胆振管内(33)~むかわ(1)
オルイカチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】オルイカチャシ
【訪 城 日】1999年11月13日、2008年9月6日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町花岡285-8(旧勇払郡鵡川町)
【形  態】丘頂式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
 このチャシは鵡川から平取に抜ける途中の花岡地区にあり、『北海道のチャシ』には「鵡川左岸、段丘北縁の西へ延びる小舌状部」と書いてあったので、地図で確認したところ、花岡二区というところに小川に面して西へ延びる小台地があったのでこれのことだろうと思い行ってみました。すると、いかにもチャシらしい立地にその台地はあったのですが、これまた、すぐ前に民家がありその裏山でしたので登らずに、写真だけ撮って次へと向かいました。(1999/11/13)
※ 当談話室にてご指摘がありましたので調べたところ、私がオルイカチャシだろうと思っていたところは間違いで、ここより南西に1kmほどずれた位置の舌状台地上のようです。そのうちに再訪しなくては...


  桜丘チャシをあとにして、今度はむかわ町(旧鵡川町)のオルイカチャシへと向かいました。ここには以前来たことがありますが、その時は場所を間違えて違う所を見ていたので再チャレンジです。
 地図を見ると、むかわ町の花岡地区の大きな石碑の近くにあるようなので、車を止め周辺を探してみると、農道の奥の方にそれらしい丘が見つかりました。丁度その先端部分だけ木が切ってあり、きれいになっているので発掘調査でもしたんでしょうか? でも電線のようなロープが張ってあり先に進むことができないので、他の道がないかどうか戻って探してみると近づけそうな道があったのでそちらに進んでみました。ですが、そちらも同じようにロープが張ってあって進めません。ちょっと遠くてよく見えませんでしたが、オルイカチャシと書いてありそうな標柱も見えましたのでここでまちがいなさそうですが、無断進入するわけにもいきませんので、全景を写真に撮ってそれ以上進むのは断念しました。
 この日は早朝の源武チャシ、チャシ見学会のヲチャラセナイチャシ、そして厚真町の桜丘チャシ、むかわ町のオルイカチャシと4つもチャシを見ることができました。その中でも厚真町のヲチャラセナイチャシと桜丘チャシは見ごたえがあるものでした。(2008/9/6)

オビラルカのチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】オビラルカのチャシコツ(高校傍のチャシコツ)
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日・2011年11月6日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別127-1ほか(旧勇払郡穂別町)
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 久しぶりに今年3回目のチャシ巡りに行ってきました。今回は日高に近い胆振管内穂別町のチャシを探索してきました。
 道央道・道東道を通って夕張まで行き、あとは国道274号線・道道穂別鵡川線を通り穂別町中心部まで行きました。まず昼食を取ったあと、チャシに関する情報が何かないかなと思い穂別町博物館に行きましたが、館内の展示はクビナガリュウをはじめとして有史以前のものばかりで早々に撤退しました(^^;) (館内に併設の町立図書館は昼休みで閉まってたし(T_T))

 仕方ないので、以前自分で調べた情報をもとにチャシ巡りを始めました。まずはオビラルカのチャシですが、これは別名でわかるように穂別高校のすぐ傍にあるとのことなので、まずは穂別高校へと向かいました。
 近づいてみると、穂別高校は丁度周囲より高台の台地上にあり、その先端部分がいかにもチャシらしかったので、校門の横に車を停めるとそちらの方に行ってみました。するとテニスコート(?)のすぐ裏の所に「オビラルカのチャシコツ」の看板を発見しました。
 チャシ跡の北側にはパンケオピラルカの沢と呼ばれる沢があり穂別川の支流である小さな川が流れていますので、チャシの名称はそれから取ったと思われます。
 このチャシのある高台は、西側から東側を流れる穂別川(鵡川の支流)に向かって伸びており、その先端にチャシがあります。弧状の1条の壕があるとのことですが、草がかなり伸びていてわかりにくかったのですが、カーブしながら若干窪んでいるところがありましたので、そこが壕跡なのでしょう。といっても深さは数十cm程度(『日本城郭大系』では約50cm)で、草を刈らないとその原型はわからないでしょう。樽前山の火山灰によって埋まっている可能性もあるので本来はもう少し深かったのでしょう。
 壕のあるところから先の方は雑木林となっていますが、その中央部にはその土地の所有者のものと思われる墓がありました。
 このチャシの北側には鯨山と呼ばれる双瘤の丘があり、昔この付近が海だったとき鯱に追われた鯨が逃げ場を失って陸に上がってしまい、そのまま鯨と鯱が双瘤の丘になってしまったという伝承があるそうです。また、鯨山は古戦場であるという伝承もあるようです。
 穂別川をはさんでこのチャシの対岸には隆農(たかのう)チャシがありますが、農道の改修工事のために削られてしまったそうです。(2000/7/9)


 ここは穂別高校裏にありますが、去年は草藪でよくわからなかった壕が、今回ははっきりとわかりました。とはいっても深さは50cmほどでしかなく壕というより溝みたいなものです。その壕の外側が若干盛り上がって土塁のようになっていますが、それもさほど高いものではありません。その壕に区切られた台地の先端部分の曲輪はさほど広いものではありませんけど、小さな砦程度にはなりそうな広さがありました。(2001/4/21)


 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かいました。最初に訪れたのはオビラルカのチャシです。ここは穂別高校のグラウンドの端の方に残っているので、高校の駐車場に車を止めさせてもらい、チャシの場所に向かいます。
 しかし10年前に訪れた時とは様子が変わっていて、以前はグランドの端の方に雑木林があり、そこがチャシだったんですが、グランドの手前にはテニスコート?のフェンスができ、雑木林もなくなって胸くらいまで伸びた草藪に覆われていました。これじゃあ何も確認できないなあと思いつつ、草藪に突入すると10年前と同じチャシの看板が… ただし、看板の枠が朽ちて看板の鉄板は地面に落ちてましたが(^^;) 仕方ないので、看板を拾って元あった場所において写真撮影です(^^;)
 さい先の良くないスタートですが、次の中島のチャシに向かいました。(2011/11/06)

中島のチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】中島のチャシ
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日・2011年11月6日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別平丘91・110-1(旧勇払郡穂別町)
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 オビラルカのチャシに続いて、中島のチャシに向かいました。このチャシは穂別市街地から東に伸びる鵡川の北岸に位置し、市街地からは東に4kmほど離れています。
 道道穂別鵡川線を南に下り、途中から左折して中島橋で穂別川を渡り、細い車道を東へとひたすら走りました。しばらく走ると北から南へと丘陵が伸び、道路が切り通しのように丘陵の先端部を切断しているところがあったので、この辺りではないかと思い周囲を探してみました。すると切り離された先端部ではなく、その反対側の方に壕のように若干窪んでいるような所が見えたので、その部分から上の方に登ってみました。
 丘陵上は太股の辺りまで草が伸びていましたが、10mほど先の中央部に「中島のチャシ」という看板を発見しました。
 『日本城郭大系』では国鉄富内線によって先端が切断されているという記述がありますので、現在道路(農道)となっているところがかつての線路だったのでしょう。『城郭大系』にもあるように壕は埋め立てられているのかほとんどわかりませんでしたが、端の方が若干U字形に窪んでいたので、ここが壕なんだろなあと思いました。丘陵自体も20~30mほどの幅しかなく、それほど大きなものではなかったようです。(2000/7/9)


 ここは前回とさほど違いはありませんでした。相変わらず笹藪が繁っていたので、わかりにくいですが若干窪んだところがあるので、そこが壕跡のようです。とはいってもさほど深いものではなく50cm程度でしょう。砦というよりは見張り場などに使われたのかもしれません。(2001/4/21)


 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、オビラルカのチャシに向かいました。そのあと、次の中島のチャシに向かいました。久しぶりなのでちょっと迷いましたが、無事チャシの場所に到着。ここもやはり看板の枠が朽ちて地面に落ちていたので、看板を拾って写真撮影(^^;) 看板のある辺りの手前に若干窪んだところが横に伸びていたので、これが壕跡なのでしょう。その先が曲輪部分になりますが、今は道路(かつては鉄道が通っていたらしい)で2つに分断されています。しかし、そこがつながっていたと考えると、チャシとしてはかなり広くそこそこ大きな規模のものといえると思います。
 そのあと穂別中心部に向かい、喫茶店で昼食休憩を取ってから、オソウシのチャシに向かいました。(2011/11/6)

平丘チャシむかわ町)

【城 跡 名】平丘チャシ
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別平丘14-1ほか(旧勇払郡穂別町)
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:直状2条
【訪 城 記】
 続いて、中島チャシの対岸にある平丘チャシへと向かいました。一旦、穂別市街地へと戻り道道を再び南に向かいます。穂別橋で鵡川を渡ると道路が左右に分かれているTの字形の交差点があるので、そこを左折し、鵡川の南岸の道道夕張平取線を4~5kmほど東へと走ります。すると南側から丘陵が迫ってきて急に狭まるところがあります。その台地上に平丘チャシがあります。
 このチャシ上は標高100mほどあるそうで、周囲を探索しましたがちょっと登れるところを見つけられなかったので外観だけ写真を撮ってきました。『日本城郭大系』によると舌状台地上に二条の空壕があり、内側の壕は幅2m、深さ0.5~1m、外側の壕は幅2~3m、深さ1~1.5mほどで、外側の方は東側に一部埋められたような形跡があるそうです。(2000/7/9)


 前回確認できなかった平丘チャシですが、今回もそれらしきところをぐるぐる回ってみたりしましたが、よくわかりませんでした。なんだかどこかの農家の敷地内のようでしたのでうろうろすることもできませんし...(2001/4/21)

ニサナイチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】ニサナイチャシ
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別461(旧勇払郡穂別町)
【形  態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状1条
【訪 城 記】
 道道夕張平取線を西に戻り、さきほどのTの字形の交差点の少し手前までくると、道道と平行して東西に河岸段丘が伸びています。ニサナイチャシと東雲チャシはこの段丘上にあります。登り口を探してみましたが、鵡川に面している北側はかなり急な崖になっており、足場も悪かったので登るのは諦めて外観だけを写真に収めてきました。
 『日本城郭大系』によるとニサナイチャシは東雲チャシの西300mほどのところに位置し、幅約3m、深さ0.8mのC字状の壕が1条あるそうです。(2000/7/9)


 前回確認できなかった二つのチャシですが、今回も鵡川沿いの道路側から眺めてみましたがよくわからないので、裏側の道の方から回ってみたりしましたが、よくわかりませんでした。それらしいところはたくさんあったんですけどねえ...(2001/4/21)

東雲チャシ(むかわ町)

【城 跡 名】東雲(しののめ)チャシ
【形  態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状2条
【訪 城 記】
 道道夕張平取線を西に戻り、さきほどのTの字形の交差点の少し手前までくると、道道と平行して東西に河岸段丘が伸びています。ニサナイチャシと東雲チャシはこの段丘上にあります。登り口を探してみましたが、鵡川に面している北側はかなり急な崖になっており、足場も悪かったので登るのは諦めて外観だけを写真に収めてきました。
 『日本城郭大系』によると東雲チャシはC字状の壕が2条あり、ともに幅約1m、その間隔は約2mで、深さは浅くわずかに窪む程度だそうです。(2000/7/9)


 前回確認できなかった二つのチャシですが、今回も鵡川沿いの道路側から眺めてみましたがよくわからないので、裏側の道の方から回ってみたりしましたが、よくわかりませんでした。それらしいところはたくさんあったんですけどねえ...(2001/4/21)

チチャップチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】チチャップチャシ(新興のチャシ)
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日・2011年10月9日・2022年4月30日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別豊田515-1ほか(旧勇払郡穂別町)
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 再び穂別橋まで戻り、橋を渡ったところで左折して鵡川の北岸を今度は南に進みました。2kmほど走ると南下していた鵡川が西側に蛇行するところがあります。チチャップチャシはここの右岸の丘陵上にあります。『日本城郭大系』によると、河川敷からは350mほど奥まった所にあり、両側に急傾斜の沢があるそうです。それらしい沢もありましたが、結局突入するのは断念しました(^^;)
 丘陵の上部は幅10mほどで、先端から25mほどの所に横行する1条の壕があるそうで、幅は4~5m、深さは約1.5mほどあるそうです。
 突入してみれば良かったですかねえ...(^^;) (2000/7/9)


 前回怪しいと思いつつ突入しなかった沢を登ってみたり、周囲をぐるぐる見て回りましたが、それらしいものがなかったのであきらめてもどろうとする途中、小さな沢があり両側にチャシにふさわしい台地があったので、右側の方を登ってみましたが、何もなし...(T_T) 左側の方も登ってみようかと思いましたが、上記のチャシにはあった看板らしいものが見えなかったのでやめました。
 登ってみればよかったかも...(2001/4/21)


 この日も、道の駅とチャシの旅に行ってきました。むかわの道の駅に寄ったあと穂別方面に行く予定でしたが、時間に余裕がありそうなので、日高町門別地区のチャシを探してみることにしました。(結果的には、ほとんど場所確認で終わりましたが(^^;)) そのあと穂別方面に向かいました。11月にお城仲間とこちら方面に来るので、その下見を兼ねてのチャシ巡りです。ノットカのチャシの次はトロスのチャシ、オソウシのチャシでしたが、場所確認しただけで、チチャップチャシに向かいました。
 10年前は探し回り迷ったけれど場所がわからずじまいでしたが、、今回は「北の遺跡案内」で場所を確認していましたので、それらしい台地をすぐに発見しました。やはり以前探したのとは、全然違う場所でした(^^;)
 チチャップ川からもう少し南に下った所で、看板は確認できませんでしたが、いかにもチャシがありそうな地形でした。ただちょっと簡単には登れそうになかったし、もう日が傾いてきていたので、場所の確認だけで次に進みました。(2011/10/9)


 GW二日目、道の駅とチャシの旅に行ってきました。道東道を穂別ICで下り、むかわ方穂別へ、久しぶりの穂別です。まずは場所確認で終わったチチャップチャシへ。以前これかな?と思った山に右側の道路側から登ってみました。いかにもチャシらしい地形でしたが、先端から捜してみたもののあるはずの壕跡を見つけられず、おかしいなあともう一度地図を確認した所…… 隣の山に登っていました。写真2の山ではなく、その左隣の山でした(^^;) もうこの時点でかなり汗だくです。隣の山に行ってみるも、初めに登った山に比べるとさらに急です。その後のことを考え、残念ながら撤退しました。次こそは!(2022/4/30)

オソウシのチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】オソウシのチャシ(カイクマのチャシ)
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日・2011年11月6日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別、河川敷(旧勇払郡穂別町)
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 再び穂別橋まで戻って橋を渡ると、今度は右折して道道穂別鵡川線を南下しました。1.5kmほど進むと右側に「オソウシのチャシ これより100m先」という標識(?)がありましたので近くに車を停めました。そこは丁度農家の畑の端の方でその標識のすぐ前には農家の納屋があって農家の方が何か作業をしていました。そのすぐ右側には雑木林が広がり、その先の方にチャシがあるようだったのでそちらへ進みましたが、太股の辺りまで草が伸びていたのでちょっと躊躇してしまいました(^^;)

 ちょっと悩んだあと、結局突入を敢行! しばらく草をかき分けながら進むとオビラルカのチャシ、中島のチャシと同じ形式の看板を発見し、その近くに左右に伸びる1条の空壕を発見しました。草が伸びていてわかりにくかったですが、深さは1~1.5mほど、長さが20mほどはありました。これで草がなければなかなかの収穫でしたが、撮った写真もわかりにくいものになってしまいました(^^;)

 少し悲しかったのが、昭和54年に立てられたと思われる「オソウシのチャシ」という案内板が倒れて地面にうち捨てられていたこと。それとたぶん同じ頃に立てられたと思われる「チャシについて」という看板(チャシの平面図付き)も同じように地面に置かれていました(T_T)

 このチャシの西側には鵡川の河原が広がり、東側には川尻が小さな滝になった小沢があるそうです。オソウシ(アイヌ語で「川尻に滝がある」の意)の地名はそこから取ったもののようです。
 草が伸びていてちょっとわかりにくかったですが、なかなか保存状態の良いチャシでした。(2000/7/9)


 前回唯一収穫らしきものがあったオソウシのチャシですが、前回ほどではないものの相変わらず笹藪が繁っていて壕の状態が確認しづらかったです。でも深さ1m~1.5mほどの壕は緩やかにカーブして数十mほど伸びていました。穂別町のチャシの中ではかなり規模が大きいものですし、いかにもチャシらしいチャシでした。笹藪が刈られていたらなかなか見栄えがすると思うんですけどねえ。(2001/4/21)


 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、オビラルカのチャシ・中島のチャシを回り、そのあと穂別中心部に向かい、喫茶店で昼食休憩を取ってから、第3のチャシに向かいました。
 次は、オソウシのチャシです。ここは、以前訪れた時と同様、比較的大きな壕を確認できました。ここの壕は深さ1~2mで弧状にカーブしています。看板もここだけはしっかり健在でした(^^;) 壕の先の曲輪部分も広く、規模は大きいです。北側にある横の沢も深く、自然の壕のようでした。ちょっとよく分からなかったのが、弧状壕の手前に北側の沢の方に落ちていく壕のようなものが見えることでした。ただ途中で途切れていて竪堀のようになっているので、壕なのか違うのかよくわかりませんでした。なかなか規模の大きいいいチャシでした。
 次はノットカのチャシに向かいました。(2011/11/06)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。むかわ町穂別のノットカのチャシのあとはオソウシのチャシへと移動しました。ここは道教委の「北の遺跡案内」では位置が間違っているので、訪れる時は要注意です。実際には「北の遺跡案内」で表示されているより500mくらい?南にあります。ここはチャシの看板が健在ですので、近づけばわかると思います。NACKさんも2年前に見つけた、北側の沢に落ちていく竪堀のようなものを気にされていましたが、どうなんでしょう?チャシの前方に進むと前方に降りていく道のようなものをNACKさんが見つけました。前方には鵡川が流れていますので、そちらの方に降りていく通路だったのかもしれませんね。
 この後はむかわ町穂別を後にして、平取町へと向かいました。(2013/9/14)

トロスのチャシ(むかわ町)

【城 跡 名】トロスのチャシ
【訪 城 日】2000年7月9日・2001年4月21日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町穂別和泉、河川敷(旧勇払郡穂別町)
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 このトロスのチャシはオソウシのチャシの下流、約500mの所にあるということなので、また道路沿いに看板がないかなと思って探してみましたがそういうものは見つかりませんでした。それで、この辺りだろうと見当を付けた雑木林に突入してみました。ですが、残念ながらチャシの看板を発見することができませんでした(T_T)
 『日本城郭大系』によると、このチャシの壕は埋没のせいか浅くなっているそうです。(2000/7/9)


 ここも前回確認できなかったところで、やはり前回探した付近が立地的にも一番ふさわしいのですが、笹藪が伸びていたので途中で探すのをやめてしまいました。前回も結構奥まで探したんですけど、見つからなかったので今回も徒労に終わりそうな気がしてあきらめてしまいました(^^;) (2001/4/21)