江差町(3)
開陽丸

【史 跡 名】青少年研修施設開陽丸
【訪 問 日】1997年8月10日・2015年5月5日
【所 在 地】北海道檜山郡江差町津花町公共マリーナ
【訪 問 記】
 開陽丸は江差港内公共マリーナの一角に浮かんでいます。平成2年(1990)にオープンし、オランダに保存されていた開陽丸の設計図によって忠実に復元された鉄筋コンクリート造りの軍艦とオランダ風洋館の管理棟があります。
 開陽丸は徳川幕府が海軍力強化のためオランダに依頼し慶応2年(1866)に完成した当時最新鋭の軍艦でした。翌年徳川幕府に引き渡されましたが、幕府は崩壊、艦長榎本釜次郎(武揚)は8艘の軍艦を指揮して蝦夷地へ向かいました。彼ら旧幕府軍は箱館を占領し、松前藩の経済基地江差へ向かいましたが、明治元年(1868)11月15日、暴風に遭遇し江差港内で座礁沈没しました。
 それから107年後の昭和50年(1975)、江差教育委員会が引き揚げ調査を行い、3万3000点の遺物を引き揚げました。復元された開陽丸の内部では、これら引き揚げられた遺物を化学処理して展示し、そのほか艦長室・会議室などが復元されていました。一画には実際にラダーを動かして艦を操作するシミュレーションマシンもありました。(1997/8/10)


 3年ぶりの道南旅行三日日、法華寺・旧檜山爾志郡役所と回った後は奥さんのリクエストで開陽丸へと向かいました。この日は風が強くて甲板に出ると風で飛ばされそうでした。近くの鴎島もよく見えました。中には引き上げられた多くの遺物が展示してあったり、人形を使って再現してあったりと、工夫して展示されています。私はやりませんでしたが、榎本武揚の衣装等を着て写真を撮ることもできます。うちの息子は入り口でもらったクイズを探して答えを探すのを楽しんでいました。(2015/5/5)

法華寺

【史 跡 名】法華寺
【訪 問 日】2015年5月5日
【所 在 地】北海道檜山郡江差町本町71
【訪 問 記】
 3年ぶりの道南旅行三日日、ホテルを出発しまずは法華寺へと向かいました。ここは日蓮宗の古刹で、伝説では日蓮の高弟である日持が、1291(正応4)年に上之国の小森に庵を結び、のちに京都の本満寺の日尋が再興して法華寺と命名したと言われているそうです。1665(寛文5)年に江差の椴川に移り1671年に現在地に移転したそうです。
 本堂は1721(享保6)年に日益により建てられ、本堂の天井には江戸時代中期に池大雅が描いたとされる「八方睨みの竜」があります。これは残念ながら撮影禁止とのことで写真はありませんが、たしかにどちらから見ても睨まれているような気がしました。
 また山門はもとは檜山奉行所の正門だったそうで、1882(明治15)年に現在地に移築されたそうです。

旧檜山爾志郡役所

【史 跡 名】旧檜山爾志郡役所
【訪 問 日】2015年5月5日
【所 在 地】北海道檜山郡江差町中歌町112
【訪 問 記】
 3年ぶりの道南旅行三日日、法華寺のあと旧檜山爾志郡役所へと向かいました。ここは北海道で唯一残っている郡役所で、1887(明治20)年にたてられた総2階建て作りの洋館で、その後、檜山支庁と江差警察署の合同庁舎、江差警察署の単独庁舎、江差町役場の分庁舎などに使用されたそうです。1992(平成4)年には道指定有形文化財に指定され、1996(平成8)年から1997(平成9)年にかけて創建当時の姿に復元・整備されたそうです。警察署も併設されていたということで、奥には監獄も復元されていました。また階段も踏み板のすり減った部分がわかるように黄色の樹脂を使って復元したり、壁の布クロスも当時のままに復元し、復元の様子も展示していました。
 また前庭には、土方歳三と榎本武揚が江差沖で座礁した開陽丸を見ており、その際に土方が松の木を叩き嘆き、その後瘤が出来て曲がっていったという伝説が残る「土方歳三 嘆きの松」があります。また郡役所が出来る前、この場所には江差西在郷の行政経済を統括する藩府として檜山奉行所があったということでこの場所の前の坂を「奉行坂」と言ったそうです。その奉行坂の碑もすぐ前に立っています。
 なかなか良い所だったんですが、何しろこの日は日の当たる屋外よりも日の当たらない屋内が寒くて参りました。そのせいでゆっくり見ることが出来なかったのがちょっと残念でした。

上ノ国町(5)
上国寺

【史 跡 名】上国寺
【訪 問 日】1997年8月10日
【所 在 地】北海道檜山郡上ノ国町勝山416
【訪 問 記】
 この日は松前を出発し、まず勝山館を見たあと国道まで戻ると、国道沿いに上国寺・上ノ国八幡宮・笹浪家などの史跡があったので、寄ってみました。
 上国寺は、寺伝によると嘉吉3年(1443)僧秀延阿闍梨が真言宗として創建、3代大蔵法印秀海の時から領主菩提所となり、10代了徹の時浄土宗に改宗し、のち松前光善寺の末寺になったそうです。本堂は国の重要文化財で、建築年代ははっきりしませんが永禄年間から寛永年間(1558~1644)の頃のもののようです。

上ノ国八幡宮

【史 跡 名】上ノ国八幡宮
【訪 問 日】1997年8月10日
【所 在 地】北海道檜山郡上ノ国町勝山238
【訪 問 記】
 上ノ国八幡宮は上国寺のすぐ東側にあります。松前家の始祖・武田信廣が文明5年(1473)勝山館に館神として創建したのが起源で、社殿は勝山館の南端にありましたが、本殿だけで、勝山館の麓にあった若宮社が拝殿となっていました。明治9年(1876)現在地に本殿を遷した際に江差の曹洞宗正覚院の金比羅堂を移設して拝殿とし、若宮社は八幡宮に合祀されました。本殿は明和7年(1770)建立の一間社流造で道内神社建築としては最古のものの一つだそうです。
 また拝殿も重厚な彫刻が施されていて、なかなか美しいものでした。

旧笹浪家

【史 跡 名】旧笹浪家
【訪 問 日】1997年8月10日
【所 在 地】北海道檜山郡上ノ国町勝山
【訪 問 記】
 笹浪家は上ノ国八幡宮の東側に隣接し、国の重要文化財に指定されています。安政5年(1858)頃の建築で、道内の現存民家としてはもっとも古いものの一つです。切妻造平入・石置き板葺き屋根・土間に漁夫のたまり場があるなどのちのニシン番屋の原型を示しています。
 私は外側から眺めただけですが、当時としてはなかなか立派なものだったんでしょうね。傷みが激しく昨年から保存修復作業を行っており、平成14年に終了予定だそうですが、その頃にまた行ってみたいですね。

砂館神社

【史 跡 名】砂館神社
【訪 問 日】1997年8月10日
【所 在 地】北海道檜山郡上ノ国町北村
【訪 問 記】
 砂館神社のある場所は松前家の始祖・武田信廣が新婚生活を送ったという洲崎館跡にあります。この神社は寛正3年(1462)武田信廣が古櫃の浜に流れ着いた黄金の毘沙門天を館神として祀り、毘沙門堂と称したのが創建といわれています。明治4年(1871)に砂館神社と改称、祭神も素戔嗚尊に改められました。現存の本殿(道文化財)は安永8年(1779)の造営と考えられています。

上ノ国ダム

【史 跡 名】上ノ国ダム
【訪 問 日】2017年8月5日
【所 在 地】北海道檜山郡上ノ国町内郷地先
【ダム情報】河川名:天野川水系目名川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:2002年
【訪 問 記】
 道南旅行二日目スタートです。まずは道の駅みぞぎの郷きこないへ。ここで道の駅スタンプとマンホールカードをGETし、そのあと上ノ国へ向かいました。
 ダムまでの道が結構狭くて車2台がすれ違えないような道でした。でもダムはとってもきれいなダムでした。途中で堤体が曲がっているのは、地盤が悪いため設計段階でそのようにしたようです。このあと道の駅上ノ国もんじゅに寄ってダムカードをもらいました。

乙部町(2)
館の岬

【史 跡 名】館の岬
【訪 問 日】2015年5月4日
【所 在 地】北海道爾志郡乙部町字館浦付近
【訪 問 記】
 3年ぶりの道南旅行二日日、午後は道の駅巡りです。江差を通り過ぎ、「ルート229元和台→てっくいランド大成」と回った後、国道229号線を江差方面に戻りました。旧熊石町を通り過ぎ乙部町の市街地の手前で素晴らしい景色が見えてきたので写真におさめてみました。写真の場所のもう少し南が館の岬という所で、白亜の断崖が東洋のグランドキャニオンと呼ばれているそうです。凝灰岩等の地層が地殻変動で隆起し、その断層面が露出しているそうです。

官軍上陸の地

【史 跡 名】箱館戦争官軍上陸の地
【訪 問 日】2015年5月4日
【所 在 地】北海道爾志郡乙部町元町付近
【訪 問 記】
 3年ぶりの道南旅行二日日、午後は道の駅巡りです。てっくいランド大成まで行ったあと、江差方面に戻り乙部町市街地を通っている時に、「官軍上陸通り」という案内板に目がとまり、気になって車を停めてみると、その横の通りの上にも「官軍上陸通り」の看板が。その道を進んでみると、突き当たりの漁港付近に「箱館戦争官軍上陸の地」という碑が建っていました。
 その碑の説明板によると、明治2年(1869)4月9日未明、乙部の海上に官軍の大艦隊が押し寄せ、津花(元町)、相泊(館浦)に上陸し、乙部に参謀本陣を設置して臨戦態勢を整え、江差を奪還、その後箱館に進軍し五稜郭を目指したそうです。というわけで、上陸した場所にその跡地として碑が建っているそうです。
 そしてそのあと江差の道の駅(北海道で一番小さい道の駅だそうです。)に寄って、江差のホテルへと向かいました。

今金町(2)
美利河ダム

【史 跡 名】美利河ダム
【訪 問 日】2015年10月11日
【所 在 地】北海道瀬棚郡今金町字美利河
【ダム情報】河川名:後志利別川水系後志利別川、型式:複合ダム(重力式コンクリートダム+中央遮水壁型ロックフィルダム)、ゲート:ローラーゲート、完成年:1991年
【訪 問 記】
 この日は今金の美利河(ぴりか)ダムに行きました。ここは忠別ダムと同じくロックフィルダムと重力式コンクリートダムの複合(コンバイン)ダムという珍しい型式です。ダムカードの情報によると、洪水調節するダムの中では堤頂長が日本一の長さ、現存するダムの中で美利河ダム魚道は日本一の長さなど見どころがいろいろあるようですが、写真でおわかりのようにこの日は雨だったので、ゆっくりダムを見る間もなく、早々に退散しました。帰る途中にピリカ遺跡があったので、ちょっとのぞいてきました。
(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)

ピリカ遺跡

【史 跡 名】ピリカ遺跡
【訪 問 日】2015年10月11日
【所 在 地】北海道瀬棚郡今金町字美利河228-1
【訪 問 記】
 この日は今金町の美利河ダムへダムカードをもらいに行きました。するとすぐ近くにピリカ遺跡という案内板があったので寄ってみることにしました。

 このピリカ遺跡は、1978年、美利河ダムの建設工事に伴い、ダム築堤の材料として大量の粘土が必要とされ、ピリカベツ川左岸の丘陵一帯で土質調査が行われました。その際に、試し掘りの穴の一つから石器が見つかり、遺跡の発見へとつながったそうです。
 発掘調査は1983年から始まり、これまでの調査で約20万点にも及ぶ石器が出土しており、今金町教委による範囲確認調査で約20万㎡もの広がりを持つことがわかっています。これらの石器は、今から約2万年前から1万年前のもので旧石器時代のものになります。1994年には全体の約半分にあたる99090㎡が国の史跡に指定されました。また出土した遺物の中には、長さが33cmと日本では最大級の尖頭器や、旧石器時代では珍しい装身具(かんらん岩製のビーズ)があり、163点が国の重要文化財に指定されました。遺跡近くの「ピリカ旧石器文化館」では、それらの重要文化財を展示していました。