胆振管内(2)
南部藩モロラン陣屋(室蘭市)

【城 跡 名】南部藩モロラン陣屋跡(東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡)
【訪 城 日】1998年4月29日・1999年9月12日・2000年9月3日・2001年11月10日・2001年11月25日
      ・2005年8月15日・2006年8月9日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道室蘭市陣屋町2-5(モロラン陣屋)、崎守町337,338(ポロシレト台場勤番所跡)
【創建年代】安政三年(1856)
【創 建 者】南部(美濃守)
【主な遺構】土塁、堀
【歴史・沿革】
 この陣屋も浜益白老と同じく、幕府に恵山岬から幌別間の沿岸警備を命じられた南部藩が建てたもので、函館に元陣屋が、長万部・砂原、そしてこの室蘭に出張陣屋が置かれました。
 南部藩は表目付上山半右衛門、勘定奉行新渡戸十次郎(稲造の父)を派遣し、持ち場を検分させ、この地に出張陣屋を置くこととしました。
 大砲方・鉄砲武者など約350名が駐屯していましたが、戊辰戦争の報が伝わると、新政府に渡すことを避けて陣屋を焼き払って引き揚げたそうです。
【訪 城 記】
 この陣屋跡は、横長の長方形の形に土塁が巡らされ、正面に正門、右側奥に裏門があります。一応、正門・裏門が新たに作られてはいますが、白老陣屋のものに比べると、柵のような、簀の子のような感じでとってもちゃちでした(^^;)
 広さも東西に120mほど、南北に60~80mほどで白老陣屋に比べるととても小さく感じました。(出張陣屋なので仕方ないのですが) 建物跡は平面復元されて史跡として一応整備されていますが、草が結構伸びていたりして、何だか忘れられた史跡という感じがしました(^^;)
 ちょっと場所がわかりにくくて、車でぐるっと回ってしまいました(^^;) すぐ近くに室蘭市民俗資料館というのがあるので、これを目印にすれば分かりやすいでしょう。この資料館の右側の道を上がり左に行くと陣屋跡のちょうど裏門の所に出ます。正門の前は室蘭本線の線路となっています。ですから、民俗資料館の駐車場に車を置き、あとは歩いていくといいと思います。
 民俗資料館にこの陣屋跡の資料が何か展示してあるのかなあと思いましたが、関係資料が数点展示してあるだけでちょっと拍子抜けでした(^^;) (1998/4/29)


 また先日、1年半ぶりにモロラン陣屋へ訪城しました。前回と同じく民俗資料館の駐車場に車を止め、裏にある陣屋の方へと向かいました。
 行ってみると、前回はあった表門と裏門の門柱等が無くなっていました。まあ門といっても柵のようなものでしたから、古くなって取っ払ったのでしょう。前回は内側から眺めてばかりいましたので、今回は周りの土塁の方に注目してみました。すると内陣(内郭)の裏側の土塁の外側にV字型の空壕がありました。これは前回見落としていました(^^;) 深さ3m、幅は4~5mはあるでしょうか? なかなか立派な壕でした。これが、土塁に沿ってずっと伸びています。裏側の壕は途中で鍵折れ部分があります。(写真7参照)
 表門横の土塁の外側にも壕があり、表門の左側の方の壕には水が溜まっていました。右側の方は草が生えて空堀のようになっていましたが、この表門の左右の壕は本来は水堀だったのかもしれません。表門の左右の土塁も前回は内側から見たせいかそんなに高さを感じなかったのですが、正面からあらためて見てみると高さも2~3mあり、それなりに堅固さを感じさせるものでした。
 それから、先ほどの裏側の土塁・空壕の北側に当たる外陣(外郭)の方にも行ってみましたが、火薬庫跡の石柱がありました。またそのすぐ近くには慶応などといった年号の入った墓が数基ありましたので、この陣屋で亡くなった南部藩士たちのものではないかと思います。
 実は、前回訪れたときにはそんな大した陣屋ではないなと思ってしまいましたが、今回あらためて空堀・土塁の大きさを再認識しました。拾い物をしたような気分でした(^^) (1999/9/12)


 約一年ぶりの訪城です。今回はNifty・FSIROの冷や奴さん、お城巡りMLのまささん・火影さんと一緒です。やはりこのモロラン陣屋の規模には脱帽です。特にやはりあの裏側の空堀が良いです。この日の新発見は、陣屋の東側にたぶん外郭の一部なんでしょうけど空堀と土塁らしきものがあったことです。かなり規模が大きかったことがわかります。(2000/9/3)



 今回はFSIROの山城守(坂田)さんとの訪城です。山城守さんによりますと「南部藩陣屋は規模なら有力鎌倉武士の館程度ですが、土塁と堀の大きさ、裏山の斜面にまでつくられたかまえ堀の保存のよさなど、まさに国指定遺跡の陣屋跡として申し分のない場所でした。」とのことでした。まあ規模的にはそう大きくはないですけど、良いところです(^^) (2001/11/3)



 今回は出張で札幌においでになったFSIROの地黄八幡さんを山城守さんと一緒にご案内しました。地黄八幡さんによりますと、「山側にはかなり鋭角な折りのついた土塁があります。1カ所だけなのが不思議で、興味がありました。ちょっとした広場なので櫓台だったのでしょうか?」とのことでしたけど、確かに角のところがちょっと広くなってました。どうなんでしょうね?(2001/11/25)


 お盆休みの最終日、久しぶりに城巡りに出かけました。城巡りとしては、去年の関西旅行以来1年ぶり、道内の陣屋・チャシ巡りとしては、旭川周辺のチャシ巡り以来3年ぶりとなります(^^;)
 今回の目的は室蘭の崎守町にある南部藩陣屋のポロシレト台場勤番所跡に行くこと、あとは室蘭・登別方面のチャシの位置をもう一度確認することでした。ただし嫁さんと坊主くんも連れて3人でのお出かけとなりましたので、長距離ドライブの間坊主くんがおとなしくしていられるかちょっと心配でしたが、途中お昼寝してましたので問題なしでした(^^;)
 昼過ぎに室蘭に着くと、まず向かったのがポロシレト台場勤番所跡で、ここは現在崎守神社となっています。ナビに従って進むとあっさりと「史跡 モロラン陣屋台場跡番所跡」の碑を発見!嫁さんと坊主くんを車に待たせて、碑の横の入り口から神社の社殿の方に進むと、その横の方に「史跡東蝦夷地南部藩モロラン陣屋跡ポロシレト台場勤番所跡」と書かれた説明板があり、それによるとここは安政3年(1856)にペケレオタ(現陣屋町)のモロラン陣屋とともに築いたもので、ここと対岸の絵鞆岬の台場と陣屋の三方向から砲撃して異国船を打ち払うという布陣だったそうです。この説明板のすぐ上が勤番所跡で、草が伸びていてわかりにくいですが、方形の土塁で周囲を囲んでいます。
 そこから社殿の前にある石段を下ると、途中一段高くなった平場があり、そこに「砲台跡」という看板が立っています。ここも草が伸び放題で地形は良く分かりませんが、確かに砲台を置く台場としては良い位置かもしれません。一瞬草藪に突入しようかなとも思いましたが、この日草藪にはいるつもりはなかったもんで半ズボンでしたので断念しました(^^;) (2005/8/15)


 伊達の大雄寺・館山チャシに行った後、室蘭に向かいちょっと南部藩陣屋に寄りました。去年は崎守町のポロシレト台場勤番所跡だけで南部藩陣屋に行きませんでしたので久しぶりの訪城となりましたが、変わりなくやはり土塁・壕が立派です。今回は以前地黄八幡さんに指摘された裏側の壕の折れの部分の写真を撮ってきました。確かに折れの角の部分の土塁が四角く、他より少し広くなっています。このあとは道の駅で休憩し、エンルムチャシ・エンルムポンチャシの場所の確認に行きました。(2006/8/9)


 この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。この陣屋を訪城するのも数年ぶりですが、相変わらず土塁も壕も立派です。特に裏側の壕がいつも見応えがあります。ただ、裏側の壕に折れがあるのが不思議… 折れの部分に四角い土台があるのが何なのか未だにわかりません。
 このあと、道の駅「みたら室蘭」に寄ったあと、崎守町のポロシレト台場勤番所跡に行きました。数年前の夏に来た時には草が伸びていてよくわからなかった土塁の形なども、この日は草も枯れていて、だいぶわかりやすかったです。勤番所跡と砲台跡の土塁が残ってますが、砲台跡の土塁の方がわかりやすいかもしれません。(2012/04/29)

仙台藩シラオイ陣屋(白老町)

【城 跡 名】仙台藩シラオイ元陣屋跡
【訪 城 日】1998年4月29日・1999年11月21日・2000年9月3日・2000年10月14日・2001年11月25日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道白老郡白老町陣屋町
【創建年代】安政三年(1856)
【創 建 者】伊達慶邦
【主な遺構】土塁、堀
【歴史・沿革】
 荘内藩ハママシケ陣屋跡・南部藩モロラン陣屋跡・ヲシャマンベ陣屋跡などと同じく、この陣屋跡も幕末に建てられたものです。安政二年(1855)、仙台藩は幕府に白老から知床岬までと国後・択捉両島を持ち場に警備を命じられ、白老に元陣屋を、広尾・厚岸・根室・国後の泊・択捉の振別に出張(でばり)陣屋を置きました。(白老陣屋は翌1856年に構築)
 この陣屋跡は内郭と外郭があり、まず丸い土塁と堀に囲まれた正面の大手門を入ると稽古場・長屋跡などがある外郭があります。そしてまた堀を渡り門を通ると丸い土塁で囲まれた内郭があり、ここには本陣・兵器庫・米蔵等が並んでいたそうです。また内郭の北の丘陵上には本藩から勧請された塩竈神社がありました。
 内郭の東側には仙台藩白老元陣屋資料館があり、この陣屋の2代目御備頭となった三好監物(帰藩後、佐幕派との抗争に敗れ自決)の資料などが展示されていて、この陣屋や白老の歴史に関するビデオが見れるようになっています。
 結局この陣屋は、戊辰戦争で仙台藩が奥羽越列藩同盟の盟主となったため、追討軍が進発して来るというので、急いで陣屋を撤収することになり、仙台藩兵は小樽から船で帰国し陣屋は放棄されました。
【訪 城 記】
 白老(しらおい)町は苫小牧と室蘭のちょうど中間地点にあり、大昭和製紙北海道の工場があることでも知られています。(昔はここの野球チームが社会人野球で強かった...)
 自宅を10時ちょっと前に出まして、その後道央高速道路を使ったら1時間ほどで着いてしまいました(^^;) 場所的には大きな道路に面しているので、そう迷うことはないと思います。
 この陣屋跡に行くまではそんな大したものではないだろうなんて思っていましたが、行ってみてビックリしました。りっぱな土塁や堀もしっかり残っていますし、家屋跡は平面上に復元されています。とにかく、かなり広いのには驚きました。
 陣屋跡の北西の方に藩士墓地があったのでこれも見てきましたが、6基ほどの墓が残っていました。仙台から北の地に渡り寒さや病気などで命を落とした彼らのことを思うと感慨深いものがありました。
 何だかあちこち見たり資料館をのぞいたりして、結局3時間ぐらいここで過ごしてしまいました(^^;) ここはなかなかおすすめです。その後も2・3度行ってますがとてもいい雰囲気です。(1998/4/29)


 また先日三度目の訪城をしましたが、いつもとは違い、今回は奥にある元陣屋資料館の駐車場に車を止めましたが、そのすぐ横に今まで見落としていた土塁を発見しました。この土塁は内郭や外郭の土塁のようにきれいになっておらず、所々削られたり切れていたりしているので、整備されず元のまま放置されているのかもしれません。ウトカンベツ川沿いに伸び、内郭の土塁につながっていました。 (1999/11/21)


 この日はNifty・FSIROの冷や奴さん、お城巡りMLのまささん・火影さんと胆振方面の城巡りに行きました。久しぶりのシラオイ陣屋ですが、何度訪れても良いものです。やはり土塁の上に載ってしまいました(^^;) (2000/9/3)


 今回はFSIROの山城守(坂田)さんと訪城です。つい一月前に冷や奴さんたちと来たばかりですが、この日は陣屋資料館にも行きました。私は2回目でしたが、展示はなかなか良いものでした。この日の収穫は大手の蔀土塁の外側の堀です。実は今まで気がついていませんでした(をい(^^;)) (2000/10/14)


 今回はFSIROの地黄八幡(須藤)さん・山城守(坂田)さんとの訪城です。冷や奴さんをご案内して以来、FSIROの方々をご案内するのは三回目ですのでもうなれたものです(^^;) 城巡り自体よりも地黄八幡さんと山城守さんの掛け合いの方がおもしろかったりして(をい(^^;)) でも博物館の中で模擬刀を使って立ち会いのまねごとをするのはやめてほしい...(^^;) (2001/11/25)


 この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。(とはいえ道の駅の方はほとんど付け足しのようでしたけど(^^;))
 まずは江別西ICで高速に乗り、南下。樽前SAで休憩したあと、白老ICで高速を降り、一城めの白老仙台藩元陣屋へ。ここに行くのは本当に久しぶりでしたが、やっぱり土塁は立派です。白老チャシを横目で見ながら、奥にある火薬庫跡の土塁も見てきましたが、以前いたうるさい犬がいませんでした(^^;) GWだっていうのに人っ子一人いませんでした(^^;) しかも前日は晴れてとても暖かかったのに、この日は曇っていてでも寒かった… (2012/04/29)

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