室蘭市(9)
ムロラン地名発祥の地

【史 跡 名】ムロラン地名発祥の地
【訪 問 日】2005年8月15日
【所 在 地】北海道室蘭市崎守町
【訪 問 記】
 崎守町の南部藩モロラン陣屋のポロシレト台場勤番所を見たあと、車で坂道を下りながら戻ってくると、登り口の所に何か碑があるので、車を停めてみてみると「ムロラン地名発祥の地」と書かれた碑(というか標柱)でした。
 『北海道の地名』によると、室蘭の語源はアイヌ語の「モ・ルラン」、正確にいえば「モ・ルエラニ」(小さい・坂の意)とのことなので、この坂がその「小さい坂」なのでしょう。

地球岬

【名 勝 名】地球岬
【訪 問 日】2006年8月9日、2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市母恋南町4
【訪 問 記】
 エンルムチャシの場所を確認した後、今度は地球岬へと行きました。以前室蘭に住んでいたこともあり、ここには何度か来たことがありますが、やはり海がとてもきれいです。
 この「地球岬」という地名はアイヌ語から来ており、「ポロ・チケップ」(親である断崖)がチケウエ→チキウと転訛し、地球岬という当て字が使われたそうです。「北海道の自然100選」などにも選ばれており、観光名所になっています。
 とても暑かったので、ここで食べたかき氷のおいしかったこと(^^) (2006/8/9)


 金屏風の次は地球岬へ。地球岬は確か数年前にも来たことがありますが、その時は写真の名勝ピリカノカの碑はなかったような気がします。地名由来板には上記のようにポロチケウェ(親である・断崖)から来ており、岬の東側に続く断崖はポンチケウェ(子である・断崖)と呼ばれ対になっている、と書かれています。
 この岬からは広がる太平洋が見渡せ、当て字とはいえ地球岬という名にふさわしい絶景が広がります。(2016/8/12)

トッカリショ浜

【名 勝 名】トッカリショ浜
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市母恋南町
【訪 問 記】
 幌別ダムのあと、せっかく登別まで来たので、室蘭まで足を伸ばすことにしました。それで?十年前室蘭に住んでいた頃に職場の先輩が案内してくれた室蘭の名所を回ってみることにしました。というわけでまずはトッカリショ浜へ。ここは室蘭八景の一つで、国の名勝ピリカノカ絵鞆半島外海岸の一つとしても指定されています。
 トッカリショは元々アイヌ語でトゥカリショと呼ばれ、松浦武四郎の文献にも出てくる地名です。これは「アザラシ岩」という意味だそうで、緑広がる草原の下に奇岩が連なる絶壁が見え、なかなかの絶景です。

金屏風

【名 勝 名】金屏風
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市母恋南町
【訪 問 記】
 トッカリショ浜の次は、金屏風へ。ここも室蘭八景の一つで、約100メートルの崖面が連なり、赤褐色を帯びた崖面が朝日を浴びると金の屏風のように見えることからこの名で呼ばれるようになったそうです。確かに金色を帯びたようにも見えます。ここもなかなかの絶景でした。

測量山

【名 勝 名】測量山
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市清水町1丁目
【訪 問 記】
 金屏風の次は、測量山へ。ここも室蘭八景の一つで、明治5年(1872年)、札幌本道をつくる時、陸地測量道路建築長の米国人ワーフィールドがこの山に登り、道路計画などの見当をつけたことから「見当山」と呼ばれていたのを後に「測量山」と改めたそうです。標高は199.6mで、頂上からは360度展望できます。室蘭八景の一つに選ばれるのも当然の絶景です。
 約30年前に一年ほど室蘭に住んでいたことがあり、その初日に同じアパートに住んでいた仲間に連れられてきたのがこの測量山だったので、思い出に残る場所でもあります。

増市浜

【名 勝 名】増市浜
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市増市町
【訪 問 記】
 測量山の次は、増市浜へ。ここもトッカリショなどとともに室蘭八景の一つに数えられ、また名勝ピリカノカ絵鞆半島外海岸に指定され、もともとアイヌ語ではマスイチセ(マシュイチセ)=海猫の・家と呼ばれていたところです。海猫の巣が多かったことからこのような名前が付いたようです。展望台を登ると遠望することができ、なかなかの絶景でした。

ローソク岩

【名 勝 名】ローソク岩
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市増市町
【訪 問 記】
 増市浜の次は、ローソク岩へ。ここはまさに名前の通り、海の中にローソクのように一本立っている岩です。ローソクとするとちょっと太めで短いローソクですが、V字の谷の向こう側に見え、奥には内浦湾・太平洋が広がります。

ハルカラモイ

【名 勝 名】ハルカラモイ
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市増市町
【訪 問 記】
 ローソク岩の次は、ハルカラモイへ。ここも名勝ピリカノカ絵鞆半島外海岸の一つとして指定されており、地名はアイヌ語のハルカルモイ=食料・とる・入江から来ているそうです。ここはローソク岩とは違い、U字型の谷の向こうに海が広がる景色で、逆光だったのが残念でした。

銀屏風

【名 勝 名】銀屏風
【訪 問 日】2016年8月12日
【所 在 地】北海道室蘭市増市町
【訪 問 記】
 ハルカラモイの次は、銀屏風へ。ここも金屏風と合わせて室蘭八景の一つとして指定されています。絵鞆岬へ向かう途中にありますが、この崖に夕日が当たると銀色に輝くことから銀屏風と呼ばれるようになったそうです。ただしこの場所は曲がりくねった測量山観光道路の途中にあって、車を停めるところもないような場所なので一瞬車を一時停止してささっと写真を撮って通り過ぎたのが残念でした。また、この場所からは銀屏風の崖の一部しか見えず景色もそれほど良くありません。やはり海側から見たいところですね。

登別市(2)
幌別ダム

【史 跡 名】幌別ダム
【訪 問 日】2016年8月12日・2017年10月6日
【所 在 地】北海道登別市片倉町
【ダム情報】河川名:胆振幌別川水系胆振幌別川、型式:アースダム(中央土質遮水壁土石フィルダム)、ゲート:ローラーゲート×2門・決瀉板付ローラーゲート×1門、完成年:1967年
【訪 問 記】
 この日は登別の幌別ダムまでダムカードを頂きに行きました。ここのダムカードは平日しかもらえないので、夏休みのうちにということで出かけることにしました。このダム自体はすぐ近くに登別の郷土資料館があるし、ダムのすぐ横の台地が来馬チャシなので何度も来ていますが、ダムを目的としてきたのは初めてです。柵があってダムに近づけないのでは残念ですが、いつ見てもなかなか絵になるダムです。ゲートの方に近づいていくと手前に黒い四角い物が見えたのでダム名の碑かと思ったら、北海道知事(当時)町村金五氏の書による「不盡の湖」というダム湖の碑でした(--;) (ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)(2016/08/12)


 この日は、平日しか手に入れることのできない幌別ダムのダムカードをもらうために登別まで行きました。通常のダムカードは昨年もらっていましたが、50周年記念の特別なダムカードがあるという話を聞いて、幌別ダムまで再びやってきました。金色で幌別ダムができた当時の写真を使った物ですが、詳しくは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へどうぞ。(2017/10/06)

登別市郷土資料館

【名 勝 名】登別市郷土資料館
【訪 問 日】2017年10月6日
【所 在 地】北海道登別市片倉町6丁目27
【訪 問 記】
 ここも何度も行っているところです。確か2002年にも行っているはずです。今回は幌別ダムのすぐ近くにあったので、久しぶりにのぞいてみました。まずは1階には生活用品などの展示、「アイヌ神謡集」の知里幸恵関係などアイヌ文化に関する展示があり、2階には登別の開拓に従事した仙台藩片倉家に関する展示がたくさんありました。下の写真のように甲冑や開拓遺品、片倉家の本貫地・白石城の模型などもありました。
 ちなみに郷土資料館の建物は「白石城をモデルとした外観」だそうですが、個人的にはあまり似ていないなと思いました(^^;) (2017/10/06)

伊達市(6)
伊達迎賓館

【名 勝 名】伊達迎賓館
【訪 問 日】1998年5月3日・2012年6月30日
【所 在 地】北海道伊達市梅本町
【訪 問 記】
 ここも何度も行っているところです。はじめて行ったのはいつでしょうね?大学時代に研究室の卒論発表会で大滝村に行き、その時にみんなで伊達市開拓記念館に行ったんですが、それが最初かもしれません。伊達市は仙台藩亘理領主伊達邦成家中が開拓した町ですので、開拓記念館にも亘理伊達家ゆかりの品々が所狭しと展示してあります。
 この迎賓館が亘理伊達家が賓客をもてなすために建てた和風の建物ですが、この時にはゴールデンウィークだったからでしょうか、内部も一般公開し甲冑・陣羽織・和服などを展示していました。当別町の伊達邸別館よりこちらの方が立派でしたねえ(^^;) (1998/5/3)


 この日は伊達市で「洛中洛外図屏風亘理伊達本」が期間限定で公開されるというので伊達まで見に行きました。伊達市開拓記念館で洛中洛外図屏風を見たあと、その周辺を見て回りました。迎賓館は以前行ったので、この日は撮影のみ、その近くには伊達市の開拓を進めた伊達邦成と家老の田村顕允(常盤新九郎)の銅像もありました。(2012/6/30)

旧三戸部家住宅

【史 跡 名】旧三戸部家住宅
【訪 問 日】1998年5月30日
【所 在 地】北海道伊達市梅本町
【訪 問 記】
 ここ室蘭の友人を訪ねた時に一緒に伊達の開拓記念館に行き、そのついでにすぐ裏手にあるこの旧三戸部家住宅を見学しました。この住宅は明治5年(1872)に建てられた現存する道内最古の開拓農家住宅で、亘理から移住した大工が亘理の下級武士の住宅に習い入植時に建てた寄棟造・茅葺・土間と2室からなるもので、国の重要文化財に指定されています。

有珠善光寺

【史 跡 名】有珠善光寺
【訪 問 日】1998年5月3日・1999年5月30日・2012年6月30日
【所 在 地】北海道伊達市有珠町124
【訪 問 記】
 1998年には高校時代の友人と行きました。実は話には聞いていましたが、ここに来るのは初めてでした。
 この寺は道内最古の名刹で、寺の縁起には天長年間(824~834)比叡山僧慈覚大師建立とありますが伝説の域を出ず、『新羅之記録』には慶長18年(1613)松前慶廣が再興したとあります。文化元年(1804)江戸幕府が様似の等澍院・厚岸の国泰寺とともに江戸三官寺の一つに指定し、翌年に完成、八雲から白老までを担当し、住職は東京・芝の増上寺から派遣されました。明治以降は衰微したものの、今なお昔の面影を保っており、本堂はとてもきれいな建物でした。(1998/5/3)


 昨年の5月には大学時代の友人と再訪しましたが、この時には境内にある有珠郷土館を見学しました。ここには円空仏をはじめいろいろな史料等が収蔵されていますが、いつも開館しているわけではなく、見学する時には「見学したいんですが...」と申し出る必要があります。私たちが行った時には偶然にも私たちの母校の学生らしい団体が来て見学していました(^^;) (1999/5/30)


この日は伊達市で「洛中洛外図屏風亘理伊達本」が期間限定で公開されるというので伊達まで見に行きました。開拓記念館で洛中洛外図屏風を見たあと、開拓記念館の窓口の近くでうちの坊主くんが、スタンプラリーのスタンプを発見! 早速、スタンプを押して、そのあと伊達市内をうろうろとし、最後に有珠善光寺へ。ここに来たのは結婚する前だからもう10年ぶりくらいでしょうか。久しぶりに見たら、屋根の茅がずいぶんとくたびれたように感じました。これで伊達市のスタンプラリーはスタンプを8つGETし、坊主くんも満足したようなので、この後は道の駅めぐりに。(2012/6/30)

膽振山大雄寺

【史 跡 名】膽振山大雄寺(いぶりさんだいおうじ)
【訪 問 日】2006年8月9日
【所 在 地】北海道伊達市元町18番地
【訪 問 記】
 二日間の家族旅行に伊達・室蘭・登別方面に行ってきました。初日はまず道央道で伊達まで移動し、この膽振山大雄寺に行ってきました。
 この大雄寺は宮城県の亘理から北海道に渡ってきた亘理伊達家の菩提所である亘理大雄寺の末寺として、明治13年(1880)4月旧家中の懇請もあって亘理大雄寺住職相神百川が建立したものだそうです。
 広い駐車場の端には「伊達家御霊屋」があり、歴代亘理伊達家当主の霊が祀られているようです。以前亘理大雄寺に行ったことがありますが、そこにあった伊達家の御霊屋とやはり似たような感じでした。ただ真新しい感じがしましたので、最近建てられたのか修復されたのかもしれません。
 それからおまけですが、駐車場にお城の形をしたモニュメントがありました(^^;)
 このあとは久しぶりに館山チャシに行ってみました。

北黄金貝塚公園

【名 勝 名】北黄金貝塚公園
【訪 問 日】2012年6月30日
【所 在 地】北海道伊達市北黄金町
【訪 問 記】
 この日は伊達市で「洛中洛外図屏風亘理伊達本」が期間限定で公開されるというので伊達まで見に行きました。道央道を室蘭ICで降りて伊達方面へ向かうと、途中で「史跡北黄金貝塚公園」の看板が… 実は、ここは以前から気になっていた所で、「寄ってもいい?」と聞くと「いいよ。」という返事だったので、寄ってみました。
 北黄金貝塚は1948年に発見されたもので、縄文時代前期・中期のムラの跡です。公園内には竪穴式住居や貝塚が復元されていて、情報センターでは遺跡の説明やら出土品やらを見ることができます。うちの坊主くんは、それよりも情報センターで見つけた伊達市内のスタンプラリーのスタンプを押すことに興味を持ったようでした(^^;)

伊達武者まつり・伊達騎馬総陣立て

【イベント名】伊達武者まつり・伊達騎馬総陣立て
【訪 問 日】2010年8月8日
【開 催 地】北海道伊達市
【訪 問 記】
 このお祭りは以前から気になっていたのですが、今回は初めて行ってみました。暑い最中でしたが、だて歴史の杜にあるカルチャーセンター前広場に陣取り、15時の開始を待ちました。
 15時になると凱旋の儀が始まり、弓隊の演技披露からスタートし、旗隊・鉄砲隊・弓隊・長槍隊・長刀隊などが入場し、次に本陣旗隊、そして騎馬隊の入場です。
うちの奥さんとお子さんは暇そうでしたが、なかなか面白い物を見せてもらいました。

厚真町(2)
オニキシベ2遺跡

【史 跡 名】オニキシベ2遺跡
【訪 問 日】2008年9月6日
【所 在 地】北海道勇払郡厚真町字幌内400-1,401-1,402
【訪 問 記】
 源武チャシをあとにして、厚真町の青少年センターに着くと、旭川の菅原さんも来ていて、他にも意外と人が来ていました。定員60名ということでしたが、そこまでは行かなくても40人ほどはいたでしょうか?うちの坊主以外にも小さい子どもがたくさんいて騒いでいたので、ちょっとほっとしました(^^;)
 その後、各自の車で発掘現場まで移動しましたが、厚真町中心部から15kmほど厚真川をさかのぼったところで、ダム建設のための工事の際に発見したものらしく、ダムが完成した際にはダム湖の底に沈んでしまうようです。この周辺にはヲチャラセナイチャシ跡のほかに上幌内モイ遺跡・オニキシベ2遺跡という遺跡もあり、上幌内モイ遺跡(集落跡らしいです)の発掘は終わっているそうです。見学会の方は2つのグループに分かれ、私のグループは前半オニキシベ2遺跡の見学をし、後半チャシの見学をしました。
 オニキシベ2遺跡は、ヲチャラセナイチャシとは厚真川をはさんで向かい合っており、こちら側からチャシ全体を見ることができます。ここには墓の跡がいくつもあって、ちょうどチャシと向かい合う所にチャシの方を向くように掘られた墓もあり、この遺跡は聖域のような所だったのではないかとの説明もありました。その後、出土遺物も見せてもらいましたが、貨幣(宋銭)や玉石・ガラス玉・漆製品・刀の鍔・銀板で装飾された小刀や矢筒などがあり、この辺りの有力者の墓だったことがうかがえました。
 その後、もう一つのグループと交代でヲチャラセナイチャシ跡の見学をしました。

厚幌ダム

【史 跡 名】厚幌ダム
【訪 問 日】2017年9月10日
【所 在 地】北海道勇払郡厚真町幌内地先
【ダム情報】河川名:厚真川水系厚真川、型式:台形CSGダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:2018年(予定)
【訪 問 記】
 金山ダムの後は、厚真町に向かいました。ヲチャラセナイチャシや桜丘チャシを見に行っていた頃から建設作業をしていましたが、いよいよ来年平成30年春に完成予定だそうです。町内市街地にあるまちなか交流館しゃべーるにてダムカードをGETし、厚幌ダムに向かいました。休日なので工事はやっていませんでしたが、ダム完成まであと半年ということでダム全体はほぼ完成している感じでした。台形CSGダムなので、なんとなく当別ダムに似た感じがします。
 来年にはダムカードも正式のものに変わっていると思いますので、その時に再訪したいと思います。
(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)

苫小牧市(2)
静川遺跡

【史 跡 名】静川遺跡
【訪 問 日】2010年9月5日・2013年9月14日
【所 在 地】北海道苫小牧市字静川93番地7~11
【訪 問 記】
 この日は旧お城めぐりMLの木村さんを迎えてのチャシ巡りです。実は昨年も旭川の菅原さん主催で3人で胆振方面の白老陣屋・室蘭陣屋・館山チャシ等を見て回りましたが、今回は札幌の安藤さん・杉岡さんにも声をかけ、さらに昨年来お世話になっている厚真町教委の学芸員・乾さんまでが参加して下さることになり、総勢6名でチャシ巡りオフという感じになりました。
 安藤さん・杉岡さんを途中で拾い、道央道のPAで旭川から来た菅原さん・木村さんと合流したあと、静川遺跡で乾さんと合流し、まずは静川遺跡の見学です。

 静川遺跡は、1980(昭和55)年に石油備蓄基地の建設にかかる埋蔵文化財分布調査によって発見され、1982(昭和57)年に発掘調査を行ったところ、たくさんの遺物、遺構が見つかり、中でも東側の地区からは上幅2~3m、深さ1.0~1.8mで全長139mにも及ぶV字状の縄文時代中期末葉の環壕が見つかりました。環濠集落というと吉野ヶ里遺跡などが有名ですが、あちらは弥生時代。縄文時代のものはいまのところこの静川遺跡だけだそうです。
 他にも竪穴住居跡、墳墓、落とし穴などの多くの遺構が検出されたそうです。環壕構築の目的は、聖域説、砦説などがありますが、今のところ「マツリ」の場というのがもっとも有力だそうです。残念ながら、環壕はいまは埋め戻されていて見ることはできません。

 静川遺跡は高さ15mほどの台地上にあります。蝶が羽を広げたような形の台地の東側の先端部に環壕はあったそうですが、こんな大きな台地の上にあるとは思わなかったので、驚きました。また周りを見回すことのできる立地にも、納得しました。(2010/9/5)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。NACKさんとは、1999年の八王子城オフ以来の再会です。静川遺跡・桜丘チャシそして日高方面のチャシを回りたいというご希望でしたので、静川遺跡のあとは厚真→むかわ町穂別→平取と回ることにしました。
 まずは静川遺跡です。まずは国道235号線を左折して、一方通行の砂利道を進んで静川遺跡まで移動です。環壕は埋め戻されていて見ることはできませんが、これだけ大きな台地の上に環壕があったとは驚きです。今は鹿の遊び場になっているようで、足跡がいっぱいありました。それだけでなく遺跡を見学している途中で台地の上を横断していく鹿を見ました(^^;) 残念ながら写真におさめることはできませんでしたが。(2013/9/14)

樽前山

【名 勝 名】樽前山
【訪 問 日】2012年6月30日
【所 在 地】北海道苫小牧市・千歳市
【訪 問 記】
 この日は伊達市で「洛中洛外図屏風亘理伊達本」が期間限定で公開されるというので伊達まで見に行きました。その途中に寄った樽前SAで樽前山がきれいだったので写真を撮りました。GWに来た時にも撮ったのですが、その時の写真はちょっといまいちだったので…
 昔、登山で登ったような記憶もありますが、どうでしたっけ……?

むかわ町(1)
八王子千人同心追悼之碑

【史 跡 名】八王子千人同心追悼之碑
【訪 問 日】2011年10月9日
【所 在 地】北海道勇払郡むかわ町汐見
【訪 問 記】
 この日は西胆振・日高方面に道の駅&チャシ巡りの旅に行きました。(ていうかチャシ巡りのついでに道の駅に行った感じになっちゃいましたが(^^;))
 まず道の駅「むかわ四季の館」に行き、その後途中で看板を見かけた大野商店というししゃもの店に寄って、ししゃもを買いました。
 次に道の駅で手に入れたむかわ町の地図に「八王子千人同心追悼之碑」というのが載っていたので寄ってみました。むかわ町中心部から国道235号線を富川方面へ向かい、鵡川にかかる橋を越えて少し進み右折すると鵡川大漁地蔵堂があり、その境内の端の方に碑はありました。今から200年ほど前に幕府の命で開拓のため入地し、食糧自給のためこの地に畑作場を開墾したが、異なる気候風土により死者が続出し、その追悼のため30年近く前に建てられたものとのことです。