日高管内(61)~平取(1)
ユオイチャシ(平取町)

【城 跡 名】ユオイチャシ
【訪 城 日】1999年11月3日・2001年9月30日・2011年11月6日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字二風谷24-1ほか
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
 シウンコツチャシをあとにし、さらに北へ国道237号線を進みました。平取の中心部を抜け二風谷に進み、二風谷ダムが見えてきたので、その駐車場に車を止めました。
 現在はダムができてしまったため、すっかり様子が変わってしまいましたが、かつては現在ダムの管理事務所などがある辺りに二風谷遺跡があり、その両端にユオイチャシ・ポロモイチャシの2つのチャシ跡がありました。ダムが建設される前にこの2つのチャシは全面発掘されていまして、アイヌ文化博物館のすぐ右にある沙流川歴史館ではこのユオイチャシ跡・ポロモイチャシ跡とその間にあった二風谷遺跡の発掘調査の様子がパネルやジオラマでわかりやすく展示してあります。ユオイチャシは二風谷遺跡の西側(川に向かって左側)にあり、川に突き出た段丘先端部に位置し二条の空壕がありました。
 両チャシともダム建設により破壊されたとも聞いていましたが、少し残っているものがあるとも聞きましたので行ってみたところ、ユオイチャシは確かに残っていました... ですが、チャシ主体部の地面はコンクリートで固められ、二条の壕もアスファルトで固められており、すっかり展望台のようでした。
 ちょっと切ない気持ちでユオイチャシをあとにしました。(1999/11/3)


 開拓記念館のバス見学会「沙流川沿いのチャシをめぐる」で再訪しました。説明してくださったのは、2年前の上ノ国シンポジウムの時に報告をしていた平取町教委学芸員の森岡さんでした。
 ユオイチャシはアスファルトで固められ展望台のようになっていまして、二重の壕もアスファルトで覆われていますが、実はこの壕は復元されたものだそうです。
 私はダム建設によって破壊されたと勘違いしていたんですが、そうではなく、ダム建設以前にすでに畑にするために壕の部分も含めて削平されており、ダム建設の前に調査のため発掘してみると畑の端の方に壕跡が残って、二重の壕があったことがわかったそうです。(畑になっていたため遺物自体は少なかったそうです)
 そのあとポロモイチャシ跡を見て、二風谷の沙流川歴史館に移動し見学しました。(2001/9/30)


 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、5つのチャシを回りました。そのあとは、平取に向かいました。最初に訪れたのはユオイチャシです。ここは二風谷ダムのすぐ近くにあり、ダム建設以前に耕作で削平されていて、ダム建設の際の発掘調査で二重の壕があったのが分かったそうです。それでダム建設の際に復元されたようですが、それがなんと壕も曲輪もアスファルトで固められています(--;) 他の4人も、「これはちょっと…」という感じで見ておられました。
 次はポンカンカンチャシに向かいました。(2011/11/06)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。むかわ町穂別のオソウシのチャシのあとは平取町へ移動し、ユオイチャシへと向かいました。ユオイチャシは上にあるとおり、アスファルトで復元されています。NACKさんと一通り見た後、ポロモイチャシの場所も確認し、戻ろうとしたら二風谷ダムの管理事務所の屋上が展望台になっていたので登ってみると、ユオイチャシやポロモイチャシの場所も上から確認できたので、写真を撮ってみました。
(2013/9/14)

ポロモイチャシ(平取町)

【城 跡 名】ポロモイチャシ(ポンニナツミチャシ)
【訪 城 日】1999年11月3日・2001年9月30日・2013年9月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字二風谷25-1
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
 このポロモイチャシもユオイチャシと同じくダム建設のために消滅したチャシです。かつては現在ダムの管理事務所などがある辺りに二風谷遺跡があり、その両端にユオイチャシ・ポロモイチャシの2つのチャシ跡がありました。ダムが建設される前にこの2つのチャシは全面発掘されていまして、アイヌ文化博物館のすぐ右にある沙流川歴史館ではこのユオイチャシ跡・ポロモイチャシ跡と二風谷遺跡の発掘調査の様子がパネルやジオラマでわかりやすく展示してあります。
 ポロモイチャシは二風谷遺跡の東側(川に向かって右側)にあり、二条の壕があったそうですが、ユオイチャシの壕は二本並んでいるのに対し、ポロモイチャシの壕は先端部を仕切るように一本、その背後にもう一つ郭を作るように一本走っていたそうです。(こんな感じ↓)
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 両チャシともダム建設により破壊されたとも聞いていましたが、少し残っているものがあるとも聞きましたので行ってみたところ、ユオイチャシは確かに残っていましたが...(詳しくはユオイチャシの項参照)
 ポロモイチャシの方は完全になくなっていて説明板があるだけでした。(1999/11/3)


 開拓記念館のバス見学会「沙流川沿いのチャシをめぐる」で再訪しました。ユオイチャシを見たあと、こちらをみましたが、上にもあるようにこちらは完全に消滅しています。平取町教委学芸員の森岡さんのお話によると、ポロモイチャシはちょうど川の流れの緩やかなモイ(淵)に位置しており、砦というよりは漁のための見張り場のようなものだったのではないかとのことでした。
 そのあと二風谷の沙流川歴史館に移動し見学しましたが、ここには先ほどのユオイチャシ・ポロモイチャシ、その間にあった二風谷遺跡の発掘の様子を模型にしたものがあります。展示は前に見たのでそれほど目新しくありませんでしたが、受付の近くに平取町内のチャシを含めた遺跡の位置が書き込まれた遺跡分布図が貼ってありましたので、お願いして一枚譲ってもらいました(^^) これはラッキーでした。(2001/9/30)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。むかわ町穂別のオソウシのチャシのあとは平取町へ移動し、ユオイチャシへと向かいました。ユオイチャシを見た後、ポロモイチャシの場所も確認し、戻ろうとしたら二風谷ダムの管理事務所の屋上が展望台になっていたので登ってみると、ユオイチャシやポロモイチャシの場所も上から確認できたので、写真を撮ってみました。
(2013/9/14)

ポンカンカンチャシ(平取町)

【城 跡 名】ポンカンカンチャシ
【訪 城 日】1999年11月3日・2001年10月14日・2011年11月6日・2013年9月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字二風谷101-4ほか
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状4条
【訪 城 記】
 ユオイチャシ・二風谷ダムをあとにしてさらに国道237号線を北へ向かいました。北へ2~3kmほど行くと看々(カンカン)川を渡る看々橋があり橋を越えると左側に駐車場があったので、ここに車を止めました。この駐車場の左側に国道と沙流川に挟まれた細長い丘陵が見えますが、この先端がポンカンカンチャシです。
 駐車場の少し先に左に下る道があったのでそちらへと曲がり、チャシの方を眺めてみましたが、笹藪に覆われているようでしたので止めようかなとも思いましたが、登ってみると笹の丈が意外と低く歩けそうでしたので、チャシの先端へと進みました。するとすぐに一本目の壕を見つけました。幅は2~3mで深さは1mほどでしょうか、長さは10mぐらいあったかもしれません。
 さらに先に進むと、先端に近い辺りで第二の壕を見つけました。幅と深さは一本目と似たようなものでしたが、先端に近い分短く長さは4~5mというところでした。そしてそのすぐ先、先端部のすぐ近くに第三の壕がありました。これはもう長さ2mぐらいのものでした。
 あとから、『日本城郭体系』や『北海道のチャシ』で確認したところ、このチャシには基部に一本、先端部に三本の計四本壕があるということなので、先端部の壕を一本見落としたようです(^^;) 壕が複数あるチャシは多くありますが、ポンカンカンチャシのように四本ある例は珍しいそうです。(1999/11/3)


 ポンカンカンチャシを訪れるのは二年ぶりです。前回はあとから四条ある壕のうち一条を見落としたことにあとから気付きましたが、今回はそれを確認するのが第一目的でした。前回と同じく笹藪に入りしばらく行くと第四の壕がありました。この壕は四本のうち一番大きくわかりやすいものですが、それからしばらく行くと若干窪んでいるように感じられるところがありました。その丁度中央の部分は何か工事をしたような感じで盛り上がっていましたが、どうもこれが第三の壕のようです(^^;) その先にある二条の壕もすぐ見つけられましたし、この壕は他のものに比べると浅くちょっとわかりにくいです。(2001/10/14)


 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、5つのチャシを回りました。そのあとは、平取に向かいました。最初にユオイチャシを見たあと、次はポンカンカンチャシに向かいました。
 ここは沙流川に面した細長い舌状台地を横切るように四条の壕が見られます。奥の方に位置一条、先端部に山条ありますが、先端部の3条のうちいちばん奥の1条は浅くなっており、ちょっとわかりにくいです。根元の1条がいちばん深く分かりやすいです。いずれにしてもそれほど規模の大きいものではありません。ですが平取町のチャシのうち、このチャシがいちばん遺構が分かりやすいチャシです。このチャシの道路を挟んで向かいにもシラッチセチャシがありますが、ここは登らず全景写真を撮っただけで済ませました。

 このあと日も落ちてきたので、二風谷にある沙流川歴史館に行きました。丁度「沙流川流域のチャシ跡」というパネル展をやっていて、平取町の全てのチャシの写真や様子をパネルで分かりやすく展示していました。またその展示をまとめた冊子を係の方にお願いして5人分分けていただきました。以前ここに来た時にも、平取町内のチャシ跡を表示した地図を分けていただきましたので、本当にありがたいです。
 ということで、たくさんのチャシを巡り、最後は札幌に戻って反省会をしました。普段はできないようなお城についての濃~い話をたっぷりすることができました。楽しかったです。また来年も一緒にチャシ巡りをしたいものです。(2011/11/06)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。平取町のユオイチャシ・ポロモイチャシを確認したあと、ポンカンカンチャシへと向かいました。ここも依然と特に変わりなく、4本の壕は健在でした。
 このあと少し時間があったのでニオイチャシに行ってみましたが、ちょっと登れそうになかったので、国道237号線まで戻りました。(2013/9/14)

シウンコツチャシ(平取町)

【城 跡 名】シウンコツチャシ
      (ヌベルンナイのチャシコツ、タプコサラのチャシコツ)
【訪 城 日】1999年11月3日・2011年10月9日・2013年9月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字去場75-10
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 トニカチャシをあとにして、次は平取町方面へと進みました。国道237号線をしばらく進むと紫雲古津(シウンコツ)地区へと入ります。紫雲古津小学校を過ぎると、それまでは左側に離れていた丘陵が国道近くに迫ってきて、その辺りで左の方へと登る道があります。そこを登ると左側に墓地があるのですが、シウンコツチャシは道路を挟んで反対の右側にあります。ちょうど、沙流川の方に突き出た丘陵の末端に位置します。
 道路の右側は少し草地が広がっていて、奥の方に樹木がありますが、その切れ目の辺りに壕がありました。とはいってもそんなに深いものではなく、深さは数10cm、幅も1m程度のものです。枯れ葉で埋まっているので、ホントはもう少し深いのでしょうけど...
 あとから『日本城郭大系』を見てみると、空壕の両側に高さ30cm、幅20cmの土塁が築かれていると書いてありましたが気が付きませんでした(^^;)
 また『日本城郭大系』によるとこのチャシには次のような伝承があるそうです。
 昔、十勝・釧路方面から夜盗の一団が沙留地方に忍び込んできた。シウンコツのコタンではちょうど相談の会合があって男たちは留守で、タプコサラのチャシには留守居の婆さんが一人いただけで、たちまち夜盗の一団に囲まれてしまった。婆さんは、どうしようとウロウロしていたが、はっと気が付きそばにあった鉈を取り出して、一生懸命にカタンカタンと音をたてた。夜盗の大将は、この音を聞き、はてここには有名な名刀があるという話だが、その音かと思い、部下に退去命令を出した。夜盗が退却すると婆さんは急いでコタンに走り、婆さんの話を聞いた男たちは急いで夜盗の群を追いかけた。夜盗達は大混乱となり、命からがら逃げた帰ったそうだ。(1999/11/3)


 この日も、道の駅とチャシの旅に行ってきました。むかわの道の駅に寄ったあと穂別方面に行く予定でしたが、時間に余裕がありそうなので、日高町門別地区のチャシを探してみることにしました。(結果的には、ほとんど場所確認で終わりましたが(^^;))
 そのあと穂別方面に向かいましたが、通り道にあるシウンコツチャシ・サルバチャシも探索してみました。まずは12年ぶりのシウンコツチャシです。久しぶりなので登る道を一旦通り過ぎてしまいました(^^;) 以前の記憶の通り登った右側に草地が拡がっていて、その奥に行ってみましたが以前見つけた壕が見つかりません。記憶違いかなと思い、もっと左の方も探索してみましたが、見つかりませんでした。後から、昔の訪城記を読んでみるとどうもやはり最初探した辺りだったようです。(2011/10/9)


 この日は旧FSIRO(niftyの城郭フォーラム)のNACKさんを迎えてのチャシ巡りです。平取町のポンカンカンチャシのあと少し時間があったのでニオイチャシに行ってみましたが、ちょっと登れそうになかったので、国道237号線まで戻り、日高富川方面に向かいましたが、途中にシウンコツチャシがあるので寄ってみました。2年前と比べるとチャシの裏側の草がひどく生い茂っていて進むのが大変でしたが、今回はあっさりと壕跡を見つけることができました。中央部は平らになっていてよくわかりませんが、両端は明らかに窪んでいて、あまり深いものではありませんが壕跡だと確認できました。
 この後、NACKさんを鵡川駅まで送りました。久しぶりに一人ではないチャシ巡りをすることができ、とても楽しかったですと言い、NACKさんとお別れしました。(2013/9/14)

ニオイチャシ(平取町)

【城 跡 名】ニオイチャシ
【訪 城 日】2001年9月30日・2001年10月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字貫気別183
【形  態】丘頂式
【主な遺構】空壕:直状1条
【訪 城 記】
 開拓記念館のバス見学会「沙流川沿いのチャシをめぐる」で最後に訪れたのが平取町字貫気別にあるニオイチャシです。ここは40年ほど前に早稲田大学によって発掘が行われており、鉄鍋・鉈・鍬・煙管・マキリなどが出土しているそうです。舌状台地の先端部分ですが、一見すると独立丘のように見え、とても目立ちます。比高は30mほどあるそうで、近くまで行って下から眺めただけですが、やはり壕があるようです。ちょっと登ってみたい衝動にも駆られましたが我慢しました(^^;)

 結局今回行ったところではニオイチャシ以外は行ったことのあるところばかりでしたが、専門の方の説明を聞きながらチャシ巡りが出来ましたし、亥鼻さんとも少しですがお話しできましたので、なかなか有意義な一日でした。(2001/9/30)


 ウンチャシの前から額平川南岸の道を東に進むとチャシ見学会の時に見たニオイチャシが見えてきました。確かに一見独立丘のようにも見えますが、よく見るとチャシ見学会の時に教えていただいたように南から北に延びる舌状台地の先端部であることがわかります。
 ウンチャシの項にも書きましたが、このチャシにはかつて十勝のトパットミ(野盗)が侵入してきて火矢をチャシに打ち込んだためこれが燃え始めたが、ニオイチャシの神アペクンチ(火の神)がウンチャシの神ぺークンチ(水の神)に助けを求めチャシコツの火を消し去った、という伝承が残っています。(2001/10.14)

アベツチャシ(平取町)

【城 跡 名】アベツチャシ
【訪 城 日】2001年10月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字小平43-1
【形  態】丘頂(丘先)式
【主な遺構】東、西に土石塁
【訪 城 記】
 この日は9月末の開拓記念館主催のチャシ見学会の時に「沙流川歴史館」で手に入れた平取町の遺跡地図をもとに平取町内にあるチャシを巡ってみることにしました。
 まず最初はアベツチャシです。このチャシは平取町市街地から平取橋で沙流川を渡ってすぐの所にある小高い山頂にありますが、昭和36年に早稲田大学を中心とした沙流川流域史調査団によって一部発掘され、鎧の一部や石器・土器が発見されています。山の頂上近くにある平坦部は自然地形ではなく、山の斜面を削って人為的に造成されたものと思われ、西側の断崖の縁辺には礫を積んで泥を盛った幅約1.2m、高さ40cmの土石塁が見つかったそうで、他のチャシのように壕が見られず、塁があるというのは珍しいです。また、ここには次のような伝承が残っています。

 ここはピントメというものが築いたといわれている。昔、アイヌの人々はチャシを作るほど勢力のないものは山の中に穴を掘ってキャムスプという秘密の倉庫をつくり、そこに宝物を隠していた。ピントメはとても正直な若者だったが、ある日山の雪の中で人の頭のようなものが見えるので、誰かが倒れているのかと思って近づいてみると消えてしまうので、不思議に思いその近くを掘ってみるとキャムスプがありたくさんの宝物が埋まっていた。これは神様が授けてくださったものだと喜んで持ち帰り、それからは家運も盛んになり、遂にチャシを作れる身分になった...

 ちょうど民家や畑の裏山でしたので、登ることはできませんでしたが、遠景をカメラに収めて次へ移動しました。

ハヨピラのチャシ(平取町)

【城 跡 名】ハヨピラのチャシ
【訪 城 日】2001年10月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町
【形  態】
【主な遺構】
【訪 城 記】
 このハヨピラのチャシは『北海道の歴史散歩』(山川出版社)に名前が載っていますが、他の文献では確認することができません。ハヨピラというのはアイヌ語で「武装した崖」という意味だそうで、アイヌの伝承では、国造りの神が人間界を造り上げた時、この国の主としてオキクルミカムイを指名し、最初に足を止めたのがこのハヨピラ(ハイエオピラ)の地だったそうです。オキクルミカムイはまずチャシを築き魔神を調伏し、沖からやってくる魔物を撃退して平和な国造りをして、人々に丸木舟の作り方や狩猟の仕方、アツシの織り方など衣食住に必要ないろいろなことを授けたといわれています。(この伝承に関しては宇田川洋『アイヌ伝承と砦』を参照のこと)

 現在、このハヨピラの丘にはまか不思議な構造物が立っていますが、これは昭和39年に宇宙友好協会という団体がこの丘一帯を買い上げ、ピラミッド型のUFO着陸基地を作ったものです(^^;) その後この土地は町に譲渡され「ハヨピラ自然公園」となりましたが、訪れるものもなく荒れほうだいになっており、危険なので現在は入れないようになっているそうです。

 ただ土地の古老の話ではオキクルミカムイの本当伝説の地はここではなく、二風谷の上流の荷負の市街地からさらに1kmほど遡ったところにあるシケレペというコタン(村)の真向かいんところだともいわれています。

シラッチセチャシ(平取町)

【城 跡 名】シラッチセチャシ
【訪 城 日】2001年10月14日・2011年11月6日・2014年10月18日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町二風谷
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
【訪 城 記】
 シラッチセチャシはポンカンカンチャシと道路をはさんで反対側にあります。丁度シラッチセチャシは看々川に面していますが、以前も何度かそちら側に登ったことがありますが、壕は確認できませんでした。今回は何だかちょっと面倒だったので、探索もせず看々橋の辺から遠景をカメラに収めただけで次へと進んでしまいました(^^;) (2001/10/14)


 この日は、去年厚真に行ったのと同じ4人のお城仲間と、日高町穂別地区(旧穂別町)と平取町のチャシ巡りに行きました。
 まず開通したばかりの道東道でむかわ穂別ICまで行き、そこから南下して穂別中心部へ向かい、5つのチャシを回りました。そのあとは、平取に向かいました。最初にユオイチャシを見たあと、次はポンカンカンチャシに向かいました。ポンカンカンチャシと道路を挟んで向かいのシラッチセチャシには登らず、道路側から全景写真を撮っただけでした。(2011/11/06)


 去年、NACKさんを案内してこのチャシの向かいにあるポンカンカンチャシを訪れたのですが、その翌日このシラッチセチャシに登られたそうなので、その情報を頼りに再訪しました。とはいえ、実は道の駅めぐり(樹海ロード日高)とダムカードめぐり(二風谷ダム)の丁度ルートの途中にあったのを幸いに寄ったのですが(^^;)
 NACKさんの情報の通り、電柱のある辺りから右側の尾根に出て、尾根沿いに進む(ちょっと細くて恐かったですが)と平坦部に出て、しばらく進むと広い壕がありました。深さは2mくらいはあるでしょうか。幅がかなり広くて、10mくらいはあるかもしれません。宇田川洋氏の『アイヌ考古学研究・序論』に載っている平面図によると、手前の方にももう一本小さな壕があるように書かれていますが、若干窪んでいるように感じるところはあったものの、よくわかりませんでした。
(2014/10/18)

ニナツミチャシ(平取町)

【城 跡 名】ニナツミチャシ
【訪 城 日】2001年10月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町二風谷102-3
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:孤状1条
【訪 城 記】
 このニナツミチャシも二年前周囲を探してみましたが、よくわからなかったところです。前回はもっと東側を見ていましたが、今回は道路がカーブしていて一番沙流川に近い所にある牧草地の端の所を見てみたら、丁度先端が三角形になっていて、その基部が若干窪んでいるように感じられるところがありました。はっきりとはわかりませんが、これがニナツミチャシなのかなと自分なりに結論づけましたが、あまり自信はありません(^^;)
 チャシ巡りをしているとこういうことが多くて...(^^;)

スケレペチャシ(平取町)

【城 跡 名】スケレペチャシ
【訪 城 日】2001年10月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字荷負148-5
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
【訪 城 記】
 ニナツミチャシのあとは沙流川沿いに北上し、荷負の集落から右折し額平川沿いにしばらく進みました。2.5kmほど進むと左から台地が道路側にせり出してきて道路が左にカーブしているところがありますが、この左側の台地上がスケレペチャシです。この台地の少し西側に上へ登っていく細い道があったので歩いて登ってみましたが、雨のあとでかなりぬかるんでいましたので少し登ったところで先に進むのをやめてしまいました(^^;)地形的には額平川に向かって伸びる舌状台地の先端ということになりますから、いかにもチャシがありそうな地形ではありますね。

ペッカントウチャシ(平取町)

【城 跡 名】ペッカントウチャシ
【訪 城 日】2001年10月14日
【所 在 地】北海道沙流郡平取町字荷負207-1
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:孤状1条
【訪 城 記】
 ペッカントウチャシは丁度スケレペチャシから額平川をはさんで対岸に位置します。ですから南から北にある額平川に向かって延びる舌状台地の先端というわけですが、地図を見てもチャシの近くまで行くには細い道を進まなくちゃ行けないようでしたので、スケレペチャシの近くから遠景を撮っただけで次へ進んでしまいました(^^;) スケレペチャシの南側にある河川敷から見えないかなと思って進んでみましたが木が邪魔で見えませんでした(^^;)
 対岸から眺めただけですが平らな台地が広がっているような地形のようです。