【史 跡 名】旧樺戸集治監庁舎
【訪 問 日】1998年10月13日
【所 在 地】北海道樺戸郡月形町1219
【訪 問 記】
ここは浦臼方面のチャシ巡りのついでに寄った所です。実はこれよりも数年前に一度行ったことがありましたが、行ってみて驚きました。以前行ったときにはかつての樺戸集治監庁舎を「北海道行刑資料館」として使っていたんですが、その裏にそれよりも大きな建物が建っていたんです。どうやら以前建物では手狭だということで新しい建物を建て、名前も「月形樺戸博物館」に変わっていました。
この旧樺戸集治監庁舎は明治14年(1881)に樺戸集治監が設けられ、大正8年(1919)樺戸監獄として廃監されるまで、多いときには1300名前後の囚人が服役しました。現存の建物は明治19年(1886)の火災で焼失後再建したもので、廃監後は昭和47年(1972)まで町役場庁舎として使用され、その後資料館となっています。
旧樺戸集治監庁舎の玄関は、以前と同じく石段の真ん中がすり減っていましたが、この建物の歴史を感じさせました。中には樺戸集治監関係の資料がいろいろと展示されていて、中にはNHKの大河ドラマ「獅子の時代」で元会津藩士の男(役名忘れた(^^;))を演じていた菅原文太が着たという囚人服までありました(^^;)
そのあとは地下通路を通って奥の新館「月形樺戸博物館」へと通じています。こちらも樺戸集治監関係の資料が満載ですが、歴代の典獄(今の刑務所長)についての展示もありなかなか興味を引かれました。


【史 跡 名】坂本一族の墓
【訪 問 日】1998年10月13日・2011年9月19日
【所 在 地】北海道樺戸郡浦臼町札的
【訪 問 記】
ここは浦臼方面のチャシ巡りのついでに寄った所です。実は浦臼町郷土史料館に行ってみると坂本竜馬関係の資料ががあったり、坂本竜馬関係のパネル写真が展示してあったりして、同町内札的に坂本一族の墓があることを知ったんです。それで、札的チャシを探していると丁度墓地が見えたので行ってみたんです。
坂本竜馬が北海道開拓の計画を立てていたことは意外と知られていませんが、その甥坂本直寛はその遺志を継ぎ北海道開拓に着手します。直寛は、まずは北見に入植しますが、その後浦臼に移住、先に浦臼に入植していた同じ土佐出身の自由民権論者・武知安哉(あんさい)を指導者とする聖園農場を引き継ぎ浦臼の開拓に多大な功績がありました。
札的墓地には直寛の実兄で竜馬の養嗣子となった坂本直(竜馬の姉千鶴の長男で元海援隊士高松太郎)の妻留と長男直衛の墓があります。留と直衛は坂本直の死後、直寛を頼って浦臼へ来てその生涯を閉じています。両者の墓のすぐ近くには武知安哉の墓もあります。(1998/10/13)

(竜馬の養嗣子坂本直の妻)の墓

(竜馬の養嗣子坂本直の長男)の墓
この日は道の駅とチャシの旅で南空知に行きました。晩生内1号チャシに行ったあと、晩生内2号チャシと札的チャシを横目で見て通り過ぎたあと、久しぶりに札的墓地に行ってみました。ここには坂本龍馬の養嗣子・坂本直(高松太郎)の妻留と次男坂本直衛の墓があるんですが、国道からの入り口に以前にはなかった「坂本龍馬家の墓」という案内板が設置してありました。きっと昨年の大河ドラマ「龍馬伝」放送の時に立てられたのでしょう。坊主くんとうちの奥さんと3人で見に行きましたが、坂本直衛の墓の下に小さな蛇がいたのでびっくり、早々に退散しました。(2011/9/19)


【史 跡 名】武知安哉(あんさい)の墓
【訪 問 日】1998年10月13日
【所 在 地】北海道樺戸郡浦臼町札的
【訪 問 記】
ここは浦臼方面のチャシ巡りのついでに寄った所です。同町内札的の墓地には坂本竜馬一族の墓がありますが、そのすぐ近くに武知安哉の墓があります。
武市安哉は今の南国市の郷士に家に生まれ、あの武市半平太の遠い縁戚に当たるようです。安哉は区長・大区長・県会議員・衆議院議員の要職を歴任しましたが、政界の汚さに失望し政治や民権運動だけでは農民は救われないと考え、未開の北海道にキリスト教精神による理想の農村を築こうと決意し、明治26年(1893)26人の青年とともに月形村サッテキナイ(現浦臼町札的)に聖園農場を作り開拓を始めました。しかし安哉は翌27年(1894)急死し、聖園農場の開拓は一時頓挫しました。それを継承したのが明治31年(1898)北見より移住してきた坂本直寛(龍馬の甥)でした。

【史 跡 名】伊達邦直公上陸の地
【訪 問 日】2011年9月19日
【所 在 地】北海道空知郡奈井江町奈江原野?
【訪 問 記】
先日、道の駅とチャシの旅に行った時に見つけましたものです。三笠→奈井江と回り、それから浦臼に抜ける途中(奈井江大橋より手前)の道道沿いでちょっと古そうな石碑を見つけたので止まってみると、「伊達邦直公上陸の地」と書かれていました。
伊達邦直が当別に入植したのはよく知られているところですが、その前に奈井江に探査に来ていたのです。碑の横にある説明板によると、明治3年(1870)5月9日空知の土地踏査のため石狩川を舟で上り、現在の道道奈井江浦臼線の吾妻橋の南200m地点に上陸し、この地に境界標を立てたそうです。5日間の調査の結果、土地柄としては肥沃だが、石狩川河口から遠く、水路で物資等を運搬するのは困難だとして、この地での開拓を断念したそうです。伊達邦直は、その後聚富から当別に入植したことについてはこちらをご覧下さい。
この碑は奈井江川築堤工事にともない、昭和49年(1974)5月に建てられたものだそうです。


(裏側)

【史 跡 名】北泉岳寺
【訪 問 日】2011年9月19日
【所 在 地】北海道砂川市空知太444番地
【訪 問 記】
この北泉岳寺は以前から気になっていたところでした。砂川に赤穂浪士ゆかりの泉岳寺と同じく赤穂浪士の墓がある寺があるというのは、以前から聞いていたのでいつか行ってみたいと思っていました。そこで、実は夏に富良野方面に旅行に行った帰りに寄ったんですけど、その時はよく調べないで行ったもので、お寺の裏の墓地の方に行ってしまって見つけられず、雨も降っていたので帰ってしまったので、今回リベンジに行ったんです。
ネットで調べ境内にあるというので、境内の奥の方に行ってみると、あっさり墓を見つけてしまいました(^^;)
ここはもと「泉学寺」といい、初代住職が熱心な義士崇拝者だったそうで、2代目住職が先代の遺志を継いで芝高輪の泉岳寺へ再三お願いした結果、昭和28年に許可が下り、高輪泉岳寺の義士のお墓の周囲の土を埋葬して墓を建立し、その時に「北泉岳寺」と改めたそうです。
墓の墓面は高輪泉岳寺の義士墓碑を石刷を得て再刻再現しており、配置も大きさも同じだそうです。(徹底してますね(^^;))
毎年12月14日の討ち入りの日には、北海道義士祭が盛大に開催され、墓前祭のあと市街地で四十七士の義士によるパレード行進が行われるそうです。

(端にある屋根付きの大きな墓は、大石内蔵助と嫡男・主税の物です。)





(内蔵助嫡男)


【史 跡 名】松浦武四郎紀行足跡之碑
【訪 問 日】2011年10月1日
【所 在 地】北海道夕張郡長沼町東10線南7番地(マオイの丘公園内)
【訪 問 記】
ここは先日道の駅の旅で長沼の道の駅「マオイの丘公園」に行った時に見つけました。碑には大銅神鏡、鍋、夕張日誌表紙、経路図、歌、碑文などが付いており、とても大きなものでした。碑文によると、安政4年7月に札幌~夕張新道の調査を命ぜられ、石狩川より千歳川を遡上し、旧オサツ、マオイ沼を船行してこの幌内に上陸、馬追山を越え、その帰途またここに泊したそうです。
この碑は平成8年に建立されたもので、大銅神鏡は早逝した長女を追悼して明治8年に東京上野東照宮に奉納した物を模したもの、鍋は旅路にあって分身の如く携帯した鍋の意を汲んで碑中に収めたものだそうです



「夕張日誌」松浦経路図
【史 跡 名】松浦武四郎探検記念碑
【訪 問 日】2000年4月29日
【所 在 地】北海道芦別市野花南
【訪 問 記】
ここは以前チャシ巡りで芦別市野花南を訪れた時に見つけたものです。芦別市街から国道38号線を進み、野花南大橋を越えたところで左折するとその角にありました。安政4年に武四郎は空知川を調査していますが、この辺りに来宿したようです。(2000/4/29)

※ただし今年(2011年)の夏に芦別に行った時には、野花南大橋を越えたところで左折する道が無くなっていました。他の方のサイトなどを見ると土盛りの向こうに旧道としては残っていて、この碑もあるようです。
【史 跡 名】滝里ダム
【訪 問 日】2015年7月30日
【所 在 地】北海道芦別市滝里町
【ダム情報】河川名:石狩川水系空知川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:クレスト(自由放流)×2門・オリフィスゲート×6門・ジェットフローゲート×1条、完成年:1999年
【訪 問 記】
この日は空知方面のダムを巡りました。夕張シューパロダム、南富良野の金山ダムのあと芦別の滝里ダムへ向かいました。ここは典型的な重力式コンクリートダムで、まだ完成から20年たっていないので意外と真新しい感じを受けました。なかなか立派できれいなダムでした。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)



(ダム湖側)


【史 跡 名】夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)
【訪 問 日】2011年11月3日
【所 在 地】北海道夕張市
【訪 問 記】
ここは先日、道の駅とチャシの旅で夕張→日高→平取→占冠と回った時に寄ったところです。まずは夕張で、最初に向かったのが夕張鹿鳴館です。
この建物は、北炭が大正2年(1913)に北炭鹿ノ谷倶楽部として建設させ、昭和58年(1983)まで迎賓館のような施設として使用されており、木造平屋の北海道では珍しい本格的和風建築です。当時としては、ごく限られた上流階級のみが知る幻の施設で、平成7年(1994)から記念館として一般公開されているそうです。
時間の関係で中には入りませんでしたが、なかなか趣のある建物でした。


【史 跡 名】滝の上公園
【訪 問 日】2013年10月27日
【所 在 地】北海道夕張市滝ノ上5
【訪 問 記】
10月後半はあちこちに紅葉を見に行きましたが、この日は夕張にある滝の上公園です。じつはここには以前来たことがあります。それはこの公園の端に滝の上チャシがあるからです。ということで10数年ぶりでしたが、写真のようにチャシ部分は立入禁止になってました(; 😉
ただ公園内の紅葉は見頃で、千鳥ヶ滝の眺めは絶景でした。園内にある滝の上発電所の建物はレンガ造りでこれまたなかなかの佇まいでした。2001年に北海道遺産「空知の炭鉱関連施設と生活文化」の一部として選定されているそうです。しかも2010年までは水力発電所として稼働していたそうで、これまた驚きです。
公園内をしばし散策したあと、夕張シューパロダムへと向かいました。





立入禁止でした。
【史 跡 名】夕張シューパロダム
【訪 問 日】2013年10月27日・2014年10月18日・2015年7月30日
【所 在 地】北海道夕張市南部青葉町
【ダム情報】河川名:石狩川水系夕張川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:クレスト(自由放流)×12門・ジェットフローゲート×2門・高圧スライドゲート×2門・四方水密スライドゲート×1門、完成年:2015年
【訪 問 記】
この日は夕張の滝の上公園に紅葉を見に行ったあと、まだ建設中だけど夕張シューパロダムのダムカードがもらえるとのことだったので、行ってみました。建設中とのことでダムには近づけず遠景を写真に撮るのみでしたが、遠景写真を撮った場所の近くにシューパロダムのインフォメーションセンターがあり、ここでダムカードがもらえました。センターの中には写真のダム周辺の地形模型があったり、写真があったりで楽しかったです。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)
ただ後から知ったのですが、夕張シューパロダムは元々あった大夕張ダムの外側に規模を大きくして建設していて、8月まではその大夕張ダムのダムカードがもらえたとのこと。もっと早くダムカード集めを始めていれば… と思うと、ちょっと残念でした(^^;)
そのあとセンターのすぐ隣にある三菱大夕張鉄道の旧南大夕張駅で車輌等を見て楽しんできました。 (2013/10/27)




この日は夕張シューパロダムを再訪し、そのあと平取の二風谷ダムまで足を伸ばしました。以前はダムに近づけませんでしたが、天端の付近まで行くことができるようになり、近くからダムを見ることができるようになっていました。以前もらったダムカードは建設中のVer.1.0でしたが、ダムが完成したら完成Ver.のカードができるそうなので、またその頃に再訪しなくてはと思いました。(2014/10/18)




この日は空知方面のダムを巡りました。まずは3回目の訪問になる夕張シューパロダム。4月から正式運用開始で、ダムカードも新しくなるということで、再訪しました。前回は立ち入れなかった天端も入れるようになり、ゲート部分も上から見ることができました。ダムカードも完成した写真ヴァージョンのカードをGETしました。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)(2015/07/30)




【史 跡 名】桂沢ダム
【訪 問 日】2014年5月6日・2017年9月10日
【所 在 地】北海道三笠市桂沢
【ダム情報】河川名:石狩川水系幾春別川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:クレストローラーゲート×3門、完成年:1957年
【訪 問 記】
2014年最初のダムカード巡りは三笠の桂沢ダムです。桂沢は中学の頃に遠足?にきたことがあり馴染みの場所でしたが、ダムは初めてでした。ご覧の通り、立派な重力式コンクリートダムです。現在、ダムの直下流に新桂沢ダムを建設中とのことで、こちらが完成すると(旧)桂沢ダムは水没するとのことです。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ) (2014/5/6)



今回はダムカードがヴァージョンアップしたという桂沢ダムと金山ダムに行ってみました。桂沢ダムは、現在函館の新中野ダムと同様嵩上げ工事中のため近づくことができません。なので三笠市立博物館でダムカード(60周年ということでシール付きです)をGETし、工事現場を横目に見ながら北上しました。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)そのまま芦別まで進み、芦別の道の駅でマンホールカードをもらい、南富良野の金山ダムへ向かいました。(2017/9/10)

【史 跡 名】栗山ダム
【訪 問 日】2016年5月14日
【所 在 地】北海道夕張郡栗山町字桜山地先
【ダム情報】河川名:石狩川水系ポンウエンベツ川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:1995年
【訪 問 記】
この日は当別ダムに行ったあと、この栗山ダムへ行きました。私が行ったのは土日だったのでダムの下にあるパークゴルフ場の事務所でダムカードをもらいました。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ) このダムで珍しいのは、写真にはありませんが、天端に「く」「り」「や」「ま」の文字があることで、もちろんダムの名前を表したものです。






【史 跡 名】美唄ダム
【訪 問 日】2016年5月28日
【所 在 地】北海道美唄市字美唄
【ダム情報】河川名:石狩川水系美唄川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:1982年
【訪 問 記】
この日は空知の残りのダム、美唄ダムと新十津川の徳富ダムへ行きました。まずは美唄ダムですが、ここのダムカードは土日は市内のアルテピアッツァ美唄に行かないともらえません。ここの旧栄小学校の建物の2階に行くとカードがもらえます(^^) (ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ) カードをもらったら早速美唄ダムへ向かいます。美唄ダムの石碑やダム湖「びばい湖」の看板(写真1)が出迎えてくれます。ダムの向こう側に見える山の斜面にも「びばい湖」の文字が見えます。
この美唄ダムは2門のクレストゲートを持つダムとして造られましたが、平成12年~16年に行われた施設改良工事によってゲートレス化されたそうです。







【史 跡 名】徳富(とっぷ)ダム
【訪 問 日】2016年5月28日
【所 在 地】北海道樺戸郡新十津川町
【ダム情報】河川名:石狩川水系徳富川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:2014年
【訪 問 記】
この日は空知の残りのダム、美唄ダムと新十津川の徳富ダムへ行きました。まず美唄ダムへ行ったあと、徳富ダムへと向かいました。「徳富」の地名・河川名は、アイヌ語から来ていて、しばしば流れを変じ、河跡がトク(隆起)して陸地を形成したことに由来するそうです。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)



