【城 跡 名】サシウシチャシ
【訪 城 日】1999年7月28日・2002年5月3日
【所 在 地】北海道白糠郡白糠町字刺牛
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:くの字状1条、直状2条
【訪 城 記】
このチャシは白糠町の市街地から東に3kmほど寄った刺牛地区にあります。
どのあたりかなと車で走りながら探していたら、途中で左側の崖の途中に何か記念碑のようなものを発見しました。ちょっと変わった形をした記念碑なので、すぐ目に付くと思います。「刺牛の砦址」と書いてありましたので、ここがサシウシチャシの場所だとわかりましたが、急な崖の途中にあり、登るどころか下から眺めることしかできませんでした。
『日本城郭大系』『北海道のチャシ集成図I』によると、このチャシは3つの郭から成り、中央部の郭に北側と西側の郭が隣接する形になっており、丁度L字の反対向きの形をしています。また南側は崖、東側と北西側は急斜面となっていますので、中央部に達するためには北側、あるいは西側の郭の下の壕、そして中央部へ渡る壕と二本渡らなければなりません。こういう形態のチャシは釧路管内ではとても珍しいものだそうです。
ちなみに、昭和41年に当チャシの調査が行われ、鉈・刀・舟釘・鉄鍋等の金属器や多量の鹿骨が出土しているそうですが、この調査を行った富水慶一氏というのは私の高校時代の政治経済の先生で、他にもいろいろとチャシの調査をしたりしているようです。奇遇というか何というか...(^^;) (1999/7/28)


道東チャシ巡りの旅第二弾初日最後は、サシウシチャシです。ここは前回も登れず「刺牛の砦址」というモニュメント(碑?)の写真を撮ってきただけでしたが、今回も初めから登るつもりはなく全景とモニュメントのアップを撮ってきました。前回は夏だったので草で埋もれていてよくわかりませんでしたが、今回は頂上の両端の方に壕跡のようなものを見つけることができました。(2002/5/3)

(左端の方に右の碑があります)

(サシウシチャシ中腹の左の方にあります。)

(頂上の真ん中付近と右端の方に壕跡らしきものが見えます。)

(頂上の真ん中付近にあります。)

(頂上の右端の方にあります。)
【城 跡 名】乳呑(チノミ)チャシ
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道白糠郡白糠町庶路東1線18-4・5
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目、オンネピラチャシの次は、道の駅白糠恋問に寄って昼食を食べた後は乳呑チャシです。国道38号線を庶路川の手前で右折し、根室本線の線路を渡りしばらく進むと、右側に台地が見えます。この辺りが乳呑チャシですが、右折した奥にある民家の裏側のようで、時間もないので結局突入せず、写真におさめて次へと進みました。

【城 跡 名】石炭岬(白糠)チャシ
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道白糠郡白糠町石炭崎17
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:L字状?1条
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目、乳呑チャシの次は、石炭岬チャシです。国道38号線をさらに東に進み、サシウシチャシを通り過ぎてしばらくすると、右側から道路に向かって伸びる台地があります。この台地が石炭岬チャシです。「北海道のチャシ」には、、「自然崩壊が著しく、壕の現存部分は約半分」との記述があります。結局、時間もないので、遠景を写真におさめて次へと進みました。


【城 跡 名】シリエトチャシ
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道白糠郡白糠町石炭崎17
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:?
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目、石炭岬チャシの次は、シリエトチャシです。シリエトチャシは石炭岬チャシの500mほど西方に位置し、岬の森東山公園の西端に位置するようです。現地に行ってみると何やら建物があってその裏側辺りなのかなあと思いましたが、「北海道のチャシ」で「国鉄の線路敷設工事で破壊」との記述がありましたので、遠景を写真におさめて次へと進みました。

【城 跡 名】坂の丘チャシ(坂の上チャシ)
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道白糠郡白糠町和天別1795-3,1801
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目、シリエトチャシの次は、坂の丘チャシです。坂の丘チャシはシリエトチャシの1kmほど西方に位置し、坂の丘公園墓地の南側に位置するようでしたので、まずは茶路川をはさんで対岸の方から遠景写真を撮ってみました。それから現地に行ってみようとしましたが、公園墓地の横の道を進むのがちょっと厳しそうでしたし、予定より時間が押していましたので、先ほどの遠景写真のみで次の予定地・道の駅うらほろへと向かいました。
その途中にも音別のチノミチャシ・ポンピラチャシ、浦幌のアツナイチャシ・帯富チャシ等などチャシはいっぱいあるのですが、時間の関係で全てパスしました。

【城 跡 名】鹿落としのチャシコツ
【訪 城 日】1999年7月29日・2002年5月4日
【所 在 地】北海道厚岸郡厚岸町御供町51
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:コの字状1条
【訪 城 記】
厚岸町では、まず最初に湾月町にある蝦夷三官時の一つ国泰寺へと向かいました。ここは文化二年(1805)に江戸幕府によって創設された寺で、歴代住職は鎌倉五山から派遣されていたそうです。現在の堂宇は新しいものですが、山門やその奥にある庭はさすがに歴史を感じされる佇まいでした。
次にいよいよ主目的の御供山チャシ群へと向かいました。国道44号線から厚岸大橋を渡ると、左側前方に壁のような岩山がそびえ立ちます。これが御供山です。そこから国泰寺方面へと向かう途中で「御供山展望台」という看板が見えますので、左に曲がると御供山の頂上へと上る階段があります。これはなかなかきつい登りですが、しばらく進むと鹿落としのチャシがあります。このチャシは厚岸湖に面しコの字状の壕が作られています。広さ的にはそんなに大きくないですが、いわゆる面崖式のチャシといえます。
このチャシを含めた御供山チャシ群は、比較的よく整備されていると思います。途中にあったパークゴルフ場は草が伸び放題になっていましたが、3つのチャシへと続く遊歩道は草が刈ってありましたし、きちんと説明版もありますので見つけやすいです。チャシの主体部や壕の草も刈ってくれると、チャシの形がよくわかるのですが、それをいうのはぜいたくというものでしょうね。いままで行ったチャシの中でそんな風にきちんと整備されていた所ってホント少ないですから、まだこれらのチャシは大事にされているなあと思いました。(1999/7/29)



(草が伸びていてわかりにくいですね)

(草が伸びていてわかりにくいですね)

前回の時は途中から雨が降り、靴の中まで濡れてしまいましたし、松葉町裏山チャシらしきところの写真を撮り忘れたので、そのリベンジとして、御供山にもう一度登り4つのチャシをぐるっと見てこようと思っていたんですが、正行寺に行った後に雨が降り出してきたため、残念ですが厚岸湖の対岸にあるB&G海洋センターの横から御供山の遠景を写真に収めるだけにしました。それから厚岸湖北岸にあるという神岩チャシもそこまで行く交通手段がないとのことなので、遠景を眺めるだけにして根室に向かいました。(2002/5/4)

【城 跡 名】奔渡(ぽんと)裏山チャシコツ
【訪 城 日】1999年7月29日
【所 在 地】北海道厚岸郡厚岸町御供町51
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
鹿落としのチャシから右の方へと遊歩道を進むと展望台がありますが、ここはカラスの縄張りになっていました(^^;)
そこからさらに数百m進むと左側に奔渡裏山チャシが見えてきます。このチャシは厚岸湖に面していますが、湖はよく見えません。丸く壕が掘られていますが、草で深さはよくわかりませんでした。ですが、チャシまでの道はきちんと草刈がされていましたし、説明板も整備されていて良心的だなと思いました。


(草でようわからん...)

(草でようわからん...)
【城 跡 名】逆水松(さかさおんこ)チャシコツ
【訪 城 日】1999年7月29日
【所 在 地】北海道厚岸郡厚岸町御供町51
【形 態】面崖(丘先)式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
奔渡裏山チャシからさらに数百m進むと左側に逆水松チャシがあります。このチャシも厚岸湖に面していますが、チャシ主体部は草で埋まっていて湖は見ることができませんでした。チャシの南側に逆水松の木があり、その周囲だけは草が刈ってありました。この逆水松(さかさおんこ)の木は町指定天然記念物に指定されているそうです。
北西と南東に二重の壕があるということですが、南西の壕一本しか確認できませんでした。



【城 跡 名】松葉町裏山チャシ
【訪 城 日】1999年7月29日
【所 在 地】北海道厚岸郡厚岸町御供町5ほか
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条、他の三方向に段を設ける
【訪 城 記】
さて松葉町裏山チャシですが、展望台の所の看板に「松葉町裏山チャシは危険なので入らないで下さい」と書いてあり、このチャシだけは発見できませんでした。他の3ヶ所はきちんと目印となる標柱と説明版がありましたが、松葉町裏山チャシはまだ設置されていないのかもしれません。
ただ途中でちょっと迷って南の方に下って行った所がちょうど前方に台地が付きだしていて、その根本の方が壕のようにくびれており、チャシっぽかったので、あれが松葉町裏山チャシだったのかもしれません。

【城 跡 名】筑紫恋第一チャシ
【訪 城 日】2002年5月4日
【所 在 地】北海道厚岸郡厚岸町筑紫恋
【形 態】丘頂式
【主な遺構】空壕:周壕1条
【訪 城 記】
ここははじめ行く予定ではなかったのですが、国泰寺前の厚岸郷土館に厚岸の地形模型があり、そこにこの筑紫恋第一チャシが表示されていたので、行ってみることにしました。
特に説明板はありませんでしたが、漁港近くの山のてっぺんが御供山型をしていましたので、たぶんあれがそうでしょう。麓の方に「アイヌ一族之供養塔」もありました。


(御供山型になっているのがわかります。)


(写真中央部に見える墓石のようなものが「アイヌ一族之供養塔」)
