釧路管内(22)
モシリヤチャシ(釧路市)

【城 跡 名】モシリヤチャシコツ(サルシナイチャシ、ポロチャシ)
【訪 城 日】1999年7月29日・2002年5月4日
【所 在 地】北海道釧路市城山町
【創建年代】18世紀
【創 建 者】トミカラアイノ
【形  態】丘頂式
【主な遺構】空壕・竪穴・貝塚、本砦と副砦があり本砦はお供え型の有段構造
【訪 城 記】
 この日は、まずは釧路市内鳥取大通にある鳥取百年記念館へと行きました。前日にホテルに入る前にちょっと寄って写真だけは撮ってきたんですが、外観は鳥取城を模したというだけあって天守閣の形をしています。この地区は鳥取藩士が入植して開拓したということなので、中には鳥取藩関係の資料もいろいろと展示してありました。
 そしていよいよモシリヤチャシへと向かいました。実はこれまた前日、晩飯を食べようとホテルから歩いて旧釧路川の方に向かったんですが、ふと気がつくと久寿里橋を渡りモシリヤチャシの前までいってしまっていたもんで...(^^;)
 まあ、そんなことで結局2回目の訪城だったんですが、やはりこのチャシはとてもきれいでした。それになかなか規模が大きいです。本州の山城とまでは行きませんが、これほど広いチャシはなかなかないでしょう。高さでいえば、静内のシベチャリのチャシの方が高いですが、モシリヤチャシの方が壕跡がめぐり、変化に富んだ形をしています。
 このチャシは旧釧路川に近い丘陵を空堀で仕切った御供山型のチャシですが、南の本砦と北の副砦といわれる部分の二つからなり、丁度前方後円墳などの古墳のように二つの小山が連なっています。本砦の方がやや高くなっていますが、副砦の方が壕が複雑に周囲を取り囲んでいます。とにかく壕らしきものがたくさんあり、このチャシの形を複雑にしています。
 このチャシは「サルシナイチャシコツ」(芦の生えている沢にあるチャシコツ)、「ポロチャシコツ」(春採湖畔のウライケチャシコツに比べて大きいチャシコツ)等と呼ばれていましたが、この一帯が別にモシリヤ(川中の島の対岸の丘の意)と呼ばれていたため、国史跡に指定された段階でモシリヤチャシコツとされました。
 築造者は宝暦年間(1751-64)に実在の人物トミカラアイノです。トミカラアイノの一族はしばらくこの地域で勢力を持っていたらしく、釧路市立博物館にはこのトミカラアイノ一族の系図も表示されてありました。
 ここは是非訪城されることをおすすめいたします(^^) (1999/7/29)

※ 訪城される際は市教育委員会生涯学習課、あるいは市埋蔵文化財調査センターへお問い合わせ下さい。


 道東チャシ巡り第二弾の二日目です。こちらも前日のオタフンベチャシと同じく国指定史跡です。ここは2回目ですが、やっぱり好きです(^^) 町のど真ん中にどんと小山が残っているのですが、壕とも土塁とも付かない起伏が縦横に走り、なかなか味のある形状をしております。副砦と主砦があり、ひょうたん型をしていますが、主砦の方は御供山型をしていて、副砦から眺めるととても形が良いです。今回も満足(^^) (ただの小山じゃないかと言われそうですが(^^;)) (2002/5/4)

鶴ヶ岱チャランケチャシ(釧路市)

【城 跡 名】鶴ヶ岱(つるがだい)チャランケチャシコツ
【訪 城 日】1999年7月29日・2002年5月4日
【所 在 地】北海道釧路市春湖台
【形  態】孤島式
【主な遺構】空壕:矩形の周壕と外側の弧状(ジグザグ)壕
【訪 城 記】
 モシリヤチャシの次は同じく釧路市内にある国指定史跡鶴ヶ岱チャランケチャシへと向かいました。チャランケチャシは釧路市南東部にある春採湖の北岸に位置し、湖に向かって半島状に突き出た台地上にあります。車の場合はこのチャシのすぐ横にボート乗り場がありそこに駐車場があるので、ここにとめると良いでしょう。
 遺構は東西に伸びる二条の空壕がありますが、草でやや見にくくなっています。『日本城郭体系』では湖に面する南側の壕は埋没しているということですので、本来は二本の円形の壕がこの台地頂部を囲む丘頂式のチャシだったのかもしれません。チャシ全体を見渡すのでしたら、チャシの東側にある春採アイスアリーナの方から眺めるか、春採公園の青少年科学館裏の岬から眺めると良いでしょう。
 アイヌの古老の話では、ここはトーモシリ(湖の中島)と呼ばれ、トーコロカムイ(湖の神様)の遊び場と伝えられ、神聖な場所とされていましたが、大正5年にこのチャシが発見されるまでは釧路アイヌの中にここがチャシコツであることを知る者はいなかったそうです。ですからチャランケ(談合、談判)の名称は後に和人がつけたものだそうです。
 このチャシは砦というより、祭場としての役割を持っていたのかもしれませんね。(1999/7/29)


 モシリヤチャシの次は、前回と同じく鶴ヶ岱チャランケチャシです。前回は夏の最中で草が生い茂り、壕の形状をほとんど確認できませんでしたが、今回はバッチリ! 丸く囲むような周壕が2本はっきりと確認できました。とはいうものの、写真にするとちょっとわかりにくいですけどね(^^;) (2002/5/4)

桂恋チャシ(釧路市)

【城 跡 名】桂恋チャシ
【訪 城 日】1999年7月29日・2002年5月4日
【所 在 地】北海道釧路市桂恋129-1ほか
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 チャランケチャシの次は同市内桂恋地区に向かいました。この地区には桂恋チャシ、桂恋方形チャシ、桂恋フシココタンチャシの三つのチャシがあります。
 桂恋チャシはサンケオマナイ川の河口へ向けて南東方向へ舌状に張り出した台地の北西部を一条の壕で断ち切って構築されていました。ですが、そのの主体部は古くから観音堂が建てられ、現在は桂恋神社となり、一条あった堀もなくなりチャシとしての面影はありません。壕が位置した北西側台地も昭和43年昆布干場として造成され原形を失っています。(1999/7/29)


 前回と同じく桂恋神社の辺りを見て回りましたが、チャシらしい立地だけしか確認できませんでした。神社の横には寺子屋があったという看板がありました。(2002/5/4)

桂恋方形チャシ(釧路市)

【城 跡 名】桂恋方形チャシ
【訪 城 日】1999年7月29日・2002年5月4日
【所 在 地】北海道釧路市桂恋100
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:方形1条
【訪 城 記】
 釧路市内桂恋地区には桂恋チャシ、桂恋方形チャシ、桂恋フシココタンチャシの三つのチャシがあります。
 桂恋方形チャシは海に突き出た台地上に幅4m、深さ1.5mのコの字状の壕をめぐらしたのが特色とされていますが、それらしいところを見つけたものの、壕は確認できませんでした。(1999/7/29)


 ここは今回もよくわかりませんでした。前回見当を付けたところをもう一度見てみましたが、土塁かなあと思われるものもあったものの、壕は確認できず、結局???で終わってしまいました(T_T) (2002.5.4)

桂恋フシコタンチャシ(釧路市)

【城 跡 名】桂恋フシココタンチャシ
【訪 城 日】1999年7月29日・2002年5月4日
【所 在 地】北海道釧路市桂恋49-3
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 釧路市内桂恋地区には桂恋チャシ、桂恋方形チャシ、桂恋フシココタンチャシの三つのチャシがあります。
 桂恋フシココタンチャシは、海に向かって突き出た舌状台地の付け根に弧状の空壕をめぐらしたもので、三方が急崖で直接海に面する要害の地に作られています。昭和49年には釧路市立郷土博物館によって全面発掘が行われています。
 ここの、いろいろと探しましたが、それらしいところはありましたが、壕を確認することはできませんでした。(1999/7/29)


 今回も周囲をぐるっと回りましたが、ここかなあというところはいくつかあったもののはっきりと特定できませんでした。フシココタンチャシは発掘もされているはずなのに、なんの痕跡もないとは...(T_T) (2002/5/4)

ウライケチャシ(釧路市)

【城 跡 名】ウライケチャシ(春採チャシ、ポンチャシ)
【訪 城 日】2002年5月4日
【所 在 地】北海道釧路市柏木町
【形  態】丘先式
【主な遺構】(空壕:弧状1条、主体部を御供山型に作出)
【訪 城 記】
 このウライケチャシは前回も場所の確認をしましたが、柏木小学校の裏にあります。現在はすっかり住宅地と化しており、遺構は小学校建設の際に破壊されたとのことです。とりあえず立地の確認だけしてきました。鶴ヶ岱チャランケチャシと同じく春採湖に面した台地上にあったようです。

下徹別チャシ(釧路市)

【城 跡 名】下徹別(しもてしべつ)チャシ
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道釧路市阿寒町東栄3-10
【形  態】丘先・面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目は、阿寒湖温泉のホテルを出発し、国道240号線を南下、釧路市中心部へと向かいました。途中、阿寒川を渡る橋のたもとで止まりましたが、そこから左前方に見えるのが下徹別チャシです。治水工事で半壊しているそうですが、ちょっと近づけそうにもありませんでしたので、遠景を写真におさめて次へと進みました。

上舌辛チャシ(釧路市)

【城 跡 名】上舌辛(かみしたから)チャシ
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道釧路市阿寒町西阿寒20線23-1・3
【形  態】丘先・面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目、下徹別チャシの次は上舌辛チャシです。道の駅・阿寒丹頂の里に寄ったあと、阿寒町中心部で右折し、舌辛川東側の道を北上した右手に見えるのが上舌辛チャシです。ここもちょっと近づけそうにもありませんでしたので、遠景を写真におさめて次へと進みました。

オンネピラチャシ(釧路市)

【城 跡 名】オンネピラチャシ
【訪 城 日】2013年8月3日
【所 在 地】北海道釧路市阿寒町仁々志別11-74
【形  態】丘頂式
【主な遺構】空壕:方形1条
【訪 城 記】
 8月に道の駅&チャシ巡りをかねて、十勝・釧路方面へ旅行に行きました。二日目、上舌辛チャシの次はオンネピラチャシです。うちの奥さんの希望で釧路市動物園に寄って、アムールトラのココアやいろいろ動物を見たあとチャシ巡りです(^^;) 動物園近くの山花公園オートキャンプ場に行く途中にチャシがあるようなので、地図で見当をつけながら進みました。駐車場から山花温泉リフレの前を通って、西に進むと、突き当たりで道が左右に分かれます。どちらに行ってもオートキャンプ場には行けるようですが、この交差点を左折した辺りにチャシがあるようです。交差点を曲がってすぐの辺りと、もう数百m進んだ辺りにそれらしい雰囲気の場所がありましたが、草が茂っていてよくわかりません。結局突入せず、写真におさめて次へと進みました。

遠矢第1チャシ(釧路町)

【城 跡 名】遠矢第1チャシ
【訪 城 日】1999年7月29日
【所 在 地】北海道釧路郡釧路町字遠矢
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:C字状1条(本来は3の字状の壕)

 釧路市桂恋をあとにして、隣町の釧路町(紛らわしいですが、別の町です)に向かい、遠矢地区で遠矢第1・第2・第3チャシを探しました。
 この3つのチャシはともに丘陵上に西崖面に開口するC字状の壕を配したチャシで、第2チャシは昭和50年に北海道教育委員会によって全面発掘が行われています。
 近くをウロウロと探してみましたが、どうも簡単には近づけないような丘陵上にあるようなので、あっさりとあきらめて厚岸町へと向かいました。

遠矢第2チャシ(釧路町)

【城 跡 名】遠矢第2チャシ
【訪 城 日】1999年7月29日
【所 在 地】北海道釧路郡釧路町字遠矢
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:C字状1条

【訪 城 記】
 釧路市桂恋をあとにして、隣町の釧路町(紛らわしいですが、別の町です)に向かい、遠矢地区で遠矢第1・第2・第3チャシを探しました。
 この3つのチャシはともに丘陵上に西崖面に開口するC字状の壕を配したチャシで、第2チャシは昭和50年に北海道教育委員会によって全面発掘が行われています。
 近くをウロウロと探してみましたが、どうも簡単には近づけないような丘陵上にあるようなので、あっさりとあきらめて厚岸町へと向かいました。

遠矢第3チャシ(釧路町)

【城 跡 名】遠矢第3チャシ
【訪 城 日】1999年7月29日
【所 在 地】北海道釧路郡釧路町字遠矢
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状(?)1条

【訪 城 記】
 釧路市桂恋をあとにして、隣町の釧路町(紛らわしいですが、別の町です)に向かい、遠矢地区で遠矢第1・第2・第3チャシを探しました。
 この3つのチャシはともに丘陵上に西崖面に開口するC字状の壕を配したチャシで、第2チャシは昭和50年に北海道教育委員会によって全面発掘が行われています。
 近くをウロウロと探してみましたが、どうも簡単には近づけないような丘陵上にあるようなので、あっさりとあきらめて厚岸町へと向かいました。