【史 跡 名】琴似屯田兵屋
【訪 問 日】2000年9月10日・2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市西区琴似2条5丁目
【訪 問 記】
琴似屯田兵屋はJR琴似駅の近くの道をちょっと入ったところにあります。現在はこの辺りは繁華街ですが、ここは明治8年(1875)入植の最初の屯田兵村でした。この屯田兵屋は間口5間・奥行3間半、柾葺切妻造の土壁で下見板、武者窓形式でした。中は畳間・炉を切った板間・土間に三分されていました。この2条5丁目のものは復元兵屋ですが、琴似神社境内にはより古いままの屯田兵屋が保存されているそうです。
この時はチャシ巡りのついでにちょっと寄っただけだったので、ゆっくり見ることができませんでした。(近くに駐車場もないし) (2000/9/10)




歴史学同好会・札幌史跡ツアー、屯田の森琴似屯田記念碑群の次は琴似屯田兵屋跡(国史跡)です。
屯田の森からしばらく歩き、地下鉄琴似駅の方に戻ると、琴似神社にあったのと似たような屯田兵屋が復元されています。こちら二度目の訪問ですが、国指定史跡となっているもので、琴似神社にあるもの(道指定有形文化財)に比べると、ちょっと小ぎれいかも(^^;) いずれにしても冬は寒そうな家ですが、北海道開拓の村にある茅葺きの開拓小屋に比べるとまだ立派なものです。私たちの先祖はそんな苦労をして北海道を開拓していったんですねえ。(2005/8/21)






【史 跡 名】清華亭(せいかてい)
【訪 問 日】2001年7月26日
【所 在 地】北海道札幌市北区北7条西7丁目
【訪 問 記】
清華亭はJR札幌駅の西側、北大のクラーク会館の道路をはさんで南側にあります。
明治初期札幌の町作りにあたった岩村通俊判官は、1871年に町の南に遊興地薄野を作り、北に偕楽園という公園を作りました。その中に貴賓の接待所として1880(明治13)年に作られたのがこの清華亭です。その庭園は和洋折衷のもので、1881(明治14)年、明治天皇が来道し札幌農学校を視察した後、休息所としても利用した所です。内部は和室棟・洋室棟に別れ、さすがに美しいものです。
また洋室棟の出窓は本道初期洋風建築では珍しい例だそうです。




【史 跡 名】北海道庁旧本庁舎(現道立文書館)
【訪 問 日】2001年7月26日
【所 在 地】北海道札幌市中央区北3条西6丁目
【訪 問 記】
北海道庁旧本庁舎は赤れんが庁舎の名で親しまれる北海道のシンボル的存在です。この庁舎はネオバロック様式の建築といわれ、北海道の資材をもとに日本人の手によって設計されたものです。洋風レンガ造りの道内を代表する建築物の一つで、1886(明治19)年に施工、途中で岩村通俊判官の名で塔を増築し、1889(明治22)年に完成しました。しかし塔は不安定なため1894(明治27)年に撤去され、1908(明治41)年、火災で内部が焼失したため若干改装と屋根を改修しました。
その後、100年の風雪に耐えてきましたが、1968(昭和43)年塔を加えて建築当時の姿に復元されました。
現在では道立文書館として、北海道の歴史に関する文書や記録などを収集・保存するとともに、それらの資料を利用するための施設として使われています。個人的なことをいえば、平日しか利用できないというのがちょっと不便ですけど...(^^;)






【史 跡 名】旧札幌農学校演武場(時計台)
【訪 問 日】2001年7月26日・2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区北1条西2丁目
【訪 問 記】
旧札幌農学校演武場は「時計台」の通称で親しまれる札幌あるいは北海道のシンボル的存在です。この建物は札幌農学校の初代教頭クラーク博士の帰国後、第2代教頭ホイラー博士の構想図をもとに開拓使工業局の設計・監督により1878(明治11)年、札幌農学校の演武場として建てられました。演武場の2階は兵式訓練や体育の授業を行うほか中央講堂として使用され、1階は研究室・講義室・動植物や鉱物の標本展示室として使用されました。
時計台の正面にかけられている「演武場」と書かれた木額は、維新の元勲岩倉具視の筆によるもので、現本の書は北海道大学に保管されているそうです。
簡素ではありますが、開拓期の北海道の息吹を感じさせる建物ですね。(2001/7/26)







歴史学同好会・札幌史跡ツアー、日本基督教団札幌教会の次は、いよいよ最後の目的地、旧札幌農学校演武場、通称・時計台です。現在は札幌市郷土博物館となっています。
まだ雨は降っていましたが少し降りが弱くなったので、日本基督教団札幌教会から、最後の目的地時計台へと向かいました。時計台に付いた頃には、汗やら雨やらでシャツが濡れていたので、展示を見るのもそこそこに二階に行き、タオルで頭や首筋を拭い、やっと人心地つきました。着替えたいと思いましたが、バッグに入れておいた着替えのTシャツも雨がしみこんで濡れていたので、あきらめました。まあ、この日行った所の中では、旧永山武四郎邸と時計台は以前行ったことがあったので、ゆっくり休憩させてもらいました(^^;)
ずっと雨降りでしたが、なかなか楽しいツアーでした。(2005/8/21)
【史 跡 名】新琴似屯田兵中隊本部
【訪 問 日】2001年9月23日
【所 在 地】北海道札幌市北区新琴似8条3丁目
【訪 問 記】
ここは以前、前を通ったことはあったんですが、結局寄らずじまいだったので、ふと思いつき寄ってみました。時間が合わず閉まっていましたので、外側からだけ見学しました。見たところ、やはり江別の野幌屯田兵第二中隊本部とそっくりでした。
新琴似に屯田兵が入植したのは明治20(1887)年のことで、中隊本部内には農具や簿書類が展示されているそうです。





【史 跡 名】豊平館
【訪 問 日】2001年10月6日
【所 在 地】北海道札幌市中央区南10条西4丁目中島公園内
【訪 問 記】
豊平館は明治13年(1880)に開拓使の洋式ホテルとして現在の北1条西1丁目に作られ、明治天皇行幸の時宿泊所としても使われたものです。昭和33年(1958)の北海道博覧会のおりに現在の地に移設されました。現在でも限られた数ですが市民の結婚式場として使用され、私が訪問した日も2組の式があったようでした。また2階には明治天皇が宿泊された際に使用された菊の御紋章入りの椅子が展示してありました。



【史 跡 名】八窓庵
【訪 問 日】2001年10月6日
【所 在 地】北海道札幌市中央区中島公園日本庭園内
【訪 問 記】
八窓庵は中島公園の日本庭園内にありますが、茶人として知られる小堀遠州が江州小室郷小室城内(現滋賀県東浅井郡浅井町上野)に晩年建てたと伝えられる茶室です。八窓庵の名は連子窓3、下地窓4、衝上窓(天窓)1の合計8戸の窓を開いていることに由来しています。大正8年(1919)に札幌市内に移築されるまでは現長浜市宮前町舎那院の境内にあり、昭和11年(1936)に国宝に指定、同25年(1950)には法の改正によって重要文化財に指定されました。昭和46年(1971)に長沢元清氏から札幌市に寄付され、同62年(1987)に遠州茶道宗家十二世小堀宗慶宗匠がその庭(露地)を作庭して札幌市に寄贈しました。
ちょっと写真に収めるのには苦労しましたが、八窓庵だけでなくの周りの日本庭園もとてもいい雰囲気でした。



【史 跡 名】旧札幌控訴院(札幌市資料館)
【訪 問 日】2001年10月6日
【所 在 地】北海道札幌市中央区大通西13丁目
【訪 問 記】
旧札幌控訴院は大通公園の西13丁目にあります。大正15年(1926)に完成しましたが、全国で八つ建設された控訴院のうち、現存するのはここと名古屋の二ヶ所だけだそうです。外壁は内側にレンガ、外側に軟石を交互に凹凸を付けて積み上げた「組積造」で、軟石を使った建物としては全国的にも貴重なものだそうです。平成9年(1997)には国の登録有形文化財にも選ばれました。
内部は札幌の歴史展示室、郷土史相談室、おおば比呂司記念室などがあります。ちょっと残念だったのは建物の前に車が停まっていて、どうしても写ってしまったこと(^^;) ま、今なお使われている建物としては仕方ないんでしょうけど。




【史 跡 名】旧開拓使麦酒醸造所
【訪 問 日】2003年4月13日
【所 在 地】北海道札幌市東区北2条東4丁目
【訪 問 記】
札幌駅から少し離れたところに札幌ファクトリーという複合施設がありますが、ここは明治9(1876)年創設の旧開拓使麦酒醸造所のあったところです。
現在では映画館や様々な店舗が並ぶサッポロファクトリーですが、その一角にはかつての醸造所時代のものと思われるレンガ造りの建物を利用した店舗もあります。北7条東8丁目にはかつての第二工場を利用した開拓使麦酒記念館もあるそうです。


【史 跡 名】旧永山武四郎邸
【訪 問 日】2003年4月13日・2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区北2条東6丁目
【訪 問 記】
札幌駅から少し離れたところにあるサッポロファクトリーの並びに和洋折衷の旧永山武四郎邸があります。これは、薩摩藩出身で開拓使長官黒田清隆の腹心で、のちには北海道庁官や屯田兵司令官を務めた永山武四郎の私邸として明治13(1880)年前後に建築されたものです。玄関・ホール・応接室等は洋風ですが、和室もあり、明治前半期における上流住宅の特色をうかがわせるものです。
この建物は、明治44(1911)年三菱合資会社に買収され、同社の北海道における炭坑事業調査・起業準備等の基地として使用されました。昭和12(1937)年頃には北側部分が解体され新棟を新築し、そちらは三菱工業セメント寮となりました。昭和60年9月に、当時の所有者・三菱工業セメント株式会社から札幌市に寄贈され、現在では北海道有形文化財に指定されています。
ちなみに、永山武四郎は屯田兵育ての親といわれ、旭川市には彼の名が冠された永山屯田兵村も存在し、現在も永山という地名が残っています。(2003/4/13)



歴史学同好会・札幌史跡ツアー、札幌カトリック教会の次は旧永山武四郎邸です。
札幌カトリック教会からさらに北に進むと、道の指定文化財になっている旧永山武四郎邸があります。永山武四郎は薩摩出身で、屯田兵の創設と指揮に当たり、北海道庁長官も務め、開拓期の北海道において大きな役割を果たしました。この建物の面白いところは普通は廊下などを挟んでいる和室と洋室がつながっているところでして、いかにも明治期の建物という気がします。
実はこの頃になるとだいぶん移動疲れが出てきてまして、和室の畳の上に座り込んだり、洋室のソファに座ったりして、しばらく休んでいました(^^;) 雨もひどくなってきたので、写真も撮らずじまいでした。(2005/8/21)
【史 跡 名】伊夜日子(弥彦)神社
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区中島公園1番8号
【訪 問 記】
この日は歴史学同好会の史跡ツアーに行ってきました。昨年(千歳・恵庭方面)は行かなかったので、史跡ツアーの参加は初めてでした。ドニチカ切符(土日は乗り放題)で地下鉄を使っての移動でしたが、なかなかハード(?)な一日でした(^^;) (残念ながら参加者が6名と少なかったですが)
まずは地下鉄南北線札幌駅に集合し、ドニチカ切符を購入、南北線幌平橋駅まで行きました。そして中島公園南端にあります伊夜日子(弥彦)神社へと向かいました。ここは新潟県の弥彦神社の末社で、明治の末に新潟県から札幌に移住した人びとによって建立されたそうで、昭和45年には太宰府天満宮より菅原道真公を分祀しているため「札幌の天神様」と呼ばれているそうです。建物自体は20年ほど前に立て直されたものですが、なかなか良い雰囲気でした。




【史 跡 名】札幌護国神社
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区南15条西5丁目1番地
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、伊夜日子神社の次はそのすぐ側にある札幌護国神社です。
明治10年の西南の役で戦病没した屯田兵の霊を明治12年に祀ったのが始まりだそうで、明治40年に中島公園に移転し、昭和8年現在地に札幌招魂社を造営して、昭和14年に護国神社となったそうです。
時折、お参りに来る方がいました。

【史 跡 名】札幌市交通資料館
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市南区真駒内東町1丁目
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、札幌護国神社の次は札幌市交通資料館です。
また幌平橋駅から南北線に乗り、自衛隊前駅で降りました。その近くの高架下にこの交通資料館があります。資料館の建物自体は小さいですが、その周囲の高架下の空き地にいろいろな車両が展示してあります。(高架下とはいえ野ざらしですので結構痛んでいるものもありましたが) 資料館にはいろいろな模型や札幌の交通の歴史に関するものがいろいろと展示してありましたが、正直こういう方面はあまり興味がないのでよく憶えていません(^^;)
なかには電車のジオラマのようなものがあって、その電車をレバーで操作できるようになっていました。
【史 跡 名】エドウィン・ダン記念館
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市南区真駒内泉町1丁目(エドウィン・ダン記念公園内)
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、札幌市交通資料館の次はエドウィン・ダン記念館です。
また自衛隊駅から南北線に乗り、終点・真駒内駅で降りました。10分ほど歩くと郵便局の近くにエドウィン・ダン記念館があります。エドウィン・ダンについては名前を聞いたことがある程度の知識しかありませんでしたが、クラーク、ケプロンらのような「お雇い外国人」の一人でした。ただしクラーク・ケプロン等はその役割を終えると故国へ帰っていきましたが、エドウィン・ダンは一時帰国したものの再び日本に帰ってきて、日本人女性と結婚し、日本でその生涯を終えました。
この記念館は、ダンが指導者として活躍していた真駒内種畜場の事務所として建てられた建物で、第2次大戦後、種畜場が進駐軍のキャンプとして接収させられたため、現在地に移築され記念館となったもので、もとの場所は現在自衛隊の駐屯地となっているそうです。内部にはエドウィン・ダンの生涯を描いた23枚の油絵や写真、ダンの遺品などが展示されていて、係員の方がとても詳しく説明して下さいました。また応接室で昼食を取る時にはお茶も出して頂き、大変親切にして下さいました。
ちなみにダンの御子孫は第2次大戦後日本に帰化し、現在滋賀県の彦根市にいらっしゃるそうです。またあの町村牧場の創始者町村金弥氏(現外相の祖父)もダンの教えを受けた一人で、いまでもつながりがあるようです、って玄関にまちむら牧場のアイスが売ってました(^^;)
記念館を出てからはそのすぐ裏にあるエドウィン・ダン記念公園(旧真駒内中央公園、今年の4月に改称されたそうです。)内のダンの銅像も見てきました。


【史 跡 名】水天宮
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区南9条西4丁目429番地
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、エドウィン・ダン記念館の次は水天宮です。
真駒内駅まで戻り、また南北線に乗って中島公園駅で今度は降りました。歩いてすぐの所に水天宮がありますが、これは明治17年に旧久留米藩士の水野氏が九州久留米水天宮本宮より分祀したもので、祭神を見るなぜか天之御中主神、大国魂神などの他に、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院徳子のこと?)、平二位時(二位尼時子のこと?)などがありました。安徳天皇、二位尼は入水しているからわかるような気がするけど、徳子は救われたんじゃなかったっけ?


【史 跡 名】豊川稲荷(豊川山玉宝寺)
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区南7条西4丁目1-1
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、水天宮の次は豊川稲荷です。
水天宮からすすきの方面にしばらく歩くと、豊川稲荷がありました。「稲荷」とはいいますが、本来は玉宝寺という禅寺のようで、東海地方にある妙厳寺・豊川稲荷が本寺だそうです。明治期にあった薄野遊郭の娼妓達を供養し、更には水子供養のために建立されたようです。正面は禅寺、その脇にお稲荷さんと水子地蔵が並んでいるのは、ちょっと不思議な光景でした。



【史 跡 名】琴似神社
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市西区琴似1条7丁目1番30号
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、豊川稲荷の次は琴似神社です。
豊川稲荷のあとすすきの駅から地下鉄南北線に乗り、次の大通駅で東西線に乗り換え、琴似駅で降りました。そこから10分ほど歩くと琴似神社があります。
琴似神社は明治8年に北海道最初の屯田兵として入植した人々が創建した神社ですが、この屯田兵の中には現在の伊達市に入植した亘理伊達家中の人々が少なくなく、亘理伊達家の祖伊達成実を武早智雄神と尊称して祀ったそうです。また、旧会津藩の武士たちも多く入植し、平成6年には会津藩祖の保科正之・土津霊神も合祀されているそうです。
本殿の右側には屯田兵屋があり、道の指定文化財となっているそうです。


【史 跡 名】屯田の森琴似屯田記念碑群
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市琴似2条7丁目
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、琴似神社の次は屯田の森琴似屯田記念碑群です。
琴似神社の道路を挟んで向かい側には西区役所があり、その一角の屯田の森には琴似屯田に関する記念碑が集められています。全部で5つあり、「琴似屯田百年記念碑」「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」「記念碑(琴似屯田開村記念碑)」「屯田兵本部趾」「琴似屯田兵顕彰碑」が並んでいます。






【史 跡 名】札幌カトリック教会
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区北1条東6丁目10-6
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、琴似屯田兵屋跡の次は札幌カトリック教会です。
再び琴似駅から東西線に乗り、バスセンター駅でおり、北の方にしばらく歩くと北一条通に面して札幌カトリック教会があります。ここは明治・大正期に建てられた結構古いものですが、教会堂は最近修復されたのか、随分ときれいに新しくなっていました。教会堂の横にある司祭館は石造りで、明治31年(1898)に建てられたそうです。


【史 跡 名】日本基督教団札幌教会
【訪 問 日】2005年8月21日
【所 在 地】北海道札幌市中央区北1条東1丁目2-4
【訪 問 記】
歴史学同好会・札幌史跡ツアー、旧永山武四郎邸の次は日本基督教団札幌教会です。
それまでも間断なく小雨が降り続いていたんですが、旧永山武四郎邸を出た頃から雨足がひどくなり、この日本基督教団札幌教会に着いた頃にはかなりひどい降りになっていて、外から建物を眺める余裕もなく、急いで教会の玄関の中に入り雨宿りさせてもらいました。資料によると明治37年(1904)創建の石造りのなかなか趣のある建物なんですが、それどころじゃありませんでした(^^;)
そのうちに、もう一度写真を撮りに行きたいものです。
【史 跡 名】豊平峡ダム
【訪 問 日】2014年9月23日・2017年10月28日
【所 在 地】北海道札幌市南区定山渓7区
【ダム情報】河川名:石狩川水系豊平川、型式:非対称放物線アーチ式コンクリートダム、ゲート:クレストゲート×5門・コンジットゲート×2門、完成年:1972年
【訪 問 記】
この日は豊平峡ダムにダムカード(「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)をもらいに行きました。以前、紅葉の時期に来た時にはものすごく渋滞していましたが、今回はスムーズに来れました。今まで行ったダムは重力式コンクリートダムとロックフィルダムが多かったですが、ここはアーチ式コンクリートダムとちょっと違う型式で、弧を描くアーチがきれいです。
写真4はダムの前にある「だむみえ~る」という展望レストランからの眺めですが、これもおすすめのビューポイントです。 (2014/9/23)





この日は久しぶりに豊平峡へと行きました。というのはダムに関連してダムカレーというものがあるということを知ったからです。北海道にはここの豊平峡ダムの他に小樽の朝里ダム、三笠の桂沢ダム、今金の美利河ダムにダムカレーがあるそうで、朝里ダムカレーはこの前行ったので、次に近い豊平峡へ、ということで来てみました。
豊平峡ダムは相変わらずアーチがとてもきれいでしたが、紅葉はすっかりピークを過ぎてしまった感じでした。ダムの上の方にあるレストハウス「だむみえ~る」は紅葉シーズンの9月末から10月末の約1ヶ月間しか開業しておらず、ダムカレーもその時期しか食べられないそうです。
豊平峡ダムと同じくダムカレーもアーチ式になっていて、とてもおいしいカレーでした。ただ、量的にはやや少なく、もっと何か食べたいな~という感じでした(^^;) それから漁川ダムの管理所にあったダムカレーガチャコレクションを売っていて、どうやら北海道ではここしか売っていないようでした。4回チャレンジして、なぜか一番最初にシークレットの渡良瀬貯水池(ハート型の)が出て、あとは宮ヶ瀬ダム、とよね村ダムが2個という結果で、残念ながら豊平峡ダムカレーは出ませんでした(--;) (2017/10/28)



ダムカレーガチャコレクション




【史 跡 名】定山渓ダム
【訪 問 日】2014年10月25日
【所 在 地】北海道札幌市南区定山渓8区
【ダム情報】河川名:石狩川水系豊平川支流小樽内川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:クレストゲート×2門・コンジットゲート×1門、完成年:1989年
【訪 問 記】
この日は札幌の定山渓ダムに行ってみました。行ってみるとダムの下流園地には広い駐車場もあって、多くの人が訪れていました。遊歩道を歩いて少し上ったところには無料のダム資料館もあり、ダムについてのクイズに答えたりしながら楽しく学べるコーナーもありました。
ダムはご覧の通り堤高が高く、下から見上げるととても迫力があり、とても印象に残っているダムです。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)






