根室管内(3)
根室市(2)
寛政の蜂起和人殉難墓碑

【史 跡 名】寛政の蜂起和人殉難墓碑
【訪 問 日】2002年5月5日・2019年5月2日
【所 在 地】北海道根室市納沙布岬
【訪 問 記】
 ヲンネモトチャシの後、納沙布岬に着きました。納沙布岬の碑の近くに行くと今まで気が付きませんでしたが、「寛政の蜂起和人殉難墓碑」という碑が建っていました。
 これは寛政元年(1789)のクナシリ・メナシアイヌの蜂起の際に蜂起したアイヌの人々に殺害された和人71人の供養のために建てられたもののようです。この碑は明治45年(1912)納沙布岬近くの浜で発見されましたが、碑には文化9年(1812)に造られたと刻まれていおり、誰がどこで造ったのか、なぜ浜に打ち上げられていたのかは明らかではありませんが、おそらく海上輸送の途中で船が難破し、海中に没していたものと推定されています。
 この日はその後現地墓地の入口に建立されていましたが、昭和43年国後島を望むこの地に移設されたそうです。(2002/5/5)


 道東旅行の二日目、根室市街地を出発しコンブウシムイチャシを経由して納沙布岬に到着。この「寛政の蜂起和人殉難墓碑」も17年ぶりです。上の写真と見比べると、殉難墓碑はやや年月を経た感がありますね。(2019/5/2)

納沙布岬

【名 勝 名】納沙布岬
【訪 問 日】2002年5月5日・2019年5月2日
【所 在 地】北海道根室市納沙布岬
【訪 問 記】
 北海道の東の果て、納沙布岬です。ここに来るのは3~4回目ですが、今回が一番滞在時間が短かったかも(^^;) 納沙布岬を眺め、売店にちょっと入ってすぐにポンモイチャシに行ってしまいましたので。(2002/5/5)


 道東旅行の二日目、根室市街地を出発しコンブウシムイチャシを訪れた後、納沙布岬を目指しました。17年前は良い天気でしたが、この日はちょっと雨模様で雨が降ったり止んだりで霧がかかっていて海の向こうはよく見えませんでした。(2019/5/2)

標津町(1)
伊茶仁カリカリウス遺跡

【史 跡 名】伊茶仁カリカリウス遺跡
【訪 問 日】2002年5月5日
【所 在 地】北海道標津郡標津町字川北
【訪 問 記】
 だんだんと夕方が近づいてきたので、古道チャシを後にして急いでポー川史跡自然公園に行きました。ここは古道遺跡と同じく六群に分かれる多数の竪穴住居跡の集落と2つのチャシ跡が伊茶仁カリカリウス遺跡として国指定史跡になっています。その他に開拓時代の建物を復元した「開拓の村」も併設されています。
 資料館をさあっと見てその裏にある標津湿原を横断する木道を急いで進むと、途中で係員の方に呼び止められ、そろそろ熊が徘徊する時間で危険だといわれ一瞬硬直してしまいました(^^;) チャシを見たいというと、それほど遠くないからついて行ってあげるといわれ竪穴住居跡のあるところまで連れて行かれたんですが、そこまで行ってからチャシはその奥の林の中にあるからやめた方がいいと言われてしまいました(T_T) どうも私が見たいものを竪穴住居跡と勘違いされたみたいで...(+_+)
 この史跡公園にはカリカリウスチャシともう一つワラビ山チャシというチャシがあるんですが、結局見れず仕舞いで宿題が残ってしまいました。
 しかし私ってこの三日、人のいないような笹藪とかばかりに入っていきましたが、考えてみればかなり無謀だったかも(--;)

オホーツク管内(7)
網走市(2)
網走監獄

【史 跡 名】網走監獄・網走刑務所
【訪 問 日】1992年8月7日・2018年8月5日
【所 在 地】北海道網走市呼人
【訪 問 記】
 知床を経由して二日目は網走泊。確か夜はホテルの部屋で寿司と花咲ガニを食べたような記憶があります(^^;)
 翌三日目はまず網走監獄へ。といっても本当の監獄ではなく、ここは網走刑務所の旧獄舎を移転し博物館としたものです。
 網走刑務所は明治23年(1890)にできた網走監獄署網走外役所が起源で、翌年北海道集治監網走分監として再置し、その後名称は何度も変わり、大正11年(1922)網走刑務所となって現在に至っています。昭和59年(1984)、網走刑務所の獄舎は全面改装され、旧獄舎はレンガ門・鏡橋・庁舎・放射状の獄舎などほぼ原形を残し、博物館となりました。
 この日は実は前で写真を撮っただけで中には入りませんでした。翌年の夏、職場の職員旅行で網走に来て、その時には中にも入りましたが、本当に獄舎が放射状になっていました。
 そのあと本物の網走刑務所前まで行き写真を撮ってきました。(1992/8/7)


 オホーツク旅行三日目、北見市常呂を巡った後、網走市へ移動しました。道の駅・桂ヶ岡チャシの後天都山へ向かい、オホーツク流氷館の後網走監獄へと向かいました
 ここはなんと25年ぶりの訪問でした(^^;) 網走監獄の正門は記憶通りで、修復したのかきれいになっているように思えました。正門横には守衛?の像があってそこで家族で撮影。墓に入りまっすぐ進み庁舎へ。ここは重要文化財になっている建物で、最高責任者の典獄室をはじめ、いくつかの部屋に分けられています。今は売店などが入っていますが、その一角に今話題の漫画「ゴールデンカムイ」の作者野田サトルさんの色紙が。網走監獄ということで、関係者(?)の「脱獄王」白石由竹が描かれていました。
 その後、中を散策しながら奥の舎房及び中央見張所へ。ここは前に来たときと同じく中央見張所から放射状に5本の舎房が長く伸びています。獄舎の一部屋は1.5坪~3坪ほどだったようで、雑居房の場合あんな狭いところで共同生活するのは大変そうです(^^;)
 その他にも登録文化財となっている煉瓦造り独房や裏門、水門、職員官舎・浴場・教誨堂などがありました。また裏門近くには例のニポポ像もありました(^^;)
 実はオホーツク流氷館と網走監獄はさらっと見学して道の駅などに移動する予定でしたが、この二か所ですっかり時間がかかってしまいました(^^;) (2018/8/5)

天都山

【史 跡 名】天都山
【訪 問 日】2018年8月5日
【所 在 地】北海道網走市字天都山245-1
【訪 問 記】
 オホーツク旅行三日目、北見市常呂を巡った後、網走市へ移動しました。道の駅・桂ヶ岡チャシの後天都山へ向かいました。
 天都山は網走市街の南西にある標高207mの山で国の名勝に指定されています。この周辺には天都山展望台・オホーツク流氷館・北方民族博物館・博物館網走監獄などがあり、網走の観光スポットになっています。
 駐車場に車を止めると、まずは巨大なニポポ像がお出迎えです。ニポポとは「小さな木の子ども」「人形」という意味があるそうで、こけしのような木を彫った玩具です。男女で一対になっていることが多く、網走刑務所の受刑者制作していることで知られています。
 その先に行くと、周囲が開け、写真3・4のように網走市街地方面や反対側の網走湖方面を望むことができます。この日は良い天気だったので、遠くまで望むことができました。
 その後は近くのオホーツク流氷館に立ち寄り、いろいろな展示を見たり、実物の流氷を触ったりすることができました。

斜里町(3)
ゴジラ岩

【名 勝 名】ゴジラ岩
【訪 問 日】1992年8月7日
【所 在 地】北海道斜里郡斜里町ウトロ
【訪 問 記】
 羅臼岳をあとにして知床半島を縦断し、知床半島の北側に出ました。実はこの辺の記憶が曖昧なのですが、写真を見るとこのあとゴジラ岩というあの怪獣に似た岩の写真があるので一旦ウトロ港まで行ったようです。このゴジラ岩はウトロの観光船乗り場の近くにあるようです(実はネットで調べた(^^;))が、確かにゴジラに似た感じに見えます。でも別の角度から見るとガメラやラクダにも似ているとの情報がネット上にありました(をい(^^;))
 まあ、確かにそう見えなくもないですけどねえ~(^^;)

羅臼岳

【名 勝 名】羅臼岳
【訪 問 日】1992年8月7日
【所 在 地】北海道目梨郡羅臼町・斜里郡斜里町
【訪 問 記】
 1992年の夏高校時代の友人と道東に旅行に行きました。友人は以前北見に住んでいたのであちらの方はかなりあちこち行ったようですが、私は十勝より東に行くのは初めてでした。
 初日は釧路を経由して根室で一泊、翌日は納沙布岬まで行ったり、根室駅前で花咲ガニを買い、舌鼓を打ったりしてから知床半島の方へ進みました。知床峠までたどりつくと目の前に羅臼岳が一望できたのですが、あいにく雲が懸かっていて山頂の方が見えなかったので、友人としばらく雲が晴れるのを待ちました。1時間ほど待ったでしょうか、次第に雲が消えていきやっと山頂の方まで見えたときに撮った写真がこれです。雲が懸かっていたときの写真も載せようかと思いましたが、それはやめておきました(^^;)

斜里岳・海別岳

【名 勝 名】斜里岳・海別岳
【訪 問 日】2002年5月5日
【所 在 地】北海道斜里郡斜里町
【訪 問 記】
 標津を後にして、知床半島の根本を横断して斜里町へと向かいました。斜里町に着くとコンビニで休憩しましたが、そこから見た斜里岳と海別岳があまりにきれいだったので思わず写真に収めてしまいました。ちょうど夕方で光線の具合も良かったでしょうね。

置戸町(1)
鹿ノ子ダム

【史 跡 名】鹿ノ子ダム
【訪 問 日】2018年8月3日
【所 在 地】北海道常呂郡置戸町字常元
【ダム情報】河川名:常呂川水系常呂川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:ローラーゲート×2門・高圧ラジアルゲート×1門・ジェットフローゲート×2門、完成年:1983年
【訪 問 記】
 オホーツク旅行の一日日、旭川紋別道を下りて置戸の鹿ノ子ダムへと向かいました。この旅、唯一のダムですが立派な重力式コンクリートダムです。鹿子の名前にちなんでか、天端の端のダム銘板の所に子鹿のレリーフがありました。また、説明板がダム管理所の近くにありましたが、ボタンを押すとダムの説明を音声で聞くことができます。中にはチームナックスの安田顕さんの声もありました(^^;)

美幌町(1)
美幌峠

【史 跡 名】美幌峠
【訪 問 日】2019年5月3日
【所 在 地】北海道網走郡美幌町&川上郡弟子屈町
【訪 問 記】
 令和最初の旅行、道東の旅三日日、摩周湖のあとは道の駅摩周温泉を経て美幌峠へ向かいました。ここも27年前の旅行で友人と来ましたが、こちらも霧でほとんどよく見えませんでした。ですが、今回はきれいに屈斜路湖や周囲の山々が見えてまさにパノラマでした。残念だったのはものすごい強風で家族での写真を撮るのを断念したこと…(--;) でも道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」で購入したいくら付きかに飯をおいしくいただきました(^^)