(2021.2.2現在)

日本史

 表   題 著  者出  典出 版 年
「岩松家系附録序説考」森原 章『愛知学芸大学研究報告 人文科学』第3号1954年
「皇帝へのあこがれ―足利義教期の室町殿行幸にみる」橋本 雄『アジア遊学』第122号2009年
「社会科の教育実践」川島啓一アイヌ文化振興・研究推進機構 平成11年度普及啓発セミナー2000年
「近世のアイヌ民族史」田端 宏アイヌ文化振興・研究推進機構 平成13年度普及啓発セミナー2002年
「シャクシャインの蜂起とその周辺」浪川健治アイヌ文化振興・研究推進機構 平成13年度普及啓発セミナー2002年
「北東アジアの中のアイヌ」菊池 勇夫アイヌ文化振興・研究推進機構 平成13年度普及啓発セミナー2002年
「道東アイヌの歴史―クナシリ・メナシの戦いを中心に」川上 淳アイヌ文化振興・研究推進機構 平成14年度普及啓発セミナー2003年
「東アジアの中の蝦夷地」紙屋 敦之アイヌ文化振興・研究推進機構 平成14年度普及啓発セミナー2003年
「中世北方史―「新羅之記録」を脱構築する―」入間田宣夫アイヌ文化振興・研究推進機構 平成14年度普及啓発セミナー2002年
「アイヌ史の学習にチャレンジ」平山裕人アイヌ文化振興・研究推進機構 平成17年度普及啓発セミナー2005年
「留萌地域のアイヌ文化―少ない情報から探る地域のアイヌ文化―」福士廣志アイヌ文化振興・研究推進機構 平成17年度普及啓発セミナー2005年
「稲田家臣団の静内郡移住について」山田一孝アイヌ文化振興・研究推進機構 平成19年度普及啓発セミナー2007年
「発掘調査からわかってきた厚真のアイヌ文化」乾 哲也アイヌ文化振興・研究推進機構 平成20年度普及啓発セミナー2008年
「アイヌ文化 見て学んで―学校教育におけるアイヌ民族学習―」清水裕二アイヌ文化振興・研究推進機構 平成20年度普及啓発セミナー2008年
「史料紹介 秋田藩の系図史料について―系図史料の整理と系図目録の編集―」佐藤 隆『秋田県公文書館研究紀要』第7号2001年
「麻生の名門三好家について」高野嘉『麻生の文化』第11号1979年
「源姓三宅氏中興家伝」 『天草史談』第6号1936年 
「細川家同族天草長岡家系譜(上)」 『天草史談』第7号1937年 
「細川家同族天草長岡家系譜(下)」 『天草史談』第8号1937年 
「松前殿様物語」
 ① 始祖 武田信広
 ② 二世 蛎崎光広
 ③ 三世 蛎崎義広
 ④ 四世 蛎崎季広
 ⑤ 五世 松前慶広
 ⑥ 六世 松前盛広
 ⑦ 七世 松前公広
 ⑧ 八世 松前氏広・九世 松前高広
 ⑨ 十世 松前矩広・十一世 松前邦広
 ⑩ 十二世 資広・十三世 道広・十四世 章広
 最終回 十五世から十九世まで
須藤隆仙『月刊イズム』第2巻第1号~第12号(第9号を除く)1991年
「交代寄合「伊那衆」について」竹村雅夫『伊那』第17巻第4号(第491号)1969年
「高家としての今川氏」進士慶幹・村磯栄俊『今川氏と観泉寺』1974年
「熊本宇喜多家?のルーツを探る」浮田尚家『宇喜多家史談会会報』第35号2010年
「「交代寄合」考」西田真樹『宇都宮大学教育学部紀要』第36号1986年
「「人事」の日本史第26回戦国編 織田信長が望んだ肩書」山本博文『週刊エコノミスト』第82巻20号(通号3679号)2004年
「交代寄合三河衆中島家について―吉田・田原両藩主との交流を中心として―」西田真樹『桜花学園大学研究紀要』創刊号1998年
「系譜にみる近世の公家社会―養嗣子の出自を中心に」久保貴子『大倉山論集』第47輯2001年
「交代寄合の参府と在府」岡崎寛徳『大倉山論集』第59輯2013年
「塙団右衛門直之の子孫」田村紘一『大阪歴史懇談会 会報』第6号1985年
「徳川家康の異母兄弟」新行紀一『岡崎市史研究』第11号1989年
「備中守護の細川氏について」藤井駿『岡山大学法文学部学術紀要』第10号1958年
「細川興孝と刑部家の成立の事情」花岡興輝『落穂』第57号1997年
「摂津尼崎に勝頼遺児の消息」野澤公次郎『甲斐路』第45号1982年
「水戸徳川家における武田遺臣について」早川春仁『甲斐路』第85号1996年
「戦国~豊臣期における長宗我部氏の一族―香宗我部氏を中心に―」平井上総『海南史学』第41号2003年
「淀殿の弟 ―浅井作庵と京極家―」直井武久『香川県文化財保護協会 文化財協会報』昭和62年特別号1987年
「戦国期の三浦氏」黒田基樹『神奈川地域史研究』第17号1999年
「史論・松前安藤氏の興亡」平山裕人『からいどすこーぷ』第3号2001年
シンポジウム「厚真から考える~擦文期からアイヌ期へ」報告要旨環太平洋・アイヌ文化研究所 編『環太平洋・アイヌ文化研究』第8号2010年
「下余市知行主斉藤系松前家のことども」永田富智『道史協支部交流会報 北の青嵐』第27号1995年
「松前藩の参覲交代 南條長七郎日記による(一部)」永田富智『北の青嵐会員交流会報 北の青嵐』第166号2008年
「明治・大正期 京都官家士族の動向に関する一考察―華族取立運動と復位請願運動を中心に―」松田敬之『京都産業大学日本文化研究所紀要』第6号2000年
「斎藤玄蕃助利堯考―殺された筈の道三三男喜平治―」松田 亮『郷土研究・岐阜』第60号1991年
「長井新左衛門豊後守藤原利隆―長井利政(道三)・同道利の実父―」松田 亮『郷土研究・岐阜』第73号1996年
「浅井長政について」久米忠臣『郷土史杵築』第32号1977年
「池田元助について」武田茂敬『郷土文化』第49号第2巻1994年
「池田由之・元信について」武田茂敬『郷土文化』第50号第2号1995年
「織田信長と武家官位」堀 新『共立女子大学文芸学部紀要』第45号1999年
「一八世紀後半の交代寄合信濃衆 ―伊豆木小笠原氏の動向を中心に―」千葉拓真『論集きんせい』第39号2017年
「武家伝奏と高家」平井誠二『近世の天皇・朝廷研究大会成果報告集』第5号2013年
「近世中期における高家の職務―勅使江戸下向時の火事から尊号一件まで―」栗原 佳『近世の天皇・朝廷研究大会成果報告集』第6号2015年
「賀茂真淵の弟子高家横瀬貞隆原 雅子『金蘭短期大学研究誌』第30号1999年
「菊池系図の実態について」森藤義信『熊本史学』第66・67号1990年
「六角氏系図の研究―六角義実の実在に関する考察―」佐々木哲『ぐんしょ』第12号1991年
「左衛門侍従豊臣義康の出自について」佐々木哲 『ぐんしょ』第29号1995年
「赤松晴政の養子取りについて」佐々木哲 『ぐんしょ』第37号1997年
「『畠山家譜』にみえる六角義実、義秀について」廣江正幸 『ぐんしょ』第60号2003年
「織田氏における津田名字について」山﨑布美『ぐんしょ』第66号2004年
「華族の選に洩れた士族達」松田敬之『藝林』第46巻1号1997年
「堂上格・華族格に関する一考察―維新後の社家が懇望した身分について」松田敬之『藝林』第48巻3号1999年
「札幌市及び其附近の遺跡・遺物の二三に就いて」後藤寿一『考古学雑誌』第27巻9号1937年
「阿波国退去後の平島公方 断章―「足利家文書」足利参詣請書の紹介―」須藤茂樹 『言語文化』 №92011年 
「阿波国退去後の平島公方 断章(2)―「足利家文書」天保六年未正月吉日記録―」 須藤茂樹 『四国大学紀要 人文・社会化学編』 第37号2012年 
「阿波国退去後の平島公方の動向 断章(3)―足利義根夫妻の葬式関係資料の紹介―」須藤茂樹 『凌霄』 第18号2012年 
「阿波国退去後の平島公方 断章(4)―「明治三庚午年正月吉祥日日記」の紹介―(1)」須藤茂樹 『四国大学紀要 人文・社会化学編』 第38号2012年 
「阿波国退去後の平島公方 断章(5)―「明治三庚午年正月吉祥日日記」の紹介―(2)」須藤茂樹 『四国大学紀要 人文・社会化学編』 第40号2013年 
「阿波国退去後の平島公方 断章(6)―「明治三庚午年正月吉祥日日記」の紹介―(3)」須藤茂樹 『四国大学紀要 人文・社会化学編』 第41号2013年 
「遺跡速報 北海道厚真町 ニタップナイ遺跡―シャクシャインの戦い直前の動物儀礼―」奈良智法『月刊考古学ジャーナル』第575号2008年
「織田信長の息女について」渡辺江美子『國學院雑誌』第89巻第11号1988年
「室町殿の側近公家衆について―応永・永享期を中心として―」高田星司 『國學院雑誌』第95巻第9号 1994年 
「中近世移行期における公家衆の家格―堂上と禁裏小番―」高梨達也『國學院雑誌』第115巻第7号 2014年 
「江戸幕府の高家成立について―初期の職務をめぐって―」大嶌聖子『國學院大學大学院紀要』第25輯1994年
「松前氏祖武田信広の出自について―従来の説の再検討と新しい可能性の提示―和氣俊行『国際日本学』第1号2003年
「鎌倉・南北朝期における近江朽木氏の世代と所領」加藤 哲『国史学』第109号1979年
「室町・戦国期の武家昵近公家衆―その構成を中心として―」瀧澤逸也 『國史学』第162号 1997年 
「江戸幕府と公家衆の家業」橋本政宣 『國史学』第171号 2000年 
「中世名族の末流 忍藩士畠山氏研究(一)―新発見の畠山系図とその検討―」若松良一『埼玉県立史跡の博物館紀要』第2号2008年
「中世名族の末流 忍藩士畠山氏研究(二)―松平下総守家臣としての勤書とその検討―」若松良一『埼玉県立史跡の博物館紀要』第3号2009年
「忍城退出後の成田氏の動向」富田勝治『埼玉史談』第26巻1号1979年
「武蔵成田氏について(一)」田口新吉『埼玉史談』第40巻3号1993年
「武蔵成田氏について(二)」田口新吉『埼玉史談 第40巻4号』1994年
「武蔵成田氏について(三)田口新吉『埼玉史談』 第41巻1号1994年
「武蔵成田氏について(四)」田口新吉『埼玉史談 第41巻2号』1994年
「武衛斯波三松軒について」大墅鴻風『埼玉史談』第45巻第2号1998年
「大道寺氏の研究」田中えり子『埼玉地方史』第11号1981年
「新田義兼と足利義兼は同一人物か」加藤克己『在野史論 歴史研究会創立三十周年記念論文集』1989年
「新・忠直卿行状記」日吉憲城『在野史論 歴史研究会創立三十周年記念論文集』1989年
「室町幕府の外様衆」秋元大補『在野史論』第2集1991年
「角館蘆名氏の動向」籠島知宏『在野史論』第2集1991年
「前関白前久猶子異聞」斎藤 馨『在野史論』第2集1991年
「関ヶ原の合戦と織田一族」三浦明彦『在野史論』第3集1993年
「室町幕府の御供衆」秋元大補『在野史論』第3集1993年
「羽柴河内守従四位侍従豊臣秀頼について」森 秀郷『在野史論』第3集1993年
「室町幕府相伴集」秋元大補『在野史論』第4集1995年
「北の名門 浪岡御所北畠氏の興亡」田島理人『在野史論』第4集1995年
「中世豪族岩城氏系譜の考察」稲葉一男『在野史論』第5集1996年
「室町幕府番帳の成立年代集」秋元大補『在野史論』第5集1996年
「源姓・平姓・藤原姓について」小村孝治『在野史論』第6集1997年
「土佐一条家の紹介」三輪篤史『在野史論』第7集1999年
「〈検証前野氏系図〉前野長康と坪内・前野氏系図」早瀬晴夫『在野史論』第8集2000年
「山名氏の光芒」井田敏子『在野史論』第12集2006年
「江戸幕府高家成立に関する一考察―将軍の霊廟参詣における職務をめぐって―」大嶌聖子『史学研究集録』第19号1994年
「室町将軍による公家衆の家門安堵―南北朝~室町期を中心に―」水野智之 『史学雑誌』第106編第10号 1997年 
「准摂関家としての足利将軍家―義持と大嘗会との関わりから―」石原比伊呂 『史学雑誌』第115編第2号 2006年 
「近世公家社会の「家」に関する一試論―養子縁組をめぐって―」木村修二 『史泉』第79号 1994年 
「近世分家大名の課役に関する一考察―萩藩毛利家と分家の事例から」来見田博基『史泉』第100号2004年7月
「肥後人となった足利末裔」小田省二『史叢』第3号1999年
「系図史料にみる大名池田家の出自と摂津 ―池田恒興の摂津支配についての一試論―」小林将司『史叢』第77号2007年
「海野衆真田右馬助の系統と真田氏」寺島隆史『信濃[第3次] 第66巻2号』2014年
「天正四年の『堂上次第』について―特に滅亡前夜の北畠一門に関する記載を中心に―」赤坂恒明 『十六世紀史論叢』第2号 2013年 
「上杉謙信の家督継承と家格秩序の創出」片桐昭彦『上越市史研究』第10号2004年
「交代寄合本堂氏と志筑―秋田から来た武将―」千葉隆司『常総の歴史』第37号2008年
「細川幽斎の出自について」土田将雄『上智大学国文学論集』第15号1982年
「紀州徳川藩の筑紫氏について」西依祥一『少弐氏と宗氏』第20号1993年
「近世宇和島藩伊達家の家格問題―「御直請一件」・「中将・少将座着一件」をめぐって」倉持 隆『史料館研究紀要 第32号』2001年3月
「参勤交代する旗本」平山敏治郎『人文研究』第7巻第8号1956年
「新家堂上家廃絶録稿」平山敏治郎 『人文研究』第20巻第9分冊 1969年 
「高家に関する一考察」久保貴子『杉並区立郷土博物館研究紀要』創刊号1991年
「細川昭元について―京兆家の没落過程を見る―」吉井功兒『政治経済史学』第263号1988年
「洞院家の分裂について(Ⅰ)―元弘の乱に際して―」橋本芳和『政治経済史学』第459号2004年
「洞院家の分裂について(Ⅱ)―元弘の乱に際して―」橋本芳和『政治経済史学』第460号2004年
「楠公の末裔たちの幕末・明治―楠家所蔵『柏原家系譜』の記載を中心に―」本間正幸『成城大学共通教育論集』第6号2013年
「室町後期の近衛家と他の摂家~近衛政家を中心に」石原比伊呂 『聖心女子大学論叢』第129号 2017年 
「室町後期における二条家の停滞」石原比伊呂『聖心女子大学論叢』第130号 2018年 
「鎌倉時代の中・後期 伊予国の知行国主・西園寺家 皇室・摂関家に次ぐ最高位の位」竹内眞人『西南四国歴史文化論叢よど』第20号 2019年 
「吉良氏朝の系譜」黒田基樹『戦国遺文月報6 後北条氏編第6巻』1995年
「最後の阿波屋形細川真之」吉井功兒『戦国史研究』第16号1988年
「『鹿苑日録』に見る六角義実の事績」佐々木哲『戦国史研究』第20号1990年
「その後の白井長尾輝景」黒田基樹『戦国史研究』第29号1995年
「天文期六角氏の系譜の研究―六角氏綱の子孫の実在について―」佐々木哲『戦国史研究』第30号1995年
「武蔵千葉氏補考」黒田基樹『戦国史研究』第32号1996年
「高家に登用された今川直房」大嶌聖子『戦国史研究』第35号1998年
「大沢基宥と公家社会」大嶌聖子『戦国志研究』第43号2002年
「吉良氏の高家登用」大嶌聖子『戦国史研究』第45号2003年
「常陸佐竹氏における官途」木下 聡『戦国史研究』第48号2004年
「戦国大名武田氏の一門と領域支配」丸島和洋『戦国史研究』第53号2007年
「室町・戦国期の下野那須氏に関する一考察―特に代替わりを中心に―」佐藤博信『戦国史研究』第55号2008年
「真田幸村後裔を探る(上)」益岡四郎『仙台郷土研究 第12巻7号』1943年
「仙台家中の年始儀式(召出真田氏の例)」片倉信光『仙台郷土研究 第13巻1号』1944年
「華族―日本の貴族―」トヨマサ フセ(中久郎/訳)『ソシオロジ 第18巻3号』1973/74年
「上総武田氏の基礎的検討」黒田基樹『袖ヶ浦市史研究』第6号1998年
「日光東照宮と高家―将軍家名代を務めた先祖―」前田明久『大日光』第84号2014年
「日光東照宮と高家(2)―高家肝煎役の特典とその実態―」前田明久『大日光』第85号2015年
「日光東照宮と高家(3)―五代将軍綱吉公と柳澤吉保による対朝廷戦略―」前田明久『大日光』第86号2016年
「日光東照宮と高家(4)―高家職に転役となったお小性役四人の事跡―」前田明久『大日光』第87号2017年
「日光東照宮と高家(5)―将軍の御小性が記した生類向き対処マニュアル―」前田明久『大日光』第88号2018年
「日光東照宮と高家(6)―将軍の御小性が記した「礼儀作法」のマニュアル―」前田明久『大日光』第89号2020年
「三経及び太田城のこと」
「越前多賀谷氏」
「羽後多賀谷氏」
古沢一朗『多賀谷氏の史的考察 , 戦国期常陸国下妻城主』(崙書房)1977年
「「武田家臣団の系譜」の研究について」服部治則『武田氏研究』第10号1993年
「上杉景虎の政治的位置―越相同盟から御館の乱まで―」櫻井真理子『武田氏研究』第28号2003年
「武田家の高家登用とその背景」大嶌聖子『武田氏研究』第32号2005年
「ご先祖様はあの人
 徳川家康→徳川恒孝」
『旅の手帖』第40巻6号2016年
「ご先祖様はあの人
 真田幸村→真田徹」
『旅の手帖』第40巻7号2016年
「ご先祖様はあの人
 伊能忠敬→伊能洋」
『旅の手帖』第40巻8号2016年
「ご先祖様はあの人
 シーボルト→関口忠志」
『旅の手帖』第40巻9号2016年
「ご先祖様はあの人
 竹鶴政孝→竹鶴孝太郎」
『旅の手帖』第40巻10号2016年
「ご先祖様はあの人
 榎本武揚→榎本隆充」
『旅の手帖』第40巻11号2016年
「ご先祖様はあの人
 竹鶴政孝→竹鶴孝太郎」
『旅の手帖』第40巻12号2016年
「ご先祖様はあの人
 ジョン万次郎→中濱京」
『旅の手帖』第41巻1号2017年
「ご先祖様はあの人
 井伊直虎→井伊直岳」
『旅の手帖』第41巻2号2017年
「ご先祖様はあの人
 前田利家→前田利祐」
『旅の手帖』第41巻3号2017年
「ご先祖様はあの人
 勝海舟→勝康」
『旅の手帖』第41巻5号2017年
「ご先祖様はあの人
 大久保利通→大久保利泰」
『旅の手帖』第41巻7号2017年
「ご先祖様はあの人
 山内容堂→山内豊功」
『旅の手帖』第41巻8号2017年
「ご先祖様はあの人
 島津斉彬→島津忠裕」
『旅の手帖』第41巻9号2017年
「ご先祖様はあの人
 西郷隆盛→西郷隆文」
『旅の手帖』第41巻10号2017年
「名族真田氏の発祥について(一) ―東信濃の古代史を探る―」一志茂樹『千曲 第18号』1978年
「近世大名になった祢津氏―中世末から近世初頭にかけての祢津氏の動静―」寺島隆史『千曲 第46号』1985年
「初期の上総武田氏をめぐって」 黒田基樹『千葉史学』第60号2012年
「北海道における封建制諸段階設定への一試論」海保嶺夫『地方史研究』第22巻5号1972年
「「無高大名」松前藩と石高制」海保嶺夫『地方史研究』第27巻1号1977年
「「夷千島王」の対朝鮮交渉―幕藩制成立以前における夷千島・扶桑・朝鮮王国の「国」意識―」海保嶺夫『地方史研究』第32巻6号1982年
「鎌倉期の武田氏―甲斐武田氏と安芸武田氏」黒田基樹『地方史研究』第38巻1号1988年
「松前藩と石高制―他民族支配体制とのかかわりにおいて―」海保嶺夫『地方史研究』第41巻4号1991年
「宇和島藩主伊達村候と仙台藩―寛延2年本家・末家論争を中心に」倉持 隆『地方史研究』第51巻1号2001年2月
「漂白の戦国武将二人の伊達与兵衛―『駿河伊達系図』から―」長倉智恵雄『地方史静岡』第11号1983年
「下国氏と松前氏―系譜編纂における一つの可能性―」工藤大輔『中央大学大学院研究年報』第26号文学研究科篇1997年
「室町将軍の偏諱と猶子―公家衆・僧衆を対象として―」水野智之 『年報 中世史研究』第23号 1998年 
「和泉守護細川氏の系譜をめぐる諸問題」森田恭二『帝塚山学院大学人間文化学部研究年報』第2号2000年
「最後の岐阜城主・織田秀信終焉の地とその子孫」加納宏幸『天下布武』第13号2000年
「蠣崎戦争と北部王家」澤田光夫『東奥文化』第70号1999年
「室町幕府最末期の奉公衆三淵藤英」金子拓『東京大学史料編纂所研究紀要』第12号2002年
「室町幕府の官位叙任」木下 聡『東京大学史料編纂所研究紀要』第19号2009年
「對馬宗氏の官途状・加冠状・名字状」木下 聡『東京大学日本史学研究室紀要』第10号2006年
「墓所問題でさらにエスカレート 泥仕合化の旧松前藩当主継承問題」 『道新TODAY』第31巻第4号2003年
「近世堂上家家臣の編成形態について―清華・広幡家の家臣を事例として―」箱石 大 『徳川林政史研究所研究紀要』第27号 1993年 
「近世香宗我部氏の諸系統について 其の一 長宗我部系(一)」香宗我部豁志『土佐史談』第139号1975年
「近世香宗我部氏の諸系統について 其の一 長宗我部系(二)」香宗我部豁志『土佐史談』第143号1976年
「長曽我部盛親の末裔」植田謙吉『土佐史談』第143号1976年
「近世香宗我部氏の諸系統について 其の一 長宗我部系(三)」香宗我部豁志『土佐史談』第144号1976年
「土佐一条政親の晩年とその周辺」和田松子『土佐史談』第189号1992年
「鎌倉期における那須氏の世系について」入間田宣夫『栃木県立博物館研究紀要 人文』第28号2011年
「武家における「下野守」」木下 聡『栃木県立文書館研究紀要』第15号2011年
「近世美濃における家臣団形成について―交代寄合高木氏の奉公人―」原 昭午『土地制度史学』第16号(第Ⅳ巻第4号)1962年
「『寛永諸家系図伝』収録「松前系図」の検討」新藤 透『図書館情報メディア研究』3巻2号2005年
「織田秀信と二つの子孫」加納宏幸『中山道加納宿』第37号2001年
「生きていた真田昌輝の家系」田中誠三郎『長野 第72号』1977年
「中世系図学構築の試み」青山幹哉『名古屋大学文学部研究論集』史学39(通号116号)1993年
「中近世転換期の系図家たち」青山幹哉『名古屋大学文学部研究論集』第131号1998年
「お殿様の出世―江戸幕府老中への道(1) 徳川四天王のその後(1) 岡崎藩本多家」山本博文『波』第38巻10号(通巻第418号)2004年
「お殿様の出世―江戸幕府老中への道(2) 徳川四天王のその後(2) 庄内藩酒井家」山本博文『波』第38巻11号(通巻第419号)2004年
「お殿様の出世―江戸幕府老中への道(3) 徳川四天王のその後(3) 高田藩榊原家」山本博文『波』第38巻12号(通巻第420号)2004年
「お殿様の出世―江戸幕府老中への道(4) 徳川四天王のその後(4) 彦根藩井伊家」山本博文『波』第39巻1号(通巻第421号)2005年
「お殿様の出世―江戸幕府老中への道(10) 大久保家の復権」山本博文『波』第39巻7号(通巻第427号)2005年
「お殿様の出世―江戸幕府老中への道(11) 初代老中本多家のその後」山本博文『波』第39巻8号(通巻第428号)2005年
「史料としての武鑑と江戸切絵図」小川恭一『日本古書通信 第61巻第11号』1996年
「大名・旗本の事歴をたずねて」小川恭一『日本古書通信 第68巻第3号』2003年
「大名・旗本の事歴をたずねて(2)近代の幕臣追跡」小川恭一『日本古書通信 第68巻第4号』2003年
「近世の家礼について」松澤克行 『日本史研究』第387号 1994年 
「慶長期大名の氏姓と官位」黒田基樹『日本史研究』第414号1997年
「戦国期下野那須氏の権力構造」荒川善夫『日本史研究』第466号2001年
「部会ニュース:近世史部会 江戸幕府高家衆の登用事情」大嶌聖子『日本史研究』第476号2002年
「部会ニュース〔日本史研究会〕中世史部会
 戦国期における朽木氏の領主支配と政治動向」
田中信也『日本史研究』第534号2007年
「室町政権と東アジア」橋本 雄『日本史研究』第536号2007年
「武家と四職大夫」木下 聡『日本史研究』第549号2008年
「堂上格富小路家成立の顛末」平山敏治郎『日本常民文化紀要』第八輯二1982年
「中世後期道南十二館館主の出自をめぐって―河野氏・相原(粟飯原)氏の場合―」和氣俊行『日本の中の異文化』第1号2005年
「寛政譜以降の幕府系譜書継について」山本博文『日本歴史』第443号1985年
「豊臣政権期における松前氏の叙位・任官について」春日敏宏『日本歴史』第446号1985年
「北海道・上磯町の中世館跡と近世台場跡」森 靖裕『日本歴史』第648号2002年
「近世堂上公家と地下官人の家礼関係」西村慎太郎 『日本歴史』第661号 2003年 
「大道寺政繁と二人の子息」佐脇栄智『日本歴史』第663号2003年
「武家官位にみる本・支藩関係―長門長府藩の位階昇進運動を素材として」来見田博基『日本歴史』第671号2004年
「山内上杉氏における官途と関東管領職の問題」木下 聡『日本歴史』第685号2005年
「清華家「大炊御門家」の成立―始祖藤原経実の婚姻関係を中心に―」久保木圭一『日本歴史』第697号2006年
「中世後期における武家と受領官途―在地効果説をめぐって―」木下 聡『日本歴史 第730号』2009年
「細川幽斎の養父について」山田康弘『日本歴史 第730号』2009年
「大名や旗本の律令官位にはどんな意味があったのですか?」堀 新『日本歴史 第764号』2012年
「書評と紹介 松田敬之著『〈華族爵位〉誓願人名辞典』」刑部芳則『日本歴史』第823号2016年
「学者の世界と爵位」松田敬之 『日本歴史』第835号 2017年 
「近世公家の家内騒動と家臣統制―清華・今出川家を中心に―」田中暁龍『人間文化研究所紀要』第6集 2012年 
「加藤藤松正良の墓」小野勝『沼田万華鏡』第18号1981年
「『歴史』を愉しむ …松前藩祖武田信広の出自から」小笠原 実『永(はるか) 福島町史研究会会報』第5号2006年
「松前八左衛門泰広と十世藩主矩広」金沢秀一『永(はるか) 福島町史研究会会報』第5号2006年
「室町期の公武関係と権力構造」水野智之 『ヒストリア』第175号 2001年 
「室町時代の将軍と摂関家―足利義持と一条経嗣を中心に―」石原比伊呂 『ヒストリア』第209号 2008年 
「旗本 金森左京家の歴史」梶井正美『斐太紀:研究紀要』第13号2015年
「松前家による系図作成の一齣」工藤大輔『弘前大学國史研究』第110号2001年
「津軽・那須家の養子縁組・相続儀礼」岡崎寛徳『弘前大学國史研究』第116号2004年
「常総諸藩小史 明治維新期に成立した志筑藩」川俣英一『茨城県総務部職員課 ひろば』10月号1987年
「常総諸藩小史 志筑本堂氏領の助六一揆」羽場里美『茨城県総務部職員課 ひろば』10月号1988年
「古代氏族の系譜について―ある大蔵省の先人鈴木真年の紹介―」宝賀寿男『大蔵省広報ファイナンス』第22巻10号(通巻254号)1987年
「近世武家の通称官名の制約」小川恭一『風俗 第30巻第4号』1992年
「寛政三年以降旗本家認定の改革…「永々御目見以上」の申渡…」小川恭一『風俗史学 第6号』1999年
「中院通冬とその時代―南北朝動乱に翻弄された一北朝公家―」森 茂暁 『福岡大學人文論叢』第47巻第3号2015年 
「未完の王権―十七世紀アイヌ民族の動向から―」海保嶺夫『季刊文藝』第29巻4号1990年
「近世における戦国武士末裔の動向―高家大友氏と豊後侍末裔―」芥川竜男『法政大学教養部紀要』第54号1985年
「摂関家九条家の確立」三田武繁『北大史学』第40号2000年
「渡党と秀吉政権―「エゾ」から「和人」へ」海保嶺夫『北海道開拓記念館研究紀要』第24号1996年
「北方諸地域における古代・中世の要害遺跡」右代啓視『北海道開拓記念館研究紀要』第33号2005年
「松前藩家臣の由緒書―『近藤家由緒書』について」三浦泰之・東 俊佑『北海道開拓記念館調査報告』第44号2005年
「本堂氏の出自と家紋について」森本弥吉『北方風土』第46号2003年
「平城天皇の血脈、その後」春名宏昭 『本郷』第79号2009年
「華族の爵位と日本人」松田敬之『本郷』第122号2016年
「室町将軍の名前と権力をめぐって」水野智之 『本郷』第115号 2015年 
「浅井長政次男直政調査異聞」野村義男『真玉郷土研究会報』第6号1985年
「武田信広の出自について―龍泉寺文書を中心として―」寺西十糸子『松前藩と松前』第5号1974年
「「和人地」確立期における函館と松前―中世後期におけるアイヌ民族と本州系豪族との闘争によせて―」海保嶺夫『松前藩と松前』第5号1974年
「幕末期の松前」田端 宏『松前藩と松前』第8号1975年
「松前藩家臣団の成立―道南における中世的世界の解体過程―」海保嶺夫『松前藩と松前』第9号1976年
「松前藩における職制の成立―延宝期から享保期までを中心に―」海保嶺夫『松前藩と松前』第10号1977年
「松前城下・町年寄の職掌と機能―松前藩における城下町支配解明のための一考察―」鈴江英一『松前藩と松前』第11号1977年
「「和人地」成立の諸段階」海保嶺夫『松前藩と松前』第11号1978年
「北国郡代設置と北奥大名―村替・家格問題を中心に―」菊池勇夫『松前藩と松前』第16号1980年
「松前藩成立期に関する一考察―家臣団編成を中心に―」春日敏宏『松前藩と松前』第19号1982年
「松前藩知行制の成立―商場知行制をめぐる二・三の問題―」春日敏宏『松前藩と松前』第20号1983年
「極北大名蠣崎氏の権力構造」粕田敏宏『松前藩と松前』第23号1985年
「松前家家祖武田信廣の出自について=龍泉寺文書を中心として=」永田富智『松前藩と松前』第37号1995年
「『蠣崎波響』考~第一次直轄の中で~」内木 竜『松前藩と松前』第37号1995年
「淀殿実弟 浅井作庵」大野正義『まんだ』第16号1982年
「〈講演会〉戦国期の三浦氏」黒田基樹『三浦一族研究』第7号2003年
「交代寄合米良氏と人吉藩」大賀郁夫『宮崎公立大学人文学部紀要』第22巻1号2014年
「明治維新の大名志願―明治初年に誕生した大名家について―」里見和彦『民俗と風俗』第18号2008年
「東大阪市専宗寺所蔵「岩付太田氏関係文書」について」新井浩文『文書館紀要』第16号2003年
「柳澤家の系図編纂と武田家」西川広平『山梨県立博物館研究紀要』第3号2009年
「旧交代寄合知久家の明治維新 ―喬木村歴史民俗資料館所蔵「知久家文書」の検討を中心に―」藤井明広『立正大学文学部研究紀要』第33号2017年
「旗本仁賀保家の明治維新」藤井明広『立正大学文学部研究紀要』第34号2018年
「戦国期の公家衆」富田正弘 『立命館文學』第509号1988年 
「近世武家官位試論」堀 新『歴史学研究』第703号1997年
「豊臣「武家清華家」の創出」矢部健太郎『歴史学研究』第746号2001年
「交代寄合衆について―備中成羽山崎氏の場合―」市川俊介『歴史教育』第10巻第12号1962年
「上杉藩に三成の遺児 維新まで代々つづく」 『歴史研究』第11号1960年
「戦国上杉一門―「上条家系譜と政繁」の考察―」利根川 信『歴史研究 第55号(1・2)』2013年
「幻の真田幸村子女」山地悠一郞『歴史研究 第221号』1979年
「蘆名吉祥丸末裔の消息」伊藤朝次『歴史研究』第420号1996年
「軍記・覚書の成立事情に見る毛利一族」今福匡『歴史研究』第428号1997年
「佐々木氏の基礎知識」佐々木哲『歴史研究』第448号1998年
「島根県と佐佐木氏」有田孝政 『歴史研究』第448号1998年
「佐々木六角氏菩提寺慈恩寺跡」水原 完『歴史研究』第448号1998年
「武州 菖蒲城主、佐々木則綱」野本誠一『歴史研究』第448号1998年
「最大の守護職数」加藤克己『歴史研究』第448号1998年
「近江佐々木氏の歴史」山嵜正美『歴史研究』第448号1998年
「朽木元綱、二度の選択」加藤 昇『歴史研究』第448号1998年
「佐々木荘下司職源経方」稲葉一男『歴史研究』第448号1998年
「佐々木庶流近江山崎氏と山崎城郭跡」藤野宗典『歴史研究』第448号1998年
「戦国期上条上杉氏の実相」今福 匡『歴史研究』第466号2000年
「戦国三好一族の基礎知識」出水康生『歴史研究』第480号2001年
「三好長慶について」萱嶋完彦『歴史研究』第480号2001年
「松永久秀の先見」杉崎 巌『歴史研究』第480号2001年
「老将三好山城守一秀」境淳伍『歴史研究』第480号2001年
「三好一族の絶頂期芥川城政権時代の長慶」堀 孝『歴史研究』第480号2001年
「三好長慶と河内キリシタン」高橋勝幸『歴史研究』第480号2001年
「三好家最後義継の討死と若江城」滝住光二『歴史研究』第480号2001年
「三好実休と阿波細川家の奇妙な関係」吉井功兒『歴史研究』第480号2001年
「後北条氏の新研究 後北条氏の重臣、安藤良整について」下山治久 『歴史研究』第501号2003年
「禄寿応穏の余慶、此に現る」宮代輝之『歴史研究』第501号2003年
「守護大名との同格をめざす北条氏綱」富田誠一『歴史研究』第501号2003年
「氏照印判状の怪」萱嶋完彦『歴史研究』第501号2003年
「北条早雲、その出自と生国の謎」木村信孝『歴史研究』第501号2003年
「後北条一族没落の主因」高月恭平『歴史研究』第501号2003年
「「小田原評定」の見事な結末」加藤 昇『歴史研究』第501号2003年
「伊勢新九郎の出自と勢力伸長の背景」竹村紘一『歴史研究』第501号2003年
「下克上の先駆者北条早雲」跡部 眞『歴史研究』第501号2003年
「後北条氏の婚姻政策」境 淳伍『歴史研究』第501号2003年
「後北条氏五代の基礎」杉崎 巌『歴史研究』第501号2003年
「「旱虎」署名の謙信書状について」今福 匡『歴史研究』第502号2003年
「早雲の知られざる子息」清水重久『歴史研究』第506号2003年
「木曽一族の基礎知識」川口素生『歴史研究』第508号2003年
「朝日将軍義仲挙兵の地と伝承史跡」松井正信『歴史研究』第508号2003年
「義仲に殉じた木曽党の中心勢力中原氏」富田誠一『歴史研究』第508号2003年
「「横田河原合戦」について」花岡脩三『歴史研究』第508号2003年
「謎の名族武蔵武士木曽大石氏」吉田裕治『歴史研究』第508号2003年
「木曽義昌と椿の海」中根一仁『歴史研究』第508号2003年
「木曽義昌の下総国転封」長谷川芳夫『歴史研究』第508号2003年
「悲運の清和源氏義賢流と武蔵国大蔵」本間 寛『歴史研究』第508号2003年
「戦国大名の木曽氏は藤原姓か」竹内久隆『歴史研究』第508号2003年
「史書に描かれた義仲像」伊藤阿さ子『歴史研究』第508号2003年
「北畠一族の基礎知識」横山高治『歴史研究』第515号2004年
「西洋に最初に知られた僧「末世の聖」真盛上人」山本孝圓『歴史研究』第515号2004年
「霧山城趾と北畠庭園」椋本千江『歴史研究』第515号2004年
「栄光の北畠旧臣の末裔」成田勝彦『歴史研究』第515号2004年
「伊勢北畠氏の終焉」清水重久『歴史研究』第515号2004年
「北畠親房と東国経営」飯嶋 望『歴史研究』第515号2004年
「南朝の忠臣北畠親房とその子息たち」井出 豊『歴史研究』第515号2004年
「常陸と北畠親房」萱嶋完彦『歴史研究』第515号2004年
「戦国期の陸奥北畠氏」境 淳伍『歴史研究』第515号2004年
「『神皇正統記』と親房の歴史観」都宮一充『歴史研究』第515号2004年
「伊勢北畠氏の終焉と信長」加藤 昇『歴史研究』第515号2004年
「山内一族の基礎知識」川口素生『歴史研究』第525号2005年
「時代のメッセンジャー 山内一族」宮代輝之『歴史研究』第525号2005年
「土佐藩主・山内家の家系と家格」榎本秀和『歴史研究』第525号2005年
「山内氏の嫡流と土佐山内氏」竹村紘一『歴史研究』第525号2005年
「郷士となった一両具足」山根一仁『歴史研究』第525号2005年
「山内一豊の宿敵の謎」三段崎景貞『歴史研究』第525号2005年
「山内一豊夫人 美濃出生説に迫る」杉原幸晴『歴史研究』第525号2005年
「見性院(千代)出自の謎を追って」清水勝一『歴史研究』第525号2005年
「武田一族の基礎知識」柴辻俊六『歴史研究』第530号2005年
「安芸武田一族」田村紘一『歴史研究』第530号2005年
「土佐の武田家の流れ」広谷喜十郎『歴史研究』第530号2005年
「甲斐武田氏発祥の地・常陸武田」鈴木 安『歴史研究』第530号2005年
「夫の寝返りに同調した見性院」吉田裕志『歴史研究』第530号2005年
「安芸守護武田氏の興亡」横山忠弘『歴史研究』第530号2005年
「武田勢と抗争続けた松平伊忠」松尾卓次『歴史研究』第530号2005年
「甲斐源氏・武田一族の興亡」松井正信『歴史研究』第530号2005年
「武田氏と逸見氏の相剋」本間 寬『歴史研究』第530号2005年
「上総の信長」中根一仁『歴史研究』第530号2005年
「織田信長 家系の謎」市川香舟『歴史研究』第539号2006年
「勝幡織田の勃興」加藤 昇『歴史研究』第539号2006年
「謎多き信長の庶兄・織田信広の悲運の生涯」竹村紘一『歴史研究』第539号2006年
「本能寺の変後の織田家」本間 寛『歴史研究』第539号2006年
「織田家を衰退させた三人の遺族」中村慎太郎『歴史研究』第539号2006年
「豊臣氏に殉じた織田長益」富田誠一『歴史研究』第539号2006年
「将棋の天童織田氏」萱嶋完彦『歴史研究』第539号2006年
「明智一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第545号2006年
「上総に落ちた明智光慶」信原克哉『歴史研究』第545号2006年
「光秀の娘ガラシャ」江藏一成『歴史研究』第545号2006年
「光秀を懐う」近藤範夫『歴史研究』第545号2006年
「桔梗塚の由来」清水勝一『歴史研究』第545号2006年
「明智光秀像の虚像を再考する」富田誠一『歴史研究』第545号2006年
「小栗栖の謎と明智一族」鈴木毅一郎『歴史研究』第545号2006年
「真田一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第554号2007年
「真田氏発祥の地と真田幸隆」村岡脩三『歴史研究』第554号2007年
「滋野姓にこだわった怪しき一族真田氏」吉田裕志『歴史研究』第554号2007年
「海野系譜と謀将真田幸隆について」井出 豊『歴史研究』第554号2007年
「信濃真田氏系図の謎」早瀬晴夫『歴史研究』第554号2007年
「戦国信濃の明星 真田一族」加藤 昇 『歴史研究』第554号2007年
「小豪族のサバイバル条件」中尾俊博『歴史研究』第554号2007年
「真田信重夫妻墓の謎」毛矢一裕『歴史研究』第554号2007年
「豊臣と徳川の争いの中でゆれた真田家」富田誠一『歴史研究』第554号2007年
「豊臣一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第560号2008年
「豊臣一族の不幸」田村紘一『歴史研究』第560号2008年
「豊臣秀吉とその一族について」井出 豊『歴史研究』第560号2008年
「豊臣氏を名のることは秀吉直属を意味す」富田誠一『歴史研究』第560号2008年
「秀吉の朝鮮征伐と豊臣一族の崩壊」横山忠弘『歴史研究』第560号2008年
「滅びのきっかけは実は「関ヶ原」」中村慎太郎『歴史研究』第560号2008年
「豊臣秀吉と上杉景勝の関わり」杉崎 巌『歴史研究』第560号2008年
「豊臣大納言秀長卿の忘れがたみ」植木静山『歴史研究』第560号2008年
「絶えた豊臣氏」吉岡健二『歴史研究』第560号2008年
「徳川一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第565号2008年
「徳川千姫 三つの謎」内海昭佳『歴史研究』第565号2008年
「武田家を再興した家康と武田信吉の謎」曽根 新『歴史研究』第565号2008年
「徳川一族のルーツ松平町を訪ねて」西村克朗『歴史研究』第565号2008年
「西郷隆盛と徳川将軍家は親戚」吉岡健二『歴史研究』第565号2008年
「徳川将軍家康の半生」米山康彦『歴史研究』第565号2008年
「その後の忠直卿」江藏一成『歴史研究』第565号2008年
「徳川家康を生んだ水野氏」福田正秀 『歴史研究』第565号2008年
「偏諱と通字に観る徳川家の変遷」高井正行『歴史研究』第565号2008年
「新田一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第571号2009年
「新田堀江氏誕生 源氏と藤原氏の融合」堀江洋之『歴史研究』第571号2009年
「新田一族・房州里見氏の謎に迫る」乾 浩『歴史研究』第571号2009年
「らいわう御前の母と新田尼について」小西元子『歴史研究』第571号2009年
「新田義貞の謎」杉崎 巌『歴史研究』第571号2009年
「脇屋一族と『名刀鎌倉五郎入道正宗』」大町昭憲 『歴史研究』第571号2009年
「新田義重とその子女たち」加藤克己『歴史研究』第571号2009年
「「鎌倉古街道上道」と新田義貞の罪」吉田裕志 『歴史研究』第571号2009年
「戦後、評価が低くなった新田義貞」富田誠一 『歴史研究』第571号2009年
「悲運な新田氏」吉岡健二『歴史研究』第571号2009年
「足利一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第576号2009年
「尊氏が九州武士を糾合できた経済基盤」冨岡誠一『歴史研究』第576号2009年
「足利尊氏・義詮・義満三代の毀誉褒貶」横山忠弘『歴史研究』第576号2009年
「足利一族の謎」米山康彦『歴史研究』第576号2009年
「鎌倉時代の足利一族」高井正行『歴史研究』第576号2009年
「足利義兼の謎」加藤克己『歴史研究』第576号2009年
「足利尊氏、叛逆の瞬間」植木静山『歴史研究』第576号2009年
「足利義満 その才知の開花」吉岡智華『歴史研究』第576号2009年
「佐竹一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第581号2010年
「自領千年の計―佐竹氏」吉岡智華『歴史研究』第581号2010年
「金砂山城と佐竹一族の興亡」乾 浩『歴史研究』第581号2010年
「将軍と公方の対立に強かな佐竹氏」富田誠一『歴史研究』第581号2010年
「越相同盟における佐竹義重と太田資正」毛矢一裕『歴史研究』第581号2010年
「偉大なる秋田初代・佐竹義宣」籾山昭市『歴史研究』第581号2010年
「佐竹義宣と今福合戦」田村紘一『歴史研究』第581号2010年
「佐竹氏の子女と御霊権現」鈴木 安『歴史研究』第581号2010年
「細川一族の基礎知識」小林雅成『歴史研究』第586号2010年
「幽斎と春日局」毛矢一裕『歴史研究』第586号2010年
「細川家嫡流の戦国史」西村 浩『歴史研究』第586号2010年
「忠義の管領 細川頼之」高井正行 『歴史研究』第586号2010年
「江戸期の細川家生き残り戦術」川上隆弘『歴史研究』第586号2010年
「細川氏始祖矢田判官代足利義清」竹村紘一『歴史研究』第586号2010年
「血統か実力か! 武か智か」吉岡智華『歴史研究』第586号2010年
「小早川一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第591号2011年
「小早川隆景の怒り」田村紘一 『歴史研究』第591号2011年
「小早川隆景〈三矢の遺訓〉で自家を犠牲」富田誠一『歴史研究』第591号2011年
「小早川秀秋の悪評と我が縁」志賀秀教『歴史研究』第591号2011年
「金吾と治部少の確執」毛矢一裕『歴史研究』第591号2011年
「厳島の戦いと小早川水軍乃美宗勝」乾 浩『歴史研究』第591号2011年
「「小早川秀秋の妻」小西元子『歴史研究』第591号2011年
「赤松一族の基礎知識」渡邊大門『歴史研究』第596号2011年
「赤松満祐の野望と嘉吉の乱」乾 浩『歴史研究』第596号2011年
「鴨の子を餌に悪将軍を弑する満祐父子」唐川雅爾『歴史研究』第596号2011年
「宿敵赤松軍」坂本顕一郎『歴史研究』第596号2011年
「小川可遊齋は赤松祐正」田原芳雄『歴史研究』第596号2011年
「我が子とは? 福島正之と満天姫」小西元子『歴史研究』第596号2011年
「表と裏目の家系」吉岡健二『歴史研究』第596号2011年
「知勇兼備の勇将赤松律師則祐」竹村紘一『歴史研究』第596号2011年
「松平一族の基礎知識」小林雅成『歴史研究』第602号2012年
「家康が松平姓から徳川姓に改名の理由」富田誠一『歴史研究』第602号2012年
「家康末子松平頼房の徳川賜姓について」小川剛史『歴史研究』第602号2012年
「二代連続暗殺」吉岡健二『歴史研究』第602号2012年
「松平大和守直克顕彰石碑の奇蹟」毛矢一裕『歴史研究』第602号2012年
「天下人の象徴〈野風の笛〉を渡された家康の六男 松平忠輝」高橋慶伍『歴史研究』第602号2012年
「徳川家康の遠祖は松平氏女婿の遊行相」横山忠弘『歴史研究』第602号2012年
「松平家中興の名将松平清康」竹村紘一『歴史研究』第602号2012年
「伊達一族の基礎知識」渡邊洋一『歴史研究』第607号2012年
「伊達政宗―存続の知恵」北郷 聖『歴史研究』第607号2012年
「幕府と良い関係を求め発展した伊達氏」富田誠一『歴史研究』第607号2012年
「伊達家のルーツを探る」斎藤秀夫『歴史研究』第607号2012年
「慶長遣欧使節と伊達政宗」唐川雅爾『歴史研究』第607号2012年
「「俺が行かずに誰が行く」―伊達の先陣鬼小十郎の系譜」名村栄治『歴史研究』第607号2012年
「伊達家御家騒動の大博打」毛矢一裕『歴史研究』第607号2012年
「伊達政宗と長子秀宗 その確執と和解」小川剛史『歴史研究』第607号2012年
「中興の祖と称されたもう一人の政宗」竹村紘一『歴史研究』第607号2012年
「大友一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第612号2013年
「三通りの名で呼ばれた領主」幡登志子『歴史研究』第612号2013年
「大友義鎮弟晴英の大内家入嗣の背景」小川剛史『歴史研究』第612号2013年
「大友宗麟の卒去日について」松本 茂『歴史研究』第612号2013年
「宗麟と信長」毛矢一裕『歴史研究』第612号2013年
「北九州を治めた守護大名大友氏の系譜」樋口慶伍『歴史研究』第612号2013年
「キリシタンと大友家の義鑑・義鎮・義統」富田誠一『歴史研究』第612号2013年
「畠山一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第619号2014年
「能登畠山家の再興と上条入庵」志村平治『歴史研究』第619号2014年
「畠山義春 上杉謙信人質から高家への道」利根川信『歴史研究』第619号2014年
「二本松城主畠山一族と家臣団の末裔」金子千滋『歴史研究』第619号2014年
「母系の原理」小西元子『歴史研究』第619号2014年
「畠山氏の生き残り戦略 平姓から源姓へ」阿部修治『歴史研究』第619号2014年
「時政の陰謀」吉岡健二『歴史研究』第619号2014年
「門徒に見放された畠山義綱」毛矢一裕『歴史研究』第619号2014年
「橘一族の基礎知識」松尾 光『歴史研究』第631号2015年
「橘氏の中興を目指した才色兼備の皇后橘嘉智子」竹村紘一『歴史研究』第631号2015年
「国を思う橘曙覧」北郷 聖『歴史研究』第631号2015年
「スーパー官女・橘三千代」飯田眞理『歴史研究』第631号2015年
「永久の絆―聖武帝と葛城王―」岩谷隆行『歴史研究』第631号2015年
「三筆の一人・橘逸勢」樋口慶伍『歴史研究』第631号2015年
「池田一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第634号2015年
「池田輝政の後継者~父太郎と母太郎~」小川剛史『歴史研究』第634号2015年
「岡山藩主と鳥取藩主・両池田家の家格」榎本秀和『歴史研究』第634号2015年
「捨石にされた池田恒興」毛矢一裕『歴史研究』第634号2015年
「自分手政治」吉岡健二『歴史研究』第634号2015年
「戦国に三代の政権を支えた恒興一族」唐川雅爾『歴史研究』第634号2015年
「土岐一族の基礎知識」川口素生『歴史研究』第641号2016年
「上総土岐氏と万喜城」乾 浩『歴史研究』第641号2016年
「宗家を託された土岐原治頼」毛矢一裕『歴史研究』第641号2016年
「近世大名としての土岐氏」高井正行『歴史研究』第641号2016年
「明智光秀の前半生」小林保一『歴史研究』第641号2016年
「初めて土岐を称す光信」唐川雅爾『歴史研究』第641号2016年
「土岐一族―土岐善麿の場合―」北郷 聖『歴史研究』第641号2016年
「藤堂一族の基礎知識」川口素生『歴史研究』第644号2016年
「歴戦の名将・築城の名手藤堂高虎」横山高治『歴史研究』第644号2016年
「人づくりの藤堂高兌さま」椋本千江『歴史研究』第644号2016年
「元和偃武と藤堂高虎」中谷碩男『歴史研究』第644号2016年
「藤堂高兌と藩政改革」乾 浩『歴史研究』第644号2016年
「家康に仕えた戦国武将・高虎」望月 茂『歴史研究』第644号2016年
「藤堂高吉という存在」榎本秀和『歴史研究』第644号2016年
「名張藤堂家藩祖 藤堂高吉の不遇の生涯」竹村紘一『歴史研究』第644号2016年
「井伊一族の基礎知識」竹村紘一『歴史研究』第649号2017年
「「秋葉修験」松下常慶について」河村忠伸『歴史研究』第649号2017年
「鎌倉・南北朝時代の井伊氏」坪井俊三『歴史研究』第649号2017年
「その後の井伊の赤鬼」中根一仁『歴史研究』第649号2017年
「譜代の棟梁―井伊家の家格」榎本秀和『歴史研究』第649号2017年
「彦根城(直継)と”ひこにゃん”(直孝)」大澤俊彦『歴史研究』第649号2017年
「井伊直弼と押しかけ登城事件」服部 瑛『歴史研究』第649号2017年
「名和一族の基礎知識」川口素生 『歴史研究』第654号2017年
「名和氏興亡録」竹村紘一『歴史研究』第654号2017年
「名和長年と児島高徳」唐川雅爾『歴史研究』第654号2017年
「勤王 名和一族の実態」橋本晋吉『歴史研究』第654号2017年
「南北朝の激流に翻弄された名和一族とその子孫」馬原浩一『歴史研究』第654号2017年
「悪党、一世風靡」夢酔藤山『歴史研究』第654号2017年
「結城一族の基礎知識」川口素生『歴史研究』第659号2018年
「結城勤王史」橋本晋吉『歴史研究』第659号2018年
「白河結城一族と南朝政権」乾 浩 『歴史研究』第659号2018年
「結城氏朝と結城合戦」道福清延『歴史研究』第659号2018年
「白河義親の謎」平田好子『歴史研究』第659号2018年
「結城氏朝の矜持」夢酔藤山『歴史研究』第659号2018年
「晴朝の誤算」毛矢一裕『歴史研究』第659号2018年
「奥州白河結城一族の興亡録」竹村紘一『歴史研究』第659号2018年
「武田勝頼滅亡以後の武田家」渡辺世祐『歴史地理』53巻2号1929年
「真田幸村の子女の系譜」真田博明『歴史読本 昭和46年10月号』1971年
「制外の家 越前松平家の実像」黒田基樹『歴史読本』第45巻15号2000年
わが家系を語る
「新田義貞の後裔 岩松家」
岩松清四郎『歴史と旅』昭和58年1月号1983年
わが家系を語る
「能登発祥の旧家 長家」
長 文連『歴史と旅』昭和58年3月号1983年
わが家系を語る
「阿波蜂須賀七人衆 牛田家」
牛田義文『歴史と旅』昭和58年9月号1983年
わが家系を語る
「関ヶ原敗者の一族 宇喜多家」
高山不二雄『歴史と旅』昭和58年10月号1983年
わが家系を語る
「源融発祥の華道家元 渡辺家」
渡辺華渓『歴史と旅』昭和59年3月号1984年
わが家系を語る
「室町将軍家の後裔 足利家」
足利峻『歴史と旅』昭和59年5月号1984年
わが家系を語る
「新田義貞の子孫の行方 新田家」
新田 等『歴史と旅』昭和59年10月号1984年
わが家系を語る
「全国に散居した肥後の名族 菊池家」
菊池秀之『歴史と旅』昭和60年3月号1985年
わが家系を語る
「讃岐十七万石大名の後裔生駒家」
細越弦二郎『歴史と旅』昭和60年4月号1985年
わが家系を語る
「大坂陣東軍勇士の一族 奥田家」
奥田秀久『歴史と旅』昭和60年8月号1985年
わが家系を語る
「応仁の乱 京都所司代の一族 多賀家」
多賀高朗『歴史と旅』昭和60年9月号1985年
わが家系を語る
「塙団右衛門の後裔 櫻井家」
櫻井 尚『歴史と旅』昭和60年10月号1985年
わが家系を語る
「郡上の文人城主東常縁の後裔 東家」
東 恭輔『歴史と旅』昭和60年11月号1985年
わが家系を語る
「無念の失脚、本多正純とその血脈 木村家」
木村日出明『歴史と旅』昭和60年12月号1985年
わが家系を語る
「生実藩一万石大名の後裔 森川家」
岩楯鉄司『歴史と旅』昭和61年1月号1986年
わが家系を語る
「鎌倉名門畠山氏の後裔 利根川家」
利根川信『歴史と旅』昭和61年2月号1986年
わが家系を語る
「家康を看取った久能山の神官榊原家」
榊原俊行『歴史と旅』昭和61年8月号1986年
わが家系を語る
「興福寺大乗院門跡の後裔 松園家」
松園 裕『歴史と旅』昭和62年1月号1987年
わが家系を語る
「後北条氏以前の小田原城主 大森家」
大森頼周『歴史と旅』昭和62年2月号1987年
わが家系を語る
「肥前竜造寺氏嫡流の出自 倉富家」
倉富四郎『歴史と旅』昭和62年11月号1987年
わが家系を語る
「青松葉事件に散った先祖 成瀬家」
田中繁男『歴史と旅』昭和63年11月号1988年
わが家系を語る
「甲斐源氏の末裔 市川家」
長谷川順音『歴史と旅』平成元年3月号1989年
わが家系を語る
「流鏑馬鎮西八郎為朝の末裔 大島家」
大島敬冶『歴史と旅』平成元年10月号1989年
わが家系を語る
「徳川幕府に殉じた高級旗本 大久保家」
川崎純子『歴史と旅』平成3年12月号1991年
わが家系を語る
「わが先祖はシーボルト 関口家」
関口忠志『歴史と旅』平成5年3月号1993年
わが家系を語る
「血塗られた祖霊の地城井谷を訪ねて 城井家」
城井睦夫『歴史と旅』平成5年8月号1993年
わが家系を語る
「伊勢戦国武将家三代流転の歴史 田丸家」
田丸辻郎『歴史と旅』平成5年9月号1993年
わが家系を語る
「会津藩に仕えた武田二十四将の末裔 内藤家」
菅野恒雄『歴史と旅』平成6年1月号1994年
わが家系を語る
「薩摩落ちした真田幸村の末裔 真江田家」
濱崎秀達『歴史と旅』平成6年3月号1994年
わが家系を語る
「「稲葉系図」混乱の謎 稲葉家」
清水勝也『歴史と旅』平成6年9月号1994年
わが家系を語る
「徳川旗本家の歴代系譜 諏訪家」
石川浩延『歴史と旅』平成6年12月号1994年
わが家系を語る
「東美濃 歌の殿様の系譜 東家」
東 醇『歴史と旅』平成7年7月号1995年
わが家系を語る
「平氏の流れを汲む武門の血脈 神戸家」
神戸潔『歴史と旅』平成10年2月号1998年
わが家系を語る
「戦国名将の系譜 謎の空白―白河真田家 真田家」
真田秀男『歴史と旅』平成10年4月号1998年
「武家官途としての左馬頭」木下 聡『歴史評論』№6742006年
「江戸時代の公家と武家―公家から武家への身分移動」久保貴子『早稲田大学教育学部学術研究 地理学・歴史学・社会科学編 第41号』1992年
「畠山義春 能登畠山家の再興とその末裔」丸山 巌     
城 郭
 表   題 著  者  出  典  出 版 年
「神指城と関ヶ原―上杉景勝の城づくり―」石田明夫『会津若松市史研究』第3号2001年
「北海道東部のチャシ」豊原煕司アイヌ文化振興・研究推進機構 平成18年度普及啓発セミナー2006年
「「和人地」に見るアイヌ文化
~上之国館跡・勝山館跡周辺の出土品~」
松崎水穂アイヌ文化振興・研究推進機構 平成18年度普及啓発セミナー2006年
「白老町のチャシと新発見の事例」佐藤政憲『アイヌ民族博物館だより』№91985年
「北海道陸別町で発見した4つのチャシ跡」石橋次雄・後藤秀彦『浦幌町郷土博物館報告』第10号1977年
「霧止山チャシ跡について」後藤秀彦・佐藤芳雄『浦幌町郷土博物館報告』第11号1978年
「稲穂チャシ跡について―下頃辺川に面した単壕のチャシ―」石橋次雄・後藤秀彦・佐藤芳雄・佐藤訓敏『浦幌町郷土博物館報告』第12号1978年
「浦幌町で発見したチャシ2例」後藤秀彦『浦幌町郷土博物館報告』第21号1983年
「十勝太のチャシ跡について」後藤秀彦『浦幌町郷土博物館報告』第26号1985年
「ニタトロマップャシから見たチャシの初源的形態」後藤秀彦『浦幌町郷土博物館報告』第38号1991年
「穏内館の史的考察について」永田智春『穏内館―北海道福島町穏内館跡発掘調査報告―』1973年
「学芸員の研究ノートから12 要害遺跡とは何か?その探究」右代啓視『開拓記念館だより』Vol.352006年
「北海道におけるチャシの形成・終焉とその背景に関する基礎研究」鈴木琢也・右代啓視・村上孝一『開拓記念館だより』Vol.372007年
「学芸員の研究ノート24 蝦夷地の松前氏」笹木義友『開拓記念館だより』Vol.382009年
「北海道におけるチャシの形成・終焉とその背景に関する基礎研究―根室市別当賀川口1号チャシ・別当賀川口6竪穴群の調査―」鈴木琢也・右代啓視・村上孝一『開拓記念館だより』Vol.392009年
「チャシ跡が示すアイヌ社会の繁栄―沙流川流域」田端 宏『季刊河川レビュー』第36巻2号2007年
「音更川流域のチャシ」辻 秀子・川辺百樹・北沢 実『上士幌町ひがし大雪博物館研究報告』第12号1990年
「北海道道央・道南地域のチャシについて」酒井秀治『行政社会論集』第15巻第3号2003年
「釧路川水系の遺跡12 ―中流域のチャシ その1―」豊原煕司『釧路市立博物館報』No.3862004年
「釧路川水系の遺跡13 ―中流域のチャシ その2―」豊原煕司『釧路市立博物館報』No.3872004年
「釧路川水系の遺跡14 ―中流域のチャシ その3―」豊原煕司『釧路市立博物館報』No.3882005年
「チャシの消滅期について」川上 淳『駒沢史学』第41号1990年
「平取町のチャシ跡&遺物№11 ニオイチャシ跡」 『沙流川歴史館だより』第14号2004年
「沙流川流域のチャシ跡 ~その2~ アベツチャシ跡」 『沙流川歴史館だより』第41号2011年
「沙流川流域のチャシ跡 ~その3~ ユオイチャシ跡」
「沙流川流域のチャシ跡 開催中です」
 『沙流川歴史館だより』第42号2011年
「中川町共和チャシの地形測量調査報告」右代啓視・鈴木琢也・松田敏孝・矢島弘章『中川町自然誌博物館紀要 自然誌の研究』第7号2005年
「道南の館について」小沼健太郎『史流』第18号1977年
「ウナベツチャシ」村田良介・松田功・荻野幸男『知床博物館研究報告』第16集1995年
「チャシ跡とアイヌ墓」(一部)宇田川洋『新北海道の古代3擦文・アイヌ文化』(北海道新聞社)2004年
「土地を歩く(95)釧路、チャシと出会う」八木美雄『水道公論』第43巻2号2007年
「浦臼町発見の四つのチャシ」村上初三郎『空知地方史研究』第4号1970年
「茂別館跡についての考察―調査の中間報告―」市村高男『地域史研究はこだて』第32号2000年
「日本の城(5)姫路城―兵庫・華麗なる世界文化遺産の城」坂井尚登『地図ニュース』第358号2002年
「日本の城(7)モシリヤチャシ―釧路・アイヌの人々が築いた城―」坂井尚登『地図ニュース』第363号2002年
「日本の城(11)新府城―山梨・武田氏最後の築城」坂井尚登『地図ニュース』第376号2004年
「日本の城(12)神指城―福島・未完の巨城(付 向羽黒岩崎城・会津若松城)」坂井尚登『地図中心』第379号2004年
「日本の城(15)杉山城―埼玉・土の芸術―」坂井尚登『地図中心』第388号2005年
「日本の城(17)名古屋城―愛知・近世城郭の決定版」坂井尚登『地図中心』第394号2005年
「日本の城(18)伏見城―京都・太閤の夢の跡」坂井尚登『地図中心』第397号2005年
「日本の城(22)熊本城―熊本・清正公さんの城」坂井尚登『地図中心』第410号2006年
「浦臼町で発見の四つのチャシ(1)」村上初三郎『チャシの里』第2号1974年
「チャシに思う<札的チャシにて>」白藤智万『チャシの里』第2号1974年
「北海道の館―縄張研究からの視点―」八巻孝夫『中世城郭研究』第5号1991年
「城郭概念再構成の試み―チャシ・グスクを素材にして―」村田修三『中世城郭研究論集』(新人物往来社)1990年
「北海道の城館」松崎水穂『中世の城と考古学』(新人物往来社)1991年
「東北北半の城館―中世後期における―」工藤清泰『中世の城と考古学』(新人物往来社)1991年
「グスクとその構造」當眞嗣一『中世の城と考古学』(新人物往来社)1991年
「中標津町開陽チャシについて」山宮克彦『中標津町郷土館だより』第2号1992年
「城郭史上のチャシ」村田修三『奈良女子大学文学部研究年報』第32号1988年
「根室の遺跡分布とチャシ跡の紹介」川上 淳『根室市博物館開設準備室だより』No.11983年
「根室の遺跡分布とチャシ跡の紹介(2)」川上 淳『根室市博物館開設準備室だより』No.21984年
「史跡等の整備と活用―史跡松前藩戸切地陣屋 幕末蝦夷地にみる西欧式城郭跡」森 靖裕『月刊文化財』No.4872004年
「史跡としてのチャシはどう活かされているか~ユクエピラチャシを例に~」豊原熙司『月刊文化財』No.4932004年
「概説 北門鎖鑰論と戊辰戦争~史跡はどう活かされているか~」久保 泰『月刊文化財』No.4932004年
「史跡上之国勝山館跡の利活用」松崎水穂『月刊文化財』No.4932004年
「史跡利用の現状と今後の保存整備~松前氏城跡 館城跡~」石井淳平『月刊文化財』No.4932004年
「幕末維新、北に生きた防人たち~北海道最大の陣屋跡、史跡白老仙台藩陣屋跡の活用」竹永 真『月刊文化財』No.4932004年
「新冠のチャシ跡について」新川剛生『文藝にいかっぷ』第28号2010年
「白主土城の発掘調査―三年間の成果と課題―」前川要『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「白主土城の国際研究に見る中世サハリン研究の諸問題と展望と戦略」アレクサンダー・ワシレフスキー『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「白主土城をめぐる諸問題」中村和之『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「沿海地方の中世の土城」アレクサンダー・イブリエフ『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「渤海・女真の山城について」小嶋芳孝『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「モンゴルの囲壁集落」ダンディンスレン・ツェヴェンドルジ『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「廃墟の文明――元上都」魏堅『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「北海道のチャシの様相」宇田川洋『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「チャシ以前の防御的機能をもった遺跡について」右代啓視『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「道南十二館」千田嘉博『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「北の交易拠点としての道南十二館―千田報告へのコメントとして―」小口雅史『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「防御的機能を持つ集落と社会」井出靖夫『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「北方方形土城をめぐる諸問題―樺太白主土城現地調査報告をかねて―」小口雅史『北東アジア交流史研究―古代と中世―』2007年
「北方諸地域における古代・中世の要害遺跡」右代啓視『北海道開拓記念館研究紀要』第33号2005年
「稚内市増幌チャシの地形測量調査報告」右代啓視・鈴木琢也・山田悟郎・平川善祥・村上孝一・添田雄二・為岡進『北海道開拓記念館調査報告』第43号2004年
「稚内市増幌川口2号チャシの地形測量調査報告」右代啓視・鈴木琢也・山田悟郎・平川善祥・村上孝一・添田雄二・為岡進『北海道開拓記念館調査報告』第44号2005年
「稚内市泊岸1号・2号チャシの地形測量調査報告」右代啓視・鈴木琢也・山田悟郎・平川善祥・村上孝一・添田雄二『北海道開拓記念館調査報告』第45号2006年
「浦臼町晩生内2号チャシの地形測量調査報告」鈴木琢也・右代啓視・村上孝一『北海道開拓記念館調査報告』第46号2007年
「礼文町沼の沢チャシの地形測量調査報告」右代啓視・鈴木琢也・山田悟郎・平川善祥・村上孝一『北海道開拓記念館調査報告』第46号2007年
「浦臼町晩生内1号チャシの地形測量調査報告」鈴木琢也・右代啓視・村上孝一『北海道開拓記念館調査報告』第47号2008年
「根室市別当賀川口1号チャシ・別当賀川口6竪穴群の地形測量調査報告」鈴木琢也・右代啓視・村上孝一『北海道開拓記念館調査報告』第48号2009年
「新冠町明和チャシ・万世チャシの地形測量調査報告」鈴木琢也・右代啓視・村上孝一・新川剛生『北海道開拓記念館調査報告』第49号2010年
「千歳川流域のチャシについて」乾芳宏・鈴木邦輝・岡部真幸・長谷部一弘・福田友之『北海道の文化』38号1977年
「「道南十二館」の現状」森川 隆『北海道の文化』第70号1998年
「静内川周辺のチャシめぐり(二)」地蔵慶護『北海道れきけん』第67号2008年
「湧別川筋の中上流のチャシコツについて」伊藤せいち『北方探究 Northerly Studies』第4号2002年
「紋別のチャシコツ」因幡勝雄『北方探究 Northerly Studies』第4号2002年
「市川一学松前築城につき申上候書付」永田富智『松前藩と松前』第7号1975年
「紋別地方におけるチャシ―研究ノート―」佐藤和利『紋別郷土史研究会会報』No.401981年
「チャシ跡遺跡研究の動向」宇田川洋『歴史評論』657号2005年
東洋史
 表   題 著  者 出  典 出 版 年
「『五族譜』モンゴル分支と『集史』諸写本」赤坂恒明『アジア・アフリカ言語文化研究』第55号1998年
「トルキスタンの諸ハン国」佐口透『岩波講座世界歴史 第13』(岩波書店)1971年
「キプチャク草原とロシア」川口琢司『岩波講座世界歴史11』(岩波書店)1997年
「ポスト・モンゴル時代のモンゴル―清朝への架け橋―」森川哲雄『岩波講座世界歴史11』(岩波書店)1997年
「トゥメト・十二オトク考」森川哲雄『江上波夫教授古稀記念論集 歴史編』(山川出版社)1977年
「ティムール朝における一貴顕の系譜―chaku Barlas家の場合―」間野英二『オリエントVol.XX No.1』1977年
「「魏の一族と馮氏―中国姓氏の中から―」三原邦夫『在野史論 歴史研究会創立三十周年記念論文集』1989年
「チンギスの血脈〈黄金家族〉」町井 譲『在野史論』第10集2002年
「ダヤン・ハガンの先世」岡田英弘『史学雑誌』第75巻第8号1966年
「中期モンゴルのトゥメンについて―特にウルスとの関係を通じて―」森川哲雄『史学雑誌』第81巻第1号1972年
「ドルベン・オイラトの起源」岡田英弘『史学雑誌』第83巻第6号1974年
「14世紀中葉~16世紀初めにおけるウズベク―イスラーム化後のジュチ・ウルスの総称―」赤坂恒明『史学雑誌』第109巻第3号2000年
『北魏の国号「大代」と「大魏」』松下憲一『史学雑誌』第113巻第6号2004年
「「五族譜」と「集史」編纂」赤坂恒明『史観』第130号1994年
「系譜史料におけるジュチの諸子に関する記載」赤坂恒明『史観』第142号2000年
「ジュチ・ウルスの分封」赤坂恒明『史滴』第13号1992年
「北魏の洛陽遷都」松下憲一『史朋』第32号1999年
「元代華北のモンゴル軍団長の家系」堤 一昭『史林』第75巻第3号1992年
「八旗蒙古の成立と新潮のモンゴル支配―ハラチン・モンゴルを中心に―」梅山直也『社会文化史学』第48号2006年
「モンゴル帝国の継承国家について」佐口 透『月刊シルクロード』5巻8号1979年
「モンゴル帝国とその継承国家」岡田英弘『地域文化研究』第2号1997年
「モンゴル帝国とその後―キプチャク草原世界―」川口琢司『中央アジアを知るための60章』(明石書店)2003年
「ティムール帝国―栄光と崩壊―」川口琢司『中央アジアを知るための60章』(明石書店)2003年
「英雄叙事詩に見る歴史とフィクション―カルマクとの戦いと「ノガイ大系」―」坂井弘紀『中央アジアを知るための60章』(明石書店)2003年
「チンギス・カンの子孫とムハンマドの子孫―「名家」の系譜―」赤坂恒明『中央アジアを知るための60章』(明石書店)2003年
「カザフ・ハン国―ロシアと清朝のはざまで―」野田仁『中央アジアを知るための60章』(明石書店)2003年
「中国ムスリム大反乱とコーカンド・ハン国―ヤークーブ・ベグの時代―」新免康『中央アジアを知るための60章』(明石書店)2003年
「トカ=テムル裔の系譜情報の復元」赤坂恒明『中央ユーラシアにおける民族文化と歴史像』(東北大学東北アジア研究センター)2003年
「チャガタイ・ハン家の末裔と清朝」佐口透『東西文化交流史』(雄山閣出版)1975年
「カシュガル=ホージャ家の後裔」佐口透『東洋学報』第42巻第4号1960年
「ダヤン・ハガンの年代(上)」岡田英弘『東洋学報』第48巻第3号1965年
「ダヤン・ハガンの年代(下)」岡田英弘『東洋学報』第48巻第4号1966年
「ハルハ・トゥメンとその成立について」森川哲雄『東洋学報』第55巻2号1972年
「チャハル・八オトクとその分封について」森川哲雄『東洋学報』第58巻第1・2号1976年
「十七世紀清朝帰属時のハルハ・モンゴル」宮脇淳子『東洋学報』第61巻第1・2号1979年
「チャハルのブルニ親王の乱をめぐって」森川哲雄『東洋学報』第64巻第1・2号1983年
「十五世紀初頭のモグーリスターン―ヴァイス汗の時代―」間野英二『東洋史研究』第23巻第1号1964年
「オルドス・十二オトク考」森川哲雄『東洋史研究』第32巻第3号1973年
「アミール・ティムール・キュレゲン―ティムール家の系譜とティムールの立場―」間野英二『東洋史研究』第34巻第4号1976年
「「カザク・ハン国」形成史の再考―ジョチ・ウルス左翼から「カザク・ハン国」へ―」長峰博之 『東洋学報』第90巻4号 2009年 
「「金帳汗国」史の解体―ジュチ裔諸政権史の再構成のために―」赤坂恒明『内陸アジア史研究』第19号2004年
「ジョチ・ウルス史再考」川口琢司、長峰博之 『内陸アジア史研究』 第28号2013年 
「明初の東チャガタイ=ハン国」松村 潤『日本大学史学会研究彙報』第7輯1964年
「13世紀後半のキプチャク汗国とロシア―汗国史へのエチュード(1)―」加藤一郎『文教大学教育学部紀要』第19号1985年
「トフタムイシ汗とキプチャク汗国の解体―汗国史へのエチュード(4)―」加藤一郎『文教大学教育学部紀要』第26号1992年
「カシュガル・ハーン家とベグ達」澤田 稔『待兼山論叢』史学編第15号1981年
「清の太祖奴児哈赤と東部蒙古」田中克己『蒙古』12号(通号94号)1940年
「モンゴルの中原撤退―弱体化する帝国―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「シナにおける漢の復権―元朝の滅亡とモンゴルのシナ喪失―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「元朝復活のこころみ―分裂と統一の時代―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「アルタン・ハーンとフフホトの起源―漢とモンゴルの接点―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「リグデンと内蒙古の成立―最後の大ハーン―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「ハルハの形成―現代モンゴルの17部族の筆頭―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「ハルハの清朝帰属―外蒙古の成立―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「清代モンゴル人の民族意識―清の同盟者か被征服民か―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「ハルハ・モンゴルの独立―清朝の動揺にいち早く反応―」金岡秀郎『モンゴルを知るための60章』(明石書店)2000年
「コーカンド汗国の勃興と東方貿易―フェルガナ,パミール,カシュガル辺境史の展開(1760~1860)Ⅰ―」佐口 透『ユーラシア学会研究報告 遊牧民族の研究 自然と文化別編Ⅱ』1955年
「『五族譜』モンゴル分支と『集史』の関係」赤坂恒明『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第41号1995年
西洋史
 表   題 著  者  出  典  出 版 年
「後期ビザンツ地方行政と専制公、尊厳公、副帝称号」平野智洋『オリエント』第44巻第1号2001年
「後期ビザンツ有力者(15世紀)の系譜学とプロソポグラフィーに関する一考察―皇帝文書確認官アレクシオス・パレオロゴス・ヅァンブラコン一族の事例―」平野智洋『オリエント』第57巻2号2014年
「コムネノス家―十一世紀ビザンツ軍事貴族家門の相貌―」根津由喜夫『金沢大学文学部論集 史学・考古学・地理学篇』第20号2000年
「カペー家ブルゴーニュ領邦創設をめぐる一考察―1015年1月25日付フランス王ロベール2世の文書を手がかりに―」松田高史『九州共立大学経済学部紀要』第92号2003年
「ビザンツ法小史―ビザンチン帝国におけるローマ法―」戸倉広『国士舘法学』第7号1975年
「10世紀ビザンツ皇帝の帝国統治と古典活動―中世ローマ帝国の世界秩序理念について」大月康弘『古典学の再構築第4回公開シンポジウム』基調講演42000年
「シャルル6世治世におけるブルボン公ルイ2世の動向―国王と諸侯との紐帯に関する一考察―」上田耕造『史泉』第102号2005年
「コムネノス朝の成立―11世紀ビザンツ帝国の政治体制―」井上浩一『史林』第57巻第2号1974年
「アンドロニコス一世とビザンツ貴族」井上浩一『史林』第62巻第4号1979年
「アンドロニコス一世とコンスタンティノープル市民闘争」井上浩一『人文研究』第30巻第9分冊1978年
「十一世紀ビザンツ帝国におけるイエの成長と国家構造の転換―皇帝・宦官の苗字使用を手がかりに―」井上浩一『人文研究』第53冊第2分冊2001年
春期連続講演会「地中海における文明の交流と衝突」講演要旨
「イスラームとビザンツ帝国」
太田敬子『地中海学会月報』272号2004年
「後期ビザンツ帝国における「皇族」」平野智洋『東海史学』第35号2000年
「後期ビザンツ帝国における「皇族」(2)―パレオロゴス家男系傍流の問題―」平野智洋『東海史学』第37号2002年
「アンヌ・ド・ブルターニュ:二度フランス王妃になったブルターニュの女公爵」山内 淳『日本大学芸術学部紀要』第38号2003年
「アンヌ・ド・ブルターニュ:ブルターニュ公国再興のために」山内 淳『日本大学芸術学部紀要』第41号2005年
「アンヌ・ド・ブルターニュ:フランス王国と共に」山内 淳『日本大学芸術学部紀要』第42号2005年
「九世紀におけるブルターニュ支配者の称号の変化について」大原俊輔『文化史学』第60号2004年
「イスタンブルにおけるビザンツ歴史遺産―教会・修道院を中心に―」井上浩一『COE Aチーム ミニ・シンポジウム「歴史遺産と都市文化創造―世界から大阪へ―」報告書』2003年
「トラスタマラ内戦とカスティーリャ王権 ―ペドロ1世の〈暴君〉像の形成とエンリケ2世の即位の正当化をめぐって―」大内 一『Estudios Hispanicos』第20号1995年