モンゴル帝国・元朝

イル・ハン

北元(タタール部)

チャハル部

 チャハル部は、16世紀初頭にモンゴルを再統一したダヤン・ハーン(1487-1524)の直系の子孫で、ダヤン・ハーンが復興した元朝の帝位を代々受け継ぎました。そして、リンダン・ハーンの時に一時内外モンゴルをことごとく勢力下に入れましたが、彼の病死により満洲の後金軍が勢力を伸ばし、1635年、リンダン・ハーンの遺児エジェイは後金に降り、元の皇帝の玉璽をホンタイジに献上し、ホンタイジは大清国皇帝(太宗)として即位しました。
 エジェイは太宗の皇女と結婚し、爵位を与えられましたが、エジェイの死後爵位を継いだ弟のアブナイは清の康煕帝との関係が冷却化、爵位を剥奪され瀋陽に監禁され、爵位は息子のブルニが継ぎました。ブルニは三藩の乱が起こると、1675年清朝に対し叛乱を起こしましたが、ほとんどのモンゴル人は呼びかけに応ぜず、ブルニは殺されチャハル部族も解体され、北元皇帝の家系は断絶しました。

ホーチト部

 ホーチト部はチャハル部の分流で、チャハル部第3代のダライスン・ゴデン・ハーンの子ジョンクトゥ・ドゥラハル・ノヤンの子孫になります。
 前回の「チャハル部」の系図では、最初「ハグチト」と書きましたが、モンゴル系図のホームページを開いていらっしゃる梅山さんにお聞きしたところ「ホーチト」と表記するのが妥当だろうということになり、変更しました。この系図は梅山さんのホームページに載っていた「蒙古世系」の系図をもとにしたものなんですが、もとの系図が漢字なので、カナであらわした部分の表記はほとんど梅山さんに助けていただきました。
※残念ながら、現在梅山さんのホームページは存在しません。

スニト部

 スニト部もチャハル部の分流で、チャハル部第2代のボディ・アラク・ハーンの子コケチュテイ・メルゲン・ノヤンの子孫になります。

ウジュムチン部

 ウジュムチン部もチャハル部の分流で、チャハル部第2代のボディ・アラク・ハーンの子オンゴン・ドゥラル・ノヤンの子孫になります。

アオハン部

 アオハン部もチャハル部の分流で、「ダヤン・ハーン」バトゥ・モンケの子トロボラトの子ネメク・ノヤンの子孫、ダイチン・ドゥレンを祖とします。

ナイマン部

 ナイマン部もチャハル部の分流で、「ダヤン・ハーン」バトゥ・モンケの子トロボラトの子ネメク・ノヤンの子孫、エセン・ウイジェン・ノヤンを祖とします。

 ナイマン部もチャハル部の分流で、「ダヤン・ハーン」バトゥ・モンケの子トロボラト
の子ネメク・ノヤンの子孫、エセン・ウイジェン・ノヤンを祖とします。

ケシクテン部

 ケシクテン部もチャハル部の分流で、「ダヤン・ハーン」バトゥ・モンケの子ワチルボラトの曾孫、シャラルダを祖とします。

ハルハ部
オルドス部
オルドス部