【城 跡 名】十勝太Dチャシ(旧学校裏突角チャシ・十勝太見晴台チャシ)
【訪 城 日】1999年7月28日
【所 在 地】北海道十勝郡浦幌町字下浦幌
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条(?)
【訪 城 記】
この日は、まず最初に道立帯広美術館へと向かいました。「アイヌの四季と生活」と題してアイヌ絵師・平沢屏山の作品が多数展示されていたからです。ですが、それよりも展示を見終わって出てきたホールで「北海道のチャシ」というビデオを上映していたので、そちらに見入ってしまいました(^^;) このビデオはどうも昔STV(札幌テレビ)で制作した番組の録画のようで、白老のカムイエカシチャシの発掘の様子が映し出されていました。その他にも陸別のユクエピラチャシや厚岸の御供山チャシ群、標津の古道チャシ・伊茶仁カリカリウスチャシなどこれから行く予定の場所なども見ることができました。
そんなわけで帯広を出発したのが11時過ぎになってしまいましたが、まずは十勝川河口近くの浦幌町十勝太へと向かいました。ここには道指定史跡の十勝太遺跡群があり、十勝太A・B・C・Dチャシと十勝川河口チャシが含まれています。このうち十勝太Dチャシは場所を見つけることができましたが、発見できたのは説明版のみで、チャシ中央部は町道が通り遺構は確認できませんでした。『日本城郭大系』では、道路東側の牧場にわずかに壕が残されており、これに連続する壕または切り崩しと思われる遺構が道路西側の孤立丘に見られるとありますが、残念ですが確認できませんでした。ただこのチャシからの眺めはとてもよく十勝川の下流域を見渡すことができます。ですから、漁などの見張り台として使われたのかもしれませんね。

【城 跡 名】オタフンベチャシ
【訪 城 日】1999年7月28日・2002年5月3日
【所 在 地】北海道十勝郡浦幌町直別
【形 態】丘頂式
【主な遺構】空壕:周壕1条
【訪 城 記】
十勝太から浦幌町内の厚内へと抜け、そこからさらに隣町音別町の直別方面へと進みました。しばらく海岸沿いを走ると前方に御供餅形をした山が見えてきました。これがオタフンベチャシです。
このチャシの形は茶碗を伏せたような形で、上部に山を一周するような形で壕が一本認められます。また、その壕から麓に向けて溝のような物が続いています。本当にきれいな形をしていて、思わずぼうっと眺めてしまいました(^^;)
早速登城...と思ったんですが、道路からチャシへ登る道へ進もうとしたとたん、私の胸のあたりまで伸びる草むらに進路をふさがれてしまいました。せっかくここまで来たのにと思い、チャシの周りをぐるっと回り、海岸に面した斜面は土が少し見えているのでそちらから登ってみました。次第に草が伸びてきたんですが、かまわず進んで壕の所まで登ってしまいました(後で後悔しましたが...)
壕はきれいに山の周囲を巡っており、深さは1.5mぐらいはありそうでした。そこからさらに頂上を目指そうとも一瞬思いましたが草むらの深さを思い断念し、登った場所ではなく、壕から下の方へ伸びている溝に沿って下に降りていきました。ですが、ここも草むらが深く、無理矢理進む感じです。途中からはその溝の隣にある土塁のような所に登って進みましたが、下まで来るとその土塁が途中で切れ、下の方に落ち込んでいるようでした。仕方ないので下に降りると横に抜けられそうだったので、私の背よりも高く伸びたラワンブキの間を抜けて何とか道路まで脱出することができました(^^;)
「教訓:夏草が伸びている時にオタフンベチャシに登ってはいけない!(をい(^^;)) 」でもあの調子なら春とか秋でも登れるんでしょうかねえ? いずれにしても、とってもきれいな形をしたチャシでした。国指定史跡になっているのもうなずけます。
『日本城郭大系』によると、このチャシには次のような伝承が残っているそうです。
昔、白糠アイヌの長は立派な宝物を持っていると評判が高かったので、メナシ(北海道東方)で一番勢力のあった厚岸アイヌの長が奪い取ろうと攻め込んできた。激しい戦いが各所で行われたが、白糠軍は厚岸軍にうち破られ最後の本拠地オタフンベチャシを死守することとなった。必死の防戦に攻めあぐんだ厚岸軍は一策を案じ、夜中に砂で海浜にクジラの形を作り、その上に魚を置き、油をまき、「寄りクジラ」に見せかけてその陰に軍を伏せておいた。
夜が明け、たくさんのカラスが群れ集まっているのを見た白糠軍は、食糧不足に苦しんでいたので、「寄りクジラ」だと思い込み、武器も持たずに駆けつけたところ厚岸軍のためにうち破られてしまった。それを見た白糠の長もチャシから出て戦ったが、重傷を負い戦死してしまった。厚岸軍は白糠の長の屍を葬り、引き揚げた。だが、船に乗ってこぎ出そうとしたところ、長を葬った場所から飛び出した蜂の大群に襲われ、ほとんど刺し殺されてしまい、残った者はほうほうの態で逃げ帰ったという。
チャシ名のオタフンベはこの砂クジラ[ota-hunbe]が転訛した地名で、地元民は「オトベ」または「オトンベ」と呼ぶこともあるそうです。(1999/7/28)



(藪でよく分かりませんが...)


礼文内第二チャシの次は、いよいよこの日のメイン、オタフンベチャシであります。チャシとしては大きな方で高さは40~50mはあるでしょうか? 頂上近くに周壕があり、御供餅型のチャシですが、特徴的なのは頂上近くの周壕と麓をつなぐように竪堀がありその両側に土塁があることです。
こうしたものは他のチャシでは見かけないもので、ちょっと違いますけど彦根城の登り石垣を思い出してしまいました(^^;) ただ他の方のサイトを見ると北側の丘にも同じような土塁が伸びているので、明治以降に土地の境界線を示すために築かれたものではないかともあるので、竪堀ではないと考えたほうがよさそうです。
前回来た時には夏の最中でしたので、背丈ほどもある蕗ははえてるは笹藪は腰くらいの深さがあるわで、這々の体で撤退しましたが、今回はさすがに蕗は影も形もなく、笹藪もほとんど枯れていて、やや歩きにくいものの登るのには不自由しませんでした。前回の教訓はちゃんと生かしました(をい(^^;))
とにかく今回はオタフンベチャシの頂上に登れて大満足でした。(2002/5/3)







【城 跡 名】シュプサラチャシ
【訪 城 日】2002年5月3日
【所 在 地】北海道河西郡芽室町字西士狩北6線32
【形 態】丘頂式
【主な遺構】周壕1条、枝状の壕3条
【訪 城 記】
今回の連休は3年前の道東遠征のリベンジということで3泊4日で道東を巡ってきましたが、その最初がこのシュプサラチャシです。
この日は、朝8時頃に家を出たんですけど、調子が良かったのは夕張で高速を降りるまでで、夕張から日高に抜ける途中で8kmほど渋滞にはまってしまい、40分~50分ロスしてしまいました。さすがに四連休初日、恐るべし(をい(^^;))
まあ、その後はだいたい予定通りに行き、昼過ぎには芽室に着きました。カーナビの指示に従い、最初はシュプサラチャシの裏側と思われる山道を走りましたが、よくわかりません。次に下の道に降りて見上げてみると。一応それらしき山を見つけましたが、結局場所を特定できず、とりあえず遠景を撮ってきました。

【城 跡 名】国見山チャシ
【訪 城 日】2002年5月3日
【所 在 地】北海道河西郡芽室町字国見
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
ここはちょうど十勝川とその支流・然別川の合流地点の少し北側です。国見橋の近くまで行くと山があったのでここだなと見当をつけ、国見橋の手前で左に曲がると、駐車場があったので「おや?」と思ったら、この国見山は公園になっていました。
見てみると、山の上に登る遊歩道も付いていたので「登ってみよう」と思ったのが大失敗(^^;) 登ってみるとえらく急だし、とちゅう足場が悪くなっているところもあって、登るのに一苦労でした。下から見た時に尾根の先端の方に壕らしきものが見えたのでそちらに行きたかったのですが、そちらには遊歩道が付いておらずけもの道のようなのしかないし、尾根の上は狭くて滑りそうだったので、そちらに行くのを断念して下まで降りました。この時点でかなりバテバテになってしまいました(^^;)
結局直に確認はできませんでしたが、明らかに先端部分に壕があるのを確認できました。(2002/05/03)
※私が探索した場所はチャシではないというご指摘を以前受けました。そのうち再訪しようと思っていますが、未だ再訪しておりません。いったいいつになることでしょう… (2017/05/03)

と思っていましたが間違いでした<(_ _)>

と思っていましたが間違いでした<(_ _)>
【城 跡 名】礼文内第2チャシ(礼文内神社チャシ)
【訪 城 日】2002年5月3日
【所 在 地】北海道中川郡豊頃町基線
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条、コの字状1条
【訪 城 記】
国見山チャシのあと、カーナビの指示に従い、豊頃町まで移動しました。礼文内神社の近くだということなので、周りを探してみましたら、礼文内神社と道路を挟んで反対側に立派な説明板がありました。このチャシは壕が2本あり、弧状の内壕の外側にそれに接するようにコの字状の外壕があります。内壕の方は真ん中にブリッジ(土橋)があり、内郭と外郭を行き来できるようになっていました。とはいってもチャシとしては標準的な広さで、それほど大きなものではありません。
なぜか有刺鉄線(といっても古いもので、中には入れましたが)がはりめぐらされており、ズボンに引っかけて穴を開けてしまいました(T_T)




(この説明板の右側に外壕があります。)

【城 跡 名】新内(にいない)チャシ
【訪 城 日】2013年5月5日
【所 在 地】北海道上川郡新得町新内
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:半円状1条
【訪 城 記】
この日は、半年ぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。道の駅とチャシ4カ所を巡りました。その最初は、この新内チャシです。
なだらかな舌状台地で、いかにもチャシらしい立地でした。横の方に溝のようなものがありましたが、あれはチャシとは関係なさそうです。ちょっとのぼって、上の方を確認してみたかったのですが、蜂がいましたし、時間もないので退散しました(^^;)


【城 跡 名】オピチャチャシ(ウォップチャシ)
【訪 城 日】2013年5月5日・2016年7月31日
【所 在 地】北海道河東郡士幌町字中音更基線200-1・5・5地先,西1線197-6・6地先,199-1・7
【形 態】?
【主な遺構】?
【訪 城 記】
この日は、半年ぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。道の駅とチャシ4カ所を巡りました。二番目は、オピチャチャシです。
音更川に面した台地ですが、場所がよくわかりませんでした。位置的には、農地の奥のようだったので、近づけなかったので、確認できませんでした。
とりあえず写真を撮ったけど、もう少し北側の方かもしれません。(2013/5/5)

この日は、以前旭川の菅原さんに士幌のオルベチャシとオピチャ(ウォップ)チャシは標柱があると教えていただいていたので、ダム巡りとともに二つのチャシ再訪です。まずはオピチャチャシへ。上の写真1よりもう少し北に進むと、鈴木農場の看板の隣にオピチャチャシの標柱を発見。金属製の立派な標柱でした。きっとその奥の農場の裏の方に位置するんでしょう。(2016/7/31)


【城 跡 名】オルベチャシ
【訪 城 日】2013年5月5日・2016年7月31日
【所 在 地】北海道河東郡士幌町字士幌東16線177-1・7
【形 態】丘先式?
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
この日は、半年ぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。道の駅とチャシ4カ所を巡りました。三番目は、オルベチャシです。
居辺川に面した台地に位置しています。表の道路側から眺めたり、裏から近づけないかと行ってみましたが、農地の奥のようで近づくのは断念し、遠景を撮って終了としました。(2013/5/5)

(表の道路側より)

(表の道路側より)

(裏の農地側より)
この日は、以前旭川の菅原さんに士幌のオルベチャシとオピチャ(ウォップ)チャシは標柱があると教えていただいていたので、ダム巡りとともに二つのチャシ再訪です。まずはオピチャチャシへ行ったあと、オルベチャシへと向かいました。写真3の裏の農地側を探索していると、道路脇にある農家の花壇の横に逆さまになって標柱が倒れていました…。まあ標柱があっただけでも良いとは思いますが、せめて元のように立ててほしいですね。(2016/7/31)

(上の写真近くの道路脇)

【城 跡 名】ホロカチャシ(幌加遺跡?)
【訪 城 日】2017年5月4日
【所 在 地】北海道河東郡上士幌町字幌加67林班ち小班・へ小班,86林班い小班・は小班
【形 態】面崖式
【主な遺構】C字状1条
【訪 城 記】
この日は十勝方面のチャシ・ダム巡りをしました。道東道を降りたあと北上し糠平ダムに行った後、さらに国道273号線を北上しました。途中、「ひがし大雪自然館」で展示していた旧三の沢橋梁・旧五の沢橋梁やタウシュベツ橋梁が望める展望台がありましたが、時間の関係でパスしました。
そのまま進み丸山橋の手前、左側に鉄塔がある場所で車を停め、鉄塔の方に進んでみると「幌加遺跡」の看板が倒れていました。その先に進むと鉄塔の前方の川沿いの所にカーブした壕のような溝のようなものがありました。ただし普通のチャシの壕はチャシの後背部に付け根を区切るように、あるいは囲むようにありますが、ここの壕は川に近い部分にあるのが若干不自然です。
北海道チャシ学会のチャシ一覧や『上士幌町ひがし大雪博物館研究報告』第12号に載っている「音更川流域のチャシ」という論文ではホロカチャシとして紹介されていますが、北海道教育委員会の「北の遺跡案内」では幌加遺跡として登録されていますので、チャシではないと結論付けられたのかもしれません。


(地面に倒れてました…)


【城 跡 名】オタオロシタプコプチャシ
【訪 城 日】2017年5月4日
【所 在 地】北海道河東郡上士幌町字上士幌130-7地先
【形 態】丘先式
【主な遺構】直状3条
【訪 城 記】
この日は十勝方面のチャシ・ダム巡りをしました。糠平ダム・ホロカチャシの後オタオロシタプコプチャシへ向かいました。地図を見ると国道273号線を南下して清水谷神社の辺りから西側を流れる音更川左岸に進み川が屈曲しているモイ地形に面した辺りのようですが、車を停め近くの牧草地の奥の川岸近くを探索してみました。ですが、よく分からず帰って来てしまったのですが、あとから地図をもう一度よく見てみると、どうやら少し北側の方を探索していたようで、もう少し南側の方を探してみれば良かったと後悔しました。『上士幌町ひがし大雪博物館研究報告』第12号に掲載の「音更川流域のチャシ」に載っている平面図ではモイ地形に面して突き出た台地の付け根の辺りに壕があるようです。
いずれにしても、また機会があれば探索してみたいと思います。
このあとさらに南に位置するセタチャシを探す予定でしたが、チャシへと続く道が通行止めになっており、もう夕方近くなっていて回り道をすると暗くなってきそうだったので、無理をせず帰路へとつきました。十勝方面はまだ本別・足寄・音更・幕別等々まだまだ探索していないチャシがありますので、再訪したいと思っております。

【城 跡 名】千畳敷公園チャシ(チャシコツウンナイチャシ)
【訪 城 日】2013年5月5日・2013年8月3日
【所 在 地】北海道河東郡音更町元町3
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条?
【訪 城 記】
この日は、半年ぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。道の駅とチャシ4カ所を巡りました。最後は、千畳敷公園チャシです。
ここは、今は公園になっていて、隣に音更神社、台地の下に音更町役場があります。壕があったようですが、公園造成の際に埋められてしまったようです。今は遺構はありませんが、立地はそのままのようで、チャシらしい雰囲気が残っています。
ですが、帰ってきてから調べると、「千畳敷公園チャシ」という標柱や壕の残痕があったようで、次回十勝に行く際にはもう一度確認しなくてはと思っております。(2013/5/5)




(写真1の奥側から見ている)

8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目の最後は、千畳敷公園チャシです。道の駅うらほろの後、予定では豊頃町の豊頃1・3チャシ、礼文内第1・第3チャシや幕別町の幕別神社チャシ・軍岡チャシ・金比羅神社チャシ・稲志別チャシ・依田チャシ等に寄って帯広に向かう予定でしたが、時間が押してしまったので、全てパスして前回不本意に終わった音更の千畳敷公園チャシへと向かいました。前回の後、「千畳敷公園チャシ」という大きな碑があるということがわかったので、再度探してみました。公園周辺や前回探した辺り・さらに北側の方の探してみましたが見つかりません。
最後に逆に南側の音更神社の方を探索してみたら、やっと見つけました。金属製の碑だけでなく説明板もありました。位置的には音更神社の東側、千畳敷公園からは写真4の赤い橋を渡った左側に行くと見つけられます。ちょっと草が伸びていて、壕の残痕はちょっとよくわかりませんでしたが、ほっととして帰路につきました。(2013/8/3)




【城 跡 名】足寄2チャシ
【訪 城 日】2013年8月2日
【所 在 地】北海道足寄郡足寄町字平和35-6,70-1,75
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。足寄町のチャシ3か所目、足寄3チャシの次は足寄2チャシにに向かいました。足寄2チャシも畑の向こう側にあるようで、畑の端を歩いて行けそうだったのでとりあえず進んでみました。かなり進み、畑のある台地の先端部の辺りまで行くと、畑の奥の草むらの端にカーブした壕を見つけました。草むらがわかりにくいですが、まちがいなくチャシの壕です。深さは1mほどでしょうか。長さは10m以上はありそうでした。
足寄1チャシがすぐ近くにあるはずなので、探してみましたが、見つけられませんでした。後から考えると、足寄2チャシと沢をはさんでいるので、見つかるはずもありません(^^;) 次回の宿題としたいと思います。
このあとは中足寄チャシや足寄湖近くの活汲チャシに行きたいところですが、時間の関係でパスし、道の駅足寄湖に行ったあと、国道242号線を北上し陸別町方面へ進みました。



【城 跡 名】足寄3チャシ
【訪 城 日】2013年8月2日
【所 在 地】北海道足寄郡足寄町字平和206-2,207,208-1,209-1・2
【形 態】孤島式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。足寄町のチャシ2か所目、足寄4チャシの次は足寄3チャシにに向かいました。足寄3チャシも畑の向こう側にあるようで、畑を横切って行かなくてはいけないようでしたので、突入するのは断念し、遠景のみ写真におさめました。

【城 跡 名】足寄4チャシ
【訪 城 日】2013年8月2日
【所 在 地】北海道足寄郡足寄町共栄193-2・4,194-12・13
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状?1条
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。本別町のあとは足寄町へ移動し、まずは足寄4チャシに向かいました。ここは足寄町中心部から足寄川を渡り、坂を登った脇の台地にあるようですが、下の写真のように畑の奥に位置しており、『北海道のチャシ』によると「ほぼ全滅、崩落により、原形を残していない。」とあるので、無理をせず遠景写真を撮ったのみで次へ移動しました。

【城 跡 名】トブシチャシ
【訪 城 日】2013年8月2日
【所 在 地】北海道足寄郡足寄町字大誉地58-3
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条、内壕は中央が途切れている
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。足寄町のチャシ4か所目、足寄2チャシの次は道の駅足寄湖に行ってトブシチャシにに向かいました。トブシチャシは国道242号線を北上し、陸別町方面へ向かう途中にあります。利別川を渡る第四利別橋の左前方に見える台地がトブシチャシですが、とても近づくことはできそうもありませんでしたので遠景を写真におさめて次に進みました。

【城 跡 名】トメルベシベチャシ
【訪 城 日】2013年8月2日
【所 在 地】北海道足寄郡足寄町字大誉地15-10・11・16・33~58
【形 態】?
【主な遺構】空壕:?
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。足寄町のチャシ5か所目、トブシチャシの次はトメルベシベチャシですが、実は、トブシチャシの近くで、第四利別橋の右側奥の方に位置しています。こちらもとても近づくことはできそうもありませんでしたので、橋のたもとから遠景を写真におさめて次に進みました。

