【城 跡 名】ノットカのチャシ(キナウシのチャシ・トンネル上のチャシ)
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日・2011年10月9日・2011年11月6日・2013年9月14日・2022年4月30日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町道有林(旧勇払郡穂別町)
【形 態】面崖式
【主な遺構】壕:くの字状1条
【訪 城 記】
道道穂別鵡川線をさらに南下し、「上キナウス線」と書かれた看板のある交差点で右折し、鵡川を豊田橋で渡って豊田の集落を抜けると、右側から丘陵が伸びて河との間が狭くなっているところに突き当たります。その丘陵先端部がノットカのチャシです。かつてはこの近くを国鉄富内線が通り、このチャシはそのトンネル上に位置していたので「トンネル上のチャシ」と呼ばれることもあったそうです。
壕はくの字状の一条壕で、規模は約4m×約12m、幅は約1mで北東の方に開いていると『日本城郭大系』にはありますが、探し方が悪かったのか壕も看板も発見できませんでした。
またこのチャシには「ポロヌタップの砦」という伝説があるそうです。このチャシにはポキナウという首長がいて、ある時夜盗が現われチャシを囲んだが守りは固く、容易に落ちないので、砦の水を断とうとしたがそれにも失敗し、ポキナウにあざ笑われて夜盗たちもしょげかえって退却したとのことです。(2000/7/9)

これまた前回発見できなかったチャシですが、今回はあっさり見つけてしまいました(^^;) 「トンネル上のチャシ」という別名通り、旧国鉄富内線のトンネルの上にあり弧状の壕が崖に面して開いていました。壕の深さは1mもなさそうで、壕で区切られている曲輪部分も砦にするには狭く、見張り場的なものだったのかもしれません。(2001/4/21)




(北側から見た所です)
この日も、道の駅とチャシの旅に行ってきました。むかわの道の駅に寄ったあと穂別方面に行く予定でしたが、時間に余裕がありそうなので、日高町門別地区のチャシを探してみることにしました。(結果的には、ほとんど場所確認で終わりましたが(^^;)) そのあと穂別方面に向かいました。11月にお城仲間とこちら方面に来るので、その下見を兼ねてのチャシ巡りです。イナエップのチャシの次はノットカのチャシに向かいました。
ここはこの日唯一壕を確認できたチャシでした。ただし10年前にあった「○○のチャシ」という看板が無くなって枠だけになっていましたが(^^;) 壕も浅いながらも、以前の通り半円状に伸びていました。(2011/10/9)

(枠だけになっていました)

この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、オビラルカのチャシ・中島のチャシ・オソウシのチャシを回りました。
次に向かったのはノットカのチャシです。ここは先日も下見で訪れましたが、ちょっと急な砂利道を50mほど登り、右側の台地の上にあります。弧状壕は浅く、壕で囲まれた曲輪部分もせまい小規模なチャシです。ただ鵡川が一望できますので、砦というより漁場の見張り場的なものだったのではないかと思われます。ここも看板が落ちてましたので、拾って写真撮影しました(^^;)
次にイナエップのチャシに向かいました。(2011/11/6)

(地面に落ちていたので、手で押さえています(^^;))


この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。むかわ町穂別のイナエップのチャシのあとはノットカのチャシへと移動しました。2年前と変わらず、壕は浅いですがしっかりと確認できました。相変わらず看板は地面に落ちたままですので、何とか直していただきたいです。
(2013/9/14)


この日はここではなく、奥にある豊田2チャシが目的なので、横目で見ながらスルーしました。見たところ以前あった看板の代わりに標柱が立ったようです。これだけでも訪城する方としてはありがたいです。むかわ町教育委員会の皆様に感謝です。(2022/4/30)


【城 跡 名】イナエップのチャシ(ハッタルシップチャシ)
【訪 城 日】2001年7月9日・2001年4月21日・2011年10月9日・2011年11月6日・2013年9月14日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別豊田357ほか(旧勇払郡穂別町)
【形 態】丘先式
【主な遺構】壕:直状2条がV字形に連結
【訪 城 記】
ノットカのチャシからさらに2.5kmほど南下すると、西から伸びている丘陵の先端を切断するように道路が通っているところがあります。この東側の丘陵先端部分がイナエップのチャシです。この道路の部分にはかつては国鉄富内線が通っていたようですが、丁度東側の斜面上にオソウシのチャシなどと同じ形式の看板がありました。
チャシ上にはV字形に連結した2条の直状壕があるそうですが、かなり疲れてきたこともあり斜面を登るのはやめにして、遠景を写真に収めるだけにしました(^^;) (2000/7/9)

(この斜面の上に看板が立っています。)

(中央部の窪みの所を道路が通っています。)
このチャシは前回発見したものの、かなり斜面が急でしたので登るのを断念したものです。
丁度西から伸びる丘陵の先端を切断するように切り通し状に道路が通り、その道路に切断された先端部分にV字形に連結された壕があるということですが、まずは道路に面した急斜面の端から登りはじめました。
登っていく途中かなり狭くなっているところもあり、登るのやめときゃよかったかなと一瞬後悔しましたが、登ってみると頂上は平坦部分がかなり広がっていました。V字形の壕もありまして台地の先の方に近い第1の壕は深さ2mほどもあり、チャシとしてはかなり大きなものでした。底が平らになっており、箱形の壕になっていました。
第1の壕に片側が連結する第2の壕はそれほど深くなく、深さ1mほどでしょうか? 長さも数十mあり穂別町のチャシの中ではもっとも規模が大きいと思われます。
今回は、最後になかなかいいチャシを見ることができて良かったです。(2001/4/21)






この日も、道の駅とチャシの旅に行ってきました。むかわの道の駅に寄ったあと穂別方面に行く予定でしたが、時間に余裕がありそうなので、日高町門別地区のチャシを探してみることにしました。(結果的には、ほとんど場所確認で終わりましたが(^^;))
そのあと平取町のシウンコツチャシ・サルバチャシを探索してから、穂別方面に向かいました。11月にお城仲間とこちら方面に来るので、その下見を兼ねてのチャシ巡りです。まずはイナエップのチャシです。
ここは穂別のチャシの中では大きな壕跡が確認できるチャシですが、以前行った時には台地の先端を切り通し状に切断した道路側の急な崖を登って大変で、後から下に道があったのを発見したので、今回はまず下の道を進んでみました。
チャシの下まで行ってみると、動物の進入防止のためか網が張ってあって登れません。仕方ないので戻ろうと思いましたが、車一台しか通れない道でUターンできないので、そのまま進むとゲートがあって進めません(--;) 進退窮まって、仕方なくそのままバックで100mくらい戻り、途中でなんとか方向転換して脱出しました。そのあと切り通し部分まで行きましたが、もう日も落ち加減になってきていたので、他を回るのを優先して次に進みました。(2011/10/9)

この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、オビラルカのチャシ・中島のチャシ・オソウシのチャシ・ノットカのチャシを回りました。
そして穂別最後のチャシがイナエップのチャシです。ここが穂別のチャシではいちばん規模の大きい見応えのあるチャシですが、みんなで話し合った結果、やはりあの切り通し状の崖を登るのは厳しいということになり、下や横から眺めるだけにしました。左側の横から見ると壕があるのは確認できましたが、写真で見るとよく分かりませんね(^^;)
そのあとは穂別をあとにして、平取に向かいました。(2011/11/06)

(窪んでいるような頃が壕跡?)
この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。厚真の桜丘チャシのあとはむかわ町穂別へ向かい、まずはイナエップのチャシへと移動しました。ここは2年前に登るのを断念したところですが、NACKさんと相談しせっかくだから登ってみようということになり、長靴に履き替えて登ってみました。NACKさんは写真13の道路側の崖を直登していきましたが、私は右側の端の方から崖の端伝いに登って行きました。そうすると端の方は狭くなっていますが、しばらく進むと開けていて写真10・11の壕が二つ並んでいます。とはいっても写真で言うと手前の方で壕が繋がっていて、丁度V字状になっています。右側の壕(写真10)はそこが平らで広くなっており、深さ2m・幅3~4mはありそうです。左側の壕(写真11)はそれほど深くはなく、深さ1mほどでしょうか? なかなか見応えのある壕でした。後で聞いてみたら、NACKさんもこの日に回った中では、このイナエップのチャシが一番印象に残るとおっしゃっていました。
堪能した後は、私が登った右端の方から慎重に降りていき、次のノットカのチャシへ向かいました。(2013/9/14)

(こちらの壕が先端部側)

(こちらの壕が道路側)


(左側の壕が道路側、右側の壕が先端側の壕跡
この写真の左側に道路があります)

(破損して枠から外れ地面に落ちています)
【城 跡 名】ペップッのチャシ(町役場横のチャシ)
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別523-5ほか(旧勇払郡穂別町)
【形 態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状2条
【訪 城 記】
一応、予定はここまでだったんですが、チャシ一覧を見るとペップッのチャシというのがあるので探してみることにしました。別名「町役場横のチャシ」とあったので役場の周辺を探してみたもののわからないので、先ほどの博物館内の図書館に行き『穂別町史』を見てみました。すると共同墓地にあるということだったので、ぐるぐる探してみると、役場の南側の丘陵上に共同墓地を発見しました。
そのあと墓地をぐるっと一回りしてみましたが見つかりません。するとなんと車を停めた駐車場の横にチャシの看板を発見しました(^^;)
とはいうもののその周囲は草が繁っていて、壕を確認するどころの話ではありません。このチャシには弧状の壕が2条あるということですが、確認できませんでした。
以上、破壊された隆農チャシを含めて穂別町内には12のチャシがありますが、看板が設置されており、比較的整備されている方だと思われます。草が繁るなど時期的なこともあり、遺構を確認できたチャシが少なかったのが残念ですが、穂別町内のチャシはなかなか保存状態が良いという印象を受けました。(2000/7/9)

(共同墓地の駐車場の横の方に草に埋もれて立っていました)
前回は草が生い茂っていてどこがチャシなのか全然わかりませんでしたが、今回は周囲の草藪が刈られていて、とてもわかりやすくなっていました。
看板があるので、そちら側がチャシなのかと思いきや、看板の右側の方に二段の壕らしきものがあって台地が区切られていたので、そこがチャシだったようです。とはいっても、壕で区切られている部分の広さは畳数枚程度しかなく、壕も深さ1mもない感じですので砦というより見張り場的なものだったような気がします。(2001/4/21)


(駐車場側の上の方から見ています)


【城 跡 名】隆農チャシ
【訪 城 日】2011年10月9日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別550-1,穂別川河川敷(旧勇払郡穂別町)
【形 態】?
【主な遺構】?
【訪 城 記】
この日も、道の駅とチャシの旅に行ってきました。むかわの道の駅に寄ったあと穂別方面に行く予定でしたが、時間に余裕がありそうなので、日高町門別地区のチャシを探してみることにしました。(結果的には、ほとんど場所確認で終わりましたが(^^;)) そのあと穂別方面に向かいました。11月にお城仲間とこちら方面に来るので、その下見を兼ねてのチャシ巡りです。チチャップチャシの次はオビラルカのチャシに行きましたが、高校の敷地内なのでちょっと遠慮し、近くにある隆農チャシに向かいました。
ここは農道工事のため破壊されているのが分かっていたので、場所確認と遠景写真を撮っただけで、この日のチャシ巡りは終了しました。そのあとは北上して夕張の道の駅に向かいました。

【城 跡 名】豊田2チャシ
【訪 城 日】2022年4月30日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別507-1(旧勇払郡穂別町)
【形 態】面崖式
【主な遺構】壕:くの字状1条
【位 置】北緯42度42分12.15秒 東経142度6分51.70秒(ノットカのチャシのの約300m北)
【訪 城 記】
チチャップチャシを撤退した後、穂別市街のセコマで休憩してから豊田2チャシへ。このチャシは「北海道鵡川流域のチャシ跡群」に掲載されていたもので、それによると鵡川流域最大の規模を誇るもので全長約130m、最大幅約40mとのことです。何度も訪れているノットカのチャシの北300mに位置しているので、まずはノットカのチャシを目指します。何度も行っているのでノットカのチャシは横目で見ながらパスし、そのまま奥に進みます。途中で道が分かれていますが、まっすぐ右の道を進みます。そろそろチャシが近いと思い右の草藪に進み、あと少しでチャシに到達すると思われた時に、近くを野生動物(お尻が白く足が速かったので、おそらくエゾシカ?)が走って行ったので無理せずそこで遠景を撮って撤退しました。
う~ん残念…(2022/4/30)

【城 跡 名】美沢チャシ
【訪 城 日】2006年8月4日
【所 在 地】北海道苫小牧市美沢217
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
この日は午後用事があって千歳に行くことになっていましたので、その帰りにちょっと足を伸ばして美沢チャシまで行ってみることにしました。新千歳空港側から苫小牧方面にしばらく走ると、それらしき丘陵がいくつか見えてきましたが、どれが美沢チャシなのか良く分かりません。それで、逆に国道36号線側から眺めてみると丁度国道の方に伸びている丘陵があったので、これが美沢チャシだろうと考えました。
北海道チャシ学会作成の一覧では「壕は自然か」とありますが、そうするとチャシなのか否か疑問が出てくるところです。

【城 跡 名】源武チャシ
【訪 城 日】2008年9月6日
【所 在 地】北海道勇払郡安平町早来源武530-37
【形 態】?
【主な遺構】?
【訪 城 記】
先日、厚真町でヲチャラセナイチャシの見学会がありましたので行ってきましたが、9時半から始まるというので、遅れてはいけないと思い早めに家を出たところ、8時過ぎには厚真町に着いてしまったので、ちょっと寄り道をして安平町(旧早来町)の源武チャシに行ってみました。
社台ファームのある丘の西端にあるようなので、地図を頼りに砂利道を走るとそれらしい丘が見えてきました。ですが、車1台通るのがやっとくらいの道でしたので、遠景を1枚撮影して元の道に戻ろうとしたら、なんと前方からダンプカーが来るのが見えました、仕方なくバックで手前のカーブの所まで戻りダンプをやり過ごしましたが、ちょっと肝を冷やしました。
そのあと元の道に戻り、厚真町へ向かいました。

【城 跡 名】フレナイチャシ
【訪 城 日】2015年10月11日
【所 在 地】北海道虻田郡洞爺湖町栄町20-1
【形 態】面崖式
【主な遺構】コの字状壕1条
【訪 城 記】
この日は今金の美利河ダム→ピリカ遺跡→国縫チャシ→道の駅くろまつないと移動して、そのあと洞爺湖町虻田まで戻り、このフレナイチャシの場所を探しました。ここは、以前厚真町教委の学芸員・乾さんに虻田でもチャシが発見されたらしいという情報を聞いていたので気になっていたのですが、行ってみると洞爺湖町の社会福祉協議会の建物の隣の空き地がチャシの場所のようでした。発掘調査をした際に、溝状遺構がコの字状に繋がることが確認されたため、面崖式のチャシと判断されたそうです。時期は、駒ヶ岳火山灰(1640年降灰)が溝状遺構覆土上部に堆積しており、廃絶後に相当の時期が経過したものと見られることから、あるいは中世まで遡る可能性があるそうです。チャシは洞爺湖町内では初めての発見例で、字名改正前の地名は「フレナイ=赤い・川」でチャシを示すものも付近には認められず、チャシにまつわる伝承も存在しないことから、使用年代が古くその後利用が途絶したことから起因するのかもしれないと、発掘調査報告書では記述していました。
写真を見ての通り、溝状遺構自体は埋め戻されており、チャシをうかがわせるものは何もありませんでしたが、立地は噴火湾に向かって登り舌状台地の先端で、チャシがあってもおかしくない場所ではあると感じました。(2015/10/11)



