられる方でご存じの方がおられたら教えていただきたいのですが、
幕末に加賀藩の家老の一人になった松平大弐が所属する
加賀藩松平家の先祖松平康定の出自についてです。
康定は16世紀後期の人のようですが。。。。


[84新年度スタート... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/04/04(Sun) 00:06  

↑したもんで、忙しくってすっかりご無沙汰してました(^^;) 春休みって学校は休み
だけど、教師は休みじゃないんですよねえ(^^;) しかも今年は3日・4日と休みなん
で、いつもの年より始業式まで時間がないもので余計忙しいです。
 そんなんで、次の更新の方は全くめどが立ってません。いつになることやら... 最
近パソコン部屋もちらかってきたので片づけなくちゃあ...
 と、こんな話ばかりではなんなので、ちょっと歴史の話も(^^) 最近買った『別冊
歴史読本 城の楽しい歩き方』ですが、その第3部「城さまざま」の中で北海道のチ
ャシが紹介されています。巻頭のカラー特集でも松前藩戸切地陣屋、仙台藩白老元陣
屋がちらっと出ていますので、興味のある方はご覧になってみると良いと思います。

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
 そうそう佐々木氏もありましたね。私の母方も佐々木なんですが(^^;) まあでも仮
冒でもなければ、あれだけ各地に清和源氏や藤原氏を称する一族が広がっているはず
もないですよね。かつてあちこちにいた古代氏族の末裔はどこに行ったんだ?という
疑問もそう考えれば納得します。

>高橋千之さん
 お役に立てたようでうれしいです。今回はたまたま手元にどんぴしゃりの資料があ
っただけのことですけどね(^^;)

>筈衛さん
 おやおや転勤ですか。これも宮仕えにつらいところではあります。私もたまたま今
は道立図書館に近いところにいますけど。
 話がそれますけど、各地の県立クラスの図書館を一度ぐるっと回ってみたいですね。
今まで旅行というとお城などの史跡巡りが主で、図書館にはたまたま岩手県立図書館
と亘理町立図書館に行ったことがあるだけですけど、ほんと各地で資料漁りをしてみ
たいです。
 こういう時はホント北の端にいると不利ですよねえ...


[83転勤、転居 投稿者:HAZU 投稿日:2004/03/31(Wed) 06:16  

 私、このたび、転勤することになり、本格的に白河市に転居することにしました。
 県立図書館から遠くなり、貴重な本を見る機会が少なくなりますので、ますますKUBOさんの蔵書が頼りになります(^^ゞ

 ということで、4月はなかなかここに来る機会も少なくなると思いますがよろしくお願いします。

筈衛


[82ありがとうございました 投稿者:高橋千之 投稿日:2004/03/23(Tue) 10:18  

KUBOさま
ありがとうございました。どうしても判らなかったので諦めておりましたところにご返答いただきまして恐縮しております。明治以降の流れがまだ不明のところがありますが今後調べて見ます。本当にありがとうございました

http://www.homepage1.nifty.com/CHIYUKI/


[81殆ど怪しい。 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2004/03/21(Sun) 23:11  

>KUBO様
>  それこそ宝賀先生によるといわゆる板東八平氏もほとんどが仮冒らしいですからね。
宝賀先生に拠りますと、秩父党及び千葉・上総党は知々夫国造、中村党は師長国造、三浦党及び鎌倉党は相模国造の末裔だそうですね。叉、執権北條氏も古代氏族の末裔だそうですね。

> 戦国以前でいえば赤松氏の村上源氏、名和氏の村上源氏も仮冒でしょうし、
他にも近江佐々木氏が宇多源氏であるのも嘘で実際は阿倍氏族だそうですし、秀郷流藤原氏の武家・奥州伊達氏・下野宇都宮氏も本来は藤原氏とは無縁の毛野氏族だそうですね。
と言うより、宝賀先生に拠りますと、貴種の出自を称する武家の殆どは_将軍足利氏、甲斐武田氏等と言った僅かな例外を除き_その出自が怪しいそうですね。


[80RE: 寺崎広業に関して 投稿者:KUBO 投稿日:2004/03/21(Sun) 22:30  

>高橋千之さん
 はじめまして。実ははじめて寺崎広業の名前を聞きました(^^;) 調べてみると、画
家なんですね。確かに「祖父は秋田藩の家老」と書かれているサイトも見つけました。
 おたずねの件ですが、『三百藩家臣人名事典』を見ましたところ、江戸初期の秋田
藩の家老で寺崎広方という人物が出ていました。それによりますと、寺崎家は野州宇
都宮氏の分流で常陸笠間氏の一族、慶長7年忠広の代に佐竹家の家臣となり、広方は
その養子経広の長男で寺社、勘定奉行などをへて、正徳元年には一代宿老席を許され
たそうです。

 また『秋田武鑑』によりますと、寺崎家の系図は下の通りです。

忠広――+=経広―――――――+―広方――――――――――――――――――+
 藤兵衛|  三左衛門    |  弥五右衛門              |
    |  菅谷隼人元世三子|  目付役、物頭、裏判奉行、本方奉行   |
    +―女        |  五百二十石、宿老席に列す       |
       経広室     +―広正                  |
               |  医師                 |
               +―広政                  |
               |  五郎右衛門              |
               |  水谷某嗣               |
               +―女                   |
               |  菅谷家貞室              |
               +―女                   |
                  望月重愛室              |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―横広
|  清兵衛 父に先立ち卒す
+―女
|  平沢通有室
+―家茂
|  茂吉 大槻顕成嗣
+―高忠         +―広意―――――――――+―広長―――――――+
|  三四郎 清水高平嗣 |  弥大夫       |  藤大夫     |
+―女          |  物頭、町奉行    |  大番頭、勘定奉行|
|            |  側用人、宿老席に列す|  側用人     |
+―貞良         +―女          +―女        |
|  伝六 菅谷貞房嗣  |  後藤祐良室        龍田尚英室   |
+―女          +―高寿                    |
|  菅谷家之室     |  紀内 生田目高?嗣            |
+=広生―――――――――+―女                     |
   三左衛門         石川忠郎室                |
   小野崎通貞三子                           |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―広成――――――――広道
   藤九郎 弥大夫   藤九郎
   大番頭

 最後の藤九郎広道は天保四年(1833)に家督を継いでいます。また『大武鑑』を見る
と幕末期に佐竹家の家老として「寺崎藤九郎」の名前が出てきますので、この広道が
広業の祖父なのかもしれませんね。


[79Re:[72] 無題 投稿者:りつ 投稿日:2004/03/21(Sun) 20:50  

> 最近先祖やルーツについて知りたくなってきました。
こんな人、最近多いですよ。
> 父方のひいおじいさんが釧路開拓にいった鳥取藩士で
> 総代を務めていたようです。でもそれ以前はさかのぼれません。
明治維新後、ご苦労されたんでしょうね。ご苦労あっての私たちだとの認識正しく、ご供養されるとお喜びだと思いますよ。
> そういう時はどのようにしてルーツをさかのぼればいいのでしょうか?
図書館にもいろいろと資料があります。私在住県の場合は古文書研究会の方が藩士名簿、役一覧をワープロ処理されていました。
ダウンロードさせていただきました。


[78朝倉氏の件 投稿者:りつ 投稿日:2004/03/21(Sun) 20:40  

図書館で中世法制資料集を借りてます。ちんぷんかんぷんですが、”中世真宗思想の研究”と合わせてマイペースで頑張ります。能力主義というか、”君主が奉公に値しない愚物と判断したら引きずり降ろしても良い”、という時代の中国歴史物を読んだ記憶があります。それで越前の位置からも多少なりともその思想の流れを汲んだ書物の影響でもあったのか、と思った次第です。オークションは最近ご無沙汰してます。購入品は食べ物関係、発酵器とか、パスタ器、豆乳器とか、ドラえもんのポケットみたいに多数の道具抱えてます。


[77しばらくぶり... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/03/21(Sun) 12:15  

 約2週間ぶりですね。申し訳ありませんでした。ちょうど年度末で急がしかったも
ので...忙しくても、本を入手したり、オークションに参加したりといろいろやって
おります(をい(^^;))
 最近買った本は、『世界歴史の旅ビザンティン』『復元模型で見る日本の城 下』
『天下布武の城 安土城』『戦国佐久間一族』『常陸小田氏の盛衰』『名字の地図』
などですが、『復元模型で見る日本の城』は模型でかつての城の全貌が見ることがで
きるので非常にイメージしやすいです。

>蝦夷城家臣さん
 『日本家族史論集』の紹介ありがとうございました。今度道立図書館で探してみる
ことにします。

>蠣崎若狭守さん
 『戦国武鑑』のことは某掲示板でも話題になっていたので知っていましたが、残念
です。サンプルも見てみましたが、なかなか良さそうだったんですけどね。

>りつさん
 朝倉敏景十七箇条にそんな記述があったんですか。まあ、そういわれてみれば朝倉
氏自身も守護大名ではなくて、応仁の乱以後主家斯波氏から奪うような形で越前を領
国化したのですから、そういう考えがあっても不思議ではないかもしれませんね。

>こんちゃんさん
 ご先祖について調べたいそうですが、まず除籍謄本は取りましたか?除籍謄本をと
れば自分の先祖の住んでいた土地の住所、あるいは幕末期頃までの先祖の名前が分か
るはずです。次はご先祖が鳥取藩士とのことですので、鳥取藩の藩政史料に当たられ
ると良いでしょう。
 『系図文献資料総覧』によりますと、鳥取県立鳥取図書館で出している『鳥取藩史』
(七冊、昭和44~47)という史料の第1巻に藩士列伝、別巻に系譜が載っているそうで
す。また、鳥取県立図書館には分限帳(藩士の職員録のようなもの)もいくつかあるよ
うですし、鳥取藩政文庫にも分限帳や藩士の家譜類があるようですので、鳥取県立図
書館に問い合わせてみてはいかがでしょうか?

>kenkenさん
 一部見せていただきましたが、ホント全国各地に行かれているんですね。私がまだ
行っていないところが載っていてうらやましく思いました。

>雪豹さん
> お世継ぎの写真はすぐに見つかりましたよ(笑)。
 あれま、そうですか(^^;) うちのお世継ぎくんは、もう少しで寝返りができそうです。
> 気が向いたので、オングドとアルチ=ノヤン家の系図を書いてみたのですが、わけ
> わからんようになってしまいました……(泣)。
 縦系図で書くと横幅がそれほど広げられないので苦しいですね。『チンギスハーン
の一族』はいつになったら再開できるやら...

>元代ウィグルにも興味がありますので、そのほか、何かよい資料をお持ちでしたら、
> 教えて下さいませ。
 いえそちらは守備範囲外でして...(^^;)

> ……えっ、鮑氏はどうしたかって?(ぐえぇっ)
 何のことでしたっけ?(をい(^^;)) あの話したのももう2年も前ですね。

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
> 赤坂恒明先生のホームページに興味深い論文が掲載されていました。
> それは源経基の出自は陽成天皇では無く、やはり清和天皇であると言う物です。
 はい、だいぶん前に読みましたので、内容は忘れちゃいましたが(をい(^^;))

> 系図の偽造は戦国時代以前にも有ったんですね。
 それこそ宝賀先生によるといわゆる板東八平氏もほとんどが仮冒らしいですからね。
戦国以前でいえば赤松氏の村上源氏、名和氏の村上源氏も仮冒でしょうし、古くは平
安初期に『新撰姓氏録』が編纂されたのも、普通の庶民が高貴の氏姓の末葉と称する
ことがあって争いが生じたからというのが理由の一つですから、自分やその先祖をえ
らく見せたいというのは人間の性なのかもしれません(^^;)


[76寺崎広業に関して 投稿者:高橋千之 投稿日:2004/03/21(Sun) 12:12  

初めて投稿します。大正。昭和の初期に活躍した寺崎広業のゆかりのものですが広業の祖父に当たる人は久保田藩の家老に当たるとか言われますが詳細がわかりません。できれば近年の寺崎家の系譜がわかればどなたか教えていただきたいのですが

http://www.homepage1.nifty.com/CHIYUKI/


[75源経基は清和か陽成か? 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2004/03/20(Sat) 23:49  

>KUBO様
赤坂恒明先生のホームページに興味深い論文が掲載されていました。
それは源経基の出自は陽成天皇では無く、やはり清和天皇であると言う物です。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3312/seiwa/seiwa.html
周知の通り、明治以降、源経基の出自は清和天皇では無く陽成天皇であると言う考えが広まり、一時期、学会ではそれが定説となりました。奥富敬之氏の『清和源氏の全家系』でもその説が受け入れられています。
しかし、赤坂先生はそれは間違いであると述べられています。そして根拠となる源頼信の文書に掲載されてる系図も実は偽造であるとも述べられております。
最も、その点については宝賀先生のホームページでも既に述べられています。そして宝賀先生も源経基の出自はやはり清和天皇であると述べられています。
系図の偽造は戦国時代以前にも有ったんですね。


[74よっしゃ、今のウチ! 投稿者:雪豹(酔っぱらい) 投稿日:2004/03/20(Sat) 19:56  

お久しぶりです。お元気ですか。
お世継ぎの写真はすぐに見つかりましたよ(笑)。

気が向いたので、オングドとアルチ=ノヤン家の系図を書いてみたのですが、わけわからんようになってしまいました……(泣)。
たぶん、レヴィレートとかで、複数の人の嫁になっている人がいるからなんでしょうが、、、、、(苦っ)。
杉山氏の新しい本になにか良いことが書いてないかと、期待しています。
元代ウィグルにも興味がありますので、そのほか、何かよい資料をお持ちでしたら、教えて下さいませ。

……えっ、鮑氏はどうしたかって?(ぐえぇっ)

http://homepage2.nifty.com/i-love-turk/


[73■kenkenの日本城郭写真館■ 投稿者:kenken 投稿日:2004/03/20(Sat) 08:42  

私が10年がかりで撮影した、日本全国のお城の写真を掲載しています。
カラー・モノクロ・各地の観光名所等、盛りだくさんにしてリニューアルしました。
素人の写真ですけど、よろしければ一度見てください。

http://www.ai-you.com/castle/index.htm


[72無題 投稿者:こんちゃん 投稿日:2004/03/19(Fri) 13:54  

はじめまして。
以前はまったく歴史に興味がなかったのですが
最近先祖やルーツについて知りたくなってきました。
父方のひいおじいさんが釧路開拓にいった鳥取藩士で
総代を務めていたようです。でもそれ以前はさかのぼれません。親戚に聞いてもあまり知らないようです。
そういう時はどのようにしてルーツをさかのぼればいいのでしょうか?


[71朝倉氏と信長 投稿者:りつ 投稿日:2004/03/12(Fri) 20:58  

こんばんわ。
とんちんかんな質問ですが。
朝倉17ヶ条の”家柄でなく能力重視志向”を実行したのが信長と考えていいのでしょうか。
能力主義を打ち出すには元になった思想や宗教の影響があるのでは?と思いますが、朝倉氏が何をもってこのような斬新な政策を打ち出し、信長の実行に至ったのか興味があります。


[70無題 投稿者:尾張小牧ナンバー 投稿日:2004/03/08(Mon) 21:15  

蝦夷城家臣さん、ありがとうございます。探す前に、ご教示頂いて恐縮です。大変ためになりました。高額な本ではありますが、おもしろそうですね。私も是非読んでみたいと思います。
ありがとうございました。


[69戦国武鑑 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2004/03/08(Mon) 11:13  

 以前播磨屋さんのHPで紹介されていた無明舎出版の戦国武鑑が発売中止になったそうです。
 出版社に問い合わせた結果、本文の一部に盗用があったそうで、そのために苦渋の決断をしたと代表の方は語っておりました。
 内容が良さげだった故に、発売中止は残念な事です。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kakibaku/index.html


[68Re:[64] 日本家族史論集 8 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/03/07(Sun) 12:27  

> 日本家族史論集を探してみたいと思います。
> 津々堂さんの言われるように、「幕末ものしり話」は怪しい本かもしれませんが、

尾張小牧ナンバーさん、こちらは、まだまだ寒い日が続いています。
KUBOさん、今年はメチャメチャ雪が降りましたね。

『日本家族史論集』8巻 吉川弘文館。「近世武家の婚姻・養子と持参金-大名榊原氏の事例-」松尾美恵子 読んでみました。以下に要約します。
◎(旗本・御家人)-近世中期以降、武士階級における持参金目当ての婚姻・養子縁組の風潮が、宝暦~天明以降に拡がった。
◎(大名・藩士)-持参金については殆ど判明していない。そこで、徳川四天王の一人、榊原康政を藩祖とする、大名榊原氏の実例を検討し、解明を試みる。KUBOさんの仰るとおり、榊原氏(14代)は一族からしか養子を迎えていない(3代忠次、6代政邦、8代政岑、13代政恒、14代政敬の5人)。
◎榊原家女子は池田、大久保、酒井、...、有馬日向守温純(越前丸岡5万石)[大名17名・旗本3名・家臣榊原丹波長之1名]などと婚姻しており、自家より家格の低いものを選ぶという傾向は、榊原氏の場合必ずしも附合していない..。
◎榊原家男子養子縁組(判明12名)は徳純(父10代政敦)-越前丸岡(養父有馬左右衛門誉純)、...外。

本題は、天保のころ、ある7万石の大名が3千両の持参金付で町人の子を養子に迎え、自分は隠居した。旗本・御家人の間では流行っていたが、大名の権利譲渡は珍しく、これを知った老中水野忠邦はショックをうけ、天保の改革を決意したといわれる..。です。

表題だけで、日本家族史論を紹介してしまいました。本題とは関係なさそうでしたが。以下で“持参金付”について要約します。

◎11代榊原政令と鍋島治茂の娘栄姫との縁談がなかなか進まない。前老中松平定信(鍋島家親戚)は不思議がり質問する。
家臣は財政窮乏の折、中屋敷に新居の普請をしなければならないが、無理であり、近年のうちに縁談を取り結ぶことは難しい。かといって、縁談のさい先から普請金(持参金)などは受け取らぬよう主人から申し付けられている。すると定信は《当御時節御三家方初、国主方にても普請金御望御申請被成候儀ニ付、...其旨心得候様...》と普請金すなわち持参金のやりとりを当然のこととして肯定し..、斡旋役を引き受けた。当初鍋島家は二千両以上は出せない..。結局は「御普請金三箱三千両、年々御台所五百両」で相談がまとまった。榊原家と鍋島家の直接交渉はなく、深川長専院(榊原家菩提寺深川霊厳寺の僧侶か)が希望金額を定信に伝えている。また、二千両は入輿前、千両は入輿後..。幕府は安永3年、養子の持参金を禁止、対象は旗本と譜代の御家人であり、大名の場合や女子の婚姻の持参金は黙認されていたのだろうか...。とも。
また、松平定信のように仲を取り持つことは少なく、婚姻・養子縁組の「草結」びは商人や町医、素性のはっきりしない人々がおこない。その後両家家臣(大名家は留守居、旗本は用人クラス)の交渉が「内談」として進行する。また、寛文5年大和慶安という町医者が同志をかたらい、酒井家の息女の縁談を口入れして、持参金五千両の内二千両をかすめとろうとして失敗し、追放刑に処せられた。とも。

社会学的にも、大変よい本だと思います。
7巻の『親族と先祖』も読みたくなりました。

『幕末』ものしり話  に書かれている事については、不明です。外の記述個所については、実名なんですが。大名の権利譲渡については、 ある7万石の大名..などとなっています。表沙汰にすると大問題になるのか。あったらしい..。ということでしょうか。あるいは、商人や町医が仲を取り持ったという事から、商人の子を本人になりすませ、婚姻させたのか。想像は尽きませんね。 

以上、長々とすみません。 


[67時代の流れ... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/03/06(Sat) 12:09  

 この前の日曜日からちょっと調子が良くなかったんですが、月曜日は調子が悪いの
で仕事を休んでしまいました。だいぶん復活してきましたけど、みなさんも風邪には
ご注意下さい。(早く暖かくなってほしい...)

 そういえば、私の古巣の一つ、Niftyの城郭フォーラムがパソ通から撤退すること
になってしまいました。WEB上に「新城」を構築するとのことですが、これも時代
の趨勢ですね。私がパソコン通信を始めたころ(1996年)は、パソ通も全盛期で寝る間
も惜しんで発言していましたが、あちこちのWEB掲示板に顔を出すようになり、自
分のサイトをもってからは、すっかりパソ通の方に顔を出すこと機会が減ってしまい
ました。
 かつてはパソコン通信がネット上でのコミュニケーションの唯一の場のようなとこ
ろがありましたが、今ではいろんなWEB掲示板がありますし、パソコン通信はもう
その役割を終えつつあるのかもしれません、寂しいことではありますが...

>なおすけさん
 大変ご無沙汰です。また窪田姓情報をいただきありがとうございます。富山藩士に
もいましたか。あちこちさがせばまだまだありそうですね。
 次回更新時には生かしたいと思います。ありがとうございました。


[66越中富山藩士窪田家 投稿者:なおすけ 投稿日:2004/03/03(Wed) 14:57  

 お久しぶりで御座います。
越中富山藩士に窪田さんがいたのでお伝えします。
①太左衛門嘉信 (150石・寛永9年没)
②藤右衛門嘉郷 (250石・定番足軽頭・元禄3年没)
③藤右衛門嘉元 (250石・御小姓組・享保16年没)
④藤右衛門嘉則 (250石・御小姓組・享保17年没)
⑤権之助尚嘉  (実は嘉元次男・250石・馬廻・元文4年没)
⑥藤右衛門嘉胤 (250石・御小姓組・宝暦3年没)
⑦宇内一信   (250石・役人組表目付・寛政11年没)
⑧藤右衛門嘉房 (250石・台所奉行・天保2年11月没)
⑨太左衛門某  (250石・御小姓組,御簾番)

出典は「富山藩士由緒書」です。


[65もう雪はいいってば... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/02/29(Sun) 13:37  

 とうとうタイムライン見ないうちにこちらでは終わってしまいました(T_T) ラスト
サムライは見に行けるかなあ~?
 全然歴史とは関係ないネタですが、先日同じスタートレックファンの方々と数年ぶ
りにオフをしました。もうしばらく会っていないのに、ついこの間会ったかのように
話ができるのっていいですねえ。歴史関係ではお城巡りのお仲間とたま~に年に数回
うことはあるくらいです。こちらにおいでいただいている方々ともお会いしたいとは
思いますが、なかなかそういう機会もありませんね。

>Infi~さん
> それと・・・「どうでしょう」は僕もファンです!
 おや、そうだったんですか。「リターンズ」が結構あちこちで放送されてますから、
知っている人は知っているんでしょうね。

>蝦夷城家臣さん
 フォローありがとうございます。島原藩松平(深溝)家が7万石になったのは幕末期
だったのではずしたんですが、他にも見落としがあるかもしれません。
 しかし榊原氏ですか。榊原氏は養子は一族からしか養子を迎えてませんので持参金
なんてあったのかなあ? 婚姻の方では鍋島・池田などの大身外様や井伊・堀田・酒
井などの譜代と縁組みしてますね。

>津々堂さん
> 北海道の冬は経験がありませんが、雪下ろしなど大変みたいです
> ね。
 この前は物置の屋根に積もった雪を同じアパートの方と雪下ろししました。先週は
ずいぶんと降りましたね。3月に入ればそろそろ吹雪くことは少なくなると思います
が、油断はなりません。

>児島さん
 佐々氏は佐々木と親戚といいますか、佐々木氏の分流の一つです。佐々木盛綱の子
加地信実の八男氏綱が佐々を称したとも、佐々木信綱の三男泰綱の子頼起が佐々を称
したとも言われています。(異説に菅原姓で近江余呉庄を出身地とするというものもあ
る)成政の娘が狩野家と鷹司家に嫁いでいるのは知っています。信栄というのは佐久
間信盛の長男・正勝のことではないでしょうか?

>尾張小牧ナンバーさん
 ちょっと余裕がなくて、その後調べていません。『三百藩藩主人名事典』(新人物
往来社)などで調べると何か出ているかもしれませんが、常識的に考えると旗本くら
いならそういうことも考えられると思いますが、大名に町人の養子を迎えるのを幕府
が見過ごしたとも思えませんねえ。


[64ありがとうございます。 投稿者:尾張小牧ナンバー 投稿日:2004/02/29(Sun) 00:25  

KUBOさん、蝦夷城家臣さん、ご教授・ご助言ありがとうございます。 日本家族史論集を探してみたいと思います。 インターネットで調べたら、6,300円という高価な本のようですから、図書館あたりで探せたら・・・

津々堂さんの言われるように、「幕末ものしり話」は怪しい本かもしれませんが、まずは、日本家族史論集で調べてみたいと思います。

ありがとうございました。

PS.みなさん、色々と知見・情報をお持ちで、助かります。私も頑張ってみます。


[63Re:[61] 著者は誰だ・・・ 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/02/28(Sat) 23:06  

>  正式には「幕末もの知り話」日本史通なら知っている ですが著者がはっきりしませんね。生活情報研究会/編となっています。
> 熊本で一番でかい本屋さんで探しましたが、姿が見えません。
> 興味がありましたが買うのはやめてしまいました。
> そういう藩が有るのなら、もったいぶらずに「○○藩」の事だと 書けばいいのにと思いますけど?日本史通は自分ばかりと思っている編者なのでしょうか。だんだん「ねたは本物?」と首をひね つています。
> 北海道の冬は経験がありませんが、雪下ろしなど大変みたいです ね。
> 熊本城周辺の梅の花も開花して熊本の春はもう真近です。

◎地元の図書館に無かったものですから、帯広市の書店に行きましたら、在りました。内容は...《天保年間、貧窮した、ある七万石の大名が商人の持参金付息子を三千両で養子に迎え、領地・領民を売り払い、家督相続させ、本人は隠居..。旗本、御家人には結構あった..》というものです。税込み800円。

こちら、北海道の東部は今年、いつもの倍の雪が降りました。除雪が大変です。除雪機が欲しくなりました。

熊本城の石垣立派ですね。まだ修復中の7年前登城しました。


[62佐々成政の家系 投稿者:児島 投稿日:2004/02/28(Sat) 20:22  

佐々系図を見ているとこのページへつながりましたので、
佐々木氏について述べてありましたので、少しふれて
みたいと思います。ご親戚の様子ですね佐々木家とは、
実は私の家も関係しています、先祖は佐久間信盛ですけど
今は児島といいます。佐々木氏と佐々成政は親戚になり
信盛の娘が成政に嫁ぎ女をもうけていました。
その女が狩野孝信に嫁ぎ探幽をもうけます。また佐久間と佐々家は児島が先祖にあたると云われ、成政の娘
が鷹司家に嫁ぎ又その娘が家光に嫁いだと伝わり、何か
因縁を感じています。実は春日局は斉藤利三の娘でその
長女が児島の分家に嫁いでいる。その分家の父は私の先祖と
同じで祖父は徳川家光の伽集で信栄と云います。
詳しくは夜須町掲示板か邪馬台国掲示板等で書き込みして
いますので、よろしくお願い致します。  拝

http://www9.ocn.ne.jp/~aysk535/index.html


[61著者は誰だ・・・ 投稿者:津々堂 投稿日:2004/02/27(Fri) 23:04  

 正式には「幕末もの知り話」日本史通なら知っている ですが
著者がはっきりしませんね。生活情報研究会/編となっています。
熊本で一番でかい本屋さんで探しましたが、姿が見えません。
興味がありましたが買うのはやめてしまいました。
そういう藩が有るのなら、もったいぶらずに「○○藩」の事だと
書けばいいのにと思いますけど?日本史通は自分ばかりと思って
いる編者なのでしょうか。だんだん「ねたは本物?」と首をひね
つています。

北海道の冬は経験がありませんが、雪下ろしなど大変みたいです
ね。もうお風呂入れなどすっかり上手になられたことでしょう。
熊本城周辺の梅の花も開花して熊本の春はもう真近です。


[60Re:[54] ありがとうございます。 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/02/24(Tue) 21:54  

>『日本史通なら知っている「幕末」ものしり話(ごま書房)』という本に、天保の改革前に金持ちの町人から持参金つきの養子を迎える大名まで現れたとし、七万石の大名が、3千両で大名の権利譲渡を行ったとのことです。どこだかご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?

>七万石は、kuboさんのお調べの他に備前の島原藩(七万石)松平(深溝)家外もあるようです。旗本では持参金付は結構あったようですね。
町の図書館には無いので読めないのですが、下記文献が発刊されています。

吉川弘文館【日本家族史論集】全13巻の
8巻『婚姻と家族・親族』のなかに、
◎近世武家の婚姻・養子と持参金-大名榊原氏の事例
                ...松尾美恵子
と、興味ある表題があります。
お読みになったら、ご一報ください。

以上です。


[59無題 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/02/23(Mon) 02:29  

さすがKuboさんですね~ありがとうございました☆
ビザンチン皇室というなら、もう一人の皇帝位を保持してる?
イギリスにいる方のほうが正統性があるような気もしますけどね、、、
それと・・・「どうでしょう」は僕もファンです!
ヨーロッパ編を見てかなかな~り好きです(笑)
あんな風に気の合う者同士で旅に行けたらな~と思いながら見てました☆リターンズ・・・放送画像が鮮明で無い局なので、見難いです(T~T)前は大手局で深夜にしてたのにな~?


[58映画も見に行きたいけど... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/02/22(Sun) 22:31  

 先日は久しぶりに「滅びた(?)名族」の更新をしました。千葉氏も系図によって名
前などが全く違うものでずいぶんと苦労しました。ただあちこちの系図の切り張りに
なっていないかというのがちょっと自分でも心配です(^^;)
 あとは後北条氏と大道寺氏で取りあえず関東編は終了ということで、先が見えてき
た気がします。とはいっても、この「滅びた(?)名族」ばかりかかりきりにもなって
いられないんですが... 世界史の部屋の「チンギス・ハーンの一族」、日本史の部屋
の「侍たちの北海道開拓」等も途中ですし、その他にも取り上げたいテーマはあるん
ですが、何しろ時間が限られてますんで(^^;)
 そういえば、「侍たちの北海道開拓」でも取り上げる予定の日高管内静内町に入植
した徳島藩稲田家中をモデルとして吉永小百合主演の映画が製作されるという話が以
前出てましたが、ネットで検索してみたらそろそろクランクインするみたいですね。
渡辺謙も出るようですし、どんな映画になるかちょっと楽しみです。(でもその前の
「ラストサムライ」「タイムライン」をまだ見てない...(--;))

>尾張小牧ナンバーさん
 7万石で町人から持参金着きの養子を迎えた家...ですか? う~ん、聞いたことな
いですねえ。7万石というと、下総古河藩土井家(1822年以降加増され8万石)、下野
宇都宮藩戸田家(7万7000石)、日向延岡内藤家、豊後岡藩中川家、肥前小城藩鍋島家
(7万3000石)、加賀大聖寺藩前田家(1821年高直しして10万石)、越後長岡藩牧野家(7万
4000石)、三河吉田藩松平(大河内)家、丹後宮津藩松平(本庄)家(7万700石)くらいで
すが、系図を詳しく調べてみないとちょっと分からないですね。

>池田播磨守さん
 ご専門の方に、そういっていただけるとは光栄です(^^) 私ももう少しお金と学力
がありゃあ史学科に行きたかったんですがねえ(^^;)
 「どうでしょう」ファンの方は初登場です(^^) 私もよく見るようになったのはこ
こ数年でして、リターンズでかなりの部分見ました。大泉くんもこの前はミュージッ
クステーションに出演していましたが、何だかドキドキしながら見てしまいました
(^^;) Quick Japan VOL.52のどうでしょう特集で、藤村Dが「今年の4月くらいに新
しい旅に出ようと思っています。」と言ってましたから、5月か6月くらいにはまた
あるんじゃないですかねえ。

>りつさん
 そうですか。私は最近歴史サイト巡りはあんまりしなくなっちゃいました。家に帰
ってきたら、坊主の相手をしなくちゃならんので、以前よりネットに割ける時間自体
が減ったというのもありますが、最近は時間がないのでじっくりサイトを見るよりも、
巡回ソフトで掲示板巡りをする方が多くなっちゃいました(^^;)

>Infi~さん
 あそこは以前のぞいたことがありますが、どうも胡散臭いです。だいたいアンティ
オキア正教会とありますが、正教会ならなんでラテン帝国と関係があるのか、ラテン
帝国というならカトリックでしょう。
 それにクレルモン男爵とかサン・ミッシェル・ドゥ・クレルモン大公とかいう称号
も?です。フランス王家に関わる爵位としてクレルモン伯爵というのがありますが、
これは確かブルボン公爵家の長子が名乗る爵位で、現在のフランス王位継承権者であ
るパリ伯が以前名乗っていたものです。
 ですから、その辺から考えても胡散臭いと思えてなりません。だいたいが、アンリ
・コンスタンチン・パレオロゴ氏にしてもビザンティン皇室の血を引いてはいるかも
しれませんが、直系ではなく、所詮イタリア貴族の末裔であるに過ぎませんから、ビ
ザンチン皇室と名乗るのはちょっと?と思いますので。


[57真相は?? 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/02/22(Sun) 03:45  

「「1991年、アンティオキア正教会において、それまでの家名クレルモン男爵に加えて、ラテン帝国の正当な皇位継承権を持つサン・ミッシェル・ドゥ・クレルモン大公の位を授けられ、プリンスダグラスとして即位された。現在はカナダに在住してます。」」
これは本当なんですかね?なんでこの正教会にそんな権限が??
ラテン帝國って、あのベニスのダンドローの成果で一時的に出来た国でしたよね??なんかこんなHPも出てきて妙にきになってしまって・・・前Kuboさんに聞いた、ビザンテイン皇室復興会?みたいなのも某婦人と一緒に移ってる写真があったり・・・
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfahy603/menu.html


[56お久しぶりです 投稿者:りつ 投稿日:2004/02/21(Sat) 21:22  

こんばんわ。
ほとんど毎日歴史関係サイトを見ています。深みにはまってしまいました。しっかり家事もしてますよ。食べることですが、味噌、マヨネーズ、ケチャップ、バターすべて手作り派です。
今夜はこうしている間にも、麹が発酵しています。
また興味深い本があったら紹介してください。


[55こんばんは。 投稿者:池田播磨守 投稿日:2004/02/18(Wed) 00:07  

管理人様。はじめまして。
ネットで遊んでいたら、凄いページに来てしまいました。
よくここまで調べましたねえ。私は日本史(近世)を
専攻する大学院(博士)ですが、随分知らない事があり
唸るばかりです。負けないように頑張らなければなりません。
ちなみに私は関西在住ですが、現在「どうでしょうリターンズ」
を毎週楽しく見ています。(笑)また復活しないですかねえ、
あの番組。 では。


[54ありがとうございます。 投稿者:尾張小牧ナンバー 投稿日:2004/02/15(Sun) 18:58  

KUBOさん、蝦夷城家臣さん、ご教授ありがとうございます。

大変参考になりました。西ヶ谷恭弘氏の城郭古写真資料集成という本を見てみますと「~明治二年の版籍奉還時に存在した藩は二百八十五を数え、版籍奉還を拒否した二藩を加えると二百八十七家となる。~」となっており、どうも10数藩というのは、違うような感じです。 あれからも色々な本を見ていますが、どうも真実がわかりません。 でもかなり参考になりました。 夜も寝れそうです。(笑)ありがとうございました。

またまた、質問なのですが、『日本史通なら知っている「幕末」ものしり話(ごま書房)』という本に、天保の改革前に金持ちの町人から持参金つきの養子を迎える大名まで現れたとし、七万石の大名が、3千両で大名の権利譲渡を行ったとのことです。どこだかご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?


[53風邪は早く治しましょう 投稿者:KUBO 投稿日:2004/02/15(Sun) 13:36  

 この前、体調を崩したと書きましたが、先週は嫁さんが体調を崩してしまったので
一日お休みをもらって、坊主の世話をしていました。でも家事は全然しなかったので、
あとから嫁さんにグチを言われてしまいました、反省(--;) 嫁さんもだいぶん治って
きましたが、そんなわけで、我が家で一番元気なのは可愛い坊主くんです(^^;) うち
の市内の学校でも学校閉鎖がありましたし、皆様も風邪にはご注意を。
 「滅びた(?)名族」の「千葉氏」、系図ができましたのであとは文章です。来週には
アップできるかなあ?

>Infi~さん
 へえ~、橿原神宮に勅使が来るんですか、さすが奈良ですねえ。奈良には高校の修
学旅行で、東大寺・唐招提寺・薬師寺に行っただけなので、あらためて行きたいです
ねえ。でも行きたいところがたくさんあるので、いったい何時のことになることか...


[52Re:[49] 教えてください! 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/02/15(Sun) 11:45  

> その時代に関する本にちらっと出てきたのですが、どうも版籍奉還の際に、10藩程度、拒否をした藩があるようなのです(最終的には泣く泣く従ったようです)が、どの藩のことなのか、ご存知な方はいらっしゃらないでしょうか?

初めまして。
尾張小牧ナンバーさん。

版籍奉還を拒否した藩。
小生の能力では判明しませんでしたが、推測できそうな事は以下です。

※1868年(明治元年)11月姫路藩主酒井忠邦が版籍奉還を建言したが採り上げられなかった。

※1869年(明治2年)1月薩長土肥4藩が版籍奉還を建言。6月までには、残る殆どの藩が版籍を奉還している。

※版籍奉還をした藩主はその後、知藩事に任命されている。

※知藩事に任命された年月は1869年6月までに274余藩のうち262知藩事が任命。

※残る12余藩は7月以降の任命となっている。
7月-鶴岡(庄内)藩【新撰組はここに預けられました】。
   喜連川藩。
8月-黒石藩。磐城平藩。忍藩。9月-桑名藩。10月-野村藩。11月-高梁藩。12月-小諸藩。翌70年2月-岩崎藩5月-斗南(会津)藩。8月-福本藩。71年1月-生坂藩。

※上記の藩が拒否した藩とは限らないが、ヒントくらいにはなりそうです。戊辰(鳥羽・伏見、会津戦争他)戦争で徹底抗戦した藩は遅いような気がします。

※堀江藩(大沢基寿)の様に1万石に満たないのに、虚偽の申請をし急遽、藩としてもらい、版籍奉還後、知藩事に任命され、そのことがバレて知藩事を取り上げられたこともあったようです。274藩のはずが275知藩事となり、1つ合わないことの原因なのですかね。

この程度ですみません。


[51建国記念日 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/02/11(Wed) 23:22  

建国記念日・・・という事で古都奈良の橿原神宮には、勅使が天皇のお言葉を持って奉納?にこられました。衣冠束帯の雅な姿はいつもてもいいもんです。。。古い國ですね~(苦笑)
例年通り、街宣車が応援して、建国記念日反対の会が集会をしているのがNewsでながれていました(^^;)
休日は素直に休め~と思うのは、僕だけでしょうか?(>。<)

やはり勅使は、血筋から決められたりしてるんでしょうかね?
それとも宮内庁官僚?まぁ、あそこの官僚も血筋だし、、ん~?



[50ちょっと一休み... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/02/08(Sun) 23:48  

 先週後半から体調を崩し、この土日はすっかり「寝てよう日」になってしまいまし
た(^^;) お陰様で体調もかなり回復してきましたが、雪祭りに行きそこなってしまい
ました。11日こそは行ってこないと、終わってしまいます。今年はHTBコーナーで
かつて五稜郭内にあった箱館奉行所の雪像を作っているので、これが一番の目当てで
す。去年は江戸城でしたし、このHTBコーナーは過去にもお城を何度も造っている
ようです。

>フェニックスさん
> サイト開設4周年おめでとうございます。
 ありがとうございます。

> 既に西日本では、STフィギュアが発売されていますが、
> 東日本での発売も、待ち遠しいところですね。
 私は前回の46個購入にこりて、某所のフルコンプセットを注文してしまいまし
た(^^;) 今回のシークレットの混入率が前回の半分だと聞いたものですから。今週中
には届くそうですので、楽しみです。

>さゆりさん
 十一代藩主というと隆政でしょうか。でも隆政には子がなく弟の隆邦が跡を継いでいますので、こちらがさゆりさんの曾々祖父さんなんですかね。

>Infi~さん
> 太巻きを節分に食べるのはどうも近畿だけな感じでしたね。
 もともとは近畿の限られた地方で行われていたものみたいですね。

> 申年に下着を送るのは割りと古くからあるらしいですよ。
 そうなんですか、知りませんでした。

>尾張小牧ナンバーさん
> その時代に関する本にちらっと出てきたのですが、どうも版籍奉還の際に、10藩程
> 度、拒否をした藩があるようなのです(最終的には泣く泣く従ったようです)が、
> どの藩のことなのか、ご存知な方はいらっしゃらないでしょうか?
 幕末維新には疎いもので、手持ちの史料を見ても良く分かりませんでした。ですが、
廃藩置県については以下のような本があるようですのでそれらをご覧になるとその辺
が載っているかもしれません。ただし私は現物を確認してませんので、あくまでも
「かもしれません」ということでご了承下さい(^^;)

『物語廃藩置県』高野澄 /新人物往来社
『廃藩置県の研究』松尾正人 /吉川弘文館
『廃藩置県(講談社選書メチエ ) 「明治国家」が生まれた日』勝田政治 /講談社
『廃藩置県(中公新書 ) 近代統一国家への苦悶』松尾正人 /中央公論新社


[49教えてください! 投稿者:尾張小牧ナンバー 投稿日:2004/02/07(Sat) 21:38  

はじめまして。2年前に名古屋に転勤となり、通勤電車で日本史の勉強をやり直している36歳のサラリーマンです。

名古屋近辺には、日本史の教科書に出てくる地名がいたるところにあり、日本史にはまってしまっています。 桶狭間、姉川、長篠、賤ヶ岳、関ヶ原といった古戦場や、信長、秀吉に関するお城めぐりなどを中心に、散策しています。(中でも、小谷城跡は、なんとも言えない感傷を感じることができ、お勧めです。) 勢い余って、最近は幕末・維新にも、はまっております。

その時代に関する本にちらっと出てきたのですが、どうも版籍奉還の際に、10藩程度、拒否をした藩があるようなのです(最終的には泣く泣く従ったようです)が、どの藩のことなのか、ご存知な方はいらっしゃらないでしょうか?

色々な本をあさっているのですが、そこまで記述している本を今のところみつけきれていません。どなたか教えて頂けないでしょうか?夜も眠れません。(笑) 教科書では、知り得ないおもしろい話がいっぱいあることに、通勤電車の中で毎日(おおげさ)感激しています。


[4811日は建国記念日♪ 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/02/06(Fri) 23:09  

太巻きを節分に食べるのはどうも近畿だけな感じでしたね。
母は山陰地方ですが、近畿にくるまではそんな風習はないと言ってました。鰯の頭と柊を玄関に飾るのも山陰には無かったようです。
最近は、寿司業界が頑張って全国に広めてる様ですね☆
今年は、東北東を向いて食べました(^^)

申年に下着を送るのは割りと古くからあるらしいですよ。
赤い下着を八枚送る♪みたいです。
八枚=やまい・・・病!!!!
病が猿・・でなくて、、病が去る!!とかけてあるようです^^


[47求馬さまKUBOさま 投稿者:さゆり 投稿日:2004/02/05(Thu) 17:28  

ありがとうございます。
亀田11代藩主が私の祖父の祖父らしいです。
祖父は3歳の時に両親が死んだらしく父の名前も覚えていないらしいです。姉が3人いたようですが、養女に出さればらばららしいのです。刀が2本岩城の家紋付のみ手元に残されようです。なので、祖父の父名前はわからないそうです。
求馬さまは遠い親戚なのですね。うれしいです。


[46おめでとうございます 投稿者:フェニックス 投稿日:2004/02/04(Wed) 13:23  

サイト開設4周年おめでとうございます。
既に西日本では、STフィギュアが発売されていますが、
東日本での発売も、待ち遠しいところですね。
フィギュアの完成度は、イマイチのようですが、
早く「B型機」と「ファラガット」の実物が見たいです。

>太巻き寿司
私は2年前に初めて、聞きました(^^;
去年実践してみましたが、まるで効果がなかったので、
今年は食べてません。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5604/


[45RE: ありがとうございます。 投稿者:KUBO 投稿日:2004/02/03(Tue) 23:50  

>蝦夷城家臣さん
> 節分にご誕生とは、覚え易いですね。
 すんません、間違えてました(^^;) 開設日を間違えるとは...(T_T) えっと、2月
2日の間違いでした。3日はカウンターを設置した日でした。
 今年は4周年にあわせて更新ができませんでした(T_T) 近日中に何かしたいと思い
ますが、なかなか時間がとれなくて...

> ところで、節分の今日、太巻き食べましたか?
 親子3人で豆まきはしましたけど、太巻きは食べませんでした。だいたい私が子ど
もの頃は節分の日に太巻きを食べるなんていう風習はなかったと思うんですが... そ
ういうのがあると聞いたのはここ数年、せいぜいさかのぼっても4~5年前のような
気がするんですが、ただ単に私が知らなかっただけ?
 実は申年申の日に身内の女性から贈られた肌着を着ると病が去るという話も知らな
かったんですけど... なんだかこういうのってバレンタインデーと同じようにメーカ
ーの陰謀のような気がしますが...(^^;)


[44お誕生日 おめでとうございます。 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/02/03(Tue) 21:52  

節分にご誕生とは、覚え易いですね。ところで、節分の今日、太巻き食べましたか? 恵方(東北東)を向いて、無言で食べるとかいう..。関西方面から北上したとか。これは、寿司屋さんの陰謀かと思いましたが、実は海苔屋さんの陰謀みたいです。我が家はラーメンでした。太くて長いと言う点では同じでした。


[43おっと... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/02/01(Sun) 13:38  

10以上ぶりですねえ(^^;) 相変わらす「滅びた(?)名族」の更新は進んでいません(^^;)
2月3日が当サイトの誕生日なので、それに間に合わせようと思っていたのですが厳
しくなってきました。

>津崎重秋さん
 はじめまして。『聖コシャマインー極光の使者ー』、私も買ってはあるんですがま
だ読んでおりません(^^;) 舞台になっている道南十二館は、一応推定されている場所
にはすべて行きましたが、まともに遺構が残っているのは、志苔館・茂別館・大館・
花沢館くらいですね。場所がはっきりしないところもありますし。

>Infi~さん
 お菓子にそのようなものがついているとは粋ですねえ。大和郡山、行ってみたいで
すねえ。

>求馬さん
 ご無沙汰しております。そうですか、岩城氏もご親族ですか。『本荘市史』機会が
あったら見てみたいですね。とはいっても道内で道外の自治体史を置いているところ
はあまりないですけど。

> そういえば、そこに載っていた系図によると戦国末期の当主岩城民部大夫由隆の娘
> に「窪田山城守室」というのがありましたよ。
 『寛政譜』にも「家臣窪田山城守某の妻」とありました。岩城氏の一族で窪田姓の
者があったようですので、その系統なのでしょうね、きっと。


[42出羽亀田の岩城氏 投稿者:求馬(もとめ) 投稿日:2004/01/29(Thu) 01:01  

ご無沙汰しております、kubo様
求馬です。

岩城氏の話が出ていたので寄らせていただきました。
実はそれがしも岩城氏の親族です。

出羽亀田藩8代藩主の岩城伊予守隆恕(たかのり)の
四男はそれがしの家に養子に来て松野民三郎と
名乗りましたが早世してしまいます。
また、隆恕の長男で9代藩主となった伊予守隆喜
(たかひろ)の次女は幕末の江戸町奉行浅野中務少輔
長祚(ながよし)の妻となって、その間に生まれた

三女と四女が、それがしの家の当主の妻となっています。
この浅野氏の三女との間にはそれがしの曽祖父が
生まれています。

そうした縁で数年前に秋田県岩城町を訪れましたが、
そこの図書館で調べたときに「本荘市史」に岩城氏の家系図などがかなり詳しく載っていました。肝心の「亀田町史」はそれほどでもなかったです。

そういえば、そこに載っていた系図によると戦国末期の当主岩城民部大夫由隆の娘に「窪田山城守室」というのがありましたよ。


[41御用菓子店♪ 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/01/28(Wed) 02:45  

おひさしぶりです☆
古都大和國は、久々の雪で寒い日が続いています・・・
そんな城下町には、代々藩主の御用菓子屋があり、新しい菓子が出ていたので購入しました♪
その菓子の中に「郡山城主傅託」なる気の効いた物が入ってました(笑)
年末にプリンターが壊れて新たにスキャン機能が付いたのが我家に着たのでスキャンして見ました♪
大和大納言秀長を感じて頂ければ幸いです♪

http://ringo.sakura.ne.jp/~mkrone/yamato/hidenaga.JPG


[40コシャマイン戦跡 道南12館 投稿者:津崎 重秋 投稿日:2004/01/25(Sun) 13:44  

蝦夷1456~7年のコシャマイン蜂起を描いた『聖コシャマインー極光の使者ー』御存知の方も多いと思いますが、歴史にはない事件と、人物をテーマにした大河小説です。

和人の道南12舘が、コシャマインに攻略された実話を元にした小説。アイヌの側から描いた。波瀾万丈の、12舘の実戦攻防もスリリングで、いわゆる“叙事詩”てきな、スペクタクル万点と言っていいでしょう。興奮もしますが、当時の時代相、アイヌ、和人のカタチが詳細です。

武田信広vsコシャマインの一騎打ち、それに道南一帯の、原始の自然描写が美しい。


[39すっかり... 投稿者:KUBO 投稿日:2004/01/18(Sun) 23:17  

忘れてました、14万hit...(^^;) 先ほど思い出してカウンターを確かめたら、もう少
しで14万1000になるじゃないですか(^^;) たぶん、14万hit達成したのは金曜日くら
いだと思うんですが、もし違っていましたら教えて下さいませ>みなさん
更新履歴の日付を直しますので(^^;)

 さて、気を取り直しまして、明日からいよいよ3学期です。冬休み中に「滅びた(?)
名族」の更新をできるかなと思いましたが、できずじまい... 未だ千葉氏の途中で
す(^^;) やっぱり家にいると、坊主くんの世話を少しせにゃいけませんので、なかな
かそちらまで手が回りませんでした。
 うちの坊主くんも先日の15日で百日を迎えまして、声を出したり、手や足を動かし
たりとだんだんと活発になってきました。そのうちに寝返りをしたり、はいはいした
りするようになるんでしょうねえ(^^)

>さゆりさん
 秋田に行って来られたんですか。『平成新修旧華族家系大成』を見ると、亀田藩岩
城家(旧子爵家)の直系の方は今は東京の方におられるようですね。前も書いたように
やはり名前に「隆」の字がついています。
 家系を調べられるんでしたら、まずは自分の戸籍謄本、そしてお父様・お祖父様の
除籍謄本とさかのぼっていくのが手っ取り早いでしょう。そうすれば、たいていは幕
末頃の先祖まではたどっていけるはずです。私もその手で、4代前の祖父の名前まで
はわかりました。
 家系調査については以下のような本が出てますので、ご参考になさると良いと思い
ます。
 『家系の調べ方』 丸山浩一 金園社
 『あなたも系図が作れます』 丹羽基二 新人物往来社
 『簡単便利 家系図作成マニュアル』 太田さとし ビジネス社
 『道産子のルーツ事典』 岸本良信 中西出版

>筈衛さん
 あちこちでその話題が出てますけど、私もよく分かりません。どうも二男信雄の子
孫のようですけど、たぶん柏原藩・天童藩の直系ではないでしょう。信雄の子孫には
ご存じの通り旗本家もたくさんありますから、そちらの子孫かもしれませんね。
 ついでに皆様のために信雄の子孫の略系図を掲げておきます。

織田信長――信雄―+―秀雄(越前大野藩・除封)
         |
         +―信良→(出羽天童藩・子爵家)
         |
         +―高長―+―長頼→(丹波柏原藩・子爵家)
              |
              +―長政―+―信明→(旗本高家・2700石)
                   |
                   +―信清→(旗本・300石)

 ちなみに別冊歴史読本『織田一族のすべて』に信明の子孫の方が出てますが、名前
に「信」がついていませんので、彼の織田君とは関係なさそうです。


[37織田信長の直系 投稿者:HAZU 投稿日:2004/01/12(Mon) 09:22  

 織田信長の子孫である織田信成というひとが昨年の12月27日に全日本フィギュアで5位に入ったという記事を見て、誰の子孫かなと思って、インターネットで調べてみましたが、わかりませんでした。KUBOさんならどうでしょうか?
 調べた範囲では次男の子孫のようです。

筈衛


[36KUBOさま 投稿者:さゆり 投稿日:2004/01/10(Sat) 13:16  

お返事ありがとうございます。お正月秋田のいとこのところに行ってきました。しこし雪が見られうれしかった。私の父も祖父も隆はつかないのです。5年ぐらい前だったでしょうか?岩城村らか最後の血筋?生き残り!で呼ばれ行ってきたといってました。秋田の亡父の兄に曽祖父の名前を聞いてきます。ほとんど家系の事を知らなかったものですから、歴史好きにになりました。どういうもので自分の家系を調べていいものかわかりません。もし本など知っていましたら教えてください。


[35映画見てきました。 投稿者:KUBO 投稿日:2004/01/09(Fri) 23:49  

 今日、やっとこさ「マトリクス・レボリューションズ」を見てきました。アクショ
ンはなかなかみどころありましたが、よくわからんところもあって... まあ、見る人
が勝手に想像して下さいってことですかね。
 あと『ラスト・サムライ』と『タイムライン』『ロード・オブ・ザ・リング 王の
帰還』も見に行かなくちゃ。(後ろ二つはまだやってないけど)

 先日、ある方に須賀川城主二階堂氏の家臣からのち秋田佐竹氏の家臣となって横手
城代もつとめた須田盛秀の一族のことを書いた本をいただいたのですが、ふと思いつ
いて検索してみると、この須田盛秀、伊達政宗が須賀川城を攻め落城させた際に死ん
だと書かれていいるサイトをいくつか発見したので、おや?と思って調べてみると、
新人物往来社の『戦国人名辞典』に須田盛秀が須賀川落城の際に死んだと書かれてい
るのを発見!
 どうやらこれらのサイトは他の文献などに当たらず『戦国人名辞典』の記述を鵜呑
みにしたようです。やはり調べる時にはいろいろな文献にあたらなくてはと考えた次
第です。うちのサイトもどこにボロがあるか分かりませんので、見つけた時にはこそ
っと教えて下さいね(^^;)
 それから先日Yahoo!オークションで探していた『紀州雑賀鈴木一族』を発見したの
で、ちょっと高めでしたが落札しました。新人物往来社の「一族シリーズ」はほとん
ど揃えたのですが、これはなかなか古書サイトでも見つけられなかったのでうれしか
ったです。
 でもこの「一族シリーズ」も、もっといろいろ取り上げて欲しい一族もあるんです
がねえ。西の方が意外と手薄かも、赤松とか佐々木(六角・京極)、山名、畠山、長曾
我部、河野、大内、龍造寺、島津なんてのはどうですかね? ああ、でも一部を除け
ば滅びた一族ばかりか(^^;)

>よーぜんさん
 あけましておめでとうございます。北海道にも少ないですけどなかなかみどころは
ありますので、またおいで下さい(^^)

>大倉さん
 今年もよろしくお願いします。

>infi~さん
> 大和の地は寺社仏閣が多いので、中々混雑してました
 そうでしょうねえ。うちの近所の神社でさえ、元日は込んでいたので初詣が実家か
ら帰ってきて4日になっちゃいました(^^;)


[34迎春 投稿者:Infi~ 投稿日:2004/01/06(Tue) 02:48  

新年おめでとうございます!今年もよろしくですm(_ _)m
大和の地は寺社仏閣が多いので、中々混雑してました(苦笑)


[33新年 投稿者:大倉 投稿日:2004/01/05(Mon) 21:47  

今年は、喪中の為、
本年も皆様方宜しくお願い致します。


[32賀正 投稿者:よーぜん 投稿日:2004/01/05(Mon) 20:53  

正月も5日もたって、今更な気がしないでもないですが、あけましておめでとうございます。
お正月は、北海道で過ごしました。小樽は結構吹雪いておりました・・・

昨年は思いがけず、KUBOさまのサイトにめぐり合い、旅行の時におおいに役立たせていただきました。ありがとうございました。
今年も更新を楽しみにしております。
本年もよろしくお願い申し上げます。


[31今年もよろしくお願いします。 投稿者:KUBO 投稿日:2004/01/03(Sat) 10:55  

 新年あけましておめでとうございます。今年の北海道は比較的雪も少なく、穏やか
な正月です。昨日は8年ぶりに中学の同窓会がありましたが、みんなすっかりおじさ
んおばさんで名前を言われないとわからん人もいました(^^;)
 今年はまず冬休み中に「滅びた(?)名族」の続きを少しでもUPしたいと思います。
(現在は千葉氏に取組中)あとは、お城も行きたいですが、どうなりますか。

>蠣崎若狭守さん
 最近そちらになかなか顔を出せませんが、どうぞよろしくお願いします。

>フェニックスさん
 今年もよろしくお願いします。1/19に西日本でスタートレックフィギュア2が発売
だそうです。東日本は3/8だそうで(^^;)

>蝦夷城家臣さん
 今年の正月は吹雪もせず穏やかですね。今年もどうぞよりしくお願いします。

>筈衛さん
 今年もどうぞよろしくお願いします。お城歩きもしたいですね。春になる頃には、
坊主も6ヶ月を超えますので、GWか夏にはどこか行きたいですねえ。


[30あけましておめでとうございます 投稿者:HAZU 投稿日:2004/01/02(Fri) 23:40  

 あけましておめでとうございます。
 昨年中はいろいろとお世話になりました。本年もよろしくお願いします。

 せっせと今のうちに奥さん孝行をし、子連れの城歩きをなさってください。

筈衛


[29賀正 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2004/01/02(Fri) 09:12  

明けましておめでとうございます。
昨年中は何かとお世話になりありがとうございます。
大変穏やかなお正月を迎えました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


[28迎春 投稿者:フェニックス 投稿日:2004/01/02(Fri) 07:30  

あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
良い1年になるといいですね。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5604/


[27謹賀新年 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2004/01/01(Thu) 17:21  

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kakibaku/


[26本年もどうもありがとうございました 投稿者:KUBO 投稿日:2003/12/31(Wed) 20:58  

>みなさま
 いよいよ2003年も終わりが近づいています。当サイトにおいで下さりありがと
うございました。今年は息子が生まれたりいろいろなことがありましたが、なんとか
厄年を乗り切ることができました(をい(^^;))
 当サイトももう少しで開設4年目に突入しますが、今後ともどうぞよろしくお願い
いたします。
 それではみなさん良いお年を!


[25しばらくぶり... 投稿者:KUBO 投稿日:2003/12/22(Mon) 00:41  

 学期末で忙しかったもので、ちょっとしばらく放置してしまいました(^^;) 通知表
も終わりましたので、一段落です。
 結局、前回見つからなかった『日本史諸家系図人名辞典』は古書サイトで4割引く
らいで売っていたので買ってしまいました(^^;) 天皇家・親王家・豪族・公家・武家
など古代から明治維新までの401家の略系図と主要人物8800人を収録したというもの
です。系図的にはたいしたことありませんが、人名辞典はそこそこかもしれません。
でもわざわざ買うほどでもなかったかも(をい(^^;))
 今日もちょっと札幌に行って来たので、また本を仕入れてしまいました(^^;) 今日
の収穫は、『籤引き将軍足利義教』(講談社選書メチエ)、『ビザンツ帝国史』・『プ
ランタジネット家の人びと』(白水社文庫クセジュ)の3冊ですが、『ビザンツ帝国史』
は同名の本を2冊持っていますが、これらは大部の専門書なのに対し、こちらはビザ
ンツの入門書といったおもむきですので、ビザンツの歴史を手軽に読むにはいいかも
しれません。

>りつさん
 読まれましたか。もしご感想などがあったら、聞かせてくださいね。

>さゆりさん
 おお亀田藩岩城家のご縁者ですか。岩城家といえば、陸奥磐城地方を領した中世以
来の名門ですね。関ヶ原がなけりゃ、もっと大きな大名家として残ったかもしれませ
んが。ところで、お父様やお祖父様、弟さんのお名前には「隆」の字がついているん
でしょうか?(岩城家の通字ですから「隆」は)

>大倉さん
 岡山県の内田姓を調べてみると、岡山・倉敷付近が一番多いようですね。あと県北
の津山・勝北・加茂にも多いようですね。

>ひづめさん
 ご無沙汰です。そちらは城巡りにはいい季節になってきたんじゃないですか? こ
ちらはもう銀世界で来年まで封印ですが。今年は結局1月の沖縄と、5月の道南だけ
でした。

>蠣崎若狭守さん
 ご無沙汰してます。リンク修正済みです。


[24URL変更 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2003/12/17(Wed) 19:13  

蠣崎幕府の蠣崎若狭守です。
当方のHPのURLが変更になりましたのでお知らせいたします。
新URL http://www5f.biglobe.ne.jp/~kakibaku/

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kakibaku/


[23苫田郡加茂町のこと 投稿者:ひづめ 投稿日:2003/12/13(Sat) 22:57  

大倉さん、はじめまして。

 『美浦村お散歩団』のひづめといいます。 私は家系のことにはまったく疎いのでお力にはなれませんが、なつかしい地名が出てきたのでちょっと横レスさせていただきました。

> 詳細は分かりませんが、岡山県苫田郡加茂町黒木出身で
> 内田姓です。
> 加茂町に住んで内田姓は皆親戚だそうです。

 私の父方の田舎が苫田郡加茂町なので、27年ほど前になりますが大阪の大学に在学していた頃に度々遊びに行っていました。私が世話になっていた家のご当主の職場の同僚に内田さんという方がいらっしゃり、家も近くでした。その後ご当主は亡くなられ、私も遠く離れてしまったこともあり近年は疎遠になってしまって、内田さんが現在いかがされているかは知るよしもありません。

 以上、役に立たない話で失礼しました。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.osanpodan.com/


[22kuboさんへ 投稿者:大倉 投稿日:2003/12/13(Sat) 20:15  

義理の父の先祖(丸岡藩)との関係が有るとのことですが、
昨年も丸岡へ行って来ました。

私の先祖について
詳細は分かりませんが、岡山県苫田郡加茂町黒木出身で
内田姓です。
加茂町に住んで内田姓は皆親戚だそうです。
自分なりに調べますと、岡山県苫田郡加茂町知和に内田姓の
方が居られ草刈家の家臣だったそうです。
ご存知方がおられましたら宜しくお願いします。


[21はじめまして 投稿者:さゆり 投稿日:2003/12/08(Mon) 23:10  

はじめまして家紋を調べていましたら、ここにお邪魔することになりました。先祖は、殿だったと聞いていたのですが半分?でしたが、みてみたらほんとうだったので、驚きました。今弟が後をついでいます。私の祖父明治生まれ(岩城)の先祖が、
秋田の亀田藩ということがわかりました。
子供のころに祖父の父が、苦労したのを祖母から聞きました。私も姫?だったのかとちょっと嬉です。


[20Re:[16] さて次は... 投稿者:りつ 投稿日:2003/12/07(Sun) 21:19  

市図書館にまだありませんでしたので、Amazonで古本を購入しました。
半分くらい読みました。
謎だった部分がわかりやすく書かれていました。


[19やっと冬らしく... 投稿者:KUBO 投稿日:2003/12/06(Sat) 23:48  

↑北海道はなってきました。ここ数日は雪がちらつき始めまして、今も外は真っ白で
す。先日、うちのアパートの除雪当番のプリントが回ってきましたし、「いよいよ冬
かあ~」というか「いよいよ除雪の時期かあ~」と思うとちょっと憂鬱です(^^;)
 その後、例の『源氏と日本国王』を読み終わりました。要するに、強引にまとめて
しまえば征夷大将軍という地位は、日本の国家主権をしめすものではなかった。源氏
長者こそが中世・近世の国家主権者だった、という主張です。この主張がそこまで妥
当性を持つものかは、実際に読まれて判断してほしいと思いますが、なかなか面白い
味方だなと私などは思いました。
 この前札幌駅前の旭屋書店で『よみがえる安土城』『筑後争乱記』『城郭みどころ
辞典〈東国編〉』の三冊を買ってきました。ですが、目当ての『下総奥州相馬一族』
『肥前の龍と遠山桜』『日本史諸家系図人名辞典』は見つからなかったので、前二者
はBOOK WEBで注文しましたけど、『日本史諸家系図人名辞典』は高かったので(9500円)
中身を見てから買おうと思って注文しませんでした。
 どなたか実物見た方いませんかねえ?

>筈衛さん
 お仕事忙しそうですねえ。私も先日参観日が終わりましたが、これから評価の時期
ですので、これからが正念場です(^^;)
 うちの坊主くんのページ、見つけましたか。まあ、最初に見つけるのは筈衛さんじ
ゃないかなと思っていましたが(^^;) やっぱり似てますか? 嫁さんに似ていると言
う人はあまりいないんですよね。

>りつさん
 著者の岡野氏の主張は上記のようなことですが、なかなか面白い一冊だと思います
ので、手に取ってみても損はないかと思います。

>infi~さん
 ご無沙汰です。高台寺ですか、いいですねえ。京都は高校の修学旅行で1回、5年
くらい前に大学時代の友人と行った1回の計2回しか行ったことないですが、見ると
ころがたくさんあって回りきれないですね。高台寺もまだ行ったことがないです。
 ていうか、もう一年近く道外に行っていないので行ってみたいですねえ。でも、し
ばらくは無理かなあ...(T_T)


[18師走 投稿者:Infi~ 投稿日:2003/12/03(Wed) 18:23  

お久しぶりです、師走ではないような気候が続きますね~
先日は今日との高台寺にいってきました☆
人が多くてしんどかったです(苦笑)
紅葉は中々のものでした♪しかしデジカメでは夜は綺麗に写らず・・・
霊屋という秀吉と北政所を奉ってある所の太閤桐?の入ってる瓦が、撮れただけでした(T~T)


[17ありがたい一冊です 投稿者:りつ 投稿日:2003/11/30(Sun) 11:50  

とても興味深いです。
知りたかったことが表題にすべてあるようです。
私は何分、よく相手を知らないと孤独でも人付き合いもしない鼻につくタイプです。自分は棚にあげますが・・・。
神社参りなどもご祭神を熟知しないと最初からしない方です。
源氏については詳細に知る一冊があればとかねがね思っておりましたのでさっそく本屋、図書館であたってみます。


[16さて次は... 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/29(Sat) 16:29  

 うちの坊主くんは順調に成長しております。かまってほしい時は泣くという「技」
も手に入れましたし(^^;)
 さて「英仏百年戦争」は読み終わりました。ちょうど佐藤賢一さんの作品、『傭兵
ピエール』『双頭の鷲』の舞台と重なりあいますので。面白く読ませてもらいました。
これはなかなかおすすめです。さて次は何を読もうか...?

>蠣崎若狭守さん
>  播磨屋さんのHPで紹介されてましたが、秋田の無明舎出版というところから戦国
> 武鑑の三部作が発売になるそうです。
 お知らせありがとうございます。早速、播磨屋さんのサイトに行ってサンプルを見
てみましたが、なかなか良さそうですね。取り上げる武将を見てもあまり詳しく知ら
ない武将や戦国大名の家臣クラスの家もありますから、その辺はどこまで詳しく載っ
ているのか楽しみですね。

>りつさん
 こんにちは。佐々木家の家紋についてご質問された方ですよね?

> 『源氏と日本国王』(岡野友彦、講談社現代新書)
> ですが、興味があります。
> 図書館で探してみようかと思うのですが、その前にざっとどの程度のものか、初心
> 者、中級歴史勉強家でも読めるものかどうか、教えてください。
 まだ読んでいないんですけど、源氏(清和源氏だけではなく賜姓源氏一般について)
の変遷、そしてその源氏と武家、そして征夷大将軍との関わりについて書かれている
ようです。まあ専門書ではなく新書ですから、それなりにわかりやすく書いていると
思いますが、一応参考までに各章の表題を下に掲げます。
 ・源氏とは何か
 ・源氏誕生
 ・武家源氏と公家源氏
 ・「源氏願望」の正体
  源氏でなければ将軍になれない?
  源氏になろうとした武将たち
 ・征夷大将軍と源氏長者
  征夷大将軍は日本国王たり得たのか
  源氏の印章「宇宙」印
 ・王氏日本と源氏日本

 次は『源氏と日本国王』を読みますかねえ...


[15あと、似ているんじゃない 投稿者:HAZU 投稿日:2003/11/29(Sat) 15:51  

 将真くん、似ているんじゃない(^^)
 きっと、将来は将軍様になるんでしょう(^^)

筈衛


[14さすがに今週は疲れた 投稿者:HAZU 投稿日:2003/11/29(Sat) 15:47  

さすがに今週は疲れました(^^;
11日連荘で仕事でした。その中には火事処理もあれば監査対応もあったし・・・。

筈衛


[13あらすじでも・・・ 投稿者:りつ 投稿日:2003/11/28(Fri) 10:25  

前回投稿したときは”せつ”の名前だったかもしれません。
下記の

『源氏と日本国王』(岡野友彦、講談社現代新書)
ですが、興味があります。
図書館で探してみようかと思うのですが、その前にざっとどの程度のものか、初心者、中級歴史勉強家でも読めるものかどうか、教えてください。
これから歯医者です。
本当に辛い治療です。


[12戦国武鑑 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2003/11/27(Thu) 20:00  

 KUBOさん、こんにちは。
 播磨屋さんのHPで紹介されてましたが、秋田の無明舎出版というところから戦国武鑑の三部作が発売になるそうです。
 
先日、無明舎出版からダイレクトメールが届いたんですが、1冊、6800円だそうです。
 1大名家についてどれほどページを割いているかによって資料としての価値が決まるかどうかということろでしょうね。
 奥羽編で蠣崎家も取り上げられているようです。

 では、お知らせまで。

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[11No.1128 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:54  

[1128] また買っちゃった... 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 01:55

今日は不愉快です。4分間の間に12件もの無意味な書き込みをするとは... 全く暇
な方がいるものです(--;)

 さて気を取り直しまして、昨日の収穫。昨日は本屋で以下の本をGETしてきました。
 『英仏百年戦争』(佐藤賢一、集英社新書)
 『大名の日本地図』(中嶋繁雄、文春新書)
 『源氏と日本国王』(岡野友彦、講談社現代新書)
 佐藤賢一さんは小説も好きなのですが、以前読んだ三銃士の主人公の実在のモデル
を描いた『ダルタニャンの生涯』(岩波新書)がなかなか面白かったので期待してい
ます。あ、でもそういえば先日買った2冊どころか、それ以前に読むと言っていた
『カルチェ・ラタン』も『子産』もまだ手を付けてない(^^;) 読みかけの本も何冊か
あるし...

>フェニックスさん
> 多分この本、絶版になっていると思うんですが、
> 100円で手に入ったのですか、羨ましい限りです。
 昭和62年の発行ですから、そうでしょうね。でも、この本新品同様です。折り目す
らついてない(^^;) これで100円だから良い買い物しました。

> 「お宝.倉庫」・・・神奈川にも出来ないかなあ。
 道東の帯広に本社がある会社がやっているようですから、神奈川には...(^^;) ま
あ、でも本に関してはほとんどが漫画本ですから、こんな拾いものはそうそうないか
と思われます(^^;) マンガ本とゲームソフト、フィギュアに食玩がメインの店ですか
ら。

>太郎の嫁さん
 はじめまして。元同姓の方ですね(^^) よろしくお願いします。まずは蝦夷城家臣
さんのおっしゃるように除籍謄本を取ることが先決だと思います。私も除籍で4代前
まで(幕末)さかのぼることができました。私の場合、父方も母方も北海道に来てから
90年以上たっていますが、本州の本貫の地にまだ除籍が残っていて取ることができま
したのでラッキーでした。一応、法律では80年しか保存されないことになっています
が、それを過ぎても保存しているところもありますので、あきらめないでご先祖のい
た市町村にまず聞いてみることです。
 そのあとについてはうちの「ニュース」のコーナーでも紹介している『簡単便利
家系図作成マニュアル』など家系調査に関する本がいろいろ出ていますので、それら
をご参考にすると良いと思います。

>大蔵重治さん
 はじめまして。丸岡藩ゆかりの方ですか。あいにく丸岡藩士に関する資料は持ち合
わせておりませんが、蝦夷城家臣さんからフォローがあったようで良かったですね。
わが家のご先祖は丸岡藩領内の百姓でしたので、今後ともよろしくお願いします。

>八三郎さん
 頼母はたしかに「たのも」ですね。内匠は浅野内匠頭で知られるように「たくみ」
ですし、この辺は律令制の官名に由来してまして、なかなか読めないことがあります
ね。雅楽(うた)・主計(かずえ)・主税(ちから)・掃部(かもん)・帯刀(たてわき)なん
てのも読めませんね。

>蝦夷城家臣さん
 フォローありがとうございます。有馬家における使番はわかりませんが、『三田村
鳶魚 武家事典』では「戦陣では伝令や、戦功の監査に当るが、平時は大名の治績、
動静を視察し、上使をつとめる。」とあります。これは江戸幕府における使番の説明
ですが、各藩でもその役割はそう違ったものではないと思います。


[10No.1127 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:53  

[1127] お知らせ 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 01:01

No.1114~1125の書き込みは引用のみ等、不適切と判断しましたので削除いたしました。
先日も同様の書き込みがありましたので削除しましたが、本談話室は当サイトにおい
での方たちの交流の場と考えておりますので、今後そのような書き込みはご遠慮下さい。


[9No.1126 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:53  

[1126] 有難うございます! 投稿者:太郎の嫁 投稿日:2003/11/22(Sat) 22:46

除籍謄本の件で、返答いただきまして有難うございました。
早速調べてみます!自分のルーツを辿るという作業が、結構
はまるのだと初めてしりました。自分の父や、祖父の時代は戦争があった頃なので、もう貧乏のどん底ですが、曽祖父の生きていた時代が金持ちだったからか、街が大火で焼けて曽祖父の家も無くなったという記念写真を撮り、その大火があったのも100年位前で、その写真が綺麗な状態で残っているのですが、白黒写真の威力を感じるこの頃です。
アドバイスを参考に、頑張って調べて、面白い事が出てきましたら報告いたしますので!それでは、また。


[8No.1113 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:52  

[1113] Re[1109]: 初めまして。 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2003/11/22(Sat) 09:23

初めまして
本格的に調べたいとなると除籍謄本などを取り寄せるしかないでしょうか?

除籍謄本は80年しか保存しないそうです(一般的に)。早いほうが良いと思います。まず親の戸籍謄本等を取る-祖父母が記録されていますので、自分-親-祖父・祖母の関係が説明できる様にコピーを添付し祖父又は祖母の生まれた役場に除籍謄本の写しを頼みます。祖父母の親が解ります。その先は難しいのですが、頼んでみて下さい、残っていればラッキーです。
取り方の方法や料金等については、「謄本の取り方」等をネット検索すれば解ると思います。家系図に繋がる名前が解ると良いですね。


[7No.1112 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:51  

[1112] Re[1110]: 家内の実家が有馬家の家臣でした 投稿者:蝦夷城家臣 投稿日:2003/11/22(Sat) 08:30

>
> 家内の実家は、芦(蘆)塚家で九州から有馬の殿様と一緒に
> 糸魚川をへて丸岡城へ入ったそうです。(お城での仕事は
> お使い番と言われています。(義理の父談)

※大蔵さんには、メールで送信させて頂きました。「丸岡城略 史」に記録されている、お名前の人が家系図にも記録されているとのことです。
※使番... 年令士 との説明のみ。役目が解りません。有馬家において[使番]の役目とは。各家によって行う仕事が色々ありますね。お解りの方はお願いします。


[6No.1111 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:50  

[1111] 名前の読み 投稿者:八三郎 投稿日:2003/11/21(Fri) 20:54

って、難しいです。
漢字は解っても、どう読むんだーって思う事がよくあります。
↓にもあります、(頼母=たのも)ですか?
(兵馬=ひょうま)で、(へいま)とは読まないですかね。

私のおなまえは、戸をとって改名しました。


[5No.1110 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:49  

[1110] 家内の実家が有馬家の家臣でした 投稿者:大倉 重治 投稿日:2003/11/20(Thu) 21:13

> 「丸岡城略史」という“丸岡五徳会”が昭和50年4月10日付で発行したタイプ打ち第3版の郷土誌が手に入りました。
> 丸岡城の史歴が細かく記載されています。
> 丸岡(円陵)藩士650名余の名簿の記載もあります。
> 嘉永元(1848)年(有馬)当時のものです。
>
> 家老には
>  堀 斉宮(750石)
>  有馬兵庫(400石余、士大将) 
>  有馬 縫(1000石、士大将)
>  有馬内匠(850石、士大将)
>  津田頼母(700石)

家内の実家は、芦(蘆)塚家で九州から有馬の殿様と一緒に
糸魚川をへて丸岡城へ入ったそうです。(お城での仕事は
お使い番と言われています。(義理の父談)
江戸時代には、お殿様と共にお江戸に上ったこと言われています。
菩提寺は、丸岡町、白道寺(浄土宗)で白道寺も九州から
お殿様と共に移り住んだと義理の父が申しておりました。
蘆塚家は歴代(忠衛門?)を名乗っていたそうです。
丸岡城略史等で詳細な事をご存知の方は情報をお願いします。
現在、義理の父は病と闘っております。


[4No.1109 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:49  

[1109] 初めまして。 投稿者:太郎の嫁 投稿日:2003/11/17(Mon) 10:54

初めまして!山形在住の新野と申します。旧姓は窪田でした。最近、父親から曽祖父や祖父の生きていた時代の写真を見せてもらい、127年前の写真が残っていたりして明治時代に、タイムトリップした感じになり・・・ルーツを調べたくなったりして、でも難しいですね~。多少は、家系図などがあり、そもそもは、馬場美濃守にぶちあたるという話ですが・・・今となってはほんまかいな~?甲斐の出であると言う話は聞いた事がありますが、家系図を読むと、窪田さん初代(私が住んでいる所の土地に来た時)は新潟から、お坊さんともう一人の方と三人で伴い、お坊さんが住み始めた場所の隣に、住んでいたらしいです。曽祖父の時代の話からだと詳しく話しは残っていて数年前まではその家も残っていたのですが、曽祖父が抜きん出て頭が良かったらしく医者になり生家を出て、市内に家を持ってしまい、その後婿取りで窪田家を存続しましたが、本家を相続した方は現在東京在住になり、初代?からの家は写真を残すだけになってしまいました。やはり、本格的に調べたいとなると除籍謄本などを取り寄せるしかないでしょうか?何かいい案などが、ございましたら教えて頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。


[3No.1108 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:48  

[1108] 羨ましいです! 投稿者:フェニックス 投稿日:2003/11/16(Sun) 16:43

こんにちは。
>『地中海都市の興亡 アンティオキア千年の歴史』(新潮選書)
私は図書館で時々借りてきます。
古代アンティオキアについての記述は豊富ですが、
ビザンチン帝国期の記述は、ほんの数ページしかないのが残念!

多分この本、絶版になっていると思うんですが、
100円で手に入ったのですか、羨ましい限りです。

「お宝.倉庫」・・・神奈川にも出来ないかなあ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5604/


[2No.1107 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:48  

[1107] この週末 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/15(Sat) 22:33

↑は、うちの坊主の誕生祝いのお返しは何にしようかなどと嫁さんと話ながら過ぎて
おります(^^;) 配って回るなら、軽いものが良いよねなんて(をい(^^;))
 昼間、市内にある「お宝.倉庫」という食玩やフィギュア・ゲーム・CD・DVD
・本などを扱うリサイクルショップに行ったら、『豊臣秀長のすべて』(新人物往来
社)・『地中海都市の興亡 アンティオキア千年の歴史』(新潮選書)がなんと100円で
売っていたのでGETしてきました(^^) おまけにそこで大学時代の友人にまであっ
たりして(子連れでした(^^;))。

>マハラジャさん
 ご無沙汰してます。すっかりNifの方もご無沙汰で(^^;) 読んではいるんですけどね。
そんな間に子持ちになってしまいました(^^;) 『静岡県姓氏家系大辞典』のフォロー
もありがとうございます。
 家系研究協議会の例会も一度は顔を出してみたいと思っているんですが、今年の夏
もばたばたしていて機会を逃してしまいまして、今度の冬には行ってみたいと思うん
ですが、まだ連れて出歩くというわけにもいかないので、行くとすれば嫁さんと坊主
は留守番してもらうことになりますが(^^;)

> ところで、来年の例会の講師を探しているのですが、学校が夏休み期間の7月末に
> ある夏の例会くらいで何か発表されませんか?旅費くらいは会の予算で出しますよ!
> 無理強いはしませんけれどネ。
 まだ例会に一度も出ていないものが講師というのも、大変申し訳ない話ですので、
ご勘弁下さい。その代わり冬には是非顔を出したいと思いますので。

>よーぜんさん
 お~、勝山館、行かれましたか。ご満足いただけたようで、紹介した私としてもう
れしいです。勝山館は2年前の春にNifの城郭フォーラムのオフで行ったきりですが、
また行きたいですね。夷王山には登られたと思いますが、あの上からの眺めが圧巻で
すね。
 機会がありましたら、ご紹介した他の城郭にも是非おいで下さい。道南以外では白
老の仙台藩シラオイ元陣屋、室蘭の南部藩モロラン陣屋、陸別のユクエピラチャシ、
釧路のモシリヤチャシ等がおすすめですが、そうそう行けるところではないですね。


[1やってもうた... 投稿者:KUBO 投稿日:2003/11/23(Sun) 02:44  

やってしまいました...
掲示板のスクリプトを入れ替えた時に、よく確かめないでやってしまったら、
現行ログが消えてしまいました(T_T)
申し訳ありませんm(__)m
ログはとってありますので、とりあえず、最近のログのみを再アップします。
過去ログも近日中にアップしたいと思います。