【城 跡 名】エンルムチャシ(絵鞆チャシ)
【所 在 地】北海道室蘭市絵鞆町2丁目11-1
【訪 城 日】1999年5月30日・2005年8月15日・2006年8月9日
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
このエンルムチャシは室蘭半島の先端にある絵鞆岬にありますこのあたりはかつては「エンルム」と呼ばれ、古くからアイヌのコタン(集落)があったところです。『日本城郭大系』他によるとエンルムチャシの他にエンルムポンチャシ・ハシナウスチャシの二つのチャシが絵鞆岬の台地上にあるということです。(エンルムポンチャシとハシナウスチャシはまだ未確認)
室蘭の水族館から丘陵をこすと絵鞆岬がありましたので、そのあたりでさがしてみましたが、絵鞆岬の案内板にチャシがあったということは書いてありましたが、場所についてはよく分かりませんでした。絵鞆岬は室蘭八景の一つで、ここから眺める太平洋・内浦湾の眺めはさすがになかなかのものでした。また、絵鞆岬には先住民慰霊碑もありました。(1999/5/30)


ハシナウスチャシ横の水族館の駐車場で昼ご飯を食べた後は、せっかくなので水族館に入場。道路を挟んで向かいにある道の駅・みたら室蘭にも行き、そのあと絵鞆岬に行きまして、岬からの眺望を堪能しました。
実は事前にきちんと位置を確かめていなかったので、あとから気づいたのですが、チャシがあったのは今絵鞆岬の展望台があるところではなくて、それより北側のマリーナとなっているところの一番西側の裏山の辺りのようです。一応、そのあたりかなあと思い写真は撮ってきたんですが、もう一度確かめてこなくちゃいけませんね。(2005/8/15)

(中央の島に伸びている堤防の付け根の辺り?)
南部藩陣屋のあと、また水族館の駐車場で昼食を摂って、道の駅の辺りをウロウロした後、絵鞆岬の方へ行きました。目指す場所は「港湾関係者以外立ち入り禁止」との看板があったので裏側からまわり、エンルムチャシがあったと思われるのが下の写真の場所で、上の写真でいうと中央の島に伸びている堤防の付け根の辺りになるでしょうか?(2006/8/9)

【城 跡 名】エンルムポンチャシ
【所 在 地】北海道室蘭市絵鞆町2丁目10-1,2
【訪 城 日】2005年8月15日・2006年8月9日
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:L字状1条
【訪 城 記】
このエンルムポンチャシは室蘭半島の先端にある絵鞆岬にありますこのあたりはかつては「エンルム」と呼ばれ、古くからアイヌのコタン(集落)があったところです。『日本城郭大系』他によるとエンルムポンチャシの他にエンルムチャシ・ハシナウスチャシの二つのチャシが絵鞆岬の台地上にあるということです。
ハシナウスチャシ横の水族館の駐車場で昼ご飯を食べた後は、せっかくなので水族館に入場。道路を挟んで向かいにある道の駅・みたら室蘭にも行き、そのあと絵鞆岬に行きまして、岬からの眺望を堪能しました。
実は事前にきちんと位置を確かめていなかったので、あとから気づいたのですが、チャシがあったのは今絵鞆岬の展望台があるところではなくて、それより北側のマリーナとなっているところの一番西側の裏山の辺りのようです。一応、そのあたりかなあと思い写真は撮ってきたんですが、もう一度確かめてこなくちゃいけませんね。(2005/8/15)
南部藩陣屋のあと、また水族館の駐車場で昼食を摂って、道の駅の辺りをウロウロした後、絵鞆岬の方へ行きました。目指す場所は「港湾関係者以外立ち入り禁止」との看板があったので裏側からまわり、エンルムチャシがあったと思われるの場所を探してみました。
エンルムポンチャシがエンルムチャシの南東200mほどのところで、写真1の右端の家のある辺りになるでしょうか? 今ではすっかり住宅街になってしまっています。北海道チャシ学会作成のチャシ跡遺跡一覧では室蘭にはまだ3つ(ウクシパウシチャシ、ウェンチャシ、本輪西チャシ)あるようですが、これについては今度の課題ですね。
このあとは、久しぶりに地球岬に行ってみました。(2006/8/9)

(右端の家の辺りか?)
【城 跡 名】ハシナウスチャシ
【所 在 地】北海道室蘭市絵鞆町1丁目15-1ほか
【訪 城 日】2005年8月15日
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
【訪 城 記】
崎守町のポロシレト勤番所のあと白鳥大橋を渡り、対岸にある水族館の駐車場に車を入れ、持ってきたおにぎりをほおばりながら昼食です。
実はこの駐車場のすぐ横にある海のある北側に向かって突き出た台地の先端部がハシナウスチャシのあったところのようです。『日本城郭大系』に載っている大正時代の地図と現在の地図を見比べてここだろうと推定しました。今はすっかり宅地と化してまして、その先端部の斜面も芝が張られてしまっていますが、いかにもチャシがあったろうと思わせる地形でした。

【城 跡 名】来馬(ライバ)チャシ
【所 在 地】北海道登別市幌別町来馬
【訪 城 日】2005年8月15日
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
エンルムチャシの後は登別に向かいました。といいましても、温泉がある方ではなくて、幌別ダムの近くの郷土資料館の方です。ここには数年前に嫁さんと来て以来2回目ですが、この日は休館日でした。
とはいっても、この日の目的地は実は郷土資料館ではなくてそのすぐ近くにある幌別ダムの東側にある台地でして、そこが来馬チャシの場所です。チャシ自体はダムの建設の際に破壊されてしまったようですが、水辺に面した台地の先端部分といういかにもチャシにふさわしい立地でした。

(ダムの右側の台地がチャシです)

【城 跡 名】白老チャシ
【所 在 地】北海道白老郡白老町字白老769の56
【訪 城 日】1999年11月21日・2012年4月29日
【形 態】丘頂式
【主な遺構】?
【訪 城 記】
このチャシは、白老陣屋のすぐ裏手にある塩釜神社のある丘陵にあります。南側から伸びてきている舌状台地の先端で、標高が35mほどあり、チャシの立地には適していますが、壕などの遺構は存在しません。以前登ったときにも神社の裏手を見てみましたが、何も見つけられなかったので、今回も遠景の写真を撮っただけでした。(1999/11/21)


この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。仙台藩白老元陣屋の敷地内にこのチャシはありますが、上には何度も登っているのでこの日は登らず、横目で眺めただけで通り過ぎました。(2012/4/29)


【城 跡 名】白老山城のチャシ
【所 在 地】北海道白老郡白老町字白老769の14ほか
【訪 城 日】1999年11月21日
【形 態】丘頂式
【主な遺構】空壕:直状1or2条?
【訪 城 記】
このチャシは白老チャシの北側の頂上にあり、『北海道のチャシ』には直状1条の壕があるとなていますが、「北海道チャシ学会」の「北海道におけるチャシ跡遺跡一覧表」には直状2条となっています。
車で少し北側に進み探してみましたが、結局どこのことを指すのかわかりませんでした。チャシらしい立地はたくさんあったので、そのうちのどこかだとは思うのですが...
【城 跡 名】カムイエカシチャシ
【訪 城 日】1999年6月19日・1999年11月21日・2000年9月3日・2001年11月10日・2001年11月25日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道白老郡白老町字虎杖浜
【形 態】丘先式
【主な遺構】土塁・空壕:U字状1条
【訪 城 記】
白老のカムイエカシチャシを訪城してきました。まず、道央道で南へと下り、白老インターで降り以前訪城した仙台藩元陣屋跡を訪城。そして、同市内ポロト湖畔にあるポロトコタンでアイヌ民族博物館や復元されたチセ(家屋)・ヌサ(祭壇)・プー(倉庫)などを見て。ムックリ(アイヌの楽器)の演奏や、アイヌ民族古式舞踊(国無形文化財)の実演などを見てきました。
そしていよいよカムイエカシチャシへと向かいました。このチャシは白老町の一番南、登別市との境界に近い太平洋に面した台地上にあります。仙台藩元陣屋跡やポロトコタンのある白老の本町方面から南へ向かい、虎杖浜の温泉街を抜け、虎杖浜トンネルを抜けるとすぐに左へと曲がる道があります。そこを曲がってすぐ右へと伸びる砂利道をしばらく進むと左側に灯台が建つ砂浜へと出ます。この灯台が建つ台地上にカムイエカシチャシがあります。(カムイはアイヌ語で「神」、エカシは「老翁・長老」の意)
『日本城郭大系』によると、この灯台が建つ前に一部発掘調査が行われているそうです。また、半円形の一条の壕があり、その長さは100m、幅は広いところで5m、狭いところで3m、深さは2m前後、掘り上げた土は壕の外側に土塁状に積まれていたそうです。また壕に堆積していた火山灰の年代から寛文3(1663)年の有珠山の噴火以前、そう遠くない時代に作られたようです。
砂浜の手前に車を止め、灯台への階段を上ると、町教委が建てた「カムイエカシチャシ」と書いた標柱を発見しました。これで間違いないと思い、登りましたが、確かに灯台のある台地の天辺は一段高くなっていましたが、周りは笹藪で壕の存在は確認できませんでした。少し藪に入ってみましたが、2,3mすすんだ所でこれは無駄だと悟り撤退しました(^^;)
確かに海に面した要害の地にこのチャシは建てられており、漁や航海の安全を見守るための見張り台として使用されたのかもしれません。(1999/6/19)


1回目は笹藪が深くて遺構を確認できなかったので、そろそろ藪も薄くなったかなと思い11月にもう一度訪れてみました。このチャシの場所には現在灯台が建っていますが、灯台で何か工事でもしているのか、前回灯台のまわりに伸び放題になっていた笹藪ははきれいに刈り取られていました。その外側の壕とおぼしき辺りは残念ながら笹が残っていましたが、少し枯れて壕の形が少し分かるようになっていました。ちょうど海にむかってU字型というかコの字形というか、囲むような形に壕がなっていました。深さは2mほどあるでしょうか。『日本城郭大系』には掘り上げた土を外側に土塁状に積まれているとありますが、壕の外側の方はよく分かりませんでした。背後の方は若干盛り上がっているような感じがしました。(1999/11/21)

(ポンアヨロ川の方から見た)

FSIROの冷や奴さん、お城巡りMLのまささん・火影さんとの訪城です。あいかわらず堀の形は良くわかりませんでした(^^;)(2000/9/3)
FSIROの山城守さんとの訪城です。昨年の10月、シラオイ陣屋の次に訪れた時には急な土砂降りのため退散したため、今回はそのリベンジからスタートです。ま、相変わらず堀の形はよくわかりませんが、とても良い天気で山城守さんは飛んでいる鳥を写真に収めようとしてましたっけ(^^;) (2001/11/3)
今回はFSIROの地黄八幡さん・山城守さんとの訪城です。このチャシは海に面していて、いっつも気分がいいですねえ。(2001/11/25)
この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。 ここも久しぶりの訪城です。今は灯台になってますが、灯台を建設する工事の際に発掘調査も行われています。先日、道立図書館で「北海道のチャシ」という40年ほど前の記録映画のようなものを見てきましたが、それにもこのチャシの発掘の様子がありました。
GWの時期は草が枯れていて、壕跡がわかりやすくなってます。でも壕というより段のような感じですが…(2012/04/29)

(壕というより段のようですが…)


(こちらの方が窪んでいるように見えて、
壕らしいかも…)
【城 跡 名】カムイミンタルチャシ
【訪 城 日】1999年6月19日・2012年4月29日
【所 在 地】北海道白老郡白老町字虎杖浜500-1
【形 態】面崖式
【主な遺構】空堀:半円状1条?
【訪 城 記】
カムイエカシチャシは太平洋に注ぎ込んでいるポンアヨロ川河口の左岸に位置しますが、その対岸河口右岸の段丘上がカムイミンタルチャシです。『日本城郭大系』では航空写真による半円形の壕跡が見えるとありますが、『北海道のチャシ』にも「面崖、弧状壕との言い伝えあるも不詳」と書いてあり、まだ遺構は確認されていないようです。(カムイエカシチャシの上から撮った写真を見ると、確かに頂上部分に少し半円形に見える部分がありましたが...)
カムイエカシチャシの側からは川を渡らなくてはならず、しかも渡っても数十m上の段丘上まで笹藪をこいでいくのは不可能ですので、対岸から写真を撮るだけにしました。(1999/06/19)


この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。ここはカムイエカシチャシのすぐ向かいにありますが、笹藪がひどくてのぼれないので、いつもカムイエカシチャシから眺めています。カムイエカシチャシの発掘調査の時の資料に載っている地図を見ると、このチャシは写真を撮った側じゃなくて、山のてっぺんを超えた向こう側(海に面した方)にあるようですが…(2012/04/29)
【城 跡 名】アヨロチャシ
【訪 城 日】2012年4月29日
【所 在 地】北海道白老郡白老町字虎杖浜
【形 態】丘頂式
【主な遺構】空堀:弧状1条
【訪 城 記】
この日はmixiのお城巡りコミュの「全国一斉お城の日」だったので、久しぶりに道の駅とチャシ巡りの旅に行ってきました。出かける前の資料収集段階で、『アイヌ民族博物館だより No.9』に「白老町のチャシと新発見の事例」(佐藤政憲)という論文を見つけ、それにこのチャシのことが載っていたのを見つけ、地図で場所も確認していました。その論文によると弧状の壕が1条ある丘頂式のチャシであるとのことでしたが、行ってみると民家(?)か何かの会社の建物があり、その裏山がチャシの場所のようでした。入り口には立入禁止の札があったので、近づくのは断念し、遠景を撮影しただけで次へ移動しました。(2012/04/29)

【城 跡 名】カムイチャシコツ
【訪 城 日】1999年9月12日・2012年6月30日
【所 在 地】北海道虻田郡豊浦町礼文華
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状1条
【訪 城 記】
長万部町から高速道を使って豊浦ICまで戻り、そこから国道37号線を長万部方面へと進みました。山を下って平坦になったところで、「カムイチャシ史跡公園」という標示板を見つけたので、そこから左折、海沿いの道をしばらく進むとカムイチャシトンネルの手前左側にカムイチャシ史跡公園の看板がありました。そこから上へと伸びる急な階段を登り、登り切った所にある展望台からはカムイチャシの全体が見渡せます。
カムイチャシは内浦湾に突き出た茶津崎にあり、先ほどの展望台から岬の方へと進むと、途中のくびれた部分に一条の壕が認められます。いわゆる丘先式のチャシに分類されるものです。丁度くびれた部分なので壕の長さは15mほどしかありません。深さは2~3mといったところでしょうか?
この岬の南側・東側・西側は断崖絶壁になっており、まさに要害の地です。チャシにもいろいろと性格がありますが、これはまさに砦としてのチャシでしょう。(丁度海に面しているので見張り台としての性格もあると思いますが) 壕の壁面および排土上に10cmぐらいの礫が葺き石のようにあるそうですが、私は確認し忘れました(^^;)
このチャシは現在史跡公園となっており、きちんと整備されています。上まで登る階段はかなりきついですが、遊歩道もきちんとついていますし、駐車場もすぐ近くにありますので、訪れやすくなっています。(1999/9/12)

カムイチャシトンネル




この日は伊達市で「洛中洛外図屏風亘理伊達本」が期間限定で公開されるというので伊達まで見に行きました。そのあと虻田と豊浦の道の駅に行ったので、足を伸ばしてカムイチャシまで行きました。
ここを訪れるのは10数年ぶりです。昨年、カムイチャシが国指定名勝ピリカノカに認定されたということで、看板なども新しくなったようです。ただ、ここの階段が結構急だし長いし恐かったです。はあはあいって登り終えると、上にはカメラを持った人が二人も。後から一人増えて三人になりましたが、どうも「撮り鉄」の方のようでした。階段を登ったちょうど上から見ると、室蘭本線が真っ正面から見えるので、そちらから来る列車を狙って待機していたんでしょう。
私はそれには目もくれずチャシの方に行ったので、「あいつはなんだ?」と思われたかもしれません(^^;) このチャシも壕は結構はっきりしているんですが、草がかなり伸びていて写真ではよくわからないかも…(2012/6/30)



函館本線と海が一望できます。



