石狩管内(21)~恵庭・千歳
茂漁チャシ(恵庭市)

【城 跡 名】茂漁(もいざり)チャシ
【訪 城 日】1998年10月25日・2012年6月16日
【所 在 地】北海道恵庭市柏木
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕;弧状2条
【訪 城 記】
  以前、FSIROの坂田さんとチャシ巡りをした時に、場所がはっきりしないからとパスした茂漁チャシを探すことにしました。2万5000分の1地形図で目星をつけたところをぐるぐる回っているうちに「日本城郭体系」に載っている写真と似たような地形の場所を見つけました。
 すぐ近くに孝子堂宝物館という個人が建てた小さな博物館のようなものがあるんですが、そのすぐ手前の茂漁川左岸段丘部分が茂漁チャシのようです。例によって特に看板等もなかったので、確かにそこであるとは確認できませんでしたが、上ってみると確かに壕のように窪んでいる部分がありましたが、それが片側だけになっていました。
 「城郭体系」によると、台地の基部に長さ21mの弧状壕があり、そこから25mほど北の東端部に壕状の浅い窪みがあるということなので、私が見つけたものはその壕状の浅い窪みの方かもしれません。
 ただ横には孝子堂宝物館がありますし、すぐ裏には個人の住宅があって、なんだか個人所有の裏山という感じの場所なので、ちょっと気が引けてゆっくりは見ることができませんでした。(不審人物と思われるのも嫌ですし(^^;)) よく探したら弧状壕が発見できたかもしれません。(1998/10/25)


 この日は午前中にいちご狩りに行ったあと、せっかく北広島に来たので、恵庭・千歳にも足を伸ばして、しばらく行っていないこの周辺のチャシを「リアル攻城」してみることにしました。
  北広島と恵庭の境にある島松川左岸チャシ・島松Bチャシ・島松Cチャシのあと、車で移動し恵庭の茂漁チャシへ向かいました。茂漁チャシを訪城するのは14年ぶりくらいですか。小雨が降ってきたので遠景を撮影しただけです。手前にある孝子堂宝物館も以前のままでした。
 そのあと恵庭の道の駅に寄ったあと、千歳へ向かいました。(2012/6/16)

島松Cチャシ(恵庭市)

【城 跡 名】島松Cチャシ
【訪 城 日】2012年6月16日
【所 在 地】北海道恵庭市字西島松217-1,232-1・3~5,233-1~3,234,235-1,西10線
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条(牧草地造成のため今は見えず)
【訪 城 記】
 この日は午前中にいちご狩りに行ったあと、せっかく北広島に来たので、恵庭・千歳にも足を伸ばして、しばらく行っていないこの周辺のチャシを「リアル攻城」してみることにしました。
 島松Cチャシは、以前島松川左岸チャシ(島松Aチャシ)に来た時に、場所だけは確認していましたが、写真は撮っていなかったので、今回はそれも目的の一つでした。位置的には、島松川左岸チャシの道路をはさんで反対側にある小山が島松Cチャシです。ここは牧草地造成の際に整地してしまったとのことなので、遺構の確認などはせず遠景のみ写真におさめ、次に進みました。

カリンバチャシ(恵庭市)

【城 跡 名】カリンバチャシ
【訪 城 日】2013年10月14日
【所 在 地】北海道恵庭市黄金中央5丁目216-7
【形  態】
【主な遺構】
【訪 城 記】
 この日は恵庭渓谷の方に紅葉を見に行くことにしました。その前に恵庭にあるカリンバ遺跡に寄りました。(北海道文教大学の裏) カリンバ遺跡のことは以前から知っていましたが、そこにチャシがあることは先日久しぶりに「北の遺跡案内」を検索するまで知りませんでした。それで急に思い立って寄ったので、きちんと下調べもせず探索したので、壕跡らしきものは見つけることができましたが、深さも幅も50cmほどのものなので、本当にそれが壕跡なのか自信がありません。そのうちにきちんと下調べをしてから再訪したいと思います。

フレドイヒのチャシ(千歳市)

【城 跡 名】フレドイヒのチャシ(フレトイのチャシ、千歳神社チャシ)
【訪 城 日】1999年11月3日・2012年6月16日
【所 在 地】北海道千歳市本町3丁目13
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
 このフレドイヒのチャシは千歳市の中心からやや西側にある青葉公園内の千歳神社の近くにあります。以前、一度探したことがありますが、その時には千歳神社の拝殿の裏の方を探してみて、結局見つけることができませんでした。
 このチャシも『北海道 身近な歴史紀行』(北海道新聞社)に石碑と壕の写真が載っていたので、もう一度拝殿の周りを探してみたところ、社殿に向かって右側の千歳川に面した方に石碑と壕跡を発見しました。『日本城郭体系』『北海道のチャシ』等によると弧状の2条の壕がもともとはあったようですが、千歳神社を建てる際に破壊されてしまったらしく、現在は千歳川に面した側の部分だけが残されています。弧状だったことを考えるともともとの3分の1ほどしか残っていないのではないでしょうか?
 壕の深さはそう深くなく数十cmといったところでしょう。チャシ上からは千歳川が一望でき、まさにチャシに最適の立地条件を備えています。千歳川にはこの上流にアッテウシ・ペサ・シュトクンネとあわせて4つのチャシがありますが、千歳神社の場所はかつては「ロウサン」と呼ばれ、シコツ十六場所の一つにも数えられる漁場だったそうですから、これらのチャシは砦というよりは漁場に関係する見張り場所というものだったのかもしれません。(1999/11/03)


 この日は午前中にいちご狩りに行ったあと、せっかく北広島に来たので、恵庭・千歳にも足を伸ばして、しばらく行っていないこの周辺のチャシを「リアル攻城」してみることにしました。
 恵庭のチャシを回った後は千歳に移動し、青葉公園へ。携帯ゲームでは登録されていませんが、その近くにある千歳神社はフレドイヒのチャシ(フレトイのチャシ)跡です。以前来た時には壕が浅く感じましたが、今回改めて見て見ると石碑の後ろの方にある壕は深さ1mほどもありました。(草ボウボウでしたが(^^;)) 『北海道の文化38』に載っている「千歳川流域のチャシについて」という論文では、壕が二条あるとのことでしたが、もう一条はそれらしいところはあったものの判然としませんでした。
 そのあと神社にお参りすると、その周辺に12ある石神さまを巡るスタンプラリーがあったので、スタンプ好きのうちの坊主くんがスタンプラリーをやりたいと言いだしたので、しばし石神さま捜しをしました。全部スタンプを押すと社務所で絵はがきがもらえるそうですが、今回はパスして、次の目的地へ向かいました。(2012/06/16)

アッテウシのチャシ(千歳市)

【城 跡 名】アッテウシのチャシ
【訪 城 日】1998年10月25日・2012年6月16日
【所 在 地】北海道千歳市蘭越
【形  態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状3条、盛り土
【訪 城 記】
 このチャシも坂田さんと行った時には自衛隊の演習場内の山林中にあるということでパスしたチャシです。
 場所的には千歳市内から支笏湖へと向かう道路と道央自動車道が交差するあたりで、この自動車道から80mほど東側の段丘南端部にあるそうで、この付近はかつてアイヌのコタン(集落)が存在した地域だそうです。
 「城郭体系」によると昭和38年に一部発掘調査されているそうですが、壕は弧状の三重壕で、南側の第三壕は不完全な半弧だそうです。チャシの内側には竪穴住居跡と思われるものが2カ所あるそうです。

 ここもおよその場所の見当をつけ、「城郭体系」に載っている写真を手がかりに探したら、それらしき場所を発見しました。公園があり、そのすぐ裏が急な段丘となっており、その上にチャシがあるようです。場所的には南側を向いた段丘の南端部という感じでとても見晴しは良さそうです。
 結局場所を確認しただけで次へと向かいました。(1998/10/25)


 この日は午前中にいちご狩りに行ったあと、せっかく北広島に来たので、恵庭・千歳にも足を伸ばして、しばらく行っていないこの周辺のチャシを「リアル攻城」してみることにしました。
 フレドイヒのチャシの次は携帯ゲームにもあるアッテウシのチャシです。このチャシは自衛隊の演習地内にあるので、下から眺めるだけです。中世城郭研究会でまとめた『東国の中世城郭』に縄張り図が出ているので自衛隊に申し込めば見学できるんでしょうか?
 支笏湖方面へ向かう道道16号線と道央道が交わるあたりの北側の台地上にあり、以前と同じく近くの公園から遠景を撮影して次へ向かいました。(2012/06/16)

ペサのチャシ(千歳市)

【城 跡 名】ペサのチャシ
【訪 城 日】1998年9月27日・2012年6月16日
【所 在 地】北海道千歳市字蘭越
【創建年代】不明
【創 建 者】支骨の惣大将か?
【形  態】丘頂式
【主な遺構】壕:不整形楕円状の周壕1条
【訪 城 記】
 このチャシもFSIROの坂田さんと訪城したものです。『日本城郭大系』を見ると千歳市内には蘭越に3つチャシがあるようですが、そのうち「アッテウシのチャシ」は自衛隊の演習場内にあるそうなのでパス、あとの二つの内「ペサのチャシ」の方が場所がはっきりしていたので、まずそちらに向かってみました。
 このチャシの構造は、丘陵の先端部を一條の壕がC字状に囲んでいるそうで、壕と推定される地域のほぼ中央に長さ約2~3mhどの低い盛り土状のものが存在するそうですが、人為的なものかどうかは不明だそうです。
 また、このチャシについては松浦武四郎(北海道の名付け親)が『夕張日記』の中で触れていて、「支骨の惣大将の館なりしとて、慶安元年戊子免名師与之古津久留大戦と見えしものか」と書き記しているそうです。
 国道36号線を南に下り、千歳市内から支笏湖方面へ右折、しばらく走ると右の方に支笏湖病院が見えてきます。その近くにあるようなので、近くにある浄水場の駐車場に車を止めて、歩いてみることにしました。浄水場の脇の道を千歳川の方に歩いていくと木造の橋があり、それが『城郭大系』に載っている写真と一致、「おお、これだあ!」と思って川を渡ってみると「許可なくこれ以上の進入を禁ず <土地改良区>」という看板が...(お~い(^^;))
 その奥は丘陵になっていて、それがペサのチャシらしいんですが、柵があってそれ以上進めないようになっているし、上記の看板もあったので、一応証拠写真を撮ってそれ以上進むのは断念しました。
 そのあともう少し奥にある「シュトクンネのチャシ」を探してさけ・ますふ化場のあたりを回ってみました。千歳川沿いにあるはずなんですが、場所がわからずぐるぐる回り、結局断念しました。(1998/09/27)


 この日は午前中にいちご狩りに行ったあと、せっかく北広島に来たので、恵庭・千歳にも足を伸ばして、しばらく行っていないこの周辺のチャシを「リアル攻城」してみることにしました。
 アッテウシのチャシの次はペサのチャシですが、道道16号線をさらに支笏湖方面に進み、蘭越浄水場がある名水ふれあい公園に車を停めました。以前来た時には、浄水場の脇の道を進むと千歳川に架かる橋があり、橋を渡った向かいの山がチャシだったんですが、今回も同じように進もうとすると、なぜか道が閉鎖されていてそちらに進めません(T_T)
 仕方ないので公園に戻り、そちら側から遠景を撮影しました。(こればっかり…)
 そのあと、さらに支笏湖方面へ進み、いよいよ最終目的地のシュトクンネのチャシへ… と思ったら、途中曲がろうと思ったところで、道が閉鎖されていて進めません。以前のように回り込んでいこうとも思いましたが、もう日も陰ってきていたので、結局今回は断念し、またの機会に再チャレンジすることにしました、残念…(2012/06/16)

シュトクンネのチャシ(千歳市)

【城 跡 名】シュトクンネのチャシ
【訪 城 日】1998年10月25日
【所 在 地】北海道千歳市蘭越
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:周壕1条?
【訪 城 記】
 9月に坂田さんといっしょに探して発見できなかったシュトクンネのチャシですが、今回は坂田さんと「怪しいね」と言っていた川沿いに降りる道を進んでみました。ちょっと車で進むのは無理そうなので車を止めておき歩いて進みました。「城郭体系」によると、このチャシは千歳川沿いの道と支笏湖の方へと向かう道に挟まれた細い丘陵の先端部にあり、相対する二条の弧状壕によって囲む形に構築されているということでした。先端部寄りの壕は幅約4.3m、長さ約13.6m、深さ約0.8m、それに対する南側の壕は幅約5.9m、長さ約15m、深さ約1.9mで、V字状になっているということです。
 しばらく道を進むと、どうもそれらしき場所を発見しましたので、藪を踏みしめながら登ってみました。すると壕らしきものがあったので、これが先端部分の壕かと思ったのですが、それに対する壕が見つかりません。支笏湖方面へと延びる道があるはずですがそれもはっきりせず、どうも壕と思った窪みもどうも単なる道路のようでした(^^;)
 それでもう少し進むと今度こそは道路が二つに分かれ、それに挟まる形でのびる丘陵がありました。今度こそと思いまた、藪を踏みしめ登ってみたのですが、どうも壕らしきものは確認できませんでした(; 😉 結局、二つそれらしき台地を登ったのですが確認できずくたびれ損に終わってしまいました(^^;) (まあいい運動にはなりましたが(^^;))
 どうもいろいろ調べてみると、後から登った舌状台地がシュトクンネのチャシの場所で間違いなさそうですが、藪で埋まっていたのでしょうか? また再訪しなくてはいけないかもしれません(^^;) (ちょっと熊にでも会いそうな場所ですが...)

ケネフチのチャシ(千歳市)

【城 跡 名】ケネフチのチャシ
【訪 城 日】1999年11月3日・2000年6月1日
【所 在 地】北海道千歳市泉郷498ほか
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条(一部破壊)
【訪 城 記】
 このチャシは『日本城郭大系』には載っていないようですが、『北海道のチャシ』によると千歳市と長沼町の境にある泉郷にあり、「嶮淵川右岸、丘陵末端」「南側の一部道路工事により破壊」とあったので、嶮淵川の近くで南側に道路のある場所を探したところ、泉郷神社のある丘陵が丁度条件にあったのでたぶんここだろうと考えて、国道337号線を長沼方面へ北上しました。
 泉郷神社のある丘陵は高さ数十mでいかにもチャシがありそうな場所でしたが、上まで登って神社の周りを見ても遺構らしきものは見つけられませんでした。『北海道のチャシ』では1条の弧状の壕があるようですが、道路工事で壕のあった斜面が削られているようですので、壕はほとんど消滅してしまったのかもしれません。
 結局よく分からず、再び337号線を通って千歳市街地へと戻りました。ちなみに、この337号線沿いに「キウス周堤墓群」と呼ばれる遺跡があります。地面を丸く掘り、掘った土を周囲に土手状に積み上げ、中を墓地としたものですが、一見すると丸い土塁を備えた砦に見えなくもありません。ですから、一時はチャシではないかと思われていたそうです。大きいものは土手の周囲が75mもあるそうです。(1999/11/3)


 長都チャシのあと、去年探したケネフチのチャシをもう一度探索しました。あとで千歳市立図書館で「埋蔵文化財包蔵地」地図で確認しましたが、場所は以前訪れた泉郷神社の場所で間違いありませんでした。
 神社の周辺をまたぐるっと見て回りましたが、壕かなと思われるものをいくつかみつけましたが、正直本当にそれが壕なのかどうかは自信がありません(^^;) いずれにしても神社建設の際、そして南側の道路建設の際にかなり破壊されてしまったのでしょうね。(2000/6/1)

長都チャシ(千歳市)

【城 跡 名】長都チャシ
【訪 城 日】2000年6月1日
【所 在 地】北海道千歳市長都
【形  態】平地式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 この日は仕事が休みでしたので、近場のチャシ巡りに行ってきました。まずは千歳市内長都川流域にある長都チャシです。長都川流域には長都チャシを含め3つのチャシがありますが、現在長都地区は田園地帯となっているのでもわかるように比較的平坦な土地です。そこにあった3つのチャシも当然低い位置に作られており、平地式に分類されています。
 長都チャシは2万5000分の1地名図でおおよその位置の見当を付けてあったので、その場所に向かいました。長都小中学校の近くに南北に長都川が流れていますが、長都チャシはその左岸で、長都川に向かって伸びる低い段丘の先端部に位置します。見当を付けて置いた場所に行くと、農家の敷地の裏手の方に長都川の方へ向かって伸びる三角の部分があり、そこが雑木林となっています。どうやらここがかつての長都チャシのようです。
 長都チャシは、この三角の部分の根本の所に弧状の壕が1条走るという丘先的なチャシだったようですが、『北海道のチャシ』等によると「破壊」「消滅」などと書かれていますのでこの壕は消えてしまっているようです。ですが、丁度長都川の方に伸びる形で低い三角の台地が残っていますのでかつてのチャシの様子をそれからうかがえることができます。

都のチャシ(千歳市)

【城 跡 名】都のチャシ
【訪 城 日】2000年6月1日
【所 在 地】北海道千歳市都
【形  態】平地式
【主な遺構】空壕:円状1条
【訪 城 記】
 ケネフチのチャシのあと、千歳市立図書館に行くと「埋蔵文化財包蔵地」の地図があったので、それで都のチャシと釜加のチャシの場所を確認し、行ってみました。
 都のチャシは長都チャシと長都川をはさんで反対の方にあり、現在では民家の庭先になっているようです。千歳川と長都川にはさまれた低い段丘上にあったようですが、今ではその3分の1ほどしか残っていないようです。民家の敷地内でしたので道路から眺めただけですが、木が残り少し盛り上がっている部分があったのでそこがチャシだったのだろうと想像しました。
 いずれにしても、ここも長都チャシのように砦というより見張り場等として使われたものと思われます。

釜加のチャシ(千歳市)

【城 跡 名】釜加のチャシ
【訪 城 日】2000年6月1日
【所 在 地】北海道千歳市釜加
【形  態】平地式
【主な遺構】双円状の周壕
【訪 城 記】
 都のチャシの次は、釜加のチャシに行ってみました。ここは長都小中学校から1.4kmほど北に行ったところですが、これまた現在では民家の敷地内になっているようで、雑木林となっています。すぐ東側を千歳川が走っており、低い段丘上にあったようです。南側半分は畑になってしまっていおり、北側半分しか残っていないようですが、それも草や木が生い茂っている状態で、とてもチャシがあったとは想像できません。
 残念ですが、長都周辺の3つのチャシはあまり保存状態としては良くないようです。