【城 跡 名】オンネチャシ
【訪 城 日】1999年7月30日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字茶志骨520-1
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:半円状断続1条
【訪 城 記】
このチャシは野付半島の付け根、茶志骨川の河口近くの台地上にありますが、場所はよく分かりませんでした。後から考えれば野付半島へと行く道の方からチャシを確認できたのかもしれません。
【城 跡 名】タブ山チャシ
【訪 城 日】1999年7月30日・2002年5月5日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字茶志骨
【形 態】面崖式
【主な遺構】コの字状壕の連結などによる多郭構成
【訪 城 記】
このチャシは野付半島へと道が分かれる交差点の北側の丘陵上にあり、道路のすぐ近くに標柱があります。コの字形の壕の組合せで大きく五つの郭で構成されているようです。道路から見ると所々に壕跡と見られる窪みを見つけることができました。
登ってみようかとも思いましたが、雨が降っていましたし、針金を張って入れないようになっていたので遠くから眺めるだけにしました。(1999/7/30)


(山上に壕跡のようなものが見えません?)
ここも前回笹藪&小雨で断念したところですが、今回はしっかり登れました。ここはこの日一番の収穫だったかもしれません。
前回は有刺鉄線が張っていて入れないと思いこんでいましたが、よく見ると入口があり上に登っていく細い道も付いていました。上に登ると、コの字型の壕が4~5本ほど並び、二重の壕になっているところもありました。チャルコロフイナ1号・2号チャシと同じかそれ以上の面積があると思われ、道東のチャシの中でも大規模なものでしょう。一番奥の郭は堀底から2mほどの高さのところにあり、ここが主郭だったのではと思いました。(2002/5/5)













【城 跡 名】浜茶志骨チャシ
【訪 城 日】1999年7月30日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字茶志骨521
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:円形壕を中心に枝壕を配す
【訪 城 記】
このチャシは浜茶志骨の集落の南側にあるということでしたが、よくわかりませんでした。楕円形の壕があるそうです。
【城 跡 名】望ヶ丘チャシ
【訪 城 日】1999年7月30日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字標津
【形 態】孤島式(丘頂式?)
【主な遺構】円形周壕1条
【訪 城 記】
このチャシは標津市街地の南側、望ヶ丘森林公園内にあります。この公園は現在パークゴルフ場となっており、一番高い台地上にある忠魂碑の周辺がチャシだったようです。本来は忠魂碑を囲むように円形の壕があったようですが、私が見た限りではきれいに整地されていて、壕の痕跡らしきものはありませんでした。パークゴルフ場整備の際に削ってしまったのでしょうか?
忠魂碑の横に立っているチャシ跡の碑&説明板だけがここにチャシがあったことを偲ばせてくれます。


【城 跡 名】ホニコイチャシ
【訪 城 日】1999年7月30日・2002年5月5日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字標津1-20
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:コの字状1状
【訪 城 記】
望が丘チャシのあと会津藩標津表ホニコイ陣屋を探してみましたが、よく分かりませんでした。『北海道のチャシ集成図I』にはホニコイチャシというのが載っており、壕が崖に面したコの字形なので、同じもののようです。
あとで『北海道のチャシ』を見てみたところ、「1982年の調査でチャシであることが判明」とありますので、この陣屋はチャシを利用して建設したものなのかもしれません。(1999/7/30)
ここは前回見つけられなかったところですが、作業上のような所の裏にタブ山チャシと同じ黄色の標柱を発見したので、もしやと思ったらやっぱりそうでした。
ここはかつては会津藩が幕末に建てたホニコイ陣屋の跡と思われていましたが、発掘の結果チャシであることがわかったというものです。コの字型の壕とその内側に土塁があり、陣屋跡と思われたのも仕方ないなと思いました。(2002/5/5)






【城 跡 名】カリカリウスチャシ(伊茶仁第一チャシ)
【訪 城 日】1999年7月30日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字川北
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:コの字状(?)1条
【訪 城 記】
カリカリウスチャシは国指定史跡伊茶仁カリカリウス遺跡内にあり、周囲にはたくさんの竪穴式住居跡が残っているそうです。本当でしたら、じっくりと見て回りたいところでしたが、この頃が一番雨がひどく、徒歩でなくては行けないようでしたので、訪城を断念しました。
【城 跡 名】ワラビ山チャシ(伊茶仁第二チャシ)
【訪 城 日】1999年7月30日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字川北
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:弧状断続1条
【訪 城 記】
ワラビ山チャシは国指定史跡伊茶仁カリカリウス遺跡内にあり、周囲にはたくさんの竪穴式住居跡が残っているそうです。本当でしたら、じっくりと見て回りたいところでしたが、この頃が一番雨がひどく、徒歩でなくては行けないようでしたので、訪城を断念しました。
【城 跡 名】古道(ふるどう)チャシ
【訪 城 日】1999年7月30日・2002年5月5日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字標津
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:コの字状1条
【訪 城 記】
古道チャシは国指定史跡古道遺跡内にあり、周囲にはたくさんの竪穴式住居跡が残っているそうです。本当でしたら、じっくりと見て回りたいところでしたが、この頃が一番雨がひどく、徒歩でなくては行けないようでしたので、訪城を断念しました。(1999/7/30)
ここはこのチャシ及び周囲に広がる百数十基の竪穴住居群をあわせ古道遺跡として国指定史跡になっています。車を止め、道を進むと古道遺跡の説明板がありました。周囲には確かにたくさんの竪穴住居跡あります。説明板によるとチャシは南東部にあるというので、そちら側に進みますがなかなか見つけられませんでしたが、草藪の奥にチャシをやっと発見しました。半円形の壕が1本ありましたが、写真に収めるとほとんど何の写真かわかりませんでした(^^;) (2002/5/5)


(草に埋もれていてよくわかりません(^^;))

(草に埋もれていてよくわかりません(^^;))

(草に埋もれていてよくわかりません(^^;))
