私がチャシに興味を持ったのはNiftyのFSIRO(城郭フォーラム)で「北海道には城が少なくて...」と言ったら、「北海道にはチャシがあるじゃない。」と言われたのがきっかけでした。その時は、そういえばそんなものがあったっけなあという程度でしたが、札幌の古本屋で『日本城郭大系1』を手に入れ見てみると、全道中にチャシがあるということを知りました。それじゃあちょっとチャシ巡りでもしてみようかと思ったのがはじまりで、最近はすっかりチャシ巡りにはまってしまうところまでいってしまいました(^^;) 1999年の夏は道東まで国の史跡に指定されているチャシを見るために出かけました。
 今まで行ったチャシの中では陸別のユクエピラチャシが壕も深く、規模も大きくてなかなかのものでした。あとは浦幌のオタフンベチャシ、釧路のモシリヤチャシも規模が大きいチャシです。根室半島チャシ跡群には複雑に壕がはりめぐらされたチャシもあります。
 あと伊達の館山チャシの二重の壕、厚真の桜丘チャシの壕がチャシの壕としては豪快です。他、浦臼の鶴沼・晩生内1号・晩生内2号チャシ、静内のメナチャシ、豊浦のカムイチャシなどもきちんと壕が確認できます。
 遺構といってもせいぜい壕が1~2本ぐらいというものが多いですし、なかなか保存状態の良いチャシには巡り会えませんが、北海道に残るアイヌに関する史跡としては重要なものであると思います。これから少しでもその重要性が認知されていけばいいなと思っています。

 では、チャシって何?という方が多いと思いますので、以下チャシについて若干お話ししてみたいと思います。(などとえらそうに書いておりますが、私自身数年前まではチャシについてほとんど知りませんでした(^^;) たぶん、北海道出身でもチャシって言葉自体知らない人が多いと思ふ...)

(1)チャシという言葉

 チャシとは一般的には「砦」とか「城」と言われていますが、もともとはアイヌ語で「柵」とか「柵囲い」を意味する言葉で、チャシコツとは砦址を表します。このチャシ・チャシコツを漢字に当てた「茶志」「茶志骨」という地名は北海道のあちこちで見かけます。チャシの語源については金田一京助氏のアイヌ語源流説と知里真志保氏の古朝鮮語のサシ、チャシなどと関係が考えられるという説があります。

(2)チャシの分類

 北海道のチャシコツは自然の地形を利用したものが多いので、地形をもとにした次の5分類がよく使われます。(はじめの4分類は河野広道氏が提唱したもので、最後の平地式は宇田川洋氏がそれに加えて提唱したもの)また、この分類の内いくつかを組み合わせた複合式と呼ばれるものも存在します。

 A 丘先式…岬や丘陵の先端を弧状の壕で区切ったチャシコツで最も一般的なもの。
 B 面崖式…崖に面する台地上に半円形または四角形の壕をめぐらしたもので、ピラチャシ(崖チャシ)とアイヌ語では言う。
 C 丘頂式…丘陵の頂上部に周壕をめぐらしたお供餅型のもの。
 D 孤島式…湖中や湿地中に孤立している丘や島をそのまま利用したもの。
 E 平地式…比高2m以下の低い立地のもの。

 また、チャシの壕は直状、弧状、方形、半円状、円状、馬蹄状などがあり、その数は1~3条掘り込まれているものが多いです。

(3)チャシ研究小史

 明治以前に書かれた古文書にチャシの記載のあるものは多くは紀行・日誌類ですが、最も古いものは17世紀のシャクシャインの蜂起(寛文9年・1669年)に関係するもので、シャクシャインがチャシに立て籠もっていたことを示す記載があります。また、寛永20年(1643)、北海道東海岸に来航したオランダ船カストリクム号の乗組員の航海日誌には、住居・柵・高い足場などの構築物があったことを伝えています。
 明治以降、初めてチャシについて研究したのは河野常吉氏で明治39年(1906)に発表された「チャシ即ち蝦夷の砦」にチャシ研究は始まると言えます。そして、昭和33年(1958)『網走市史』所収の「先史時代編」の中で河野広道氏(常吉氏の息子)がチャシの分類を試み、上記の4つに大別しています。
 昭和48年、北海道教育委員会は初めて全道規模のチャシ分布調査を実施し、341基のチャシを確認しました。(現在では545基のチャシが確認されているそうです。)また釧路市桂恋フシココタンチャシ・釧路町遠矢第2チャシ・弟子屈町サンペコタンチャシでは全面発掘が行われ、堀に沿って柵列が確認されたり、築造年代も判明しました。しかし、こうした例は少なく、いまだに基本的なデータの集積に止まっているといえるでしょう。

(4)チャシの機能

 チャシの機能としては戦争の場(砦)、祭式を行う場、チャランケ(談判)の場、鮭漁などに関係した見張りの場などが考えられています。各チャシに残る伝承も大きく分けて六つに分類され、第一に闘争伝承、第二に見張り伝承、第三に聖地伝承、第四に談判伝承、第五に人文神等の伝承、第六にこれら以外の伝承ということからもチャシの機能が上記のようなものであったことがうかがえます。また、そうした伝承のうち約半数が闘争伝承であることからチャシが一般的にアイヌの砦であるといわれるのもうなずけます。

(5)チャシの年代

 チャシの年代は発掘調査の際に検出される火山灰の降灰年代をもとに推定されていますが、およそ16世紀から18世紀に位置づけられます。文献史料からも17世紀末中頃から18世紀末まで実際にチャシが機能していたことがうかがえます。チャシが砦として機能した最後は、寛政元年(1789)のクナシリ・メナシの戦いであり、クナシリ・メナシ地方のアイヌたちはチャシを築いて松前藩の戦いに備えています。

(6)チャシの分布

 (3)にも書きましたが、現在、500基以上のチャシが確認されています。それらは概ね全道的な広がりを見せていますが、釧路・十勝・根室・日高支庁に特に集まっており、この4支庁で全道の約3分の2を占めています。さらに詳しく見てみると、釧路川・十勝川・利別川・静内川・沙流川・鵡川・石狩川などの流域、厚岸~浜中付近、根室半島部に集中しています。つまり太平洋側のいわゆる東蝦夷地に多いということは寛文年間のシャクシャインを惣大将とするメナシクルの勢力範囲と重なります。つまり、それ以前は祭場など神聖な地と機能していたチャシが、この時期を経て砦としての機能を強化していったとも言えそうです。

(7)その他

 チャシ研究については1979年に北海道チャシ学会が発足し、会報・研究報告等が出されていました。1994年には同学会が編集した『アイヌのチャシとその世界』(北海道出版企画センター)という本が出版されていますが、現在の所チャシについての唯一の専門書といえるでしょう。興味のある方はどうぞご覧になってみて下さい。その他チャシに関する本については以下をご参照下さい。
 またチャシの一覧表については、『北海道のチャシ』(1980年発行)の「北海道内チャシ跡一覧表」、『北海道チャシ学会研究報告5』(1990年発行)の「北海道におけるチャシ跡遺跡一覧表」を、またチャシの位置については「全国遺跡地図 北海道I~III」(1978~79年発行)や北の遺跡案内をご参照下さい。

 【参考文献】
  『アイヌのチャシとその世界』 北海道チャシ学会/編 北海道出版企画センター
  『北海道のチャシ集成図 I 道東北篇』 北海道チャシ学会 北海道出版企画センター
  『日本城郭大系1 北海道・沖縄』 新人物往来社
  『アイヌ伝承と砦(チャシ)』 宇田川洋/編 北海道出版企画センター
  『アイヌ考古学』 宇田川洋 教育社(今年、北海道出版企画センターから増補版が出ました。)
  『北海道のチャシ』 北海道教育庁社会教育部文化課/編
  『アイヌ文化成立史』 宇田川洋 北海道出版企画センター
  『全国遺跡地図 北海道I~III』 文化庁
  『アイヌ考古学研究・序論』 宇田川洋 北海道出版企画センター