後志管内(10)
ハリウスチャシ(小樽市)

【城 跡 名】ハリウスチャシ
【訪 城 日】1999年10月24日
【所 在 地】北海道小樽市張碓町29-1
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:楕円形周壕1条
【訪 城 記】
 小樽余市方面のチャシ巡りに行きましたが、この日は全滅でした。ハリウスチャシは小樽の札幌寄りにある張碓町にありますが、地図を見て張碓町の西側の岬の辺りだろうと見当をつけました。張碓町の真ん中を走る道を海の方へ進みそれらしき岬を一応写真に収めました。ですが、あの場所が正しい場所なのかどうかはいまだに自信がありません(^^;)

追記:「北の遺跡案内」を見ると正しい場所だったようです(^^;)

桜チャシ(小樽市)

【城 跡 名】桜チャシ
【訪 城 日】1999年10月24日・2000年9月10日・2000年11月3日・2001年11月3日・2013年8月14日
【所 在 地】北海道小樽市桜4丁目1109ほか(望洋台1丁目?)
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:半円状1条
【訪 城 記】
 張碓町を後にして西へ進み、朝里で左折し、札樽自動車道をくぐったあたりで右折して朝里川を渡った対岸の丘陵上へと進みます。そのあたりが桜チャシのある場所ですが、今は「望洋台」と呼ばれ、新興住宅街になっています。川沿いのそれらしきところをぐるぐると探しましたが結局発見できませんでした。後から地図を見直してみるともう少し南の方にそれらしき場所がありましたのでそこだったのかもしれません。(1999/10/24)


 天神山チャシのあと小樽に行くつもりでしたが、雨がひどくなってきたのでどうしようかなと思いましたが、昼食を取っているうちに少し小降りになってきたので取りあえず行ってみることにしました。
 桜チャシは二度目ですが、前回はあちこち探した結果見つけることが出来ませんでした。今回は地形図を見て見当を付けましたが、行ってみると「望洋東公園」という公園があったのでその周辺を歩いてみました。すると、公園の後背部に小高く盛り上がり樹木が残っている丸い部分があったのでそこに登ってみました。何の標柱も看板もありませんでしたが、『日本城郭大系』に載っている写真とそっくりですので、ここが桜チャシなのは間違いないようです。
 雨が降っていて足元が滑るのでじっくりと見る余裕はありませんでしたが、東側を流れる朝里川に向かう台地の先端部に辺り、まさに典型的なチャシの立地でした。
 今度天気がいいときにもう一度行ってみたいですね。(2000/9/10)


 先日小樽方面に再チャレンジしてきました。まずは桜チャシから。この前は雨だったのでじっくり見れなかったので、まずは台地上に登ってみましたが、前回と同じく特に遺構らしきものは見つかりません。この台地の背後の部分が低くなって通路になっていますが、ここがかつて壕だったのかもしれません。後背部の住宅街の方も一回りぐるっと回ってみましたが、そちらの方にも特に案内板のようなものもなく新たな収穫は特にありませんでした。(2000/11/3)


 この日は小樽の桜チャシに看板が立ったということをメールを教えていただいたので、それを確認するとともに小樽の史跡巡りをしてみようと思い立ち、小樽へと向かいました。
 まず向かったのは当然桜チャシです。チャシの台地上に登ってみると、「朝里遺跡・桜チャシと桜町台地遺跡」という真新しい看板が立っていました。建てたのは「小樽・朝里まちづくりの会」という団体で、2001年第一回朝里遺跡の一つとして桜チャシが選ばれたようです。(2001/11/3)


 この日は後志南部の道の駅巡りに行きました。蘭越、寿都、島牧、黒松内の5つの道の駅に寄った後、毛無峠を通って小樽方面に戻りましたが、小樽の桜チャシの前を通ったので久しぶりに寄ってみました。2001年以降も時折寄ってみていたのですが、上の写真の看板は壊されてなくなっていました。チャシ自体は公園になっていますので、特に変化もないようでした。(2013/8/14)

ホッケマチャシ(小樽市)

【城 跡 名】ホッケマチャシ(ポンモイチャシ)
【訪 城 日】2000年11月3日
【所 在 地】北海道小樽市ポンモイ岬
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:周壕1条
【訪 城 記】
 桜チャシを見たあと昼食を取り、そのあとにホッケマチャシへと向かいました。このチャシは小樽市街地を抜け、伊藤整文学碑のある塩谷の辺りにあります。文学碑の前を通りすぎ、海に近づいた辺りで右折すると塩谷海水浴場があり、その先に漁港がありますが、ホッケマチャシはその先のポンモイ岬の辺りのようなので、車でそのまま進みましたが、漁港の手前に「関係者以外立入禁止」の看板があり、他から岬の方に進むことはできなさそうでしたので、そこで断念して遠景の写真だけ撮って帰ってきました。遠くから眺めただけですが、遠望が聞きそうないかにもチャシに適した立地のように思えました。

フゴッペチャシ(小樽市)

【城 跡 名】フゴッペチャシ(フゴッペ岬チャシ、蘭島チャシ)
【訪 城 日】2000年11月3日
【所 在 地】北海道小樽市蘭島
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 ホッケマチャシの次はフゴッペチャシです。このチャシは小樽市と余市の境界にあるフゴッペ岬にあるようなので、まずはフゴッペ岬へと向かいました。しばらく車で走り、蘭島の町を抜けると右側に岬が延び、その根元をトンネルが貫通しているところがあったので、ここだなと思い近くにあった駐車スペースに車を停めて近づいてみることにしました。するとトンネルの左側(岬の根元寄り)の方に窪んだところを見つけました。どうやらこれが壕のようです。登るところは見つけられなかったのではっきりしませんが、肉眼で目測したところでは深さ2mぐらいはありそうなV字形の壕でした。
 今度はトンネルを通り抜け反対側から近づいてみましたが、こちらからもV字の壕は確認することができました。
 このあと忍路環状列石(ストーンサークル)を見てから、自宅へ帰りました。

天内山チャシ(余市町)

【城 跡 名】天内山チャシ
【訪 城 日】1999年10月24日・2012年7月27日
【所 在 地】北海道余市郡余市町入舟町
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条(北東側では有段構造)
【訪 城 記】
 このチャシはこの年の9月に参加した勝山館発掘20周年記念シンポジウムでの報告でも一部触れられていましたが、昭和45年(1970)に土砂採取工事に伴う事前調査で発掘が行われ、工事後宅地造成され、現在は住宅団地になっているそうです。まあ何も残っていないとは思いましたが、一応探してみました。現在中学校があるあたりの裏山なのかなあと思いのぞいてみましたが、畑になっているようでしたので、あっさりあきらめました。
 明治・大正年間の研究者によってこのチャシの姿はかなり明らかになっていて当時は「余市の砦阯」といわれていたそうです。

 余談ですが、以前北海道開拓の村(道内の古建築を移築して展示してあるところ)に行った時に、昔の病院(旧近藤医院)があってその奥の書庫のような所に入ったところ、何冊かの本がページを開いて展示してあったんですが、その一つがチャシについての記述したページで、「余市の砦阯」と書かれてあったんです。後から調べたらどうやらこの天内山チャシのことを書いたものだったようです。(『日本城郭大系』に載っているのと同じ要図が載っていました) (1999/10/24)


 道の駅めぐりで後志方面に来て、余市の道の駅行ったので、久しぶりに天内山チャシに来てみました。ぐるっと見てみましたが、標柱のようなものもないようなので、一度道の駅方面に戻り、余市橋からチャシのある入舟町方面を撮影してみました。(2012/7/27)

ライクル・ハッタリチャシ(余市町)

【城 跡 名】ライクル・ハッタリチャシ
【訪 城 日】2012年7月27日
【所 在 地】北海道余市郡余市町山田町725・余市郡仁木町国有林
【形  態】
【主な遺構】
【訪 城 記】
 道の駅めぐりで後志方面に来て、余市の道の駅行ったあとさくらんぼ狩りを楽しみました。そのあと、京極町の道の駅に行く前に以前から気になっていたライクル・ハッタリチャシを探してみました。
 場所自体は「北の遺跡案内」で確認していたので、すぐ見つかりました。余市町から南に仁木町方面へ向かい、途中から右折し余市川を鮎見橋で渡り、左折してすぐ右側に見える山がライクル・ハッタリチャシのようです。「北の遺跡案内」に掲載されていたということ以外に情報がないので、チャシの形式も遺構もわからず、取りあえず全景を写真に収めてきましたが、もう少し情報収集する必要がありそうです。

茶津チャシ(余市町)

【城 跡 名】茶津チャシ
【訪 城 日】2012年9月15日
【所 在 地】北海道古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス山ノ上132,字茶津
【形  態】丘先式
【主な遺構】直状壕1条、弧状壕1条
【訪 城 記】
 余市の旧福原漁場ヨイチユワナイ街道余市口に寄ったあと古平町まで北上し、積丹半島を横断して神恵内村へ抜けて道の駅に寄ったあと、泊村にある茶津チャシへ向かいました。
 このチャシは泊原発の敷地内にあり、国道229号線から右折して泊原発の方に進むトンネル上にある舌状台地の先端部にあります。下の写真1の左側に見えるトンネルが泊原発の入口で、右の先端部分に見える穴の上辺りが茶津チャシになります。
 『北海道チャシ学会会報 No.4』に「茶津チャシコッについて」(大場靖友・豊原熙司)という論文が掲載されていますが、それによると幅1m、2mの2条の壕があり、深さは約30cmほどとのことなので、非常に浅いもののようです。この壕の南側に平坦部があり、この部分が人為的なものかどうかは判断しかねるが、このテラス状の地形も含めて当チャシコッをとらえるべきと、当論文では述べています。
 丁度このチャシの付近に着いた時にはひどい土砂降りで、しかも原発の敷地内でもありますので、チャシの全景を写真におさめて、岩内の道の駅へ向かいました。

ナカウタ沢チャシ(寿都町)

【城 跡 名】ナカウタ沢チャシ
【訪 城 日】2000年8月12日・2013年8月14日
【所 在 地】北海道寿都郡寿都町字渡島町
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 ここは現在寿都神社が建てられています。神社前に車を停め、神社の境内をぐるっと回ってみましたが、壕らしきものも何も認められませんでした。寿都神社のすぐ南側は深い沢になっており、そちらに面した側に何かあるかなと思いましたが、草が伸びていてよくわかりませんでした。(2000.8.12)


 この日は後志南部の道の駅巡りに行きました。蘭越の道の駅・シェルプラザ港に寄った後、寿都に向かい、ナカウタ沢チャシのある寿都神社を再訪してみました。今回は神社の境内の北側の沢も見て見ましたが、結局遺構らしきものは見つからず、相変わらず消化不良のまま終わってしまいました…(2013.8.14)

チャランケチャシ(島牧村)

【城 跡 名】チャランケチャシ
【訪 城 日】2000年8月12日・2013年8月14日
【所 在 地】北海道島牧郡島牧村字豊平
【形  態】孤島式
【主な遺構】周壕?1条
【訪 城 記】
 このチャシは島牧村市街地の少し手前、泊川を渡る泊川橋の左岸のたもとにあります。橋の少し手前の道路脇に少し盛り上がった丘のようなものがありますが、これがチャランケチャシです。本来は後背の台地とつながっていたようですが、道路建設により切断され、現在ではその先端部分のみが残っています。
 道路脇に車を停め、この台地に登ってみましたが、道路からの比高は1~2mですが、本来の比高もせいぜい10m程度でしょう。それほど大きなものではありません。チャシ上に文字の消えた標柱が立っていましたが、その近くには隣家の方が植えたらしい植木や墓までが建っています(^^;)
 かつては周壕があったようですが、それも今では全くわからなくなっており、単なる小山という感じになっています。
 そのあと近くにあるという永豊チャシを探しましたが、場所がよくわかりませんでした。(2000.8.12)


 この日は後志南部の道の駅巡りに行きました。蘭越のシェルプラザ港、寿都のみなとま~れ寿都、島牧のよってけ!島牧に寄った後、国道229号線を戻る途中にチャランケチャシがあるので寄ってみました。丁度、雨がかなり降っていましたので車内から写真を撮っただけですが、草がかなり伸びていて以前とは様子が違っているように感じました。(電信柱もなかったように思いますが…)いずれにしても雨がひどかったので、そのまま黒松内方面に移動しました。(2013.8.14)

永豊チャシ(島牧村)

【城 跡 名】永豊チャシ
【訪 城 日】2013年8月14日
【所 在 地】北海道島牧郡島牧村字永豊144,243~246,247-1~24
【形  態】面崖式
【主な遺構】麓から山頂にかけて3つの砦が並ぶという
【訪 城 記】
 この日は後志南部の道の駅巡りに行きました。蘭越のシェルプラザ港、寿都のみなとま~れ寿都に寄った後、島牧に向かい、道の駅までの途中にある永豊チャシを探しました。ちょうど位置的にそれらしき山(台地)を見つけましたが、ちょうどこの頃は雨が降っていて、探索するのは厳しかったので、遠景を撮影するのみで次へ移動しました。