No.201~400(2001/02/06~2001/08/09)


[400] 南東北遠征報告第3弾 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/09(Thu) 22:13 

 今日は米沢のホテルからです。早いもので旅行のいよいよ残り一日となりました。
明日の今頃は自宅にたどり着いていることでしょう。さて今日は会津若松城・松平家
墓所(再)・藤倉館・米沢城・林泉寺と回って参りました。

【会津若松城】
 まず甲賀町口郭門跡・天寧寺土塁を見てからお城へ。県立博物館の駐車場の横に三
の丸の堀跡もありました。廊下橋を渡って天守の前へ。時間もまだかったので人も少
なく写真撮影もスムーズに行きました(^^) その後北出丸の周り・西出丸の周りとぐ
るっと回りまして、二の丸の門跡・土塁等も確認してきました。松平家墓所に行った
あとに阿弥陀寺の御三階も道端に車を止めさっと見てきました(^^;)
 結局、それらをあわせて170枚くらい写真を撮ってしまいました(をい(^^;))
【松平家墓所】
 今日は正規の入口から登っていったので一段下にあったので昨日見落とした、二代
正経公のお墓や正之公の子女等のお墓を確認できました。今日はちゃんとホールドし
たのでほとんどボケませんでした(^^;)
【藤倉館】
 昨日の夜さくらさんとお会いした時に教えていただいた河東町の藤倉館に寄りまし
たが、現在個人宅になっているとのことで不審人物と思われるのもイヤなので堀の写
真を撮っただけで退散してしまいました(^^;) 近くには重文の延命寺地蔵堂もありま
した。
【米沢城】
 十数年ぶりの再訪です。お堀があるのでお城だとわかりますが、やはり庭園のよう
な感じがしてしまいます(^^;) 隣にある上杉記念館もやっぱりきれいですね(^^) 会
津若松城や松本城のそうですが、橋の赤い欄干が印象的でついその辺で写真を撮って
しまいます(^^;) しかし、なんでこの周りに3つも鷹山公の銅像があるんですかね?
(以前来た時には一つだったような...)
【林泉寺】
 まだ時間があったので、上杉家の重臣等のお墓のある林泉寺に行きました。ここで
は直江兼続のお墓が有名ですけど、その他にも歴代藩主の夫人や分家の米沢新田藩主
の墓もありました。ガイドマップを見たら堂森善光寺に前田慶次の供養塔があるそう
ですが、もう6時近かったのでやめました(^^;)

 さて、明日は上山城と山形城ですね。(行く前に上杉家廟所に寄りたいけど...)

>濱野佐宗さん

> しかし、雨天の中での二本松や三春の山城攻めは大変じゃなかったですか?
> 特に三春城なんかは本丸へ登る道で雨に足を取られてたら大変なことに…。
 いえ、雨天ていうほどでもなかったんです。まあせいぜい小雨か霧雨程度で。三春
城に着いた頃はあまり降ってなかったので傘を持たないで登りましたし。二本松も上
まで車で行って本丸を見てから、下の箕輪門などを見たので大丈夫でした(^^)

> でも、これならもう胸を張って山城中級者と言えるのでは(^^)
 全然ですってば(^^;) 鴫山城は下の大門や上千畳・下千畳の所を見たあと上に登り
かけたんですが、道は急だし汗はだらだら出てくるので途中でやめて降りて来ちゃい
ましたし、岩崎城も本丸・二の丸などの看板のある所まで車で行きましたから、たい
して歩いてません。汗は全然止まりませんでしたけど。おかげでやせるかも(をい(^^;))

【おまけ】
 会津若松と米沢でつい本を買ってしまいました(^^;) 歴春ブックレットの『保科正
之と土津神社』『鶴ヶ城を歩く』『会津若松史跡巡り』『喜多方史跡巡り』『会津の
城』、『手作り会津史』『みちのく歴史物語』『米沢藩祖 上杉謙信』『上杉鷹山』、
鶴ヶ城と御薬園のパンフレット...
 何か、ここでしか買えないと思うとつい...(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[399] Re[398]: 南東北遠征報告第2弾 投稿者:濱野佐宗 投稿日:2001/08/08(Wed) 21:46 

KUBOさん、ご無沙汰しております。
掲示板の書き込みを見て、早速飛んで参りました。

昨日は雨にもかかわらず仙道の主要な城を7つも攻略したんですね。
しかし、雨天の中での二本松や三春の山城攻めは大変じゃなかったですか?
特に三春城なんかは本丸へ登る道で雨に足を取られてたら大変なことに…。
そういえば、今日の会津攻めも鴫山城や岩崎城といった山城が多い様子。
この時期は鴫山城も岩崎城も草が多い茂っているので大変そうでしたね。
でも、これならもう胸を張って山城中級者と言えるのでは(^^)

>筈衛さん
はじめまして、濱野佐宗と申します。

>>【福島城】
>また、何でも阿武隈川の水を取り汲んでいたところの石垣は本物だそうです。

 やはり県庁裏の川岸の石垣は本物なのですか?
以前県庁裏の川岸を歩いていた時、一部だけやけに古い石垣を見つけたので気になっていましたが、
『城郭大系』を始めとする幾つかの資料には土塁の遺構しか載っていなかったため、
てっきり明治の頃の河川工事の時の遺物かと思っておりました。

それでは、失礼します。

http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/


[398] 南東北遠征報告第2弾 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/08(Wed) 19:23 

さて、今日は会津若松のホテルからです。今日は鴫山城・岩崎城・猪苗代城・神指城
&松平家墓所と回ってきました。昨日から一転してとっても良い天気でした(^^) や
っぱり雨男は筈衛さんだったのか...(をい(^^;))

【鴫山城】
 悩んだ末、結局白河小峰城の御三階櫓に登城するのは断念しまして、早めにホテル
を出て田島町へ向かいました。鴫山城に着いたのが9時半過ぎ、鴫山城跡の標識に従
って進むと鳥居がありその奥が城址です。真っ正面にまず見える大門跡の石垣とその
手前の堀跡がとても良いです。その上の嗽清水場から左の方に行くと見える塁壁と土
塁も良いですが、草が伸びていて写真には良く写りませんでした(^^;)
【岩崎城】
 芦名盛氏の隠居城ですが、そうとは思えないほど堅固な造りです。本丸へと登って
いく道の左右には竪堀・堀切がたくさんありました。二の丸周辺も探せばありそうで
すが、暑いし草藪なのであまり入りませんでした(軟弱モード(^^;))
【猪苗代城】
 ここもすばらしかったです。正面の枡形虎口の石垣や各所の門跡の石垣ももちろん
いいですが、各郭を囲む空堀の深いこと土塁の高いこと、その規模にはびっくりです。
ホント感激(^^)
【神指城】
 上杉景勝の居城になり損なったお城ですが、私の持っている地図には載っているし
それらしい場所もありましたが、全く標識・説明板のたぐいを発見できませんでした。
内部は個人の畑になっていましたが、それを囲む土塁は健在でした。なかなか立派な
土塁でした。
【松平家墓所】
 会津若松城を回るほどの時間はなかったので松平家墓所に行きました。でもなぜか
撮ったお墓の写真がピンぼけ(*_*) ちゃんとお参りしてから撮ったのに... もう夕方
で暗かったからかなあ? 祟りじゃなくって、単に私の写真を撮る腕が悪いんだと思い
ます...(^^;)

>筈衛さん
 昨日は本当にありがとうございました。やっぱり一人で回るより誰かと一緒の方が
楽しいですね(^^) 今度は北海道にも来てくださいね~

>  が、助かりましたm(_ _)m >わたしゃ、三春から白河では横で寝てし
> まいましたし・・・・(゚゚ )バキッ☆\(--#)
 気持ちよさそうにしていたもんで、つい声を掛けたくなってしまいました(^^;)

>  最終的には昭和46年竣工の県庁西庁舎を造る際に福島城の内堀等最後
> まで残されていた窪地も埋められなくなったようです。
 30年くらい前まではもう少し遺構が残っていたんですね。まあ県都の中心部ですか
ら仕方ないですが、寂しいですね(^^;)

> 今度は東白川郡のお城もいっしょに・・・・・(^^)
 今度いつ来るかわかりませんが、またご一緒したいですね(^^)

 さあ、明日は会津若松城をたっぷりと堪能してきます(^^)

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[397] Re[396]:RE: 南東北遠征報告第1弾 投稿者:HAZU 投稿日:2001/08/07(Tue) 23:52 

KUBO さま(^^;

>> 現在、白河のホテルよりアクセスしております。昨日の夜福島に着
>>きまして、今日はniftyでのお友だち筈衛さんと一緒に福島県の中通
>>りのお城を訪城して参りました。

 今日はお疲れさまでした(^^;
 車の運転をすべて任せて申し訳ありませんでした(^^;)
 が、助かりましたm(_ _)m >わたしゃ、三春から白河では横で寝てし
まいましたし・・・・(゚゚ )バキッ☆\(--#)

>>【福島城】

 KUBOさんのおっしゃるようにほとんど面影がありません。
 なんでも明治14年4月の福島の大火から、復興させるため、三島通庸
が指揮をし、町を整える時に郭内にも道路をどんどん造ったそうです。
 最終的には昭和46年竣工の県庁西庁舎を造る際に福島城の内堀等最後
まで残されていた窪地も埋められなくなったようです。

 また、何でも阿武隈川の水を取り汲んでいたところの石垣は本物だそ
うです。

>> 【白河小峰城】
>> でも天守を外から眺め、そのあと外側から石垣を眺めながらぐるっ
>>とお堀の外を歩きましたが、すばらしいですね。何度も来てみたくな
>>ってしまう所です。

 何度でも来てください(^^;)
 今度は東白川郡のお城もいっしょに・・・・・(^^)
 そのまま、茨城へと言う手もありますよ(^^;

>> 雨男じゃなかったはずなんですが、今日は雨に祟られた一日でした(T_T)

 あとのご予定が雨にたたられることのないようお祈りします(^^;

                 筈衛from fukushima city


[396] 南東北遠征報告第1弾 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/07(Tue) 21:56 

>みなさま
 現在、白河のホテルよりアクセスしております。昨日の夜福島に着きまして、今日
はniftyでのお友だち筈衛さんと一緒に福島県の中通りのお城を訪城して参りました。
【福島城】
 というよりほとんど福島県庁といった感じで、遺構らしい遺構というと県庁の裏の
方にある長さ十数mの土塁くらいで、あとすぐ近くの板倉神社がかつての雰囲気を若
干残しているくらいです。実は福島のホテルは県庁のすぐ近くだったんですが、着く
まで全く気がついていませんでした(^^;)
【大森城】
 伊達成実・片倉景綱という伊達政宗の両翼が居城としたところですが、現在は城山
公園として古城の雰囲気を残しています。といっても小雨が降る中でしたので、本丸
付近を探索しただけで遺構としては本丸手前の空堀くらいしか発見できませんでした。
 【二本松城】
 まずは山頂の本丸へ。天守台や櫓台などの石垣を中心に搦手門跡、大石垣などを堪
能しました(^^;) ついで下におり、箕輪門や三の丸付近の石垣を鑑賞、もう少し歩け
ば、松森館跡・本宮館跡などの郭跡もあったようですが、雨のため根性無しモードの
私はそれで退散しました(^^;) でも、本丸跡にしろ箕輪門付近の遺構にしろ見事なも
のでした。満足、満足(^^)
 【小浜城】
 小浜小学校の裏の坂道を上っていくと石垣らしきもの発見!そこが小浜城(下館城)
でした。郭跡はきれいに残り、公園になっていますが、遺構らしきものはあの石垣だ
けでした。すぐ近くで「宮森城跡」の看板も見えましたが、先が長いのでスルーしま
した(^^;)
 【三春城】
 さすがに明治まで秋田氏の居城として存続しただけあって、あちこちに門跡・御三
階跡・大広間跡などの標柱があり、往時を偲ばせますが、見所は二之門跡近くの竪堀
くらいでしょうか?古城らしい雰囲気は漂っているところです。
 【白河小峰城】
 今日のメインディッシュですが、午後3時を過ぎると天守(御三階櫓)には入れない
よと筈衛さんに言われていたのにもかかわらず、それまでに時間がかかりすぎて、着
いたのは4時頃、当然中には入れませんでした(T_T) でもなあ、いくら平日だからっ
て3時に閉まるというのはどうなんですかねえ?
 明日開くのは10時だっていうし、どうしようか悩んでいるところです(^^;)
 でも天守を外から眺め、そのあと外側から石垣を眺めながらぐるっとお堀の外を歩
きましたが、すばらしいですね。何度も来てみたくなってしまう所です。
【白川城】
 本日最後の訪城は白川結城氏の本拠・白川城です。「白川城跡」の看板で道を曲が
ると狭い砂利道が続いているのですが、そちらに入ったら途中で逆に向かって来る車
に遭遇... しかたなく元の道までバックで戻りました(T_T)
 なんとか白川城跡の石柱の所までたどり着くと階段の上が本丸跡です。結構広いで
すが、雨がまだこのころも降っていましたので、いろいろと歩き回るのはあきらめて
土塁・空堀らしきものを写真に収めただけで退散してきました。

 雨男じゃなかったはずなんですが、今日は雨に祟られた一日でした(T_T)

>けむしさん

> KUBOさんの会津に来られるそうですが、残念ながらその期間は不在でして迎撃出来
> ません。1月には是非こちらにお越しくださいませ泣く子も黙る我ら常陸勢が迎撃
> いたします。
 今日はたまたまお休みの筈衛さんに案内していただくことができました(^^) 山城初心者・藪こぎ初心者の私ですんで、そちらに伺う時にはどうぞお手柔らかに(^^;)

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[395] Re[394]: レス、レス~ 投稿者:けむし 投稿日:2001/08/01(Wed) 23:54 

KUBOさん こんばんは

>  このシンポジウムは一昨年が私の地元の石狩でしたので初めて参加しましたが、

水運に興味がありましたし那珂湊出身、水戸在住の私にはも~たまりませんでした。一緒に参加した清兵衛さんとガンガンもりあがりました。
そして茨城城郭会HP繋がりで春に行ないました城郭祭に来られた友人にも主催者サイドで出席されてまして再会を喜びました。

>  ところで、ひづめさんにもお話ししましたが、私、毎年冬休みには神保町古書店巡

KUBOさんの会津に来られるそうですが、残念ながらその期間は不在でして迎撃出来ません。1月には是非こちらにお越しくださいませ泣く子も黙る我ら常陸勢が迎撃いたします。

けむし@茨城城郭会


[394] レス、レス~ 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/01(Wed) 13:10 

さあてそれじゃあみなさんへのレスです。

>けむしさん
 このシンポジウムは一昨年が私の地元の石狩でしたので初めて参加しましたが、去
年は石巻、今年はまた北海道に戻ってくるのかなと思ったら水戸でしたので、参加を
断念しました(^^;)
 ところで、ひづめさんにもお話ししましたが、私、毎年冬休みには神保町古書店巡
りとセットで関東遠征をしているんですが、あと関東で足を踏み入れていないのが茨
城県と千葉県になります。来年の1月にはまた関東に行こうと思っていますので、そ
の時には是非茨城県のすばらしいお城を教えてください(^^)

>ひづめさん

> それにしてもKUBOさんは天気男ですね。
 あはは...(^^;) でもホント今回はお城巡りしている時はほとんど雨に当たりませ
んでしたね。お別れした後の豪雨も覃部館に着いた時にはだいたいやんでたし、傘と
かカッパも用意したんですが、ほとんど使わずじまいでした。

> 矢不来館は道に詳しい人でなければなかなかあそこまでは入って行けませんね。農
> 道が通っているのが分かったので、次回からはなんとか自力で行けそうです。それ
> にしても三重の空堀はすばらしかった。
 ホントすばらしかったですねえ。また道南のお気に入りの城が一つ増えてしまいま
した(^^)

> 矢不来台場も案内板を読んだだけではあそこまですばらしい遺構が残っているなん
> て思いもしないですよね。砲座や弾薬庫、郭の枡形虎口など杉林に埋もれつつもは
> っきりと確認できましたね。
 あんなにいろいろと遺構が残っているなんて思いもしませんでした。あそこもおす
すめできる場所ですね。

> そして、茂別館の小館北東側のハリネズミ状の見張り台のような郭。
 藪こぎ初心者の私としましては、なかなかハードでした(^^;) でもあれじゃあ全然
遺構がどうなっているのかわかりませんね(^^;) やっぱり春か秋に再訪かなあ?

> 今年は短期間に二度もオフをごいっしょできて楽しかったです。内容もよかったで
> すよね。また来年、必ず来れるという保証はないですがまたお会いした時にはよろ
> しく。茨城へ来る機会がありましたら、茨城城郭会へも連絡して下さい。お待ちし
> てます。
 ここ数年毎年1月には関東に行っていたんですが、来年は九州に行こうかなとも思
っていたんですよ。でも、やはり関東を制覇(?)してからにしようと思います(^^;)
(制覇ったって各都県で2~4城くらいしか行ってませんが(^^;))

>なおさん
 何とか自宅にたどり着きました... 疲れた~(*_*)

> しかし、私は、奈良の東大寺の絵葉書で、丁寧に手書きで
> 心を込めて書いて送りましたよ~~~~~~!!! (^^ゞふふふ
 私も勝山館の空堀の写真をバックにお礼の言葉を入れたんですけど、やっぱ手書き
にゃあかなわないですね(^^;)

> そうそう、尼子さんから伝言伺いました。はは・・・
 そりゃあどうも(^^;) 関西方面も行きたいところですが、なかなかそちらまでは手
が回りません。奈良に行くのはいつになることやら...(高校の修学旅行以来行ってな
い...)

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[393] 道南報告第2弾(2) 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/01(Wed) 13:10 

続きです。菊池さんとお別れしたあとひづめさんご夫妻と木古内の中野館・知内の脇本館に行きました。この両者ははっきりと場所がわかっていませんが、いくつか想定地があるので、そこに行ってみました。
 中野館は営林署の向かいの台地、中野神社の二つの想定地がありますが、営林署の向かいに行ってみました。ここは台地を区切るような堀切らしきものがあり、いかにも館があったと思わせる場所です。中野神社の方はかなり河口から離れているので、どうも可能性は低そうですので行きませんでした。
 それから脇本館ですが、ここもはっきりしておらず、取りあえず漁港の裏の断崖の上と涌元小学校の裏の高台がそうらしいといわれていますが、こちらは登るわけにもいかず遠景で写真を撮っただけでした。
 ここでひづめさんご夫妻とはお別れし松前へと向かいましたが、丁度お別れしたあと天の底が抜けたような豪雨に遭いましたが、松前に着いた頃にはもう上がっていまして、今回雨には若干当たられたもののついてるなという感じでした(^^)
 松前小学校のある付近に覃部館があるというので、こちらにも寄りました。覃部館も想定地が松前小学校の下の台地と川を挟んで反対側の七面山の下の台地の二つあり、どちらも遠景から写真を撮りました。
 そのあと時間があったので大館の井戸跡を前回のオフの時に確認し忘れたので大館跡に行ってみましたが、雨の後でしたので前回枯れていた徳山大神宮前の小川には水が流れていますし、草も濡れていてドロドロになりそうでしたのであきらめました(^^;)
 やっと2日目終了(^^;)

 さあ最後の三日目(31日)ですが、今回の旅行の目的の一つに松前町の町史編集室に行って松前藩士の「藩士履歴書」を探索するというのがありましたので、早速行ってみました。お話を聞くとコピーはできないということなのでひたすら手書きでノートにメモ... めぼしいところをメモするのに4時間ぐらいかかりまして、昼食も撮らずにやっていたんですが、1時半くらいまでかかってしまいました(^^;)
 その後残りの道南十二館、祢保田館・原口館を北上しながら探しました。祢保田館は松前町館浜の集落の手前にあったそうですが、今では牧草地になっているようで、たぶんこの辺なんだろうなというところの写真を撮ってきただけでした。
 原口館は原口の集落の北のはずれの道路脇に看板と標柱が立っていました。ただここの発掘から出た空堀は中世のものではなく古代のものだそうで、ここが原口館だったのかどうかというのはまだはっきりしていないようです。
 そのあと上ノ国に行き、今回も前回もお世話になった松田先生にご挨拶に行き1時間くらいしゃべってしまいました(^^;) 松田先生とお別れした時点ですでに4時半でしたので、こりゃあ家につくのは夜中だなと思いましたが、長万部で晩飯食べたのが7時頃、自宅にたどり着いたのが11時半近くでした(^^;)
 疲れましたが、多くの収穫があった旅でした(^^) 今回の旅行では上磯を案内してくださった菊池さんはもちろんのこと、ひづめさんご夫妻にとてもお世話になりました。でもやっぱり一人でお城巡りするより複数で回る方が楽しいですね(^^)
 ひづめさん、ありがとうございました。奥さんにもよろしくお伝え下さい(^^)

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[392] 道南報告第2弾(1) 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/01(Wed) 13:10 

>みなさん
 きのうは家に着いたのが遅くて、疲れもたまっていたせいか、10時過ぎまで寝てし
まいました(^^;)
 初日(29日)については書きましたので、2日目(30日)から報告します。

 朝起きた時にはまだ雨が降っていなかったので大丈夫かなと思ったんですが、朝食
の頃にはざあっと降ったのでこれはダメかなと思ったら、ひづめさんから取りあえず
決行!という連絡が入ったので待ち合わせ場所の上磯町役場へ向かいました。そして、
案内人の菊池さんとひづめさんご夫妻、そしてわたしの4人でまずは矢不来館へと向
かいました。
【矢不来館】
 裏側の農道の方から入り、途中で車を止め歩いていくと畑がありましたが、その辺
からは墳墓が出土したとのことで、裏側に墳墓があるというのは上ノ国の勝山館と同
じ形態だなと思いました。そして杉林に入っていきしばらくすると土塁があり、その
内側に第一の堀が... これが結構深いんです。4~5mはありそうです。ほぼまっす
ぐな堀でその中央に土橋があり、その脇に「矢不来館」の標柱も立っていました。
 土橋から中にはいると第二・第三の堀がセットのように並んでいました。この第二
・第三の堀は伊達市にある館山チャシの堀と雰囲気が似ていました。丁度堀の草も刈
られていたようでとても見えやすかったです。その内側の曲輪内は草藪で先端の方に
は進めませんでしたが、かなり広いものです。この矢不来館は茂別館の支城といわれ
てますけど、茂別館に匹敵する大きさがあるかもしれません。土橋の前の虎口から入
った左側の方一段高くなっているところがあって低い土塁で仕切られているところが
ありましたが、ここからはかなり遺物が出土したそうで、勝山館でいえば客殿のよう
な建物があったのかもしれません。
 とにかく矢不来館はすばらしかったです。一つ失敗だったのがひづめさんのように
堀の底まで降りて写真を撮れば良かったなあということ(^^;) まあ次のチャンスもあ
るでしょう。
【矢不来台場】
 次に矢不来台場です。ここは丁度矢不来館の手前の海側に位置しますが、表の説明
板のある方からではなく裏側から近づきましたが、台場跡が第一・第二と二つあるん
です。この堀や土塁も見事なものでした。ひづめさんも書いてますけど、第二台場の
砲座・第一台場の枡形虎口(四稜郭の枡形虎口に似てますが土塁はもっと低いです)、
そして火薬庫跡の土塁(これは戸切地陣屋の火薬庫に似ているかも)がすばらしい。今
までは手前の砲座等がある部分だけを台場跡と考えていたそうですが、その奥の方に
も火薬庫跡などが見つかり、もっと広い面でとらえなくては行けないんじゃないかと
いう菊池さんのお話でした。
 今、矢不来台場と矢不来館の間に江差までの自動車道を通すという計画があり手前
まで工事が進んできているとのことで、これからどうなるかがちょっと心配です。貴
重な史跡として保存してほしいものですが...
【茂別館】
 次は茂別館ですが、今までは大館と小館しか意識されていませんでしたが、落合さ
んと高知大学の市村高男先生が何年もかけて歩いたそうで、大館・小館以外にも周辺
にたくさんの遺構が残っていることがわかったそうです。今回はそのうち小館の裏の
方にある曲輪に行ってみました。ここは複雑に堀が掘られ、周囲も見通せることから
防御の上で重要な場所だったようです。
 大館と小館の間を左の方に入っていきましたが、藪、藪、藪... 途中に倒木もあっ
て藪初心者の私としましては参りました。何とか到達した目的地の上に立って土塁の
写真を撮ってみましたが、ただの草藪の写真にしかなりませんでした(^^;) そのあと
上磯の奥にある盤の沢を案内していただいたり、富川塁まで突入していただいたり、
今回は本当に菊池さんにお世話になりました(^^)
 長くなったので一度切ります。

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[391] ね、ねむい... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/31(Tue) 23:43 

>みなさま
 つい先ほど自宅にたどり着きました。とにかく事故もなく3日間の旅行を終えるこ
とができましたが、眠いです(+_+)
 詳しくは、明日報告しますが、矢不来館・矢不来台場が良かったです(^^) それでは。

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[390] Re[389]:RE: 矢不来館、すばらしかったです! 投稿者:なお 投稿日:2001/07/31(Tue) 22:59 

ひづめさん、お帰りなさいませ~。
KUBOさんはまだかしら~。

三重の空堀やら、砲座や弾薬庫、郭の枡形虎口やら
ずいぶん楽しまれてこられたんですね。
また、HPにアップされるのを楽しみにしております。

ひづめさん、松田先生へのご伝言有難うございました。(^_^;)ふふ
驚かれていませんでしたか~

KUBOさん
>私もお礼状送ったけど御返事いただけませんでした(^^;)
>やっぱ手書きじゃなきゃダメか。(不精してパソコンでプリントしたもんで)

私の場合は、自分のサイトに先生のことを少し書かせてもらいましたので
その了解を得るお返事も兼ねておりましたので…。だからお気になさらず。
しかし、私は、奈良の東大寺の絵葉書で、丁寧に手書きで
心を込めて書いて送りましたよ~~~~~~!!! (^^ゞふふふ

そうそう、尼子さんから伝言伺いました。はは・・・


[389] 矢不来館、すばらしかったです! 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/07/31(Tue) 17:53 

KUBOさん、昨日はお疲れさまでした。松前ではゆっくりお休みになれましたか。今夜、札幌へ着くのは何時になるのでしょう。

昨日知内でお別れした後すぐホクレンでガソリンを入れたら、軽油を入れられてしまいまして、入れ替えに1時間程かかってしまいました。おかげで落合さんのお宅へカメラを取りにいくのが遅くなってしまいました。お宅でまた少しお話をして帰りました。カメラを車に置き忘れてラッキーだったかも。

それにしてもKUBOさんは天気男ですね。昨日は晴れこそしませんでしたが、降水確率60パーセントを吹き飛ばしてなんとか曇りのままにしておいてくれたのですから、たいしたものです。おかげでほんとうにすばらしいお城めぐりになったと思います。

矢不来館は道に詳しい人でなければなかなかあそこまでは入って行けませんね。農道が通っているのが分かったので、次回からはなんとか自力で行けそうです。それにしても三重の空堀はすばらしかった。

矢不来台場も案内板を読んだだけではあそこまですばらしい遺構が残っているなんて思いもしないですよね。砲座や弾薬庫、郭の枡形虎口など杉林に埋もれつつもはっきりと確認できましたね。

そして、茂別館の小館北東側のハリネズミ状の見張り台のような郭。久々にかなりの薮漕ぎをしました。ここも雑草がものすごくて、写した写真も到達記念の証拠写真にはなりそうもありませんね。

富川塁もあんなすごい土塁が残っているとは思っていませんでした。先日わたしが一人で行った時に見たものは違っていたようです。

今年は短期間に二度もオフをごいっしょできて楽しかったです。内容もよかったですよね。また来年、必ず来れるという保証はないですがまたお会いした時にはよろしく。茨城へ来る機会がありましたら、茨城城郭会へも連絡して下さい。お待ちしてます。

ひづめ@函館お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[388] 水戸・那珂湊シンポ帰還報告 投稿者:けむし 投稿日:2001/07/30(Mon) 21:35 

KUBOさん こんばんは

ニュースのページに情報頂いた「水戸・那珂湊シンポジウム」より帰還いたしました。
日曜日だけ出席でしたが自分にとってとても有意義なものとなりました。
情報を頂いたKUBOさんに感謝。

けむし@茨城城郭会


[387] From HAKODATE 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/29(Sun) 23:02 

>みなさま
 今日は函館のホテルからです。無事到着しました。朝7時半に自宅を出まして、途
中休憩しながらゆっくり来たら、函館に着いたのが午後2時過ぎ(^^;) やっぱり函館
は遠いです(^^;)
 今日の収穫:(1)森町・鷲ノ木榎本武揚上陸の地、(2)権現台場、(3)湯倉神社チャシ、
(4)トラピスチヌ修道院、(5)亀尾神社チャシ、(6)汐泊チャシ、(7)与倉前館、(8)弥
右衛門川館、(9)根崎台場、(10)宇須岸館、(11)元町周辺の建物群(旧函館区公会堂など)
(12)弁天台場
一部観光名所も含みますが、ほとんどが人が来ない(というより知らない(^^;))とこ
ろばかりで、遺構らしいものもあまりありませんでした。(4)と(11)を除けば、権現
台場の土塁くらいであとは看板などがあればいい方で、場所を確認しただけというも
のもあります。夜はひづめさん&奥さんと、楽しくおしゃべりしました(^^)
 今回の旅行の第一の目的である矢不来館ですが、どうやら明日の天気は悪そうで、
降水確率60%とのこと... 予報がはずれることを祈願します(^^;)

 明日泊まる松前ではたぶんアクセスできないと思うので、あとは自宅に戻ってから
報告しますね。それでは。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[386] 明日、出発します 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/28(Sat) 18:50 

明日は朝のうちに出発して函館に泊まりますので、昨日ははじめて不在者投票なるも
のをしてきました。本番の投票と違い面倒なものですね。当日開票するため、投票用
紙を二重の袋に封印したり、立会人に印鑑を押してもらった上で投票箱に入れるなど
するんですね。ちょっと変わった体験をしました(^^;)
 また、昨日は札幌に行きがてら史跡巡りもしました。とはいっても行ったのは清華
亭に旧北海道庁本庁舎(いわゆる「赤レンガ」庁舎)に旧札幌農学校演武場(いわゆる
時計台)で、観光客が行くような所ばかり(^^;) いやあ、赤レンガ庁舎に時計台なん
て前は何度も通ったことありますけど中に入ったのははじめてでした(をい(^^;))

>しおじいさん
 ご希望通り、378削除しました。

> 増毛の元陣屋、安政3年の蝦夷地警備に小生の祖先が秋田・佐竹藩から派遣されています。
 おや秋田藩士の御血筋ですか。どおりで秋田藩関係にお詳しいはずですねえ。幕末
には秋田藩はじめ仙台藩・南部(盛岡)藩・会津藩・荘内藩・津軽藩と東北の主な大藩
は蝦夷地警衛にきてましたからね。

> …ご存知と思いますが遠軽町のがんぼう岩、高さ85mの巨大な岩で先住民族が住んだ
> といわれる洞窟があり、頂上は見張り台、祭事の場といわれ、麓では戦があったと
> のことです。麓で土器片をよく拾ったものです。6年生まで遠軽で育ちました。
 ご存知ないです(^^;) 道央生まれなもので道東には疎くって...(^^;) あちらのオ
ホーツク海に近い方にはまだ行った事無いんですよね。一度行ってみたいとは思って
いるんですが...

>なおさん
 ご無沙汰してます(^^)

> 松田先生に、先日のお礼の葉書を出しましたところ、
> ご丁寧にお返事を頂戴致しました。
 あ、やっぱり女性には優しいなあ。私もお礼状送ったけど御返事いただけませんで
した(^^;) やっぱ手書きじゃなきゃダメか。(不精してパソコンでプリントしたもんで)

 そちらは暑いでしょうね。こっちは暑い事は暑いですが、数年前の窓を開けても風
も入らないというどうしようもない暑さに比べると過ごしやすいです。

>さくらさん
 リンクしていただきありがとうございます(^^) 今後ともよろしくお願いします。
来月はそちらの領土に進攻しますが、どうぞご容赦を(^^;)

> 函館に行ったときは宮城から車で日帰りだったので、四稜郭も松前城も見られず、
> 静内ではシャクシャイン像を見ていながらチャシというものを知らず、今考えると
> えらい勿体ないことをしていました。
 函館に行ったのでしたら、五稜郭はおいといて、是非志苔館にいって欲しいですね。
四稜郭はお城のミニチュアみたいなもんです。土塁はとってもきれいですけど。
 実は私もはじめて静内に行った時には似たようなものでした(^^;) シベチャリチャ
シの曲輪内にある展望台にまで登ったはずなのに、あとからあそこがチャシといわれ
ても堀の事はよく覚えていませんでした(^^;) まあでも、あそこは公園化されてしま
っているのであまりチャシという感じがしません。それでしたら同じ静内で公園にな
ってますけど、御殿山公園内のメナチャシの方が個人的には好きです(^^)

>ひづめさん
 明後日はよろしくお願いします。明日そちらに向かいますが、少し早めに出て宇須
岸館跡などを探索しようかなと思っています。どうやら天気も良さそうですね。

 ということで、明日から不在になりますのでよろしくお願いします。>みなさま
明日は函館のホテルからアクセスできると思いますが、明後日は松前ですのでたぶん
無理だと思います。(H"でネットにつないでいるもんで)

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[385] Re[383][381]:RE: 7月30日に矢不来館に行きます 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/07/28(Sat) 09:22 

なおさん、こんにちは。

 まだ函館にいるひづめです。

> m(__)m 矢不来館見学、楽しんでいらして下さいませ。

 松田先生にお願いしたところ、すばらしい案内役を紹介していただけました。

>松田先生に、先日のお礼の葉書を出しましたところ、
> ご丁寧にお返事を頂戴致しました。
> どうか、奈良のなおが恐縮していたと、宜しくお伝え下さいませ。

 当日は松田先生はお見えにならないのですが、昨日、新婚の奥様といっしょに用事で函館にいらっしゃったのでお会いしました。なおさんのコメントをお伝えしておきましたよ。

ひづめ@函館お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[384] リンクしました。 投稿者:さくら 投稿日:2001/07/27(Fri) 10:00 

メールありがとうございます。
KUBOさんの気の変わらないうちに、早速リンクを張らせていただきました。
今後ともよろしくお願いします。

メールに書き漏らしてしまったのですが、わたしも非常にチャシに興味があります。
函館に行ったときは宮城から車で日帰りだったので、四稜郭も松前城も見られず、
静内ではシャクシャイン像を見ていながらチャシというものを知らず、今考えるとえらい勿体ないことをしていました。

毎年地図を眺めながら、バイクでのチャシ巡りを夢見ています。


[383] Re[381]:RE: 7月30日に矢不来館に行きます 投稿者:なお 投稿日:2001/07/27(Fri) 06:39 

KUBOさん、ご無沙汰しております。なおです。
函館では大変お世話になりました。

>みなさま、いきなり表題の件ですが、先月の道南オフの際にお世話になった松田先生
>のご紹介で、7月30日に上磯の郷土史家である落合さんに矢不来館を案内していただ
>くことになりました。

いいなぁ~。いいなぁ~。
しかし、私は行けませんです。ハイ。無念なり~。

松田先生に、先日のお礼の葉書を出しましたところ、
ご丁寧にお返事を頂戴致しました。
どうか、奈良のなおが恐縮していたと、宜しくお伝え下さいませ。
m(__)m 矢不来館見学、楽しんでいらして下さいませ。

ひづめさんにも、宜しくお伝え下さいませ~~
ではでは。


[382] 378削除ねがいます 投稿者:しおじい 投稿日:2001/07/26(Thu) 17:36 

KUBOさん、お手数ですがよろしくお願い致します.
チャシや館のこと、羨ましく拝見。増毛の元陣屋、安政3年の蝦夷地警備に小生の祖先が秋田・佐竹藩から派遣されています。シャコタンまわりの海路、恵庭まわりの陸路で増毛まで行ってみたいと考えています。……ご存知と思いますが遠軽町のがんぼう岩、高さ85mの巨大な岩で先住民族が住んだといわれる洞窟があり、頂上は見張り台、祭事の場といわれ、麓では戦があったとのことです。麓で土器片をよく拾ったものです。6年生まで遠軽で育ちました。皆さんの掲示板をなつかしく拝見しています.  from しおじい


[381] 7月30日に矢不来館に行きます 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/25(Wed) 21:48 

みなさま、いきなり表題の件ですが、先月の道南オフの際にお世話になった松田先生
のご紹介で、7月30日に上磯の郷土史家である落合さんに矢不来館を案内していただ
くことになりました。
一応、今のところ、私とひづめさんの二人で案内していただくことになっていますが、
人数はまだよろしいそうですので、もしご都合が付く方はご連絡下さい。(まあ、月
曜日ですのでなかなか都合の付く方はいないと思いますが...)

矢不来館は、舌状台地の先端を三本の堀切で区切っているのが特徴ですが、かなり藪
が深いそうですので、それなりにお覚悟下さい(^^;)

>しおじいさん
 きっと何かの操作ミスでしょうけど、お気になさらずに(^^;) もし気になるのでし
たらこちらで削除することもできますがどうします?

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[380] さてと... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/24(Tue) 21:02 

1学期も終わり一段落です。夏休み中に一度くらいお城巡りに行きたいと思っており
ますが、今度はどこにしようかなと思案中です。はじめは、まだ行っていない道北の
チャシ巡りをしようかなとも思いましたが、夏場ではきっとよくわからないだろうと
思い、やはり本州へ遠征しようかなとも思い始めております
 あと先日佐藤賢一氏の『双頭の鷲』の話をしましたが、同氏の直木賞受賞作『王妃
の離婚』を読みました。氏の作品を読むのは三作目ですが、いいです(^^) 一気に読
んでしまいました。確か『傭兵ピエール』もどこかに埋もれているはずですので発掘
せねば...

>梅山さん
 わざわざおいでいただきありがとうございました。学期末でちょっと御返事が遅れ
てしまいました。
 系図のご指摘いただいた部分についてはすべて直しました。『蒙古世系』の書誌は、
後ほど載せておきます。

> モンゴルと清朝の伝える系譜には微妙なずれがあり、
> 単純につなぎ合わせるだけでは復元ができない場合があるので、
> ご注意ください。

 おっしゃる通り森川氏の論文に載っていたものと梅山さんに教えていただいた『蒙
古世系』の系図をつなぎ合わせたものです。モンゴルに関しては通り一遍の知識しか
ありませんので、お気付きの点がありましたらいろいろとおっしゃっていただけると
助かります。ありがとうございました。

>と~もさん
 赤松満祐の院号の話は以前もおっしゃってましたが、確かに死後にまで忌避すると
いうのは聞いたことないですね。生前であれば、大伴氏が伴氏になったなどいくらで
も例はありそうですけど...

>秋山如雪さん
 月形と当別、行かれましたか。どちらもなかなか良いでしょ(^^) 私も好きなとこ
ろです。ちなみに伊達記念館のすぐ隣にあるのがいまの伊達さんのお宅だそうです
(以前、記念館の方に教えていただいたんですが)が、全く普通の家でしたね(^^;) 戦
前は男爵家だったんですけど。
 私はかえって札幌市内の史跡に余り行ってないので、最近は札幌市内の史跡巡りを
してみようかななんてことも考えています。(考えてみれば旧道庁赤レンガ庁舎とか
時計台も前しか通ったことがない...(^^;))

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[379] びっくりしました 投稿者:しおじい 投稿日:2001/07/24(Tue) 17:56 

№378ですが,投稿した覚えがないのですが……。それとも小生の操作ミスか……。秋山さんはじめ、ご覧のみなさんに申し訳なく,お詫びいたします。fromしおじい


[377] 行って来ました! 投稿者:秋山如雪 投稿日:2001/07/24(Tue) 02:36 

実はここの史跡のコーナーにも載せていらっしゃいますが
月形の刑務所跡と当別の伊達記念館に行って来ました。
本当はもっと前に行く予定だったのですが、何しろ私は
車を持っていないので、列車で行くとなると、こりゃ
もうものすごいタイムロスなんですね。
それほどの田舎らしいので。
で、結局友人の車で何とか1時間くらいで行けました。
やっぱり札幌を出ると、北海道らしいのんびりした
景色が広がりますね。
いつもせかせかしている都会の札幌から離れたことに
よって、色々考えさせられました。
車で行くと途中に何度も温泉があって、友人が入りたい
と言ってましたが、タオルの用意すらしていない行き当たり
ばったりな小旅行だったので、結局断念。
でも、月形も当別もいいところですね。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[376] 慈照院… 投稿者:と~も 投稿日:2001/07/23(Mon) 23:58 

こんばんは、お久しぶりです。

さて、明日は「旧暦=新暦の一ヶ月前」で行くと室町幕府第六代
将軍の足利義教が赤松満祐に弑した、所謂「嘉吉の乱」から66
0年目の記念日です。満祐は義教を殺害した後、9月に本拠地城
山城にて壮絶な最期を遂げるのは御存知だと思います。

その後、満祐は「慈照院殿」と院殿号を頂く事になるのですが、
満祐の生涯って死んでからも不遇だったというのはおそらく誰も
知らないと思います。というのも、それから約50年経った14
90年に足利義政が没した時、赤松満祐はその院殿号を変える事
を余儀なくされてしまったからです。普通、将軍や天皇の諱と使
用されている字や読み方が同じ時に改名するのは、例えば足利義
宣が義教と改名したのに伴い、一色義範が「一色義貫」と改名し
た例も含めてたくさん有りますが、死後までその例が適用される
なんて珍しい例だと思います。

すなわち、足利義政死後において僧侶は彼に対して「慈照院殿」
の号を奉り、これに伴い今まで「慈照院殿」を名乗っていた赤松
満祐は義政の院殿号を避ける形で「慈(手偏に目)院殿」と名乗
る事になった…と、こういう訳です。

ところで、この赤松満祐と足利義政のような例って他に有るので
しょうか?>ALL

ちなみに、先年没した私の祖父の院号も「慈照院」だったりしま
す(~_~;)


[375] こんばんは 投稿者:梅山直也 投稿日:2001/07/23(Mon) 01:26 

こんばんは。梅山です。

お返事が頂けないので、どうされたのか心配していたのですが、
系図の各所が直っているところをみると、
訂正されたようですね。

細かいことを注文してしまいますが、
『蒙古世系』の書誌を記したほうがよいと思います。

それと、各部の系図は
森川先生の成果と『蒙古世系』の系図を合体させたものであると、
判断しました。
森川論文所収の系図は、モンゴル年代記を精査して作成されたものです。
一方『蒙古世系』は、主に『外藩蒙古回部王公表伝』、
『皇朝藩部要略』等を基に作成されたものです。
モンゴルと清朝の伝える系譜には微妙なずれがあり、
単純につなぎ合わせるだけでは復元ができない場合があるので、
ご注意ください。
モンゴルの王公はある一定年に一度、
理藩院に系譜を提出する義務を負っていましたが、
牧地で伝える系譜と、清朝の公式編纂物の伝える系譜が一致しないことが
多々あります。

それでは、失礼します。


[374] Re[373]:RE: おお、チンギス=ハーン! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/21(Sat) 07:16 

>Kircheisさん
 ご無沙汰しております(^^)

> ついにチンギス=ハーンの一族の紹介が始まりましたね。
> 今後の発展がとても楽しみです(^^)。
 でもねえ、実は今回公開したのはniftyのF歴で数年前に書き込みしたものほぼそ
のままなんですよね(^^;) しかも、それ以来ストップしているという...
 まあ、うちのサイトのコンテンツ自体がniftyのF歴・FSIROへの書き込みとほぼ連
動している(させている?)ので、こっちで更新したらそれをniftyにも書きこもうと
思っておるんです。どうも最近不精になってきましたので、そうでもしないとなかな
か「宿題」が進まないもんですから(^^;)

> 参考文献にドーソンのモンゴル帝国史があるのは流石と言うかやっぱりというか…「集史」の日本語訳がなかなか無い現状では貴重な資料ですね。
 そうですねえ(^^;) まあ、今回公開した部分についてはあのシリーズのトップにも
書きましたけど、梅山直也さんのサイトに載っていたモンゴル系図(今はもう公開し
ていませんが)と、niftyでお世話になった故・斎木哲也さんに頂いた情報から作った
ものですので、このお二人がいなければできなかったものです。
 斎木さんから頂いた資料でまだ活用していないものもありますので、なんとかこの
シリーズだけは完成させねばという気持ちでおります。
 斎木さんが亡くなって1年以上経つんですけど、彼のサイトはまだ生きているんで
すよねえ。なんとも皮肉なものです...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[373] おお、チンギス=ハーン! 投稿者:Kircheis 投稿日:2001/07/20(Fri) 20:20 

ついにチンギス=ハーンの一族の紹介が始まりましたね。
今後の発展がとても楽しみです(^^)。

参考文献にドーソンのモンゴル帝国史があるのは流石と言うかやっぱりというか…「集史」の日本語訳がなかなか無い現状では貴重な資料ですね。私もHP更新の際には世話になりっぱなしです。キプチャク=ハン国についてもう少し詳しく書いてあればもっとよかったのですが。


[372] 久しぶりに更新... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/20(Fri) 09:13 

昨日は久しぶりに更新らしい更新をしました。世界史の部屋ですが、1年以上ストッ
プしていた「ユーグ・カペーの末裔たち」シリーズにクルトネ家・アルトワ家を追加
し、ずっと工事中になっていた「チンギス・ハーンの一族」シリーズを一部公開しま
した。
 少し世界史関係も充実していかなくてはねえ...

>しおじいさん
 はじめまして。ようこそおいで下さいました。「秋田武鑑」関係の情報ありがとう
ございました。この辺も松本さんに情報を頂いたので、更新せねばと思っておるんで
すが、なかなか進みません(^^;)
 やりたいことはたくさんあるんですけど、時間が...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[371] ご参考までに・・・・・・ 投稿者:しおじい 投稿日:2001/07/19(Thu) 11:01 

はじめまして。小生、郷土史マニアの「しおじい」です。よろしく。実は昨日、投稿のつもりが間違って送信してしまいました.改めて投稿します。
№293前後について、お知らせします.
1.「秋田武鑑」は秋田市の無明舎から復刻版がでています。税込みで6699円です。…秋田市広面字川崎112-1 ℡0188-32-5680
旧版は東京の古書展でタマに出ます.
2.小鷹(土+守)は小鷹狩(こたがり)です。組下持ちの重臣で秋田の長泉寺、横手の桃雲寺が縁のお寺です.苗字を一時期、向(むかい)と称していたことがあります。
3.<白坂>姓の秋田・佐竹藩士をお知らせします。<院内給人>①65石・白坂宇吉②一人扶持10石・白坂治兵衛③二人扶持4斗3升8合・白坂又左衛門④二人扶持・白坂小右衛門<檜山給人>⑤29石・白坂 族⑥二人扶持10石・白坂熊五郎⑦三人扶持・白坂永助⑧三人扶持・白坂礼吉⑨40石・白坂右馬之丞・・・の9名です。安政2年調べ・「秋田沿革史大成」所収
以上、お役にたてれば幸いです.Fromしおじい(東京・調布市)


[370] 終わった~\(^O^)/ 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/19(Thu) 00:23 

やっと今朝、通知表を仕上げ提出しました(^^) ま、何枚か付箋が付いて戻ってくる
かもしれませんが、気分はもう1学期終了ってな感じです(^^;) (一応終業式は、来
週の月曜日なんですけど)

>清正さん
 引っ越しはお済みになりましたか? こんな暑い時期に引っ越し・転勤とはご苦労
様です。これからは近くになりましたので、よろしくお願いしますね(^^) あ、ちな
みに以前お話しした室蘭にいるわたしの友人ですが、彼も転勤で美唄の方に行ってし
まいました(^^;)
 またミニオフもしましょうね(^^) 数ヶ月に一度くらいの頻度でお城巡りMLの方
二人とミニオフをしているんですけど、その方々と一緒というのもどうでしょうかね
え?

>求馬さん
 別に「求馬」さんでいいですよ(^^;) この前のはジョークですから、お気になさら
ずに。気になるんでしたら、松前慶広末裔でも上杉景勝末裔でも、伊達政宗末裔でも
お気に入ったHNでどうぞ(^^;)

 通知表、終わりました(^^) さあ、休み中のお城巡りはどうしようかな?というこ
とをすでに考えたりしております(^^;) 今のところ、まだ行っていない道北方面のチ
ャシ巡り(まさに「道北地方のチャシ」という本がありますので、これを資料に)をす
ること、それから先月行けなかった道南の上ノ国花沢館・上磯矢不来館などに行こう
かなという計画でおります。本州にも足を伸ばしたいところですが、暑そうなんでパ
スしようかなと...(^^;)

>びわこさん
 ごぶさたしております。なんかびわこさんの名前を見るとまた近江に行きたくなっ
てしまいますねえ(^^;) 先日行けなかった小谷城・膳所城・坂本城・高島城・大溝城
・鎌刃城等々... でも今度行くのはいつかなあ?
 やはり三成さんの撤退ルート巡りですか。暑い中ご苦労様です。

> さてさて、某城とはどこのお城でしょうかねェ・・・?
 やっぱり母子連れといえば、千葉の浦安にあるあの「お城」ですかあ? 私ゃ行っ
たことないですけど。

 ああ花咲ガニ、食べたくなってしまいました(^^;) いつも友人に連れられていった
店で買って、近くの食堂で刺身定食を頼んで、それを食べながらカニも味わうという
ぜいたくなことしてましたっけ(ちゃんとその食堂でからを入れる入れ物とかハサミ
とかを貸してくれるんですよねえ(^^;)) 北海道でカニというと毛ガニですけど、私
は食べ応えがあるので花咲の方が好きです(^^)

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[369] 夏休みは・・・ 投稿者:びわこ 投稿日:2001/07/18(Wed) 08:38 

 KUBOさん、こんにちは。

今週末のオフ(三成公の無念を辿るオフ)はね、KUBOさんのおっしゃるとおり、関ヶ原からの撤退(敗走じゃないのよ.^^)ルートのことです。
15日に最終下見をしたのですが、何度行っても良い峠道です.(^^)

さてさて、今日はこれからお決まりの通信簿もらいです。(はぁ~っ)

そうだ・・・夏休みは北海道(屈斜路湖方面)に行くって言ってたけど、お子たちが誰一人として賛成してくれなかったの。多数決で負けてしまった・・・(泣)
で、夏休みはどうするかっていうと、関東攻めに変更!
友達家族と一緒に(と、言っても共に亭主抜きで)この25、26、27日と某城に行きます。
さてさて、某城とはどこのお城でしょうかねェ・・・?

また、城攻めの報告を謹んでさせていただきますね。
お楽しみに!
                    びわこ

PS:根室の花咲カニ、私はあの頃、駅前で買って電車の中で食べました。暖房の効いた車内にはあのカニのにおいが充満して、多分、いやがられていたと思います。(^^ゞ)でも、おいしいカニですよね。。。こっちでは、簡単に手に入りません・・・


[368] あっ!! 投稿者:吉良上野介末裔 投稿日:2001/07/13(Fri) 18:19 

>吉良上野介末裔さん、もとい求馬さん(って、をい(^^;))

そ、そうだった・・・こちらではその名前でしたっけ(^^;)
通知表つけ頑張ってください。
こればかりは手を抜くわけにはいきませんものね。


[367] ちょっと現実逃避... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/13(Fri) 07:27 

学期末業務(要するに通知表をつけねばならんのです)のあいまに、ネットにつないで
現実逃避してます(をい(^^;)) 土日はがんばらなきゃ。

>おぐさん
 はじめまして。ようこそおいで下さいました(^^)

> 足利にもいらしたんですね。主人の実家が足利学校のすぐ近くなので、お写真を嬉しく拝見いたしました(現在は、東京在住)。
 今年の初めでしたけど、鑁阿寺の境内には雪が少し残っていたりして少し寒かった
ですね。ま、北海道ほどじゃないですが(^^;)

> 歴史を学ぶ機会があったときには全く興味がなく、今ごろになって歴史小説から、歴史好きになりました。昨年は、不思議がる主人を引き連れて明智光秀のお墓(といわれるところ)に行ってきました。
 私もよく歴史小説はよく読みますが、最近は外国ものの方がよく読んでるかもしれ
ません(^^;) 宮城谷昌光さんの古代中国ものとか佐藤賢一さんの西欧ものとか...
 史跡巡りも良いですね。最近はお城にはまってますけど(^^;)
 どこか面白いところ行きましたら教えて下さいね(^^)

>吉良上野介末裔さん、もとい求馬さん(って、をい(^^;))

> 潮風さんのサイトでの「沼田常陸介」の件ありがとうございました。
 どういたしまして、たまたま手元の本に載っていただけですから(^^;)

> 以前、お話した逆系図ですが、こんな感じで作っています。よろしかったら、ごらんください。まだ全然、未完成で、基本的にはまだ非公開なのですが・・・(^^;)
 実は以前、どこか(潮風さんとこだったかな?)からたどってたどりついて、のぞか
せていただきました(^^;) どうもごくろうさまです。
 私の方は何だか忙しくて、最近系図関係は全然更新してなくって... 夏休みに少し
がんばらねばと思っております。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[366] お隣へ 投稿者:清正 投稿日:2001/07/12(Thu) 23:44 

KUBOさん、どーもです(^o^)丿

実は、札幌に転封となり、只今、引越し作業の真っ最中です。
ウッ、腰が・・・
仕事の方は、忙しくなりそうですが、札幌ということで書店、図書館など充実しており楽しみです。

お隣ということで、また(謎)、宜しくお願いします。

http://homepage1.nifty.com/SEISYO/index.htm


[365] ありがとうございました 投稿者:求馬 投稿日:2001/07/12(Thu) 16:11 

KUBOさま
潮風さんのサイトでの「沼田常陸介」の件ありがとうございました。
以前、お話した逆系図ですが、こんな感じで作っています。よろしかったら、ごらんください。まだ全然、未完成で、基本的にはまだ非公開なのですが・・・(^^;)
ちょっと全体的には重いサイトです。

http://members.tripod.co.jp/sigmax/honmarugoten/gyakukeizu1102.htm

また、いろいろ教えてください。

http://www80.tcup.com/8020/pinefield.html


[364] 足利 投稿者:おぐ 投稿日:2001/07/11(Wed) 13:14 

KUBOさま

はじめまして。
おぐと申します。

足利にもいらしたんですね。主人の実家が足利学校のすぐ近くなので、お写真を嬉しく拝見いたしました(現在は、東京在住)。

ものすごい情報量のHPで驚きました。私は、現在『女性サイト』と称されるポータルサイトに勤務しており、情報収集していた折にたどり着いたのが、貴サイト(厳美渓の情報を探していました)、個人的な書き込みをさせていただいています(笑)。

歴史を学ぶ機会があったときには全く興味がなく、今ごろになって歴史小説から、歴史好きになりました。昨年は、不思議がる主人を引き連れて明智光秀のお墓(といわれるところ)に行ってきました。いいようのない感動を覚え、リタイアした暁には、色々なところをまわってみたいと夢見ております(その頃には、主人もその世界に引きずり込めていると良いのですが)。

長々とお邪魔いたしました。
今後も寄らせていただきます。


[363] まだまだ... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/10(Tue) 23:21 

今日も室内にいると結構暑いですけど、外に出るとまだまだ涼しいです。本格的な夏
にはあと少しというところでしょうか。
そういえば、昨日の夕刊に出ていましたが我が隣町・当別町の現職町長伊達寿之氏
(政宗の子孫で当別町を開拓した邦直の子孫)が町長選で敗れたとのことです。う~ん、
残念(って何が(^^;))

>秋山如雪さん
 すいません、今朝見直したら秋山さんへのレスが抜けてました(^^;)

> 遅れ馳せながら、土方歳三激戦の地の項を見させていただき
> ました。
 あそこはちょっと車じゃないといけないでしょうね。以前、niftyのFSIRO(城郭フ
ォーラム)の方で、あそこの二股口台場に行った方がいましたので、何か目印はない
かなと探していたら、標柱を発見しました。時間があれば台場跡も見たいところでし
たが、急いでいたもので標柱と周囲の様子を写真に納めただけでした。
 丁度、江差から厚沢部を経由して大野・函館方面に抜ける途中の道路脇にあります
ので車がないとちょっときついですね。

> 土方はここでわずか数百の兵を率いて塹壕を築き、その内側から
> 鉄砲を打たせて、攻め寄せる薩長軍2000余りを釘付けにして
> 敗走させたと言われていますけど。
 上記の台場跡に行った方の話ですと、この塹壕跡の溝や小口径砲の台座や、兵の休
憩に使われたらしいスペースがみられたそうです。台場山の頂上には大口径の砲台が
あるそうですけど、藪が密生していて道がないので諦めたとのことです(^^;)
 いずれにしてもちょっとこの時期はヒグマが恐いかも(^^;) (戸切地陣屋の裏門の
所にも「ヒグマ注意」の看板があったし...)

> 今年は忙しいし、時間もないけれど、青森や岩手に足を伸ばしたい
> と思います。特にこれからの夏休みに。
 青森や岩手は去年行きました(お城ばかりですが)が、弘前城はもちろんですが、三
内丸山遺跡・盛岡城・九戸城・根城が印象に残っています。特に盛岡城は石垣しか残
っていませんがその石垣がすばらしかったです。

>びわこさん
 しばらくです(^^)

> はるか○年前、まだ花の女子大生だったころ、私はこのゴジラ岩の前のおみやげや
> さんでバイトをしていました。冬だったのですが、そこのおやじさんが撃ってきた
> 鹿を奥さんがさばいて、私がコトコト煮込み、み~んなで食しました。(ホントに
> なつかしぃ~)
 おや、そうですか。あの辺で冬にバイトをするなんて、寒かったでしょう(^^;) 私
が行ったのは就職してからで、以前道東に住んでいたことのある友人に案内されて、
回った時でした。実はその時が道東に行った最初だったんですけど、あれ以来根室に
行くと必ず花咲ガニを買ってくるようになってしまいました(^^;) あ~、カニ食いた
い(をい(^^;))

> ところで、道南オフ楽しかったようですね・・・(いいなぁ~、いいなぁ~)
 道南はいいっすよ~(^^) 今回まわったのはおすすめポイントばかりでしたし。
機会がありましたら是非北海道を再訪してください。

> でも、こんど私たちは「三成公の無念を辿るオフ」っていうのを
> やります。
 あの~関ヶ原から三成の敗走ルートをたどる...なんてオフじゃないでしょうね(三
成会なら十分ありそう(^^;))
 正直、夏休みのお城巡りはどうしようかなと迷っております。まず道北方面のチャ
シ巡りをしていないので、そちら方面に行こうかなと思ってます。あと、本州にもま
た行きたいですけどねえ。北陸方面or信州方面の再訪とか秋田・山形・福島方面とか
四国方面とか、選択肢はいろいろあるんだけど、西の方は暑そうだしな~(^^;)
 それに休み中にやらなきゃならん「宿題」もあるので、本州遠征の時間が取れるか
という問題もあるし... ま、こうやって考えているうちが楽しいんですが。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[362] 「双頭の鷲」読了! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/10(Tue) 07:13 

この週末は先日買った佐藤賢一氏の「双頭の鷲」を読んでいたのですが、これが面白
かったです(^^) 佐藤氏の作品はデビュー作の『ジャガーになった男』しか読んでい
なかったのですが、この「双頭の鷲」は出色の出来ですねえ。主人公のデュ・ゲクラ
ンをはじめ、それを取り巻く兄弟達や黒犬隊の面々、主君であるフランス王シャルル
5世やライバルのグライーなどの群像も魅力があります。
 佐藤氏の作品は『傭兵ピエール』『王妃の離婚』が未読(積ん読ともいう(^^;))で
すので、夏休みに読んでみましょうか。

>味舌政宗さん
 ま、正直なところあの頃の北海道ってのは同時代資料がなくて、江戸初期に書かれ
た「新羅之記録」という松前藩側の記録が一番古いものですから、まだまだわからな
いことが多いんです。当然、松前藩では都合の悪いことは記録に残してませんしね。
 ただ、蠣崎氏初期の本拠であった上ノ国の勝山館が20年以上も前から発掘が行われ
て、いろいろ今までの常識には収まらないことがいろいろとわかってきているので、
それが非常に楽しみなところではあります。
 もしこの頃の北奥州&蝦夷地に興味がおありでしたら、次の2冊をおすすめいたし
ます。
 『北の内海世界 北奥羽・蝦夷ヶ島と地域諸集団』
             (山川出版社、入間田宣夫・小林真人・斉藤利男/編)
 『北から見直す日本史 上之国勝山館跡と夷王山墳墓群からみえるもの』
             (大和書房、網野善彦・石井進/編)

>潮風さん
> 早速のリンクありがとうございました。
 いえいえ、今後ともよろしくお願いします(^^)

> でもKUBOさんもニフテイの無料の10Mだけでは足らなかったようですね
 そうなんですよ。一応BIGLOBEにも入っているので、そちらの無料10MBの方をお城
関係専用にしてますけど、すでに10MBじゃおさまらず15MBくらいになってしまってい
ます(^^;) お城部分は写真があるのでどうしても容量食っちゃうんですよね。ここだ
けどこかの無料サーバーに移そうかとも考えたりもしますが、@niftyもBIGLOBEも無料
10MBなんてけちなこといわずに50MBくらいくれませんかねえ(ダメか...(^^;))
 常陸国にも行きたいっす。でも今度の冬は例年通り関東に行こうか、それとも九州に行こうか思案中です(^^;) (熊本城に行きたい!)

>ひづめさん
>  私の方は今だに函館に滞在して道南の情報を集めています。道南十二館も少しずつ見に行ってます。脇本館のように情報の無い所もありますが、それでも現地へ行ってなんかしらの話は聞いてくるように心掛けています。
 HP見せていただきました。精力的に回られていますねえ。私ゃあ近場のチャシは
めぼしいところはほとんど行ってしまったので、4月以来全然行ってません(^^;) 今
度は日高方面か上川方面か... 今度の夏休みは道北方面を回ろうかと画策しておりま
す(^^)

>  KUBOさんは市村高男氏の書かれた茂別館の中間報告とその中にある縄張図はご存じですか?
 ご存じないです(^^;) 今度道立図書館で探してみます。ひづめさんのHP見て驚い
たんですが、大館・小館ともう一つ中館ていうところがあったんですねえ。今度行く
時はもう少し詳しく見なければいけませんね。

>  矢不来館は相変わらず近づく術が見当たりません。
 やっぱし... 松田先生から何か情報はいただいてないんですか?

>  ところで矢不来台場ですが、旧福山街道沿いの説明板と標柱のすぐ右側に右斜に上がって行く道がありましたよ。
 去年の夏行った時は草ぼうぼうでしたので、たいした探しもせずに移動してしまい
ました。今度行く時は探索してみようっと。情報ありがとうございます。

> そのかわり図説中世城郭事典の縄張図にある大手口近くの井戸跡は確認できました。
 これはこの前忘れちゃいましたので、今度確認してきます。

> 6月はどんよりした曇りか雨の日が多くて、志苔館で昼休みを取るという贅沢はとうとう一回もできませんでした。
 あの頃が一番天気良かったですね。先週の金曜日に今年最初のプール学習があった
んですけど、寒くて子どもたちが振るえてました(^^;)

>葛城さん
 はじめまして。「滅びた(?)名族」シリーズの葛西氏のページは『戦国大名系譜人
名事典』『南部藩参考諸家系図』『宮城県姓氏家系大辞典』などを参考にしましたが、
みな旧字体の「(4)人と書くもの」→「草冠+曷」を使ってました。この字、活字に
ないんですねえ。で、仕方なく「葛」の字を使っております。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[361] ゴジラ岩 投稿者:びわこ 投稿日:2001/07/10(Tue) 02:44 

 KUBOさん、ご無沙汰~。びわこです。
眠れぬ夜にKUBOさんのHP見てたら、知床・斜里のゴジラ岩に再会してしまい、うれしくて、なつかしくて書き込んでしまいました。

はるか○年前、まだ花の女子大生だったころ、私はこのゴジラ岩の前のおみやげやさんでバイトをしていました。冬だったのですが、そこのおやじさんが撃ってきた鹿を奥さんがさばいて、私がコトコト煮込み、み~んなで食しました。(ホントになつかしぃ~)

ところで、道南オフ楽しかったようですね・・・(いいなぁ~、いいなぁ~)
でも、こんど私たちは「三成公の無念を辿るオフ」っていうのを
やります。(まだ宿の部屋は大丈夫なんで、KUBOさん、おいで!特別参加認める!・・・私が勝手に・・・笑)
 しかし、タイトルからして「さすが三成会!」だよねぇ~(手前味噌・爆)

では、では。。。またね~


[360] 誰か教えて下さい 投稿者:葛城さん 投稿日:2001/07/09(Mon) 22:28 

はじめまして、HP興味深く見せていただきました。

実は葛西氏に興味があるのですが、
この「葛」の字について教えていただけませんでしょうか?
俗字、旧字の区別はつかないのですが、下の部分が①匂、②旬、匈ににているものに③メと書いてLで閉じるもの、④人と書くものがありました。

こちらで扱ってらっしゃった資料ではどうでしたでしょうか


[359] 藪、また秋になったら開始ですな('-'*)フフ♪ 投稿者:潮風 投稿日:2001/07/08(Sun) 19:39 

ひづめさん、どうも。

 お久しぶりです('-'*)フフ♪

|また、秋になったら薮に突入しましょう。

 ですね、ひづめさんが戻られたら早速常陸藪三人衆の再度結成を図りましょう(笑) 天正18年の阿見オフも早速練りましょうね!

 北海道、快適ですかあ?茨城はかなり暑い日が続いてます。
 北海道の城跡はKUBOさんがおられるから心強いですね!
 早速、KUBOさんに常陸流藪城攻めの極意でもお伝え下さい(笑)

  ではでは(^^)    潮風@常陸国より

http://homepage1.nifty.com/s-kaze


[358] その後、いかがですか 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/07/08(Sun) 17:57 

KUBOさん、そして6月の道南オフへ参加されたみなさん、こんにちは。
 その後いかがですか。道南オフの整理は一段落つきましたか。

 私の方は今だに函館に滞在して道南の情報を集めています。道南十二館も少しずつ見に行ってます。脇本館のように情報の無い所もありますが、それでも現地へ行ってなんかしらの話は聞いてくるように心掛けています。

 KUBOさんは市村高男氏の書かれた茂別館の中間報告とその中にある縄張図はご存じですか?図説中世城郭事典の縄張図よりもそうとう詳しくて、たまげました。それを持って勇んで茂別館へ行きましたが草がものすごくて結局、大館裏側の土塁と堀を見るくらいしかできませんでした。悔しいので二回目は小館を目指しましたがやはり草であきらめました。そのかわり大館と小館の間にある中館の壁が登り易そうだったのでこちらへ登ってきました。縄張図に描かれている郭周囲の凹凸や虎口らしき地形がなんとなく分かるといった程度であまり奥へは入れませんでした。小館の裏のハリネズミのような堀切とか、とにかくこの茂別館はぜひ草のない状態で見てみたいものです。ほんとうにすごいですよ。

 矢不来館は相変わらず近づく術が見当たりません。

 ところで矢不来台場ですが、旧福山街道沿いの説明板と標柱のすぐ右側に右斜に上がって行く道がありましたよ。ここも草が覆いかぶさっていて外からではわかりませんでした。壁をよじ登るつもりで取り付いたらあっさりと道が見つかりました。上は杉林でした。

 松前大館もKUBOさんの情報をたよりに登ってきました。郭の内部は草が多くてほとんど見れませんでしたが。そのかわり図説中世城郭事典の縄張図にある大手口近くの井戸跡は確認できました。

 道南オフの二日間は振り返ってみても本当に奇跡的に良い天気でしたね。6月はどんよりした曇りか雨の日が多くて、志苔館で昼休みを取るという贅沢はとうとう一回もできませんでした。数日前の晴れた日に今年初めて弁当を持って志苔館へ行ってみました。すると、例年より一月遅れですが郭の中はタンポポモドキの黄色い花畑になっていました。その時の写真を私の志苔館のページへ追加しましたのでちょっと覗いてみてください。例年だったらあの時にこんな感じに見れたはずだったのですが。寿太さんの奥様には「タンポポモドキはもう終わってしまったみたいです」と応えましたが、むしろまだ時期が早かったのですね。

最後になりましたが、潮風さん、おひさしぶり。こんなところでお会いするとは。暑い夏の間もあちこち回っている様ですね。また、秋になったら薮に突入しましょう。

ひづめ@函館お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[357] ありがとうございます 投稿者:潮風 投稿日:2001/07/08(Sun) 08:10 

KUBOさん、どうも。

 早速のリンクありがとうございました。
 こちらも時々拝見させて戴いておりました、凄い情報量に脱帽ですヽ('ー'*)丿

 でもKUBOさんもニフテイの無料の10Mだけでは足らなかったようですね>僕と同じ('-'*)フフ♪

 こちらからも次回更新の際にリンクさせて戴きます(なかなか最近更新出来ていませんが(^_^;))。今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

  ではでは(^^)    潮風@常陸国より 

http://homepage1.nifty.com/s-kaze


[356] ご指摘ありがとうございます。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/07/07(Sat) 12:05 

やはり、門外漢がちょっとした本からソースを得てまとめただけの
ものなので、荒が目立つようです。実際今は簡略でもコンテンツ数
を増やして行こうと思い立ったように作っているせいもあり、若干
史料集めなどうまくいっていないこともあり、明かに認識不足とい
う文面になってしまいました。貴重なご指摘有難うございます。
早速ご指摘頂いた分は訂正しておきます。
ある面私のサイトは通史の本に毛の生えたどちらかといえばミーハー
な文章です。個人の好きをただ垂れ流しているだけといってもよい
かもしれません。でも見に来てくださる方が見える限りつづけて行き
ますのでまたお気づきの点があればご教授を賜りますようお願い致します。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[355] 二股口 投稿者:秋山如雪 投稿日:2001/07/05(Thu) 22:54 

遅れ馳せながら、土方歳三激戦の地の項を見させていただき
ました。
土方が大好きな私にとって、ここは絶対行かねばならない場所
の一つなのですが、いかんせん車を持っていないので、行く
のにもバスを使わねばならず、なかなか行くことができないまま
結局行っていませんでした。
感想はどうでしたか?
土方はここでわずか数百の兵を率いて塹壕を築き、その内側から
鉄砲を打たせて、攻め寄せる薩長軍2000余りを釘付けにして
敗走させたと言われていますけど。
ちなみにここ以外の土方関係の史跡として、会津若松や東京の
日野市、京都の壬生寺などへは実際に足を運んだことがあります。

今年は忙しいし、時間もないけれど、青森や岩手に足を伸ばしたい
と思います。特にこれからの夏休みに。
それでは。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[354] Re[353]:RE: ご無沙汰しております。 投稿者:KUBO 投稿日:2001/07/04(Wed) 07:13 

>味舌政宗さん
 こちらこそご無沙汰しております。再開の頃にそちらにちょっとおじゃましただけ
ですのでお互い様です(^^;)

> お恥ずかしい限りですが、自サイトで15世紀半ばの蝦夷、奥州北部
> のことを概略ながら取り上げてみました。

 拝見させていただきました。おおむね良かろうと思いますが、気になった点を少し。

> 人の間のトラブルが元でおこったアイヌの蜂起に際して、アイヌ勢力を極度に
> 恐れ、抵抗らしい抵抗もしないまま、蝦夷地から脱出し、出羽檜山へ流れ着き
> 最終的にその地を本拠とした豪族となってゆきました。
 この文章では、何だかアイヌ勢力を恐れて、流浪した末、出羽にたどりついたよう
な印象を受けますが、確か出羽の湊安東家の招きに応じて檜山城に入り、津軽回復の
機をうかがったのだったと思います。(まあ、実際は上記の通りだったのかも知れま
せんけど(^^;)) それに政季が出羽に移ったのはコシャマインの戦いが始まる前です。

> 南部氏から津軽を追われた安東氏は津軽奪回のため蝦夷地を根拠とし、渡島
> 半島に十二もの和人館と呼ばれる城砦を作り、アイヌ人との交易や植民によ
> るアイヌ人支配を始めていました。しかしアイヌ人にとってこの植民は必ず
 安東氏がアイヌ社会への物資の供給を統制することで、その従属を強いていったの
は確かですが、この時代はまだアイヌ人支配を始めていたと言い切るにはあまりにも
早いでしょう。
 実際、15世紀後半から16世紀前半にかけては各地の和人の館がアイヌの攻撃を受け
ていますし、天文19年(1550)蠣崎氏四代季広が結んだアイヌとの和睦協定では瀬田内
(現瀬棚町)のハシタインを西夷の尹(首長)、知内のチコモタインを東夷の尹として、
商人から徴収した税の一部を両首長に配分する、蝦夷地への商船は両首長のいる上ノ
国沖、知内沖を通る時には必ず帆を下ろして一礼することを定めています。このこと
からも、アイヌ人支配というのはあたらないのがお分かり頂けると思います。

> 蜂起しました。当時の安東氏当主安東政季は抵抗するまもなく逃亡し、それ
> をみた、アイヌの指導者コシャマインは和人一掃の好機と見て和人館を襲撃
> し12ある和人館のうち函館の茂別、江刺の花沢の2つを残してコシャマイン
> の手中に落ちました。
 先ほども書きましたが、安東政季が出羽に移ったのはコシャマインの戦いが始まる
前です。それから、茂別館は函館ではなく函館の西隣の上磯にあります。また花沢館
があるのも江差ではなくその南隣の上ノ国です。それから細かいですが、函館と表記
するようになったのは明治以降で、この頃は箱館のはずです。幕末に蝦夷地が幕府直
轄地となった時に設置されたのも箱館奉行所ですので。

 それから余談ですけど、この時期はアイヌと和人との対立抗争という構図でよく語
られますが、最近はそうばかりとも言えないという考え方も出てきています。という
のも、蠣崎氏が松前に移る前の本拠地・勝山館(花沢館のすぐ近くにある)の発掘でア
イヌのものである遺物が出てきたり、勝山館に背後にある夷王山墳墓群からアイヌの
墓が出土したりしているからです。

 う~ん、何かこの前の道南オフの復習をしているみたい(^^;) つい先日、オフで道
南十二館の志苔館・茂別館・松前大館・比石館、それから上に書いた勝山館に行って
来たもんですから。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[353] ご無沙汰しております。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/07/02(Mon) 00:37 

毎度毎度こちらに訪問するたびに題名がご無沙汰しておりますでは
お恥ずかしい限りですが、自サイトで15世紀半ばの蝦夷、奥州北部
のことを概略ながら取り上げてみました。たしか松前氏の直接の先祖
はコシャマインの乱を平定した武田信広だったとおもいましたので
内容的によいのかどうか私自身もわかりかねるところがありました
のでもしよろしければご批評頂ければなと思いました。参考文献も
通史の一部と南部氏に関する書物などでごく簡単につくったので、
初心者というかあまり知らない人向けみたいにつくってみたのですが
....。北海道についてはこちらをまず参照してから作るべきだ
ったように思います。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[352] Re[351]:RE: 私のため(?)に詳しい報告、ありがとうございます。 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/23(Sat) 17:12 

>ひづめさん
 どうもです。また道南行きたいです~(^^;)

> 特に2日間の運転、お疲れさま。今週はしんどいでしょう。
 実は私が運転したのは。志苔館から四稜郭までと、上ノ国町周辺だけで、あとは寿
太さんが運転してくださったのでした(^^;) おかげで楽させていただきました。

> 私達も先日、戸切地陣屋へ行ったとき見に行こうとは思ったのですが、裏門の「ヒ
> グマ注意!」の看板を見て、引き返してしまいました。今度は車で行ってみます。
 ですよねえ(^^;) 私も一瞬躊躇してしまいましたが、寿太さんがどんどんいってしまったのであわてて追いかけました(^^;) でも行ってみて良かったです。火薬庫跡の土塁としては白老陣屋のものの方が大きいですけど、なかなかきれいです。

> 先を越されたか!くやしいけど、やりましたね。この情報には私も感謝!近いうち
> に行ってみます。
 徳山大神宮の所から登っていくとまず見えるのが大館と小館を隔てる堀切ですけど、あれが見えてきた時にはちょっと感激しましたね。大館の北側にも大きな堀切や二重空堀があるようですけど、そちらは藪が深くて行けませんでした(T_T)

> あの日は、「桧山地方としては1年に何度あるかというくらい穏やかな日だ」と松
> 崎先生がおっしゃっていたと嫁さんが報告してました。海もきれいですよね。
 比石館は去年行っているので、館自体の写真は撮らずに、海の写真ばかり撮ってました(^^;)

> そうですと、横で言ってます。時間がなくて合流はできませんでしたね。
 たぶんそうだろうなあと思ってましたけど、もうすでに2時近くでしたので、いそ
いで駐車場の所までいって、他のみなさんに夷王山に登っていただいている間に車を
取ってきたので、私は夷王山からの眺めを今回は見れずじまいでした(^^;) ちょっと
残念...

> ここの台場山を観察しようと思ったら、雪が解けた直後の4月から5月のわずかな
> 時期に登らなくてはならないそうです。すぐに草茫茫になるとのこと。
 そうなんですか? 以前、FSIROの猛者・山城守(やまじろのかみ)さんが2年前の6
月下旬に行ってますけど、その時には草が伐採されていたようで登れたようです。爆
竹とヒグマよけの鈴持参だったそうですけど(^^;)

> それにしても、遠くからたくさんのみなさんが参加してくれて、オフ会は盛り上が
> りましたよね。
 ほんとです。みなさんにも満足いただけたようで、幹事としてもホッとしています。
今度はまたチャシ巡りですかねえ。でももう近場はだいたい行ってしまったので、少
し遠征せねば...

> 仕入れた情報はまたお伝えしますので、お楽しみに。そして、チャシについてはよ
> くわからない場所もあるので、また直接教えていただくこともあろうかと思います
> が、そのときにはよろしく。
 はい、こちらこそよろしくお願いします。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[351私のため(?)に詳しい報告、ありがとうございます。 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/06/21(Thu) 18:19 

KUBOさん、こんにちは。
   オフの日は御苦労さまでした。特に2日間の運転、お疲れさま。今週はしんどいでしょう。
   そのかわり、参加されたみなさんはきっと大満足だったと思いますよ。私も短い時間でしたがほんとうに楽しかったです。

>今度は裏門の数百m先にあるという火薬庫跡へ向かいました。
   私達も先日、戸切地陣屋へ行ったとき見に行こうとは思ったのですが、裏門の「ヒグマ注意!」の看板を見て、引き返してしまいました。今度は車で行ってみます。

>徳山大神宮の前から、曲がりくねった道を登っていくと大館・小館を隔てる堀切にたどりつきます。
   先を越されたか!くやしいけど、やりましたね。この情報には私も感謝!近いうちに行ってみます。

>上ノ国へと向かう途中、比石館・ワシリチャシに寄りましたが、比石館は館自
体よりもその周囲の海の青さに目を奪われてしまいました。
   あの日は、「桧山地方としては1年に何度あるかというくらい穏やかな日だ」と松崎先生がおっしゃっていたと嫁さんが報告してました。海もきれいですよね。

>ワシリチャシは草ぼうぼうでどうしようもなし(T_T)
   やっぱりね。

>この時に墳墓群の端の方で説明を聞いていた一団がありましたが、あの中にひづめさんの奥さんがいたのでしょうね、きっと
   そうですと、横で言ってます。時間がなくて合流はできませんでしたね。

>二股口 土方歳三激戦の地の標柱を発見したりしましたが、
   ここの台場山を観察しようと思ったら、雪が解けた直後の4月から5月のわずかな時期に登らなくてはならないそうです。すぐに草茫茫になるとのこと。

>今回は函館でひづめさんとお会いできましたし、上ノ国ではひづめさんのおかげで松田先生のお話を聞くことが出来ましたし、道南オフの成功はひづめさんのおかげといっても過言ではありません。どうもありがとうございました。
   こんなに言っていただいて恐縮です。複数人でそれぞれの情報を出し合うと広がりが出るということでしょうか。これまでのKUBOさんの実地踏査の経験があればこそ、短時間でこんなに多くの城館をめぐることができたのだと思います。それにしても、遠くからたくさんのみなさんが参加してくれて、オフ会は盛り上がりましたよね。

>8月までは函館にいらっしゃるということですので、道南方面のお城巡りのご報告を楽しみにしています(^^)
   仕入れた情報はまたお伝えしますので、お楽しみに。そして、チャシについてはよくわからない場所もあるので、また直接教えていただくこともあろうかと思いますが、そのときにはよろしく。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[350] 道南オフ報告 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/19(Tue) 22:19 

>ひづめさん
 志苔館・五稜郭しかご一緒できませんでしたので、それ以降の部分を報告しま~
す(^^)

【一日目】
◎四稜郭
 確かに土塁はとてもきれいなんですけど、その小ささにみなさんう~んとうな
るばかり。私は、あの蝶が羽を広げたような形はとても好きなんですけど...(^^;)

◎戸切地陣屋
 まずは表門から入るのかと思いきや、なぜかみなさん堀沿いに砲台跡のある東
側の稜角の方へ向かい、深さ3mほどある堀を渡って砲台跡へ、そのあともそれ
ぞれ思い思いに写真を撮りながら、土塁を登ったり堀を渡ったり...(^^;)
 そして、堀の外側を歩きながら裏門の方へとすすみ、今度は裏門の数百m先に
あるという火薬庫跡へ向かいました。ここはオフの前に道立図書館に資料収集に
行った時にこういうものがあることに気付いたのですが、四角く土塁に囲まれき
れいに復元されていました。白老の仙台藩陣屋にある火薬庫に比べると土塁が低
いことと平面復元されている火薬庫の大きさが小さいことがちょっと気になりま
したが...
 そして、再び裏門から中に入り平面復元されている建物跡を眺めながら表門へ
向かいました。この表門・裏門の前にある馬隠し土塁も大きくて、見所の一つで
す。私のお気に入りの一つである戸切地陣屋ですが、皆さんにも気に入っていた
だけたようで、とても満足でした(^^)

◎茂別館
 ここも志苔館と同じく道南十二館の一つですが、志苔館が四角い土塁に囲まれ
ているのに対し、こちらは郭が丸い形をして立派な土塁と堀に囲まれてます。こ
こは今矢不来天満宮になってますが、なぜかその鳥居の上にたくさん石がのって
ました。若干一名さんが一生懸命石をのっけようとしてましたけど、なかなかの
らなくって...(^^;)

◎松前大館
 松前に以外と早く着き、まだ日も暮れていなかったので大館の場所だけでも確
認しようと徳山大神宮の前まで行くと、去年まであった大館の説明板が無くなっ
てました。そして、ちょっとその周辺を探すと登り口が見つかりましたので、翌
日の早朝オプションで登ることにして、宿の丹波屋へ向かいました。

◎丹波屋
 すっかりお腹がすいてましたので早速夕食にしましたが、ウニ・アワビ・カニ、
大変美味しゅうございました...シアワセ~(^^)
 食後は、安東氏について熱く語る寿太さんのお話などで盛り上がりました。そ
のあと部屋に戻り、なおさんやさいとうさんにFSIRO-DBをお見せしたり、北海道
のお城やチャシの写真をお見せしたりしました。

【二日目】
◎松前大館
 徳山大神宮の前から、曲がりくねった道を登っていくと大館・小館を隔てる堀
切にたどりつきます。まずは左側の小館の方へ。小館の中は草がかなり伸びてい
ますが、中世城郭事典の縄張り図の通り、何ヶ所か段が見られます。小館という
名からそれほど広くないと思っていましたが、どうしてどうしてその広さにビッ
クリです。
 その後、堀切まで戻り今度は大館の方に向かいました。細い道の右側には曲輪
らしき削平地が広がり、左側には沢があってその下にも道が見えます。たどりつ
いた大館は畑や杉林になっていましたが、その広さには驚きました。その後、ゴ
ローウニン幽囚の地を見て宿に戻り朝食、この朝食も海の幸をふんだんに使った
ものでした。

◎松前城
 そしていよいよ松前城へ。松前町役場の小野寺さんと待ち合わせをしていまし
たが、時間があったので昨年復元された搦手二ノ門、そしてその下の馬坂とその
周辺の石垣を見て回ります。そしておいでになった小野寺さんと一緒に天守へ向
かいます。中の展示を見て、外に出てくると現存の本丸御門、その奥には本丸表
御殿の玄関があります。そのあとは阿吽寺に移築されている寺町御門、法幢寺の
松前藩主墓所、光善寺の血脈桜などを見て天守前まで戻り小野寺さんとお別れま
した。
 あとから思い出したのですが、搦手二ノ門と同様復元の計画がある天神坂門方
面とその近くにある台場(砲台)跡を見ていただくのを忘れてました(^^;)

◎比石館・ワシリチャシ
 上ノ国へと向かう途中、比石館・ワシリチャシに寄りましたが、比石館は館自
体よりもその周囲の海の青さに目を奪われてしまいました。(ワシリチャシは草ぼ
うぼうでどうしようもなし(T_T))

◎勝山館
 上ノ国町教委の松田先生との待ち合わせ時間が迫ってきたので、コンビニで昼
食を用意し待ち合わせ場所へ。でもなかなかいらっしゃらないので路上で食べて
いると松田先生登場。でも時間がないということで、勝山館の案内は私が務める
ことにして、上の駐車場で待ち合わせることにしました。
 その後、荒神堂跡をへて、大手の二重空堀、主郭の上部にある平面復元された
建物跡や搦め手の柵などを眺めて、搦め手門跡を少し登ったところで松田先生と
再び合流、夷王山墳墓群を抜けて夷王山の方へ向かいます。(この時に墳墓群の
端の方で説明を聞いていた一団がありましたが、あの中にひづめさんの奥さんが
いたのでしょうね、きっと)
 そのあと皆さんには夷王山からの眺めを楽しんでいただいている間に車を取っ
てきて、発掘調査事務所へ移動して、勝山館から出土した遺物を見せていただき
ながら松田先生にいろいろと説明していただきました。(何か見覚えがあるなと
思ったら、松田先生は2年前の勝山館シンポジウムの時に遺物の説明をして下さ
った方でした。)
 陶磁器から年代がわかるという話、アイヌの遺物が出てきたり墳墓群にアイヌ
のものがあることから勝山館では和人とアイヌがともに暮らしていたのではない
かというようなお話もあり、とても興味深く聞きました。時間があれば、もっと
説明をしていただきたいところでしたが、残念ながらタイムオーバーとなり松田
先生と別れ、花沢館や洲崎館を横目で眺めながら函館方面へと向かいました。

◎函館山
 途中、二股口 土方歳三激戦の地の標柱を発見したりしましたが、函館空港に
はほぼ予定通りの時間に着き、そこでなおさんとお別れしました。そのあとまだ
時間があるので函館山に向かいました。ロープウェイで函館山に登りました。ロ
ープウェイからは車を停めた駐車場(南部藩陣屋跡)がよく見えました。
 天気が良かったので、函館山からは函館の街はもちろん、駒ヶ岳や羊蹄山、さ
らに津軽半島や下北半島までよく見えました。

 今回は函館でひづめさんとお会いできましたし、上ノ国ではひづめさんのおか
げで松田先生のお話を聞くことが出来ましたし、道南オフの成功はひづめさんの
おかげといっても過言ではありません。どうもありがとうございました。
 8月までは函館にいらっしゃるということですので、道南方面のお城巡りのご
報告を楽しみにしています(^^)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[349] Re[346]:道南オフ楽しかったです(^^) 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/19(Tue) 22:19 

>さいとうさん
> とくに松前藩戸切地陣屋は素晴らしく、私のお気に入りのお城がまた一つ増えました。
 でしょう。あそこは私もお気に入りの一つですので、そういっていただけるとうれ
しいです(^^)

> 欲を言えばもうちょっとM田先生のお話が聞きたかったですが。。。
 そうですねえ。夷王山まつりとぶつかってしまったのがネックでしたね。他の日程
なら大丈夫だったのかもしれませんが、私の方がこの日以外だとちょっと動けなかっ
たもので...

> それでは最後になりましたが、KUBOさん、幹事ご苦労さまで
> ございました。また、ご一緒させていただける機会がござい
> ましたら、よろしくお願いいたします。
 また北海道にいらっしゃる機会がありましたら、よろしくお願いします。私も関東
の方には一年に一回くらいは行くものですから、その節にはどうぞよろしくお願いし
ます。

>なおさん
> こんにちは。まだ道南オフの興奮の冷めないなおです。>ガラナか?
 あはは...(^^;) 今日、仕事帰りにセイコーマートでコアップガラナを買ってきまし
た(^^) 最近、コカコーラよりよく飲んでるかも(^^;)

> メインは有名どころの、五稜郭・松前城だったんですが、
> 寿太さんの熱いお話も含め、志苔館、四稜郭、松前藩戸切地陣屋、
> 茂別館、勝山館などなど、もう内容の濃いものでありました。
 ほんとあっという間の二日間でしたね。なんだかまだオフしているみたいです(^^;)

> 有難うございました。m(__)m また一緒にお城巡り致しましょう。
 近畿方面は先日行った滋賀県以外は二条城と大坂城くらいしか行ってませんので、
そのうちそちらにうかがう機会もあると思います。その節はどうぞよろしくお願いし
ます。(奈良といえば、大和郡山城・高取城などですかねえ?)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[348] 溜まっているレスを... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/19(Tue) 21:56 

>美唄の住人さん
> 遠景もいいのですが、実際に登ってみると、なぜそこがチャシか実感できますよ。
>  他にも、チャシ推定地がありますが、まだ未発表なので公表はできません。
 そうですか、今度行ってみますね。美唄には今春大学時代の友人が転勤となったの
で、そちらを訪ねがてら探してみます。

>Nishiokaさん
 ご無沙汰しています(^^)

> 欧米ではファミリーネームのホームページが大変多いのにびっくりしています。こちら> のページも参考にさせていただきながらちょっといろいろ調べてみようかという気にな> っています。
 どうも英語が苦手なもので、外国のサイトは敬遠しているところがあるのですが、今度いろいろと探索してみようと思います。

>と~もさん
> Kのある番組で聞いたときに「?」と思ったものですから…。も
> しかしたら、家系ではなく「相承」を重視したのかもしれません
> ね…<甥の系統に移っているという事は。
 そうとでも考えないと、ちょっとおかしなことになってしまいますよね。まあ、歌
道でも二条家が絶えてしまったあとも、その道統は江戸期まで受け継がれていました
から、四条流もそんなものなのかもそれませんね。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[347] 6月の北海道はサイコー! 投稿者:なお 投稿日:2001/06/18(Mon) 23:55 

こんにちは。まだ道南オフの興奮の冷めないなおです。>ガラナか?
本当お疲れ様でした。有難うございました。m(__)m m(__)m
もぉ~。あんなに綺麗な土塁、初めてです。とても感動しました。
メインは有名どころの、五稜郭・松前城だったんですが、
寿太さんの熱いお話も含め、志苔館、四稜郭、松前藩戸切地陣屋、
茂別館、勝山館などなど、もう内容の濃いものでありました。
本当に楽しかったです!そして勉強になりました。
有難うございました。m(__)m また一緒にお城巡り致しましょう。


[346] 道南オフお疲れさま&ありがとうございました 投稿者:さいとう 投稿日:2001/06/18(Mon) 06:50 

道南オフに参加された皆様、お疲れさま&ありがとうござい
ました。
とても楽しくかつ勉強になった2日間でした。
とくに松前藩戸切地陣屋は素晴らしく、私のお気に入りのお
城がまた一つ増えました。

また、Oさん・M田先生のような地元に詳しい方のお話を聞
くことができてとてもためになりました。
欲を言えばもうちょっとM田先生のお話が聞きたかったです
が。。。
#当日もお仕事がいそがしそうでしたので、あれ以上は無理
#だというのは分かっているのですけども。。。(^^;)

とりあえず、今回のオフをきっかけにして私も北海道のお城
についてお勉強していきたいと思います。

それでは最後になりましたが、KUBOさん、幹事ご苦労さまで
ございました。また、ご一緒させていただける機会がござい
ましたら、よろしくお願いいたします。


[345] Re[344]:道南オフ、無事終了! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/17(Sun) 19:13 

>ひづめさん
 昨日はどうもありがとうございました。無事、道南オフ終了いたしました(^^) お
陰様でとても良い天気で、遠方から来ていただいた方々に満足いただけたかな?と思
っております。
 ちょっと悔しいのが、他のみなさんが飛行機でいらっしゃっているので、JRで帰
る地元の私が一番最後に自宅に着くことになりそうなことです(^^;) (現在、JR函
館駅のスーパー北斗21号の中から送信してます。)

>  私もこんな出先でオフ会へ参加できるとは思ってもいませんでした。休みが月曜
> 日のため、なかなか普通のオフ会へは参加ができないのですが、少ないチャンスで
> すが新しい方々と知り合いになれるのは楽しい事だと思っています。今後ともよろ
> しくお願いします。
 ひづめさんはもちろんですが、遠方よりいらっしゃったオフに参加のみなさん、そ
して松前町役場のOさん・上ノ国町教委のM田先生にお会いできてとても良かったで
す。

>  北海道は広いので一泊二日ではなかなか忙しいですね。KUBOさん、また、いつか
> 道南オフを企画してください。そして、オフへ参加できない方は私がご案内します
> (ただし、その場合には、月曜日の休みを取っておいてくださいね)。
 今回は上ノ国が駆け足でしたので、もし次回があるとすれば上ノ国をメインにした
いです。

>  それでは、みなさん、今夜は、活イカと温泉をタップリお楽しみください。明日
> は、松前から上ノ国ですね。M田先生によろしくお伝え下さい、私は夏の間にまた
> 何度か上ノ国へは行きますので。
 カニにアワビにウニ...おいしゅうございました(^^) あ、それからM田先生、何か
見覚えがあるなあと思ったら、2年前の勝山館シンポの時に遺物の説明をしてくださ
った方でした。

 ま、時間もありませんので詳しい報告は石狩に帰ってからゆっくりしたいと思いま
す。

>みなさま
 申し訳ありませんが、書き込みへのレスはもう少々お待ち下さい(^^;) それでは

                         by KUBO from HAKODATE

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[344] 道南オフの皆様、お疲れさま。 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/06/16(Sat) 18:16 

 KUBOさん、そして、本日道南オフに参加されたみなさん、お疲れさまでした。無事松前へ到着されましたか?

 私もこんな出先でオフ会へ参加できるとは思ってもいませんでした。休みが月曜日のため、なかなか普通のオフ会へは参加ができないのですが、少ないチャンスですが新しい方々と知り合いになれるのは楽しい事だと思っています。今後ともよろしくお願いします。
 北海道は広いので一泊二日ではなかなか忙しいですね。KUBOさん、また、いつか道南オフを企画してください。そして、オフへ参加できない方は私がご案内します(ただし、その場合には、月曜日の休みを取っておいてくださいね)。

 それでは、みなさん、今夜は、活イカと温泉をタップリお楽しみください。明日は、松前から上ノ国ですね。M田先生によろしくお伝え下さい、私は夏の間にまた何度か上ノ国へは行きますので。

ひづめ@函館お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[343] ど~も(苦笑) 投稿者:と~も 投稿日:2001/06/15(Fri) 22:42 

こんばんは。と~もです。

そうですよね。四条流の祖は山蔭の叔父ではなんですよね。個人
的には「藤原山蔭=伊達政宗の祖先」という公式で覚えておりま
したので、摂津国総持寺の縁起(子供の頃に父が信仰していた観
音像の法力に助けられた「藤原山蔭」が茨木の地に総持寺を建立
し、その奇縁により毎年四条流の包丁術が奉納される…)をNH
Kのある番組で聞いたときに「?」と思ったものですから…。も
しかしたら、家系ではなく「相承」を重視したのかもしれません
ね…<甥の系統に移っているという事は。


[342] お久しぶりです 投稿者:Nishioka 投稿日:2001/06/13(Wed) 22:35 

相互リンクいただいている、目で見る世界史(visual history)のNishiokaです。

欧米ではファミリーネームのホームページが大変多いのにびっくりしています。こちらのページも参考にさせていただきながらちょっといろいろ調べてみようかという気になっています。

今回「中国好きの宮廷人」という小ネタをアップしました。18世紀のシノワズリについて書いています。またお越し下さい。

http://www1.kcn.ne.jp/~a7627/index.html


[341] 美唄のチャシ 投稿者:美唄の住人 投稿日:2001/06/13(Wed) 09:37 

> 美唄のチャシの情報ありがとうございます。ブルドーザーが入っ
>てるんなら遺構の確認は望めませんが、遠景だけでもそのうちに確
>認してみようと思います。

遠景もいいのですが、実際に登ってみると、なぜそこがチャシか実感できますよ。
 他にも、チャシ推定地がありますが、まだ未発表なので公表はできません。

>御本業のHPを見つけてしまいました(^^;)

見ていただいたようで、ありがとうございます。まだ、あまり手を入れていないので、少々恥ずかしいのですが。


[340] あと、五日! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/11(Mon) 22:42 

 やっと運動会が終わりました。朝方は雨が降っていたのでどうなることかと思いま
したが、何とか持ち堪え最後までやることができました。道南オフまであと五日です
けど、先週の日曜日も天気が悪かったし、天気がちょっと心配です(--;) 週間予報で
は土曜日が曇り、日曜日が晴れ時々曇りのようですけど...

 今日は久しぶりに札幌の古本屋に行って来ましたが、宇田川洋先生の『アイヌ考古
学研究・序説』(北海道出版企画センター)があったので、かなり高かったんですけど
買ってしまいました。アイヌ文化を考古学的に考えてみるというもので、昨年復刊さ
れた『増補アイヌ考古学』(北海道出版企画センター)と同様、チャシに関してもかな
り紙幅を割いて記述していますので、読むのが楽しみです(^^)

>美唄の住人さん
 美唄のチャシの情報ありがとうございます。ブルドーザーが入ってるんなら遺構の
確認は望めませんが、遠景だけでもそのうちに確認してみようと思います。
 ところで、先ほどGoogleでいろいろ検索していたら、御本業のHPを見つけてしま
いました(^^;) そちらにも歴史に関するコーナーがあるとは、さすがですね(^^)

>と~もさん
 相変わらず、いろいろなことにご興味を持っているようですね。私ゃあ相変わらず、
系図&お城・チャシです(^^;) ただ、ここしばらく運動会で忙しくてチャシ巡りして
いないのでそろそろ禁断症状が...(をい(^^;))
 ま、今週末の道南オフまで我慢しましょう。
 ところで四条流のことですけど、確かに藤原山蔭を祖としているようですけど、家
系的には山蔭の子孫じゃないんですよねえ。山蔭と同じく藤原魚名を先祖とする同族
ではありますけど... (山蔭の先祖・鷲取と四条家の先祖末茂は兄弟で、ともに魚名の
子)
 『日本の名家』(読売新聞社)によると、四条流の現当主・四条隆彦氏は「四条司家」
の第四十一代目らしいですけど、系図で数えてみたら、隆彦氏は藤原魚名から四十一
代目になるんですよねえ。魚名と山蔭が混乱しているんでしょうか? それとも、山
蔭系から現四条家の系統に料理の道統が伝えられたんですかねえ。よくわからんです
(^^;) F歴で聞いてみますか~?

P.S.
 我が家の周辺でもやっとフレッツISDNがサービス開始になるらしいです。早速
申し込んでみました(^^)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[339] 訂正… 投稿者:と~も 投稿日:2001/06/06(Wed) 01:17 

訂正です。

>「四条流」(公卿の四条家や山科家など)は彼とは違うんです。
                   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
波線部分は、「の祖先は彼ではないんです」でした。何か文法的
におかしいので訂正いたします


[338] ごぶさたで~す 投稿者:と~も 投稿日:2001/06/06(Wed) 01:13 

こんばんは。本当にご無沙汰しております。

最近、私が提唱して始めた勉強会の方が忙しくって、ニフにもこ
こにも発言していないのですが、その間にも色々と興味を持って
歴史と接している今日のこの頃です(そのせいで、一番肝心な事
が後回しになっているというご批判もチラホラと…^^;)

ところで、最近興味を持っているのが家族制度と食べ物について
興味を持っています。食べ物といっても、食べる事に関心が有る
訳では有りませんからね(笑)食事の形態の移り変わり、特に立
ち食いうどんやお寿司といった、有る意味ファーストフード的な
物に対して、それがいつ頃から食べられるようになって、どのよ
うな形式で発展していったのかという事について関心が有って、
色々な史料に当たっている訳なのですが…食の歴史も結構奥深い
ものですね。

「食」で思い出しましたけれども、料理の家として御馴染みの四
条家って、藤原山蔭を祖としているらしいですね。でも、私の手
元にある系図集では、「四条流」(公卿の四条家や山科家など)
は彼とは違うんです。山蔭さんと言えば、伊達氏の祖先として有
名なんですけど…KUBOさん、どうでしょう?


[337] 美唄のチャシ 投稿者:美唄の住人 投稿日:2001/06/05(Tue) 11:45 

>>  なお、美唄にもチャシと推定される場所があります。
 >これはどの辺なんでしょう? 教えていただけませんか?

 美唄の産化美唄(サンカビバイ)川と奔美唄(ポンビバイ)川の間で、高速道路のわきです。典型的な形態をしています。また黒曜石のヤジリが多数出土しています。
 残念なことに、基礎調査なしに、クルミを植えるためにブルトーザーが入り、壕の跡かどうか不明となってしまっています。

なお、小達布と達布山の関係が分かる写真は、
http://www.h3.dion.ne.jp/~soraci/
の「三笠のアイヌ語地名」にあります。


[336] レスが遅れてすみません 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/04(Mon) 23:27 

 あ~、レスが溜まってしまった... それでは。

>ひづめさん
 もう函館に落ち着かれた頃ですね。そちらはきっとこちらよりも暖かいでしょう
ね~(^^)

>  茨城はまだですか。良いお城がたくさんありますよ。
 そうなんですよ、まだなんです。毎年1月には神田神保町で古本屋巡りに行くので、
その時にお城巡りもするんです。去年は小田原城・石垣山城・山中城・太田金山城、
今年は唐沢山城・川越城・菅谷館に行きました。来年は千葉・茨城方面ですかねえ。
でも来年の冬は九州に行きたい気もするしなあ...(暑い頃には行きたくないですしね
え(^^;))

>びわこさん
 私も先日道立図書館に行っていろいろと調べてみましたが、やはり『日本城郭大系』
『図説中世城郭事典』など城郭関係の本では天正13年の中村一氏から水口岡山城の歴
史が始まっています。そこで石田三成関係の本にもいくつか当たってみました。
 『人物叢書 石田三成』(今井林太郎、吉川弘文館)によると、『関ヶ原軍記大成』
に天正の末年に三成が水口城主に封じられ、四万石を与えられたとの記述があるそう
ですが、ご存知のように天正13年から同18年までは中村一氏が、文禄4年までは増田
長盛が、それ以降関ヶ原までは長束正家が水口城主となっていますので、三成が水口
城主となったのは天正13年以前ということになり、渡辺世祐博士は天正11年頃のこと
であろうと言っているそうです。
 ただ四万石を領したというのは当時の三成の身分からいって多すぎる(五奉行の先
輩浅野長政でさえ二万三百石)ので、一万石か一万五千石くらいだったのではないか
と『人物叢書』には書いていました。(白川亨氏の『石田三成の生涯』にもほぼ同様
の記述がありました。)
 ですから三成が水口城主となったのはほぼ間違いなさそうですが、それが現在の水
口岡山城であるかどうかというのは判然としないというところではないでしょうか。
(天正13年以降、佐和山城に封じられるまでの所領も明らかでないようですし。)
 まあ、三成の水口城が水口岡山城だったとしてもそれほど本格的な築城はしておら
ず、居館のようなものだったか、あるいは秀吉の側にいて、水口には在城していなか
ったのかもしれませんね。(あくまで想像ですが)

>さいとうさん
> 道南オフ、楽しみしておりますです。
 取りあえず資料の準備も終了しました(^^)

> 江戸城は見所がたくさんあるので人それぞれの見方がある
> と思います。
> #まぁ私はあらかた見ちゃいましたけど。
 今回の道南オフに参加される寿太さんのサイトをこの前久しぶりにのぞきにいった
ら、この外堀沿いの遺構なども詳しく載っていてしばらく見入ってしまいました。(^^;)

> 私のように天皇陛下にご挨拶しないで江戸城の遺構だけ見て
> さっさと先に行っちゃう人はほとんどいないみたいですね。
 たぶんFSIROの人たちは、このほとんどいない方の部類の人の方が多いと思いま
す(^^;) 私は...どっちでしょう? きっと皇室ご一家そっちのけで写真撮りまくって
るような気がする(をい(^^;))

>美唄の住人さん
 その節は、ご教示いただきありがとうございました(^^)

> また、「アイヌのチャシとその世界」(1994 北海道出版企画センター)p.37には、
>「タプコプ」地名からの探索も重要としています。
 あ、本当ですねえ。この本は何度か読み返しているんですが、気がつきませんでし
た。

>  詳細は「アイヌ語地名研究2」(1999 北海道出版企画センター)に記載しました。
 これはサッポロ堂さんで購入し、読ませていただきました。

>  なお、美唄にもチャシと推定される場所があります。
 これはどの辺なんでしょう? 教えていただけませんか? 今度空知方面に行くこと
があったら探索したいと思いますので。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[335] 小達布について 投稿者:美唄の住人 投稿日:2001/06/03(Sun) 14:19 

 ヤフーで、偶然このホームページを発見しました。拝読して、驚きました。わたくしのことが記載されていました。
 古書店での会話を覚えていてくださって、実際に行っていただけたのですね。
 以下の記載がありましたので、少々書き込みします。

>小達布山はその手前にぽこんと盛り上がっている山です。
>すぐ南側には幾春別川も流れており、川・海等に面した
>舌状台地の先端に位置することになりますので、チャシ
>の典型的な立地と一致しますので、ここにチャシがあっ
>ても不思議ではないと思います。

 小達布の両側には、明治の「陸地測量部5万分の1」地図では川が記載されています。このことから、斉藤忠分類の「臨川性」となります。
また、「アイヌのチャシとその世界」(1994 北海道出版企画センター)p.37には、「タプコプ」地名からの探索も重要としています。
 従来は、達布山が「タプコプ」とされていましたが、わたくしの調査では小達布こそが「タプコプ」であることが判明しました。
 詳細は「アイヌ語地名研究2」(1999 北海道出版企画センター)に記載しました。
 なお、美唄にもチャシと推定される場所があります。


[334] しつこく、水口城主・石田三成 投稿者:びわこ 投稿日:2001/06/02(Sat) 23:05 

KUBOさん、こんばんは。

自習しました。(転記しますので著作権の問題等ございましたら、削除してください。お手数かけますが・・・)

#1583年(天正11年)賎ヶ岳合戦の論考行賞で水口四万石の領主となった三成は野洲川を外堀とし、古城・岡山に入ったが、本格的築城はなかったようである。

#三成が最初に城地を与えられたのは、天正11年(1583)、近江甲賀郡水口である。しかし、三成の在城は短く、わずか2年で中村一氏に引き継がれた。
     旺文社「現代視点・石田三成・戦国幕末の群像」より

(参考までに・・・)
天正13年(1585)7月、秀吉が関白に任ぜられ、従一位に叙せられたのと同時に三成も従五位下治部少輔に任ぜられ、五奉行のひとりとなる。

では。では。。。
                    びわこ
              


[333] 皇居一般参賀 投稿者:さいとう 投稿日:2001/05/31(Thu) 09:20 

KUBOさん wrote:
> 旅館の方、1名追加しておきましたよ~(^^)
どうもありがとうございます。
道南オフ、楽しみしておりますです。

> 外堀沿いというと、去年牛込見附の石垣を見ましたけどあれはなかなか立派なもん
江戸城は見所がたくさんあるので人それぞれの見方がある
と思います。
#まぁ私はあらかた見ちゃいましたけど。

ちなみに、正月2日の一般参賀の日はかなり込みますよ~。
二重橋近くで荷物チェックもありますし。
あっ、ニッポンの旗ももらえますね。

私のように天皇陛下にご挨拶しないで江戸城の遺構だけ見て
さっさと先に行っちゃう人はほとんどいないみたいですね。

天皇陛下が出てこられるまで、30分~1時間ぐらい待つの
ですが、みんなワクワクしているみたいでいいなぁと思いま
した。
#私は待っていられませんでした。。。


[332] 再び水口城主・石田三成 投稿者:びわこ 投稿日:2001/05/31(Thu) 03:49 

KUBOさん、こんにちは。

>  う~ん、どうしようかなあ? なんてね(^^;) でも問題は手持ちの資料に水口城主として石田三成の名が出てこないことなんですよ。たいてい天正13年の中村一氏からしか出てなくて... もうちょっと調べてみますので、少々お待ちを。

そうなのか・・・私は三成の資料しか読まないので、
#天正11年(1583年)水口四万石の城主となり。島左近を召し抱える。
と、あれば、そうなんだ、と思っていますよね。でも城史からいくと
天正13年からしか始まっていない・・・う~ん、どういうことか?
三成の生涯も前半は結構謎に包まれているというか、異説が多いというか・・・
でも、どの三成関連の本でも水口城主になってるのですよね。
もう一度、私も調べてみますのでKUBOさんもよろしくお願いします。(♪ジャンケンぴょんのぐるぐるまわる頭では大変でしょう、お暇な時でいいです。(^^))

>  早速見てきました。結構佐和山城縁の建物ってあちこちにあるんですねえ。

ありがとうございます。(^^)
また彦根に来ましょうね。(と、強引に言う)

>  ところで、びわこさんのサイトからリンクしているMAPFanの地図ですけど、あの「偽佐和山城」の位置に「佐和山城」と表示してましたよ(^^;)

そうなんですよぉ~困ったものです。
昨年の11月に彦根であった三成会のオフの時から、指摘されてたんですけど・・・
あの‘はりぼて城’はどう見たって彦根城の真似なんですけど、瓦は
三成の九曜紋なんですよね。(失笑・・・)

まぁ、彦根人のご愛嬌ってことで笑って許してください。(あのお城の
オーナーもすっごい三成さまのファンなので同好の誼として、最近親しみを感じているびわこなのです)

では、また。。。        
                  びわこ

PS:あした(っていうか、今日)給食参観なんです。1年生限定なんですけど。。。KUBOさんの学校でもこういうのありますか?


[331] Re[330]: ジャンケンぴょんが... 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/05/30(Wed) 22:21 

KUBOさん、こんばんは。

>ま、行ったことがないので、どの程度見所があるのかよくわからんのですが、それなりに名の知られているところをあげてみました。でもそれよりも関東方面はまだ茨城と千葉方面に行ったことがないので、そちらの方に行くのが先かもしれませんねえ...(^^;) 水戸城・土浦城・笠間城・逆井城・佐倉城・久留里城・大多喜城・館山城等ですかねえ?

 茨城はまだですか。良いお城がたくさんありますよ。土浦城も挙げていただいてますが、研修会などでつくば方面へ来られる機会もないとは言えませんよね。お越しの節はほんのちょっと美浦村まで足を伸ばして、我が村の宝物「木原城」をご覧になって下さい。

 あさってはいよいよ函館だ!

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[330] ジャンケンぴょんが... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/30(Wed) 20:36 

 ここ最近、毎日運動会のリズムの練習をしているので、練習以外の時でもふと気が
つくと頭の中を「ジャンケンぴょん」のメロディーが駆けめぐっていることがある今
日この頃です(をい(^^;)) あと一週間半かあ... (ということは道南オフまであと2
週間半ということで)

>さいとうさん
 旅館の方、1名追加しておきましたよ~(^^)

> うーん、こればっかりは人それぞれですからねぇ。。。
 ま、行ったことがないので、どの程度見所があるのかよくわからんのですが、それ
なりに名の知られているところをあげてみました。でもそれよりも関東方面はまだ茨
城と千葉方面に行ったことがないので、そちらの方に行くのが先かもしれませんねえ
...(^^;) 水戸城・土浦城・笠間城・逆井城・佐倉城・久留里城・大多喜城・館山城
等ですかねえ?

> 江戸城も皇居周辺だけではなく、外堀沿いにも遺構がよく残っ
> ていますが、このあたりまで見る方はあまりいないようですね。
 外堀沿いというと、去年牛込見附の石垣を見ましたけどあれはなかなか立派なもん
でしたね。あと江戸城というと半蔵門方面の西側の外周を回ってないのでそちら側を
のんびり歩きながら回るのも良いかもしれないと思っています。
 あとまだ行ったことないですけど、正月2日の一般参賀の日に行ってみたいですね
え。(天皇誕生日は学期末で行けそうもないので)

>使者さん
 ご無沙汰してます。そうかあ、29日がコンスタンティノープル陥落の日でしたっ
け。4月頃からトルコ軍に包囲されていたというのは記憶にあったんですが...
 何か久しぶりに『コンスタンティノープルの陥落』を読みたくなってきましたねえ。

>びわこさん

> でもでも、ここで私のお願いがわかるでしょうか?
> 水口岡山城の城主として、豊臣五奉行の増田、長束の名前を出されたのであれば、
> 三成さまのお名前を筆頭に挙げてはくださらぬか・・・
> 武士の情け。。。かけてはくださらぬか。。。
 う~ん、どうしようかなあ? なんてね(^^;) でも問題は手持ちの資料に水口城主
として石田三成の名が出てこないことなんですよ。たいてい天正13年の中村一氏から
しか出てなくて... もうちょっと調べてみますので、少々お待ちを。

> お礼に6月3日の近江衆のオフに特別ご招待いたしますから・・・
> (にゃはは・・・来れんわなぁ~)
 行けませんてば...(*_*) 2日はPTAの奉仕作業だし。

> PS:私のHP、写真が入りました。拙い写真ですが、また見てね!
 早速見てきました。結構佐和山城縁の建物ってあちこちにあるんですねえ。宗安寺
の門は私も見ましたけどなかなか立派でした。
 ところで、びわこさんのサイトからリンクしているMAPFanの地図ですけど、あの
「偽佐和山城」の位置に「佐和山城」と表示してましたよ(^^;) 倍率を拡大したら、
正しい位置に佐和山城の印がありましたけど...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[329] 水口城主・石田三成 投稿者:びわこ 投稿日:2001/05/30(Wed) 00:25 

KUBOさん、こんにちは。

水口城のこと、ありがとうございました。
‘天正13年当時は水口城と呼んだ’と、ちゃんと書いてあった。
(私は、どこをじっくり読んだというの?(^^;;))
あとは、自分で勉強してみるわ。どーもでした。

でもでも、ここで私のお願いがわかるでしょうか?
水口岡山城の城主として、豊臣五奉行の増田、長束の名前を出されたのであれば、三成さまのお名前を筆頭に挙げてはくださらぬか・・・
武士の情け。。。かけてはくださらぬか。。。

お礼に6月3日の近江衆のオフに特別ご招待いたしますから・・・
(にゃはは・・・来れんわなぁ~)

ところでね、今、気付いたのですが、ちょっと前に書き込まれた
”さいとう”さんって、野暮さんのHPに遊びに来られてる方?
3日のオフ、参加表明してくださったんですよね!(^^)
わーい、わーい。
私も参陣します。よろしくね(^^)
(KUBOさん、ごめん・・・飛び込んでしまいました。。。)

では、また。。。              びわこ

PS:私のHP、写真が入りました。拙い写真ですが、また見てね!


[328] 追悼:コンスタンティノス11世 投稿者:コンスタンティノープルからの使者 投稿日:2001/05/29(Tue) 22:36 

厳密に言うと当時とは暦法が違うので、ずれるのですが、
今日5月29日はコンスタンティノープルがオスマン軍に
よって陥落してから548年目の日です。別にオスマン・ト
ルコを非難する気にはなりませんし(1204年の第4回十字
軍のほうがひどかったから)、「盛者必衰のことはり」か
らすれば仕方がないことではあったのですが。
 

ちょいと場違いな発言ですみません。
日付け限定ネタなもんで。では。


[327] 武蔵国のお城について 投稿者:さいとう 投稿日:2001/05/29(Tue) 21:00 

KUBOさん wrote:
> > でも武蔵国なら100以上のお城を見たことがあります。
>  おお、100以上ですか。私は江戸城・八王子城・片倉城・品川台場・川越城に菅
> 谷館で6つです(^^;) 今度行くとしたら忍城、武州松山城、鉢形城、滝山城あたりで
> すかねえ。
うーん、こればっかりは人それぞれですからねぇ。。。
建物が目当てなら、忍城(門が2つ)、岩槻城(門が2つ)、
世田谷代官屋敷(屋敷、門)でしょうか。
土塁が目当てなら、滝山城、武州松山城、杉山城でしょうか。

もちろん、鉢形城も遺構がよく残っています。
ただ、現在発掘調査中なのですが。

江戸城も皇居周辺だけではなく、外堀沿いにも遺構がよく残っ
ていますが、このあたりまで見る方はあまりいないようですね。
外堀通りは全長26kmだとか。。。


[326] Re[325]:RE: 道南オフについて 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/29(Tue) 20:14 

>さいとうさん
 こちらこそはじめまして(^^)
> 北海道のお城は松前城と五稜郭しか見たことがありません。
 まあ、普通の方はそうでしょうねえ。私自身も4年ほど前まではそうでしたからね
え...(^^;)

> でも武蔵国なら100以上のお城を見たことがあります。
 おお、100以上ですか。私は江戸城・八王子城・片倉城・品川台場・川越城に菅
谷館で6つです(^^;) 今度行くとしたら忍城、武州松山城、鉢形城、滝山城あたりで
すかねえ。

> 道南オフの詳細を教えていただけますでしょうか?
> よろしくお願いします。
 以前にもこちらの掲示板に書いたことがありましたが、6月16日(土)・17日(日)に
@niftyの城郭フォーラムの方を中心としたメンバーで道南方面のお城を回る予定です。
 16日は10時頃スタートで、函館の志苔館・五稜郭・四稜郭、上磯の戸切地陣屋(時
間があれば茂別館も)を、17日は松前城と上ノ国の勝山館(時間があれば比石館・花沢
館・洲崎館も)を回って、16時過ぎには函館方面に戻ってきたいと思っています。
 もしご興味がおありでしたら、直接メールにてご連絡下さい。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[325] 無題 投稿者:さいとう 投稿日:2001/05/29(Tue) 08:49 

はじめまして。
武蔵国在住のさいとうと申します。

北海道のお城は松前城と五稜郭しか見たことがありません。
でも武蔵国なら100以上のお城を見たことがあります。

KUBOさん wrote:
>来月の道南オフの資料にしなくちゃあ。
道南オフの詳細を教えていただけますでしょうか?
よろしくお願いします。


[324] 今日は大丈夫 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/29(Tue) 00:34 

 昨日はひどい目にあいましたが、今日はどうやら何とか体調が元に戻ってきたよう
です。トイレにもあまり行かなかったし...(をい(^^;)) ということで、彦根市内の
史跡の分を更新しました。あとは安土・観音寺周辺の史跡の分かな?

>ひづめさん
>  「北から見直す日本史」 編者 網野喜彦、石井進 大和書房 3,000円
>
>  これは道南の上ノ国町(松前と江差の中間あたり)にある国指定史跡の勝山館の
> 発掘開始20年を記念するシンポをまとめたもので、和人文化とアイヌ文化の接点
> が見えて来る興味深い成果を出している史跡です。などと私が言わなくても道内の
> 方はご存じですね。
 あ、これってひょっとして私が一昨年参加したシンポジウムをまとめたものかな?
網野先生に石井先生が編者ということはどうやらそのようですね。そいつは楽しみで
す。早速、紀伊国屋BookWebで注文しちゃいました(^^;)
 来月の道南オフの資料にしなくちゃあ。

>清正さん
 ご無沙汰してます。なんかそちらの掲示板には顔も出さず、不義理ばかりしていて
すみません(^^;)

> 難しいといいながら、あっさりと殿堂入りするあたり、やはりKUBOさんは、ただも
> のではありませんね(^○^)
 「養子ではない将軍は?」なんていう系図ネタだとすぐわかるんですけどねえ(^^;)
なかなか手こずりました(^^;) 1回目は6~7問くらいでダウン、2回目はラッキー
なことにあそこまで行けましたけど、今度やったらどうでしょうねえ(^^;)

> 南近江遠征、強行軍だったようですね。
> それにしても涎が出てきそうな城ばかりですね。
 う~ん、強行軍というほどでもなかったんですが(^^;) 去年のGWが同じく3日間
で倍の16城でしたから(をい(^^;)) でも、歩いた距離は今年の方が倍以上かも。それ
に見所も満載でしたしね。彦根・安土・観音寺の3城はほんとすばらしかったです。
やっぱ、お城はいい!
 今度のねらい目は中国・四国・九州の西国か、北陸・甲信越の再訪ですかねえ。あ、
その前に来月のFSIROの道南オフがありますが...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[323] ご無沙汰です。 投稿者:清正 投稿日:2001/05/28(Mon) 23:18 

KUBOさん、どーもです。
私のところのクイズコーナーに遊びに来ていただきありがとうございました。

難しいといいながら、あっさりと殿堂入りするあたり、やはりKUBOさんは、ただものではありませんね(^○^)

南近江遠征、強行軍だったようですね。
それにしても涎が出てきそうな城ばかりですね。
私は当分、行けそうもないので、こちらで写真を見せていただいてます。

http://homepage1.nifty.com/SEISYO/index.htm


[322] 上ノ国の勝山館に関する本が出版されましたね 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/05/28(Mon) 20:56 

KUBOさん、こんにちは。

 ひづめの心はすでに函館へ飛んでます。そのひづめに相応しい書籍を本屋で見つけましたので紹介します。

 「北から見直す日本史」 編者 網野喜彦、石井進 大和書房 3,000円

 これは道南の上ノ国町(松前と江差の中間あたり)にある国指定史跡の勝山館の発掘開始20年を記念するシンポをまとめたもので、和人文化とアイヌ文化の接点が見えて来る興味深い成果を出している史跡です。などと私が言わなくても道内の方はご存じですね。

 毎年函館へ着くと必ず勝山館へ行くのですが、それというのも上ノ国町教育委員会の若き学芸員であるM田先生の発掘現場へ行けばそこでこれまでの1年間の成果を解説してもらえるという楽しみがあるからです。
 この本をパラパラと見てみましたが、昨年、一昨年、その前年と現場で聞いた話が載っていました。今年はどんな話が聞けるのかますます楽しくなって来ました。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[321] またやってもうた... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/27(Sun) 22:41 

 この前から妙に鼻水が出るなあと思っていたら、昨日の夕方から身体がゾクゾクし
て熱っぽい... 夜中から今日の午前中はずっとお腹の調子が悪くてトイレに何度行っ
たことか...
 やっとお腹の痛いのは納まってきましたが、いかんなあ、すぐ体調が崩れて... 夜
更かしのしすぎか?(をい(^^;)) ということで、昨日今日でやるつもりだったサイト
の更新もパアです。もう少々お待ちを...

>おろしさん
 そういえば忘れてましたが、武州松山城という山城が埼玉県にもありましたっけ
(^^;) どの松山城にもまだ行ってませんけど、備中松山城と伊予松山城は現存十二天
守に数えられるものですので、いつか行ってみたいと思っています。(備中の方は現
在修理中らしいですけど)

> 昨年、関ヶ原合戦400年記念で、催しがあった時に大垣城に登りました
> 個人的な意見としては、内装(?)が全てコンクリートでして、
> 私としては、時代を感じる事が出来ずショックでした
 わが蝦夷地唯一の天守のある松前城もコンクリート製天守になっております。昭和
26年に失火によって失われるまでは国宝だったんですけどねえ。でも私にとってはは
じめて行ったお城ということで思い出深いものになってますけどね。
 最近は掛川城・白河小峰城・白石城など木造復元されるお城が増えてきていますの
でそういう意味では楽しみもありますね。

> 初代城主の弟の娘が、六条有純の男子を出産してて、
> その子の腹違いの姉に興味があるんです(意味分かりますか)
 それって家光さんの側室になった元尼さんのことですか?(記憶で書いているので
間違っている可能性大(^^;)) たしか六条家の別れが高家になって「戸田」姓を名乗
ってたはずですが、それがその初代城主の弟の娘が産んだ男子かな?

> 時代を感じさせてくれる出来るだけ古い城で
> お勧めはありますか?
 まずは私情に走りますが丸岡城でしょうか? 丸岡は我が家の本貫の地で一度しか
行ったことはありませんが、武骨な感じでいかにもお城という雰囲気を感じさせてく
れます。福井地震で一度倒壊していますが、現存最古の天守といわれてます。ただ惜
しむらくは天守部分しか残っておらず、それ以外の遺構がほとんどないという所でし
ょうか。
 私情ぬきでは、やはり世界遺産に登録されている姫路城ですかね。ここほど天守を
含めた城郭そのものが残っているところはないですから、必見です。あと個人的に好
きなのは長野県の松本城、兵庫県の竹田城(和田山町)、静岡県の山中城(三島市)、岩
手県の盛岡城などでしょうか?
 松本城はよく知られてますから省略しまして、竹田城は山の上に石垣が累々と重な
り天守台跡からのながめは絶景です。山中城は芝が張られきれいに整備されています
が、堀に仕切が入った畝堀とか障子堀といわれる堀の姿が美しく、盛岡城は建物は一
切残っていませんがほぼ完全に残る石垣がとても美しいです。
 まだまだ他にもいろいろとお薦めのお城はあるのですが、それは「城とチャシの部
屋」をご覧下さい(って宣伝しとる(^^;))

>ひづめさん
 函館に3ヶ月も滞在できるなんてうらやましい... いいなあ、ご報告楽しみにして
おります(^^) 来月の道南オフの際にお会いできることを期待しております。

>船登奈央子さん
 はじめまして。現在ちょっと体調不良ですので、少々お待ち下さい。時間ができま
したら調べてみますので。

>秋山如雪さん
 先日は伊達に行かれたそうで、どうでしたか? 伊達といやあ、今週北黄金遺跡が
史跡北黄金貝塚公園として開園するそうですけど。

> 世界史関連になるのですが、先日映画「スターリングラード」
> を見て来ました。
 歴史関係の映画といえば、数年前に見た「ブレイブハート」が印象に残っています。
スコットランド独立のために戦ったウィリアム・ウォレスが主人公でしたが、日本で
はあまり知られていない時代&国ですので、興味深く見ました。DVDも買ってある
んですけど、まだ見ておりません(^^;)
 そういやあ「エリザベス」のDVDもまだ見とらんなあ(^^;)

>びわこさん

> まぁ、ホントにすごい廻り方したんですね。(改めて思った!)
> それにしても、佐和山でだけ不調になるとは・・・
> 私の不徳の致すところでございます。せっかく、北海道から来ていただいて、山頂
> からの眺めを堪能していただけなかったとは。。。
 足はかなり痛みましたが、体調自体はそこそこ良かったんですよね。佐和山城の場合はちょっと皆さんのペースについていけなかったのが敗因でした。自分のペースで登りゃあよかったんですが...(^^;)

> 今度は、二の丸ルートで佐和山を攻めるからねぇ~
 う~ん、二の丸ルートを攻略するには、かなり修業が必要かも(をい(^^;))

> と、こんな内容の記載がありますが、この水口城というのは、水口岡山城のことでしょうか?今回、両方廻って来られたんでちょっとお聞きしたいのですが・・・
 そりゃあ、もちろん水口岡山城でしょう。現在の水口城は寛永年間に建てられたも
のですし...とここまで書いてから『中世城郭事典』『近江の城』などで確認したら、
水口岡山城は天正13年中村一氏が築いたと書かれてありました。天正11年の水口城っ
てどこのことなんでしょう? はて(・・;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[320] こんにちは~♪見たよ。 投稿者:びわこ 投稿日:2001/05/27(Sun) 10:15 

KUBOさん、こんにちは~

今日は、小雨降る中、PTAの資源回収でした。(私、佐和山ばかり登ってるわけじゃありませんから・・・(笑))

さて、じっくり、ゆっくり今回のG・Wのお城めぐりの報告を見せていただきました。(^^)
まぁ、ホントにすごい廻り方したんですね。(改めて思った!)
それにしても、佐和山でだけ不調になるとは・・・
私の不徳の致すところでございます。せっかく、北海道から来ていただいて、山頂からの眺めを堪能していただけなかったとは。。。

さぁ、今度はしっかり体を鍛えた上で、近江入りをしてくださいね。
近江の衆は、いつでもKUBOさんを受け入れOK!ですから。。。
今度は、二の丸ルートで佐和山を攻めるからねぇ~

あのォ・・・ひとつ、教えていただきたいのですが、

#常山紀談によりますと・・・
天正11年頃、四万石で水口城主となった三成は、島左近を自らの半分の高禄で迎えています。

と、こんな内容の記載がありますが、この水口城というのは、水口岡山城のことでしょうか?今回、両方廻って来られたんでちょっとお聞きしたいのですが・・・
(ホントに三成フリークなの?っていわれても仕方ない。恥をしのんでKUBO先生に質問します・・・^^;;こういうことは、こっそりメールで質問したほうがよかったかなぁ・・・まっ、いいか・・・)

では。                   びわこ


[319] おひさです。 投稿者:秋山如雪 投稿日:2001/05/26(Sat) 23:44 

こちらの掲示板ではお久しぶりです。
世界史関連になるのですが、先日映画「スターリングラード」
を見て来ました。
これは第二次大戦中にソ連に実在した天才的スナイパー、
ヴァシリ・ザイツェフという人の話なのですが、なかなか
興味深い映画でした。
今まであまり日本人には知られていない人物だけに、先入観を
持たずに見れました。
戦争映画って悲惨なシーンが多いけど、その分みんな一生懸命
生きているっていうか、命の大切さを教わるというか、とにかく
うまく言えませんが個人的には好きです。
今度真珠湾攻撃を題材にした「パールハーバー」という映画を
公開するそうですが、これも楽しみにしています。
日本映画だと「天と地と」が印象に残っています。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[318] 探しています。 投稿者:舟登 奈央子 投稿日:2001/05/24(Thu) 16:30 

はじめまして。
江戸時代千葉県内のお城の殿様で問屋の娘と結婚した人物を
探しています。
よろしければ、教えて下さい。


[317] はじめまして 投稿者:ひづめ 投稿日:2001/05/23(Wed) 22:45 

掲示板にお集りの皆さん、初めまして。

 私は茨城県南の美浦村に住む「美浦村お散歩団」のひづめと言います。6月から8月にかけて仕事の関係で函館に滞在する予定ですが、その時期は「函館お散歩団」へと活動名が変わります。函館滞在の3ヶ月の間に城館やチャシを見れるだけ見ておきたいと思っています。地元の方のアドバイス、お願いします。

 KUBOさんには昨日メールでご挨拶させてもらいましたが、今後ともよろしく。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[316] 大垣城は・・・・ 投稿者:おろし 投稿日:2001/05/23(Wed) 18:15 

またまた、詳しく教えて頂き、ありがとうございます
ちゃんと県名を書かなかったもので、すみません
そうです愛媛県です
昨年、関ヶ原合戦400年記念で、催しがあった時に大垣城に登りました
個人的な意見としては、内装(?)が全てコンクリートでして、
私としては、時代を感じる事が出来ずショックでした
外観と眺めはよかったです
大垣城は、戸田さんですよね
初代城主の弟の娘が、六条有純の男子を出産してて、
その子の腹違いの姉に興味があるんです(意味分かりますか)
時代を感じさせてくれる出来るだけ古い城で
お勧めはありますか?


[315] 南近江遠征、第2次更新しました 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/23(Wed) 07:25 

 ということで、二日目・三日目に回った安土城・八幡城・水口城・水口岡山城・観
音寺城の分をアップしました。安土城・観音寺城は写真が100枚以上撮ったので、ど
れにしようかと迷ってしまいました(^^;)
 あとは、お城以外の史跡関係(龍潭寺・瑞龍寺・沙沙貴神社など)はまた後ほどアッ
プする予定です。

>Kircheisさん
 彦根城は良いですよ~。是非行って下さいませ(^^) バナー変更しておきました。
そういえば、うちのサイトのバナーを作ろうと思ってて忘れてたなあ... もう今更遅
いか(^^;)

>おろしさん
 前述の愛王丸=永尊の子孫である西遊寺ですが、次のように系しています
(1)永尊―(七代略)―(9)順栄―(10)智山―(11)玄嶺―(12)教祐―(13)月山―(14)法輪―
(15)長葉釈普聞―(16)能了院釈現賢―(17)西教本院釈聡明―(18)法菫―(19)長麿と続
いているそうです。

> 去年暮れに松山城へ行きましたよ
 松山城って愛媛の松山城ですよね? 松山城っていう城はあちこちにあるもんで。
岡山にも山形にもあったはず... 愛媛の松山城は現存12天守の一つで、まだ私は行っ
たことないです。西の方はまだ行ってないところがかなりあるんですよね。
 郡上八幡城の天守は模擬で、維新前まで存在していたお城には天守はなかったそう
ですけど、なかなかきれいですよね。岐阜県もまだ行ったことがないんですが、大垣
城・岐阜城・岩村城などには行ってみたいですねえ。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[314] 寺?ですか・・・・・ 投稿者:おろし 投稿日:2001/05/21(Mon) 09:45 

教えて下さりありがとうございます
確か、祖父は寺の住職の息子だったそうです
ただ、新潟だったのか福井だったのか定かじゃないんですけど。
ま~なににしても義景さんと同じ苗字だという事だけで
光栄、満足ですから。
去年暮れに松山城へ行きましたよ
何が良かったかと言えば、柱の太さ、黒光りが愛しかったです
城内の展示物もドキドキする程、興味深い物がたくさんあって
天守から見下ろす松山市内もなかなかのモノでした
息子は石垣によじ登り、「しのび!」と喜んでいました
しかし、地元名古屋城に登った事がないんです
小さな城好みでして、今度の休日には、郡上八幡城へ行こうと思ってます


[313] お願い 投稿者:Kircheis 投稿日:2001/05/20(Sun) 23:38 

彦根城はいいですね~。私は彦根在住の親戚がいるのですがあいにく遊びに行く機会が無くて彦根城は一度も見た事が無いです。

話は変わって、私のHPにてバナー更新を行いました。少し凝った(?)作りに変えましたので、時間が有ればバナーの変更をお願いしますm(__)m。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis


[312] 南近江遠征、第1次更新しました 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/19(Sat) 23:25 

 今日は昼から先日の旅行の写真の画像処理に取りかかりまして、まず旅行初日の彦
根城・佐和山城・長浜城の分が終了しましたので、更新しました。彦根城は写真を選
ぶのに苦労しました。何といっても4回も行ったもんで写真が280枚くらいあるもん
ですから(^^;) でも彦根城天守はきれいですねえ。思わずトップページに写真を掲げ
てしまいました。
 あと二日間の分につきましてはもう少々お待ち下さいね~

>おろしさん
 はじめまして。
> 教科書に、朝倉義景が載っているのを母が見て
> この人はご先祖様よ と言っていました
> 母の旧姓は朝倉で、祖父は福井から愛知県に出て来たとの事。
> この真意を調べる術や時間もなく漠然とした現在です
 朝倉一族の末裔の方でしたか。そういえば、一乗谷朝倉館に以前行った時に、端の
方に朝倉義景の墓がひっそりとありましたっけ。また行きたいですねえ、福井県...
 以前、日本家系図学会の機関誌「姓氏と家紋」(現「旅とルーツ」)に朝倉義景の嫡
子愛王丸の末裔という方が載っていたことがありましたが、それによりますと愛王丸
は織田信長に殺されたことになっていますが、それは替え玉で、本当の愛王丸は家臣
と共に越後国越前浜村(現新潟県西蒲原郡巻町)に落ちのび、のちに出家して「永尊」
と称し西遊寺の初代住職となって、子孫は現在に至っているとのことでした。どこま
で本当のことかはわかりませんが、結構そういう話はあちこちに残っているもんです
ねえ。

> 福井にゆかりのある歴史好きな方と巡り合えて嬉しいです
> これからも、おじゃまさせて頂きます
 こちらそこそよろしくお願いします。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[311] 知りたいけど・・・・ 投稿者:おろし 投稿日:2001/05/18(Fri) 09:23 

初めまして!
母方は福井に縁があると聞いています
教科書に、朝倉義景が載っているのを母が見て
この人はご先祖様よ と言っていました
母の旧姓は朝倉で、祖父は福井から愛知県に出て来たとの事。
この真意を調べる術や時間もなく漠然とした現在です
あんまり信じてないけど・・・・・義景さんとは似てないし。
福井にゆかりのある歴史好きな方と巡り合えて嬉しいです
これからも、おじゃまさせて頂きます


[310] 次の更新は週末? 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/16(Wed) 23:51 

昨日は参観日、今日はPTAの会合となかなかサイトの更新の時間を取れない今日こ
の頃です。今度の更新は土曜日くらいかなあ?

>濱野佐宗さん
> まさかGWの同日に彦根城を訪れていたとは思いませんでしたので、
> 後から知ってビックリでした。
 私もビックリしました(^^;) きっとどこかですれ違ってたんでしょうけど。オレン
ジ色のポロシャツ着て、デジカメ持って、メガネかけた30代後半の怪しげな男いませ
んでしたか?(をい(^^;))

> 自分の場合は訪城先でよく建造物内部の渋滞に遭遇しますので…。
> (ただ単に旅行の時期が悪かったとも言う)
 まあ時期が時期ですからねえ。彦根城にしても、安土城にしてもこの時期じゃなけ
りゃあもう少し人は少なかったんでしょうけど。

>S-Tさん
 はじめまして。

> 私は小樽の望洋台に住んでいますが、
> 家の近くにアイヌの城があったなんて全然知りませんでした。
> とても勉強になりました(感謝)。
 おお、というと桜チャシのお近くにお住まいですね。あそこは特にここがチャシだ
というような看板も何もないんですけど、あの部分だけ公園化されず、もとからの雑
木林が残されていますし、『日本城郭大系』に載っている写真にそっくりですので、
どう考えてもあそこが桜チャシだとしか思えません。堀跡と思われる所が遊歩道にな
っちゃってますけど(^^;)
 市町村によっても違いますけど、チャシって結構あちこちにあるんですが、何も表
示されていないところも多いので、きっと近くに住んでいても知らないという人が北
海道は多いんじゃないかと思います。実際、私も数年前まではチャシなんぞに全く興
味を持っていませんでしたから(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[309] はじめまして 投稿者:S-T 投稿日:2001/05/16(Wed) 13:22 

管理人さま、はじめまして。
私は小樽の望洋台に住んでいますが、
家の近くにアイヌの城があったなんて全然知りませんでした。
とても勉強になりました(感謝)。


[308] 彦根城 投稿者:濱野 佐宗 投稿日:2001/05/14(Mon) 00:19 

KUBOさん、お久しぶりです。
まさかGWの同日に彦根城を訪れていたとは思いませんでしたので、
後から知ってビックリでした。
それにしても自分の場合と違って、
天守閣が渋滞していなかったのは羨ましいところです。
自分の場合は訪城先でよく建造物内部の渋滞に遭遇しますので…。
(ただ単に旅行の時期が悪かったとも言う)
それにしても国宝天守閣へ人の群がる様は恐ろしいものがあります。
人の重さで天守の寿命が縮まなければ良いのですが…。

http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/index.html


[307] 早速、いってみます 投稿者:sat 投稿日:2001/05/13(Sun) 19:01 

返信ありがとうございます。
杉坂小弥太さんは、八戸の方なのですね
早速、杉坂さんのサイトへいってみます。
また遊びに来ますので、よろしくお願いします。


[306] ちょっとのんびり... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/13(Sun) 13:31 

 GWは旅行に行っていましたので、この連休は久しぶりにのんびりしています。ほ
んとは道立文書館に資料を漁りに行こうかと思いましたが、調べてみたら土日は休み
ということで断念しました(T_T) 全く...
 で、少しずつGWの城巡りの部分をまとめております。近日中にはアップできるか
なと思っております。

>松本さん、筈衛さん
 『秋田武鑑』面白そうですねえ。ほんと見てみたいです。個人的には多賀谷・伊達
・結城などは見てみたい気がします。和田って和田昭為の子孫でしょうか?(某ゲー
ムで出てきた記憶あり(^^;))

>と~もさん
> ところで、KUBOさんはこのGWは近江を周遊された由、そ
> ういう楽しみ方も有るのかと興味深く読ませていただきました
 ていうか、最近は旅行するとこういう楽しみ方しかしておりません、ほとんど(^^;)
なんか、まともな観光旅行って最近したことないなあ(^^;) 一応滋賀県方面の観光ガ
イドも持っていきましたが、ほとんど開きませんでした。
 彦根城・安土城・観音寺城・八幡山城はたくさん人がいましたけど、観音寺城は観音
正寺に、八幡山城は瑞龍寺に参拝するためで、私のようにお城を見に行った人ってほと
んどいなかったでしょうね。八幡山城で石垣の写真撮ったりしてると、周りの人との違
和感を感じてしまいました(^^;)

 狂言ですか。やはりそちらの方はそういうものがまだまだ身近なんでしょうかねえ?
北海道は新しい土地であるからか、あまりそういうものを身近に感じたことがありま
せん。正直な話、能も狂言もまだ一度も見たことないです(^^;)
 民俗芸能ねえ。それもあまり身近に感じたことないですねえ。まあ、たいこだとか
獅子舞などが地域にあるところもありますけど、本州ほど地に根付いた感じがしない
です。まあ、他の地域ではそうでもないところもあるのでしょうけど。

>satさん
 はじめまして。当サイトにおいでいただきありがとうございます。
 私は北海道の人間なもんで、それ以外の土地の歴史については通り一辺倒のことし
か知らないのですが、櫛引って八戸のあたりですか? でしたら、杉坂小弥太さんが
地元ですので、たぶんお詳しいと思いますが。杉坂さんのサイトはうちとリンクして
いますので、リンクをたどってみてください。

>秋山如雪さん
 うちのリンクページも「相互リンク」ということで掲げました。

 来週伊達に行かれるのですか。伊達は見所が多いですよねえ。伊達の開拓記念館に
は亘理伊達家縁の品々が展示してありますし、その近くには伊達家が賓客をもてなす
ために建てた迎賓館や、現存最古の開拓農家の住宅という旧三戸部家住宅があります。
有珠の方には蝦夷三官寺の一つ善光寺がありますね。ここの境内にある有珠郷土館に
は円空仏や善光寺関係の資料が展示されていますので、ここを見学するのも良いでし
ょう。(ただし普段は開いていませんので見学するためには申し出る必要がありますけ
ど)
 あと市内には保存状態の良いチャシが2つあります。一つは館山公園にある館山チ
ャシ。もう一つは有珠のB&G海洋センターの裏にあるポンチャシです。時間があっ
たらこれらもご覧になってみてくださいね。(館山チャシは私のお気に入りのチャシ
の一つです(^^))

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[305] リンク完了 投稿者:秋山如雪 投稿日:2001/05/13(Sun) 00:42 

リンクの件、どうもありがとうございます。
こちらからのリンクは完了しましたので、一応確認にだけ
いらしてください。
これからよろしくお願いします。
それと来週の土曜日に伊達に行くつもりなので、このページで
伊達のことを勉強させていただきます(笑)。
それでは。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[304] Re[299]:RE: 「白坂」姓について 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/12(Sat) 23:20 

松本好晴さま(^^; 戦武堂さま(^^;)

 やはり載っておりませんでしたか(^^;

>> 載っていたのは、
>>
>>北、東、南、小場、石塚、大山、戸村、今宮、小野岡、岡本、古内、
>>真壁、宇都宮、多賀谷、茂木、伊達、武茂、箭田野、塩谷、小野崎、
>>和田、小貫、酒出、松野、早川、宇留野、真崎、小田野、小場、戸村、
>>小瀬、小野崎、今宮、小野岡、岡本、古内、茂木、茂木、小鷹(土+守)、
>>渋江、須田、田代、前古屋、石川、福原、佐藤、梅津、玉生、船尾、
              ↑
              赤坂氏なんでしょうね
>>中川、細井、小野寺、箭田野、塩谷、松野、武茂、梅津、大越、
>>小野寺、梅津、山方、荒川、梅津、渋江、大塚、信太、黒澤、梅津、
>>疋田、岡谷、結城、土屋、八木、大沢、真壁、寺崎、平元、金、中安、
>>介川
 ↑
 寺崎、金、中安、介川氏はどんな家なんでしょうね(^^;
 ま、介川氏は助川城主の末裔なのでしょうけど・・・(^^;

 ほとんどが引渡衆、廻座衆の家ですね(^^;)(早い話が重臣だけ)

                 筈衛from fukushima city


[303] はじめまして 投稿者:sat 投稿日:2001/05/11(Fri) 14:18 

はじめまして
歴史について知っている事が全然ない私ですが、
お聞きしたい事がありまして投稿させてもらいました。
南部で九戸の乱(1591)が起きた後の、櫛引の地の歴史を知りたいのですが。
何かご存知の方がいらっしゃれば、教えてください。
よろしくお願い致します。


[302] 藤原保昌って… 投稿者:と~も 投稿日:2001/05/10(Thu) 02:29 

そう言えば、件の「土蜘蛛」において源頼光の命によって
土蜘蛛を退治する事になる家来(頼光の四天王ですが…)
の中に、「平井保昌」なる人物がいるのですが、この人は
「恋愛の歌人」として名高い和泉式部の旦那さんであり、
彼女の子供である小式部内侍をして、

大江山 生野の道も 遠ければ まだ文も見ず 天橋立

と歌わしめた藤原保昌の事では有りませんか?この人物の
事は「今昔物語集」の中に有る「保昌と袴垂」の話にも出
てきますが、私は今一つ分かりかねます。保昌と頼光との
関係や、何故平井保昌と呼ばれるようになったのかという
謂れなんかも…。

ひょっとしたら、「源頼政の鵺退治」の話も演目として登
場するので、ひょっとすると源氏の事を強調する為にこの
ような関係を創出したのではないかとの見方もできるかも
しれません。さぁ、皆さんのお考えは如何に!


[301GWの思い出… 投稿者:と~も 投稿日:2001/05/10(Thu) 02:16 

お久しぶりです。最近、ようやくF歴の方にも復帰しまして、
最近はJ館に話題を書込むよりもMT館の方でチャットに興じ
ているのが殆どです。(書いたのと言えば「蘇民将来」の話を
L館書いた位で…^^;)

ところで、KUBOさんはこのGWは近江を周遊された由、そ
ういう楽しみ方も有るのかと興味深く読ませていただきました
(過去のログを…^^)私の方はと言いますと、三月以来ずっと
京都市の中西部地域にある三ヶ所のお寺で開催された「京都三
大念仏」を制覇してきました(^_-)

狂言、特に念仏狂言は面白いですよ。今北条時宗をやってる和
泉元弥がやってるようなものとは違って、とても庶民的で、昔
の言い回しの中にも現代を風刺している所があり(最後の千本
えんま堂のはそうでした)、しかも、同じ演目でも演じ方が三
者三様であったり…。ちなみに、私は源頼光が登場する「土蜘
蛛」初回の嵯峨釈迦堂(清涼寺)と最後の千本えんま堂(引接
寺)の二回見てきたのですが、ストーリーや衣装が少々違って
いたりするなど、見ていて本当に飽きない内容だったので、と
ても満足でした。

ただ、四月二十九日に壬生寺で、五月四日に千本えんま堂で開
催された「結願式」と呼ばれる千秋楽は都合により見る事が出
来ませんでした。でも、来年までのお楽しみにとっておく事に
しましょう…。

ところで、KUBOさんの所の民俗芸能って何かありますか?
お祭りの中に有る歴史…考えただけでも楽しくなりそうですが
、如何でしょう?


[300] 無題 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/05/10(Thu) 01:08 

>小鷹(土+守)←(多分「こだかり」って読むんでしょうけど・・・)
>という家なんですけど
どっちかというと国司姉小路氏を僭称した三木氏の一族と伝わって
いるんだそうだYO!


[299] Re[293]: 「白坂」姓について 投稿者:松本好晴 投稿日:2001/05/10(Thu) 00:23 

 HAZUさん、こんにちは。お返事が遅くなってしまいました。

>  松本さん、その武鑑に「白坂」姓のものはいませんか(^^;)

 載っていたのは、

北、東、南、小場、石塚、大山、戸村、今宮、小野岡、岡本、古内、
真壁、宇都宮、多賀谷、茂木、伊達、武茂、箭田野、塩谷、小野崎、
和田、小貫、酒出、松野、早川、宇留野、真崎、小田野、小場、戸村、
小瀬、小野崎、今宮、小野岡、岡本、古内、茂木、茂木、小鷹(土+守)、
渋江、須田、田代、前古屋、石川、福原、佐藤、梅津、玉生、船尾、
中川、細井、小野寺、箭田野、塩谷、松野、武茂、梅津、大越、
小野寺、梅津、山方、荒川、梅津、渋江、大塚、信太、黒澤、梅津、
疋田、岡谷、結城、土屋、八木、大沢、真壁、寺崎、平元、金、中安、
介川

といった家々です(ダブってる姓は本家と別家です)。残念ながら「白
坂」家は有りませんでした。

 ところで、この中の小鷹(土+守)←(多分「こだかり」って読むん
でしょうけど・・・)という家なんですけど、系図によると「妹小路正
四位下左中将藤原公綱」という人の子孫で、もともと飛騨国司の家柄ら
しいんですが、「妹小路」じゃなくて「姉小路」ですよねぇ?違いまし
たっけ。

> >> ん? ちょっと待って! 人ごとのように書いてるけども、筈衛さんも同級生じゃな
> >>いですかあ! 全く...
  ↑
いやあ、皆さん同じ昭和2ケタ生まれじゃあないですか(爆笑)。


[298] 無題 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/05/09(Wed) 22:11 

>HAZUさん
『秋田武鑑』に「白坂」姓はいませんYO!


[297] 無事戻っております 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/08(Tue) 23:55 

>みなさま
 留守中ありがとうございました。とはいっても旅先からもアクセスしていたので、
旅行の様子などもご紹介していましたが。

 結局3日間で、彦根城・佐和山城・長浜城・安土城・八幡山城・水口城・水口岡山
城・観音寺城の8城を訪城しました。何ヶ月分もまとめて歩いたせいで、右足の薬指
は水ぶくれがするし、左足の中指は爪の下に血がたまるしとさんざんでしたが、以外
とこの2ヶ所はあまり痛くなくて、それよりの足の筋肉痛と身体全体の疲れの方が堪
えております(^^;) 昨日は、疲れのせいか家に帰ってきたらどうにも眠たいので仮眠
を取ったら、気がついたら夜中の2時... 慌てて寝てしまいました(^^;)
 さて、旅行中のことはのちほど更新しようと思っていますが、やはり彦根城・安土
城・観音寺城の3城が非常に印象に残っています。特に彦根城には3日間で4回も行
ってしまいました(^^;) 写真も結局700枚以上もとってしまいました(^^;) (デジ
カメだからできることですねえ)
 あと上の3城に比べればささやかなんですが、沙沙貴神社に行けたのが良かったで
す。実は私の母方は佐々木といいまして、母親の話によると先祖は岩手県の方で庄屋
をしていたというんです。家紋も「丸に四つ目結」ですし、佐々木一族の氏神である
沙沙貴神社には行ってみたいと思っていたので、小さな念願が一つ叶ったという感じ
です。

 さて、今度は来月あるniftyのFSIRO(城郭フォーラム)の道南オフですかねえ。#247
に書きましたが、道南の五稜郭・志苔館・四稜郭・戸切地陣屋・松前城・勝山館等を
回る予定でいます。さあ、資料を用意しなくちゃあ...(あ、その前に運動会もあるん
だった...)

>松前志摩守さん
 旅行中のゴタゴタにまぎれてレスが遅れて申し訳ありません。

> 最近は本業が米農家なのでこの時期はかなり忙しいです
 そりゃあ、これから田植えなど大変ですねえ。一応私も実家は農家じゃないんです
けど農村出身なもんで、その辺の忙しさというのはわかるつもりです。

> 「松前藩知行関係資料」だったと思いますが、そこから近藤氏の略系図と没年を確
> 認できました
 おや道立図書館にもありましたか。見落としてたなあ。なんかまだまだ見ていない資料がありそうですね、道立図書館。

> 今泉氏は小林良景(長禄9年没)の子、季景が今泉氏の3代目に養子となり、そ
> の時に今井氏を名乗ったようですね
 ああ、その辺は江差町史にもちょっとでてましたね。

> 工藤氏も蛎崎氏に蝦夷渡島当時からいる古参で興味があるんですけど、何かわか
> りますか?
 う~ん、工藤氏に関しては特に資料を持ち合わせていないです。申し訳ありません。

>秋山如雪さん
> 石狩当別にいたのはうちの父親の世代までなので、私は札幌生まれ
> の札幌育ちです。
 あれま、それは失礼しました(^^;) なんか当別と聞いたら身近に感じてしまいまし
て。

> それと、僭越ながら相互リンクをさせていただけませんか?
 わかりました。のちほど、そちらにおじゃまさせていただきます。

>びわこさん
 先日は大変お世話になりました。また最後は米原駅までお見送りまでしていただい
て、本当にありがとうございました(^^)

> 無事に家まで辿り着けましたか?
 はい、あの日は夕方の5時には予定通り自宅にたどりつきました。裏道使って帰っ
たら、行く時に高速使ったのとそんなに変わらない時間でついてしまいました(^^;)

> KUBOさんにとっては、佐和山城址はちょっと印象が薄かったかもしれませんが、
> 時々は思い出してやってくださいね。。。
> (銘菓‘さわ山’は、おいしかったでしょ?)
 はは、申し訳ない(^^;) 正直なところ、本丸登るまではバテバテで西の丸(でした
っけ?)と本丸付近は全く印象に残ってません(^^;) 法華丸と太鼓丸の土塁はなかな
かのものでしたけど、あんな状態だったので写真に撮ってないし(^^;) うちのサイト
に載せるとしても遠景と千貫井と大手口の土塁くらいしか写真がないかもしれない
(あ、あと偽佐和山城と(をい(^^;)))
 「さわ山」は美味しゅういただきました(^^) あれを職場のおみやげにしても良か
ったかも...

> あの‘亡びた名家’でしたっけ?(ゴメン、コンテンツ名忘れた・・)そこでの石
> 田三成のUP、楽しみにしています。
 「滅びた(?)名族」です(^^;) でも、いつになることやら... できましたらお知ら
せしますね(^^)

P.S.
 先日、『古代氏族系譜集成』の宝賀寿男先生にメールを頂いてしまいました(^^)
いやあ、丸山浩一先生にお手紙を頂いて以来の感動かも(^o^) 自分のサイトを持って
いるといろいろと思いがけない出会いがあるもんですねえ。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[296] ちゃんと帰れましたか? 投稿者:びわこ 投稿日:2001/05/06(Sun) 23:26 

KUBOさん、こんにちは。
無事に家まで辿り着けましたか?

KUBOさんにとっては、佐和山城址はちょっと印象が薄かったかもしれませんが、時々は思い出してやってくださいね。。。
(銘菓‘さわ山’は、おいしかったでしょ?)

あの‘亡びた名家’でしたっけ?(ゴメン、コンテンツ名忘れた・・)そこでの石田三成のUP、楽しみにしています。

では、また。。。
                   びわこ


[295] 相互リンク 投稿者:秋山如雪 投稿日:2001/05/06(Sun) 18:46 

KUBOさん、こんにちは。
またお邪魔します。
石狩当別にいたのはうちの父親の世代までなので、私は札幌生まれ
の札幌育ちです。
当別の方には祖父の墓があり、その墓参りに行ったことがある程度
なので、詳しくは知らないのです。
祖父母の家はその後札幌市の北24条辺りに移って、そこの古い
家は小さい頃に行った記憶があります。

それと、僭越ながら相互リンクをさせていただけませんか?
うちのホームページは小さいし、また画像なども載せていない
ところなのですが、よろしければ見にいらしてください。
リンク先はたくさん貼りたいと思っているのですが、まだまだ
少ないので。
もしよければ、私のホームページの掲示板かメールにご返事を
ください。
それでは。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[294] Re[291]:RE: 渋江氏の事 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/05(Sat) 21:32 

松本好晴 さま(^^;)

>> とりあえずご報告します(^^)。件の資料によると、渋江家の系図は以
>>下のようになっていました。

 ありがとうございます(^^;)
 宗家は、光久と局光を除いて、佐竹氏当主から一字貰っているのです
ね(^^;)
 この二人だけ、佐竹氏当主から一字を貰っていないのはどうしてでし
ょうね(^^;
 小場宣忠って、誰かと思えば、渋江政光の弟なんですね(^^;)

                 筈衛from fukushima city


[293] Re[292]:RE: 今日も疲れました。 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/05(Sat) 21:32 

KUBO さま(^^;)

>>>筈衛さん、松本さん
>> 渋江氏の系図ありがとうございました。なんか、ツーといえばカーですね(う~、
>>我ながら古い(^^;))

 それは、秋田武鑑と言われれば・・・・(^^;)シタゴコロモアリマスシ

 松本さん、その武鑑に「白坂」姓のものはいませんか(^^;)

>> ん? ちょっと待って! 人ごとのように書いてるけども、筈衛さんも同級生じゃな
>>いですかあ! 全く...

 いや~、KUBOさんのお年は覚えておりますが、自分の年は忘れました(゚゚ )バキッ☆\(--#)

                 筈衛from fukushima city


[292] 今日も疲れました。 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/05(Sat) 19:35 

>みなさん
 昨日は失礼しました。帰ってきたのがえらく遅かったもんで、全然書き込む時間が
なくて、今頃返事を書いております(^^;)

 昨日はまず安土城に行きましたが、一部復元の石垣もありましたが、全山石垣で覆
われているような感じで、さすがに信長が建てた城という感じがしました。そのあと
博物館などを見て観音寺城に行く予定だったんですが、GW中のせいか、駐車場が満
車で渋滞しているので、パスしまして八幡城に行きました。ここは秀吉の甥・秀次が
建てた城で、頂上部分は現在お寺になってしまっているんですが、石垣がとてもきれ
いに残っていまして、見応えがありました。そのあと、まだ時間があったので翌日回
る予定だった水口城&水口岡山城まで行ってきて、昨日はTime Up。夜は初日に彦根
城を案内してくださった隠密かたてわざさんと晩飯を食べたあと、夜の彦根城散策で
す... あれはちょっと怖かったですね(^^;)
 で、今日は午前中は昨日パスした観音寺城にまず行きました。ここも至る所に石垣
が残っていて、ホント関西のお城は石垣が多いと感じさせられました。昼からは彦根
に戻ってきて、先日見れなかった博物館を見て、そのあと昨日かたてわざさんに案内
してもらったルートを逆にたどりながら、この前見なかった部分をぐるっと見てきま
した。
 とにかく三日間で何ヶ月分も歩いたような気がします。(いまも足に冷感りらくシ
ートをばしばし貼ってます(^^;))
 さあ、明日はもう北海道に帰らねば... 早いなあ~

>筈衛さん、松本さん
 渋江氏の系図ありがとうございました。なんか、ツーといえばカーですね(う~、
我ながら古い(^^;))

>びわこさん
> そのあと再度、佐和山大手跡から佐和山を望み、風流な(?)私は昨日横目で眺め
> るだけだった玄宮園の鳳翔台(お茶席)で、お抹茶など嗜んでまいりました。
 私も、今日は歩き疲れて、彦根城博物館で抹茶をいただいて休憩してしまいました
(^^;) あと、安土の文芸の郷では昨日食べ損なった「戦国焼き定食」なるものを食べ
てきました(^^;) ま、たいしたもんじゃありませんでしたが...

> もし、まだ行っておられないのだったら、是非とも博物館ロビーに飾られている
> 『朝鮮人道見取絵図』も見てきてくださいね。(^^)
 博物館をぐるっと回ってロビーに戻ってきてから、おやと思ってみたのがそれでし
た。でも、すっかり忘れてまして「ふうん」とちらっと見て帰ってきてしまいました
(をい(^^;))

> 年がばれちゃったじゃないですかぁ・・・もお~っ!
 あ... 自分のことを書いたつもりだったんですけど... って、同級生と書いちゃっ
てるんだからバレバレですね(^^;) いや~ドジってしもうた...
 ん? ちょっと待って! 人ごとのように書いてるけども、筈衛さんも同級生じゃな
いですかあ! 全く...

>秋山如雪さん
 いらっしゃいませ(^^) 早速おいでいただきありがとうございます。
> それにしてもご自分のご先祖がわかるというのは羨ましいですね。
 う~ん、うちの場合曾祖父さん(つまり北海道に渡ってきた祖父さんの親)までしか
わかってないので、先祖がわかっているうちに入らないですよ~(^^;) これで、丸岡
に本家が残っていればある程度わかったんでしょうけどねえ。

> うちは家系図も残っていないし、家紋もかなり怪しいらしく
 うちの家紋もかなり怪しいですよ(^^;) 本家の伯父が亡くなった時に遺品を整理し
ていたら、出てきた紋付きにあの紋が付いていたからわかったようなものの、それま
では親父に家紋を聞いても「知らん」と言われてましたので(^^;)

> て結局北陸の方の百姓だったのが、北海道開拓のために石狩当別に
> 入ってきた、としかわからないのです。
> うちの先祖はそれこそ、「どこの馬の骨かわからない」百姓だった
> らしいです(笑)。おまけにうちは分家ですし・・・。
 おっと、秋山さんとこも北陸ですか。分家だというのも同じ(^^;) しかも当別出身なんですかあ? あれま、実家の隣町だ... どっかですれ違ってたりして(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[291] Re[288]:RE: 渋江氏の事 投稿者:松本好晴 投稿日:2001/05/05(Sat) 13:18 

 HAZUさん、こんにちは、松本です。

>  「・・・・」のところが判らなく、どうなっているかわかる人は教え
> てください。>松本好晴さま(^^;)etc

 とりあえずご報告します(^^)。件の資料によると、渋江家の系図は以
下のようになっていました。

●宗家

    政光――――――――――――――――――――――――+
     内膳                       |
     小山ノ族荒川筑後守秀景長子            |
     禄三千石ヲ賜フ、慶長十三年刈和野ヲ守ラシム、   |
     義宣公命テ家老職トス、十九年大坂ノ役ニ先鋒ヲ   |
     命ラレ朱ノ采配並團扇賜、今福表ニ於テ戦死、年   |
     四十一                      |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +―女 真壁安藝守幸幹室
  |
  +―光康
  |  宗十郎
  |  銀四百石ヲ分チ荒川氏
  |  嗣トナル
  |
  +―女 宮田作エ門次忠室
  |
  +―宣光============光久==========+
  |  内膳            宇右エ門 内膳    |
  |                政光庶子 初荒川氏嗣 |
  +―女 南淡路義章室       トナル、後二千五百石 |
  |                ヲ以宣光ノ嗣トナル、 |
  +―光俊             義隆公命テ家老職トス |
  |  五郎左エ門                    |
  |  千石ヲ以分流トナリ奉 +=============+
  |  仕          |
  |             +=隆光==========+
  +―家宗             宇右エ門       |
  |  十郎兵エ          南淡路義章ニ子    | 
  |  小川刑部左エ門某嗣     義処公命テ家老職トス |
  |                           |
  +―宣利                        |
     小傳治                      |
     小場原左エ門宣忠嗣                |
                              |
  +===========================+
  |
  +=隆朗
  |  弥五郎
  |  石塚大膳義全二子
  |  後故アツテ僧トナル
  |
  +=処光==========+=格光――――――――――+
  |  大山因幡義武二子   |  宇右エ門       |
  |  義処公命テ家老職トス |  塩谷民部方綱三子   |
  |             |  義峯公命テ家老職トス |
  +=女 塩谷伯耆重綱女   |             |
      処光室トナル    +=女 小野崎権大夫通貞女 |
                |   格光室トナル    |
                |             |
                +=女 岡本又太郎元朝女  |
                    渋江五郎左エ門光処 |
                    室トナル      |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +―峯光――――――――――+―局光==========+
  |  宇右エ門       |  慶之助        |
  |  義峯公命テ家老職トス |             |
  |             +―女 小場勘ケ由敦愛室  |
  +―光方                        |
     善太郎                      |
     同氏五郎兵エ光慶嗣                |
                              |
  +===========================+
  |
  |             +―女 同氏十兵エ光治室
  |             |
  +=明光――――――――――+―敦光――――――――――+
     内膳         |  六郎         |
     同氏五郎左エ門光慶長 |  安永七年壬七月十日秋 |
     子          |  田城焼失故ニ公敦光カ |
     宝暦六年四千五百石ノ |  宅ニ在ス、其賞トシテ |
     内三ケ一減ラレ家督ヲ |  乗馬一疋ヲ賜フ    |
     賜フ、義敦公命テ家老 |             |
     職トス        +―光安          |
                |  清蔵         |
                |  茂木○○知道養子   |
                |             |
                +―光信          |
                   文太郎        |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +―女 安永八年生
  |   小野岡大和義音室
  |
  +=和光――――――――――+―厚光――――――――――+
  |  堅治         |  貞治         |
  |  同氏十兵エ光成長子  |  天保十四年相手番タリ |
  |  文政八年相手番タリ  |             |
  |
  +―女 寛政四年生
      和光室

●内膳政光二子五郎左エ門光俊の子孫

                +―女 山方太郎左エ門泰朗室
                |
    光俊――――――――――+―光寛――――――――――+
     五郎左エ門      |  十兵エ        |
     寛永四年禄千石ヲ以奉 |  延宝元年宿老ノ席ニ列、|
     仕、九年膳番トナル、 |  四年大番頭タリ    |
     十年高久文右エ門乱心 |             |
     ノ時高垣伊賀トモニ彼 +―女 小野岡右エ門義富室 |
     ヲ誅ス、其功ニ因テ肥               |
     前宗次ノ刀ヲ賜フ                 |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  |             +―女 今宮外記永教室
  |             |
  +=光重――――――――――+―光慶――――――――――+
  |  十兵エ        | 五郎左エ門       |
  |  梅津茂右エ門忠眞二子 | 享保九年大小姓番頭、十 |
  |  天和元年三百石ヲ以側 | 二年大番頭タリ     |
  |  小姓タリ、三年四百石 |             |
  |  減ラレ家督ヲ賜フ、元 +―政春          |
  |  禄十年大番頭トナリ百 |  源七郎        |
  |  石ヲ賜フ、正徳元年政 |  向原左エ門政之嗣   |
  |  ○與リ聞クニ百石ヲ賜 |             |
  |  フ          +―元智          |
  |             |  又太郎        |
  +―女 十兵エ光重室    |  岡本○五郎某嗣    |
                |             |
                +―女 今宮大学義透室   |
                |             |
                +―光雄          |
                   東市郎        |
                   兄光慶嗣       |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +=光方============光良――――――――――+
  |  善太郎           八五郎        |
  |  宗家宇右エ門格光二子    五郎左エ門光慶二子  |
  |  寛保三年大番頭タリ     宝暦三年大小姓番頭、 |
  |                四年大番頭、宗家慶之 |
  +―光良             助局光嗣トナル    |
     八五郎                      |
     兄光方嗣                     |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +=光治――――――――――――光成――――――――――+
  |  十兵エ           十兵エ        |
  |  梅津藤十郎教忠長子     明和元年大小姓番頭、 |
  |                四年大番頭、安永三年 |
  +―女 十兵エ光治室       寺社奉行タリ、此分光 |
                   治譜中ニ載ヘキヲ誤テ |
                   コヽニ記       |
                              |
  +―――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +―和光
  |  堅治
  |  宗家六郎敦光嗣
  |
  +=経智
  |  ○膳
  |  多賀谷下総敦候二子
  |  早世
  |
  +=光音――――――――――――光
  |  左膳            銀三郎
  |  天明七壬年生
  |  宇都宮小膳孫綱二子
  |  文化年中相手番タリ
  |
  +―女 光音室

 尚、系図中○は判読できなかった文字です(^^;) 


[290] もお~っ。。。 投稿者:びわこ 投稿日:2001/05/04(Fri) 21:28 

KUBOさん、こんにちは。
今日は、予定通り廻ることができましたか?

私は、またまた今日、あの例の佐和山城もどきに行ってきました。
(こっちの友人がどうしても見たいって言うもので・・・)
そのあと再度、佐和山大手跡から佐和山を望み、風流な(?)私は昨日横目で眺めるだけだった玄宮園の鳳翔台(お茶席)で、お抹茶など嗜んでまいりました。

さて、彦根城博物館に行かれるのは、明日でしたっけ?
(今日、行ってこられたのかなぁ・・・?)
もし、まだ行っておられないのだったら、是非とも博物館ロビーに飾られている『朝鮮人道見取絵図』も見てきてくださいね。(^^)
今、私が興味を持って探っている彦根城の外堀の様子を伺うことができます。

それと・・・
年がばれちゃったじゃないですかぁ・・・もお~っ!
#大台ってね、20代のことですから。。。>HAZU殿

では、また。。。
                      びわこ


[289] ここでははじめまして 投稿者:秋山如雪 投稿日:2001/05/04(Fri) 21:14 

三楽堂さまのところ「戦国群像」からお邪魔しました。
すごいですね、ここのページ。
私も北海道出身の北海道育ち、つまり道産子ですが、全然
知らないことが多くて、自分の無知に気づかされました。
それにしてもご自分のご先祖がわかるというのは羨ましいです
ね。うちは家系図も残っていないし、家紋もかなり怪しいらしく
て結局北陸の方の百姓だったのが、北海道開拓のために石狩当別に
入ってきた、としかわからないのです。
うちの先祖はそれこそ、「どこの馬の骨かわからない」百姓だった
らしいです(笑)。おまけにうちは分家ですし・・・。
今度、時間があるときに、またゆっくりと見に来ますね。
今日はここで。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[288] Re[280]:RE: From Ohsaka 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/04(Fri) 11:54 

KUBO さま、松本好晴 さま(^^;)

>>ね。光綱の娘婿の伊達隆宗は政宗の叔父で政宗と仲違いして佐竹家を頼った国分盛重
>>の子孫ですし、『雪の峠』に出てきた梅津・渋江一族も出てきますし。

 渋江氏ですが、『秋田人物大辞典』によりますと、次のようになるよ
うです。
 「・・・・」のところが判らなく、どうなっているかわかる人は教え
てください。>松本好晴さま(^^;)etc

桓武平氏 野与六郎基永の孫、渋江四郎経遠を祖とする。代々小山家の
宿老であったが、氏光の代に佐竹氏に仕える。
      庶長子
渋江内膳政光―+―荒川宗十郎光康
 荒川筑後秀景|  惣四郎
 長子    |  300石、宿老
       |  本家を継ぎ、渋江内善光久と名乗る。
       |
       +―宣光====内膳光久==+=宇右衛門隆光―――――+
       |        宇右衛門 |  佐竹義章次男(南家)|
       |        2500石|  左近        |
       |        享年64歳|  家老        |
       |        妻東義賢娘|            |
       |        家老   |            |
       |             +=荒川秀友       |
       |                石塚義里三男    |
       |                400石分知    |
       +―佐竹淡路守義章妻                 |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

+=隆朗
|  石塚義里次男
|  4000石、家老
+=宇右衛門処光・・・・・宇右衛門格光・・・・・宇右衛門峯光――――+
   大山因幡守義武次男  家老         家老       |
   大和、源蔵、内膳   享年34歳               |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――+

+・八五郎明光・・・・敦光―――=和光――――――内膳厚光
   家老             担園、了閑   貞治

渋江政光次男の系統
 渋江光寛====十兵衛光重――――――+―富之助某
          梅津忠真次男    |
          梅津忠和      +―光慶・・・・・・・+
          播磨、富之助、松隠軒|          |
          2600石     |          |
                    +―今宮永教妻    |
+――――――――――――――――――――――――――――――+

+―十兵衛光成――――光音・・・・・
            松寿、東一郎、堅治
            宗家を継ぎ、和光と名乗る。

>> 『秋田武鑑』ですか。見てみたいけど、北海道じゃあどこにもないだろうなあ?

 わたしも見たいです(^^;)

>>
>>>筈衛さん
>> さすがに東北関係はお詳しいですね。筈衛さんとか松本さんは自分のサイト持たな
>>いんですかあ? お二人がお持ちの資料見てみたいですねえ(^^;)

 このように、私なんかまだまだです(^^;)
 昨年はつい九州(鹿児島、熊本)中心に古本をあさってしまったし・・・・(^^;)

                 筈衛from fukushima city


[287] Re[282]:RE: 最近すごく頭にきた事! 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/04(Fri) 11:53 

Kircheis さま

>>名古屋の鶴舞図書館にて「世界歴代王朝・王名総覧」を借りたのです
>>が、事もあろうに日本と中国の紹介部分計16ページがそっくり破り
>>盗られてました。今回は自分の参考にしない箇所とあって実害は少な
>>いですが、はっきりいってあんまりです。

 確かに頭に来る話ですね。
 そういうのがあると、図書館のほうでも貸し出しに手続きが難しくな
るし、これからの利用者の迷惑になります。
 また、本を作った関係者に対しても、失礼だし、悲しいことです(・_・、

                 筈衛from fukushima city


[286] Re[285]:RE: 今日は楽しかったですね! 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/04(Fri) 11:53 

KUBO さま(^^;

>> 思いがけなく、びわこさんと「同級生」ということがわかりました
>>けど、ホントですねえ。1年後にはもう大台かあ...

 わぁ(^O^)
 大台ですか(^^; 年寄になる訳ですね(^^;
 がんばってね(^^;)

                 筈衛from fukushima city


[285] Re[284]:RE: 今日は楽しかったですね! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/04(Fri) 07:52 

>びわこさん
> KUBOさん、今日はご苦労様でした。(^^)
> (よかった、よかった・・・無事にホテルに戻られていますね。)
 昨日はお世話になりました。長浜城まで送っていただいて、ご家族怒ってませんで
したか(^^;)

> 佐和山の山頂では、本当にどうなるかと・・・
> 私は、KUBOさんを背負って、山を降りなければならないと本気で覚悟したのですよ・・・(笑)
 あははは...(^^;) 冗談にならないところがこわい(をい(^^;)) 私っていつもああ
なんですよねえ。普段体を鍛えていないもんで、昨日言っていた高校時代の友人と旅
行に行った時にも富士山の近くの山に登って裏富士を見た時も途中でばてて、友人に
かなり遅れて上まで着いたんですよね(^^;)
 昨日はホテルに着いたら足の付け根や太股が筋肉痛でしたので、いつも使っている
ひんやりシートを買おうと近所のコンビニなどに行きましたが、なかったので熱さま
シートを買ってきてあちこちに張ってました(^^;) おかげで少し楽になりましたけど、
きょうも山に登るのかと思うとちょっとうんざり...

> 私は、佐和山の太鼓丸、法華丸の土塁が見られたので、大満足!
 あれは良かったですね。ちょっと写真にはならんですけど(^^;)

> 明日、明後日とまたまたハードなスケジュールのようですが、体調には、十分気をつけて・・・(私たち、もう若くはありませんから(爆))
 思いがけなく、びわこさんと「同級生」ということがわかりましたけど、ホントですねえ。1年後にはもう大台かあ...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[284] 今日は楽しかったですね! 投稿者:びわこ 投稿日:2001/05/04(Fri) 02:29 

KUBOさん、今日はご苦労様でした。(^^)
(よかった、よかった・・・無事にホテルに戻られていますね。)

佐和山の山頂では、本当にどうなるかと・・・
私は、KUBOさんを背負って、山を降りなければならないと本気で覚悟したのですよ・・・(笑)
私は、佐和山の太鼓丸、法華丸の土塁が見られたので、大満足!

明日、明後日とまたまたハードなスケジュールのようですが、体調には、十分気をつけて・・・(私たち、もう若くはありませんから(爆))

では。。。                 
                        びわこ


[283] From Hikone 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/03(Thu) 23:41 

 再び旅先(きょうは彦根)からです(^^) きょうはお城巡りMLの方々に案内してい
ただいて彦根城と佐和山城に行ってきました。彦根城は以前から行きたいと思ってい
た城で念願がかないました(^^) おかげで140枚も写真を撮ってしまいました(って、
をい(^^;)) まあ、普通観光客が行かないような所に潜り込み竪堀を見たり、怪しげ
な行動を取っていましたけど(^^;)
 佐和山城はさすがに山城、途中でへばってしまい、頂上の本丸に着いた時にはダウ
ン寸前(^^;) 回復するのに20分~30分くらいかかったかも... いかに普段体を動かし
ていないかというのがわかりました(^^;)
 ホントはそのあと長浜城に行く予定だったのですが、結構時間が遅くなってしまっ
たので(もう5時頃)、長浜城まで送っていただいて外からちょっと写真を撮ったりし
て帰ってきました。
 う~、そろそろ寝ないと明日の安土城・観音寺城がきついかも(^^;)

>Kircheisさん
 ご無沙汰してます。Kircheisさんも城巡りですか。伊賀上野城、いいですね。あれ
は復興天守ですけど、なかなか風情がそれなりに評価されているようですね。一度行
ってみたいと思っています。三重県ですと、あと蒲生氏郷が築いたという松阪城は建
物は残ってませんけど石垣がすごいと聞いていますので、ここも機会があったら行っ
てみたいところです。
 とはいえ、いつになることやら(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[282] 最近すごく頭にきた事! 投稿者:Kircheis 投稿日:2001/05/03(Thu) 12:20 

名古屋の鶴舞図書館にて「世界歴代王朝・王名総覧」を借りたのですが、事もあろうに日本と中国の紹介部分計16ページがそっくり破り盗られてました。今回は自分の参考にしない箇所とあって実害は少ないですが、はっきりいってあんまりです。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis


[281] GWは城廻り! 投稿者:Kircheis 投稿日:2001/05/03(Thu) 12:16 

5月1日に赴任先の津から三重県上野に日帰りで出かけ伊賀上野城や忍者屋敷、芭蕉生家等を見てきました。上野城の天守閣自体は昭和のものですが木造建築はコンクリートより風情がありますし、高さ30m近くの高石垣にも圧倒されました。やっぱり日本の城はいい!と実感させられます。
平日という事もあって極端に混雑する事も無く、のんびりじっくりと観光できたのですが流石に一日で名所を全部回るのは無理でした(^^;。荒木又衛門ゆかりの地・鍵屋の辻とか…。機会があればもう一度行きたいですね。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis


[280] From Ohsaka 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/02(Wed) 22:32 

 みなさん、こんにちは。無事、大阪のホテルに到着しました。ちょっと天候が悪く
て伊丹空港に降りるのに時間がかかりましたけど。空港の上で天候がよくなるのをし
ばらく待ったんですけど、揺れている時間がいつもより長かったので、酔いそうにな
ってしまいました(^^;)
 で、こっちに着いてから『滋賀県の歴史散歩』とデジカメのバッテリーチャージャ
ーを忘れたことに気が付きました(^^;) 『歴史散歩』はいいとしてバッテリーチャー
ジャーが...(T_T) しゃあないので、バッテリーが切れたらリチウム電池で何とか保
たせることにします...(我ながらドジ)
 何か明日も雨が降りそうですけど、はやく晴れてほしい...

>松本好晴さん
 感謝感激ですう...(^O^) うれしいなっ! う~ん、くらのすけさんと松本さんのお
かげで宇都宮氏の項が充実しそうです。でもこの系図を見るとなかなか興味深いです
ね。光綱の娘婿の伊達隆宗は政宗の叔父で政宗と仲違いして佐竹家を頼った国分盛重
の子孫ですし、『雪の峠』に出てきた梅津・渋江一族も出てきますし。
 『秋田武鑑』ですか。見てみたいけど、北海道じゃあどこにもないだろうなあ?

>筈衛さん
 さすがに東北関係はお詳しいですね。筈衛さんとか松本さんは自分のサイト持たな
いんですかあ? お二人がお持ちの資料見てみたいですねえ(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[279] 忙しい・・・ 投稿者:松前志摩守 投稿日:2001/05/02(Wed) 21:54 

KUBO様、こんにちは

最近は本業が米農家なのでこの時期はかなり忙しいです
まあ、私は後継者なので、多少の余裕はありますが

ということで先日、またも道立図書館へ行ってまいりました
「松前藩知行関係資料」だったと思いますが、そこから近藤氏の略系図と没年を確認できました
多分、内容はKUBO様の見たものと同じものが添付されていたのかと思われます

>やっぱり... 佐藤氏・小林氏は『松前藩家中及扶持人列席調』などの分限帳といいますか藩士名簿に名前が出てくるので松前藩士となって続いているのがわかりますけど、岡部氏は出てこないんですよね。岡口・岡田はいるんだけど...断絶したんですかね? 今泉氏は今井氏になったみたいですが。

今回もその辺は収穫無しでした
今泉氏は小林良景(長禄9年没)の子、季景が今泉氏の3代目に養子となり、その時に今井氏を名乗ったようですね

工藤氏も蛎崎氏に蝦夷渡島当時からいる古参で興味があるんですけど、何かわかりますか?
蛎崎氏唯一?の武断派みたいなんですけど
1529年の多那嶮(タナケシ)の蜂起に祐長4世孫祐兼、祐致が登場
あと松前由広の処罰にも祐種が登場しますよね


[278] Re[277][276]:RE: 秋田藩にも宇都宮氏が... 投稿者:松本好晴 投稿日:2001/05/02(Wed) 03:32 

 HAZUさん、こんにちは、松本です。

 宇都宮家の系図、少しはお役に立ちましたでしょうか(^^)
 実はこの系図は、コピーしておいた系図資料の中に載っていたもので、
それをそのまま写しただけなんです。たぶん『秋田武鑑』っていうんだ
った思うんですけど、すみません、定かじゃありません(^^;)

>  宇都宮重綱の長男綱孟は「孟綱」じゃないでしょうか。

 おそらくご推察の通りだと思います。と言いますのも、原資料の
「綱孟」の「綱」と「孟」をS字でくくってあるので、上下が逆になっ
てしまったのを訂正しているのでしょう。ただ、母親についての記載は
ありませんでした。ちなみに孟綱(綱孟)は、内室を岡本家から迎えて
いて、天保12年に家督を相続、嫡子は清六で室は多賀谷下総の女とな
っています。

>  この家、よく見ると東、北、南とは婚姻関係を結んでいるけど、西と
> は出入りないようですね(^^;

 東、西、南、北って佐竹家のことだったんですね(^^;)

 もともと日本史の方はさっぱりなんですけど、今後ともよろしくお願
いします。


[277] Re[276]:RE: 秋田藩にも宇都宮氏が... 投稿者:HAZU 投稿日:2001/05/02(Wed) 00:03 

>> お見舞いといってはなんですが、秋田藩士となった宇都宮家の系図を
>>書き込んどきますので、元気出してください(なんのこっちゃ)。

 わーい(^^;)
 私も知りたかったんだ(^^)
 『秋田人名大辞典』や『佐竹氏探訪』で、いくらかの人物については
判っていたんですが全体像が見えていませんでした(^^;)
 しかし、かなり精しい資料があるんですね(^^;

 ついでだから、すこしきいちゃお(^^;

 宇都宮重綱の長男綱孟は「孟綱」じゃないでしょうか。
 孟綱ならば、享和元年3月23日生まれで、明治23年11月15日
に亡くなった宇都宮鶴山と同一人物だそうです。母は北家の佐竹義躬の
娘だそうです。
 この孟綱の四男が画家となり、康甫と名乗ったそうです。

 この家、よく見ると東、北、南とは婚姻関係を結んでいるけど、西と
は出入りないようですね(^^;

                 筈衛from fukushima city


[276] Re[273]:秋田藩にも宇都宮氏が... 投稿者:松本好晴 投稿日:2001/05/01(Tue) 01:42 

 KUBOさん、こんにちは、松本です。

 風邪ですか。うーん、せっかくのゴールデンウィークだというのに。
うちの職場ではなんだかGW前に体調を崩す人が多かったですよ。まあ、
あまり無理せずお大事になさってください。

 お見舞いといってはなんですが、秋田藩士となった宇都宮家の系図を
書き込んどきますので、元気出してください(なんのこっちゃ)。

 宇都宮廣綱―+
  下野守  |
  従四位下 |
       |
  +――――+
  |
  +―國綱・・・・・・
  |  下野守
  |
  +―宗安――――――――――+=光綱―――――――――+
  |  恵斎         |  真壁右エ門重幹ニ子 |
  |  慶長七年秋田ニ来テ  |  義隆公命テ相手番ト |
  |  高千石ヲ賜フ、元和  |  ス、又家老職トセラ |
  |  二年相手番      |  ル         |
  |             |            |
  +―高武          +―女 光綱室      |
     芳賀伊賀守高継嗣                |
                             |
  +――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +―女 伊達外記隆宗室
  |
  +―亮綱============典綱―――――――――+
  |  帯刀            帯刀        |
  |  義処公命テ相手番ト     玉生八兵エ舜宗長子 |
  |  シテ旗本組惣頭トス     義処公命テ相手番ト |
  |                ス、元文四年二百石 |
  +―女 玉生八兵エ舜宗室     ヲ賜フ、義峯公命テ |
                   家老職トス     |
  +――――――――――――――――――――――――――+
  |
  |             +―女 梅津外記忠告室
  |             |
  |             +―女 古内蔵人義貴室
  |             |
  |             +―女 南淡路義持室
  |             |
  |             +―女 多賀谷将監峯章室
  |             |
  |             +―女 玉生八兵エ尭宗室
  |             |
  +―充綱――――――――――+=武綱=========+
  |  帯刀         |  帯刀        |
  |             |  東山城義智三子、  |
  +―康幹          |  充綱家督ヲ継、宝暦 |
  |  掃部助        |  八年相手番トナル、 |
  |  真壁甚大夫孝幹嗣   |  後本氏ニ復ス    |
  |             |            |
  +―女 戸村一学峯章室   +―女 六郷数馬政方室  |
  |             |            |
  +―女 梅津百助定躬室   +―女 梅津外記忠告養女 |
  |                          |
  +―女 小野岡市大夫義著室              |
                             |
  +==========================+
  |
  +=章綱============孫綱―――――――――+
     帯刀            帯刀        |
     戸村十大夫義孚四子     梅津外記忠告六子  |
     明和四年相手番トナル    明和五年二百石減テ |
                   家督ヲ賜、安永二年 |
                   相手番タリ、義和公 |
                   命テ両度家老職トス |
                             |
  +――――――――――――――――――――――――――+
  |
  +―重綱――――――――――+―綱孟――――――――――
  |  帯刀         |  武怡 四郎 帯刀
  |  文化四年相手番トナル、|  享和元酉年生
  |  義和公命テ家老職トス |  今公命テ家老職トス
  |             |
  +―女 大越源十郎清国室  +―某 富怡
  |
  +―光音
  |  藤五郎
  |  渋江十兵エ光成嗣
  |
  +―某 新之助


[275] あ~あ... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/28(Sat) 22:20 

みなさま、今日は根室からです~! ていう予定だったんですけど、なぜかいま自宅
におります(T_T)
実はこの前の日曜日に風邪を引きまして、今週はそれぞずっと引きずってしまいまし
て、家庭訪問週間だったにもかかわらず、木曜日には午後からの家庭訪問を延期して
もらって自宅に帰って寝ておりました(T_T) 昨日の午後くらいから身体が楽になって
きまして、まだ咳・鼻水・痰などの症状はあるもののだいぶん快方に向かっておりま
す(^^;)
 ほんとなら今頃根室のホテルにいて、明日明後日は道東方面のチャシを総なめにし
ているところだったのに...と思うと非常に悔しいんですが、まあ自分の不養生だか
ら仕方ないかなと...(というわけで今日は家でゲームしてました(をい(^^;)))
 この三連休でしっかり風邪を治して、来週の南近江遠征に備えねば...

>くらのすけさん
> 北大に乗り込んでみては?(^^;)
> やっぱり一般の人は入れないんですかね?
 う~ん、どうなんでしょ? 実は北大って近くは通ったことあるんですけど行った
ことないんですよね(^^;) 札幌に行くと、よくく近くは通るんですけど。

> あと文書館がありませんでしたっけ?重要文化財の建物の中か何かに。
 あ、そうですね(^^;) 忘れてました。あそこならあるかなあ? 実はあそこもまだ行ったことがなかったりします(^^;) 今度探索してみよう。

> ぜひぜひ。食べ物は北海道よりもずっと…だと思いますけど。(^^;)
 普通は旅行の目的の中で食べものが占める比率って高いと思うんですけど、私の場
合あまり高くないです(^^;) 先ず優先されるのはお城などの史跡巡り、古書店等の資
料収集ですので。まあ、もちろん美味しいものを食べられりゃあ、それに越したこと
はないですが(^^;)
 東京にはまだ3回ほどしか行ってませんけど、普通の旅行者がよく行くところはほ
とんど行っていないと思う... 神田神保町古書店街・品川台場・八王子城なんて普通
行かないですよねえ(^^;) 今年の1月に行った時には職場の同僚が一緒だったので、
渋谷とかフジテレビとか東京ドームとかに行ってきたけど...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[274] 宇都宮・佐竹・越前松平 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/04/28(Sat) 01:37 

そういえば、宇都宮氏にとっては秀康は邪魔者でしたねぇ(^_^;)
でも松江松平と佐竹は婚姻関係を結んでいた(はず)。
何となく因縁を感じますね。

>北海道で他の都府県の自治体史が見れる所ってないのかなあ?
北大に乗り込んでみては?(^^;)
やっぱり一般の人は入れないんですかね?
あと文書館がありませんでしたっけ?重要文化財の建物の中か何かに。

>城巡りMLの方々にお城を案内していただいたことはありますけど、
>今度そちらに行った時はよろしくお願いします。
ぜひぜひ。食べ物は北海道よりもずっと…だと思いますけど。(^^;)

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/index.html


[273] Re[272]:秋田藩にも宇都宮氏が... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/23(Mon) 20:41 

う~ん、どうも昨日風呂に入ったあと湯冷めしたみたいで、今日は咳が止まりません。
家庭訪問もあるし、GWの遠征もあるし、週末までには治さねば...(--;)

>松本好晴さん

>  こうした書籍を購入するきっかけは、10年程前に、世界の書店案内
> という本をたまたま入手してからで、興味ある古書店なんかに手紙(も
> ちろん英文です)を出して書籍の目録を送ってもらったりして、気に入
> った本を購入していました。
 なるほどねえ。この英文でというところが私にはネックですね。どうも昔から英語
は苦手でして...(^^;) 以前松本さんに教えていただいた絶版古書を探してくれる業
者にも全然問い合わせてませんし...(単に無精なだけか)

>  しかし、昔は一冊書籍を海外から取り寄せるにも一ヶ月以上かかって
> しまう場合が多かったのですが、今ではインターネットやメールで注文
> すると早くて1週間くらいで手元に届くのですから、便利になりました
> ねえ。
 これは感じますね。それに以前は欲しい本があってもどうやって探したらいいかよ
くわかりませんでしたが、今では古本サイトで検索してメールで注文できてしまうん
ですから便利になったもんです。

>  楽しみにしています。四国地方の足利氏(平島公方)ってのがとても気
> になります。古河公方ってのは知ってますけど、平島公方ってなんなん
> ですか?あと、真田幸村に子孫なんているんですか?とても興味があり
> ます。
 答えを言っちゃっても良いんですけど、それでは楽しみがなくなるので今は黙って
おきましょう。お楽しみに(^^)

>  ところで、宇都宮氏の子孫って水戸藩士になった系統の他に、秋田藩
> 士になった系統もあるようですよ。宇都宮広綱の二男の子孫らしいんで
> すけど、これってもうご存知ですよね・・・
 いえ、ご存知じゃありませんでした(^^;) で、調べてみましたが秋田宇都宮氏って
一度結城家に養子に行っていた朝勝の子孫なんですね。家康の次男の秀康が結城家に
入嗣したために実家に帰ったという... 朝勝の名は知っていましたが、その子孫が秋
田藩士になっていたのは知りませんでした。白河結城氏といい宇都宮氏といい、佐竹
家も結構関東の名家の子孫を召し抱えているんですね。

> 大阪からだと結構近いんですけど、滋賀には仕事以外で行ったことないなー・・・
 ああ、松本さんは大阪でしたもんね。時間があればお会いしたいところですが、今
回はそんな余裕はなさそうです。(松本さんも予定があるでしょうし...) 今度大阪に
行く機会がありましたらお会いしたいですね(^^)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[272] Re[264]: 早いもんで... 投稿者:松本好晴 投稿日:2001/04/23(Mon) 01:33 

 KUBOさん、こんにちは、松本です。

>  20000HitをGETされたとのことおめでとうございます。早速、トップページに掲げ
> させていただきました(^^)

 (笑)ありがとうございます。なんだか少し照れくさいような、うれ
しいような(^^)

> そういう情報どっから見つけてくるんですか?

 こうした書籍を購入するきっかけは、10年程前に、世界の書店案内
という本をたまたま入手してからで、興味ある古書店なんかに手紙(も
ちろん英文です)を出して書籍の目録を送ってもらったりして、気に入
った本を購入していました。高価なものについては内容なんかを書店に
問い合わせたりしましたが、基本的にはタイトルを見て決めていたため
に、ずいぶん期待したものと違うものもありました(^^;) しかし今で
もこうした書店とは取引があって、掘り出し物の情報や目録など定期的
に送ってきてくれるので助かります。
 しかし、昔は一冊書籍を海外から取り寄せるにも一ヶ月以上かかって
しまう場合が多かったのですが、今ではインターネットやメールで注文
すると早くて1週間くらいで手元に届くのですから、便利になりました
ねえ。

>  さあて、そろそろ「滅びた(?)名族」シリーズも更新せにゃあいかんですね。

 楽しみにしています。四国地方の足利氏(平島公方)ってのがとても気
になります。古河公方ってのは知ってますけど、平島公方ってなんなん
ですか?あと、真田幸村に子孫なんているんですか?とても興味があり
ます。

 ところで、宇都宮氏の子孫って水戸藩士になった系統の他に、秋田藩
士になった系統もあるようですよ。宇都宮広綱の二男の子孫らしいんで
すけど、これってもうご存知ですよね・・・

 いやあ、「滅びた(?)名族」って調べるといろいろ面白そうですよね。

 さて、GWも間近ですが、KUBOさんは南近江方面ですか。私はお城に
はまったく疎いんですけど、結構有名なお城が多いんですね。彦根城く
らいしか思い付かんかった(^^;) 大阪からだと結構近いんですけど、
滋賀には仕事以外で行ったことないなー・・・
 それではよいご旅行を。


[271] Re[269]:RE: 感謝です。 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/22(Sun) 10:28 

>くらのすけさん
> これは松前志摩守様のご指摘のように、永正は天文か天正なんでしょうかね?

 そうか天正ということも一応あり得ますね。きっとそうなんでしょうけど、何とも
怪しげではあります(^^;)

> 大学にいるので、とりあえず北海道関連の雑誌(「松前藩と松前」)とか自治体史
> がみられるのでそれを利用してHPを作成しましたけど、そのまま家譜がみられるの
> が一番有り難いですね。論文とかですと必要のないところは記述されないですから。
 でも全国の自治体史が見れるというのはいいですねえ。北海道で他の都府県の自治
体史が見れる所ってないのかなあ?

> KUBO様が江戸にいらっしゃるときには是非オフ会を開きたいですね。
 ありがとうございます。東京方面に行った時にniftyの城郭フォーラム(FSIRO)やお
城巡りMLの方々にお城を案内していただいたことはありますけど、今度そちらに行
った時はよろしくお願いします。
 北海道の方でもやはりなかなか同好の士というのは少なくて、清正さんと一度お会
いしたのと、お城巡りMLの方2人と数ヶ月に一回ミニオフをやるくらいですね。で
もお城巡りMLの方とはなかなか予定が合わなくて、まだ一度しか一緒にお城巡りし
たことないんですが(^^;)

 そうだ、今度機会がありましたらオフしませんか~?>松前志摩守さん

> そうなんですか。安土城建設の時に建造物は根こそぎ持って行かれたと聞いていま
> したが。石垣とかは残っているのですか。こんど機会があれば行ってみよう…
 「見て回るのにどのくらいかかりますか?」とFSIROで聞いたら「一年かかります」
と言われました(^^;) まあ、でもこれは冗談じゃなくて観音寺城の曲輪は全部で800
ほどもあるそうで、これを全部見るならというお話でしたけど(^^;)
 整備された曲輪をいくつか見るということでしたら、数時間程度で見れるようです。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[270] 今年最初のチャシ巡り~ 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/22(Sun) 09:40 

昨日は暖かくなってきたし、雪もほぼ消えたようなので、久しぶりにチャシ巡りに行
ってきました~(^^)
 昨年の7月に行って草が伸び放題で壊滅状態だった穂別町まで行って来ましたが、
今回はかなり収穫がありました(^^) 前回看板だけしか見れなかったペップッのチャ
シ・イエナップのチャシはしっかり壕を確認できましたし、見つからなかったノット
カのチャシも発見、草が伸びていて壕がわかりにくかったオソウシのチャシ・オビラ
ルカのチャシもよくわかりました。でも家に戻ってから写真を確認したら、以外とわ
かりにくくてただの藪にしか見えない写真もあったりして...(^^;)
 近日中に、更新しますので...

>松前志摩守さん
 お答えいただきありがとうございます。おかげで助かりました。やっぱり同好の士
(?)は頼りになります(^^)
 やっぱり私の写し間違えじゃないんですね。ほんとに適当だなあ... ということで、
旧館主系図&没年は、眉に唾つけてご覧になってみて下さい>くらのすけさん&みな
さま(^^;)

> 季政は天文15年に出羽安東氏の援軍要請に参加しているらしいので天文18年没
> が妥当かと思います
 それなら納得です。

> ただ、やはり間に1人か2人は家督を継がずに早世した嫡子がいるんだと思います
 そうでしょうねえ。あの没年が正しいとしたら、どう考えても信武と季武が親子と
は思えませんもんね。

> やはり基本となる「近藤家禄」は見てみたいですね~
 見てみたいですね~ あ、そうだ。うちのサイトと松前町のサイトは相互リンクし
ていますから、今度メールで松前町に藩士の履歴or家録があるかどうか聞いてみます
か。それで答えてくれたらめっけもんですね。

> 比石館主厚谷、原口館主岡部、祢保田館主近藤氏は永正11年以前までに
> 中野館主佐藤氏は永正元年、志濃里舘主小林氏は永正11年、今泉氏は永正12年
> に蛎崎氏に臣従しているらしいけれど
> そこまでの系図はわかるんですけど、その後、蛎崎氏臣従後の系図が見つからない
> んですよね
 やっぱり... 佐藤氏・小林氏は『松前藩家中及扶持人列席調』などの分限帳といい
ますか藩士名簿に名前が出てくるので松前藩士となって続いているのがわかりますけ
ど、岡部氏は出てこないんですよね。岡口・岡田はいるんだけど...断絶したんです
かね? 今泉氏は今井氏になったみたいですが。

 佐藤氏か新井田氏かどちらかの履歴のようなもの(?)をどこか(たぶん道立図書館だ
と思う)で見た記憶があるんですが、なんだかごちゃごちゃしててメモしてこなかっ
たんですよねえ、それは。
 それから、これも道立図書館で見たのだと思いますが、『松前家(蛎崎氏)之系図』
という系図のコピーがあって、これは松前家から女子が嫁いだ先の系図も部分的に載
っていまして、松前慶広の妹で新井田広貞に嫁いだ女子からは

 広貞―――貞成―+―広成
         |
         +―成政   となってました。

 いずれにしても、また資料探索に行かねばいかんなあ...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[269] 感謝です。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/04/22(Sun) 01:14 

KUBO様
さっそくありがとうございました。

>◎近藤家 初代季常:明応9年(1500)没 二代信武:大永7年(1527)没
>三代季武:文禄3年(1594)没 四代義武:寛永15年(1638)没(以下略)
義武の父は文禄三年ですか。しかし、以前拙HPで初代季常を紹介してましたけど、やっぱり全然某ゲームに登場できる人物ではありませんでしたね。いやはや(^^;)
KUBO様にご指摘されて良かったです。

>う~ん、なんか変。明応17年なんてないのに...
>それに重時と季政の没年が同じなんていうのも変だし...
これは松前志摩守様のご指摘のように、永正は天文か天正なんでしょうかね?

大学にいるので、とりあえず北海道関連の雑誌(「松前藩と松前」)とか自治体史がみられるのでそれを利用してHPを作成しましたけど、そのまま家譜がみられるのが一番有り難いですね。論文とかですと必要のないところは記述されないですから。

>けっこう何度かオフ会開かれているようですね、そちらは。
>いいなあ~、皆さんに会ってみたいです。今度そちらにうかがった時にはよしなに...
そうですね。拙サイトが全国を扱っているので、どうやらご訪問される皆様も関東圏在住の方は少ないようで…メンツ集めが結構大変です(私が積極的に他の掲示板に出没しないというのもあるのですが)。武藤舜秀様にも掲示板でオフ会のお知らせを書くと「東京には行けない」とお叱りを受けます(^_^;)

KUBO様が江戸にいらっしゃるときには是非オフ会を開きたいですね。

>観音寺城は当時のまま残る曲輪がかなりあり、
>段々畑のように至るところにあるそうです。
>石垣もしっかりと残っているようですので、
>こちらはかなり見応えがありそうです。
そうなんですか。安土城建設の時に建造物は根こそぎ持って行かれたと聞いていましたが。石垣とかは残っているのですか。こんど機会があれば行ってみよう…

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/index.html


[268] 私も数少ないマニアの一人? 投稿者:松前志摩守 投稿日:2001/04/21(Sat) 22:31 

KUBO様、旧館主の系図見させてもらいました

私も「厚谷家禄」を拝見してメモしたものを見ると、没年はその通りだったと思います
かなり経歴とかも信用できないないようですよね~
どうみても、季貞と貞政が混同した経歴だったり・・・
やっぱり和暦に間違いがあるんだと思います
重形は明応7年没か、明応17年目に当たる永正5年没
季政は天文15年に出羽安東氏の援軍要請に参加しているらしいので天文18年没が妥当かと思います

あと近藤氏ですが、4代は義武であることはあちこちの町史で散見して見えてるので間違いないかと
ただ、やはり間に1人か2人は家督を継がずに早世した嫡子がいるんだと思います
やはり基本となる「近藤家禄」は見てみたいですね~

比石館主厚谷、原口館主岡部、祢保田館主近藤氏は永正11年以前までに
中野館主佐藤氏は永正元年、志濃里舘主小林氏は永正11年、今泉氏は永正12年に蛎崎氏に臣従しているらしいけれど
そこまでの系図はわかるんですけど、その後、蛎崎氏臣従後の系図が見つからないんですよね
佐藤氏は初代季行が文明9年没、2代季則は永正12年没
その後は4代目くらいに蛎崎季広の娘が嫁いだ季連がくるのでしょうけれど・・・

新井田氏も右京広貞が文禄2年に蛎崎氏に臣従して以来、蛎崎季広の娘が嫁いでいたり、
寛永20年のヘナウケの乱に権之介、明暦元年のシャクシャインに瀬兵衛が他の家老、重臣らと共に派遣されていることから
かなりの重臣だったと思われるんですけれどね


[267] Re[266]:RE:旧館主系図 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/21(Sat) 09:08 

>くらのすけさん

> 宇都宮系図ご覧になっていただけましたか。
> なにかのお役に立てればよいですが、嫡男だけで足りますか?
 お役に立ちますです、もちろん!(なんか言葉が変(^^;))

> ところで蒋土氏って男系は断絶しているんですね。
 『福島町史』の記述によると、二世季成は「天文年間に息女一人を儲け、男子なく
季成の没後館は廃絶となった。」とありますので、断絶しているようです。

> それと、拙掲示板に厚谷氏と近藤氏の生没年が分かる、と書き込んでいただきました
> が、近藤義武がたしか寛永十年代でしたよね?父末武の没年も分かるのですか?
 えっとですねえ、次のようになります。
 ◎近藤家 初代季常:明応9年(1500)没 二代信武:大永7年(1527)没
      三代季武:文禄3年(1594)没 四代義武:寛永15年(1638)没(以下略)

 なんか、信武と季武の間がずいぶんあいてますねえ。もう一代くらい入りそうな感
じですね。

 ◎厚谷家 初代重政:長禄3年(1459)没 二代重時:永正18年(1521)没
      三代重形:明応17年(?)没  四代季政:永正18年(1521)没
      五代季貞:元亀元年(1570)没 六代貞政:寛永14年(1637)没(以下略)

 う~ん、なんか変。明応17年なんてないのに... それに重時と季政の没年が同じな
んていうのも変だし... 今度、もう一度『厚谷家禄』見てきます。

> あ~羨ましいです。まだ連休中は何の予定もなし…
> (オフ会が有る可能性が高いですけど)
 けっこう何度かオフ会開かれているようですね、そちらは。いいなあ~、皆さんに
会ってみたいです。今度そちらにうかがった時にはよしなに...

> ところで、本当に基礎的な質問ですけど、この二つの城は
> 何か痕跡が残っているのですかね?今回のご旅行は琵琶湖廻りを巡る感じなんですね。
 佐和山城は、彦根に入った井伊氏によって徹底的に破壊されたようで、ほとんど遺
構は残ってないみたいですね。本丸跡も削平地になっていて石碑が立っているだけの
ようです。(かろうじて石垣の石が2こだけ残っているそうですが)
 観音寺城は当時のまま残る曲輪がかなりあり、段々畑のように至るところにあるそ
うです。石垣もしっかりと残っているようですので、こちらはかなり見応えがありそ
うです。

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[266] 旧館主系図 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/04/21(Sat) 01:34 

KUBO様
宇都宮系図ご覧になっていただけましたか。
なにかのお役に立てればよいですが、嫡男だけで足りますか?
(といってももう入力は遠慮しますけど…^^;)

さっそく家臣系譜を拝見しました。

>たとえば、南条季継の兄中務大輔が「豊臣家に
>属す」なんてなんでやねんていう感じですが(^^;)
たしか以前拙掲示板に書き込んで頂いた情報ですね。
奇想天外な発想ですね。
しかし、厚谷季政の父が季形だとかは初めてしりました。ありがとうございます。ところで蒋土氏って男系は断絶しているんですね。
それと、拙掲示板に厚谷氏と近藤氏の生没年が分かる、と書き込んでいただきましたが、近藤義武がたしか寛永十年代でしたよね?父末武の没年も分かるのですか?

>石田三成の居城・佐和山城、六角氏の本拠・観音寺城
あ~羨ましいです。まだ連休中は何の予定もなし…
(オフ会が有る可能性が高いですけど)
ところで、本当に基礎的な質問ですけど、この二つの城は
何か痕跡が残っているのですかね?今回のご旅行は琵琶湖廻りを巡る感じなんですね。

では。ちょっと早いかも知れませんが良い旅を。

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/index.html


[265] 旧館主家系図UPしました 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/19(Thu) 21:39 

というわけで、「松前・蠣崎一族の系図」のコーナーを一部改訂しまして、家臣団関
係をちょっと別にして、そこに南条氏・蒋土氏・近藤氏・厚谷氏の系図をUPしまし
た。

>くらのすけさん
 一応ご参考にしてください。ただ、基本的に各家の由緒書・履歴等を元にしている
のでかなり怪しい部分もあります... たとえば、南条季継の兄中務大輔が「豊臣家に
属す」なんてなんでやねんていう感じですが(^^;)

>松前志摩守さん
 ご覧になってみて何か気がつかれたことがありましたら教えて下さいませ。新井田
氏とか佐藤氏あたりの情報どっかにないですかね~?

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[264] 早いもんで... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/19(Thu) 01:08 

>くらのすけさん、松本好晴さん
 どうもありがとうございます。なんだか2万Hit達成なんて、夢みたいですね(^^;)
何だかまだまだ先のような気がしていましたが、あっという間でした。今後ともよろ
しくお願いします。

>くらのすけさん
 水戸宇都宮氏情報、ありがとうございました。「滅びた(?)名族」シリーズの資料
にさせていただきます。
 ところで、先日言っていた蒋土氏・南条氏に加えて近藤氏の系図情報も発見しまし
た。実は今日何気なくうちの市の図書館に行ったんですが、ここには元道教育大名誉
教授の故榎本守恵博士の蔵書が寄贈された「榎本文庫」というのがあるんですよ。そ
こで「松前藩知行関係資料」というのを見つけたので何気なく手に取ったら、中の1
ページに「近藤家由緒書」「近藤家系譜」によるという近藤家の略系図が載っていま
した。単なる偶然とはいえラッキーでした(^^)v
 しかも、その上奥の開架書庫で「角田市史」の3巻だけを発見、その中に仙台松前
家の系譜情報が載っていたので、それもコピーしてきました(^^) いやあ、灯台もと
暗しですね(^^;)

 それで、水戸宇都宮氏系図のお礼といってはなんですが、近日中に蒋土氏・南条氏
・近藤氏、それから厚谷氏の系図をうちのサイトにアップしますので、お楽しみに。
(ああ、我ながらマニアック...)

>松本好晴さん
 20000HitをGETされたとのことおめでとうございます。早速、トップページに掲げ
させていただきました(^^) ちなみに、私ははじめ「19995」で、その数時間後にアク
セスした時には「20007」でした(^^;)

>  いやー、世界にも日本の「滅びた(?)名族シリーズ」に登場する
> ような名族がいるもんですね。
 はあ~、トレビゾンド公までいましたか。結構そういう一族がいるもんですね。で
も、毎度のことながら松本さんはすごいですねえ。そういう情報どっから見つけてく
るんですか?
 さあて、そろそろ「滅びた(?)名族」シリーズも更新せにゃあいかんですね。

 ところで、先月言っていたGWの遠征計画ですが、前半(4/28~4/30)に道東に行く
のは変更なしですが、後半(5/3~5/6)は南近江方面に行くことにしました。彦根城&
安土城は是非とも行きたいと思っていますが、その他にも石田三成の居城・佐和山城、
六角氏の本拠・観音寺城、浅井氏の本拠・小谷城、秀吉の出世城・長浜城、その他に
も・水口城・膳所城・近江八幡城等々見所いっぱいですので、どうやって行き先をし
ぼろうかなあと思案中です。
 でも旅行って、こうやっていろいろと考えている頃が一番楽しいかもしれない(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[263] 水戸宇都宮系図 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/04/17(Tue) 23:19 

KUBO様こんばんは。

掲示板に書くには多すぎるのでネット上にアップしました。

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/mito-utunomiya.html

あとは話題になるネタがないのでこの辺で…。

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/index.html


[262] 20000HIT目Getしました(^^) 投稿者:松本好晴 投稿日:2001/04/17(Tue) 04:52 

 KUBOさん、お久しぶりです。公私共にいろいろあって書き込めな
い日々が続いております・・・

 とうとう20000HIT達成ですね。おめでとうございます。
20000HIT目は運良く私がGETいたしました。なんだか宝
くじにでもあたったようなラッキーな気分です。

 ところで、最近発見したんですが、パレオロゴス朝のアンドロニ
コス2世の子孫で、皇統とは別にモンフェラート候位を継承してい
る家系があります。16世紀に候位自体はマントヴァのゴンザーガ
家に継承されていますが、この家系の最後の当主であるジャンジョ
ルジオの庶子の子孫が現在もいらっしゃるようです。
 これもパレオロゴス朝の後裔になるんでしょうけど、他にも、最
後のトレビゾンド皇帝ダヴィッドの子孫(もっともこれは女系)で
あると称してトレビゾンド公位を継承している家系もあります。

 いやー、世界にも日本の「滅びた(?)名族シリーズ」に登場する
ような名族がいるもんですね。


[261] 祝!2万HIT 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/04/15(Sun) 23:44 

KUBO様
ご無沙汰しております。
戦武堂様の所でもレスを返さずすいません。
(ご主人抜きで二人で書き込みしあっても良くないかな…と
思い、しばらく傍観しておりました。今夜書き込みますm(_ _)m)

とりあえず、仙台の清水氏は家康に仕えたのが秀康か、家康の後に秀康が挟まるようですね。知行宛行状(の写?)が
現存しているようなので。

いろいろと書き込んで良い遅れてしまいましたが、2万Hitおめでとうございます!
私は2万9人目でした。

拙掲示板に書き込んでいただいた宇都宮氏系譜に関しては、今度
調べてまた書き込みます。

では。

http://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/index.html


[260] Re[259]:RE: 道立図書館へ 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/15(Sun) 13:51 

>松前志摩守さん
 昨日、時間があったので久しぶりに道立図書館に行って来て、道南各市町村史およ
び日本城郭大系を大量にコピーしてきました(^^;)

> なるほど、ちょっと見間違っていたみたいですね
> 確かに貞政の経歴に重好のことも書いてあり、それと混同していたみたいですね
 ええ、貞政の経歴の中に弟の重好とその子孫のことが挿入されていますので、ちょ
っとわかりにくいですね。『函館・道南大事典』の厚谷貞政・厚谷重好の欄にも重好
の子孫が断絶したことが書いてありましたので、民五郎は重好の子孫なんでしょう。

> そうですか。まだまだ研究、探索のしがいがありそうですね
> 各館主の系図、経歴をまとめたり、松前藩初期の家臣、新井田氏について調べてるんで
> すがなかなか、本業が忙しくてまとめられないんですよね
 松前藩の家臣については史料がなかなかないので難しいですね。今回、江差町史・
福島町史・知内町史・熊石町史などを見てきましたが結構記述があるんですね。菰土
氏・南条氏についてはだいぶん収穫がありました(^^)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[259] Re[258][257]:RE: 道立図書館へ 投稿者:松前志摩守 投稿日:2001/04/13(Fri) 20:58 

こんばんは、KUBO様

>  『厚谷家禄』については手元にはメモ書きしかないんですけど、それでは貞政の子
> ということになっていて、民五郎は「厚谷重好の子?」というように書いてありまし
> た。。別のメモ書き(「松前氏系譜より」と書いてある)でも貞政の子に「正姓」と書
> いてありました。

なるほど、ちょっと見間違っていたみたいですね
確かに貞政の経歴に重好のことも書いてあり、それと混同していたみたいですね

>  「近藤家禄」については申し訳ないですが知らないです。道立図書館でも市立函館
> 図書館でも見た記憶はないです。うろ覚えですが、松前町役場?町教委?に藩士履歴
> があるというようなことを聞いたような気がしますが定かではありません(^^;) 申し
> 訳ないです。

そうですか。まだまだ研究、探索のしがいがありそうですね
各館主の系図、経歴をまとめたり、松前藩初期の家臣、新井田氏について調べてるんで
すがなかなか、本業が忙しくてまとめられないんですよね
おまけに結構、完璧主義者なので自分なりに納得しないと次には進めたくないですし
また、何かありましたらよろしくお願いします


[258] Re[257]:RE: 道立図書館へ 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/12(Thu) 21:24 

>松前志摩守さん
 毎度です(^^)

> 厚谷家6代貞政死後、嗣子民五郎がすでに早世しており断絶
> そして7代政姓が突如現れますが、何者なのでしょうか?
 『厚谷家禄』については手元にはメモ書きしかないんですけど、それでは貞政の子
ということになっていて、民五郎は「厚谷重好の子?」というように書いてありまし
た。。別のメモ書き(「松前氏系譜より」と書いてある)でも貞政の子に「正姓」と書
いてありました。
 今度道立図書館に行った時に確かめてみますね。

> あと、「近藤家録」はどこの図書館にあるのでしょうか?
 「近藤家禄」については申し訳ないですが知らないです。道立図書館でも市立函館
図書館でも見た記憶はないです。うろ覚えですが、松前町役場?町教委?に藩士履歴
があるというようなことを聞いたような気がしますが定かではありません(^^;) 申し
訳ないです。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[257] 道立図書館へ 投稿者:松前志摩守 投稿日:2001/04/11(Wed) 18:56 

KUBO様、先日、日曜に道立図書館に行ってまいりました
「厚谷家禄」を拝見しに
で、ちょっとわからないことがありまして
厚谷家6代貞政死後、嗣子民五郎がすでに早世しており断絶
そして7代政姓が突如現れますが、何者なのでしょうか?
貞政の弟重右ヱ門の子でしょうか?
何かわかっておりましたら教えていただけないでしょうか?

あと、「近藤家録」はどこの図書館にあるのでしょうか?
たびたび、質問して申し訳ありません


[256] Re[255]:RE: 侍たちの北海道開拓 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/09(Mon) 21:53 

>清正さん
 ご無沙汰しています。やっと北海道もほんの少しですが、春らしくなってきましたね。そうそう、清正さんのところは3万ヒットを達成したそうで、おめでとうございます。ご挨拶にうかがおうと思っていましたが、忙しさにかまけてしまいまして...(^^;)
 そのうち、うかがわせていただきます。

> 私の家は曽祖父の時代に、白石に入ったようです。
> というわけで、かなり前に白石村の歴史を少し調べたのですが、今ではすっかり忘
> れてしまいました。(-_-;)
 おや、白石に入植されたんですか。では片倉家中と何か関係あるかも... 我が家は
越前の百姓ですので全く関係なさそうですが、生まれ故郷が岩出山伊達家が入植した
当別町のすぐ隣ですのでなんとなく親近感を持っております(^^)
 ああ、でももう一度丸岡に行ってルーツ探しの情報収集しなくちゃあ...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[255] 侍たちの北海道開拓 投稿者:清正 投稿日:2001/04/09(Mon) 00:31 

KUBOさん、どーもです。
ご無沙汰していました。新学期スタートですね。

「侍たちの北海道開拓」シリーズとっても楽しみにしています。
私の家は曽祖父の時代に、白石に入ったようです。
というわけで、かなり前に白石村の歴史を少し調べたのですが、今ではすっかり忘れてしまいました。(-_-;)

今度、札幌に帰ったら、ゆっくりと調べてみることにします。

http://homepage1.nifty.com/SEISYO/index.htm


[254] 久しぶりの更新 投稿者:KUBO 投稿日:2001/04/01(Sun) 23:27 

今日は、久しぶりに更新をしました。「滅びた(?)名族」の白河結城氏に若干追加を
したのと、「侍たちの北海道開拓」シリーズに当別町を開拓した伊達邦直主従、登別
市・札幌市白石区を開拓した片倉邦憲主従の分を追加しました。
 さあ、今度の更新はいつになるでしょうねえ? 今日から新年度ですし、しばらく
は忙しそうですので。

>武藤舜秀さん
 うちの場合はあちらからリンク願いが来たので何ですが、やはりメールの一本ぐら
いは送った方がいいのではないでしょうか? うちもリンクフリーとしてますので、
まあ自由にリンクして下さっても良いんですけど、黙ってリンクされているとあまり
気分のいいものではありませんので(現にそういう所がいくつかありますので)

>松前志摩守さん
 いらっしゃいませ。先日はどうもありがとうございました。志摩守さんは旭川方面の方でしたか。

> 江差町史よりも知内町史のほうが南条氏については詳しいです
> あと、奥尻町史には蛎崎基広が長門広益に討たれる逸話が克明に載っておりました
 情報ありがとうございます。今度道立図書館の北方資料室で調べてみようと思いま
す。松前町史・北海道史以外の自治体史はあまりチェックしていなかったもので。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[253] このサイトでは、はじめまして 投稿者:松前志摩守 投稿日:2001/03/31(Sat) 20:26 

KUBO様、先日は「無名庵」ではありがとうございました

今日、さっそく旭川中央図書館に先日の南条氏の件しらべてまいりました
私は旭川寄りなのでこちらによく赴きます
江差町史よりも知内町史のほうが南条氏については詳しいです
その系図の出所は現在、札幌市内に住む南条氏の末裔の方からのようです
そのため、広継の天文19年没は、やはり慶広の兄殺しの加担を隠すためのものかもしれません
やはり、先祖の汚点はなるべく隠したいですからね
あと、奥尻町史には蛎崎基広が長門広益に討たれる逸話が克明に載っておりました
なかなかおもしろかったので、興味があればどうぞ


[252] それについては 投稿者:島公方 投稿日:2001/03/30(Fri) 19:54 

山形方面に行ってきました。上山城と山形城を見て
きましたが、雪が降ったのには閉口しました(泣)

>武藤舜秀さん
>片平
仙台の中心部から程遠くない場所にあります。
でも、片平氏との関係は不明です。
>自治体サイト
リンクフリーと記してあれば無断でもいいかと思います。
ただ、礼儀としてメールを出された方がいいでしょうね(^^)

http://www1.ocn.ne.jp/~miyagino/


[251Re.すごくベタベタですが。 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/03/26(Mon) 23:16 

>島公方様
仙台に片平というところがありますか。
それはどうも教えてくださりありがとうございます。

私のHPにも自治体のサイトを”無断”でリンクしたんですが、
やっぱり一言二言メール入れておいた方がよろしいですかね?

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[250] Re[249]:RE: 松前町のホームページ 投稿者:KUBO 投稿日:2001/03/26(Mon) 20:41 

>濱野佐宗さん
 こちらこそ、ご無沙汰してます。

> あったんですね、北海道の松前町のサイト。
 リンク願いのメールを下さった町役場の方によると、昨年12月に立ち上げたとの
ことですので、見つからなかったのも当然でしょうね(^^) なかなかきれいなサイト
ですけどね。

> 代わりに愛媛県の松前町のサイトが見つかったんですが、
 おっと、あちらのサイトもあったんですか、今度探してみようっと。ただし、ご存
知だと思いますが、文字は同じですけど北海道の方は「まつまえ」、愛媛の方は「ま
さき」ですのでお間違えのないように(^^;)

> でも、愛媛の松前町の松前城もそれなりに有名な場所みたいで
> すね、有名な所では加藤嘉明も居城としてますし…。
 そうですねえ。初め松前(正木)城に入って、それから松山に移って会津に行ったん
でしたっけね。なんだか『愛媛県の歴史散歩』を見たら、すっかり住宅地になってい
て碑があるぐらいのようですね。

> いつか桜の松前城(注:北海道の)には行ってみたいですね~。
 私も桜の頃の松前城は一度しか行ったことありませんけど、なかなかきれいでした
ね。実は、その時に撮った写真をネット用の名刺に使っているんですが(^^;) 桜の時
期のお城って、松前城と松前藩戸切地陣屋、米沢城ぐらいしか記憶にないんですけど、
戸切地陣屋もよかったですよ。陣屋までの道路の両側に桜並木が伸びていて、まるで
桜のトンネルを通っているようでした(^^)
 ぜひ松前城にもおいで下さいまし。(って私の城じゃあありませんが(^^;))

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[249] 松前町のホームページ 投稿者:濱野 佐宗 投稿日:2001/03/26(Mon) 01:05 

KUBOさん、お久しぶりです。

あったんですね、北海道の松前町のサイト。
確か去年あたりに検索で探した時は、北海道の松前町のサイトは
見つからなかった記憶があります。代わりに愛媛県の松前町の
サイトが見つかったんですが、なんとここにも松前城の史跡が
あったので、危うく騙されるところでした。(笑)
でも、愛媛の松前町の松前城もそれなりに有名な場所みたいで
すね、有名な所では加藤嘉明も居城としてますし…。
いつか桜の松前城(注:北海道の)には行ってみたいですね~。

http://www.ne.jp/asahi/saso/sai/index.html


[248] すごくベタベタですが。 投稿者:島公方 投稿日:2001/03/25(Sun) 12:21 

お久しぶりです(^^)/
>武藤さん
仙台に片平という地名がありますよ。
すんごいベタベタですいません(^^;)

http://www1.ocn.ne.jp/~miyagino/


[247] 今年のお城巡りの計画 投稿者:KUBO 投稿日:2001/03/22(Thu) 23:29 

 さて話は変わりますが、だんだんと雪が解けてきましたので、今年はどこのお城に
行こうかなあと、ふと思う今日この頃です。

 一応今のところ考えているのは、だいたい雪が消えるのが4月の後半ですので、ま
ず第1弾としてその頃に、昨年草が伸びていてよくわからなかった穂別町のチャシを
見てこようかなと思っています。
 そして、今年のGWは4月28~30日の前半と5月3日~6日の後半に別れているの
で、前半は一昨年の夏に行ってよく確認できなかった道東のチャシ(浦幌のオタフン
ベチャシや根室半島チャシ跡群)を見てこようかなと思っております。後半はできれ
ば本州に遠征したいところですが、行けるようであれば、九州に上陸して熊本城に行
ってみたいですね。それが無理であれば、最近東北づいているので岩手県か秋田・山
形県方面にでも行ってみたいですね。(お金の問題もありますけど(^^;))

 あと、6月中旬にはniftyの城郭フォーラム(FSIRO)の方で道南オフを行う予定でい
ます。今のところ、6月16日(土)・17日(日)に次のような日程で行う予定でいま
す。

 ◎第1日目:集 合 函館市内 10時頃
   訪城先 志苔館、四稜郭、五稜郭(函館市)、松前藩戸切地陣屋(上磯町)
        ※時間があれば、茂別館(上磯町)も
   宿泊先 松前町内
 ◎第2日目:
   訪城先 松前(福山)城(松前町)、比石館、勝山館(上ノ国町)
        ※草の状態次第ではワシリチャシ・花沢館(上ノ国町)も。
   解 散 夕方函館で解散?

 一応、FSIROのオフなんですけど、もしご興味がある方がいましたらこちらに書い
ていただくかメールを下さい。お城巡りMLの方も含め今のところ、5~6名は参加
して下さることになっています。
 訪城先のお城は昨年の夏にも回ったところばかりなのですが、その後松前城の搦手
二ノ門が完成したとのことですので、それを見るのが楽しみです。それから、先日松
前町のHPの管理者の方に教えていただいたのですが、松前城はここ数年整備が事業
が進められており、今年は土塀ができるそうです。平成15年頃までにはかなり整備
が進み景観も変わりそうだとのことです。お城ファンの方、ここしばらく松前城は見
逃せませんよ~(^^)
 

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[246] う~ん、忙しい... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/03/22(Thu) 23:29 

 みなさま、ここのところすっかりほったらかしで申し訳ありません(^^;) 年度末な
もんで忙しくて... 通知表をつけなくちゃいけないわ、送別会の幹事なもんで、その
準備をしなくちゃいけないわ、文集を作らなくちゃいけないわ...etc で、ここのて
んてこ舞いです(^^;)
 この分じゃあ、次回の更新はいったいいつになることやら...(^^;) などと言いつ
つ、ひまを見てはPS2で「鬼武者」やっとるんですが(をい(^^;))

>shinobuさん
 おや?もう異動ですか。こっちの方は、私もNさんも残留です。今度うちから4人
異動するんですが、みんな江別でした(^^;) しかも今度来るNo.2は、新卒の頃に世話
になった方でして(^^;)

>と~もさん
> さて、私の近況なんですが最近どう言う訳だか狛犬に興味を持
> つようになり、マイカメラ(キャノンのオートボーイ)でばし
> ばし撮影しまくってます。
 いいですねえ、そちらは。こっちはまだまだ雪が多くて、史跡巡りなんぞはあと一
月ぐらいは無理でしょうねえ。今日あたりは雨が降っていましたので、少しずつ雪も
解けていくでしょうけど、4月が待ち遠しいです。
 しかし狛犬ですか。あまりじっくりと見たことないですが、そんなに違いがあるも
んなんですね。そういえば昨年、道南の上磯町にある茂別館跡(現在は矢不来天満宮
が建っている)に行った時に、そこには狛犬ならぬ牛が鎮座ましましていました(^^;)
あれは何か由来があるんでしょうけど、何とも不思議でした(^^;)
 

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[244] 片平氏範 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/03/21(Wed) 22:24 

>  武藤様も『新編会津風土記』が出典でしょうか。他にも書かれている

  私は会津葦名時代人物事典ですね。
   

>  なお、片平氏ですが、仙台藩本藩、白石片倉家、一関田村家の家臣団
> を調べてみましたが、片平氏範はでてこなかったです。

 その片平氏範ですが、助右衛門を名乗っています。だとすつと、大内定綱の弟の片平親綱ではないでしょうか?
 親綱も助右衛門と名乗っていますし、伊達氏へ寝返っています。寝返った時期も同じ頃ですし、同一人物と考える方が自然だと思います。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[243] 赤松氏から狛犬まで…(苦笑) 投稿者:と~も 投稿日:2001/03/21(Wed) 01:10 

KUBOさん、ご無沙汰しております。と~もです。
最近、パソコンの調子が思わしくなくって再フォーマットした
んですが、肝心要のプロダクトキーが分からなくって、今にな
るまで使用不可能になってました。でも、ようやくそれも見付
かり、今度こそ快適なネットライフを送るぞと気合を入れてい
る私です。

さて、私の近況なんですが最近どう言う訳だか狛犬に興味を持
つようになり、マイカメラ(キャノンのオートボーイ)でばし
ばし撮影しまくってます。実の所、私は石造物に対して非常に
関心を持っていて、記念碑や墓石を旅先に見つけては写真にお
さめていたのですが、近所の神社に有った狛犬に記載されてい
た寄進者の名前やら建造年代を調べていたら、妙に愛着を持っ
てしまい…、今では蜷川氏の事を忘れてそっちの方にシフトし
てしまってます(爆)

にしても、狛犬って地域差がでますね。明石近辺の神社に有る
狛犬は鞠の上に前足をついて鎮座しているのに、愛知県一宮市
の神社の一般的な(?)狛犬は親子並んで座っている…それ以
外の市町村も調べてみないと類型化はできませんが、これだけ
でも結構面白そうだと思うのですが…いかがでしょう?

あっ、そういえば、門の有る神社には狛犬は有りませんね。円
心公の良きライバルだった楠木正成を奉る湊川神社にも尾張国
一宮の真清田神社にも狛犬はありませんでしたから…。これも
調べてみたら結構面白そうですね。

以上、赤松氏が寄進した狛犬が有ったらいいな~と思ってると
~もでした(爆)
 
 


[242] 実は私 投稿者:shinobu投稿日:2001/03/20(Tue) 07:35 

まだ4年ですが異動になりました。
南下してサティの隣にある中学校になります。
とても元気のある中学校ということなのでわくわくしています。
今日は道庁の別館に行って来ます。

http://www.wakwak.net/home/murashi/


[240] Re[238]: もしや… 投稿者:NAO4 投稿日:2001/03/08(Thu) 00:32 

林六郎光明殿
> 横レスですみませんが、先ごろ国宝に指定された、高岡瑞龍寺ではないですか?
> 前田家2代利長の菩提寺です。

そうです。高岡城と駅をはさんだ反対側にあり、利長の墓(だったと思うのですが)と長い参道で結ばれています。裏手にあったという廟は3~4つありました。信長、信忠は記憶にあるのですが、残りが誰のであったか記憶にありません。瑞龍寺の境内は周回できるような構造になっていますが、そこからちょっと出て裏側に回りこみます。高岡近辺の方いらっしゃたら確認していただけますか。
 
 


[239] Re[237]:RE: 早く城巡りがしたい! 投稿者:HAZU投稿日:2001/03/07(Wed) 23:52 

KUBOさま(^^;

>> 毎度フォローありがとうございます。ところで『新編会津風土記』って刊本になっ
>>ているんですか? いえ、もしなっているんなら今度ひまな時に道立図書館で探索で
>>もしてみようかと...(なんて言ってて忘れてしまいそう)

 『新編会津風土記』は刊本になっています。たしか、歴史春秋社か吉
川弘文館かです(^^;
 
 

                 筈衛from fukushima city


[238] もしや… 投稿者:林六郎光明投稿日:2001/03/07(Wed) 06:59 

ご無沙汰しておりました、加賀の林六郎光明です。

> 信長関係で1件。富山の高岡にある前田家の菩提寺(名前すいません出てきません。
> 有名なお寺です。)の裏手に信長、信忠を奉った廟があります。

横レスですみませんが、先ごろ国宝に指定された、高岡瑞龍寺ではないですか?
前田家2代利長の菩提寺です。
 
 


[237] 早く城巡りがしたい! 投稿者:KUBO投稿日:2001/03/06(Tue) 01:09 

歴史にゃあ全然関係ないですが、昨日は久しぶりに映画を見てきました。タイトルは
「ギャラクシークエスト」。まあほとんど一般には知られてないでしょうが、要する
にスタートレックのパロディ映画のようなものです。
 でもパロディだからと言ってバカには出来ません。ティム・アレン、シガニー・ウ
ィーバーなどのビッグネームが出演していますし、映画自体もなかなかのできでした。
もう一回見てこようかな?

>NAO4さん
> わたしも「濃姫」=「松坂慶子」のイメージが強く、「菊地桃子」のイメージは余
> り強くありません。
 菊池桃子は緒方直人が信長をやったときですか? あの時は、彼の信長が違和感あ
りありで、しかも平幹二郎が怪演(?)していたのですっかり見る気がなくなってしま
ってほとんど見てません(^^;) 「国盗り物語」の方は数年前に総集編のビデオを買っ
たのですが、皆さん若かったですねえ(当たり前だけど...)

> 城の話読ませていただきましたが、やはり久保さまただ者ではありませんね。「な
> んでこんなに巡っているんですか。」と質問してしまいそうです。
 そりゃあ「歴史が好きだから」としか言いようがないですね(^^;) でも本格的にお
城巡りをするようになったのは、niftyの城郭フォーラム(FSIRO)に出入りするように
なってからで、ほんとここ数年です。それまでは年に1回本州に旅行に行く時にちょ
っと行っただけで、その頃はほんと天守閣とその周辺くらいしか見てませんでした。
 最近は、土塁・空堀等しかないお城でもOKになってしまいましたが(^^;) 早く春
になってお城巡りが出来るようになりませんかねえ。この点北海道は不利です(T_T)

> 信長関係で1件。富山の高岡にある前田家の菩提寺(名前すいません出てきません。
> 有名なお寺です。)の裏手に信長、信忠を奉った廟があります。
 情報ありがとうございます。高岡は高岡城を再訪したいと思っているのでその時に
探してみようと思います。

>Sissiさん
>  ところで私は「下天は夢か」という小説を持っていて、これだと
> 濃姫って若くして亡くなってるんですよね。信長と濃姫の仲も悪い
> し・・・・。
 津本陽さんの小説ですね。私の蔵書目録見るとかなり前に買っているようですが読んだ記憶がない...(^^;) どっかに埋もれてるのかも(をい(^^;))

>筈衛さん
 毎度フォローありがとうございます。ところで『新編会津風土記』って刊本になっ
ているんですか? いえ、もしなっているんなら今度ひまな時に道立図書館で探索で
もしてみようかと...(なんて言ってて忘れてしまいそう)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[236] Re[228]:RE: どっから調べてくるのやら 投稿者:HAZU投稿日:2001/03/05(Mon) 23:12 

ぴえーるさま(^^;

>>「新編会津風土記」に載っている蘆名盛興の庶子力丸というのは
>>どれくらい信憑性のある人物なのでしょうか?

 個人的には信憑性はあまり感じられません(^^;
 ただ、『新編会津風土記』のどのあたりに載っているか調べてみたい
です(^^;
 何巻の何ページに書かれているかわかりませんか(^^;)

武藤舜秀さま(^^;)

 武藤様も『新編会津風土記』が出典でしょうか。他にも書かれている
本がありましたらお教えいただきたいです。
 なお、片平氏ですが、仙台藩本藩、白石片倉家、一関田村家の家臣団
を調べてみましたが、片平氏範はでてこなかったです。片平家は伊東祐
氏からでていますので、諱からすると可能性は無いわけではありません
が、会津鑑や伊達関係の系図集に載っていないので疑問も出てくるので
す。
 
 

                 筈衛from fukushima city  


[235] ありがとうございます 投稿者:Sissi 投稿日:2001/03/05(Mon) 08:59 

 KUBO様
 濃姫の説明、ありがとうございます。78歳とはなかなか長生きで
すね・・・・。私は菊池桃子の濃姫、結構好きでした。

 ところで私は「下天は夢か」という小説を持っていて、これだと
濃姫って若くして亡くなってるんですよね。信長と濃姫の仲も悪い
し・・・・。この小説、おもしろかったですが、若死にはともかく、こ
の仲が悪いというのが嫌でした。 

 NAO4様
 そうなんです、来てたんです。(笑)
 某所の掲示板を読んで、KUBO様ってかなり歴史に詳しい方なんだ
ろうなと思いまして・・・・。
 血筋にこだわる私としては、なかなか興味深いサイトです。
 


[234] Sissiさんも来ていたんですね 投稿者:NAO4 投稿日:2001/03/04(Sun) 08:32 

こちらにも来させていただきました。
Sissiさんも来ていたんですね。

わたしも「濃姫」=「松坂慶子」のイメージが強く、「菊地桃子」のイメージは余り強くありません。大河ドラマの死に方は結構かっこよかったですね。司馬遼太郎もこの辺のことを後書きか何かに書いていたような気がしますが。

城の話読ませていただきましたが、やはり久保さまただ者ではありませんね。「なんでこんなに巡っているんですか。」と質問してしまいそうです。私も一乗谷は行ったことがありますが、街として残らずに田畑に帰してしまっただけあって、よく町並みが分かりますよね。山口の「萩」も結構良いですが。

信長関係で1件。富山の高岡にある前田家の菩提寺(名前すいません出てきません。有名なお寺です。)の裏手に信長、信忠を奉った廟があります。たまたま高岡に行ったときに立ち寄って見つけたのですが、前田利家はやはり織田家の恩顧は忘れなかったということなんですかね。
 
 


[233] 濃姫その後 投稿者:KUBO投稿日:2001/03/03(Sat) 21:52 

最近すっかり、バイオハザード→バイオハザード2にはまって(今ごろ?)、サイトの
更新がすっかり止まってしまい申し訳ありません(^^;) でも、これから学年末・新年
度に突入と忙しくなるので、さらにストップするかもしれません(をい(^^;))

>武藤舜秀さん
> まあ、HPにも書いてる(?)思いますが、義広が葦名氏を継いだときに継ぐと思わ
> れていた部分もあるそうですが、義広が継いだことで、力丸の母方の実家の片平氏
> 範はそれに怒って伊達氏に降っています。
 そうなんですか。全然知りませんでした(^^;) 勉強になります。

>Sissiさん
 某所ではどうも(^^)
>  滅びた(?)名家はとても興味深かったです。私も
> 血筋にこだわる方なので・・・・。完成を楽しみにしてお
> ります。
 あれは前からやりたかったシリーズですのでボチボチとやって来たいと思っていま
す(^^)

>  ところでKUBO様、KUBO様は織田信長の正室濃姫こと
> 帰蝶についてはどれくらいご存じでしょう?
 正直なところ私もよく知りません。本能寺以降も生きていたらしいこと、信雄のと
ころにいて江戸時代に入ってから亡くなったというような話をどこかで読んだ記憶が
あります。 ...と記憶で書いてちゃいかんと思いまして、ちょっと手元の資料で調べ
てみました。
 『織田一族のすべて』(別冊歴史読本)の織田一族総覧によりますと、本能寺の際は、
安土城留守居役の蒲生賢秀(氏郷の父)の機転で難を逃れ、それ以後は信長の次男信雄
のもとで「安土殿」と呼ばれて庇護されていたようです。天正18年の信雄改易後の動
向は明らかではないそうですが、安土城跡に所在する摠見寺に所蔵される織田家の過
去帳により慶長17年(1612)7月9日に78歳で没して「養華院殿」と諡され、信長の廟
所である京都・大徳寺総見院の織田家墓所に葬られていることがわかったそうです。
 私にとって濃姫というと、子どもの頃に見た大河ドラマ「国盗り物語」で演じてい
た松坂慶子が一番に思い浮かぶのですが(年がわかる(^^;))、あれでは信長と共に本
能寺で死んでいたんですよね。何だかそのイメージがずっとあったもので、なんだか
違和感がありますねえ(^^;)
 でも信長の死後、どんな思いで生きていたのでしょうね?

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[232] 質問です 投稿者:Sissi 投稿日:2001/03/01(Thu) 13:32 

 初めてアクセスしました。Sissiです。
 滅びた(?)名家はとても興味深かったです。私も
血筋にこだわる方なので・・・・。完成を楽しみにしてお
ります。
 ところでKUBO様、KUBO様は織田信長の正室濃姫こと
帰蝶についてはどれくらいご存じでしょう?あれだけ
有名な方の正室なのに、肖像画もなく、いつ産まれて
いつ亡くなったかもはっきりしてないんですよね。最
近有名になった側室の吉乃(吉野とする場合もある)
は、肖像画はともかくだいたいいつ産まれていつ亡く
なったか分かってますが・・・・。
 ご存じでしたらぜひ教えてください。


[231] おしさしぶりです 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/03/01(Thu) 00:07 

葦名盛興に庶子?私も知ってますがね・・・
まあ、HPにも書いてる(?)思いますが、義広が葦名氏を継いだときに継ぐと思われていた部分もあるそうですが、義広が継いだことで、力丸の母方の実家の片平氏範はそれに怒って伊達氏に降っています。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[230] いよいよ3月かあ... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/28(Wed) 21:27 

>と~もさん
 「普天間かおり」ってなんか聞いたことあるような気がしますが、よく知りませ
ん...(^^;) 最近全然音楽聞かないんだよなあ。CDもここ数年買ったことがないよ
うな気がする... DVDは最近よく買うんだけど。

>ぴえーるさん
> 「新編会津風土記」に載っている蘆名盛興の庶子力丸というのは
> どれくらい信憑性のある人物なのでしょうか?
> 修験者となり、子孫もいたようですが……。
 正直な所、それは初耳です(^^;) 芦名盛興に子どもがいたなんていう話があったん
ですか...

>Kircheisさん
 ごぶさたです。そちらの更新も進んでいるようで何よりです。うちの方は正月以降
停滞気味ですが...(^^;)

> HP作成の為に図書館を利用する事が多くなりましたが、
 私も4年ほど前までは道立図書館まで車で5分という環境にいたので、その頃はよ
く行ったんですが、今じゃ車で40分になってしまいましたので、面倒くさくて自分で
資料を揃えてしまいました(^^;)
 『系図纂要』も揃ったし、この前は『平成新修旧華族家系大成』まで入手してしま
ったので、系図関係ではもう道立図書館まで行く必要はないかもしれません...(^^;)
あとはせいぜい『日本城郭大系』とか『寛政譜以降旗本家百科事典』等を見に行くときくらいかな?

> 充てるいい機会かもしれません。自分のHPの目玉「人物事典」
> も100人超えて一区切りついたかなと言えなくも無いですし。
 また増えて107人になってましたね(^^) 時代的にはビザンツ帝国が一番情けな
い時代なので、ちょっと悲しいですが...(^^;) まったくアンゲロス朝がしっかりし
ていたら第4回十字軍なんていうバカげた事件は起こらなかったろうに...(T_T)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[229] とりあえず近況をば。 投稿者:Kircheis 投稿日:2001/02/27(Tue) 23:33 

HP作成の為に図書館を利用する事が多くなりましたが、
来月は行き着けの図書館が館内整理という事で半月以上
利用できなくなります(T_T)。暫くの間は更新用のネタの
ストックがあるとはいえ、やっぱり辛いものがあります。
いい史料は購入しようとすると値段も馬鹿になりませんし(^^;)。
まあ、歴史ネタばかりでなくほかのコーナーの充実に
充てるいい機会かもしれません。自分のHPの目玉「人物事典」
も100人超えて一区切りついたかなと言えなくも無いですし。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis


[228] どっから調べてくるのやら 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/02/27(Tue) 23:24 

今晩は。自称郷土史研究家のぴえーるです。
滅びた(?)名族の蘆名氏を見て思い出したのですが、
「新編会津風土記」に載っている蘆名盛興の庶子力丸というのは
どれくらい信憑性のある人物なのでしょうか?
修験者となり、子孫もいたようですが……。


[227] 琉球話といえば 投稿者:と~も 投稿日:2001/02/27(Tue) 01:31 

KUBOさん、こんばんは。

琉球王国といえば、こないだのワイド・ショーに琉球王家出身
のアーティストの話題が有りましたよ。「普天間かおり」とい
う人なのだそうですけれど、彼女の人生はとても波瀾に満ちた
もので、そのせいか生み出すメロディーも「頑張ろうよ」とい
う、人生の応援歌風なものが多いのだそうです。一度聞かれて
みては如何でしょう?

それにしても、KUBOさん。補足の補足、有難うございます
。これからは心おきなく、蜷川氏と赤松氏の話に精魂を傾ける
事ができそうです(爆)
 
 


[226] 琉球話、再び 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/26(Mon) 20:33 

すっかりご無沙汰していましたが、皆さんが盛り上げてくださっていたようで何より
です(^^)

>shinobuさん
 琉球の話はと~もさんが補足してくださったので特にコメントすることもありませ
んが、琉球は「傀儡国家」というのとは違うと思います。傀儡国家というと実質的に
は他国にその支配権を握られており、その国家元首&政府は単なるお飾りというイメ
ージがありますけど、琉球はそこまでいっていないでしょう。まあ薩摩藩の「従属国
家」ではあると思いますが... この辺の定義って難しいですね。

> ところでお役目1年間ご苦労様でした。
> 私はもう1年やってみます。
 そうですか、ご苦労様です。何だかあまり動員もしないで終わったような気がしま
すが、道議会に行って堀知事の答弁を見たのが印象に残っております(^^;)

>と~もさん
 補足ありがとうございました。ところで、
> しかし、なぜ王の名前が中国の廟号と同じ「英
> 祖」なのでしょうか?そう言えば、韓国のハン
> グルを作成した王は、三代目にも関わらず「世
> 祖」(セジョン)と名乗っていますね。
についてですが、中国・明の三代目永楽帝も「世祖」、清の三代目順治帝も「世祖」、
四代目康煕帝も「聖祖」ですが、これは永楽帝が皇帝だった甥を倒して帝位を簒奪し
たことから新たに王朝を建てたも同然と考えられたからじゃないでしょうか? 順治
帝も明朝を倒した李自成を破って中国支配を始めた皇帝ですし、康煕帝も明朝の残存
勢力を壊滅させ、三藩の乱を鎮め実質的に中国統一を成し遂げた功績に対して「祖」
の字をつけた廟号を付けたのではないかと思います。(李氏朝鮮の「世祖」について
はよく知りませんが)
 琉球の英祖の場合は、伊祖城主の家に生まれ父の名も「恵祖」というそうですので、
その辺から付いた名前で廟号とはあまり関係ないんじゃないでしょうか?

>千生さん
 これは最近買ったある本に載っていたのですが、為朝は少年期に乱暴者であったの
で父に九州に追いやられ、九州各地の土豪を従えて大暴れしたので、朝廷があわてて
京都に呼び戻したということがあったので、そうした為朝の伝説が九州から沖縄に伝
わったのかもしれないとのことでした。ただしそうした為朝伝説と舜天王を結びつけ
たのは自らの沖縄支配を正当化しようとした薩摩藩で、島津氏の御機嫌をとるために
『中山世鑑』なども、それを受け入れたのだろうとも載っていましたが、ありそうな
ことです。

> た。でも旅行会社の方いわく、グスクを専門に観光するツアーもあるそうだから今
> 度再度行って見たいと思います。
 グスク及び関連の遺跡群も世界遺産に登録されるとのことでいま注目を集めつつあ
りますので、是非ともじっくりと見てみたい所ですね。

> それから、ふと思ったのですが、現在琉球王家の子孫は本土
> に在住しているのでしょうか。
 現在の御当主は、最後の琉球王尚泰の曾孫にあたる尚裕(しょうひろし)氏ですが、
那覇市にお住まいのようです。

> また、沖縄ってやっぱり日本であって日本でないなんというか、言葉も(現地の人
> は方言といわれましたが、あれはれっきとした琉球言語だと思う)違うし・・やっ
> ぱり、無理やり”日本”の一部にされたという印象強かったです。
 私もあまり詳しくはないんですが、縄文期には沖縄の文化は九州の文化と連動して
いたようですが、沖縄では弥生文化を受け入れなかったようで、12世紀末まで漁労・
採集の生活を送っていたようです。その頃は沖縄が日本の一部だという意識があった
ようですが、12世紀末以降金属器や稲作を受け入れるようになると、按司と呼ばれる
指導者が生まれ次第に独自の文化を創り上げていったようです。
 この辺は縄文時代のあと、続縄文・擦文と独自の文化を展開していった北海道と通
じるものを感じますね。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[225] 傀儡国家? 投稿者:shinobu 投稿日:2001/02/25(Sun) 17:33 

と~もさん丁重なご説明ありがとうございました。
管理人さん以外からお返事いただけるとは思っていませんでしたので感激です。

歴史は1192つくろう鎌倉幕府。しか覚えていません(T▽T)
名前と年の暗記がいみあるものと思えず挫折していました。
掲示板に定期巡回して勉強しますのでヨロシクお願いします。

江戸時代の沖縄と江戸幕府と島津藩そして中国との関係は
何となく分かりましたが、
よく「傀儡国家」なんて言葉も聞きますが
それとはどう違うのでしょう?

http://www.wakwak.net/home/murashi/


[224] 「沖縄三国志」 投稿者:と~も 投稿日:2001/02/24(Sat) 23:53 

沖縄で思い出しましたが、地元に有る図書館で
「国史大辞典」(吉川弘文館)を見ていたら、
こんな三山時代以前の沖縄を治めていた王とし
て英祖という人物が出てきました。その記述に
よれば、英祖の出生の仕方は豊臣秀吉ばりだっ
たようで、母親の腕に日輪が入って受胎したと
いうように言われていたのですが…。

しかし、なぜ王の名前が中国の廟号と同じ「英
祖」なのでしょうか?そう言えば、韓国のハン
グルを作成した王は、三代目にも関わらず「世
祖」(セジョン)と名乗っていますね。生きて
いる時から名乗っているので、もしかしたら英
祖と同じく生前から廟号を名乗っていたと考え
られ…。う~ん、どうなんでしょう?

なお、この王から5か7代くらい後に国が乱れ
て、「沖縄三国志」ならぬ三山時代が始まった
そうです。
 
 


[223] なるほど 投稿者:千生 投稿日:2001/02/22(Thu) 22:38 

KUBOさん、こんばんわ。
なるほど・・・確かに島津家の家系図みててもおや?という矛盾点
気になってましたが・・・結局、子孫が先祖の家系図を捏造(といったらいいかた悪いかもしれませんが・・・)した・・ということなのでしょうか・・。
それと、グスク、時間とツアーの関係上一箇所しかいけなくてちょっとショックでした。でも旅行会社の方いわく、グスクを専門に観光するツアーもあるそうだから今度再度行って見たいと思います。
それから、ふと思ったのですが、現在琉球王家の子孫は本土
に在住しているのでしょうか。また、沖縄ってやっぱり日本であって
日本でないなんというか、言葉も(現地の人は方言といわれましたが、あれはれっきとした琉球言語だと思う)違うし・・やっぱり、無理やり”日本”の一部にされたという印象強かったです。
一昔みたく一つの独立国としての沖縄なれば、もっともっと経済潤っていたのではないかと思いましたが、違うでしょうか・・・。


[222] 江戸旅行 投稿者:と~も 投稿日:2001/02/22(Thu) 00:04 

SHINOBUさん、こんばんは。KUBOさん家にご厄介に
なっている、と~もと申します。どうぞ宜しゅう_(._.)_

>琉球の王は江戸屋敷で生活していたとの話を聞いたことがあ
>ります。土地から王を引き離す政策を江戸幕府は採っていた
>のでしょうか?

琉球から国王を引き離すのは、当時の日本にしてみれば、ま
さに「百害有って一利なし」です。何故なら琉球王国は実質
上は薩摩(=江戸幕府)の管理下に置かれていたものの、尚
氏王朝成立当初(日本では南北朝末~室町初期)からずっと
中国(明や清)と「冊封関係」と呼ばれる一種の従属関係を
結んでいたんですから。もし、琉球を日本に併合したと宣言
したならば、中国は怒って日本に向けて大軍を送りこむ事で
しょう。

それに、江戸幕府にとって琉球は欠かす事の出来ない存在で
も有ったのです。それは、島津氏が琉球王国を制圧した当初
、日本は中国(明~清へと流れる頃)と正式な国交は結ばれ
ていませんでした。それはやはり、江戸幕府が豊臣秀吉の「
負の遺産」を背負ってスタートした事に起因するからなので
す。御存知の通り、豊臣秀吉はその晩年に何を考えたのか、
朝鮮に対して15万の兵士を2度にわたって派遣し、李氏朝
鮮とその宗主国である明と全面戦争しています。

結局、その戦争は秀吉の死を以って終結するのですが、いく
ら政権が豊臣氏から徳川氏に移行しても、中国としては信用
できませんから、和睦が完了しない限り国交再開するのは不
可能です。でも、やはりこれまで中国貿易によって財貨を得
てきていた日本としてみれば、何としてでも継続して行きた
い…。故に表向きは独立国として中国との冊封関係を維持さ
せ、実質上は日本の保護国として収益を吸い上げるという構
図が作られたわけです。

今回ご質問の琉球王の江戸住まいに関しても、結局は琉清間
における冊封関係と同じで、琉球国王の代替りを報告する為
に江戸に登り、あるいは将軍の代替り毎に慶賀と称して国王
は江戸に登っているのです。だから、結果的には日中という
二つの輪の中に琉球はいて、そのバランス感覚の元に独立国
としての体裁は守られていたのです、明治初期に断行された
廃藩置県以降までは…
 
 


[221] 素人知識ですが 投稿者:shinobu 投稿日:2001/02/20(Tue) 04:19 

素人知識ですが
琉球の王は江戸屋敷で生活していたとの話を聞いたことがあります。
土地から王を引き離す政策を江戸幕府は採っていたのでしょうか?
明治になってもそうだったのでしょうか?
沖縄は異文化があり、むりやり日本にさせられているような
気がするのは私だけなんでしょうか?

ところでお役目1年間ご苦労様でした。
私はもう1年やってみます。

http://www.wakwak.net/home/murashi/


[220] Re[219]:グスクも見たい! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/18(Sun) 13:03 

>千生さん
> そちらも雪、大変そうですね。うちの県も数年ぶりの大雪です。
 今年はやはり例年に比べても雪が多いですねえ。うちのアパートと向かいの家2軒
は、その2軒の間の道路を雪捨て場として使っているのですが、10数m奥行があるそ
の道路がすでに雪でいっぱいです(^^;) そろそろ排雪してくれんかなあ?
 うちのアパートの駐車場も雪が積もってでこぼこになったので、昨日は午後から5
世帯のうち4世帯総出で駐車場の雪割りをしました。おかげでだいぶん平らになりま
したが、実はこんなことをするのはここに来て初めてです(^^;) いままでは多少でこ
ぼこになっても、しばらくすると寒さがゆるんで雪が少し解けたもんですが、今年は
1月からほとんど気温が氷点下のままで...(T_T) ああ、グチばかりに...

> こないだの3連休沖縄にいってきました。
 ああ、いいなあ。グスク見たい! よくniftyのFSIROで「グスクはいいよ~!」と
言われるので、最近グスク関係の本も揃えているんですが、いつになったら行けるか
なあ?

> 沖縄の(琉球のほいうがいいかな)国王・尚氏って、一説に源為義の8男為朝の子
> 供が初代だのなんだのとありますが、ホントなのでしょうか・・・過去の戦争で大
> 事なものすべて灰になったとかと現地のかたがガイドされてました。
 これは琉球の摂政もつとめた向象賢(羽地朝秀)が1650年に著した琉球の歴史書『中
山世鑑』にも出てくる伝説です。それによると伊豆大島に流罪となった源為朝が、琉
球に流れ着き、その地の豪族大里按司の妹との間に生まれた尊敦が、王位を簒奪した
利勇を討滅して中山王位につき舜天王となったということが書いてあります。
 ただ、これはあくまでも伝説と考えた方が良いようで、実際にはやっとその頃に按
司(あじ)と呼ばれる族長的指導者が現れ、それらが対立抗争する中でしだいに「中山」
「山北」「山南」の3つの勢力に集約されていき、最終的に15世紀前半に「中山」が
琉球を統一するというのが琉球の歴史の流れのようです。
 もともとこういう伝説があったのかどうかということについてはよく知りませんが、
琉球にもっとも近く関わりの深い薩摩の島津氏には始祖・忠久が源頼朝の落胤である
という似たような伝説がありますので、その辺から創り出されてきた伝説だったのか
もしれません。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[219] こんばんわ 投稿者:千生 投稿日:2001/02/16(Fri) 23:57 

KUBOさん、こんばんわ。
そちらも雪、大変そうですね。うちの県も数年ぶりの大雪です。
まだ県の上に雪雲が居座ってるとかないとか・・・

こないだの3連休沖縄にいってきました。
沖縄の(琉球のほいうがいいかな)国王・尚氏って、一説に源為義の8男為朝の子供が初代だのなんだのとありますが、ホントなのでしょうか・・・過去の戦争で大事なものすべて灰になったとかと現地のかたがガイドされてました。
・・琉球に詳しい方、不勉強の私に教えてください。
よろしくお願いします。
 
 


[218] 除雪に飽き飽き... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/16(Fri) 20:26 

 なんか最近「寒い」とか「雪」とかの話ばかりしていますが、今朝は約1週間ぶり
に除雪しませんでした(^^;) ほんとは、7~8cm積もっていたんですが、今日は除雪
車が雪をおいていかなかったので、車の上の雪を払っただけで出勤してしまいました
(^^;) ほんと、早く春にならないかなあと思う今日この頃...

>モンケさん
 ご無沙汰してます(^^)
> 遅れましたが、開設一周年おめっとさんです
> 15000ヒットおめっとさんです
 ありがとうございます。なんか一年なんてあっという間でしたね。ちょっとした思
いつきで自分のサイトを作り始めたんですけど、この一年間でモンケさんはじめいろ
いろな方と知り合えたのが一番の収穫かもしれませんね(^^)

> ちなみに、自分の部屋の暖房器具は・・・布団のみ
 いいですねえ、暖かいところで(^^;) 一昨日の夜はファンヒーターをたいても、な
かなか15度以上に上がらなくて、しばらく除雪するときに着るジャンバーとオーバー
ズボンをはいてました(^^;)

>と~もさん
 蜷川氏にはまってますね~
> 最近、どうも蜷川氏の虜になってしまい、手当たり次第に(?)
> 蜷川氏の書籍を読んでます。やはり、室町時代は広く見なくっち
> ゃ…って、赤松氏はどうしたんだろう(爆)
 室町時代っていうと有力守護大名は意識の上に上がりますけど、蜷川氏などの足利
将軍家の近臣達(って言っていいのかな?)はあまり知られてませんよね。蜷川氏と伊
勢氏くらいは名前を知ってますけど、その他にはどんな一族がいたんでしょうね?

> す。しかし、その一方で東寺の公人として働いている人もいたり
> して全ての一族の事跡をまとめたら、結構面白そうな大河ドラマ
> ができると思うんですが、如何思われます?
 そうなんですか。蜷川氏のことはあまり知らなかったんですが、今度その辺の一族
のことをもう少し詳しく教えて下さい。大河はねえ...やったら面白いんじゃないか
とは思いますが、あまりに一般的にはマイナーで無理でしょう(^^;) 室町時代って
「太平記」と「花の乱」くらいしかやってないから見てみたい気持ちはありますけど
ねえ...

> それにしても、僕達の世代で生まれて一番最初に出会う歴史上の
> 人物って、以外と新右衛門さんだったりするんよねぇ。就いてい
> る役職とか、滅茶苦茶な部分は結構あったりするんですが(爆)
 あのアニメの将軍義満公はなんか忘れられないです(^^;) 私の場合なんだったっけ
なあ?「仮面の忍者赤影」に秀吉とかが出てきたらしいんですがよく憶えてません
(^^;)

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[217] 更に蜷川氏の話 投稿者:と~も 投稿日:2001/02/16(Fri) 00:33 

最近、どうも蜷川氏の虜になってしまい、手当たり次第に(?)
蜷川氏の書籍を読んでます。やはり、室町時代は広く見なくっち
ゃ…って、赤松氏はどうしたんだろう(爆)

それにしても、応仁の乱以後の蜷川氏って数奇な運命を辿ってい
ます。主人の伊勢氏と一緒に幕府を支えるものの、もはやこれま
でと分かるとさっさと本拠である越中蜷川城に戻り、ある者はそ
の地に留まり在地領主としての道を歩み、またある者は土佐の長
曾我部氏に食客として遇されます。そして、その一族が江戸時代
には旗本として血脈を明治時代に伝えるんです。しかし、その一
方で東寺の公人として働いている人もいたりして全ての一族の事
跡をまとめたら、結構面白そうな大河ドラマができると思うんで
すが、如何思われます?

それにしても、僕達の世代で生まれて一番最初に出会う歴史上の
人物って、以外と新右衛門さんだったりするんよねぇ。就いてい
る役職とか、滅茶苦茶な部分は結構あったりするんですが(爆)
 
 


[216] おひさ~っス!! 投稿者:モンケ 投稿日:2001/02/15(Thu) 07:16 

遅れましたが、開設一周年おめっとさんです
15000ヒットおめっとさんです

自分は灯油のにおい好きなんですよねぇ
今は石油ストーブ使ってないから、懐かしい感じがします
子供の頃を思い出す、といった感じでしょうか
ちなみに、自分の部屋の暖房器具は・・・布団のみ

http://www11.tok2.com/home/monke/


[215] Re[213]:寒いっす...(T_T) 投稿者:KUBO投稿日:2001/02/14(Wed) 19:28 

うっかり灯油の補給を忘れていたら切れてしまいまして、仕方なく今晩はファンヒー
ターを使っているのですが、なかなか部屋が暖まらなくて往生しております(T_T)

>島公方さん
> バイオでタイラントはですね、ロケットランチャーで
> 倒すべし(`Д´)b 若しくは何個かの回復アイテムが
> あれば勝てると思います・・・(^^;)
 あの書き込みの直後にタイラント撃破しました(^^) ロケットランチャーでね。で、
昨日あたりははじめからロケットランチャー&イングラムを持っているおまけのセー
ブデータでやってみましたが、楽でしたね~(^^;) なんかゲームやるの久しぶりだな~

> そういえばかの最上家も内紛があって改易になったそうですね
 最上家はうちの「交代寄合」シリーズに載ってますが、義光の孫義俊がかろうじて
1万石で大名の列に残ったものの、早世したため息子の芳智は半知の五千石にさらに
減らされ、旗本交代寄合になってます。

>天陽さん
> 山本周五郎の「樅の木は残った」だと、
> 原田甲斐はむしろ藩を救った英雄でしたよ。
 これは確か大昔大河ドラマでもやったはず、私はまだ子どもだったので見ていませ
んけど。
 そういえば、昔原田甲斐の子孫と称する男が先祖の汚名を晴らそうとしていて、そ
の男が殺されて...というような歴史ミステリーを読んだ記憶があります。井沢元彦
の『ダビデの星の暗号』だったかなあ?

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[214] 小説だけど 投稿者:天陽投稿日:2001/02/14(Wed) 01:29 

山本周五郎の「樅の木は残った」だと、
原田甲斐はむしろ藩を救った英雄でしたよ。
幕府の陰謀に乗せられた伊達兵部を、
内部スパイになって切り崩すという内容です。
まあまあ面白かったです。

http://ww8.tiki.ne.jp/~tenyo/


[213] 無題 投稿者:島公方投稿日:2001/02/13(Tue) 23:03 

皆様こんばんわぁ(^^)/
>KUBOさん
バイオでタイラントはですね、ロケットランチャーで
倒すべし(`Д´)b 若しくは何個かの回復アイテムが
あれば勝てると思います・・・(^^;)
あ、なんかゲームの話に・・・(゜Д゜)

原田甲斐はあれは、まずいことをしなすったですなぁ。
危うく我が伊達藩は改易と相成るところでした・・・。
そういえばかの最上家も内紛があって改易になったそうですね

http://www1.ocn.ne.jp/~miyagino/


[212] もう~いらん! 投稿者:KUBO投稿日:2001/02/12(Mon) 15:02 

みなさま、こんにちは。
 せっかくの三連休でしたが、すっかり吹雪で家に籠もってしまいました(^^;) 昨日
も今日も30~40cm降ったんじゃないですかねえ? うちのアパートの玄関なんて両側
とも肩の辺りまで雪が積み上げられて、まるで穴蔵に入っていくような感じです(^^;)
もう雪はいらん!て感じです(^^;)
 で、結局家でPC版「バイオハザード」をやってました(をい(^^;)) あとはラスト
をクリアするだけなんですがタイラントに勝てない...(T_T) やっぱアクションゲー
ムは嫌い...

>と~もさん
> 院中納言高藤が宮道弥益(蜷川氏の祖先)の邸宅に雨宿り
> した時に彼の娘と契りを結び、出来た子供が宇多天皇の後
> 宮に入り醍醐天皇を儲けたと書いてあるそうです。
 『尊卑分脈』を見てみたら、高藤の子定国の母が「宮内大輔宮道弥益女」となって
いまして、定方・胤子の母も同じとなっていましたので、間違いなさそうですね。

> このネタ、もっと深く掘り込んだら、F歴の系図部屋にで
> も書こうと思ってます。
 お~、楽しみにしてます。あっちも最近はちょっと寂しくて...

> にしても、どうしてこのように院殿号や戒名が酷似するケ
> ースが有るのでしょうか?
 なんか戒名に使われる文字って似たようなものが多いじゃないですか? だからじ
ゃないですか?

>筈衛さん

> KUBOさんも『笹舟の記』(切田未良)持っていたのか(^^;
> さすが、何でもそろえていらっしゃる。
 え~、これ持ってることはだいぶん前にniftyの系図部屋に書きましたよ~(^^;)

> けど、そうなると原田甲斐と柴田外記って近い親戚になりますね(^^;
 そうなの? じゃあ、今度ここに系図書いてね(^^)

> あっ、ついにKUBOさんもINCMで巡回か(^^;
 この間までmamimiで巡回してたんですが、あっちだと対応している掲示板が少ない
し、自分でカスタマイズしなくちゃいかんので、INCMに切り替えてしまいました。た
だ、mamimiで読み込んだログをINCMに移したいんですけど、どうしたらよいかわから
ない(^^;) うちの掲示板ほかいくつかの掲示板についてはHTMLファイルで過去ログを
保存していたので、何とか読み込めたけど...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[211] Re[204]:RE: う~さむい... 投稿者:HAZU投稿日:2001/02/12(Mon) 14:07 

KUBOさん(^^;

>> やりたいですねえ。そうしたい思いはあるのですが、宿題の山が... 「ユーグ・カ
>>ペーの末裔」「チンギス・ハーンの子孫」「滅びた(?)名族」等の他、まだアップし
>>てませんが「侍たちの北海道開拓」というコンテンツもやる予定ですし...

 おー、がんばってね(^^;

>>> そして、従姉妹の「おさる」とは一体……(^^;;;;)。
>> 『笹舟の記』(切田未良)によると、元和6年(1620)申年の生まれであったので、こ
>>う呼ばれたそうです。でもねえ...(^^;) このおさるの夫が伊達騒動の際に原田甲斐
>>を斬ったことで知られる柴田外記朝意です。

 KUBOさんも『笹舟の記』(切田未良)持っていたのか(^^;
 さすが、何でもそろえていらっしゃる。
 けど、そうなると原田甲斐と柴田外記って近い親戚になりますね(^^;

>>P.S.
>> 最近、掲示板の巡回は「INCM」でやっているんですが、今回はINCMによる初めての
>>書き込みです。うまくいくかな~?

 あっ、ついにKUBOさんもINCMで巡回か(^^;
 がんばって下さい。プラグインを作られたおりには教えて下さいね(^^;
 
 

                 筈衛from fukushima city
 


[210] ありゃりゃ 投稿者:と~も投稿日:2001/02/11(Sun) 00:51 

こんばんはぁ。
>ちょっと調べてみましたが、醍醐天皇の母は藤原高藤の
>娘胤子でした。高藤は藤原北家勧修寺流の祖ですが、蜷
>川氏(その頃は宮道氏?)との関係はあったんでしょうか
>?

坂井誠一『遍歴の武家~蜷川氏の歴史的研究』によると、
『小世継物語』(名前からして『大鏡』の続編かと)に閑
院中納言高藤が宮道弥益(蜷川氏の祖先)の邸宅に雨宿り
した時に彼の娘と契りを結び、出来た子供が宇多天皇の後
宮に入り醍醐天皇を儲けたと書いてあるそうです。
私は今だこの書物を見た事がないので、それが事実かわか
らないのですが、その縁により醍醐天皇が弥益の邸宅に勧
修寺を建立したのだそうです。

このネタ、もっと深く掘り込んだら、F歴の系図部屋にで
も書こうと思ってます。

P.S.ここで訂正をば。蜷川親直の戒名を「最勝寺元祖
●●居士」と言いましたが、正しくは「帰一蜷川元祖顕西
親直大居士」と言い、息子の親直の戒名こそ「最勝開基太
厳親綱大居士」と「最勝」の字がつきます。かといって、
別に北条時頼の院殿号とは違いますけどね(~_~;)

ちなみに、その子孫で新右衛門さん(蜷川親当)の祖父に
あたる蜷川親朝の戒名は「龍安院殿蟠根寺殿祖栄活妙大居
士」と言い、「寺」ではないものの細川勝元の戒名と似て
います。

にしても、どうしてこのように院殿号や戒名が酷似するケ
ースが有るのでしょうか?
 
 
 


[209] Re[208]:さて、三連休... 投稿者:KUBO投稿日:2001/02/10(Sat) 23:42 

 本日から三連休ということで、のんびりしております。これで北海道に住んでいる
んでなけりゃあ、まちがいなくお城or史跡巡りに行っているんですが...(T_T)
 で、せめて古本屋めぐりでもしようかと思いましたが、ちょっと吹雪いておりまし
たので、手稲まで行って本屋&ソフトショップをのぞいたあと帰ってきてしまいまし
た。「信長の野望」の新作も売ってましたが、最近は全然やっていませんので購入せ
ず、家に帰ってきてからなぜかPC版バイオハザードをやっておりました...(^^;)

>たかしPart3さん
> こんばんわ、以前「FSIRO」でお会いしましたね(笑)
 わざわざ情報を頂いたのに、佐倉には回れずじまいで申し訳ありません<(_ _)> 来
年こそは...

> でも道内はヒグマとかいるので恐くないですか?
 今のところ、それほど山奥に行っているわけではありませんので、そういう危険を
感じたことはありません(^^;) でも、晩秋に千歳の奥の人気のない所で丘の上に登っ
ていった時には少々怖かったですね(^^;)

> また関東(千葉にも)に来られる時はぜひお声をかけてください。
 はい、その時にはよろしくお願いします。

>味舌政宗さん
 突然のことで驚きました。もちろんやむを得ない事情がおありなのでしょうけど、
とても残念です。味舌さんのところはいろいろな方が出入りしてらっしゃったので、
その意味でもとても訪れるのが楽しみだったのですが...
 取りあえず当方からのリンクは解除しました。お名前はリンク欄に残しておきます
ので、復帰なさった際には是非ご連絡下さい。またお会いできることを楽しみにして
おります。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[208] サイト閉鎖のご連絡とリンク削除のお願い 投稿者:味舌政宗投稿日:2001/02/10(Sat) 11:49 

突然ではありますが諸般の事情によりサイトの閉鎖を余儀なくされ
まして、2月10日をもって閉鎖することになりました。KUBO
さまにはCLUB戦国大名だけではなく伊達風雲録の時も多くの
ことを教えていただき、浅学な私にとっては誠にありがたいお言葉
を頂きました。これまでもご厚情深く感謝致します。またいつの日か
落ちついたら復活したいと考えておりますがそのときはまたご指導
ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

PS.リンクの方の削除をお願い致します。


[207] こちらでははじめまして 投稿者:たかしPart3投稿日:2001/02/09(Fri) 20:36 

こんばんわ、以前「FSIRO」でお会いしましたね(笑)

私は北海道の城郭では五稜郭しか行ったことありませんが、ほかにも城郭・史跡など数多くあるようですね。「ゴジラ岩」には笑えました♪でも道内はヒグマとかいるので恐くないですか?

先日の関東攻めは満喫できたようですね。 佐倉には来れなかったんですか、こちらも2004年をめどに天守(御三階櫓)再建の話が持ち上がっています。まあバブル時代から持ち上がっては立ち消えている話なのでいまいち信頼性に欠けるんですが...

また関東(千葉にも)に来られる時はぜひお声をかけてください。
それではまた(^^)

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/5110/index.html


[206] 新シリーズ始動! 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/07(Wed) 23:34 

とはいっても、実はniftyの歴史フォーラムに書き込んだものの焼き直しだったりし
ます(^^;)>「侍たちの北海道開拓」シリーズ

 このシリーズ、もう何年も前にスタートしているのに全く進んでいないという体た
らくなので、うちのサイトに載せて同時進行にしていけば少しは進むかと思って載せ
ることにしましたが、はたしてどうなることやら(^^;)
 でも、個人的には北海道開拓に従事した伊達家武士団には興味があるので、少しず
つまとめていきたいと思います。(とはいっても榎本守恵先生の同名の名著があるの
でそれをもとにまとめていく形になると思いますが...)

 ああ、こんなに手を広げていって良いのだろうか? 「滅びた(?)名族」シリーズも
「ユーグ・カペーの末裔」シリーズも「チンギス・ハーンの一族」シリーズ(取りあ
えず一部分作ってある)、「高家」シリーズ(全く未着手)等もやらねばいかんのに...

 ま、ボチボチとやりますか。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[205] Re[203]:RE: コンスタンチノープル遠征記について 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/07(Wed) 02:09 

>Kircheis
> 「コンスタンチノープル遠征記」はフランス下級騎士ロベール=ド=クラリの体験談です。
 ありゃま、それは失礼しました(^^;) そいつは探索せねば...

> 色々な史料を見てもアンゲロス朝の皇帝達で水準レベルに達しているものは一人もいないと
> いって良いでしょうし、無意味な仮定と承知の上で「せめてミカエル8世レベルの皇帝がいたら
> これほどの体たらくにはならなかっただろう」と思わずにいられません。
 あ~、まさにこの部分には大賛成です(T_T) 全く、せっかくアレクシオス1世が立
て直した帝国を台無しにして、あまつさえ十字軍を自国の内紛に引き入れるとは...
 パレオロゴス朝時代にしても、ミカエル8世くらいですね、評価できるのは。あと
は、血族同士の争いばかりやってただでさえ弱っている帝国をさらに追い詰めていく
し...
 経済的にもかつての貿易輸出国から農業主体の輸入国に成り下がってるし、晩年の
ビザンツ帝国は情けないです...(T_T)

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[204] Re[197]:RE: う~さむい... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/02/07(Wed) 01:46 

今日も北海道は冷えてます。6時少し前に帰ってきたのですが、しばらく寒くて背中
の方がゾクゾクしていました(^^;) (やっと少し暖かくなってきた)

>吉良上野介末裔さん
 おいでなさいまし。お好みで「上杉景勝末裔」とか「伊達政宗末裔」「松前慶広末
裔」など使い分け下さい(をい(^^;))

> ぜひ、今年は「高家」にもチャレンジして下さい。
 やりたいですねえ。そうしたい思いはあるのですが、宿題の山が... 「ユーグ・カ
ペーの末裔」「チンギス・ハーンの子孫」「滅びた(?)名族」等の他、まだアップし
てませんが「侍たちの北海道開拓」というコンテンツもやる予定ですし...

> 私も何とか今年中にはサイトを立ち上げたいのですが、
> 画像ファイルが多すぎて・・・
> 城と家系のサイトを分けないと無理かなぁとか
> 思っております。
 うちも城と史跡の写真で容量がくいまして20MB以上あるはずです(^^;) で、「城と
チャシの部屋」の分はBIGLOBEに、残りは@niftyに置いております(^^;) niftyもBIG
LOBEも「10MBまで無料」なんていうけちなこと言わないで、「50MBまで無料」くらい
言ってくれませんかねえ(^^;) 今更、niftyとBIGLOBEやめるわけいかないし、かとい
ってプロバイダを3つにするのは...

>こたつ城主さん
 先日はどうも(^^)
> わぁ~い(^O^)! こたつもこたつも~♪←誰だお前は
 ありがとうございます(^^)

> 針生氏って、片倉妻(前妻)の甥っ子の代で「芦名」に
> 戻るんですね~!
 蘆名盛重の末裔の芦名宗家が断絶したので、藩主の命で芦名姓に復したそうです。
こちらの御子孫は今でもいらっしゃるようですけど。

> そして、従姉妹の「おさる」とは一体……(^^;;;;)。
 『笹舟の記』(切田未良)によると、元和6年(1620)申年の生まれであったので、こ
う呼ばれたそうです。でもねえ...(^^;) このおさるの夫が伊達騒動の際に原田甲斐
を斬ったことで知られる柴田外記朝意です。

> これが「片倉代々記」との事ですから、これを調べたら、
> 案外、重綱母の事も書いてないかなぁ。
> どこにあるんだろ、この本……といった所です、現在。
 これは片倉家の年代記のようなものだったと記憶しています。『系図文献資料総
覧』によると宮城県立図書館にはあるようです(あたりまえじゃ(^^;)) あと、東大史
料編纂所にもあるみたいですね。
 

>天陽さん
> おおっ、11巻持ってる。。。
 ああ、いいなあ... しばらくは道立図書館で眺めてがまんします(^^;)

> 安いな。私は全部同じ店で買いましたが3800円でした。
 でしょう(^^) だからこれは買いかなと思いまして、注文してしまいました。私が
持っていた1~3巻もだいたい3800円前後で買いましたので。

> こまめに探すことにします。っていうか、増刷して欲しい。
 もう20年も前の本ですから無理でしょう。それよりも『新版 日本城郭大系』出し
てくれないかな? 『中世城郭事典』なみに縄張り図なんか入れてくれるとうれしい
んだけど...

>と~もさん
> 前の話題の続きなんですが、蜷川家は元々現在の勧修寺の辺に屋敷を
> 構えていた一族で、その娘が醍醐天皇を産んだ事から勅命により屋敷
> をお寺に改めたそうです。
 ちょっと調べてみましたが、醍醐天皇の母は藤原高藤の娘胤子でした。高藤は藤原
北家勧修寺流の祖ですが、蜷川氏(その頃は宮道氏?)との関係はあったんでしょうか?

> 八代将軍である足利義政の没後、半強制的に「慈照院」から「慈相院
> 」に変えさせられているんです。
 へえ~、そんなことがあったんですか... あわれ、赤松満祐...

P.S.
 最近、掲示板の巡回は「INCM」でやっているんですが、今回はINCMによる初めての
書き込みです。うまくいくかな~?

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[203] コンスタンチノープル遠征記について 投稿者:Kircheis 投稿日:2001/02/06(Tue) 21:36 

「コンスタンチノープル遠征記」はフランス下級騎士ロベール=ド=クラリの体験談です。
彼もまた第4回十字軍に参戦した人物なので見方が西欧よりになっているのは間違いないでしょうし、
私もまたそれを念頭に入れて読んでいるつもりです。
それでもビザンツの事を知るにあたっては有効な史料だと思います。
この手の著作が色眼鏡を通して見られるのは仕方が無いとしても、それでも当時のビザンツの
退廃ぶりはと「20世紀の視点」から見られるはずのこの本の解説部分もかなり酷評してます。
色々な史料を見てもアンゲロス朝の皇帝達で水準レベルに達しているものは一人もいないと
いって良いでしょうし、無意味な仮定と承知の上で「せめてミカエル8世レベルの皇帝がいたら
これほどの体たらくにはならなかっただろう」と思わずにいられません。

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[202] あっ、どうも_(._.)_ 投稿者:と~も 投稿日:2001/02/06(Tue) 00:24 

武藤さんへ、
ご挨拶遅れて済みません。
そう言えば、最近お会いしてませんけど御元気そうで
なによりです(^.^)
また、こちらの方(でも)宜しくお願いします_(._.)_


[201] 新右衛門さん 投稿者:と~も 投稿日:2001/02/06(Tue) 00:17 

武藤さん、
>新右衛門さんって事実上の人物だったんですね。
>私の家の屋号も「新右衛門」ですから気にはなっていたのですが・・・

「新右衛門」という通称は蜷川家代々が使用されるものなので、誰なのかは特定する事は難しいですが、一般的には史実において一休さん
と入魂の間柄だった、蜷川親当(ちかまさ。法名は智蘊)だといわれているみたいですね。ちなみに、「新右衛門」という通称は、親か先祖が「新三郎」とか「新太郎」という通称を名乗ってて、その後「右衛門」の官職(蜷川家は右衛門尉)を名乗っていたので出来た物なのだそうです。

ちなみに、当家では「次郎三郎」とか「次郎法師」という組合せが有りますけど、これも同じように考えれば良いんですか?<ALL