胆振管内(33)~伊達・厚真
館山チャシ(伊達市)

【城 跡 名】館山チャシ(伊達山チャシ)
【訪 城 日】1999年5月30日・1999年11月21日・2000年9月3日・2001年11月10日・2001年11月25日・2006年8月9日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道伊達市館山町
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
 ここは室蘭の友人と一緒にチャシ巡りをしたところです。はじめは白老町のカムイエカシチャシに向かう予定だったのですが、『日本城郭大系』を眺めているうちに伊達市にある館山チャシの図と伊達市の地図でまさに一致するところを発見しましたので、館山チャシに向かうことにしました。
 館山チャシのある場所は現在は館山公園となっており、内浦湾に注ぐ気門別川に面している館山台地の先端部にあります。この台地先端部は鋭角の三角形をしており、二重の壕があります。どちらも深さは1~2m、幅は4~6mほどで、二本の壕が接した状態で並んでいて、弧状に100mほども伸びているでしょうか。内側の壕の方が埋まったのかやや浅くなっていましたが、まさに丘先式のチャシでした。このチャシは市の指定史跡になっているようで説明表示がありました。
 周囲には桜などの樹木が植えられ、市民の憩いの場となっています。まだ桜が少し残っていてとてもきれいでした。この公園からは伊達市街や背後の山々が一望できました。(1999/5/30)


 1回目は5月の緑が鮮やかな頃でしたが、2回目は11月の下旬で晩秋の頃に再訪しました。壕のまわりにある紅葉の葉が壕の底に溜まり、壕の中は薄紅色で、壕の縁や二本の壕の真ん中にある土塁は薄緑色で、そのコントラストがなかなか綺麗で、思わず何枚も写真を撮ってしまいました。
 この館山チャシは何度訪れてもいいです。2条の並んだ壕が長さ100mも伸びているというのはなかなか豪快な眺めです。保存状態も良いですし、私が訪れたチャシの中ではなかなかのおすすめです。(1999/11/21)


 この日はFSIROの冷や奴さん、お城巡りMLのまささん・火影さんとの訪城でした。あの二重の空堀を見ると冷や奴さん・まささんは空堀の中に降りて写真を撮ってました(^^;) あの空堀は何度見ても良いです。(2000/9/3)


 この日はFSIROの山城守さんとの訪城です。伊達の館山チャシのある公園はちょうど紅葉が見頃でした。青い空に真っ赤な葉っぱが輝いていて、それだけでもうデジカメを構えてしまいました。「武田の三日月堀をつい連想してしまう半円形の2重堀には感動しました。」と言っていただけただけで、案内人としては満足でした。ホント紅葉がきれいでした。(2001/11/10)


 この日はFSIROの山城守さんと地黄八幡さんとの訪城です。ここに人を案内するのは三回目ですが、公園の大だこの滑り台を写真におさめる人は初めてです(^^;) 丁度二重の空堀の底に落ち葉が敷き詰められ、とてもきれいでした。(2001/11/25)


  伊達の大雄寺のあと、久しぶりに館山チャシに行ってみました。うちの坊主くんと遊具で少し遊んだ後、壕のある方へ行ってみましたが、昔と全く変わらずでした。以前6月頃に行ったときには草が伸びていた記憶があるんですが、今回はそれほど伸びていませんでした。やはり夏になると草刈りしてるんでしょうかねえ?
 今回はパノラマで二重空堀を撮ってみました。
 このあと伊達をあとにして室蘭の南部藩陣屋に向かいました。(2006/8/9)


 この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。ポロシレト勤番所のあとは、本当は伊達の道の駅に行く予定でしたが、かなり日も暮れてきたのでまずは館山チャシと有珠周辺のチャシに行ってしまうことにしました。
 館山チャシに行くのは数年ぶりですが、やはり二重堀が立派です。タコの滑り台に目をとられていると見逃します(^^;) ネットで見ていると、手前の公園部分だけ見て見つけられなかったと言っている方もいらっしゃるようですが、公園の一番奥の先端部分に行く途中にありますので、ずっと奥まで足を運んで下さいね。 堀底に枯れ葉が積もっているので、今の時期は堀と土塁がわかりやすいと思います。でもやっぱり紅葉の時期、特に色づいた葉が堀にちりばめられている時期が一番きれいだと思います。(2012/04/29)

ポンチャシ(伊達市)

【城 跡 名】ポンチャシ
【訪 城 日】1999年11月21日・2000年9月3日・2001年11月10日・2001年11月25日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道伊達市向有珠町163-1ほか
【形  態】丘頂式
【主な遺構】
【訪 城 記】
 白老をあとにして、登別・室蘭をへて伊達市内に入り、そば屋で昼食を取ってから有珠方面へ行きました。
 このポンチャシは99年の春以来何度も探していたチャシですが、先日2万5000分の1地図を見ているうちにここじゃないかという場所を見つけました。
 国道37号線を伊達市中心部から北へ7kmほど進むと有珠湾があります。有珠駅と反対側の方に左折し、次の交差点をまた左折して南の方に進んでいくと、右側にお供え山型をした小さな丘が見えてきました。「おっ、これがポンチャシだな!」と思い遠景を写真で撮りました。
 ぐるっと回ってチャシに近づくと、ちょうど民家の裏に当たり、そちらから登るのは憚られます。すぐ隣にB&G海洋センターがあり、その裏にあるパークゴルフ場(?)に隣接しているので、そちらから行けないかなとウロウロしていたら、センターの方が不審に思ったのか出てきたので、入ってもいいか聞いてみると「いいですよ」という返事だったので、お礼を言い、早速近づいてみました。
 ちょうどパークゴルフ場の端にポンチャシの標柱と説明板が建っていて、そのすぐ前がポンチャシでした。
 ポンチャシは頂上部分が平らになり、周囲をぐるっと回るように段ができていて、遠くから見るとお供え餅型に見えます。典型的な丘頂式のチャシです。南側はもう一つ段があって二段になっています。きれいに草が刈られ、保存状態も良好です。
 この有珠湾周辺にはこのポンチャシを含め、三つのチャシ跡が並び、北からチャシコツ、ポロチャシ(大きなチャシの意)、ポンチャシ(小さなチャシの意)と呼ばれ、いずれもお供え山型のものだったようですが、現在原形を保っているのはこのポンチャシだけだそうです。(1999/11/21)


 この日はFSIROの冷や奴さん、お城巡りMLのまささん・火影さんとの訪城です。やっぱり私と同じポイントで皆さん写真を撮るんですよねえ(^^;) とにかくはじめて他の方々を案内したのでこの日は疲れました(^^;) (2000/9/3)


 この日はFSIROの山城守さんをご案内しました。めずらしいことにこの日はポンチャシの手前にあるパークゴルフ場が盛況で、ボールを避けながらチャシに近づきました(^^;) チャシ上からは背後の羊蹄山・有珠山、全面の噴火湾が一望でき、とても気持ちが良かったです。 (2001/11/10)


 この日はFSIROの山城守さんと地黄八幡さんをご案内しました。地黄八幡さんには「遠くから見ると、古墳です(笑)。本当に小さいです。登ってみてもやっぱり円墳です。城郭としての役目があるのでしょうか(笑)。」って言われましたけど、ありゃあ城郭っていうより見張り場か何かの役割だったんでしょう。(2001/11/25)


 この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。伊達市の館山チャシの次は、市内の有珠にあるポンチャシへ行きました。B&G海洋センターのパークゴルフ場の奥にありますが、小山というか一見古墳です(^^;) こぢんまりしてます。だからポン(小さい)チャシなんですが。時間もないので道路から写真を撮って、次に移動です(^^;) (2012/04/29)

ポロチャシ(伊達市)

【城 跡 名】ポロチャシ
【訪 城 日】2000年9月3日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道伊達市向有珠町171-1~4,172,173,175,186,189,190-2
【形  態】丘頂式
【主な遺構】楕円形の段を巡らす、西側では2段になる
【訪 城 記】
 この日はFSIROの冷や奴さん、お城巡りMLのまささん・火影さんとの訪城です。ポンチャシまで来たので、近くのポロチャシも遠景で確認しました。ただし、手持ちの資料では「破壊」と書かれているので、遺構は残っていないものと思われます。 (2000/9/3)


 この日はFSIROの山城守さんをご案内しました。パークゴルフ場の奥にあるポンチャシに上り、チャシ上からは背後の羊蹄山・有珠山、全面の噴火湾が一望し、近くのポロチャシも撮影しました。とても気持ちが良かったです。 (2001/11/10)


 この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。伊達市有珠にあるポンチャシへ行ったあと、すぐ近くにあるポロチャシに行きました。ここはポンチャシに行った時にはいつも横を通っていたのですが、写真を撮っていなかったので、それが目的でした。ポン(小さい)チャシに対して、ポロ(大きい)チャシです。確かにポンチャシに比べると高さも広さもありますが、整地されて原形を失っているそうです。(^^;) (2012/04/29)

チャシコツ(伊達市)

【城 跡 名】チャシコツ
【訪 城 日】2012年4月29日
【所 在 地】北海道伊達市有珠町14-1
【形  態】丘先式
【主な遺構】なし
【訪 城 記】
 この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。伊達市有珠にあるポンチャシ・ポロチャシへ行ったあと、すぐ近くにあるチャシコツに行きました。北海道教育委員会の「北の遺跡案内」では「チャシコツチャシ」と表記されていますが、チャシコツとは「チャシ跡」という意味なので、「チャシコツチャシ」というのはちょっと変な呼び方です。「伊達市・噴火湾文化研究所」のHPでは、「チャシコツ」と表記されているので、これが元々呼ばれていた名前なのでしょう。古い資料ではこちらも「ポロチャシ」と呼ばれていたと書いてあるものもあるようです。
 有珠小学校の道路をはさんで反対側にある丘がこのチャシです。南西側には頂上の近くに段を作った形跡があるそうですが、現在は丘が大きく削り取られていて原型を残していないそうです。

桜丘チャシ(厚真町)

【城 跡 名】桜丘チャシ
【訪 城 日】1999年11月13日、2008年9月6日、2009年9月19日、2009年10月3日、2010年9月5日、2013年9月14日、2015年8月4日、2018年4月29日、2019年6月15日
【所 在 地】北海道勇払郡厚真町字桜丘76
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
【訪 城 記】
 『北海道のチャシ』には「チカヘップ沢右岸、南へ延びる段丘先端」と書いてありましたので、地図を見ると厚真町の中心部から少し北に行ったところに近悦府川というのがあり、その両岸が沢になっていたのでこれのことだろうと考え、行ってみました。確かに南に面している段丘がありましたが、そこはその下にある民家の畑になっているようで、ちょっと登るのは憚られました。ですので、そこが確かにチャシ跡なのか、現在どうなっているのかは確認できませんでした。(1999/11/13)
 →結局、ここは全く見当違いの所で、そこからさらに奥に入ったところでした。(下を参照)


 ヲチャラセナイチャシの見学会終了後、昼食をとり、その後菅原さんとまずは厚真町内の桜丘チャシへと向かいました。このチャシは17世紀のシャクシャインの戦いにも関係したようで、舌状に伸びた尾根の付け根を壕で区切り、先端部には段上に造成してあるというものです。

 青少年センターで町教委の方にに教えていただいたとおり、厚真町中心部から先ほどヲチャラセナイチャシへ向かった道を進み、突き当たりにお寺があり右にカーブする所で左折しすぐまた右折します。しばらく進むと途中で舗装道路から砂利道に変わる所があり、その辺りに車を止め、嫁さんと坊主くんには待っていてもらい、菅原さんと二人で少し道を進むと左側に登り口が見えてきました。
 町教委の方の話だと、8月には宇田川洋先生が見にいらっしゃったそうで、しっかり道が付いていて、草も刈ってありましたので、時折蜘蛛の巣に引っかかりながらも問題なく進むことができました。10分ほど道を進むといきなり大きなV字形の壕が見えてきました。
 深さ3~4mほどはあるでしょうか。壕底に立つと尾根側もチャシの郭側も、地面が頭のてっぺんより上にあり一度落ち込むと這い上がるのは大変そうです。まさに山城の「堀切」という感じがし、規模は違いますが一瞬以前行った八王子城の堀切を思い出してしまいました。午前中に見たヲチャラセナイチャシが見張り場ならこちらはまさに戦闘的な砦・山城という趣がありました。
 この壕に感動してしばらく写真を撮ってから先端部の郭に進みました。郭部分も幅18m・長さ81mほどもあって非常に広く、かなりの人数が立てこもることができそうです。そして先端部には今まで見たチャシでは見たことのない段状造成がしてありました。普通のチャシの先端部はそのまま山の下の方に落ち込んでいて、特別な造作をしていないのが一般的ですが、この桜丘チャシは先端部に帯郭のような段状の部分があり、ここにも人を配置して防御を固めることができそうです。
 付け根の深い壕、広い郭、先端部の帯郭のような段状造成とどこをみてもこのチャシはまさに戦闘用の砦・山城であるのは間違いないと思います。これだけのチャシは今まで見た中でもなかなかありません。良いもの見せてもらったというのが一番の感想です。
  その後車まで戻り、菅原さんと相談し、今度はむかわ町(旧鵡川町)のオルイカチャシへと向かうことにしました。(2008/9/6)


 うちのサイトをご覧になった厚真町教育委員会の学芸員の方から、9月19日(土)に開かれる「桜丘チャシ跡見学会」のご案内をいただきましたので、行ってきました。

 見学会は午前の部と午後の部があり、午後の部は昨年見学会に参加したヲチャラセナイチャシも見せていただけるという話でしたので、私は午後の部に参加しました。参加者は10数名ほどで昨年に比べると少なかったのは残念でした。半分以上は地元の方のようでしたが、何人か私のように地元以外の方もいたようです。
 苫小牧民報の記者の方も取材にきていたようで、あとから苫小牧民報のサイトを見てみたら記事が載っていまして、トレンチの左側奥でカメラを構えているのが私が写っている写真も載ってました(^^;)
 厚真町教委の学芸員さんのお話では、あそこの地主さんから木を伐採したいという話があったようです。先端部にはチャシがあるのでそちらの方は残してほしいと話をしたそうで、登り口のあたりはすっかり木が切られて開けてしまい、昨年見に来た時と比べると、景色が変わっていました。
 上記の苫小牧民報の記事にもありましたが、V字壕の部分にトレンチを切って発掘したところ、1667年の噴火の火山灰の層(右の写真の真ん中あたりに見える白い層)があって、その下に壕を掘った跡があるので、1669年のシャクシャインの戦いの頃よりも古い時代に作られたのではないかと話していました。当初はシャクシャインの戦いを記した文献に「阿津摩」と出てくるのでその頃に作られたものと想定していたようですが…
 あれだけの大きな壕があるということで、シャクシャインの戦いの頃に築造されたのではないかという当初の想定に私もある程度納得していたのですが、それよりも古い時代にあれだけのチャシが厚真で作られたということに、そして明らかに軍事的な砦として作られた桜丘チャシが、どのような状況の中で築かれたのか、またあれだけの大規模なチャシを作るだけの指導者が存在したということに、とても興味を覚えました。
 発掘の結果、出土したものとしては手のひら大の丸い石や鏃などが出てきたようです。
 また先端の段状造成の部分もトレンチを切って発掘したところ、深さ1~2mほどの溝が出てきたそうで、前方に掘った土が捨てられて、堆積している部分もありました。ただこの溝は作ったあと崩れてしまい、今のような状態になったようです。チャシに帯郭のような段上造成があるということで珍しいなあと思っていましたが、溝というか壕があったということでなるほどと思いました。
 うちの息子が足をけがしたものでベビーカーに乗せて行ったんですが、学芸員の方にベビーカーを運んでいただいたり、大変お世話になりました(感謝!)
 そのあとヲチャラセナイチャシ跡の見学のため移動しました。(2009/9/19)


 10月3日(土)に厚真町で開催された「発掘成果を語る会」が終わったあと、旭川の菅原さんと桜丘チャシに行ってきました。もうすっかり発掘調査は終わっていて、9月の見学会の時にに見たトレンチは全て埋め戻されていました。見学会の時に受けた説明を菅原さんにお話ししながら、見て回りました。(2009/10/3)


 旧お城めぐりMLのメンバーの方5人+昨年来お世話になって学芸員の乾さんとのチャシ巡り、苫小牧の静川遺跡のあとは厚真町に移動し昼食です。厚真ジンギスカンという物を初めて食べましたが、ジンギスカンを食べなれている私たちでも「これはうまい!」と舌鼓を打ってしまいました。(実はその後近くのスーパーで売っているのを見て、買ってきて食べましたがうちの家族も上手いと言っていました。難点はちょっと値段がお高いところかな?)

 余談はおいといて、その後桜丘チャシまで移動し、一年ぶりの再会です。登り口には真新しい説明板が… 乾さんのお話だと発掘スタッフの手作りだそうですが、そうは見えません。
 あの大きな壕を見て、木村さんをはじめ初めて見る方々はやはりちょっと驚きがあったようです。私もこれで3年連続の訪城ですが、何度見てもこの大きな壕には感動します。
 全道のチャシの中でもまだまだ無名の存在ですが、もっと多くの方たちにこの存在を知ってもらいたいですねえ。(2010/9/5)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。苫小牧の静川遺跡のあとは厚真へ向かい、桜丘チャシへと移動しました。3年ぶりの訪問でしたが、写真12の説明板もそのままでした。壕跡も以前のままで、大事に保存されているのがわかります。やはり本州の山城の堀切のような大きな壕は見応えあります。
 この後はむかわ町穂別へと移動しました。(2013/9/14)


 今年の夏数年ぶりに厚真へ行きました。といいますのも、今年は教員免許の更新年次ということで更新時講習なるものを受けなくてはいけないのですが、選択講習は自分の希望のものを取れるということで苫小牧駒澤大学で行っている「考古学がひらく新たなアイヌ史」を選んだのです。それというのも、この講座は講義もありますが、厚真の遺跡踏査や遺物見学等を行うということで、しかも以前厚真を訪問した時にお世話になった学芸員の乾さんと奈良さんが講師となっているということで、これしかないと思い申し込んだのでした。
 はじめは苫小牧駒澤大の蓑島先生の講義を受け、午前中は発掘整理事務所の遺物を乾さんに解説していただき、午後は桜丘チャシを奈良さんの解説で見学しました。桜丘チャシは以前と変わりなく、大きな空壕も健在でした。
 そして、厚幌ダムの建設により来年には水の下へと消える厚真川上流域へ移動し、オニキシベ橋からヲチャラセナイチャシを遠望し、その後はショロマ1遺跡の見学、そして体験発掘をさせていただきました。(2015/8/4)


 この日は日高方面へ出かけ、まずは厚幌ダムのダムカードVer.3をGETし、久しぶりに桜丘チャシへ。三年ぶりに大きな壕跡を堪能しました。ただ入口の説明板が日焼けしたのか真っ白になっていたのが残念… (2018/4/29)


 ダムカード&道の駅巡りで日高方面へ。安平のあと厚真へ向かい1年2ヶ月ぶりに桜丘チャシへ。 去年9月の胆振東部地震で大きな被害を受けた厚真は、そして桜丘チャシはどうなっているだろうと思っていました。看板は元どおりきれいになっていましたが、駐車スペースは土砂で埋まり、ネット情報通り登り口の道は途中で大きく崩落していてチャシ主体部には行けなくなっていました。 厚真周辺でもあちこちで土砂崩れの跡が残っていて、去年の地震の爪痕がまだまだ残っていました(ーー;) (2019/6/15)

ヲチャラセナイチャシ(厚真町)

【城 跡 名】ヲチャラセナイチャシ
【訪 城 日】2008年9月6日・2009年9月19日・2010年9月5日・2015年8月4日
【所 在 地】北海道勇払郡厚真町字幌内112-1,114,124
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:U字状1条(円形に追加造成)
【訪 城 記】
 オニキシベ2遺跡の見学の後、もう一つのグループと交代でチャシ跡の見学をしました。ヲチャラセナイチャシは15世紀頃に築造されたもので、チャシの中でも古いもののようです。壕は半円形で、いわゆる丘先式のチャシです。壕の規模は幅4m、深さ2mほどで、底幅が2mで垂直に立ち上がる「箱堀」の壕であったようです。また壕の端に追加して内側に円形に掘り足した跡がありました。
 壕を掘った土は内側に盛ってあり、その内側のチャシの中心部には四角い建物跡がありました。その中心に炉の跡がありましたが、灰や焼けた骨がほとんど見つかっていないそうなので、日常生活を送っていた場所ではなく聖域のようなものだったのかもしれません。
 チャシの大きさや内部の遺構の状況から、またこの辺りは交易ルートの中継点だったらしいことから、このチャシは戦闘的な砦というより、見張り用または儀礼場のようなものだったのではないかと推定しているそうです。
 その後、青少年センターまで戻り、これらの遺跡で出土した遺物や町内のニタップナイ遺跡というコタン(集落)跡の遺跡から出土した遺物の展示を見たり説明を聞いたりしました。
 なかなか興味深く見せていただきましたが、丁度厚真町にある桜丘チャシの説明パネルがありましたので、その位置等について町教委の方に聞いてみると、道が付いて登れるようになっているというので、昼食後菅原さんと登ってみることにしました。(2008/9/6)


 この日は桜丘チャシの見学会があったので、厚真町へ行きました。見学会の午後の部は、桜丘チャシの見学終了後、ヲチャラセナイチャシ跡の見学のため移動しましたが、こちらの方はすっかり発掘が終わったようで、今年はチャシの右側の方を発掘しており、竪穴住居跡が出てきていました。
 最後に学芸員の方から、ホームページで桜丘チャシを紹介しているということで私が紹介されて、一言感想をといわれたので参りました(^^;) 今まで見た中でも大規模なチャシでとても貴重なものだと思いますというような事を言って何とかごまかしました(^^;) (2009/9/19)


 お城めぐりMLのメンバーの方5人+昨年来お世話になって学芸員の乾さんとのチャシ巡り、静川遺跡、桜丘チャシと見学したあと、ヲチャラセナイチャシに向かいました。
 ヲチャラセナイチャシは今年は盛り土の下を発掘し、背後の居住区(?)のヲチャラセナイ遺跡の発掘へと進んでいるそうで、チャシ跡からは建物跡(?)の柱穴や鹿穴などが見つかっているそうで、ヲチャラセナイ遺跡からは大型の建物や鹿塚が見つかっているそうです。
 やはりこれだけの遺構や遺物が出土するということは、この辺りがかつてはかなり栄えていたということを示すものだと思わざるを得ません。これからも厚真周辺は目を離せませんね。

 ヲチャラセナイチャシ見学のあとは、発掘事務所にて発掘現場から出土した遺物を見せてもらいました。本当に乾さんにはお世話になりました。感謝の言葉しかありません。
 一応、予定ではこのあと千歳に戻りキウス周堤墓群を見学するつもりでしたが、思いの外時間が過ぎてしまったので、このまま現地解散ということで、乾さん・菅原さん・木村さんに別れを告げ、私は杉岡さん・安藤さんを送り届けてから帰宅しました。久しぶりの大人数での城巡りならぬチャシ巡りでしたが、とても楽しかったです。(2010/9/5)


 今年の夏数年ぶりに厚真へ行きました。といいますのも、今年は教員免許の更新年次ということで更新時講習なるものを受けなくてはいけないのですが、選択講習は自分の希望のものを取れるということで苫小牧駒澤大学で行っている「考古学がひらく新たなアイヌ史」を選んだのです。それというのも、この講座は講義もありますが、厚真の遺跡踏査や遺物見学等を行うということで、しかも以前厚真を訪問した時にお世話になった学芸員の乾さんと奈良さんが講師となっているということで、これしかないと思い申し込んだのでした。
 はじめは苫小牧駒澤大の蓑島先生の講義を受け、午前中は発掘整理事務所の遺物を乾さんに解説していただき、午後は桜丘チャシを奈良さんの解説で見学しました。そして、厚幌ダムの建設により来年には水の下へと消える厚真川上流域へ移動し、オニキシベ橋から全体説明を受けました。その際に以前訪れたヲチャラセナイチャシを遠望したのですが、発掘調査も全て終わり、ダム建設のためにすっかり削り取られてしまい、跡形もなくなっており寂しく感じました。
 その後はショロマ1遺跡の見学、そして体験発掘をさせていただきました。私はいくつかの小石を掘り当てましたが、他の参加者の方で土器を掘り当てていた方もいました。一日楽しい経験をさせていただきました。(2015/8/4)