【城 跡 名】神居岩チャシ(サマイクルチャシ・クトネシリチャシ)
【訪 城 日】1999年10月11日・2002年5月12日
【所 在 地】北海道深川市納内町
【形 態】丘頂式
【主な遺構】空壕2条
【訪 城 記】
旭川の中心部の手前の神居古潭に、神居古潭左岸チャシ・神居古潭右岸チャシ・神居古潭チャシという三つのチャシがあるとのことなので神居古潭へと向かいました。
近くにあった案内地図を見ると、対岸にある神居岩という山の所に「サマイクル砦址」の文字を発見。これがたぶん右岸チャシのことだろうと思い、目の前にある吊り橋を渡ろうとすると、吊り橋は危険なため現在閉鎖中との看板が... 仕方ないので写真だけ撮って次へ移動しました。これまた、あとから「城郭体系」を見たら、「神居岩チャシ」というのが出ていたので、神居岩と右岸チャシは別なのでしょう。地形図を見ると左岸チャシと向かい合うように突き出た丘陵が対岸にあるので、これが右岸チャシなのかもしれません。(1999/10/11)
この日はお城めぐりMLのメンバーで旭川在住の菅原さんに旭川・深川周辺のチャシを案内して頂きました。天気予報ではあまり良い天気の予報ではなかったので心配しましたが、何とか最後までチャシ巡りをすることができました。
まず最初は神居古潭に行き、その周辺にあるチャシを探索しました。3年前には渡れなかった吊り橋が渡れるようになったとのことでしたので、まずは神居岩チャシに向かいました。ここは別名サマイクルチャシともサマイクル砦址ともいわれ、アイヌの人文神サマイクルの居城の遺跡だと伝えられています。二重の空壕があり、内部から薄手の土器片・石斧・鉄鍋の破片などが出土しているとのことでしたので、期待しながら遊歩道を登っていきました。
岩がむき出した断崖が次第に近づいてきましたが、道が左右に分かれていたので、まずは左に行ってみました。しかしだんだんと登っていくと、だんだんと道は険しくなってき、断崖の裏側に行けなさそうなので、二股のところまで戻り今度は右の方へ進んでみました。すると途中泥にはまりそうになりながらも、ぐるっと回って断崖の上の方に出ることができました。丁度ここからは対岸にある神居古潭チャシのあるあたりが一望できましたが、残念ながら二重の空壕は発見できず仕舞いでした。
そこからさらにぐるっと回ると先ほどの左回りの道につながりましたので、後から考えてみると左回りの方が断崖の上に行くのには近かったかもそれません(^^;)
そして降りていく途中でロッククライミングをしようとしている2人連れを見かけましたが、あの断崖を見ているとさもありなんという感じがしました。(2002/5/12)


【城 跡 名】内園チャシ
【訪 城 日】1999年10月11日
【所 在 地】北海道深川市音江町内園440
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕2条
【訪 城 記】
神居古潭をあとにして、少し戻って芦別の方へ抜ける道で左折すると、すぐ前方に右から左へと伸びる台地があります。何の表示もありませんが、「ナイタイベ川下流の蛇行部にあり」という『日本城郭大系』の記述からも、川に向かって伸びる舌状台地の先端という典型的なチャシの立地からも、ここが内園チャシであるのは間違いなさそうです。ただ周囲は農地で、この台地上に登る道もなさそうでしたので、外観を写真に収めるだけで次へと進みました。

【城 跡 名】納内5丁目チャシ
【訪 城 日】2002年5月12日
【所 在 地】北海道深川市字納内町5丁目
【形 態】面崖式
【主な遺構】鉤形の壕とくの字状の壕に区画された2郭(耕作のため壊滅)
【訪 城 記】
この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。神居古潭のやや西側、深川の納内周辺の石狩川が蛇行した部分にいくつかのチャシがかつては存在していたようです。この納内五丁目チャシもその一つで、12mの断崖上に立地し、東西に二郭からなっていたそうです。いまではすっかり畑になってしまい、その立地上からかつての面影をしのぶしか術がありませんでした(T_T)

【城 跡 名】納内南チャシ
【訪 城 日】2002年5月12日
【所 在 地】北海道深川市字納内町6丁目?
【形 態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状1条
【訪 城 記】
この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。納内五丁目チャシのあと資料をもとに探しました。個人の畑のすぐ隣で一段下がったところがそれらしく思えたので、空き地に車を止め、菅原さんと少し歩いてみました。ここは石狩川に面した所で、そこから川に沿って少し北の方に進むと、半円状の壕のようなもので囲まれたところを見つけましたので、これが納内南チャシなのかなあと思いましたが、それにしても壕のようなもので囲まれた部分があまりにも狭いので、「ホントにこれなのか?」という思いがぬぐい切れませんでしたが、周囲を探してもほかにそれらしいところも見つからないので、車まで戻りました。
この納内南チャシの少し北側に同じく面崖式で半円状の壕が1条あった納内北チャシというのがあったようですが、これは破壊されてしまったようです。『北海道のチャシ』(北海道教育委員会)を見ると、半円形1条壕のチャシが2個あるという「納内6丁目以東石狩河岸のチャシ」というのが載っていますが、これはどうもこの納内南チャシと納内北チャシをあわせたものを指しているような気がします。ただ、『北海道のチャシ』ではこのチャシは「石狩川の浸食のため崩落消滅」と書かれているんですが。

(左の段上は畑です。
この写真前方に写真2の壕らしきものがありました)

(上から撮った写真。いかにも半円状の壕らしく見えますが、それにしてはちょっと中の郭部分が狭すぎ)
【城 跡 名】納内4丁目チャシ
【訪 城 日】2002年5月12日
【所 在 地】北海道深川市字納内町4丁目
【形 態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状2条(耕作で破壊)
【訪 城 記】
この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。納内南チャシの次は納内4丁目チャシです。ここもそれらしきところを探しましたが、耕作のため破壊されたとのことで、石狩川に面した部分が段になっていてチャシらしいかなあとわずかに感じられるだけで、周囲は畑しかありませんでした。

(いまじゃすっかり畑です。)
【城 跡 名】納内3丁目チャシ
【訪 城 日】2002年5月12日
【所 在 地】北海道深川市字納内町3丁目
【形 態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状2条(破壊)
【訪 城 記】
この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。納内4丁目チャシの次は納内3丁目チャシです。ここは4丁目チャシよりさらに下流にある納内橋の近くだったようです。石狩川の河岸を見て回りましたが、壕かなと思われるものもありましたが、どうも違うようです。結局よくわからずじまいでしたが、あとから資料を見てみると「破壊」「壊滅」と書かれていました(^^;) というわけで、あの一見壕のように見えたものはただの溝だったということですね(をい(^^;))
本当はこのあと、納内橋を渡った石狩川の南岸にある北内園チャシにも行く予定でしたが、いってもそれほど遺構がないだろうという予想の元、納内・神居古潭周辺をあとにし旭川中心部へと向かいました。(あとから資料を見直してみると、予想通り北内園チャシは「造田で破壊」と書かれてありました(^^;))

と一瞬思いましたが、どうも違ったみたいです(^^;)
【城 跡 名】音江チャシ
【訪 城 日】2008年8月12日
【所 在 地】北海道深川市音江225-1,241-1ほか
【形 態】丘先式
【主な遺構】直状壕1条
【訪 城 記】
道立旭川美術館の「大三国志展」を見て、キトウシ森林公園の展望閣を見た帰りに寄ってみました。場所は以前から確認済みでしたので、迷わず行くことができました。道道12号線を旭川方面から進み、深川ICへと曲がる交差点から1kmほど進んだところを左折すると東ヶ丘病院がありますが、その道路をはさんで反対側に広場があります。その左手にある遊具の奥が音江チャシです。
旭川の菅原さんのお話では「なかなか良い土塁がある」とのことでしたが、時期が時期だけにやはり予想通り笹藪だらけでよく確認できませんでした。なんとなく奥の方がこんもりと草が盛り上がっているので、その辺りに壕や土塁があるのではないかと思いますが、よく分かりませんでした。やはり秋か春に来ないと確認は無理そうです。


【城 跡 名】北内園チャシ
【訪 城 日】2011年9月23日・2012年10月7日
【所 在 地】北海道深川市音江町字内園175地先河川敷地
【形 態】面崖式
【主な遺構】半円状壕1条(造田で破壊)
【訪 城 記】
この日は道の駅巡りの旅で、芦別→雨竜→北竜→秩父別→深川と回りました。深川の道の駅を出たのは5時半頃で、もうすでに暗くなってきていました。
時間があれば深川のチャシもちょっと探索してみたいと思っていましたので、ダメ元で行ってみることにしました。まずは北内園チャシ。ここは資料に「造田で破壊」とあったので、何も見つからないとは思いましたが、一応場所だけでも確認しようと思い行ってみました。高速の音江PAにほど近い石狩川の蛇行部分にありますが、国道12号線を左折して進んでみると、畑?が広がる先のようで、もう暗くなってきていて探索は困難と思い、とりあえず遠景を撮って退散。
国道12号線に戻り、その先の道央道との交差部分近くにある内園2チャシを探そうと思いましたが、もう暗くて道路の入り口もよくわからないので、あきらめて帰路につきました。(2011/9/23)

(取りあえず遠景を撮りましたが
ただの畑の写真ですね…)
昨年は時間切れでしたので、今回旭川方面の道の駅めぐりに行ったついでに再訪してみました。とはいっても、時間が昼間だというだけで、同じ場所に行ってみましたがやはり畑が広がるだけでしたので、遠景を撮っただけです(^^;) 石狩川に面した方にあったのかも知れませんが、今となってはよくわかりません。(2012/10/7)


【城 跡 名】内園2チャシ
【訪 城 日】2012年10月7日
【所 在 地】北海道深川市音江町字内園677
【形 態】丘先式
【主な遺構】弧状壕1条
【訪 城 記】
昨年は時間切れで、すっかり暗くなっていたのでしたので、今回旭川方面の道の駅めぐりに行ったついでに再訪してみました。高速道建設の際に発掘調査が行われたようですが、場所ははっきりわからないので、それらしい所の写真を撮ってみました。(2012/10/7)


【城 跡 名】出合沢チャシ
【訪 城 日】2013年10月5日
【所 在 地】北海道深川市音江町字国見49
【形 態】丘先式
【主な遺構】?
【訪 城 記】
この日は、息子が道プレのマグネットを買っていない空知の道の駅に行きたいというので、空知方面に行きました。道の駅つるぬま→うたしないチロルの湯→たきかわと回り、ライスランドふかがわに行く予定でしたが、だんだんと日が落ちてきたので、先に深川周辺の行っていないチャシ2か所に行くことにしました。
まずは出合沢チャシです。ここは、ライスランドふかがわから国道12号線を旭川方面に3kmほど進むと右に折れる道がありますが、この道の右角の辺りがチャシのようです。草木が伸びていてよくわかりませんが、道路と小さな川の間にあるようです。でもどちらかというと、道路をはさんだ反対側の左角の台地の方がチャシっぽい感じがしますが(^^;)
このチャシは1978年発行の「全国遺跡地図」や1980年発行の「北海道のチャシ」には載っていますが、道教委HPの「北の遺跡案内」には載っていませんので、今はチャシとは認定されていないのかもしれません。


(こっちの方がチャシっぽい?)
【城 跡 名】中川台地チャシ
【訪 城 日】2013年10月5日
【所 在 地】北海道深川市音江町字納内
【形 態】丘先式
【主な遺構】?
【訪 城 記】
この日は、息子が道プレのマグネットを買っていない空知の道の駅に行きたいというので、空知方面に行きました。道の駅つるぬま→うたしないチロルの湯→たきかわと回り、ライスランドふかがわに行く予定でしたが、だんだんと日が落ちてきたので、先に深川周辺の行っていないチャシ2か所に行くことにしました。
出合沢チャシのあとは中川台地チャシに向かいました。ここはJR函館本線納内駅から北に2kmほど進んだところにあり、農家の裏山という感じの所に位置しています。遠景写真を撮って最終目的地の道の駅ライスランドふかがわに向かいました。
このチャシは1978年発行の「全国遺跡地図」や『北海道チャシ学会研究報告5』(1990年発行)の「北海道におけるチャシ跡遺跡一覧表」には載っていますが、道教委HPの「北の遺跡案内」には載っていませんので、今はチャシとは認定されていないのかもしれません。

