No.601~800(2002/02/24~2002/10/20)


[800] 他の年代も見てみたい 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/10/20(Sun) 23:09 

どうやら刊本は
『遠山家日記』文政十一年(1828)~天保五年(1834)
『遠山家日記(続)』天保六年(1835)~天保十一年(1840)
の収録でした。
八戸市立図書館で見てみたいですが、刊本になっていないという事は草書ですかね・・・読めない・・・残念。

それと『青森県の地名 日本歴史地名大系2/平凡社』のp322に
里見村 現青森市橋本二~三丁目・中央一~四丁目の各一部
 元文年間(1736~41)に三代窪田三郎右衛門が荒廃田を復興して成立した里見新田。初代窪田三郎右衛門は源義家の後裔で旧姓を里見と称し、青森に移住して漁師町をつくり、漁師頭を命ぜられ酒造業を営んだという「青森市史」。三代三郎右衛門は元禄八年(1695)の凶作で荒廃した廃田の復興を企て、・・・。
 宝永元年(1704)に許可を得、・・・里見新田を完成、その功により知行三十石を賜ったという「青森市史」。・・・。
 もと窪田家のあった場所にある里見稲荷神社は草創年月不詳で、・・・。
のように書かれていました。機会があれば読んでみてください。


[799] 遅れて申し訳ありません 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/10/20(Sun) 20:57 

 昨日、原稿を持って某新聞社に行き、やっと今週と先週の掲載紙をもらってきました。
 お約束のコピーの郵送が遅れているのは、そのような事情ですので、お許しを。明日にでも送る予定です。

>千歳から支笏湖に向かう途中の王子第一発電所からの眺め
 あそこは、感動的な場所ですね。

>紅葉や恵庭の漁川ダム・白扇ノ滝などはなかなかきれいでした。

 千歳には、松浦武四郎が記録した滝が何カ所かありますが、少々探検的な苦労をしなければ行けないところもあります。でも、見ると感激しますよ。

 書籍代の話題に、私も少々感想を。
 学生時代には、書籍代には苦労しました。でも、無理することはないのでは。収入があるようなれば、すぐ買えるのですから。
 本職のほうの数十万円する辞書は、学生時代には欲しくても買えなかったのですが、職を得てすぐ買いました。
 また、趣味のほうの文献は、2年で百万円ほど使いました。でもこれでは足りません。
 知り合いは、マンション1軒ぶんほど使いました。この方は、その分野では、さすがにトップに君臨しています。
 学生時代に使用できる金額は、たかがしれています。無理をすることはないかと思います。
 でも、収入を得たら、・・・・。
 とはいえ、人それぞれです。とても私は趣味に何千万円もつぎ込めません。


[798] 再度ご連絡下さい! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/10/20(Sun) 11:55 

>しおじいさん

 こちらをご覧になっているでしょうか? 先日メールを頂きましたが、何度返信し
てもメールが戻ってきてしまいます。再度、メールアドレスをお知らせ下さい。よろ
しくお願いします。


[797] 学習発表会まであと一週間... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/10/20(Sun) 11:55 

↑なんですが、昨日はある見学会に参加して千歳川及びその支川の周辺を見学して来
ましたが、その内容はおいといて(をい(^^;))、千歳から支笏湖に向かう途中の王子
第一発電所からの眺め・紅葉や恵庭の漁川ダム・白扇ノ滝などはなかなかきれいでし
た。今度ドライブしてこようかな?

>蠣崎若狭守さん
 こちらこそ、ご無沙汰していました

> 新井田のよみは「にいだ」だったんですね。
 実は私も昔は「あらいだ」と勘違いしていたんですけどね(^^;) ただ東北の大崎氏
の家臣や南部氏の一族にも新井田氏がいて「にいた(にいだ)」と呼んでますし、『三
百藩家臣人名事典』(新人物往来社)にも「にいだまごさぶろう」と出ています。

> カネランのお話ですが、峠の名前になっている「カネラン峠」って、ユクエピラチ
> ャシの主のカネランからきてるんですかね?

 『北海道の地名』(山田秀三、北海道新聞社)には「峠の名は、昔陸別にいた豪雄な
カネラン酋長の名を採って、近年つけられた名だという」とありますが、この本自
体が1984年の発行ですので、もう名付けられて20年以上はたっていると思いますが。

>杜茂さん

> 想像では、日本城郭大系みたいにごっついのかなと思っていたんで
> すけど、届いたのがポケットサイズだったので、少し安堵しました。
 ええあのシリーズはコンパクトサイズのわりになかなか詳しいので重宝してます(^^)

> 初めての方にきつい物言いをするのもなんですが、「学生だから」
> というのは言い訳として通用しません。私は大学院生なんですけ
> ど、学部生の頃から奨学金の殆どを書籍に注ぎ込んでましたよ。
 まあ、杜茂さんのように研究者になるという方ならそれでもいいでしょうけど、そ
うでなければなかなかそうもいかんでしょう(^^;) まして武鑑で大名家について研究
するならともかく、一部の大名家だけについて知りたいだけならば図書館で閲覧する
のが一番合理的じゃないですか?
 私自身も教育大学でしたから、大学生だった頃に買ったのは文庫本か新書、高くて
もせいぜい2000~3000円程度の本でしたね。これが歴史学科のある大学で研究者にな
るというのであれば、本にお金をつぎ込んだでしょうけど(^^;)1万円以上の本を買
ったのは就職してからで、今のようにいろいろ買うようになったのはネットを始めて
からですからね~(^^;) ちなみに初めて買った1万円以上の本は『世界帝王系図集』
でしたっけ(^^;) (2番目が『姓氏家系大辞典』です...) まあ、自分なりに「必要」
な本だったということで...(^^;)

> そう言えば、神戸は新開地の古本屋で「読史備要」が\8,000で売
> られていました(在庫は2冊)。今は諸費の捻出などで手が出せず
> にいるんですけど、これって買いでしょうか…?>ALL
 「日本の古本屋」で検索してみましたけど、だいたい5000~14000円の範囲でした
ね、発行年などによっても違うのでしょうけど、まあ普通の値段じゃないですか?

>八戸三郎さん
 こちらこそお久しぶりです。

> 三浦忠司さんですか!ビックリですね~。私も一度だけ電話でお話を伺った事があ
> りますが、うらやましい~。
 さすがにいろいろとお詳しいですね。とても楽しくお話しさせて頂きました。

> 遠山家日記は全二巻の刊本がありますが、あれは史料のごく一部ですよね。他は古
> 文書のままなのでしょうかね~。残念
 刊本についてはよくわからないですが、いただいた資料によると原史料は109冊
に及ぶようですね。寛政4年(1792)から大正8年(1919)までの117年間に渡って(明治
以降は多少欠年もあり)、連綿として書き続けられたものとのことですから、本当に
貴重な史料ですね。


[796] 遠山家日記 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/10/18(Fri) 19:59 

KUBOさんおひさしぶりです。

>ルーツ探偵談で八戸の市史編纂室の三浦忠司さんを講師に八戸藩の概略と八戸藩史遠山家の日記をもとに当時の武士の生活についてお聞きしました。

三浦忠司さんですか!ビックリですね~。私も一度だけ電話でお話を伺った事がありますが、うらやましい~。

遠山家日記は全二巻の刊本がありますが、あれは史料のごく一部ですよね。他は古文書のままなのでしょうかね~。残念


[795] 虎穴にいらずんば、「本」を得ず…(^^; 投稿者:とも 投稿日:2002/10/16(Wed) 00:42 

毎度どうも。ともです_(._.)_

KUBOさん、メールでも書きましたが「近畿の城」を送って下さ
り、有り難うございました。想像では、日本城郭大系みたいにごっ
ついのかなと思っていたんですけど、届いたのがポケットサイズだ
ったので、少し安堵しました。だって、最近うちの部屋も凄い状態
になりつつあるのですから…。

やはり、本って購入し出すととまらないものですね(^^;

>すわこさん
初めての方にきつい物言いをするのもなんですが、「学生だから」
というのは言い訳として通用しません。私は大学院生なんですけ
ど、学部生の頃から奨学金の殆どを書籍に注ぎ込んでましたよ。

何を研究されているのか分かりませんけど、学生の内は自由になる
お金があるのですから(奨学金とかアルバイトの給料など)、自分
で必要不可欠だと感じた本は今の内に購入しておいた方が良いです
よ。(その時代を研究されてる人なら尚更ですが…)

学生と書いてあったので、老婆心ながらご進言申し上げます。

そう言えば、神戸は新開地の古本屋で「読史備要」が\8,000で売
られていました(在庫は2冊)。今は諸費の捻出などで手が出せず
にいるんですけど、これって買いでしょうか…?>ALL

http://goo.gaiax.com/home/hanagoran


[794] 訪問ありがとうございます。 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/10/15(Tue) 12:56 

ご無沙汰しています。蠣崎若狭守です。
先日は当HPにご訪問頂きありがとうございます。
新井田のよみは「にいだ」だったんですね。
ご指摘の通りなおしておきました。
カネランのお話ですが、峠の名前になっている「カネラン峠」って、ユクエピラチャシの主のカネランからきてるんですかね?
陸別と足寄の間にあるみたいですが。
カネランの調べものをしているときに峠の名前が出てきたので気になって・・・。

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[793] ちょっと疲れ気味? 投稿者:KUBO 投稿日:2002/10/13(Sun) 20:32 

 今日はふと思いつき、うちのサイトのリンクバナーを作ってみました。まだ未完成
ですが、次の更新時にはアップしたいと思います。(何を今更と言われそうですけ
ど(^^;)) ちょっとこりすぎて容量が大きくなったので、シンプルなものに直そうと
思っています。でも何度もやり直して疲れました~(--;)
 せっかくの三連休ですが、昨日は兄弟総出で実家の父の仕事場の整理、今日は家で
ゴロゴロしてましたので、明日は紅葉でも見に行こうかなと思っています。

>谷ヤンさん
> HomePage拝見いたしましたが、北海道の城郭はすばらしいですね。
 特に道南は見どころ一杯ですよ。松前城・五稜郭はまあよく知られていますから言
うまでもありませんけど、それよりも個人的には函館空港横にある志苔館、函館の隣
町・上磯町にある松前藩戸切地陣屋がおすすめです。
 あと白老の仙台藩シラオイ元陣屋、室蘭の南部藩モロラン陣屋、陸別町のユクエピ
ラチャシ、釧路のモシリヤチャシなども見逃せません。機会がありましたらぜひ北海
道においで下さい。

>すわこさん
> 文化、文政武鑑、大武鑑に載っているのですね。まだ学生のため、あまりお財布に
> 余裕がない今日この頃(笑)入手するのは少し無謀なので(笑2)今度は図書館で
> 探して見ます。
 いえいえ、あんなものを個人で所有しているなんて、私のようなよっぽどの物好き
か図書館・研究機関くらいでしょう(^^;) 図書館などで探して閲覧するのが無難です
よ。
 また何かありましたらおいで下さい(^^)

P.S.
 そういえば、この前自分で75000hit踏んじゃいました(^^;)


[792] ありがとうございました。 投稿者:すわこ 投稿日:2002/10/10(Thu) 12:47 

hazu様、KUBO様、親切にお教え下さいまして、本当に有難うございました。ご迷惑をおかけした事と思います。色々と調べてはみたものの、明記されていなかったりで困っていたので、とても助かりました。
文化、文政武鑑、大武鑑に載っているのですね。まだ学生のため、あまりお財布に余裕がない今日この頃(笑)入手するのは少し無謀なので(笑2)今度は図書館で探して見ます。もしまた困ったら、図々しくもまた現れるかもしれませんが、その時は何卒よろしくお願いいたします(^^;)
有難うございました。


[791] はじめまして 投稿者:谷ヤン 投稿日:2002/10/08(Tue) 22:52 

はじめまして! お城と戦国大名の管理人@谷ヤンと申します。
HomePage拝見いたしましたが、北海道の城郭はすばらしいですね。
気候のいいときに一度だけ北海道一周旅行をしたのですけど、南国育ちの私にとっては憧れの土地に立って充分感動致しまた。
再び訪れることが出来るといいなぁと願っています。
 先日は起こしいただき、ご指導まで頂き有り難うございました。
これからも、色々と教えてくださいませ。


[790] またルーツ探偵談 投稿者:KUBO 投稿日:2002/10/06(Sun) 13:06 

 昨日は例のルーツ探偵談の例会でした。今回は八戸の市史編纂室の三浦忠司さんを
講師に八戸藩の概略と八戸藩史遠山家の日記をもとに当時の武士の生活についてお聞
きしました。もう一人、ゲストといいますか特別談員の方がいらっしゃいましたが、
自然・紀行やアウトドア関係の著作を出されている作家の鍛冶英介さんという方です。
最近、『逆光の維新』という幕末維新の東北・北海道を舞台とした時代小説を出版さ
れました。
 ということで、お二人を交え、楽しい時間を過ごしました(^^)

>美唄の住人さん
> そういう意味ではありません。所属する藩が、朝敵がわで、そこの侍は食えなかっ
> たのです。
 すみません、しょうもない勘違いをしまして(^^;) 朝敵側というと東北方面ですね、
きっと。

> このホームページのことを記載した、私の新聞連載が、今日、掲載されました。
> カウンターの増加に、あまり役立たないかもしれませんが。
 いえいえ、うちのサイトをご紹介して頂けるだけでありがたいです。新聞のコピー
楽しみです。

>筈衛さん
 毎度、フォローありがとうございます(^^)

 Bフレッツで4~5Mですか... でも同じところで速度を測定したら、うちも1.6~
1.8Mでした(^^;) 私が速度を測る時は↓を使うんですけど、ここでも同じくらいでし
た。変だなあ? 前は3~4Mくらい出たんですけどねえ?

 NR スピードテスト 回線速度計測ページ
  http://www.musen-lan.com/speed/

>あそさん
> 私も希望いたしますぅ。特に外国関係を。ということで、同志になりませう。
 外国関係ったって、日本物に比べるとかなり少ないですよ。系図関係であそさんの
参考になるようなものといったら、「LINES OF SUCCESSION」とか「ALMANACH DE GOTHA
2000」、それに松本さんに頂いた「The Mohammadan Dynasties」「STAMMTAFELN」、
それに最近ペリオディカ・ヤポニカ経由で手に入れた「The New Islamic Dynasties」
「Burke's Royal Families of the World volume 2」くらいですけど、これらは当
面手放す予定はないです(^^;)
 処分するとしても、文庫本などが主になると思います(^^;)

>すわこさん
 はじめまして。武鑑関係は編集物の『大武鑑』しか持っていませんので、それをも
とにお答えします。

 板倉勝政 天明4年   年寄       尾崎又兵衛
           ▲伊藤吉左衛門    磯村六郎右衛門
            井上権兵衛    ▲乙部一郎左衛門
           ▲平野善右衛門   ▲木村助左衛門
                      板倉図書

      寛政3年  (年寄)      板倉杢右衛門
           ▲木村助左衛門    井上権兵衛
           ▲尾崎又兵衛    ▲平野善右衛門
            磯村六郎右衛門   金子八郎兵衛
                      伊藤吉右衛門

 板倉勝晙 享和3年  (年寄)      板倉杢右衛門
           ▲平野善右衛門   ▲木村助左衛門
            磯村六郎右衛門   尾崎又兵衛
            大石忠右衛門   ▲伊藤吉右衛門

 『大武鑑』の説明によると、▲が定府とのことなので、▲が付いているのが江戸詰、
あとが国元詰だと思います。


[789] 備中松山藩主 投稿者:hazu 投稿日:2002/10/05(Sat) 22:38 

板倉勝政 安永7年遺領を継ぐ
     享和元年致仕
     文政4年没
板倉勝晙 享和元年家督相続
     文化元年没

です。
重臣は文化武鑑、文政武鑑で調べると判ると思いますが、
持っていませんので、あしからず(^_^;
KUBOさんの登場を待ちましょう(^^)

筈衛


[788] 質問なのですが・・・ 投稿者:すわこ 投稿日:2002/10/05(Sat) 21:42 

はじめまして。質問なのですが、備中松山藩主、12代板倉勝政、13代勝晙の藩主就任年及び退任年をご存知でしたらお教えいただけると嬉しいです。また、この時の江戸詰めの家老など重役の名前等もお教えいただけたら・・・感謝感激です!!面倒な質問で恐縮なのですが、どなたかお願い致します。


[787] 今日新聞連載になりました 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/10/05(Sat) 20:29 

 このホームページのことを記載した、私の新聞連載が、今日、掲載されました。
 カウンターの増加に、あまり役立たないかもしれませんが。

 次回も、チャシについての掲載の予定ですので、それが掲載されてから、両方のコピーを送ります。


[786] ??? 投稿者:あそ 投稿日:2002/10/05(Sat) 17:34 

こんにちは。

>楠木正成自身もその子の正行・正時・正儀の三兄弟にしても関東にその足跡を記したということはないと思うのですが...?
娘が、楠木正成の首を持って逃げてきた。ということなのだそうですが。東京都豊島区は、戦争で資料が焼失してしまったため、調べるのが難しいそうです。

こたつ城主様
はじめまして。

>お掃除しててご本が邪魔だったら、どうかこたつ城主まで
>お送り下さいませーーーー!

私も希望いたしますぅ。特に外国関係を。ということで、同志になりませう。

http://page.freett.com/mako_vl/


[785] 速度 投稿者:hazu 投稿日:2002/10/02(Wed) 21:55 

>> そうなんですか? Bフレッツといったら光ファイバーでしょ? そのくらい速度出てるんですか? うちはフレッツADSLの8Mコースですけど、実質3Mくらいし

|測定サイト http://www.bspeedtest.com/ v2.0.8
|測定時刻 2002/10/02 21:45:10
|回線種類/線路長 FTTH/-
|キャリア/ISP -/-
|ホスト1 WebArena(NTTPC) 4.26Mbps(9971kB,18.7秒)
|ホスト2 at-link(C&W IDC) 4.39Mbps(1764kB,3.2秒)
|推定最大スループット 4.39Mbps(549kB/s)

 くらいです。ただ、NTTの作業員の人のパソコンでは20Mくらいあり、機種次第では50Mくらいまで早くなるとのことでした。
 わたしのでは4~5Mくらいですからね(・.・;

筈衛


[784] 朝敵 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/10/02(Wed) 20:29 

KUBOさま
> 楠木正成って開拓の頃はまだ朝敵だったんですかねえ?

 そういう意味ではありません。所属する藩が、朝敵がわで、そこの侍は食えなかったのです。

 楠正成は、戦前は忠臣として扱われていました。


[783] 今度は兜に... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/10/02(Wed) 06:42 

↑はまってます(^^;) ワールドタンクミュージアム、コレクト倶楽部古代文明編、タ
イムスリップグリコ、チョコQとここ最近食玩コレクションにはまっている私ですが、
一段落していた所で、「激戦」という兜のフィギュア食玩にまた出会ってしまい、最
近はこれにはまってます(^^;) なにやってんだか(^^;)
 「中世ヨーロッパを作ろう」の古城ですがなかなか進みません(^^;) もうすでにNo.3
が買ってあるのに、、まだNo.2の分にも取りかかってない有様です。杜茂さんに言わ
れた完成させるには「総計10万円かかる」という言葉にも動揺しているこのごろで、
せめて最初の教会だけでも完成させたいと思うこの頃です(^^;) サイトの更新も遅々
として進まないし...
 そういえば最近『独眼竜政宗』の総集編のDVDを買ったんですけど、懐かしいで
す。渡辺謙の若々しい伊達政宗がいいです(^^) 伊達ファンになったきっかけがこれ
ですからねえ。後藤久美子の初々しい愛姫(少女編)も美しいです。

>美唄の住人さん
> その県で、一番もっともらしいのが平家の落人です。苗字帯刀を許されたとき、系
> 図をでっち上げたと推定しています。
 これは全国あちこちでよく聞きますね。安徳天皇も生きていたなんていう話が残っ
ている所もあるみたいですから。

> 母方は、朝敵として本州にいてもどうにもならず、北海道に来ました。楠正成の孫
> の○○代目となっています。
 楠木正成って開拓の頃はまだ朝敵だったんですかねえ? たしか明治のいつ頃だか
に南朝が正当と認められて南朝の諸将も名誉回復されたと思いますが。現に南朝の忠
臣の子孫である新田家・名和家・五条家などが男爵になってますので。楠木家は正当
な子孫が確定できなくて授爵者がなかったようですけど。

>あそさん
> そうなんです。父親のお墓(?)は関西にあるのに、娘のは「なんで?」というこ
> とで、「調べてみよう!」ということになって、すぐに行き詰まったんです。
 楠木正成自身もその子の正行・正時・正儀の三兄弟にしても関東にその足跡を記し
たということはないと思うのですが...?

>こたつ城主さん
> 師匠! ご結婚なさったんですか(゚.゚)?!
 はい、おかげさまでまもなく2ヶ月を迎えます(^^;)

> 奥様ー! 奥様ーーーっ!! こたつ城主でございますー!
 あ、うちの嫁さんはあんまり(というよりほとんど)インターネットしないので、こ
こで叫んでも無駄かと...(^^;)

> お掃除しててご本が邪魔だったら、どうかこたつ城主まで
> お送り下さいませーーーー!
 ダメ! ...といいつつ、実家に本は置きっぱなしになってるので何とかせにゃあ
とは思ってるんですけど(^^;)

>筈衛さん

> ついにBフレッツにしてしまいました。ISDNよりは早くなりましたが、考えていた
> よりは大して早くなりませんでした。
> どうすれば、はやくなるんだろ(/_;)
 そうなんですか? Bフレッツといったら光ファイバーでしょ? そのくらい速度出
てるんですか? うちはフレッツADSLの8Mコースですけど、実質3Mくらいし
か出てませんけどね。

>杜茂さん
> にしても、女性というのはなんともこういう事に関してはシビアですよね。
 まあ、そうですね。この前も「趣味も良いけど、もう少し絞ったら?」と言われま
した(^^;) まあ、家にいる時間の半分くらいはパソコンに向かっている、本もたくさ
ん買う、DVD-BOXも...という現状を見ていれば、危惧するのも当然かなと反省してし
まいました(^^;) まあでも本を買うこと、歴史を調べることに関してはどうやっても
やめられそうにはないですけど(^^;)
 まあ、DVD・本の購入を少し控えることくらいですかね。とはいってもお城&系
図関係の本に関しては無理そうですけど(^^;)


[782] ふふふ、やはり(笑) 投稿者:杜茂 投稿日:2002/09/27(Fri) 00:23 

>KUBOさん
やはり奥さんにもそう言われましたか(笑)。私もKUBOさんがその雑誌を購入したと聞いた時、渋い顔をしている奥さんの顔を思わず思い浮かべてたんですから。にしても、女性というのはなんともこういう事に関してはシビアですよね。うちの親に関しても同様のことが言え、「どうせ売るのだから」と私の蔵書に関して口を挟んだり、夜道を歩きながら短歌や俳句を作っている事を言うと、「そんなんで飯が食えるのか」とたしなめたり…。もう少し考え方にゆとりを持って貰いたいものです。

なんか、KUBOさんの所の奥さんとうちの母親がダブって見えるのは錯覚でしょうか(爆)

そう言えば、美唄の住人さんとKUBOさんとのやりとりを通して少し思い出した事があるんですが、笹本正治さんが書かれた『日本の中世3 異郷を結ぶ商人と職人』(2001年、中央公論新社)には中世では職人達が自分たちの商売をやりやすいものにするために上位権力(将軍や天皇など)との結びつきをよく主張していたそうです。楠木正成のケースに関しても彼は散所との結びつきが強かった事を考え合わせると、このケースもこれと同様の事が言えるのかもしれませんね。ただし、笹本氏の指摘に拠ればその際になされるのは「文書の偽作」なんですが…。


[781] 大して早くならなかった 投稿者:hazu 投稿日:2002/09/25(Wed) 23:47 

 ついにBフレッツにしてしまいました。ISDNよりは早くなりましたが、考えていたよりは大して早くなりませんでした。
 どうすれば、はやくなるんだろ(/_;)
 来月になると、@NIFTYのこーすをかえよっと(^_^;

筈衛


[780] わおわお! 投稿者:こたつ城主 投稿日:2002/09/25(Wed) 23:03 

師匠! ご結婚なさったんですか(゚.゚)?!
(何となく文脈を見るに……)
わおわおっ! おめでとうございま~~~す\(^O^)/!

ワ~、カンパ~イ♪> ( ^O^)/∀☆∀\(^O^ ) <ウィ~ッ☆ミ
(↑まず飲む)

不肖こたつ城主、たった今知った次第であります!
申し訳ございませぬぅぅぅ~(TOT)。。。(←騒がしい奴)

そうか……それで「ウチの掲示板に来ればわかる」
という事だったのですね(゚.゚)!
てっきり「もうこたつの事なんか忘れちゃったのね!」
師匠! 師匠ーー! お見限りーーーーーーー(>O<)!」
な~んて思ってましたわ。いや~~~~ん(≧▽≦)!
(↑お前ちょっとウルサイよ)

奥様ー! 奥様ーーーっ!! こたつ城主でございますー!
お掃除しててご本が邪魔だったら、どうかこたつ城主まで
お送り下さいませーーーー!(←コイツ、どうにかならんかな)

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[779] そこなんです 投稿者:あそ 投稿日:2002/09/24(Tue) 22:43 

こんばんは。
KUBO様

>なんで東京に楠木正成の娘の墓があるんでしょうねえ? ちょっとそのつながりがわからんです。
そうなんです。父親のお墓(?)は関西にあるのに、娘のは「なんで?」ということで、「調べてみよう!」ということになって、すぐに行き詰まったんです。

http://page.freett.com/mako_vl/


[778] 我が家の家系 投稿者:美唄の住人  投稿日:2002/09/23(Mon) 22:12 

KUBO様

>系図も調べていくといろいろと奥が深いんですけど、なか
>には「ほんとかなあ?」というものもありますので注意が必要です。

 父方は、某県で江戸時代、庄屋で苗字帯刀を許されていたそうです。
 その県で、一番もっともらしいのが平家の落人です。苗字帯刀を許されたとき、系図をでっち上げたと推定しています。

 母方は、朝敵として本州にいてもどうにもならず、北海道に来ました。楠正成の孫の○○代目となっています。
 孫というところが、侍になったときに系図をでっちあげるのに有効だったのではと推定しています。

 まあ、これは我が家の先祖の単なる物語と思っています。追求しないのが、先祖に対する思いやりと思っています。


[777] あったまきた~! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/09/23(Mon) 21:43 

 せっかくの3連休でしたが、連休前日からなぜか咳がひどくなったので、初日は病
院に行ったもんで、何だかずるずると自宅と実家の間を行ったり来たりしただけで3
日間が終わってしまいました(^^;)
 ところで、今日は結婚式の写真ができたというので、写真を持って親戚巡りです(^^;)
ところが途中で2枚の写真のうち1枚がなんと抜けているものがあるということが判
明。結局、もう配り終わった所に電話を掛けて写真が抜けてないかどうか確認したり、
写真を取り替えに行ったりして、15セットのうち4セットも不良品があることが判明、
そのあと写真屋に文句を言いに行ったりなんだりしているうちに一日が終わってしま
いました。しっかし信じられねえな~、どんな仕事しとるんじゃい>カ○ラのキ○ム
ラめ~(▼▼) えらい恥をかいてしまった...(--;)

>ヴワディスワフIII世ヴァルネンチクさん

> 奥州では様様な桓武平氏の分流が栄えました。特に良文流千葉氏と国香流北條氏族
> 熊谷氏です。その為、子孫が沢山います。もしかしたらKUBO様の母方の祖先の
> 家系に入ったのもあるかもしれません。
 そうですねえ。千葉氏流は特に多いですね。母方のルーツ自体がよくわかっていな
いので何とも言えませんけど、そういうこともあるかもしれませんね。

>あそさん
> 東京、池袋の法明寺にあるそうなのですが。
 教えて頂いたサイトも見てみましたけど、なんで東京に楠木正成の娘の墓があるん
でしょうねえ? ちょっとそのつながりがわからんです。

>美唄の住人さん
> チャシについての新聞連載原稿を、担当者に渡しました。
> 掲載時点で、また連絡します。
 ご苦労様でした。そうですか、ご連絡を楽しみに待っております(^^)

> 私の母方は、楠木正成の系統で、父方が、桓武平氏の系統なので、皆さんの話題に
> は興味がありますが、なにせその方面の知識が全くありませんので、・・・・・・。
> 皆さんは、驚異的な知識がおありですね。
 へえ、そうなんですか。系図も調べていくといろいろと奥が深いんですけど、なか
には「ほんとかなあ?」というものもありますので注意が必要です。

>ゆたさん
 はじめまして。ゴローウニン幽閉の地に行かれたんですか。

> 自分も行ってみたんですが、途中で沢が二つに分かれてしまい、迷ってしまう不安
> もあったんで引き返してしまいました。
> いずれ再チャレンジしようと思っているんですが、どのように行けばよいのでしょ
> うか。覚えていたら教えてください!
 沢が二つに分かれていた... そうですねえ、私が行ったのは6月でしたけど、沢が
二つに分かれていたという記憶はないんですよね。とにかく真っ直ぐ(といってもい
ろいろカーブしていましたが)行ったら、土塁のようなものでしきられた所があって、
その奥に碑というか標柱が立っていました。
 あまりお役に立てず申し訳ありません。

>杜茂さん
> というのも、その定価が1巻1000円もするので全部購入するのに10万近い金
> 額をつぎ込まなければならないという事でして…。それを聞いた私はこう彼に言い
> ましたーーそれにお金をつぎ込むのなら、「ローマ人の物語」を全巻購入した方が
> 良いよ、と。
 うっ... 確かにそうですよねえ(^^;) 週1000円なら何とかしようかとも考えていた
のですが、「もうNo.2を買ったのに、まだNo.1の教会の一部に当たる部分もできあがっ
ていないのに、全部完成させられるの?」と嫁さんに言われ、何も言い返せないでお
ります(^^;) 考えてみたらうちの狭いアパートじゃあ完成品を置く場所も確保できそ
うもないし。う~ん、途中で挫折するかも...(でもせめて最初の教会は完成させたい
なあ)

> それは会員個人の環境の変化も影響しているのかもしれませんが、少々「場が固い」
> のも原因として考えられるのではないかと思います。(例えば、今まで居酒屋感覚
> で飲めていた店が今日来てみると高級料亭になっていた…みたいな^^;)
 そういう面はあるかもしれませんね。日本史館にしても未だ活発に発言があるのは
そういう雰囲気が残っている江戸部屋と会津部屋くらいですからねえ。(ていうか古
代&幕末関係は読んでないんですけど(^^;))

>D-oneさん
> 自分も先週東北に行ってきました。主に青森県の津軽と秋田県の日本海側を見てき
> たのですが、久保田城も行ってきました。
 久保田城もなかなか良かったですね。個人的にゃあ、やっぱり表門が気に入ってし
まいましたけど。

> ちょっと変な事に拘ってますが、宜しかったらご覧下さい。
 確かにあの御隅櫓は写真に収めにくいですよね。私も雨が降ってなけりゃあもう少
しいろいろな角度から攻めてみたんですが、何分天気が悪くてねえ...


[776] 久保田城 投稿者:D-one 投稿日:2002/09/22(Sun) 22:58 

KUBOさん、こんばんは。

自分も先週東北に行ってきました。主に青森県の津軽と秋田県の日本海側を見てきたのですが、久保田城も行ってきました。
http://www.interq.or.jp/leo/d-one/2020903.html
ちょっと変な事に拘ってますが、宜しかったらご覧下さい。

それから、あやしい城情報有難うございました。
それでは。

http://www.interq.or.jp/leo/d-one/jc020.html


[775] あれこれ 投稿者:杜茂(とも) 投稿日:2002/09/22(Sun) 19:11 

>KUBOさん

>それから、最近本屋に山積みになっている扶桑社の「週刊 中世ヨ
>ーロッパを作ろう」というファイルマガジンが出ておりますが、誘
>惑に負けて買ってしまいました(^^;)

あっ、KUBOさんもですか(^_^)実は私の周囲にもそれを購入したのがいるのですが、KUBOさんとは少し違う「角度」で今悩んでるみたいです。というのも、その定価が1巻1000円もするので全部購入するのに10万近い金額をつぎ込まなければならないという事でして…。それを聞いた私はこう彼に言いましたーーそれにお金をつぎ込むのなら、「ローマ人の物語」を全巻購入した方が良いよ、と。(西洋史が好きらしいので、彼は。)KUBOさんは全巻購入されますか?

>そんなことも考えてなのか、WEBフォーラムでは会員じゃないと
>書き込みはできないけど非会員でも読むことはできるセミオープン
>な会議室の設定もできるみたいですね。

確かにフリーにしたらしたで、他のサービスとの差別化をどうするかが問題となってくるでしょうし、品質も低下するとは思いますが、私としては日頃絶対に知り合わないような人達と接したいと思ってるので、やはりフォーラムの「敷居」は低くして欲しいですよ。私がやめた頃のフォーラムの書き込み数は私が入会した当初のそれと比べると格段に減ってましたから。それは会員個人の環境の変化も影響しているのかもしれませんが、少々「場が固い」のも原因として考えられるのではないかと思います。(例えば、今まで居酒屋感覚で飲めていた店が今日来てみると高級料亭になっていた…みたいな^^;)

そうそう。F歴にはHISTORIAというWEBサイトがあったような、なかったような…。

結婚については、あまり気にしないようにします。ただ、KUBOさんの仰るとおり、子供のことを考えると早めにやった方が良いのかもしれません(オイ!)個人的には30で博士課程修了、35までに好きな人に思いをぶつけて結婚したいと人生設計を立ててますが…果たして思いのままに行くでしょうか(爆)。でも、とにかくはいい加減修士課程を修了しなくてはならないので、論文書きに専念します。その方が堅実ですよね(^_-)

ごちゃごちゃと書いてしまいましたけど、今日はこの辺で。


[774] ご質問 投稿者:ゆた 投稿日:2002/09/22(Sun) 14:17 

はじめまして。このHPをはじめて拝見しました。KUBOさんはゴローウニン幽閉の地に行かれましたよね。自分も行ってみたんですが、途中で沢が二つに分かれてしまい、迷ってしまう不安もあったんで引き返してしまいました。
いずれ再チャレンジしようと思っているんですが、どのように行けばよいのでしょうか。覚えていたら教えてください!


[773] 連載原稿 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/09/20(Fri) 10:48 

>KUBO様

 チャシについての新聞連載原稿を、担当者に渡しました。
掲載時点で、また連絡します。

 私の母方は、楠木正成の系統で、父方が、桓武平氏の系統なので、皆さんの話題には興味がありますが、なにせその方面の知識が全くありませんので、・・・・・・。
 皆さんは、驚異的な知識がおありですね。

 私は、33才まで学生をしていましたので、結婚は遅く、子供は40才の時でした。KUBO様に、近い状況ですね。


[772] ありがとうございます 投稿者:あそ 投稿日:2002/09/19(Thu) 22:03 

>KUBO様
ありがとうございます。なかなか、解明するのは難しそうですね。(って自分が話題を振ったのよね。)

>その姫塚というのはどこにあるんですか?
東京、池袋の法明寺にあるそうなのですが。

見つけたサイトは以下の2つです
http://faculty.web.waseda.ac.jp/kaminuma/shouyou/
http://www.kokohe.com/info01/ku.html

私の中で謎が深まってます。

http://page.freett.com/mako_vl/


[771] そんな物が・・・。 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/09/19(Thu) 18:56 

>KUBO様
>『増補改訂 系図資料総覧』
そんな便利な物があったんですか!有難うございます。今度、図書館にいった時、調べてみます。

奥州では様様な桓武平氏の分流が栄えました。特に良文流千葉氏と国香流北條氏族熊谷氏です。その為、子孫が沢山います。もしかしたらKUBO様の母方の祖先の家系に入ったのもあるかもしれません。


[770] おっと、一週間以上も... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/09/18(Wed) 21:17 

↑放置したままでした(^^;) 読んではいたんですけどね。
先日の連休はなんだかんだと外出して、たいして更新が進みませんでした。先月の旅
行の分はまだまだですけど、No.681で書いた采女系蠣崎家の系図の分は完成したんで
すけどね~ と言う訳でもうしばらくかかりそうです。

 それから、最近本屋に山積みになっている扶桑社の「週刊 中世ヨーロッパを作ろ
う」というファイルマガジンが出ておりますが、誘惑に負けて買ってしまいました(^^;)
毎週少しづつ組み立てて最終的に中世の古城を作るというものですが、よくみるとな
んと100週も買わなくちゃいかんらしいです(^^;) 2年も毎週買い続けられるんだろ
うか?

>杜茂さん
> 極論「歴史について関心を持っている人ならどこのプロバを使っている人でもOK。
> その心意気がパスポートです!!」という風にオープンにすれば少しは違ってくる
> のではないかと思うのですが…。
 そんなことも考えてなのか、WEBフォーラムでは会員じゃないと書き込みはでき
ないけど非会員でも読むことはできるセミオープンな会議室の設定もできるみたいで
すね。
 そんな風にフルオープンにした場合、他のYahoo!掲示板や2ちゃんねるなどとの差
別化をどうするかという問題もあると思います。

> こんなのって、駄目ですか(爆)
 いや、ダメなことはないです(^^;) 結婚はそれぞれの個人の問題ですし。まあ、た
だ私の個人的な感想としてはもう少し早く結婚できれば良かったなと思ったというだ
けでして。だってこれから子供が生まれたとして、その子が20歳になったら、私ゃあ
60を越えてることになりますからねえ(^^;) それを考えるとちょっと...

>Aliciaさん
> それにしても皆様本当にお詳しいですね。
 別に私も筈衛さんも系図の専門家じゃなくてただの公務員なんですけどねえ(^^;)
でも系図を調べることが好きだという意味ではただの素人じゃないですね。だいたい
ただの素人が『寛政重修諸家譜』を個人で持ってるわけないです(^^;)

>筈衛さん
> 試験なんか設けられたら、わたしなんかは落ちるだろうけど、なにくそと思って試
> 験を受けて会員になる人もいるかもしれませんよ(^^;;
 そんなことになったら、私ゃあごめんこうむります(^^;) いまじゃ試験を受けさせ
る立場ですけど、自分が試験を受ける、もう勘弁してほしいです。

>野暮さん
 ご無沙汰しております。昨年の近江遠征懐かしいです(^^) わざわざご祝辞を頂き
ありがとうございます。

> 奥さんはおまり歴史好きではないとか、今までのように気ままに城巡りが出来なく
> なりそうですね。(^^)
> 趣味はどうであれ、仲良くやって下さい。
 結婚が決まって以来、道東&旭川方面のチャシ巡りと先月の東北方面しかお城orチ
ャシ巡りはしてませんね~ ほんとなら今月の三連休も遠征したい所ですが、自粛(?)
しております(^^;)

> わが家では、最近女房殿と城廻りをしています。
 うちの嫁さんも近世城郭ならつきあってくれそうです。山城は厳しいかなあ~?

> また、近江へお越しの折りには声をかけてください。
 また行きたいですね。近江はまだ小谷城という大物が残ってますしね~

>あそさん
> 職場での話なのですが、楠木正成の首塚の話から、楠木正成女の姫塚の話になり、
> 楠木正成に娘っていたっけ?ということになりました。
 楠木正成の子どもというと正行・正時・正儀の三兄弟が有名ですけどね。『系図纂
要』『群書系図部集』『古代氏族系譜集成』『尊卑分脈』などを見てみましたが、正
成の子としては上記の三人以外には見つけることができませんでした。『系図纂要』
には源秀という名の養子はいましたが...
 その姫塚というのはどこにあるんですか?


[769] ちょっとお助けを 投稿者:あそ 投稿日:2002/09/16(Mon) 21:01 

ご無沙汰しております。
職場での話なのですが、楠木正成の首塚の話から、楠木正成女の姫塚の話になり、楠木正成に娘っていたっけ?ということになりました。
今、系図を一生懸命調べています。残念ながら、私の手持ちの系図集には、正行や正時などは乗っているのですが、「女」は影も形も出てこないのです。楠木正成の女について、ご存知でしたら、教えていただけませんでしょうか。

http://page.freett.com/mako_vl/


[768] おめでとうございます 投稿者:野暮 投稿日:2002/09/16(Mon) 17:50 

 KUBOさん、こんにちわ。
お久しぶりです。

 この度、ご結婚されたとか、遅くなりましたがお祝いにまかり越しました。
「おめでとうございます」 m(_ _)m
MLの未読が800通を越えて、本日KUBOさんの投稿を読ませて頂いたような次第です。

 奥さんはおまり歴史好きではないとか、今までのように気ままに城巡りが出来なくなりそうですね。(^^)
趣味はどうであれ、仲良くやって下さい。
仲の良いのが一番です。
わが家では、最近女房殿と城廻りをしています。
勿論、女房殿が私の趣味に合わせてくれているのですが。(^^;

 また、近江へお越しの折りには声をかけてください。
でわ。

http://www.biwa.ne.jp/~minoura/oumi_castle/


[767] RE:@NIFも構造改革を… 投稿者:hazu 投稿日:2002/09/13(Fri) 21:45 

>>F歴のWEBフォーラム化したらどうにかなると言うこと
>>ですけれど、正直それはどうかと思いますよ。金銭的な部

 そうのとおりでしょうね。
 現在のパレットやBBSの閑散とした状況を見れば、現在の会議室と同じか、現在より利用者が減ることも予想されます。
 実際、Biglobeが面白くなくなった(わたしだけの意見かもしれませんけど)原因は従来のSIGをやめ、WEB化してしまったことにあると考えています。やはり、WEB化するというだけではなく、従来の方式のどこを引き継ぎ、どこを切り捨てるか、どのように変えてゆくのか、といったビジョンを@niftyの各フォーラムが考えていかないかぎり、いかなかったところは、現在のインターネット上の多くのサイトに取り残されてゆくと思われます。
 杜茂(とも)さんがおっしゃるようなオープンな場所にしてしまうというのもひとつの方法ですし、又、各分野ごとに厳密に選んだ会員制のしてしまって、少数精鋭の質の高い掲示板にしてしまうのもいいと思います。
 試験なんか設けられたら、わたしなんかは落ちるだろうけど、なにくそと思って試験を受けて会員になる人もいるかもしれませんよ(^^;;

筈衛


[766] 失礼しました 投稿者:Alicia 投稿日:2002/09/13(Fri) 08:33 

 KUBO様、筈衛様、織田信高の子孫の詳しいお話、ありがとうございます。実はコンピュータが故障し、お返事できない状態でした。私も暑いのは苦手なんですが、我がコンピュータはもっと苦手なようで・・・・。
 それにしても皆様本当にお詳しいですね。


[765] @NIFも構造改革を… 投稿者:杜茂(とも) 投稿日:2002/09/11(Wed) 22:43 

こんばんは。今日は少々歴史ネタを書きにここへやってきたのですが、その前にレスを書きますね。

>筈衛さん
F歴のWEBフォーラム化したらどうにかなると言うことですけれど、正直それはどうかと思いますよ。金銭的な部分も確かに有ったんですけど、私がNIF脱退を決断したもう一つの理由はフォーラムに飽きてきたのもあったんです。やはり、フォーラムといえど色々な考えを持った人が集って話をする広場な訳だから従前の「会員制でかつパソコン通信でのアクセスのみ」という閉鎖的な環境ではなく、極論「歴史について関心を持っている人ならどこのプロバを使っている人でもOK。その心意気がパスポートです!!」という風にオープンにすれば少しは違ってくるのではないかと思うのですが…。

そう言えば、歴史フォーラムには「ヒストリア」という立派なHPが有りますけど、利用されてるのでしょうか。前に訪れた時は1~2年前とほぼ一緒だったような…(^_^;

>KUBOさん
みゅ~。30代前半に結婚した方が良いですか。難しいご提案ですねぇ。現時点で私は26歳ですが、順調に行けば30歳か31歳で博士課程を修了(あるいは単位取得退学)する事になります。私が次のステップに行けるかどうかはまだやってる論文に掛かってきますが、現実問題としてはやはり結婚するのはKUBOさんの年齢かもっと上になるかもしれません。こんなのって、駄目ですか(爆)

http://dreamcity.gaiax.com/home/koukan


[764] 今度の更新は... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/09/10(Tue) 06:26 

 さて久しぶりの更新も済んだので、そろそろ新婚旅行の時の更新を... とは思って
いるのですが、なかなか進みません。今度の週末でしょうかねえ(^^;) そういえば前
回書き忘れましたが、先日洋書の系図資料を2冊入手しました。とはいっても、今回
手に入れたものはイスラム系のもの1冊、アフリカ中東のもの1冊ですので、チンギ
ス・ハーンの一族シリーズには役立ちそうですが、世界史の部屋はまずユーグ・カペ
ーの末裔シリーズを完結させようと思っていますので、この史料を活用できるのはま
だ先になりそうです。

>筈衛さん
>  実は先日ADSLにしようとNTT東日本に申し込んだら、「交換局からπ(パイ)
> までは光ケーブルで伸びきており」、ADSLにすることはできませんと却下され
> てしまいました。
 あれま、ADSLはダメですか。私はそれじゃあ運が良かったのかな? 取りあえ
ず無事運用されています。とはいっても8Mコースなんですが、実質的には3M~4
Mくらいのスピードですけど。まあ以前のISDNに比べると格段に快適です(^^)

> きれいさっぱり、Biglobeはやめてしまいました。今、扱いを迷っているのが
> @niftyです。
 私もBIGLOBEはいまや利用価値がないんですが、取りあえず一番安いメールだけ使
えるコースにして残しています。もうメアドを@niftyのものに切り替えて1年以上立
つので、最近はBIGLOBEのアドレスにはDMくらいしかこなくなりましたし、そろそ
ろやめようかとは思っていますが。

> お世話なんてしておりませんけど、報酬いただけるならば・・・バキッ!!☆/(x_x)
 報酬はないっす(^^;) せいぜい、うちのサイトの何処かに名前を掲げさせて頂くく
らいですかね(をい(^^;))

> 二本松市史に収録されている「世臣伝」です。
 そうですか。北海道で二本松市史見れるとこないかな? それとも取り寄せるか...

>美唄の住人さん
> そのため、掲載時期が、いつになるのか現時点では不明です。はっきりした時点で
> 連絡します。
 了解です。楽しみに待っております。

> また、サッポロ堂では、連載している新聞を扱う予定のようです。
 ああ、サッポロ堂にしばらく行ってないですねえ。ここしばらく忙しかったですか
らねえ。今度久しぶりに行ってみたいなあ。

>八戸三郎さん
 ご無沙汰しております。ご祝辞ありがとうございます(^^)

> HPの更新もされて、ルーツの研究もまた進んでいますね。佐々木家の方を更新と言
> われていましたが、窪田家も一代遡っているではないですか。よかったですね~。
 もう祖父が北海道に渡ってきて、95年もたってますから除籍も廃棄されてるかなあ
と思ってダメもとで丸岡町の役場に問い合わせたら、祖父のどころか、曾祖父の除籍
まで取れたので驚きました。それに高祖父の名前が出ていたという訳です。
 これで天保年間(約170年前)まで遡れましたから、まあかなり良い所まで行ったの
ではないかなと思います。

>杜茂さん

>KUBOさん。
> 今回KUBOさんという強力な助っ人を得られた事で私も心おきなく研究の方に邁
> 進することができます(爆)
 いえいえ私なんぞで安心なさらず生涯の伴侶探しも心に留められることをお勧めし
ます(^^;) 私もこの年ですから結婚をあきらめかけてましたから、嫁さんには感謝し
てます(^^) やっぱり30代前半くらいには結婚した方が良いと思うよ~

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
 ご無沙汰です。
> ネットで千秋社刊『埼玉県秩父郡の全名字』なる本を見つけました。
 その本の名前は初耳です。でも高いですね~。まあこの手の本はそれほど流通しま
せんから高くなるのは仕方ないのですが...

> 中には上記のようなマニアックな本や各県の資料集も必要なので、購入したり、各
> 県の図書館に行ったりしなければなりません。
 そうですねえ、各地の自治体史にも結構系図資料が載っているようですからチェッ
クはかかせないですね。でも北海道にいるとなかなか他の都府県の自治体史は見れな
いんですが...

> 特に国会図書館や宮内庁図書館には一般では見られないような系図の資料が眠って
> いそうです。しかし、どちらにせよ金が無い・・・。
 この辺は『増補改訂 系図文献資料総覧』(丸山浩一/編,緑蔭書房)にいろいろ載
ってます。第四部の「系図文献目録」には東大史料編纂所に始まり、宮内庁書陵部、
内閣文庫、国立史料館、静嘉堂文庫、尊経閣文庫、東京国立博物館、国会図書館、都
立日比屋了珪図書館・加賀文庫、そして各都道府県の図書館などで所蔵している系図
文献の名前が400P近くずらっと並んでいます(^^;)
 その他にも系図関係の基本史料、参考文献、関連文献、単行本や雑誌記事などが載
っています。この本なら県立などの大きな図書館ならリファレンスのコーナーに並ん
でいると思いますので、一度ご覧になってみると良いでしょう。


[763] 埼玉県秩父郡の全名字 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/09/09(Mon) 14:25 

>KUBO様
ネットで千秋社刊『埼玉県秩父郡の全名字』なる本を見つけました。文字通り秩父郡の名字についての本です。『桓武平氏の全家系』には欠かせない物ですが、定価が11165円と高いです。

さて『桓武平氏の全家系』ですが、今の所は手元に資料が無いと言う有様であります。最低でも『姓氏家系大辞典』、『群書類従』、『系図総覧』、『系図算要』、『寛政諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』、千葉琢穂著『桓武平氏全系図』が必要なのですが金が無いのであります。最もこれらは図書館でも閲覧出来ますので買う必要がありませんが、中には上記のようなマニアックな本や各県の資料集も必要なので、購入したり、各県の図書館に行ったりしなければなりません。特に国会図書館や宮内庁図書館には一般では見られないような系図の資料が眠っていそうです。しかし、どちらにせよ金が無い・・・。

内容はこんな風に考えています。
壱『桓武平氏の黎明』
二『承平の乱と東国進出』
参『伊勢平氏の勃興』
四『平清盛と平家の栄枯盛衰』
五『坂東八平氏と源平合戦』
六『執権北條氏の光と影』


[762] じゃぁ、僕も…(爆) 投稿者:杜茂(とも) 投稿日:2002/09/07(Sat) 22:53 

>KUBOさん。

> 「お子さん」は毎日扱ってますが、自分のはまだです(をい(^^;))
と聞いて、私は内心安堵しています。掲示板で「KUBO氏結婚」の文字が踊っているの見て、速攻でプロフで年齢を確認したほどですから(笑)よく、親や友人からは「彼女はおらへんの?」だの「そんな道など捨てて早く結婚して一家の主になれ」だの言われて少々肩身の狭い思いもしてますが、今回KUBOさんという強力な助っ人を得られた事で私も心おきなく研究の方に邁進することができます(爆)

他の事に対するレスはまた後でやることにします。ではでは。

http://dreamcity.gaiax.com/home/koukan


[761] いや、驚きです 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/09/07(Sat) 11:35 

 お久しぶりです。時が流れるのはあっという間ですね。色々な事が次々と起こっている様で・・・。御結婚おめでとうごさいます。本当にビックリです。本の整理はそのためだったのですね。
 HPの更新もされて、ルーツの研究もまた進んでいますね。佐々木家の方を更新と言われていましたが、窪田家も一代遡っているではないですか。よかったですね~。
 


[760] 新聞に記載させていただきます 投稿者:美唄の住人  投稿日:2002/09/06(Fri) 01:10 

> 新聞記事の件ですがOKです。

 ありがとうございます。週末に、さっそく原稿を書きます。
 仕事の合間に書いていますので、数回分をまとめて書いています。
そのため、掲載時期が、いつになるのか現時点では不明です。はっきりした時点で連絡します。

> その記事のコピーを頂きたいのですがダメでしょうか?
 喜んで、コピーを送らせていただきます。でも住所が不明です。私のメールアドレスは知っておられると思います。そちらに連絡していただければ幸いです。
 また、サッポロ堂では、連載している新聞を扱う予定のようです。


[759] 無言(^o^; 投稿者:hazu 投稿日:2002/09/05(Thu) 23:24 

>杜茂さん
>> @niftyを脱退ですか... それはちょっと寂しいですね。私自身もだんだんとフォーラムに割く時間が減ってきているのは現実ですし、次第に発言が減って寂しくなってきていますが、最近はWEBフォーラム化する所も出てきましたので、そのうちF歴もそうなるかもしれませんね。そうなるとまた少し変わってくるのかな?

 そうですよね(^^;; 知っている顔(ハンドル)がなくなるのはさびしいものです。
 わたしも、通信環境を変えようと考えております。
 実は先日ADSLにしようとNTT東日本に申し込んだら、「交換局からπ(パイ)までは光ケーブルで伸びきており」、ADSLにすることはできませんと却下されてしまいました。
 今はISDNから通信速度を早くするためには、わたしの環境では唯一の手段であるBフレッツのベーシックに変えようとしています。
 ただ、費用が高いんですよね。みかかとプロバイダー料金合わせて、約18,000円は絶対払えない(・.・;
 きれいさっぱり、Biglobeはやめてしまいました。今、扱いを迷っているのが@niftyです。
 止めるか、料金コースを変更するだけにするかですね(^_^;

>>ておりますのでうちの特別顧問にでも就任して頂きましょうか? 報酬はありませんけど(をい(^^;))

 お世話なんてしておりませんけど、報酬いただけるならば・・・バキッ!!☆/(x_x)

>> ところで、これらの丹羽家の一門に関する情報は何に載っているのでしょうか?

 二本松市史に収録されている「世臣伝」です。本物は現在、福島県歴史資料館に寄託されているようです。
 先日、展示されている本物を見たら薄汚い冊子でした(゚゚;)\(--;)オイオイ ナニイッテンダヨ

筈衛


[758] 久しぶりの更新... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/09/05(Thu) 22:16 

↑しました(^^) 今回は新婚旅行の写真!...はおあずけで、前から書いていたルーツ
の部屋の更新が主です。我が家の父方の部分を若干更新し、母方の部分を更新しまし
た。今回、父方・母方の祖父・曾祖父らの除籍を本州から取り寄せたんですが、新た
に父方の高祖父(祖父の祖父)の名前が判明しました。これで父方に関しては五代の系
図ができたということになります。
 昨年の末に亡くなった父が生きていれば喜んだろうなあと思うと、除籍の取り寄せ
をもっと早くやっていればと悔やまれてなりません。あとは父方の本貫地・丸岡と母
方の本貫地・紫波でのでの調査をせねばと思っております。母もだんだんと歳を取っ
てきましたから、近いうちに一度紫波へ連れて行ってやりたいものです。
 それから、太田さとしさんの『簡単便利 家系図作成マニュアル』の紹介も掲載し
ました。これから家系調査を始めようという方にはお薦めの本ですので、手に取って
みてはいかがでしょう。

>杜茂さん
 ご無沙汰しています。そうなんですよ、この年になって独身だったんです(^^;)
「お子さん」は毎日扱ってますが、自分のはまだです(をい(^^;))
 @niftyを脱退ですか... それはちょっと寂しいですね。私自身もだんだんとフォー
ラムに割く時間が減ってきているのは現実ですし、次第に発言が減って寂しくなって
きていますが、最近はWEBフォーラム化する所も出てきましたので、そのうちF歴
もそうなるかもしれませんね。そうなるとまた少し変わってくるのかな?
 HPちょっと見せて頂きました。まだじっくりと見ていないのでコメントはさけま
すが、まあ焦らずやって下さい。うちもまだまだこれからだと思ってますので。

> にしても、KUBOさんってこのサイトを何年がかりでくみ上げたのかなぁ。
についてですけど、うちの更新履歴を見て頂ければわかりますけど、このサイトの骨
子を作り始めたのが1999年の12月28日。公開を開始したのが2000年の2月2日です。で
すから1ヶ月ちょっとというところですか。ただしその頃のコンテンツは日本史の部
屋の「交代寄合シリーズ」と城とチャシの部屋だけでしたけどね。
 ですから、その後の2年半ほどで、交代寄合シリーズ以外の日本史の部屋と世界史
・史跡・ルーツ・歴史書庫の各部屋&ニュース等を追加してきたという訳です。

>筈衛さん
 毎度毎度お世話になります。筈衛さんと松本さんにはほんといろいろお世話になっ
ておりますのでうちの特別顧問にでも就任して頂きましょうか? 報酬はありません
けど(をい(^^;))
 織田信門は寛文から享保頃の人物で、その嫡子・信有が元禄から宝永頃、養子・信
倉が享保から宝暦頃の人物ですから、丹羽主膳斎賢と代々年代が一致しますね。のち
離婚してますし、どうやらこの長女の系統に子孫はなさそうですね。
 ところで、これらの丹羽家の一門に関する情報は何に載っているのでしょうか?

>びわこさん
 ご無沙汰です(^^) ええ、とうとう嫁さん迎えちゃいました(^^;) おかげさまで独
身時代に比べると大変健康的な生活を送っております(^^;)
 1日はええだいぶんくしゃみしましたねえ(なんてね(^^;)) 清正さんともしばらく
会ってないなあ、ていうかまだ一度しかお会いしてないんですけど。札幌と江別だか
ら近いんですけどねえ(^^;)
 彦根も懐かしいですね、また行きたいですねえ~。今度行く時は嫁さんと一緒と行
きたいですが、あまり歴史に興味がない人なので... 動物(特に猫)は好きみたいです
けど。

>美唄の住人さん
 新聞記事の件ですがOKです。ご紹介して頂けるなんてどうもありがとうございま
す。せっかくですからその記事を見てみたいのですが、もしよろしかったらその記事
のコピーを頂きたいのですがダメでしょうか?


[757] 新聞連載 投稿者:美唄の住人  投稿日:2002/09/05(Thu) 17:09 

 結婚おめでとうございます。

 わたくしは、某地方新聞で連載記事を書いていますが、その中でチャシについて書く予定です。
 貴ホームページについて触れる予定ですが、ご迷惑でしょうか。
 ほんの数市町村の新聞ですし、単に、某チャシが貴ホームページに取り上げられていると記載するだけですので、決してご迷惑をかけないつもりなのですが。


[756] 少々雑な感じもしますけど(苦笑) 投稿者:杜茂(とも) 投稿日:2002/09/03(Tue) 22:44 

>筈衛さん
私のサイトは手軽に更新などができるサイトを利用しているので、あれで精一杯なんです。常連さんのサイトを見てみると滅茶苦茶手の込んだものもあってびっくりするんですけどね。まだまだタグの使い方など分からない部分があるので、当面はご容赦下さい。時間があればフロントページ・エクスプレスで少しずつ構築するつもりでいます。その際には本格的に「日本文化」を探訪していただけるようにはなっていると思います。(今時点では「歴史の意匠」をテーマに祭礼と銅像、墓石が中心になるかと)だって、城郭だったらKUBOさんの、室町時代ならかわとさんの二番煎じになりますから。個人的には中世宗教史に強い関心があるので、そちらの方からアプローチしてみようと考えています(笑)

にしても、KUBOさんってこのサイトを何年がかりでくみ上げたのかなぁ。

http://dreamcity.gaiax.com/home/koukan


[755] おめでと~(^^) 投稿者:びわこ 投稿日:2002/09/02(Mon) 16:18 

KUBOさん、おめでと~~(^^)
なんだか、久しぶりに覗いてみたら、妻帯者になっちゃってるじゃないですか。

実は、昨日(9/1)、清正さんと彦根城・関ヶ原と廻ってて、KUBOさんの噂してたんですよね。
1日は、くしゃみが止まらなかったでしょ・・・

本当におめでとう。
ずっとずっと仲良くね。(^^)
とりあえず、おめでとうを伝えたくて。

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
三成の家系図、よろしくです。期待してまふ~。


[754] 丹羽主膳 投稿者:hazu 投稿日:2002/09/02(Mon) 00:23 

 子孫はわかりませんでした。
 先祖は、越前守護朝倉家の家臣であった浅見宮内少輔実忠の子浅見忠政でした。この忠政は丹羽長秀の娘の子で長重の
甥に当たります。
 この家だけが丹羽家で丹羽主膳を名乗る家臣でした。
 織田信門の娘がいつ頃の人物かわかりませんが、丹羽主膳斎賢は享保17年から明和年間の頃に人です。
 ここまで子供の母が織田氏のものはいません。

筈衛


[753] 杜茂さん、お久しぶり 投稿者:hazu 投稿日:2002/09/02(Mon) 00:02 

 かわとさんのところの掲示板は時々見ていますので、杜茂さんがHPを作ったのはわかっていました。
 前に何回か見に行ったのですが、今回行ってみると、変わっていましたね(^_^;
 次は、杜茂さんのところの掲示板に何か書きます。
 何を書こうかな(・.・;

筈衛


[752] お久しぶりです 投稿者:杜茂(とも) 投稿日:2002/09/01(Sun) 22:02 

こんばんは、杜茂です。随分ご無沙汰しています。
まずはじめに、ご結婚なさったそうでおめでとうございます。というか、KUBOさんって独身だったんですね(爆)。てっきり、お子さんもいらっしゃると思ってたんですが…。それにしてもおめでとうございます。

翻って当方はと申しますと、結果的に三度目の正直をかける事となり、現在迷走しながらも研究と仕事に励んでいます。でも、大体自分でも雑誌に投稿できる位アイデアは煮詰まっている(ある意味煮詰まりすぎて焦げているかも…^^;)のですが、根が怠惰なせいかまだ一枚も書いてません(昨年書いたのをベースにしようと考えているので…それが気の緩みの基なのかもしれませんけど)。でも、従前よりは気合いも入っているので、年末にどうなっているかご期待下さい。

後、昨年春に正式に@NIFTYを脱退しました。今まで5年近くお世話になりましたけど、やはり貧乏学生には高すぎますから。それで、格安でしかも大規模容量のHPスペースが持てる所に移籍したという訳です。ただ、フォーラムからも離れてしまったので、F歴の仲間たちと顔を合わすことができないのが少し心残りだったりします。

こんな私ですが、昨年冬頃にHPを開設致しました。現時点では文章よりも写真をメインとしてますけど、いずれは専門的な歴史系サイトにしたいと思っています。でも、やはりその前に修論を本当に書き上げないと…ですね!

それでは、また。

http://dreamcity.gaiax.com/home/koukan


[751昨日は... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/09/01(Sun) 13:10 

また映画見てきてしまいました。ええエピソード2です。まあ面白かったけど、やっ
ぱりシリーズものの真ん中という感じで、ちょっと中途半端なつくりかなと思ってし
まいました(^^;) (戦闘シーンは相変わらず派手でしたけど)
 先に見た職場の後輩が言ってましたけど、オビ=ワンやアナキンよりヨーダがかっ
こよかったですねえ(^^)
 あ、それから、World Tank Museum のシリーズ02が出たので、最近またコンビニ通
いをしております。なんかここしばらくこんなことばかりしているような...

>Aliciaさん
> これはちょっと残念・・・・。信門には娘もいなかったのでしょうか?または姉妹と
> か・・・・。そちらで残ってるという可能性はないのでしょうか?
 女系ですか。そちらは考えてませんでした。もう一度調べてみましたが、信門には
三人娘がいまして、長女は丹羽若狭守家臣丹羽主膳某の妻(のち離婚)に、次女は荒川
内記定由の妻に、三女は稲生安房守正甫の妻になっております。
 長女が嫁いだのは二本松十万石丹羽家の重臣でしょうから、そちらは筈衛さんに調
べてもらうことにしまして(をい(^^;))、次女の嫁いだ荒川家は忠臣蔵で有名な吉良
上野介義央の吉良家の分家で、義央の大叔父定安を祖とします。定由はその三代目で
その子定長は信門の娘を母としていますので、この荒川家は『寛政譜』に載っている
限り(18世紀末頃)までは佐々家の血統がつながっていますね。ちなみにこの荒川家の
祖定安の母は今川氏真の娘ですので、今川家の血統も引いていることになるようです。
ということは荒川定長は織田信長・今川義元両方の血を引いているということになり
ますねえ(^^)
 また三女の嫁いだ稲生家は徳川家の譜代の家臣のようですが、信門の娘は正甫の後
妻で、正甫のあとは養子の正敷が継いでますので、こちらの方は血統が途絶えている
みたいです。ですから結論としましては、織田信高に嫁いだ佐々成政の娘の血統は寛
政年間までは荒川家に受け継がれていたようです。

> ちなみに家光の御台所が成政ゆかりの者とはちょっと驚きました。
 家光の御台所・中丸殿(本理院)には子どもがいませんでしたが、彼女の長兄で摂家
・鷹司家を継いだ信尚も佐々成政の娘を母としています。こちらの血統をたどってい
くと、鷹司家の直系は途中から養子が入って血統が途絶えますが、信尚の孫兼晴は同
じ摂家である九条家に養子に行っていまして、こちらは同じ摂家の二条家と養子をや
りとしていて現在まで兼晴の血統が続いていますので、九条家・二条家は佐々成政の
子孫ということになります。(ちなみに鷹司家も幕末に九条家から養子が入っている
ので成政の血統が復活しています。)
 さらに余計なことを言いますと、昭和天皇の母(大正天皇の皇后)は九条家の出です
から現皇室も佐々成政の血を受け継いでいることになります。
 ということでわかりにくいと思いますので、以上のことを系図にしてみます。

佐々
成政―+―女
   | ∥―――高重――一之――信門―+―女
   |織田信高            | ∥―→?
   |                |丹羽主膳
   |                +―女
   |                | ∥―→(荒川家)
   |                |荒川定由
   |                +―女
   |                  ∥―→×
   |                 稲生正甫
   +―女
     ∥――+―信尚―教平―+―房輔――兼煕×
    鷹司信房|       |
        +―中丸殿   +―兼晴……+→(九条家)…道孝――節子
          (本理院)    (九条) :          ∥→(現皇室)
          ∥―→×        +→(二条家)    大正天皇
          徳川家光        :
                      +→(鷹司家)

> また前野家って、「武功夜話」の前野家でしょうか?
 同じく『尾張群書系図部集』に載っている前野家系図によると前野小兵衛勝長は
『武功夜話』で名前が知られるようになった前野将右衛門長康の従兄弟に当たるよう
です。同系図にも「佐々成政に仕う。」と書いてありました。ただ前野家系図では勝
長の妻は「佐々木平左衛門女」となっているのですが...?

>秋山如雪さん
 ご無沙汰です。東北で久しぶりに暑さを感じました。こっちは今年の夏はあまり夏
って感じじゃなかったですからね。
 今度は宮島に鞆の浦ですか。私はまだ倉敷から西に行ったことがないので、うらや
ましいです。この前少し見に行ったんですが、今度もっとじっくり見に行かせてもら
います。

>ひづめさん
 こんにちは。だんだん二人の生活になれてきました。今日は嫁さんが甥っ子の学校
祭を見に行ったので、久しぶりに一人です。
 今年はひづめさんとお会いできなかったのがとても残念です。今頃は途中でお城め
ぐりしながら茨城にお帰りになる途中でしょうかねえ。またお会いできることを楽し
みにしております。

>筈衛さん
 そういうことを言うということは挨拶状が届いたようですね(^^;) さすがに結婚
式の写真はパスしますよ(嫁さんに怒られちゃう(^^;)) 新婚旅行の時に行ったお城
や史跡の写真は、そのうちにアップするつもりだけど。
 なお、上に書いた「宿題」よろしくね~(をい(^^;))


[750] 写真の更新 投稿者:hazu 投稿日:2002/08/31(Sat) 22:41 

 写真の更新待っているよ。
 多分、結婚式、新婚旅行の写真と続くんだろうな(^o^;

筈衛
 (これじゃ、ほとんど、ちゃちゃ入れだな)


[749] また来年! 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/08/29(Thu) 12:54 

KUBOさん、こんにちは。

 新しい生活、少し落ち着きましたか?

 私の方は、今年の『函館お散歩団』の活動は修了しまして、明日まで仕事をして、明後日土曜日に北海道を離れます。今年はKUBOさんと歩けませんでしたが来年また機会があればこちらを回りましょう。落合さんにも宿題を出してありますしね。それでは、来年までお元気で。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[748] ご無沙汰です。 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/08/28(Wed) 13:54 

KUBO様、ご無沙汰していました。
東北地方を旅していらしたんですね。
私の知り合いも丁度会津若松に行っていたみたいです。
ところで、またまた写真を掲載しました。
とは言っても、新しく旅に出たわけではなく、前に尾道に行った
時に撮った写真を載せただけですが。
今回は宮島と鞆の浦です。
どちらも歴史を感じることができる古い家並みが特徴的です。
お暇でしたら見にいらしてください。
では。

http://members.tripod.co.jp/josetsu/toppage.html


[747] Thanksです 投稿者:Alicia 投稿日:2002/08/26(Mon) 08:30 

 KUBO様、佐々家と信高の子孫の詳しい説明、ありがとうございます。
>信高の子孫が成政の血を引いているのは確かなことですが、高重の孫・信門は嫡子が早世したため信倉(能勢氏の出)を養子に迎えていますので、そこで佐々氏の血統は絶えてしまっています。
 これはちょっと残念・・・・。信門には娘もいなかったのでしょうか?または姉妹とか・・・・。そちらで残ってるという可能性はないのでしょうか?(かなり細かいですが 汗)
 ちなみに家光の御台所が成政ゆかりの者とはちょっと驚きました。また前野家って、「武功夜話」の前野家でしょうか?
>(一説に前田利政妻)
 これはなかなか興味深いお話です!


[746] また一週間のご無沙汰で... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/08/25(Sun) 12:25 

 なんか最近だいたい週一のペースになってますね。一応掲示板は毎日見ているので
すが... 最近ネタになるようなことは余りないですね~ 一応旅行の写真の整理は終
わっているので、そのうち更新しようとは思っているのですが、なかなか...(^^;)
 ところで昨日は嫁さんと久しぶりに映画を見てきたのですが、それが「ニューヨー
クの恋人」と「タイムマシン」の2本。どうも私ゃあ、根が歴史好きなもんでこうい
う時間SF系が好きなんですよね。でも、今度はエピソード2を見に行かなくちゃあ...
(結婚式がらみで忙しくてまだ見に行ってなかった...(^^;))

>Aliciaさん
 ご無沙汰しております。うちのサイトにおいで頂きありがとうございます(^^) さ
て織田信高の件ですが、『寛政譜』で調べてみましたところ、息子の高重は佐々成政
の娘から生まれているので信高の子孫が成政の血を引いているのは確かなことですが、
高重の孫・信門は嫡子が早世したため信倉(能勢氏の出)を養子に迎えていますので、
そこで佐々氏の血統は絶えてしまっています。
 『戦国大名系譜人名事典』(新人物往来社)によりますと、3代将軍家光の御台所・
中丸殿(鷹司信房の娘)の母、幕府奥絵師・狩野探幽の母も成政の娘のようです。また
成政は、重臣・神保氏張の子氏則を娘婿にしたともいわれていますし、『尾張群書系
図部集』の佐々氏系図では、佐久間勝之妻と前野勝長妻(一説に前田利政妻)の二女が
いたことになっていますので、これがすべて本当なら娘は6人いたことになりますね。

>まーすけさん
 はじめまして。ということは高家・戸田氏の末裔の方ですか。
 この戸田氏ですが、『系図纂要』では六条有純の子平右衛門忠元が江戸に赴いて戸
田氏信の弟帯刀の娘を娶り、その子忠豊が高家に列したことになていますが、『寛政
譜』では六条有純と戸田帯刀為春の娘の子氏豊(初光教、忠元)が母の縁で戸田氏鉄の
もとに寄食し、のち高家に列したことになっており、若干混乱が見られます。
 まーすけさんの家の家伝・系図等ではどのようになっているのでしょう?


[745] はじめまして!戸田家について 投稿者:まーすけ 投稿日:2002/08/21(Wed) 21:59 

びっくりしました。僕の先祖のことを調べるとよくここの掲示板にたどりつきます。去年のログにのこっていたのをさっき読んでました。僕の先祖は大垣藩の戸田家初代の城主の弟、為春の娘のが六条家に嫁ぎ子供を生んでその息子が戸田を名乗り始めたのが家の家系のはじまりです。兄弟のほうが有名でいまいちめだたないのにね^^兄弟は長男は六条家にとつぎその後の女は家光の側室になってます。補助的な感じでちょっと詳しくのせてみました。でわまた。


[744] はじめまして&おめでとうございます 投稿者:Alicia 投稿日:2002/08/19(Mon) 09:25 

 KUBO様、時々「ラインの~」でお会いするAliciaです。今回初めて伺ったのですが・・・・ご結婚ですか!おめでとうございます。
 以前、昭和天皇がお市の方の子孫だと教えていただき、系図に詳しい方だと思っていましたが、ここを見て納得しました。

 実は今回ちょっとお尋ねしたいことがあって伺いました。実は私、信長に興味があったのですが、今回の大河ドラマでちょっと佐々家にも興味を持ちました。すると、信長の息子信高(生母はお鍋の方)が佐々成政の娘と結婚していることと、信高の子孫は旗本か高家としてずっと残ったことがわかったのです(BY「織田信長総合辞典」)。この信高の子孫が、佐々成政の子孫でもあるのか、さらに天海さん演じるはるさんの子孫でもあるのか、もしご存知でしたら教えていただけないでしょうか?
 お暇なときでいいので、できたらよろしくお願いいたします。


[743] 戻りました! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/08/17(Sat) 19:58 

>みなさま
 やっと昨日戻ってまいりました(^^;) 不在の間に66666Hitも通過してしまったみた
いですね(^^;)
 いやあ怒濤の1週間でしたね~ 人の結婚式に行ったことがありますが、自分がや
るとなるとまた違うもんですねえ(^^;) まあでも私はそこそこ食べたり余興を見たり
できましたけど、嫁さんの方は出たり入ったりでほとんど食べられなかったみたいで
す(^^;)
 で、無事式が終わったと思ったら、翌日から東北旅行ですが、前半二日間は雨に祟られました(T_T) 後半二日間は天気良かったんですけどね~ 今年は冷夏の北海道ですが、東北で今年初めて夏らしい暑さを感じました(^^;)
 一応、今回の旅行で行ったのは次の通りです。
 初日:仙台空港→秋田までの移動で終わってしまった...
二日目:千秋公園(秋田城跡)・佐竹史料館・角館城跡・角館武家屋敷群・横手城
三日目:花巻城(時鐘・円城寺門・西御門)・羅須地人協会・平泉中尊寺・松島瑞巌寺・
    円通院・オルゴール博物館
四日目:仙台青葉城跡・瑞鳳殿

 後半はほとんど行ったことがある所ばかりでしたが、花巻城までは行ったことがな
い所ばかりでしたので、私は十分堪能しました。(嫁さんは歴史オンチなので面白く
なかったたかもしれないけど(^^;)) 松島のオルゴール博物館は嫁さんの希望で寄り
ましたけど、なかなか良かったです。
 でももう月曜日からは2学期... なんだか今年はあっという間の夏休みでした...

>妹川武史さん
 はじめまして。まず佐七郎の「佐」ですが、意味があるとすれば左(右)兵衛佐・左
(右)衛門佐の「佐」でしょうか。これらはもともとは天皇の宮城を護衛する兵衛府・
衛門府の二等官ですが、のちには単なる武家の通称としてよく使われたものです。
(例:真田左衛門佐幸村など) この名残が軍人や自衛官の階級についている「佐」(大
佐・一佐など)ですね。それくらいしか思い浮かびません。
 また橘紋の方ですが、橘紋が家紋だからといって橘姓とは限りません。もちろん橘
氏も橘紋を用いていますが、藤原氏といわれる井伊氏、宇多源氏という黒田氏等も橘
紋を用いていますので、橘氏以外にも使われたようです。

>大鴉さん
 お久しぶりです(^^) すっかりそちらにもNiftyにも顔を出さないもので、ご無沙汰
してますね(^^;)
 ご祝辞を頂きありがとうございます。なんとか新生活がスタートしました(^^;) 結
婚式はビザンチン式じゃありませんでした(^^;) あちらの希望でチャペル式でした。
牧師さんが余り慣れてないようで、声がよく聞き取れませんでしたけど。
 冬に海外に二人で行こうと思っているのですが、その時にはコンスタンティノープ
ル、もといイスタンブールに行きたいものですが、どうなりますことやら。(西ヨー
ロッパにも行ってみたいし、向こうはハワイで海外挙式もいいなあなどと言ってます
ので(^^;))
 リンク移動の件は了解です。あとで変更しておきます。

 そうそう忘れてた...(^^;)
>D-oneさん
 泊まりませんでしたが、「松島城」は眺めてきましたよ(^^) 全くいろんな所にあ
るもんですね、「あやしい城」は...


[742] おめでとうございます!! 投稿者:大鴉 投稿日:2002/08/16(Fri) 16:39 

・KUBO様
とてもお久しぶり・・・と、かなりご無沙汰しておりました(^^;
ところが!気がつけば!・・・「ご結婚」の文字が!!
おめでとうございます!!
結婚式はやはりビザンチン式で・・・(笑)

今頃はちょうど旅行中ですか・・・いいですねぇ。

ところで、我が家が大家さん(SO-NET)の通知により廃止されるそうなので、移動することが決定しました。
→ http://www002.upp.so-net.ne.jp/kolvinus/
です。無料ページだったのでしょうがないのですが・・・。


[741] 妹川について 投稿者:妹川武史(いもがわ たけし) 投稿日:2002/08/11(Sun) 12:36 

はじめまして。こういう質問をお願いしてよいのか分かりませんが、よろしくお願いします。
私の戦国時代の先祖である妹川佐七郎友宗の「佐」の意味がわかりません。ただ単に当時の流行名であったので、そう名づけたのか、何か意味があって名づけたのか分かりません。
また、福岡県朝倉郡朝倉町の田中氏の家紋は「丸に橘」ですが、これは、橘姓であることを意味するのでしょうか。
よろしければ、御教授をおねがいします。


[740] 管理人不在のお知らせ 投稿者:KUBO 投稿日:2002/08/08(Thu) 21:22 

>D-oneさん
 やっぱり熊本城は良いですねえ。ほんと行きたいです~(^^)

>みなさま
 結婚式&新婚旅行&お盆参りのため、8/9から8/16まで不在となりますので、よろ
しくお願いします。いよいよ明後日が式です...(^^;)
 それでは~(^^)


[739] 熊本城の写真です。 投稿者:D-one 投稿日:2002/08/06(Tue) 00:48 

こんばんは、D-oneです。

>そういえば、No.726の秋山如雪さんのサイトの尾道特集の中に尾道城が載ってまし
>たよ(^^;)

見逃してました(汗
あんなに目立つ建物だったんですね、もっと地味な物かと思ってました。

ところで、先日行った熊本城の写真をアップしたので、よろしかったらご覧下さい。記事にも書いてますが、カメラの調子がイマイチでいつもよりさらに下手な写真になってますが・・・

それでは、失礼します。

http://www.interq.or.jp/leo/d-one/2020703.html


[738] みなさん、ありがとうございます 投稿者:KUBO 投稿日:2002/08/05(Mon) 23:52 

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
 どうもありがとうございます。これからもこちらに時々遊びに来て下さい。『桓武
平氏の全家系』の完成楽しみにしております。

>ひづめさん
 道南の台場跡を精力的に回られているようでうらやましい限りです。「函館お散歩
団」のページ見せてもらいましたが、あんなに台場跡があるんですねえ。それをまた
どうやって調べたのか感心してしまいますが。ひづめさんが道南にいらっしゃるのも
あと一月ほどですか。「函館お散歩団」のご活躍を期待しております(^^)

>Kirchiesさん
 ご無沙汰しております。Kirchiesさんのサイトの方こそ10万Hitを達成されたそ
うでおめでとうございます。最近すっかり人のサイトに顔出さなくなってしまったも
んで、こんなところでお祝いを言っておりますが(^^;)
 入籍の方は済んだんですけど、式がいよいよ今週の土曜日でワタワタしております。
とはいえ、もう決めることは決めてしまったので、あとは司会の方との打ち合わせと
本番を残すのみなんですが。

> 月刊誌に紹介されるとは羨ましいです。ヤフーに匹敵する宣伝になったのではない
> でしょうか?
 どうなんでしょうね? あんまり実感がありません(^^;) まあ、自分の周囲では私
が自分のサイトを持っていることすら知らない人が多いので余計そう感じるのかもし
れませんけど。でも、結構嬉しいもんですね(^^)

>蠣崎若狭守さん
 ご無沙汰しています。どうもありがとうございます。蠣崎氏関係では、6月頃にこ
の談話室にも書きましたが、采女系蠣崎家の末裔の御縁者から采女系蠣崎家の系図
(題名「蠣崎清広家系」)のコピーを頂いたのですが、忙しさに紛れて更新できずにお
ります。落ち着いたら取りかかりたいと思っていますが、いつになることやら(^^;)

P.S.
 そういえばそろそろ66666Hitですねえ。どなたがGETすることか...


[737] ご無沙汰してます 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/08/05(Mon) 11:06 

 この掲示板はご無沙汰だったのですが、kuboさんはご結婚なさったそうで、おめでとうございます。

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[736] 色々とびっくり! 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/08/04(Sun) 21:23 

会社でバタバタする時間が増えてこちらのサイトの訪問は久しぶり
です(書き込みのたびにこんな事言ってるような…)。とにかく
驚く事ばかりでした。

まずはご結婚おめでとうございます。ずっと仲良くやっていける
事をお祈りいたします。よろしければ結婚式の状況とかも教えて
いただけるといいなとも思います。私はというと…当分先の事に
なりそうです。

これもだいぶ前のネタになりますが、月刊誌に紹介されるとは
羨ましいです。ヤフーに匹敵する宣伝になったのではないで
しょうか? うちのサイトもいつか紹介されたいものです。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis/


[735] 報告 投稿者:KUBO@管理人モード(^^;) 投稿日:2002/08/03(Sat) 22:00 

 旧発言No.735は意味不明なため荒らし行為と見なし削除致しました
のでご了承下さい。
 この談話室は、当サイトをご訪問下さる方々の交流の場と考えており
ます。交流なさる気持ちのない方は、利用をご遠慮下さい。
 それでは。


[734] 今年は「道南の台場」をまわっています 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/08/03(Sat) 10:07 

KUBOさん、みなさん、こんにちは。

 函館での活動も3分の2が終わりました。今年は「幕末・箱館戦争時代の台場」をテーマに行っています。ほとんど無名の上に遺構も場所も分からなくなっているものが多く、文書にあたっても出ている地名が分からないといった感じですが、それでも台場・砲台関連の情報としてはかなり充実したものになったと自負しております。
 北海道道南の歴史ですので他の地域で活動されているみなさんにはあまり馴染みがないかもしれませんが、お時間があれば覗いてみてください。

 先日KUBOさんに教えてもらった『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(西ヶ谷恭弘編 7,140円 東京堂出版)は明治維新前後に残っていた城郭関連遺構、とくに陣屋や台場を大きく取り扱っている点に特徴があり、異色の城郭事典だと思います。偶然台場を回っている最中ですので買ってしまいました。蝦夷地の台場は小さい物までかなり載っていて去年までにこれが出ていれば相当重宝したと思いました。「蝦夷地の台場に限って」言えば、今の時点では私の集めた情報の方が上かな?(自画自賛)

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[733] 大変遅れました。 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/08/01(Thu) 04:50 

>びわこ様、hazu様
返事が大変送れてしまいました。誠に申し訳ございません。忙しかったので書き込む暇が無かったのであります。お許し下さい。
其の罪滅ぼしといってはなんですが将来作ろうとおもっている『桓武平氏の全家系』に石田三成の家系も載せますので、はい・・・。

>KUBO様
御結婚おめでとうございます。末永く幸せに暮らしてください。


[732] 昨日は... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/08/01(Thu) 00:01 

 少し時間があったので、母方の除籍謄本を取りに行ってきました。車で1時間ほど
かかりますし、役所って5時までしかやってませんから、やっぱり休みの時でないと
なかなか取りに行けませんので。
 おかげで北海道に渡ってきた曾祖父の除籍までとれました。曾祖父の出身地の正確
な住所も判りましたし、これでなんとか「我が家のルーツ 第2部」が書けそうです。
(もう半分くらいは書いてあるんですが) といっても更新するのは秋以降でしょうねえ。

>D-oneさん
> よろしかったら松島城に泊まってみませんか(宣伝)?
 残念ながらもうすでに泊まるホテルは決まっておりますので、せっかくですが(^^;)
だいたい新婚旅行でそういう所に泊まったらあとあと何を言われるかわかったもんじ
ゃありませんので、謹んで辞退させて頂きます(^^;)
 そういえば、No.726の秋山如雪さんのサイトの尾道特集の中に尾道城が載ってまし
たよ(^^;)

> まともな城では大村城、熊本城、中津城、小倉城、大野城と見てきました。
 ああ、いいですねえ。みんな行ってみたいと思っている所です。まだ九州には足を
一歩も踏み入れてませんので。特に熊本城は是非行きたいのですが、まだ機会があり
ません。どうも今年は九州に行けそうにないですが、来年こそは!って思ってるんで
すけどねえ(^^;)

>河野哲也さん
 はじめまして。展示会の情報ありがとうございます。これって6月の始めまで北海
道開拓記念館で行っていたものと同じものですよね? 実は見に行きたいなと思って
いるうちに終わってしまいまして(^^;) うちから開拓記念館までは車で10分くらいな
んですけどねえ...
 ちなみに当サイトの「史跡の部屋→北海道→日高支庁→平取町」にマンロー博士が
住んでいた旧マンロー邸を紹介しておりますので、そちらもどうぞご覧になってみて
下さい>みなさま


[731] 特別展案内 投稿者:こうのてつや 投稿日:2002/07/31(Wed) 09:17 

財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構の河野と申します。

当財団では、アイヌ文化の普及及び啓発を目的として、年1本の企画展を全国の博物館・美術館施設と共催で開催しております。本年度の企画として、7月27日(土)から、横浜市にあります神奈川県立歴史博物館にて特別展を開催しております。

展示会名:   海を渡ったアイヌの工芸-英国人医師マンローのコレクションから
会期:     平成14年7月26日(土)~9月1日(日)
開館時間:   9:30~17:00(入場は16:30まで)
休館日:    月曜日
会場:     神奈川県立歴史博物館
        231-0006 横浜市中区南仲通5-60 (JR桜木町駅より徒歩8分です)
        TEL:045-201-0926 FAX:045-201-7364
観覧料:    一般400(350)円 20歳未満・学生300(250)円
        ()は20名以上の団体料金 
        高校生以下、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方は無料
内容:

明治23年(1890)に横浜に上陸した英国人医師N.G.マンローは、医療活動のかたわら考古学・人類学の研究に精力的に取り組み、横浜根岸競馬場付近貝塚をはじめ、三ツ沢貝塚、酒匂側、早川流域の旧石器などの発掘調査を行っています。その後、32年に及ぶ横浜での活動から北海道に拠点を移して、民俗学としてのアイヌ文化の研究に携わり、多くの工芸品や民具を収集、それらの多くは本国イギリスに渡り、大切に保存されてきました。
 今回の展覧会は、国立スコットランド博物館、大英博物館、北海道開拓記念館が所蔵する「マンローコレクション」を中心に、アイヌ伝統の家屋「チセ」を復元するなど、英国人医師N.G. マンローが見たアイヌの世界を紹介します。
また、現代のアイヌ工芸家7名がマンローコレクションの複製に挑んだ成果も展示されております。

講演会・体験学習等の関連事業も多数開催いたします。
詳細は神奈川県立歴史博物館のホームページ
http://ch.kanagawa-museum.jp/tokubetu0.htm
をごらんください。

--
河野哲也
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構
060-0001 札幌市中央区北1条西7丁目プレスト1・7ビル7F
TEL:011-271-4171 FAX:011-271-4181

http://ch.kanagawa-museum.jp/tokubetu0.htm


[730] 西に行ってきたんですが・・・ 投稿者:D-one 投稿日:2002/07/29(Mon) 17:13 

こんにちは、D-oneです。

>今年の夏はまた東北になりそうです
よろしかったら松島城に泊まってみませんか(宣伝)?
http://www.interq.or.jp/leo/d-one/matusima.html
但し、夕食は出ませんが。
あぁ、そういえば新婚旅行にはちょっとお奨め出来ないかも知れませんね。失礼しました。

話は変わりますが、先週、仕事のついでに九州の上半分をグルッと周って来ました。またイロイロと発見したんですが、それは置いといて、と。
まともな城では大村城、熊本城、中津城、小倉城、大野城と見てきました。
いや、熊本城はやはり凄いですね・・・行ったのは二度目なんですが、あらためて感激しました。今、二の丸辺りの再建工事中でしたが、予定されている工事が全部終わった頃(ってかなり先になりますが)にまた行ってみたいものです。

それでは、失礼します。


[729] 西に行きたい... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/28(Sun) 23:34 

>秋山如雪さん
 No.727を削除しましたのでご了承下さい。書き込みする時に削除キ
ーを入れると、ご自分でも削除できますから、今度はそうしてみて下
さい(^^)
 早速、尾道としまなみ海道の写真を見せて頂きましたが、膨大です
ねえ(^^;) うちはADSLにしたからそれほどストレスなく見れますけど...
大林監督の映画は「時をかける少女」と「転校生」を見ましたけど、
前者は大学時代でしたね確か(^^;) しかし、坂が多そうで大変ですね(^^;)
室蘭とか小樽も坂が多いですけど、港町ってみんなそうなんですかね?
 西の方には行きたい行きたいと毎年言っているんですが、なかなか...
今年の夏はまた東北になりそうです。道産子の私にゃあ東北でもかな
り暑いですが(^^;)


[728] すいません 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/07/28(Sun) 22:07 

すいません。間違って2回書き込みをしてしまいました。
片方削除しても構いません。

http://members.tripod.co.jp/josetsu/toppage.html


[726] 尾道の写真特集! 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/07/28(Sun) 22:05 

ホームページで、尾道としまなみ海道の写真特集を始めました!
パソコンに詳しくないので、画像をそのまま載せたら案の定
画像が重くなってしまいましたが、それでも本当に綺麗な光景
ばかりでしたので、瀬戸内海に興味のある方は是非遊びに
いらしてください。
それとKUBOさん、私も大林監督の映画見ましたよ。
全部じゃありませんが。
映画のロケ地の写真もありますので、見て思い出してみて
ください。
自分は「時をかける少女」と「さびしんぼう」が好きです。
広島の宮島にも行ってきたのですが、写真を載せるかどうかは
まだわかりません。
その代わり、大山祇神社には行ってきましたので、樹齢2600
年の大楠を見てきました。
中国地方は、歴史の古い町が多いですね。
津山や高梁、萩あたりはいつか行ってみたい土地です。

http://members.tripod.co.jp/josetsu/toppage.html


[725] 昨日もまた... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/28(Sun) 09:28 

本とDVDを売ってきました(^^;) 当座必要なさそうなものはあらかた実家に運んで
しまいました。やれやれ...(^^;)
 それでトップページにも掲げましたが、以下の書籍をご希望なさる方はお譲りしま
すので、メールにてお知らせ下さい。実はご覧になって予想が付くと思いますが、は
じめはバラで買ってしまったものの後からセットで買ってしまったため余ってしまっ
た半端です(^^;) 古本屋に持っていってもいいんですが、バラですからたいした金額
にはならないでしょうし、もし欲しい方がいたらお譲りした方が本のためかなと思い
まして...(^^;) 以下の6冊です。
 (1)『三百藩家臣人名事典 第1巻』(新人物往来社)
 (2)『清和源氏の全家系一 天皇家と多田源氏』(奥富敬之、新人物往来社)
 (3)『清和源氏の全家系三 東国源氏の京都進出』(奥富敬之、新人物往来社)
 (4)『清和源氏の全家系五 南北朝争乱と足利一族』(奥富敬之、新人物往来社)
 (5)『清和源氏の全家系六 新田諸族と戦国争乱』(奥富敬之、新人物往来社)
 (6)『探訪ブックス[城5] 近畿の城』(小学館)

 まとめてでもバラでも結構です。希望がありましたらお知らせ下さい(^^)

>くらのすけさん
 どうもありがとうございます。お陰様で入籍もすませました。あとは彼女の引っ越
しと結婚式ですねえ。今はその準備でバタバタしております(^^;)
 あやかりたいなどとおっしゃってもくらのすけさんはまだお若いからまだまだこれ
からでしょう。私のように四十にもなると、いろいろ大変です(^^;)
 とにかく今回は本の整理が大変でした(自業自得ですが)。早く書庫のある家が欲し
い...

>秋山如雪さん
 ご無沙汰しています。東京ですか、いいですねえ。もう1年半くらい行ってないで
すねえ。東京に行くと必ずといっていいほど神田神保町の古本屋街の近くのホテルに
泊まって、一日は古本屋めぐりにあてたもんですが。
 尾道は行ったことがないです。尾道というと大林監督の映画を思い出すのは年寄り
の証拠ですけど(をい(^^;))、まだ倉敷から西に行ったことがないので、そのうちに
行ってみたいですね。津山・備中松山・福山・三原・広島・岩国・萩・津和野・浜田
・松江・米子・鳥取etc...中国地方もあちこち行きたい所がたくさんです。(といい
つつ城跡のある所ばかりですね(^^;))


[724] 東京より 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/07/26(Fri) 16:48 

就職活動と、夏休みをかねて東京に来ています。
実は夏休みということで、2、3日ですが、瀬戸内海に
行ってきました。
そこで見た尾道の風景に感動してしまったので、
自宅に帰ったら、近いうちに「尾道の写真館」
みたいなコーナーを作って、ホームページに撮ってきた
写真を掲載しようかと思っています。
北海道では絶対に見られない風景だけに、見応えのある
風景ばかりでした。
それでは、アップロードをしたらまた書き込みに来ます。


[723] 慶賀至極に存じ候。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2002/07/26(Fri) 00:28 

久しぶりにお邪魔します。

ご結婚ですか!おめでとうございます。
畠山義綱様の時もそうでしたが、サイトで存じている方のご結婚は、突然判明して、びっくりしますね。
記憶の限りでは、私のサイトからリンクさせて頂いているサイトの方では3人目です。

その上(結婚の方が上ですけれど)、ご訪問者60000人を突破なさったのですね(もう65000過ぎているこのような時期にすいません)。

いやー、めでたいことです。
少しはあやかりたい、などと言いつつこれにて失礼いたします。


[722] だいぶん片づいてきました 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/25(Thu) 23:37 

 おかげで奥の部屋はあらかた片づきましたので、今日絨毯を買ってきて敷き、その
真ん中に今までリビングに置いていたパソコンを移動させました。10mのLANコ
ードも買ってきて張り回しまして、奥の部屋からネットに繋げるようになりました。
周りを歴史の本に囲まれてネットしていると何とも言えず良い気分です(^^)
 あとはもう少し実家に段ボール箱を運んで、リビングを片づければ何とかなりそう
です。しかし、奥の部屋に仕事関係の本がほとんどないというのが、なんとも...(^^;)

>D-oneさん
 どうもありがとうございます(^^) 私もつい1年ほど前までは予定なんぞなかった
んですが...(^^;) よく言いますけど、これも縁ですかねえ?

>みちひろさん
 お返事が遅くなりました。あらかた筈衛さんからお答えがありましたが、松前道廣
に関しては、うちのサイトの「松前・蠣崎一族の系図」に若干載っております。また
松前宗家の系図の中の道廣の項の所にあるカメラのアイコンをクリックしますと、道
廣の墓の写真と簡単な説明が載っておりますので、そちらもご覧下さい。
 私自身の印象としましては、松前道廣というのは才能がありながらその才に溺れ、
自分の感情の赴くまま行動してしまい失敗した人物という所です。正直な所、歴代藩
主の中でもあまり評判の良い方ではないです(^^;)

>筈衛さん
 毎度フォローありがとうございます(^^)

> 結婚後に買った本を置く場所としても実家を利用しています。
 やっぱり(^^;) でもうちの場合はたぶんこれ以上は無理かと思います。すでに実家
の奥座敷の3分の1ほどが私の持っていった段ボール箱で埋まってますし...(^^;)
まあ2階の屋根裏部屋のような所へ持っていけばまだまだ入りますが、階段せまいか
らなあ...

>あそさん
> ご結婚おめでとうございます。それでダンボール19箱だったのですね。
 ありがとうございます。まだだいぶん段ボール箱が残ってます(^^;) あとはLDと
DVDをどうするかですねえ(^^;)

> うらやましいくらいの蔵書ですね。一生持つことはないと思いますが。(予算もスペースも…ない)
 今回これらをすべて並べることができたのは、ここ数年来の宿願だったんですが、
これ以上増えたらどうしようというのが今の心配です(^^;) まあ、これからはそうそ
う本にお金を使えないと思いますが。

> LPでしたら、北海道の新冠というところにレコード館というのがあって、そこで寄
> 贈を受け付けているらしいということは聞いたことがありますけど。
 ああ道の駅になっている所ですね。日高方面のチャシ巡りの時にトイレに寄ったこ
とはありますが、中には入りませんでした(をい(^^;))

>ひづめさん
 うらやましい日々を送っているようで...(^^;) あ~、道南行きたいよ~。結局、
今年の夏はまた東北に行くことになってしまいました(^^;) ホントは結婚式のあと、
海外に行きたかったんですけど、ちょっと手配が間に合わなかったんで例によって東
北に行くことに... まあでも、前から行きたかった秋田・角館・横手、それから再訪
したかった花巻・平泉に行けるのでいいんですけど。
 ああ、でも矢不来台場に矢不来館、再訪したいですね~

> そのときたまたま国道228号線のワシリチャシの横を通ったところ草が刈られてい
> たので、もしやここも調査中かと期待して覗いてみましたら大当たりでした。ここ
> はM田先生ではなくM田先生の奥様が担当されていました。そして、堀切や土橋が
> きれいに見られました。
 おお、ワシリチャシが見れたんですかあ、いいなあ。今年の夏道南に行けたらワシ
リチャシと花沢館はきれいに見れたんですね~。残念無念...

> 今年の『函館お散歩団』は「幕末・箱館戦争時代の台場」を探して歩いています。
 先日、最近出た『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版)という本を買
いましたが、この本は明治維新時に日本にあった城郭・陣屋・要害・台場等を網羅し
ようというもので、北海道では松前城・五稜郭・四稜郭・館城・戸切地陣屋・千代ヶ
岱陣屋・南部藩元陣屋・南部藩出張陣屋(室蘭)・南部藩ヲシャマンベ陣屋・白老仙陣
屋・砂原南部藩屯所・寿津津軽藩陣屋・庄内藩ハママシケ陣屋・釧路陣屋・仙台藩十
勝陣屋・秋田佐竹家稚内出張陣屋・築島台場・弁天台場・権現台場・桔梗台場・七重
浜台場・根崎台場・押付台場・山背泊台場・立待岬台場・川汲台場・鷲ノ木台場・砂
原の五台場(会所町台場・会所町B台場・彦澗台場・四軒町台場・松屋崎台場)・白神
台場・吉岡台場・矢不来台場・大野口台場・中山台場・福島砲台・七飯台場・峠下塁
・鹿部台場・弁天島台場・折戸台場、そして松前藩領内のその他の台場(9ヶ所)が載
ってました。

>求馬さん
> 御結婚ですか、おめでとうございます。
 ありがとうございます(^^)

> 奥様は蔵書に理解のある方なのでしょうか・・・
 歴史には余り興味がないみたいです。4月の引っ越しの時も特に文句も言わず、手
伝ってくれましたが、最近は「これ以上本を増やさないでね」と釘を刺されてしまい
ました(^^;)
 早く書庫付きの家が欲しい...(をい(^^;))


[721] 慶祝 投稿者:求馬 投稿日:2002/07/24(Wed) 00:28 

御結婚ですか、おめでとうございます。
奥様は蔵書に理解のある方なのでしょうか・・・いや、我が家ではしばしばこれが問題になるので    (^^;)。
一応、「蔵書を含めての「俺」と結婚したと思って諦めてくれ」と言っているのですが・・・(笑)


[720] 矢不来館とワシリチャシ 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/07/23(Tue) 10:24 

KUBOさん、こんにちは。

 ご結婚おめでとう。次回はお二人で道南巡りに来てください。いっしょに回りましょう。

 一昨日の日曜日、函館図書館主催のセミナーがあって落合さんが『矢不来館』について講演されました。私は仕事で行けないのでいつものようにヨメさんを派遣しました。おおよそ私たちがお聞きした内容だったようですが、とても分かりやすかったそうです。
 昨年お聞きした話の中に「箱館戦争の激戦地になった矢不来台場は現在標柱や説明板のある所ではなくもっと下の海に近いJR線沿いの所だろう」というものがありましたが、これともう一つ落合さんのオリジナルの説「矢不来館が蠣崎・武田の福山大館の勢力を警戒するものであったならば、福山方向に何かしらの防御戦が必要だろうし、あやしい場所はある」というものを説明されていたそうです。翌日、ヨメさんが聞いてきた場所にさっそく行ってみたところ土塁と空堀がありました。

 上ノ国町では「別の比石館」を探す仮調査をしていましたが、2箇所を開けたところでは「肯定的な物は出なかったけど、否定する物も出ていない」ということだそうです。昨日、それら推定地の写真を写しに行きましたが、そのときたまたま国道228号線のワシリチャシの横を通ったところ草が刈られていたので、もしやここも調査中かと期待して覗いてみましたら大当たりでした。ここはM田先生ではなくM田先生の奥様が担当されていました。そして、堀切や土橋がきれいに見られました。

 今年の『函館お散歩団』は「幕末・箱館戦争時代の台場」を探して歩いています。ほとんど無名な台場もピックアップするようにしていますのでかなりの数になりそうです。

 来週は「北海道・東北史研究会」のシンポがあります。講演者の一人M田先生も予習に忙しいそうですよ。それが終わりましたらまた報告します。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[719] おめでとうございます 投稿者:あそ 投稿日:2002/07/23(Tue) 00:33 

ご無沙汰してます。

>実は来月結婚することになりまして

ご結婚おめでとうございます。それでダンボール19箱だったのですね。

>昨日と今日で段ボール箱を50個くらい(中身はほとんど本)は運んだかも... おかげで筋肉痛になってしまいました(^^;)

お疲れ様です&お大事に。本は結構重いんですよね。

>『寛政重修諸家譜』『姓氏家系大辞典』『系図纂要』『日本城郭大系』『群書系図部集』『日本史総覧』『中世城郭事典』

うらやましいくらいの蔵書ですね。一生持つことはないと思いますが。(予算もスペースも…ない)

>まだLDやDVDも残っています

LPでしたら、北海道の新冠というところにレコード館というのがあって、そこで寄贈を受け付けているらしいということは聞いたことがありますけど。

http://page.freett.com/mako_vl/


[718] おめでとう 投稿者:hazu 投稿日:2002/07/22(Mon) 19:30 

>> といいますのも、実は来月結婚することになりまして、今
>>月末にはうちのアパートに嫁さんが引っ越してくるので必要
>>に迫られてという情けない理由が動機なんですけど(^^;)

 結婚おめでとうございます。
 ほんの数はKUBOさんと比べることはできませんでしたが、わ
たしのときも似たようなものでした。
 結婚後に買った本を置く場所としても実家を利用しています。

筈衛

 


[717] 昨日のこと 投稿者:hazu 投稿日:2002/07/22(Mon) 19:30 

 わたしの勤めている施設で昨日一周年記念のボランティア主催のイベントが行われました。
 イベントは無事に行われましたが、その後、落雷に当たってしまいました。停電1時間参りました。電話も時計も壊れ、復旧確認のため、今日も休みのところ、施設にいかなければならなくなるし・・・・、まったく・・・(^^;;
 雷は怖い・・・、実感でした。

筈衛


[716] おめでとう 投稿者:hazu 投稿日:2002/07/22(Mon) 19:18 

>> といいますのも、実は来月結婚することになりまして、今
>>月末にはうちのアパートに嫁さんが引っ越してくるので必要
>>に迫られてという情けない理由が動機なんですけど(^^;)

 結婚おめでとうございます。
 ほんの数はKUBOさんと比べることはできませんでしたが、わ
たしのときも似たようなものでした。
 結婚後に買った本を置く場所としても実家を利用しています。

筈衛

 


[715] 無題 投稿者:hazu 投稿日:2002/07/22(Mon) 19:01 

 みちひろさんへ

 詳しく解るWebサイトですが、多分、このHPが一番だと思います。
 また、他のWebサイトですが、やはりこちらのリンクからたどるのが一番だと思います。

 コンテンツでいうと、日本史の部屋→松前藩 松前・蠣崎一族の系図をたどると松前・蠣崎一族の系図や主な家臣の系図があります。
 その中の松前宗家の系図を開くと《松前宗家(志摩守家)》があります。そこの13代目が道廣と書かれています。

 また、リンクから他のWebサイトを調べると、リンク→日本史関連リンクに蠣崎幕府というサイトがあります。

 蠣崎幕府
  http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/

です。

筈衛


[714] 教えていただきたいのですが 投稿者:みちひろ 投稿日:2002/07/22(Mon) 12:14 

祖父から松前藩の末裔だと聞かされていました。
名前も松前道廣にちなんだと。。。

先祖の事など全く気にしていませんでしたが、先日、北海道の生家に戻った時に蔵の中から、時代を感じさせる物が出てきて気にせざるおえなくなりました。

松前家の事についての文献や資料など、あまり見かけないのですが、何か詳しく解るWebサイト等ないでしょうか?

また、松前道廣についてご存知の情報があれば教えて頂きたいのですが。。。

よろしくお願い致します。


[713] さりげなく・・・ 投稿者:D-one 投稿日:2002/07/22(Mon) 10:53 

おめでとうございます。
末永くお幸せに・・・

#オイラは予定どころか相手の影も形も有りません(TT)


[712] おっと... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/21(Sun) 22:24 

 なんと1週間以上も放置状態でした(^^;)
 え~、その後ですが、奥の部屋にあった山のような段ボール箱はほとんど消え去り
ました。実家(自宅から20km近くありますが)に待避させるという非常手段を使いまし
て(をい(^^;)) 昨日と今日で段ボール箱を50個くらい(中身はほとんど本)は運んだか
も... おかげで筋肉痛になってしまいました(^^;)
 でも今まで本棚に並べたくても並べられなかった『寛政重修諸家譜』『姓氏家系大
辞典』『系図纂要』『日本城郭大系』『群書系図部集』『日本史総覧』『中世城郭事
典』、あるいは新人物往来社の「一族シリーズ」などの本をすべて並べることができ
たのにはちょっと感激(^^)
 ただ、まだLDやDVDも残っていますので、これらをどうするかという問題も残
っておりますし、寝室等にまだ段ボール箱が数十個残っているのですが(^^;) でも、
おかげでだいぶん暮らしやすくなりました。

 といいますのも、実は来月結婚することになりまして、今月末にはうちのアパート
に嫁さんが引っ越してくるので必要に迫られてという情けない理由が動機なんですけ
ど(^^;)
 というわけで、しばらくは部屋の整理、結婚式の準備等で忙しくなると思いますの
で、サイトの更新はしばらくストップさせて頂きます。8月の末頃には再開したいな
あと思っていますが、どうなりますことやら(^^;)

P.S.
 あいかわらずタイムスリップグリコ第2弾を買っております(^^;) ちゃぶ台とミシ
ンが出たらやめようと思っているのですが、なかなかあたらなくって...


[711] 少し片づいたかな...? 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/13(Sat) 22:17 

 先月から本の整理をしていたんですが、取りあえず古本屋に持っていくものと分け
るのが終わりましたので、今日近所の古本屋(ていうかCDとかゲームも扱っている店)
に持っていきました。全部で段ボール箱19箱分もありました(をい(^^;)) 店の性格を
考えてコミックスを中心に持っていったのですが、それでも買い取りできないといわ
れたものもあって、それは処分してもらうことにしたんですが、それをのぞいても全
部で689点を買い取ってもらいました。おかげで臨時収入が3万円も(^^;)
 でもまだ、奥の部屋には本が詰まった段ボール箱が山のように(売り払った本の何倍
も)あるんだよなあ...(^^;)

 あ、それから例のコレクト倶楽部ですが、まだ届いていないものもあるものの、ト
レードの結果ノーマルコンプを達成できそうです。シークレットアイテムは腕のある
ミロのヴィーナスの完全版らしいですけど、まあそこまでこだわるつもりはないです。
問題はだぶったやつですね~(^^;) WTMとかハイパーガンダム復刻版2のダブリも
残っているし...
 まあでも、このシリーズを始めとして、WTMやタイムスリップグリコなど海洋堂
がプロデュースした食玩はホントできがいいです。これでしばらく食玩を買うのはや
めようと思っていたのに、最近はタイムスリップグリコの第2弾を買い始めてしまい
ました...ヤレヤレ(^^;)

>美唄の住人さん
 今日、江別市史&北海道の地名をコピーしてきましたので、少し勉強してみます。
副読本も今度借りてみようっと...

>秋山如雪さん
 ご無沙汰しています。おっしゃるようにリンク先を変更しました。今度ともよろし
くお願いします。


[710] 変更お願い 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/07/13(Sat) 08:35 

管理人さんにお願いです。
ホームページのアドレスを変更したので、
リンク先の変更をしてくださいませんか?
以下にアドレスを記しておきます。
何かあれば、メールか掲示板にお知らせください。
http://members.tripod.co.jp/josetsu/toppage.html

http://members.tripod.co.jp/josetsu/toppage.html


[709] RE:本の整理をしてたら... 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/07/09(Tue) 23:05 

>「チャシパロマナイ」とはどういう意味なのでしょう?

 音からだけの解釈では「チャシパロマナイ casi-par-oma-nay チャシ・口・ある・川」となります。
 この口は、入り口の意味かと推定しますが、まだ断定はできません。

>今年は副読本検討委員をしていないのですが、うちの学校
>の検討委員の先生を通してお伝えしても良いですよ。もう
>少し詳しく教えて頂けませんか?

 江別市史からの引用だと思います。市史自体にに問題があるのですが、それを理解できる方は、江別にいませんので訂正は不可能だと思います。


[708] 本の整理をしてたら... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/09(Tue) 22:45 

↑『独眼竜政宗』のNHK大河ドラマ・ストーリーが出てきました(^^;) やっぱりあ
のころの大河ドラマが一番好きでしたね~(^^) 渡辺謙もかっこよかったし、後藤久
美子も可愛かったし(をい(^^;)) なんでも、こんど『独眼竜政宗』の総集編のDVD
が出るそうですが、これは買いですかねえ?
 え、今年の大河? ああ、1回目しか見てません(^^;) 最近の大河は(ここ数年)見
る気しなくって... 実際に見てないのではっきりとは言えませんが、聞くところによ
ると今年の大河も明らかに変なところ・間違いが多いようですし...

>美唄の住人さん
> お礼に、お探しの新十津川のポンチャシの対になるチャシについて情報提供をします。
 ありがとうございます(^^)

> 里見峠から、徳富川のさらに上流の支流に「チャシパロマナイ川」があります。お
> 探しのチャシはそこにあります。
 確かにチャシパロマナイ川がありますね。ちなみに「チャシパロマナイ」とはどう
いう意味なのでしょう?(すみません。アイヌ語には疎くって(^^;))

> KUBOさんが現地調査をし、発表するのでしたら協力しますが。
 いえいえ、私は所詮チャシにちょっと興味を持っているだけの素人に過ぎませんか
らね~(^^;) ただ。現地は見てみたいとは思いますけど。美唄の住人さんがご案内し
て下さるなら、新十津川まで行きますよ(^^) ただし、しばらく公私ともに忙しいの
で、行けるのは9月くらいになっちゃいそうですけど。

> なお、江別の小学生用副読本のアイヌ語地名は、問題があります。
 あ、そうなんですか? 今年は副読本検討委員をしていないのですが、うちの学校
の検討委員の先生を通してお伝えしても良いですよ。もう少し詳しく教えて頂けませ
んか?


[707] 未発見のチャシ 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/07/06(Sat) 10:07 

>KUBOさん

 ご丁寧な回答をしていただきありがとうございます。

 最近、未発見ということになっているチャシの調査に行って来ました。水田と酪農の整備ですっかり本来の姿が無くなっていますが、秋になれば何か発見できるのではと期待しているのですが。
 これについては何時か発表できることがあればと思っています。


[706] 新十津川の未発見チャシ 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/07/06(Sat) 09:55 

>KUBOさん 
ご丁寧な、ご返事をありがとうございます。

 お礼に、お探しの新十津川のポンチャシの対になるチャシについて情報提供をします。

 里見峠から、徳富川のさらに上流の支流に「チャシパロマナイ川」があります。お探しのチャシはそこにあります。
 ただし、わたくしはまだこのことについて発表をしていませんのでこれ以上は書けません。
 KUBOさんが現地調査をし、発表するのでしたら協力しますが。

 なお、江別の小学生用副読本のアイヌ語地名は、問題があります。


[705] Re[704]:RE: 江別郷土資料館 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/06(Sat) 08:25 

>美唄の住人さん
>  江別郷土資料館は、考古学的なことには素晴らしいところなのは認めますが、「アイ
> ヌ文化」には疎いはずですが。
 そうですねえ(^^;) 2階のずらっと並んだ縄文・続縄文・擦文の土器群の展示には
最初圧倒されましたが、アイヌ関係の展示はほとんど無いようなもんですね。江別チ
ャシは写真パネルがあるだけだし...(T_T)

>  どのような話だったのでしょうか。
 一般教員向けの話ですので、そんな難しい話じゃありません。職場に資料を置いて
きてしまったので記憶で書きますが、野幌丘陵の成り立ち・縄文~続縄文~擦文へと
至る時代の流れを概観した感じです。レジュメに江別チャシのことが少し載っていた
ので、その話もあるのかなと思っていたら講座の中では全く触れず、最後に展示を見
て回った時に江別チャシの写真パネルの前でちょっと触れただけでした。
 ちょっと江別チャシのことでいくつか質問しようかなと思ったら、「それじゃあ今
日はこれで終わります」と言われてしまいましたので、やめてしまいました(^^;)
 まあ、それでもやはり考古学は門外漢なもので、解説を聞きながら展示を見るという
のはいいもんですね。それだけでもめっけものでした。


[704] 江別郷土資料館 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/07/05(Fri) 06:47 

>市の郷土資料館で教職員向けの「江別の歴史を学ぶ」という講座が
>あったので行ってきました。

 江別郷土資料館は、考古学的なことには素晴らしいところなのは認めますが、「アイヌ文化」には疎いはずですが。
 どのような話だったのでしょうか。
 


[703] 今日は... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/04(Thu) 23:18 

市の郷土資料館で教職員向けの「江別の歴史を学ぶ」という講座があったので行って
きました。今日は全三回の第一回目で、縄文・続縄文・擦文・アイヌ文化期の江別と
いうことで話を聞きましたが、講座自体よりも最後に展示物を見ながら説明していた
だいたのが良かったです。あそこの2階の展示ははじめに縄文・続縄文・擦文土器が
ずらっと並んでいるんですが、詳しく説明して頂くと今まで気づいていなかったこと
がわかって興味深かったです。縄文早期の土器で貝殻紋式土器というのがあるんです
が、一見「どこが貝殻紋なんだろ?」と思っていたら、底が貝殻の模様になってるん
ですね~
 来週は開拓期の江別についてですけど、楽しみです。

>秋山如雪さん
 ご無沙汰していました。ホームページ見せて頂きました。写真がうちのより大きい
ですね~(^^) うちは容量節約のため写真を小さくしたんですけど、そちらの写真く
らい大きいと見応えありますね。
 最近、なかなか遠出できないので、史跡の部屋もあまり変化ありません(^^;)

>たくちゃさん
 あまりお役に立てずすみませんでした(^^;)

>ひづめさん
>  まずはうれしいニュース:函館江差自動車道の矢不来部分はトンネル工法に決定
> されたということで、矢不来館、矢不来台場が破壊されることはなくなりました。
 当然といえば当然の結果ですね。あれだけの重要な遺跡を破壊するなんて考えられ
ませんもの。いずれにしても良かったですね。落合さんによろしくお伝え下さい。

> さわりながら解説していただけました。やっぱりすごいですよ、矢不来館は。勝山
> 館以上でしょう。いつの日か発掘が行われることに期待します。茂別館は平成16
> 年から始まるそうです。ここも楽しみ。
 そうですか~。茂別館・矢不来館、楽しみですね~(^^)

P.S.
 コレクト倶楽部古代文明編、あと5つです。あとはトレードで手に入れよっかなあ?


[702] 落合さんにお会いしてきました 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/07/02(Tue) 17:47 

KUBOさん、こんにちは。

 昨日、上磯の落合さんのお宅へ一年ぶりにお邪魔しました。奥様ともどもお元気そうでした。

 まずはうれしいニュース:函館江差自動車道の矢不来部分はトンネル工法に決定されたということで、矢不来館、矢不来台場が破壊されることはなくなりました。落合さんたちの活動が実ってよかったです。

 クマのことも聞いてみました。『矢不来館を探しているころはクマは夜しか歩かないという信念があったから怖くなかったけど、最近は昼でも歩くんだね。』ですって。それってただ無謀だったってこと?

 落合宅を失礼した後、上磯町役場の教育委員会へ行ったところ、森学芸員から矢不来館についてのおもしろいお話を聞けた上に、陳列前の貴重な出土遺物の数々をさわりながら解説していただけました。やっぱりすごいですよ、矢不来館は。勝山館以上でしょう。いつの日か発掘が行われることに期待します。茂別館は平成16年から始まるそうです。ここも楽しみ。

 昨日のポイントは近いうちに私の「矢不来館」のページへ更新しておきますのでそちらで見てください。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[701ありがとうございました 投稿者:たくちゃ 投稿日:2002/07/02(Tue) 14:57 

たくちゃでーす。KUBOさんどうもありがとうございました。
修学旅行の歴史で検索したらでたのがキッカケでした。
短い間でしたがどうもありがとうございました。


[700] ありがとうございます 投稿者:たくちゃ 投稿日:2002/07/02(Tue) 14:53 

KUBOさんどうもありがとうございました。
たまたま、修学旅行の歴史などで検索したら、ここのページに来ました。どうもありがとうございました。
短い間でしたがありがとうございました。


[699] ご無沙汰しています。 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/07/02(Tue) 03:16 

ご無沙汰しております。
「心を開いて」の秋山如雪です。
実はこの度、ホームページでデジカメで撮影した
日本の歴史的建造物を紹介することにしました。
まだ北海道しかなく、またここのページとも多少
かぶるところがあるかもしれませんが、北海道の
建物が中心ですので、是非見にいらしてください。
詳しいことはホームページのトップに書いて
ありますので。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[698] エジプト展... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/01(Mon) 07:27 

↑見てきました(^^) なかなか見応えありました。以前道立近代美術館でエジプト展
をやった時にはえらく込んでいて参りましたが、今回は人はたくさんいたものの、多
すぎて困るというほどではなかったので、まあ良かったです。
 出口にある売店の品揃えもなかなかで図録のほかに、トランプとファラオの棺のミ
ニレプリカを買ってきてしまいました(^^;) これは2種類あって、1つは中に包帯を
巻いたミイラが入っているもの、もう1つは棺と同じような仮面や飾りを付けたミニ
フィギュアが入っているもので、前者もおもしろいとは思ったんですが、結局後者を
買ってきました(^^;)

>筈衛さん
>  膨大な家系図を開陳するという仕事を・・・・・(^^)ガンバッテネ
杉山家に関してはもうすでに名前が挙がっている資料しかありませんから、膨大な系
図にはならないと思います(^^;) ちょっと8月までは忙しいので、しばらくお待ち下
さい。

>びわこさん

> KUBOさ~ん、確か去年の5月、佐和山に一緒に行ったときにも言ってたですよね・・・。
> (あれから、早一年余・・・月日が経つのは早いものよのぉ。)

 あ、まずい...(^^;) ですよねえ、もう一年以上たつんですもんね。ここしばらく
建物や石垣のあるお城に行ってないもんで、だんだんうずうずしてきました(^^;)

> ということで、KUBOさん、期待に胸膨らませて、「滅びた名族」待ってますよ。(^^)
 皆さんに期待されてるのはわかっているんですが、なかなか進まないのが自分でも歯がゆいんですけど、気長にお待ち下さいとしかいえません(^^;)

P.S.
 コレクト倶楽部古代文明編、すっかりはまってます(^^;) 全24種のうち半分そろえ
てしまいました。


[697] そういえば・・・2号 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/30(Sun) 19:37 

そういえば、

例の三成会の記事の中に

>> ・彦根再発見にて「三成と左近」について講演 01/03/26
    講演者 びわこ氏
    聴講者 約80名 うち会員3名

 って、ありましたね(^^;;

筈衛


[696] そういえば・・・ 投稿者:びわこ 投稿日:2002/06/30(Sun) 16:23 

またまた、こんにちは~(^^)

>ええ、津軽の杉山氏のことは知ってますよ。そのうちに「滅びた(?)名族」シリーズで取り上げる予定ですので。いったいいつになるかわかりませんが(^^;)

KUBOさ~ん、確か去年の5月、佐和山に一緒に行ったときにも言ってたですよね・・・。(あれから、早一年余・・・月日が経つのは早いものよのぉ。)

あのぉ、先日書きました“三成会”っていうのは、

>石田三成のホームページ(http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/

の主宰・SHUNさんが会長されてます。(怪しくないです・・・って言うところが怪しい???)
また、こちらのサイトにも遊びに来てください。(三成会宣伝部デシタ・・・(^^;))

ということで、KUBOさん、期待に胸膨らませて、「滅びた名族」待ってますよ。(^^)

では・・・
  


[695] re:やられた...(^^;) 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/30(Sun) 12:21 

>> おお、石田三成の子孫の話が!と思っていたら筈衛さんにほとんど言われてしまった(をい(^^;))

 いいえ、いいえ(^^)
 KUBOさんには大仕事を残しておきましたよ(^^;;
 膨大な家系図を開陳するという仕事を・・・・・(^^)ガンバッテネ

筈衛


[694] やられた...(^^;) 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/30(Sun) 10:14 

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん、筈衛さん、びわこさん

 おお、石田三成の子孫の話が!と思っていたら筈衛さんにほとんど言われてしまっ
た(をい(^^;))

 ええ、津軽の杉山氏のことは知ってますよ。そのうちに「滅びた(?)名族」シリーズで取り上げる予定ですので。いったいいつになるかわかりませんが(^^;)

> 本としては、「石田三成とその一族」(白川 亨著)という本が新人物往来社か
>ら出ています。
 こちらは持っております(^^;) 白川さんは津軽杉山家のご縁者ですからね。あと、
『石田三成と津軽の末裔 「極楽寺系図」の探索から解き明かされた真実』(北の街社、
佐賀郁朗)という本もあります。こちらの佐賀さんも杉山家とつながりがあるようです。

> KUBOさんは、SHUNさんとか白川隼人さんとかとniftyで話したことありましたっけ(^^;;
 SHUNさんは東京に行った時に城狂四郎さんと一緒にお会いしたことがあります。で
もほとんど話できなかったけど(^^;) 白川隼人さんはお名前は見かけたことあります
けど、お話ししたことはないですね。


[693] Re[691]:RE: 石田三成の家系 投稿者:HAZU 投稿日:2002/06/29(Sat) 23:21 

ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク さん

横からすみません

>>既に御存知かと思いますが、三成の子孫は津軽にいるらしく、其れより凄いのは_『歴史群像シリーズ・石田三成』に書かれた事なんですが_宿敵徳川家康の家系に三成の子孫の血が入った事です。これには驚きました。

 津軽の杉山氏ですね(^_^;
 その前に、津軽藩三代藩主自体が三成の子孫ということになりますけどね(^^;;

 三成の次女(岡半兵衛妻)から尾張家に至る血の流れですね。

 なお、石田三成のことを扱っているHPには次のものがあります。
 石田三成のホームページ(http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/
  作者は『歴史群像シリーズ・石田三成』の執筆者の一人です。
 本としては、「石田三成とその一族」(白川 亨著)という本が新人物往来社から出ています。
 KUBOさんは、SHUNさんとか白川隼人さんとかとniftyで話したことありましたっけ(^^;;

                 筈衛from fukushima city


[692] Re:石田三成の家系 投稿者:びわこ 投稿日:2002/06/29(Sat) 22:36 

KUBOさん、こんにちは。
ご無沙汰してます。

なんか、久しぶりに覗いて見ましたら、[691] 石田三成の家系 ・・・こんな書き込みが・・・。
私、三成さまに呼ばれたかと思ってしまいました。(^^)

>ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチクさん、はじめまして、こんにちは。 三成会のびわこです。(っても、何者やぁぁですよね・・・)

>因みに為久が倒した義仲の四天王の一人樋口兼光の子孫が直江兼続で、三成と兼続が親しかったと考えると、不思議な気がします。

へぇぇ、そうなんですか・・・。(ふむふむ)

>宿敵徳川家康の家系に三成の子孫の血が入った事です。

戦国武将の家系図って、面白いですよね。思わぬ発見もあったりして・・・(^^)


[691] 石田三成の家系 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/29(Sat) 12:46 

>KUBO様
宝賀先生の所へ送信してみました。

関ヶ原で敗れた石田三成の家系は木曾義仲を討ち取った相模三浦党の石田為久の子孫だと言われています。三成の出身地は為久の領地だったらしく、可能性はあります。因みに為久が倒した義仲の四天王の一人樋口兼光の子孫が直江兼続で、三成と兼続が親しかったと考えると、不思議な気がします。

既に御存知かと思いますが、三成の子孫は津軽にいるらしく、其れより凄いのは_『歴史群像シリーズ・石田三成』に書かれた事なんですが_宿敵徳川家康の家系に三成の子孫の血が入った事です。これには驚きました。


[690] コレクト倶楽部GET! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/28(Fri) 22:44 

 すんません、また食玩の話題です(^^;) WTMをコンプリートして、これでしばら
くこの手のものは買うのをやめようと思っていたら、今日の帰り、近所の7・11に行っ
たら某所で話題になっていたコレクト倶楽部・古代文明編が売っているのを見つけて
しまったため、つい2つ買ってしまいました(^^;)
 当たったのは、兵馬俑と牛頭のリュトンでした。う~ん、またしばらくはまってし
まいそうな予感が... ちなみに今度はWTMよりも種類が多く、24+αもあるそうで
す(^^;) 個人的にはツタンカーメン王の黄金のマスクがちょっと楽しみだったりして
(^^;)

>美唄の住人さん

>  ご教示を有り難うございました。今度、道立図書館に行って調べてみます。
 あ、ちなみに北海道チャシ学会作成の「北海道に於けるチャシ跡遺跡一覧表」は
『北海道チャシ学会研究報告 No.5』に収録されています。

>  新十津川の里見峠に先週、行ったのですが、笹が生い茂り、進めませんでした。
> やはり、調査は春か秋ですね。
 そうですね。5月に道東のチャシを巡ってきましたが、3年前の夏に行った時には
草が茂っていて見れなかったところが、ほとんど見れました。

>  浦臼町文化財保存会は、今年度にチャシの標識を新設する予定らしいです。
 そうですか。あの木に文字を刻み込んだ標柱もなかなか味があって好きなのですが、
だいぶん痛んできてますからね。晩生内2号チャシの標柱なんて傾いてきてたし。

>たくちゃさん
 はじめまして。小6ですか、総合学習の課題か何かで調べてるんですか? ちょっ
と修学旅行の歴史に関するページはあまりありませんでしたが、Googleで検索したら、
こんなページがヒットしました。

 http://www.yomiuri.co.jp/junior/articles/990228-2.htm

 このページを見ると、1886年(明治19)年に東京師範学校(現在の筑波大学)がはじめ
て修学旅行を行ったこと、今はグループ活動をすることが多くなりましたが、むかし
は団体行動をまなぶという目的もあったこと、最近は見学することよりもレジャーの
面が強くなったことなどが書かれていました。
 こんなことで参考になるかどうかわかりませんがごらんになってみて下さい。

>ひづめさん

>  6月17日に函館市内の汐泊チャシへ行ったときのこと、地元の人に登り口は教
> えてもらって藪を掻き分けながら斜面を登り始めたのですが、数十メートル登った
> ところで熊さんの寝床と周辺にたくさんのウンコを目にしてしまい急激に気持ちが
> 萎えてしまいました。
 おお、汐泊チャシに登られたんですか。でも確かにその状況じゃあ退散したくなる
のもわかります(^^;) 私もきっと退散していたかも。

> 一人歩きが多いKUBOさんのヒグマ対策方法を教えてください。
 え~、はっきり言ってないです(^^;) ヒグマに対しての対策はしたことないです。
まあ、ヒグマが出そうなところもそんなに行ってないし... と思っているのは自分だ
けで、実はかなり危険なことを今までしてきたのかもしれませんけど(^^;)
 5月の道東遠征では標津のポー川史跡公園でヒグマについてちょっと脅されました
けどね(^^;) 先日、旭川周辺を案内して下さった菅原さんはクマ対策の鈴を持ち歩い
ていましたが、私もそうした方が良いかもしれないと反省しました(^^;)


[689] KUBOさんのヒグマ対策は? 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/28(Fri) 12:29 

KUBOさん、こんにちは。

 6月17日に函館市内の汐泊チャシへ行ったときのこと、地元の人に登り口は教えてもらって藪を掻き分けながら斜面を登り始めたのですが、数十メートル登ったところで熊さんの寝床と周辺にたくさんのウンコを目にしてしまい急激に気持ちが萎えてしまいました。頂上まであとわずかなので、嫁さんには『見えている範囲には熊はいないのだから行きなさいよ』と後ろから突っつかれたのですが、退散してしまいました。

 ヒグマは「昼間はどこかへ行っている」とか「声がすればわざわざ寄っては来ない」とか聞きますが、習性とかよくわからないのでやっぱり怖いです。大勢で行けば安心ですが我が『函館お散歩団』は団員2名の弱小構成、一人歩きが多いKUBOさんのヒグマ対策方法を教えてください。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[688] 教えて下さい 投稿者:たくちゃ 投稿日:2002/06/28(Fri) 11:57 

私は修学旅行を調べてます。(小6です)特に、「修学旅行の歴史」
です。もしそういうページが見つかったら、教えて下さい。
m(_ _)m


[687] チャシについて 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/06/26(Wed) 08:41 

 ご教示を有り難うございました。今度、道立図書館に行って調べてみます。

 新十津川の里見峠に先週、行ったのですが、笹が生い茂り、進めませんでした。やはり、調査は春か秋ですね。

>浦臼町の郷土資料館ではチャシの写真が展示してありましたけど。

 浦臼町文化財保存会は、今年度にチャシの標識を新設する予定らしいです。


[686] やっと更新終了... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/25(Tue) 23:22 

 やっと5月の道東遠征と深川旭川遠征の分の更進が終わりました。あ~疲れた。道
東の国指定史跡のチャシ、オタフンベチャシ・モシリヤチャシ・桂ヶ岡チャシ・ユク
エピラチャシの壁紙もアップロードしましたので、ご覧になってみて下さい(^^)

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
> もしかして三浦氏のことですか?三浦氏は古代氏族『御浦氏』の子孫という説があ
> るのを聞いた事がありますが・・・。
 宝賀先生からのメールにはそこまで書かれていなかったので詳しくはわかりません
が... 宝賀先生の関連サイト『古樹記之房間』がうちのリンク集にありますので、そ
ちらで聞いた方が確かだと思います。

>YUKIさん
> 「日本の古本屋」で検索した所、3600円だったので買ってしまいました。
 え"... 私、その?倍で買ったんですけど(北大前のN書店で...) しもうた~(T_T)
えらく高かったんで、買う時はかなり悩んだのに~(--;)

>美唄の住人さん
 ご無沙汰しております(^^)

> 新十津川のポンチャシについての記載がこのホームページにありますが、どのよう
> な文献に出ているか教えていただけるとありがたいのですが。
 えっと、『日本城郭大系1』の北海道編の巻末に本文に載っていない陣屋・台場・
チャシが一覧表になって載っているんですが、新十津川のポンチャシは本文じゃなく
その一覧表の方に載っていたと思います。説明は1~2行くらいでしたが(^^;)
 あと『北海道のチャシ』(北海道教育委員会、1983発行)も一覧表形式ですが、「徳
富川左岸、里見峠と呼ばれる丘陵舌端部」「道路による破壊のため遺構は不明」と書
かれています。
 またチャシ学会作成の「チャシ跡遺跡一覧表」には壕が「弧状1」、「道路で一部
破壊」と書かれています。

>  新十津川の町史にも出ていなくて困っていました。地元では、チャシにあまり興
> 味がないようです。とても残念です。
 町史にも出てないんですか。そういえば、新十津川の開拓記念館に行ったことがあ
りますが、町内の遺跡の場所を立体模型で示したものにチャシの場所が出ていたくら
いで、あとは何もなかったように記憶してます。浦臼町の郷土資料館ではチャシの写
真が展示してありましたけど。

>コンスタンティノープルからの使者さん

> まずは60000ヒットおめでとうございます。
 どうもありがとうございます(^^)

> 長野方面にドライブに行ったついでに臼田町にあるもうひとつの五稜郭・龍岡城跡
> に行ってきました。
 おお龍岡城に行かれたんですか! あそこにいつか行ってみたところの一つなんで
すけどねえ。去年の夏に長野遠征の計画を立てたんですが、計画たてるのが遅くてフ
ェリーがうまくとれなかったので、結局南東北遠征に変えてしまったんですけど...
 その時も龍岡城は計画に入れてたんですよ。あとは上田城・松本城・松代城・高島
城の再訪、小諸城・高遠城等も訪城を計画してたんですけどねえ。いつ行けるかなあ?

> ところで前から、なんで五稜郭スタイルの城が長野の山地にあるのか気になってい
> たのですが、三河と信濃に領地があった三河松平氏(っていっても何流?)が、幕
> 末にわざわざ三河からあそこに築城して移ったんですね。あの時期に、築城して山
> 奥に移ろうと考えた時点で只者ではない、と思ってしまいました。
 大給松平の庶流ですね。確か、龍岡城をたてたのは松平乗謨じゃなかったですかね?
幕末に老中を務めた人物だったと記憶していますが、詳しくは資料が段ボール箱の中
なのでわかりません(^^;)


[685] 龍岡城 投稿者:コンスタンティノープルからの使者 投稿日:2002/06/23(Sun) 23:02 

まずは60000ヒットおめでとうございます。
今後の更なるご発展をお祈り申し上げます。

私の扱う領域(ビザンティン帝国)からは全然外れた話なのですが、長野方面にドライブに行ったついでに臼田町にあるもうひとつの五稜郭・龍岡城跡に行ってきました。五角形の形はそのまま残ってましたけど(南側の堀は無くなってました)、中がそのまんま小学校になってたんですね。城跡が学校に転用されてる例は他にもありますけど、外の五角形だけ残してあるのでなんか妙な感じでした。城の周りも普通の農村の集落だし(理由はすぐに分かりましたが)、素人目には何か妙な城跡に見えました。ところで前から、なんで五稜郭スタイルの城が長野の山地にあるのか気になっていたのですが、三河と信濃に領地があった三河松平氏(っていっても何流?)が、幕末にわざわざ三河からあそこに築城して移ったんですね。あの時期に、築城して山奥に移ろうと考えた時点で只者ではない、と思ってしまいました。

城郭素人が割り込んでしまってすみません。では。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9837/index.html


[684] 新十津川のチャシ 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/06/22(Sat) 20:28 

 お久しぶりです。
新十津川のポンチャシについての記載がこのホームページにありますが、どのような文献に出ているか教えていただけるとありがたいのですが。
 
 新十津川の町史にも出ていなくて困っていました。地元では、チャシにあまり興味がないようです。とても残念です。


[683] 「家康の族葉」ゲット 投稿者:YUKI 投稿日:2002/06/20(Thu) 19:19 

「日本の古本屋」で検索した所、3600円だったので買ってしまいました。早速今晩から読み始めます。


[682] もしかして三浦氏? 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/20(Thu) 00:08 

>KUBO様
>宝賀先生によると坂東八平氏はみな桓武平氏ではないし
もしかして三浦氏のことですか?三浦氏は古代氏族『御浦氏』の子孫という説があるのを聞いた事がありますが・・・。


[681] いいものGET! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/19(Wed) 23:23 

 今日は二つもいいものを手に入れてうれしいです(^^)
 その1。先日、采女系蠣崎家の末裔の御縁者からメールがあり、采女系蠣崎家の
系図(題名「蠣崎清広家系」)のコピーをいただきました(^^) 蠣崎諸家に関してはな
かなか史料がありませんでしたので、ありがたいことです。すぐにとはいきませんが、
近日中にこの資料をもとに更新させて頂きます。問題は史料が崩し字で書かれている
ので解読せにゃあいかんことです(T_T) また「くずし字辞典」見ながら解読せねば...

 その2。先日話題にした「World Tank Museum」ですが、検索したらなんとトレー
ド掲示板があるんですね。そこで書き込んだら早速トレード希望の方からメールが来
まして、残り3つを手に入れることができました(^^) これで、シークレットアイテ
ムをふくめ19種コンプリートしました(^^) さっそくクリアケースに飾って楽しんで
おります(^^;) 最近はTMに飽きたらず、ハイパーガンダム復刻版にまで手を伸ばし
てしまいまして...(をい(^^;))

 しかし、この2つの落差はなんじゃろ(^^;)

>ひづめさん

>  北海道・東北史研究会「函館シンポジウムII」のお知らせありがとうございます。
> 28日は上ノ国の我らが松田先生が講演されるのですね。残念ながら27,28日
> は仕事なので私は出られませんが、いつものように嫁さんを派遣することにします。
> でも29日の巡検にはぜひ参加したいと思います。また、終わりましたら報告します。
 私も是非参加したいところなのですが、諸事情により参加できそうにありません(T_T)
奥さんに私の分まで聞いてきて下さるようお伝え下さい(^^;)


[680] 「函館シンポジウムII」、参加したいです 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/19(Wed) 18:10 

KUBOさん、こんにちは、函館のひづめです。

 北海道・東北史研究会「函館シンポジウムII」のお知らせありがとうございます。28日は上ノ国の我らが松田先生が講演されるのですね。残念ながら27,28日は仕事なので私は出られませんが、いつものように嫁さんを派遣することにします。でも29日の巡検にはぜひ参加したいと思います。また、終わりましたら報告します。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[679] 6万hit御礼!! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/18(Tue) 23:38 

>みなさま
 おかげさまをもちまして、当サイトも6万ヒットを突破することができました。こ
んなマイナーなネタばかりのサイトにこんなにも足を運んで頂きありがとうございま
す。(6万hitをGETされた方はお知らせ下さいね~(^^))
 お礼をかねまして、何かおみやげを...とは思いますが、まだ先月の道東遠征&旭
川方面チャシ巡りの分の更進がすんでいませんし、公私ともに忙しくなって参りまし
たので、その他の更進がいつになるか皆目見当がつきません(^^;)
 「滅びた(?)名族シリーズの続きを!」なんていう要望もあるんですが、なかなか
手が回らない状態です。(だいたい未だに奥の部屋においてある各種資料が入ってい
る段ボールの片づけが終わってませんし...(^^;)) 申し訳ありませんが、気長にお待
ち下さい(をい(^^;))

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん

> 話はがらりと変わりますが、独眼竜伊達政宗を出した陸奥の伊達氏は一般に藤原氏
> 出身だと言われていますが、実は桓武平氏出身だという説があるのです。

 ええ、そういう話は聞いたことがあります。確かに伊佐氏のことを考えると平姓だ
ったというのも頷けるところです。平姓を捨てて藤姓を名乗ったかですか... 伊達氏
は室町後期になると「奥州探題」大崎氏の権威に対抗する意味合いもあって、それま
で置かれたことのなかった「陸奥守護職」に就き、みずからの権威を高めていきまし
たが、それと同じ文脈で考えられるかもしれません。そのためには平姓では無理だし、
かといって大崎氏と同じ源氏では対等になってしまうので、奥州藤原氏縁の藤原氏を
名乗ったとも考えられます。まあ、伊達氏がいつごろから藤原氏を名乗っていたのか
を調べたわけでもありませんし、これはあくまでも私の推論といいますか、思いつき
にすぎませんけどね(^^;)
 ちなみに、伊達氏に限らず、本来言われていたその出身家系がかなり怪しいという
ことが言われてきているものがいろいろとあります。最近、宝賀寿男先生がその辺を
研究されていますが、宝賀先生によると板東八平氏はみな桓武平氏ではないし、伊達
氏だけでなく上杉氏も藤原氏ではないそうです。阿波の三好氏・信濃の村上・井上氏
も清和源氏ではないとのこと。ちょっとビックリしました(^^;)

> 薩摩系渋谷氏の系図はもちろんのこと武蔵系渋谷氏も知りたいです。
 薩摩藩士になった渋谷氏系の一族の系図は『薩陽武鑑』や『さつまの姓氏』に載っ
ているかもしれません。(まだ段ボールの中なので確認できず(^^;))
 他についてもちょっと今はわからないです。

>筈衛さん
 いつもフォローありがとうございます(^^) #677の渋谷氏・河越氏・髙山氏・小沢
氏についてもフォローお願いしてもいい?(をい(^^;))

>ぴえーるさん
 ご無沙汰しています。加藤百助ですか。自分で載せておいて全然忘れていた、とい
うか気づいていませんでした(^^;) 前に加藤清正の子孫を調べたことがありました
けど、この百助に関してはノーマークでした。なるほどねえ、そんな人物がいたん
だ~。こちらこそ、教えて頂いてありがとうございました。


[678] 謎はすべて解けた! 投稿者:ぴえーる 投稿日:2002/06/17(Mon) 21:07 

どうもお久しぶりです。名古屋で史料漁りまくりのぴえーるです。
たまたま加藤清正関係で検索していたら、
こちらの交代寄合シリーズの山崎家が引っかかりまして、
そこで山崎家盛の弟に加藤清正養子の百助を見つけまして、
清正の宇土城攻めのとき先手一番備之頭・加藤百助というのは
きっとこの人物なのだろうと数年来の謎が解けました。
嫡子の虎熊が亡くなったので妻の縁で百助を養子に迎え、
その後男子が二人生まれたので実家に返されたのだろうと推測しつつ
書き込みを終えたいと思います。ではでは。


[677] 秩父党 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/16(Sun) 02:38 

>hazu様
資料の情報の提供有難うございました。秩父党の分流は同族の三浦党や千葉党に比べて極端に少ないと思っていたのですが、よくよく調べると結構いるんですね。今の所私が入手したい秩父党の分流は次の連中です。

>渋谷氏
薩摩系渋谷氏の系図はもちろんのこと武蔵系渋谷氏も知りたいです。しかし、最も知りたいのは『陸奥渋谷党』です。『党』という名がつくほどですからかなりの大族だったと思います。

>河越氏
平一揆後の系図を。何でも豊後に移住したとか・・・。

>高山党
最も謎なのがこいつです。上野で栄え、新田義貞に仕えたようなのですが詳細な系図を1度も見た事がありません。かなりの大族だったと思います。

>小沢氏
稲毛重成の子孫で『平姓小沢氏家譜』という系図があるようなのです。是非1度見てみたいです。


[676] これも書いておこう(^^;; 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/15(Sat) 19:54 

 これも書いておこう(^_^;

 続群書類従に千葉上総系図というものがあり、千葉氏、上総氏のほか渋谷氏、畠山氏、河越氏、江戸氏などの武基の系統の子孫も載っているようです。

筈衛


[675] 浄法寺氏 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/15(Sat) 19:38 

>> そうですねえ、その辺の家系は私もあまり調べたことがないのでいまは何ともコメ
>>ントしようがありませんが、畠山流浄法寺氏については以前ちょっとした引っかかり
>>があって調べたことがあります。ねえ、筈衛さん(^^) (とイキナリ人を呼び出すヤツ
>>(^^;))

 そうでしたね(^^;;
 浄法寺氏については、『岩手県史』、『南部藩参考諸家系図』等で調べるといいでしょう。

 そういえば、埼玉叢書第4に、武蔵七黨系図、秩父家系彦久保氏系図が載っていました。

筈衛


[674] 有難うございます 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/15(Sat) 08:55 

>KUBO様
浄法寺氏の系図有難うございました。浄法寺氏の系図は見たかったんですが、なかなか見つける事ができなくて半ば諦めかけていたので嬉しさは100倍です。
話はがらりと変わりますが、独眼竜伊達政宗を出した陸奥の伊達氏は一般に藤原氏出身だと言われていますが、実は桓武平氏出身だという説があるのです。すなわち伊達氏の前身は伊佐氏で其の根拠地は常陸の国の伊佐荘だったのですが、其処では常陸平氏の一族の平為賢が伊佐の姓を名乗り彼の子孫が栄えているようなので伊達氏は其の系統だというのです。実は系図を見ると初代朝宗の子の名前には伊佐為賢と同じ『為』が付いている連中が沢山いるのです。当時の武家には通字がつく習慣がありますので可能性が十分ありますが、そうなると何故伊達氏が平姓を捨てて藤姓を名乗ったのかが最大の疑問になりますが・・・。


[673] 浄法寺氏の系図 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/15(Sat) 00:34 

 では、「或る氏族の変転の歴史」に載っていた系図を以下に載せます。ちなみに以
前筈衛さんに教えていただいた情報によりますと、「岩手県史」の第2巻・第3巻に
これと同じ系図が載っているそうです。また第3巻には太田氏・松岡氏の系図も載っ
ているそうです。

畠山庄司重能―+―重光       +―重保
       |  太郎      |  太郎
       |  九州薩摩に下向す|  中根氏の祖
       |  伊地知氏の祖  |
       +―重忠―――――――+―重秀
       |  次郎      |  小次郎
       +―重清       |  篠塚氏、片山氏の祖
       |  長野三郎    +―女子
       |  信州住人    |  島津忠久の妻
       +―重宗       +―重慶――――――+―重基―――――+
          六郞         大夫阿闍梨  |  浄法寺太郎 |
          奥州に住す             +―重秀     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重親――+―重仲     +―重興―――――重治―――――忠弘――――+
|  小太郎|  孫太郎   |  参次郎           久治郎  |
+―基吉  +―重武―――――+―忠明                  |
|        太治郎   |                     |
+―友親     兄の跡を継ぐ+―女子                  |
|              |  義氏妻                |
+―女子           +―女子                  |
                  元利妻                |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重久―――+―家重――――+―重友
|  帯刀  |  左近大夫 |  修理亮
+―女子   +―久時    +―重良
|  鹿角氏妻|  寺田源四郎|  左京亮
+―女子   +―久光    +―忠朝
|  常道妻 |  田山藤十郞|  三十郞
+―女子   +―女子    +―重恒―――――――――+―重頼―――――+
   吉行妻    吉田氏妻 |  帯刀        |  右近大夫  |
               |  重友以下兄弟四人、 +―恒光     |
               |  相次いで家督を相続す   松岡覚助  |
               +―女子                  |
               |  時光妻                |
               +―女子                  |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重時――――――重氏―――重持――+―重通――+―重祐――――重光――+
|  修理亮     左京亮  修理亮|  帯刀 |  左近大夫  帯刀 |
+―時秀               +―女子  +―忠易        |
|  松岡藤左衛門             久吉妻   寺田市兵衛    |
+―女子                                 |
|                                    |
+―女子                                 |
                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重郷―――重國――+―重時―――――+―重房――――+―重利―――――+
   修理亮  帯刀 |  右近大夫  |  帯刀   |  修理亮   |
           +―忠郷     |  妻は九戸氏+―女子     |
              寺田八左衛門+―宗興       毛馬内靱負佐|
                    |  松岡覚左衛門  信次妻   |
                    +―女子             |
                       四戸甚四郎義武妻      |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重実―――+―重則―――――――重興
|  帯刀  |  左京       佐太郎
+―利宗   |  妻は北信愛の妹  比内に住す
   田山内蔵+―兼高
       |  兵部
       +―重政―――――+―重安――――+―重好
          修理    |  帯刀   |  修理
                +―女子    +―正吉
                   月館氏妻 |  松岡藤右衛門
                        +―忠賀
                           松岡市兵衛


[672] 勝ちましたねえ~ 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/15(Sat) 00:14 

↑チュニジアに...(^^) 今日は職場でテレビ見てました(^^;) といっても、勤務時間
は4時少し前で終わりなので、見てたのは勤務時間外でしたけど(^^;) 日本が勝った
のを見届けてから退勤しました(をい(^^;)) 今日は家で試合を見るために、いつもよ
り早く退勤する人が多かったです。ベルギー戦は見るの忘れてたし、ロシア戦は見て
たんですけど、パソコンやりながらだったのでふと気がついたら終わってたという始
末でしたが、今回はマジメに見てました(をい(^^;))

 で、そのあと例のWorld Tank Museum探索の旅に出ました(^^;) 数日前までは某コ
ンビニに山積みになっていたのが、一昨日あたりから姿を見かけなくなってきたので、
あわてて昨日は市内の店を回ったんですが確保できたのが5箱で、コンプリートまで
まだ3種残ってしまいました。それで、今日は札幌まで足をのばして厚別区・白石区
あたりを絨毯爆撃しましたが、結局まだ置いてあった店は1つだけで、結局残り3つ
のうち1つも確保できませんでした(T_T)
 どうも私は本に限らずコレクトすることに燃えるたちみたいです(^^;)

>ひづめさん

> す。昨年よりもさらに散策路の整備が進んだのは良いのかもしれませんが、搦手の
> 土橋がコンクリートになってしまっていてびっくり、がっかり、といったところ。
 う~ん、そうですか。でも一度確かめなくては...

>  今が最高です。わたしのページにアップしておきましたが、草刈り直後のため今
> ならば見ようと思えば全部見られますよ。
 FSIROのタマジーさんが7日(金)に行ったそうですけど、その時は一番下の郭まで
は行けたけど、その先はちょっと躊躇するものがあったとおっしゃってましたから、
土日に草刈りしたんですかね。ああ、行きたいなあ... でも今週と来週の週末は用事
があるので...

 ところで、今日北海道・東北史研究会の函館シンポジウム(7/27~7/29)の案内が届
いたんですが、2日目(28日)にM先生が「遺構・遺物から見る館とチャシ」というテ
ーマで研究報告をするようです。詳しくはあとでうちのニュースのコーナーで紹介し
ようとおもいますが、こりゃあ行かなくちゃいけないですかね(^^;)

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
 はじめまして。大鴉さんのところの掲示板でのご活躍はROMさせていただいてお
ります(^^)

> 私は系図が大好きで、特に桓武平氏に興味があります。いつか『桓武平氏の全家系』
> というホームページを作ろうと思っています。
 『清和源氏の…』は奥富敬之先生が書かれてましたっけねえ。(持ってますけど)
私も中学生の頃清和源氏の系図に関してまとめようとしたことがあります。いま考え
てみればえらく不十分なものでしたし、未完で終わっちゃいましたけど(^^;)

> 前者には浄法寺氏、高山氏、河越氏、後者には白井、総社、足利といった分家が沢
> 山ありますが、群書類従、系図算要等には詳しく載っていないのです。これらの系
> 図の詳細な資料を手にいれるのにはどうしたらよいのでしょうか?
 そうですねえ、その辺の家系は私もあまり調べたことがないのでいまは何ともコメ
ントしようがありませんが、畠山流浄法寺氏については以前ちょっとした引っかかり
があって調べたことがあります。ねえ、筈衛さん(^^) (とイキナリ人を呼び出すヤツ
(^^;))

 浄法寺氏に関しては武田光弘氏による「或る氏族の変転の歴史」という論文(『姓
氏と家紋 第35号』<昭和55年8月発行>所載)があります。その論文によると、浄法
寺氏は畠山重忠の三男大夫阿闍梨重慶の子孫で、その系図は「九戸戦史」に収録され
ていて、「岩手県史」にも引用されているそうです。
 浄法寺氏は南部氏に追われて没落しましたが、その一族である松岡・太田・吉田・
駒嶺・大森らは南部藩士となり、『南部藩参考諸家系図』にその系図が載っておりま
す。
 『南部藩参考諸家系図』の方は膨大ですので、ちょっと置いておきまして「或る氏
族の変転の歴史」に載っている浄法寺氏の系図は別発言でご紹介します。

>YUKIさん

> 「徳川将軍家血族総覧」は持っているので歴代など大まかなところはわかるのですが・・・。
 おやお持ちでしたか。それは失礼しました(^^;)

> 「寛政譜」は個人ではなかなか厳しいですね。ほしい部分だけコピーでも高いかも。
> KUBOさんの蔵書一覧を見ていると相当かかったのでしょうね。
 あはは...(^^;) 私も『寛政譜』を買う時はかなり迷いましたよ。でもその値段分
くらいは活用してるから買ってよかったんでしょうね。まあでも、これほど系図関係
の文献を集めている人間はそうそういないと自負(というより自己満足?)してます(^^;)


[671] ありがとうございました 投稿者:YUKI 投稿日:2002/06/13(Thu) 21:00 

「徳川将軍家血族総覧」は持っているので歴代など大まかなところはわかるのですが・・・。「寛政譜」は個人ではなかなか厳しいですね。ほしい部分だけコピーでも高いかも。KUBOさんの蔵書一覧を見ていると相当かかったのでしょうね。


[670] 資料の入手 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/13(Thu) 00:16 

初めまして
私は系図が大好きで、特に桓武平氏に興味があります。いつか『桓武平氏の全家系』というホームページを作ろうと思っています。桓武平氏で一番興味があるのは秩父党と長尾氏です。 前者には浄法寺氏、高山氏、河越氏、後者には白井、総社、足利といった分家が沢山ありますが、群書類従、系図算要等には詳しく載っていないのです。これらの系図の詳細な資料を手にいれるのにはどうしたらよいのでしょうか?


[669] 花沢館、今が旬! 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/11(Tue) 17:43 

KUBOさん、こんにちは。

 さっそく昨日上ノ国へ行って来ました。とりあえず勝山館へ行けばM先生に会えるだろうし、会えなければ電話してみようと思って今年もアポなしにしました。予想通り南の駐車場下の墳墓群を掘っていました。来週の「夷王山まつり」に備えて草刈りも急ピッチです。昨年よりもさらに散策路の整備が進んだのは良いのかもしれませんが、搦手の土橋がコンクリートになってしまっていてびっくり、がっかり、といったところ。複雑な心境です。この写真はアップしたくない気分です。

> 今年こそは花沢館を登りたいと思っているのですが、夏じゃあ藪が深いでしょうねえ。

 今が最高です。わたしのページにアップしておきましたが、草刈り直後のため今ならば見ようと思えば全部見られますよ。草刈りは隔年と聞いているのでお時間があれば即行くことをお勧めします。昨年M先生に案内してもらったときはものすごい藪でしたが、そこが遮るもの無く見渡せるのですから、なんかあの藪漕ぎが夢だったかのような不思議な気分でした。

 それにしてもどちらもものすごく広大な範囲を草刈りしていただいてあり、私たちだけで楽しんでしまうのでは申し訳ない気持ちです。KUBOさんに限らず、上ノ国へ行くことのできる方はぜひ花沢館や勝山館を歩いてみてください。

 6月いっぱいは勝山館南駐車場すぐ下の墳墓群内でM先生が発掘調査されていますから、おもしろいお話を聞けると思いますよ。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[668] また一週間ほど... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/10(Mon) 20:34 

↑空いちゃいましたねえ(^^;) でもなんか今日はネタがたくさんあって...(^^;)

 では、ネタその1。きょう家に帰ったら、郵便受けに封筒が入っていたので何かな
と思ったら...ソフトバンクからの郵便でした。アレなんだ?と思いましたが、その
うちに「そういえば、4月の末頃にうちのサイトのお城壁紙をDVD-ROMに収録させて
ほしい」というメールが来ていたことを思いました。
 封を開けてみたらやはりその見本誌でした。どこか隅っこにちょこっと載るのかな
と思ったら、なんと表紙の一隅に会津若松城の写真とともに「KUBOの家系城郭研究所」
の文字が...(^^;) 壁紙のコーナーでも他のサイトを押さえてトップに掲げていただ
きまして二度ビックリです(◎-◎) というわけで、ありがとうございますです>ソフ
トバンク様(こんなところでお礼いうんじゃないってば(^^;))
 ということで、もしよろしければ現在発売中の「PCLife+DVD 7月号」をご
覧になってみて下さい。

 ネタその2。4月の末からかかっていたメインデスクトップPCのパワーアップが
やっとこの前終わりました。Windowsの再インストールなんてのもありまして、時間
がかかっていましたが、これで、P3 500Mhz+128MBからP4 1.6Ghz+512MBにパワーアッ
プしまして、ついでにWin XPとMeのデュアルブートにしました。これでまた3年くら
いは使えるかなあ?

 ネタその3。最近よくコンビニなどでいわゆる玩具菓子というヤツを見かけますよ
ね? 私の子どもの頃には、よくオマケ付きのお菓子(以前話題にしたタイムスリップ
グリコもこのタイプ)というのが売ってましたけど、最近は逆でお菓子がオマケのよう
についているフィギュア等が売っているんですねえ。
 それで最近、近所の某コンビニで売っている「WORLD TANK MUSEUM」というシリー
ズにはまっていまして、ついつい買ってしまいます(^^;) 全18種のうち7種は集めた
んですが、「M4A1/76シャーマン戦車・単色迷走」はだぶってしまいまして、3台も
あります(^^;) そのうちに戦車部隊ができてしまうかも(^^;)

>島公方さん
> ところで、山形県朝日町で長岡氏という豪族がいたようなのですが
> 祖先その他、謎のままです。どなたかご存知の方
> いらっしゃいたら是非教えてください。
 相変わらず、系図関係資料が段ボールの中ですので、お答えのしようがありません
(^^;) もう少々お待ち下さい...って1年くらいかかったりして(をい(^^;))

>ひづめさん
 いよいよ『函館お散歩団』始動ですねえ。ようこそ北海道にいらっしゃいました(^^)

>  KUBOさんは、今年の夏は道南への予定はありますか?北海道
> の貴重な夏に函館ばかりへ来ていたら他を回れないでしょうけ
> ど。
 行きたいのは山々ですが、諸事情がありましてまだ何ともいえません(^^;) またご
一緒したいですね。

>  今年の『函館お散歩団』の予定はまだあまり考えていないの
> ですが、とりあえず上ノ国勝山館をメインに「道南十二館」+
> αを再訪しながら過ごそうかと思っています。
 今年こそは花沢館を登りたいと思っているのですが、夏じゃあ藪が深いでしょうね
え。

>木村信行さん
 はじめまして。当サイトにおいでいただきありがとうございます。ところで木村さ
んのサイトのURLが正しく表示されていないようですが...

>YUKIさん
 はじめまして。ようこそいらっしゃいました(^^)

> 今日、「三河松平一族」(平野明夫著新人物往来社)を買いました。それで次は
> 「家康の族葉」を買おうかなと思っています。ところで18松平の歴史や系図を知
> るにはどのような本がいいですかね?「徳川諸家系譜」とかはどうでしょう?
 『三河松平一族』を購入されたんですか。私もチェックはしておいたんですが、ま
だ購入していません。そろそろ注文しようかな?
 『家康の族葉』ですが、十八松平の諸家についてはなかなか詳しく書かれています
ので、一読されてもよいかと思います。ただし、私が買ったのは古い版のようで、古
本屋で買ったんですが、結構高かったような記憶があります。最近、新しい版が出た
ような話も聞きましたが、どうなのかなあ?
 それから『徳川諸家系譜』は将軍家・御三家・御三卿・連枝(御三家の分家)などの
系譜で十八松平の諸家の系譜は出ていなかったはずです。十八松平の諸家の系譜をみ
たいなら『寛政重修諸家譜』をご覧になったほうがよいでしょう。
 それから『徳川将軍家血族総覧』『徳川御三家・御一門のすべて』『徳川一族 将
軍家への挑戦』(以上、別冊歴史読本)、『徳川十五代と一族の系譜』(歴史と旅臨時増
刊)などの雑誌の別冊・臨時増刊などもご覧になるといいでしょう。ただし、中には
かなり古いものもありますので図書館・古本屋などにしかないものもあると思います
し、十八松平に関しては載っていなかったものもあったと思いますが。

 ああ、長くなってしまった...


[667] はじめまして 投稿者:YUKI 投稿日:2002/06/10(Mon) 00:11 

こちらのホームページは以前から見させてもらっていたのですが、書き込みは今回が初めてです。
今日、「三河松平一族」(平野明夫著新人物往来社)を買いました。それで次は「家康の族葉」を買おうかなと思っています。ところで18松平の歴史や系図を知るにはどのような本がいいですかね?「徳川諸家系譜」とかはどうでしょう?


[666] ご挨拶 投稿者:木村信行 投稿日:2002/06/07(Fri) 11:09 

ホームページを見て感心しました。今は何でもパソコンの時代で御自分の研究内容をいや実に細かくやっていてまずは感心しています。ぜひ私のほームページも見てください。そしてぜひ購入を検討して御自分の研究内容と比べてください。

http://www.tokyo/


[665] 明日、上陸いたします 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/06(Thu) 21:10 

KUBOさん、こんにちは。

 ご無沙汰です。

 『函館お散歩団』、明日函館へ入港予定です。昨年のKUBOさ
んとのように、北の大地で今年もまたすばらしい出会いがある
ことを楽しみにしています。

 KUBOさんは、今年の夏は道南への予定はありますか?北海道
の貴重な夏に函館ばかりへ来ていたら他を回れないでしょうけ
ど。

 今年の『函館お散歩団』の予定はまだあまり考えていないの
ですが、とりあえず上ノ国勝山館をメインに「道南十二館」+
αを再訪しながら過ごそうかと思っています。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[664] 山形といえば・・。 投稿者:島公方 投稿日:2002/06/05(Wed) 09:53 

>hazuさん
そういえば、片倉氏は高畠という説もあるようですね。
ただ聞いた話なので長井で合ってると思います。

ところで、山形県朝日町で長岡氏という豪族がいたようなのですが
祖先その他、謎のままです。どなたかご存知の方
いらっしゃいたら是非教えてください。
妙な質問ですいませんm(__)m


[663] 雨が降ったんで... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/03(Mon) 22:36 

↑昨日の運動会は火曜日に延期になりました(T_T) 今日は休みですけど、今週は火曜
日の運動会でスタートして土曜日まで休み無しです...ヤレヤレ(T_T)

>D-oneさん
 行き違いになっちゃいましたね(^^;) ええ、絶対旭川のお城の鯉寿司の方が「あや
しい城」らしいです(^^;) いま、道東遠征の更新をしていますので、旭川方面の更新
はそれが終わってからになりますが、もう少々お待ちください。

>コンスタンティノープルからの使者さん
 ご無沙汰してます。そちらの掲示板はのぞいてるんですけど、私の方こそ顔を出し
てなくて申し訳ありませんでした(^^;)

> 50000ヒット越えられたんですね。遅れ馳せながらおめでとうございます。ウチも
> 負けないように頑張らないと(ウチは扱ってるネタがどマイナーだからなぁ…)。
 うちもネタは充分マイナーなんですけどね(^^;) うちと同じ頃に開設したところで
8万だの10万だのいっているところもありますからね。

>  先日、NHK教育の「歴史で見る世界」(高校世界史)の内容が、なんと「ビザン
> ツ帝国の成立」。ようやくビザンティンだけで放送枠一つを使うようになったよう
> です。
 う~、見たかった... 最近、テレビってあまり見ないもんで(^^;) しかしそれだけ
でもかなりの進歩ですよねえ。でも、この前学研M文庫の『ローマ帝国の盛衰』(是本
信義)という本を本屋で見かけたので目次を見てみると東ローマで一章取っていたので
買ってみたんですが、家に帰ってからよく見たらその記述の3分1が十字軍関係、3
分の1がコンスタンティノープル陥落時、残りの3分の1がオスマントルコの勃興と
ティムールとの対決てな感じで、ビザンツに関する記述がほとんどないことに気づき
ました(T_T) よく見たら章のタイトルも「東ローマとイスラム教」ですから、そうい
う感じになったんでしょうけど、でも、ビザンツの最盛期であるマケドニア朝の記述
が全くないなんて、ガッカリしてしまいました(T_T)

>うるとらモモ父さん
 先日はご丁寧なメールを頂きありがとうございました。リンクと引用の件、了解い
たしました。うちのサイトの浪岡氏のコーナーにも近いうちに弘前浪岡氏を追加させ
て頂きますので、よろしくお願いします。


[662] 引用させていただきました。 投稿者:うるとらモモ父 投稿日:2002/06/01(Sat) 13:38 

eメールで母方の弘前浪岡家の系図を送らせていただきました。
小生のホームページに「浪岡(北畠)氏史」を掲載し、
貴サイトのリンクと「系図」と説明を引用させていただきました。
また当方の弘前浪岡氏の系図を挿し込みました。
と言っても概要だけで、詳細は貴サイト参照です。
またよろしくお願いします。

http://isweb33.infoseek.co.jp/animal/u-momo/


[661] お久しぶりです 投稿者:コンスタンティノープルからの使者 投稿日:2002/06/01(Sat) 01:22 

こんばんは。覚えておいででしょうか?「ビザンティン帝国同好会」の「コンスタンティノープルからの使者」です。最近自分のページは更新しないわ、人様のところには挨拶に行かないわ、余りにもひどいので改心してご挨拶回りに伺っている次第です。50000ヒット越えられたんですね。遅れ馳せながらおめでとうございます。ウチも負けないように頑張らないと(ウチは扱ってるネタがどマイナーだからなぁ…)。
 先日、NHK教育の「歴史で見る世界」(高校世界史)の内容が、なんと「ビザンツ帝国の成立」。ようやくビザンティンだけで放送枠一つを使うようになったようです。内容は、ユスティニアヌス、レオーン3世、バシレイオス2世の3人に焦点を当てたものでしたが。ほとんど井上浩一先生の著作の要約というものでした。それでも、私が高校生だった頃はロクに扱われもされてませんでしたから、まあ進歩したと言うところでしょうか。

一方的に書いてしまってすみません。本日はこれにて失礼をば。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9837/index.html


[660] おっと... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/30(Thu) 23:08 

 なんと10日以上も放置してしまいまして、申し訳ありません>みなさま
今度の日曜日が運動会なもんで、何だかあわただしくって... おまけにここ数日のど
の調子が良くなくって、今日はずっと鼻水が出るわ、咳が止まらないわ、のどはイラ
イラするわで参りました。いつも季節の変わり目は調子が良くないんですよねえ。
 そんなこんなで、GWの道東遠征&その後の旭川遠征のまとめもなかなか進みませ
ん(^^;) 先日、道東遠征の初日の分だけアップしましたが、もう少々お待ち下さい。

>留三さん・筈衛さん

> その村の住人達は片倉小十郎景綱以前の世代で片倉氏から分家した人達の末裔では
> ないのかな?と思ってます。
 山形県ならその可能性は捨てきれないですよね。

> その片倉さんが中世の長井郡小松郷付近ならばそうかもしれませんね(^^;;
 ちょっと今調べる気力がありませんので(本もまだ片づいてないし)、後ほど覚えて
いたら調べてみます(をい(^^;))

>こたつ城主さん
> KUBOさま~、お元気ですか~☆ミ
 ちょっと元気じゃないです(^^;)

> いや~、伊勢戦国村に建ってる安土城を検索してたら、
> 「怪しい城」に到着しちゃったんですよ。
 あの安土城だけはちょっと行ってみたい気がしますねえ。登別伊達時代村も白石城
くらい建ててくれたら良かったのに(をい(^^;))

> こたつは改めて師匠を尊敬しちゃいましたよっ!(爆)
 なんかそういうところで尊敬されても...(^^;) 実はこの前旭川で「あやしい城」
を発見(というか教えてもらった)しちゃしました(^^;) 今度、報告に行かねば...

> ところで、4月に山梨県の石和で川中島合戦戦国絵巻という
> 祭りに出て戦をして来て以来、GWには館山城、19日には
> 山中城と、どちらも初めて行って来ました!
 おお、山中城! また行きたいですねえ、あそこは。あの障子堀にはうっとり...で
した(^^) 館山城はまだ行ったことがないので、そのうち行きたいんですが。

> 前にこちらで話した、信州の霞城跡ですが、ウチの「城主の
> たわごと」というコーナーの4月版に写真を掲載致しました。
 見せていただきました。信州も行きたいんですがねえ...いつになる事やら(--;)

>島公方さん
 しばらくでした。お元気でしたか? こちらは相変わらずです。今後ともよろしゅ
う(^^)


[659] 登別市郷土資料館を拝見しました 投稿者:D-one 投稿日:2002/05/30(Thu) 22:12 

こんばんは、あやしい城のD-oneです。
・・・確かに何処が白石城をモデルにしたのか全く判りませんね(笑)
どちらかと言うとさりげなく書いてあるお寿司屋さんの方が興味があったりしますが。

それでは、失礼します。


[658] お久しぶりです♪ 投稿者:島公方 投稿日:2002/05/30(Thu) 15:46 

覚えていらっしゃらないかも・・・(^^;)
随分ご無沙汰してます♪去年忽然と消えた島です。
これからはカキコ怠らず(爆)
精進しますので改めてよろしくお願いします♪


[657] お久し振りです~☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:2002/05/24(Fri) 22:43 

KUBOさま~、お元気ですか~☆ミ
こないだは登別の戦国時代村のお話、ありがとうございました~。

いや~、伊勢戦国村に建ってる安土城を検索してたら、
「怪しい城」に到着しちゃったんですよ。
で、いつも、端末ページだけ紹介するんじゃサイト主催者に
悪いかな~、とか思うんで、掲示板で話題にする時には、
何となくトップページを一緒に提示するんですが、トップページ
見てたら、妙にそそられましてね~(笑)。
あの「定義」ってのがスバラシイ!
思わず「天守閣とはそもそも」なんて考えちゃいました!

で、どんな事話してるのかな、と思って掲示板を覗いたら……。
師匠! 流石ですね!
こたつは改めて師匠を尊敬しちゃいましたよっ!(爆)

でもそうですか。登別にもニャンマゲが……。
特にコレには、繰り返しコメントしませんが(汗)。
(充分に跨りネタですしね)

ところで、4月に山梨県の石和で川中島合戦戦国絵巻という
祭りに出て戦をして来て以来、GWには館山城、19日には
山中城と、どちらも初めて行って来ました!
どっちも敷地が広くて、狭苦しい松戸に住んでる私としては
もぉ羨ましいの妬ましいのって、ありゃしませんでした(TOT)!
そのうち山中城の障子堀の中に家を建てたいです!!!

前にこちらで話した、信州の霞城跡ですが、ウチの「城主の
たわごと」というコーナーの4月版に写真を掲載致しました。
もしもKUBO様が要り用の場合は、あそこから写真取って
構いませんです~!

ではでは(^^)。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[656] 長井郡小松郷 投稿者:hazu 投稿日:2002/05/20(Mon) 20:38 

 その片倉さんが中世の長井郡小松郷付近ならばそうかもしれませんね(^^;;
 ところで、今のどの辺りなんだろう(・・?

筈衛


[655] 身近に居た?片倉氏? 投稿者:留三 投稿日:2002/05/20(Mon) 15:20 

つい先日、自分と仲がよい片倉さんって人と話していたら、
その人の父親の実家は山形県の某村(なんて名前の村かは失念)で、そこの村の住人は「片倉さん」が多いらしい。
その人は歴史に疎い人なのですが、
「ご先祖様は昔の偉い武将の遠い親戚」との事。
多分、この「偉い武将」って言うのは片倉小十郎景綱の事言ってるんだと思うんですよね。
その村の住人達は片倉小十郎景綱以前の世代で片倉氏から分家した人達の末裔ではないのかな?と思ってます。


[654] 無題 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/19(Sun) 08:45 

 4月の転勤以来、毎土曜日が休みになったとはいえ、なんだかんだと予定が入って
くるもので、なんにもない土日はなかったのですが、久しぶりに何もない土日です。
とはいえ、昨日はルーツ探偵談の談長さんの暴走が原因で、午前中は寝てた(起きれ
なかったとも言う)ので結局何もできませんでしたが... (全く酒飲みは...(--;))

>雪豹さん
 ご無沙汰しています(^^)

> Googleでいろいろ検索しているうちに出てきて、「あうう、KUBOさんお返事下さっ
> たのに見落としてた」と最近知ったので来ました。
 いえいえどういたしまして。私もモンゴル系ならそれなりにわかるんですが、突厥
系はちょっと疎いもんで(^^;)

>  それで、ご報告。「世界帝王系図集」を図書館で見つけたのですが、あまりにも
> スゴかったので、思わず自分でも作ってしまいました。やる気を起こさせる、とい
> う意味では、実に有意義な本です(バキ……誰にでも、得手不得手はある……作者
> の専門外だったんだろうな~)。
 あの方は『世界帝王系図集』(の旧版)を出していた近藤出版社から『ブルボン家』
『ハプスブルク家』などヨーロッパの王家について書いた5冊ほどのシリーズも出し
てましたから、きっとヨーロッパ方面が専門なんでしょうね。
 ですからヨーロッパ方面はそれなりに詳しいですが、東洋の方はちょっと...とい
う感じのところが結構ありましたね。まあ、不十分な内容ながら、外国の家系図をあ
れだけまとめた本は他にありませんので、それだけでもありがたいと思わねばなりま
せんけど。

> ……あ、ケシクテン旗の方は全く進展していません。でも、できればこの夏には、
> 心ゆくまで調べたいとは思っています。
 私も「チンギス・ハーンの一族」シリーズはniftyでもここでもすっかり休止状態
ですから、何とかせねばとは思っているんですが、今の調子ですと「ユーグ・カペー
の末裔」シリーズ、「滅びた(?)名族」シリーズの次くらいになりそうですので、今
年中に再開できるかどうか(をい(^^;))

>留三さん
 こちらにまで足を運んでいただきありがとうございます(^^)

> 既にリンクのご挨拶したものだと勘違いしておりました。
 いえいえどういたしまして、近日中にリンクさせていただきますので、よろしくお
願いします(^^)

> 実は自分は伊達家とは血縁も地縁も全然ない、
> 神奈川県の半士半農若しくは豪農の家系でして、
 私も伊達家とは縁もゆかりもない越前の百姓の末裔ですが、なんか好きなんですよ
ね伊達家って。もちろん大河ドラマの影響が一番なんですが、北海道に伊達侍の末裔
たちが入植に入っているというのももちろん影響していると思います。岩出山の伊達
邦直が入植している当別は私の実家の隣町でして、実家から車で15~20分くらいで邦
直等の遺品等を展示している伊達記念館や伊達邸別館まで行けますので、余計親近感
を感じたのかもしれません。
 いまは他のシリーズ手一杯なので、まだ全然手を付けていませんが、そのうちに戦
国大名の一門をまとめたコーナーを作りたいなと思っているのですが、その時はまず
第一に伊達家を取り上げようと画策しております(^^)

> それで本当に“みぃはぁ”な視点から伊達家を色々と調べていたのがいつの間にや
> ら・・って感じで(苦笑)
 最近しばらく他のサイトってあまりじっくり見ていなかったのですが、伊達家のこ
とがたくさん載っていたので、思わず読みふけってしまいました(^^;)
 こちらこそ今後ともよろしくお願いします。


[653] はじめまして・・でしたね 投稿者:留三@仕事中 投稿日:2002/05/17(Fri) 17:20 

>KUBOさん
先日は当方のHPにご来訪頂き有難うございました。
うちは細く長くやってるサイトなんで、どこにいつリンクのご挨拶したか、すっかり失念してまして・・
既にリンクのご挨拶したものだと勘違いしておりました。

実は自分は伊達家とは血縁も地縁も全然ない、
神奈川県の半士半農若しくは豪農の家系でして、
なんとか辿れるのが江戸時代中期位までなんですよ。
うちの系図は調べていて面白い発見が全然ないし・・・
それで本当に“みぃはぁ”な視点から伊達家を色々と調べていたのがいつの間にやら・・って感じで(苦笑)

それから、血統図作成の時に手持ちの文献で追いきれない部分を
参考にさせて頂きました。
今後も宜しくお願い致します。

みぃはぁ版・平成伊達治家記録・別館

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/xd6/tomedas/


[652] 「世界帝王系図集」その他、いろいろお世話になっています。 投稿者:雪豹 投稿日:2002/05/17(Fri) 00:57 

 KUBOさん、ラインの王族での「世界帝王系図集」の話題や、チンギスの子孫の系図(ケシクテン旗の話題)ではお世話になりました。こちらでは初めまして。
 「世界帝王系図集」の話題は、どんどん下の方になってしまった&濃い話になってきたので、見てなかったのですが、Googleでいろいろ検索しているうちに出てきて、「あうう、KUBOさんお返事下さったのに見落としてた」と最近知ったので来ました。本当にありがとうございました。
 それで、ご報告。「世界帝王系図集」を図書館で見つけたのですが、あまりにもスゴかったので、思わず自分でも作ってしまいました。やる気を起こさせる、という意味では、実に有意義な本です(バキ……誰にでも、得手不得手はある……作者の専門外だったんだろうな~)。カプガン=カガンの息子のイネル=カガンとビルゲ=カガンの息子のイネル=カガンを混同しているとか、まずいところは多々あるのですが、西突厥の方が系図になってないのを見ると、ま、仕方ないか……と暖かい目で見守る事にしました(笑)。
……あ、ケシクテン旗の方は全く進展していません。でも、できればこの夏には、心ゆくまで調べたいとは思っています。
それでは。

http://homepage2.nifty.com/i-love-turk/


[651深川・旭川チャシ巡り 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/15(Wed) 01:02 

 先日の日曜日はお城巡りMLの方と深川・旭川方面でチャシ巡りをしてきました。
残念ながら遺構らしい遺構をはっきりと確認できたのは現在北海道東海大学の敷地内
にある立岩山チャシだけでしたが、なかなか有意義なものでした(^^) さあ、今度は
どっち方面に行こうかな?
 あ、それから連休明けからフレッツADSLにInet環境を切り替えました。8Mタ
イプなんですが、我が家は電話局から4kmほど離れているので、測定してみたら0.4
Mbpsほどしか出てないようです(^^;) とはいえ、いままでがISDN回線の64kbpsだ
っただけに、それに比べると格段に早くって非常に快適です(^^)

>なにがしさん
 はじめまして。丹生氏については不勉強でくわしいことはわかりませんが、丹生と
丹比と文字が似ているところから関係づけたのでしょうかね?

>筈衛さん
 家系の検索ですか... 私にできるんだろうか、そんなこと? あ~また宿題が増え
てしまった... うちのサイトに載せている家系図の一覧を作った方が良いかもしれま
せんね~

>蠣崎若狭守さん
 ご無沙汰してます。ご実家の方に戻られたんですか。旭川ならついこの間チャシ巡
りに行ってきたばかりですが(^^;)

> シャクシャイン戦記 新人物往来社 大森光章・著

 へえ、これは知らない... 今度探してみようっと。「蝦夷国まぼろし」も本は持っ
てるんですけど、はじめの方をちょっと読み始めたきりなので、もうすっかり忘れて
しまうもう一度読み返さなくてはいかんと思っていたところですが、さてどの段ボー
ル箱に入れたやら(をい(^^;))

>北条早雲公園を創る市民の会さま
 ご無沙汰しております。最近しばらくそちらをのぞいていませんでした。今度久し
ぶりに訪問させていただきます。

>田村一彦さん
 はじめまして。なんと田村顕允の御子孫ですか。わざわざおいでいただきありがと
うございます(^^)伊達は良いところですよね。私も年に何度も行ってます。去年は東
京から出張で来られた方を案内して開拓記念館や館山チャシ・ポンチャシに行ってき
ました。

> 北海道へ移住した後のことは皆がよく知っているが、北海道に移住する前が興味深
> く、面白いという父が言葉を思い出します。

 移住後のことは私がネタ本にしている榎本守恵氏の『侍たちの北海道開拓』にくわ
しく出てますね。移住前にいた宮城県の亘理にもいったことがありますが、亘理伊達
家の場合、家中まるごと移住してしまったからか、亘理の郷土資料館にはめぼしい資
料があまりありませんでした(^^;)
 なお投稿がダブっていましたので一つは削除させていただきましたのでご了承下さい。



[700] ありがとうございます 投稿者:たくちゃ 投稿日:2002/07/02(Tue) 14:53 

KUBOさんどうもありがとうございました。
たまたま、修学旅行の歴史などで検索したら、ここのページに来ました。どうもありがとうございました。
短い間でしたがありがとうございました。


[699] ご無沙汰しています。 投稿者:秋山如雪 投稿日:2002/07/02(Tue) 03:16 

ご無沙汰しております。
「心を開いて」の秋山如雪です。
実はこの度、ホームページでデジカメで撮影した
日本の歴史的建造物を紹介することにしました。
まだ北海道しかなく、またここのページとも多少
かぶるところがあるかもしれませんが、北海道の
建物が中心ですので、是非見にいらしてください。
詳しいことはホームページのトップに書いて
ありますので。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4591/


[698] エジプト展... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/07/01(Mon) 07:27 

↑見てきました(^^) なかなか見応えありました。以前道立近代美術館でエジプト展
をやった時にはえらく込んでいて参りましたが、今回は人はたくさんいたものの、多
すぎて困るというほどではなかったので、まあ良かったです。
 出口にある売店の品揃えもなかなかで図録のほかに、トランプとファラオの棺のミ
ニレプリカを買ってきてしまいました(^^;) これは2種類あって、1つは中に包帯を
巻いたミイラが入っているもの、もう1つは棺と同じような仮面や飾りを付けたミニ
フィギュアが入っているもので、前者もおもしろいとは思ったんですが、結局後者を
買ってきました(^^;)

>筈衛さん
>  膨大な家系図を開陳するという仕事を・・・・・(^^)ガンバッテネ
杉山家に関してはもうすでに名前が挙がっている資料しかありませんから、膨大な系
図にはならないと思います(^^;) ちょっと8月までは忙しいので、しばらくお待ち下
さい。

>びわこさん

> KUBOさ~ん、確か去年の5月、佐和山に一緒に行ったときにも言ってたですよね・・・。
> (あれから、早一年余・・・月日が経つのは早いものよのぉ。)

 あ、まずい...(^^;) ですよねえ、もう一年以上たつんですもんね。ここしばらく
建物や石垣のあるお城に行ってないもんで、だんだんうずうずしてきました(^^;)

> ということで、KUBOさん、期待に胸膨らませて、「滅びた名族」待ってますよ。(^^)
 皆さんに期待されてるのはわかっているんですが、なかなか進まないのが自分でも歯がゆいんですけど、気長にお待ち下さいとしかいえません(^^;)

P.S.
 コレクト倶楽部古代文明編、すっかりはまってます(^^;) 全24種のうち半分そろえ
てしまいました。


[697] そういえば・・・2号 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/30(Sun) 19:37 

そういえば、

例の三成会の記事の中に

>> ・彦根再発見にて「三成と左近」について講演 01/03/26
    講演者 びわこ氏
    聴講者 約80名 うち会員3名

 って、ありましたね(^^;;

筈衛


[696] そういえば・・・ 投稿者:びわこ 投稿日:2002/06/30(Sun) 16:23 

またまた、こんにちは~(^^)

>ええ、津軽の杉山氏のことは知ってますよ。そのうちに「滅びた(?)名族」シリーズで取り上げる予定ですので。いったいいつになるかわかりませんが(^^;)

KUBOさ~ん、確か去年の5月、佐和山に一緒に行ったときにも言ってたですよね・・・。(あれから、早一年余・・・月日が経つのは早いものよのぉ。)

あのぉ、先日書きました“三成会”っていうのは、

>石田三成のホームページ(http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/

の主宰・SHUNさんが会長されてます。(怪しくないです・・・って言うところが怪しい???)
また、こちらのサイトにも遊びに来てください。(三成会宣伝部デシタ・・・(^^;))

ということで、KUBOさん、期待に胸膨らませて、「滅びた名族」待ってますよ。(^^)

では・・・
  


[695] re:やられた...(^^;) 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/30(Sun) 12:21 

>> おお、石田三成の子孫の話が!と思っていたら筈衛さんにほとんど言われてしまった(をい(^^;))

 いいえ、いいえ(^^)
 KUBOさんには大仕事を残しておきましたよ(^^;;
 膨大な家系図を開陳するという仕事を・・・・・(^^)ガンバッテネ

筈衛


[694] やられた...(^^;) 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/30(Sun) 10:14 

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん、筈衛さん、びわこさん

 おお、石田三成の子孫の話が!と思っていたら筈衛さんにほとんど言われてしまっ
た(をい(^^;))

 ええ、津軽の杉山氏のことは知ってますよ。そのうちに「滅びた(?)名族」シリーズで取り上げる予定ですので。いったいいつになるかわかりませんが(^^;)

> 本としては、「石田三成とその一族」(白川 亨著)という本が新人物往来社か
>ら出ています。
 こちらは持っております(^^;) 白川さんは津軽杉山家のご縁者ですからね。あと、
『石田三成と津軽の末裔 「極楽寺系図」の探索から解き明かされた真実』(北の街社、
佐賀郁朗)という本もあります。こちらの佐賀さんも杉山家とつながりがあるようです。

> KUBOさんは、SHUNさんとか白川隼人さんとかとniftyで話したことありましたっけ(^^;;
 SHUNさんは東京に行った時に城狂四郎さんと一緒にお会いしたことがあります。で
もほとんど話できなかったけど(^^;) 白川隼人さんはお名前は見かけたことあります
けど、お話ししたことはないですね。


[693] Re[691]:RE: 石田三成の家系 投稿者:HAZU 投稿日:2002/06/29(Sat) 23:21 

ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク さん

横からすみません

>>既に御存知かと思いますが、三成の子孫は津軽にいるらしく、其れより凄いのは_『歴史群像シリーズ・石田三成』に書かれた事なんですが_宿敵徳川家康の家系に三成の子孫の血が入った事です。これには驚きました。

 津軽の杉山氏ですね(^_^;
 その前に、津軽藩三代藩主自体が三成の子孫ということになりますけどね(^^;;

 三成の次女(岡半兵衛妻)から尾張家に至る血の流れですね。

 なお、石田三成のことを扱っているHPには次のものがあります。
 石田三成のホームページ(http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/
  作者は『歴史群像シリーズ・石田三成』の執筆者の一人です。
 本としては、「石田三成とその一族」(白川 亨著)という本が新人物往来社から出ています。
 KUBOさんは、SHUNさんとか白川隼人さんとかとniftyで話したことありましたっけ(^^;;

                 筈衛from fukushima city


[692] Re:石田三成の家系 投稿者:びわこ 投稿日:2002/06/29(Sat) 22:36 

KUBOさん、こんにちは。
ご無沙汰してます。

なんか、久しぶりに覗いて見ましたら、[691] 石田三成の家系 ・・・こんな書き込みが・・・。
私、三成さまに呼ばれたかと思ってしまいました。(^^)

>ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチクさん、はじめまして、こんにちは。 三成会のびわこです。(っても、何者やぁぁですよね・・・)

>因みに為久が倒した義仲の四天王の一人樋口兼光の子孫が直江兼続で、三成と兼続が親しかったと考えると、不思議な気がします。

へぇぇ、そうなんですか・・・。(ふむふむ)

>宿敵徳川家康の家系に三成の子孫の血が入った事です。

戦国武将の家系図って、面白いですよね。思わぬ発見もあったりして・・・(^^)


[691] 石田三成の家系 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/29(Sat) 12:46 

>KUBO様
宝賀先生の所へ送信してみました。

関ヶ原で敗れた石田三成の家系は木曾義仲を討ち取った相模三浦党の石田為久の子孫だと言われています。三成の出身地は為久の領地だったらしく、可能性はあります。因みに為久が倒した義仲の四天王の一人樋口兼光の子孫が直江兼続で、三成と兼続が親しかったと考えると、不思議な気がします。

既に御存知かと思いますが、三成の子孫は津軽にいるらしく、其れより凄いのは_『歴史群像シリーズ・石田三成』に書かれた事なんですが_宿敵徳川家康の家系に三成の子孫の血が入った事です。これには驚きました。


[690] コレクト倶楽部GET! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/28(Fri) 22:44 

 すんません、また食玩の話題です(^^;) WTMをコンプリートして、これでしばら
くこの手のものは買うのをやめようと思っていたら、今日の帰り、近所の7・11に行っ
たら某所で話題になっていたコレクト倶楽部・古代文明編が売っているのを見つけて
しまったため、つい2つ買ってしまいました(^^;)
 当たったのは、兵馬俑と牛頭のリュトンでした。う~ん、またしばらくはまってし
まいそうな予感が... ちなみに今度はWTMよりも種類が多く、24+αもあるそうで
す(^^;) 個人的にはツタンカーメン王の黄金のマスクがちょっと楽しみだったりして
(^^;)

>美唄の住人さん

>  ご教示を有り難うございました。今度、道立図書館に行って調べてみます。
 あ、ちなみに北海道チャシ学会作成の「北海道に於けるチャシ跡遺跡一覧表」は
『北海道チャシ学会研究報告 No.5』に収録されています。

>  新十津川の里見峠に先週、行ったのですが、笹が生い茂り、進めませんでした。
> やはり、調査は春か秋ですね。
 そうですね。5月に道東のチャシを巡ってきましたが、3年前の夏に行った時には
草が茂っていて見れなかったところが、ほとんど見れました。

>  浦臼町文化財保存会は、今年度にチャシの標識を新設する予定らしいです。
 そうですか。あの木に文字を刻み込んだ標柱もなかなか味があって好きなのですが、
だいぶん痛んできてますからね。晩生内2号チャシの標柱なんて傾いてきてたし。

>たくちゃさん
 はじめまして。小6ですか、総合学習の課題か何かで調べてるんですか? ちょっ
と修学旅行の歴史に関するページはあまりありませんでしたが、Googleで検索したら、
こんなページがヒットしました。

 http://www.yomiuri.co.jp/junior/articles/990228-2.htm

 このページを見ると、1886年(明治19)年に東京師範学校(現在の筑波大学)がはじめ
て修学旅行を行ったこと、今はグループ活動をすることが多くなりましたが、むかし
は団体行動をまなぶという目的もあったこと、最近は見学することよりもレジャーの
面が強くなったことなどが書かれていました。
 こんなことで参考になるかどうかわかりませんがごらんになってみて下さい。

>ひづめさん

>  6月17日に函館市内の汐泊チャシへ行ったときのこと、地元の人に登り口は教
> えてもらって藪を掻き分けながら斜面を登り始めたのですが、数十メートル登った
> ところで熊さんの寝床と周辺にたくさんのウンコを目にしてしまい急激に気持ちが
> 萎えてしまいました。
 おお、汐泊チャシに登られたんですか。でも確かにその状況じゃあ退散したくなる
のもわかります(^^;) 私もきっと退散していたかも。

> 一人歩きが多いKUBOさんのヒグマ対策方法を教えてください。
 え~、はっきり言ってないです(^^;) ヒグマに対しての対策はしたことないです。
まあ、ヒグマが出そうなところもそんなに行ってないし... と思っているのは自分だ
けで、実はかなり危険なことを今までしてきたのかもしれませんけど(^^;)
 5月の道東遠征では標津のポー川史跡公園でヒグマについてちょっと脅されました
けどね(^^;) 先日、旭川周辺を案内して下さった菅原さんはクマ対策の鈴を持ち歩い
ていましたが、私もそうした方が良いかもしれないと反省しました(^^;)


[689] KUBOさんのヒグマ対策は? 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/28(Fri) 12:29 

KUBOさん、こんにちは。

 6月17日に函館市内の汐泊チャシへ行ったときのこと、地元の人に登り口は教えてもらって藪を掻き分けながら斜面を登り始めたのですが、数十メートル登ったところで熊さんの寝床と周辺にたくさんのウンコを目にしてしまい急激に気持ちが萎えてしまいました。頂上まであとわずかなので、嫁さんには『見えている範囲には熊はいないのだから行きなさいよ』と後ろから突っつかれたのですが、退散してしまいました。

 ヒグマは「昼間はどこかへ行っている」とか「声がすればわざわざ寄っては来ない」とか聞きますが、習性とかよくわからないのでやっぱり怖いです。大勢で行けば安心ですが我が『函館お散歩団』は団員2名の弱小構成、一人歩きが多いKUBOさんのヒグマ対策方法を教えてください。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[688] 教えて下さい 投稿者:たくちゃ 投稿日:2002/06/28(Fri) 11:57 

私は修学旅行を調べてます。(小6です)特に、「修学旅行の歴史」
です。もしそういうページが見つかったら、教えて下さい。
m(_ _)m


[687] チャシについて 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/06/26(Wed) 08:41 

 ご教示を有り難うございました。今度、道立図書館に行って調べてみます。

 新十津川の里見峠に先週、行ったのですが、笹が生い茂り、進めませんでした。やはり、調査は春か秋ですね。

>浦臼町の郷土資料館ではチャシの写真が展示してありましたけど。

 浦臼町文化財保存会は、今年度にチャシの標識を新設する予定らしいです。


[686] やっと更新終了... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/25(Tue) 23:22 

 やっと5月の道東遠征と深川旭川遠征の分の更進が終わりました。あ~疲れた。道
東の国指定史跡のチャシ、オタフンベチャシ・モシリヤチャシ・桂ヶ岡チャシ・ユク
エピラチャシの壁紙もアップロードしましたので、ご覧になってみて下さい(^^)

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
> もしかして三浦氏のことですか?三浦氏は古代氏族『御浦氏』の子孫という説があ
> るのを聞いた事がありますが・・・。
 宝賀先生からのメールにはそこまで書かれていなかったので詳しくはわかりません
が... 宝賀先生の関連サイト『古樹記之房間』がうちのリンク集にありますので、そ
ちらで聞いた方が確かだと思います。

>YUKIさん
> 「日本の古本屋」で検索した所、3600円だったので買ってしまいました。
 え"... 私、その?倍で買ったんですけど(北大前のN書店で...) しもうた~(T_T)
えらく高かったんで、買う時はかなり悩んだのに~(--;)

>美唄の住人さん
 ご無沙汰しております(^^)

> 新十津川のポンチャシについての記載がこのホームページにありますが、どのよう
> な文献に出ているか教えていただけるとありがたいのですが。
 えっと、『日本城郭大系1』の北海道編の巻末に本文に載っていない陣屋・台場・
チャシが一覧表になって載っているんですが、新十津川のポンチャシは本文じゃなく
その一覧表の方に載っていたと思います。説明は1~2行くらいでしたが(^^;)
 あと『北海道のチャシ』(北海道教育委員会、1983発行)も一覧表形式ですが、「徳
富川左岸、里見峠と呼ばれる丘陵舌端部」「道路による破壊のため遺構は不明」と書
かれています。
 またチャシ学会作成の「チャシ跡遺跡一覧表」には壕が「弧状1」、「道路で一部
破壊」と書かれています。

>  新十津川の町史にも出ていなくて困っていました。地元では、チャシにあまり興
> 味がないようです。とても残念です。
 町史にも出てないんですか。そういえば、新十津川の開拓記念館に行ったことがあ
りますが、町内の遺跡の場所を立体模型で示したものにチャシの場所が出ていたくら
いで、あとは何もなかったように記憶してます。浦臼町の郷土資料館ではチャシの写
真が展示してありましたけど。

>コンスタンティノープルからの使者さん

> まずは60000ヒットおめでとうございます。
 どうもありがとうございます(^^)

> 長野方面にドライブに行ったついでに臼田町にあるもうひとつの五稜郭・龍岡城跡
> に行ってきました。
 おお龍岡城に行かれたんですか! あそこにいつか行ってみたところの一つなんで
すけどねえ。去年の夏に長野遠征の計画を立てたんですが、計画たてるのが遅くてフ
ェリーがうまくとれなかったので、結局南東北遠征に変えてしまったんですけど...
 その時も龍岡城は計画に入れてたんですよ。あとは上田城・松本城・松代城・高島
城の再訪、小諸城・高遠城等も訪城を計画してたんですけどねえ。いつ行けるかなあ?

> ところで前から、なんで五稜郭スタイルの城が長野の山地にあるのか気になってい
> たのですが、三河と信濃に領地があった三河松平氏(っていっても何流?)が、幕
> 末にわざわざ三河からあそこに築城して移ったんですね。あの時期に、築城して山
> 奥に移ろうと考えた時点で只者ではない、と思ってしまいました。
 大給松平の庶流ですね。確か、龍岡城をたてたのは松平乗謨じゃなかったですかね?
幕末に老中を務めた人物だったと記憶していますが、詳しくは資料が段ボール箱の中
なのでわかりません(^^;)


[685] 龍岡城 投稿者:コンスタンティノープルからの使者 投稿日:2002/06/23(Sun) 23:02 

まずは60000ヒットおめでとうございます。
今後の更なるご発展をお祈り申し上げます。

私の扱う領域(ビザンティン帝国)からは全然外れた話なのですが、長野方面にドライブに行ったついでに臼田町にあるもうひとつの五稜郭・龍岡城跡に行ってきました。五角形の形はそのまま残ってましたけど(南側の堀は無くなってました)、中がそのまんま小学校になってたんですね。城跡が学校に転用されてる例は他にもありますけど、外の五角形だけ残してあるのでなんか妙な感じでした。城の周りも普通の農村の集落だし(理由はすぐに分かりましたが)、素人目には何か妙な城跡に見えました。ところで前から、なんで五稜郭スタイルの城が長野の山地にあるのか気になっていたのですが、三河と信濃に領地があった三河松平氏(っていっても何流?)が、幕末にわざわざ三河からあそこに築城して移ったんですね。あの時期に、築城して山奥に移ろうと考えた時点で只者ではない、と思ってしまいました。

城郭素人が割り込んでしまってすみません。では。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9837/index.html


[684] 新十津川のチャシ 投稿者:美唄の住人 投稿日:2002/06/22(Sat) 20:28 

 お久しぶりです。
新十津川のポンチャシについての記載がこのホームページにありますが、どのような文献に出ているか教えていただけるとありがたいのですが。
 
 新十津川の町史にも出ていなくて困っていました。地元では、チャシにあまり興味がないようです。とても残念です。


[683] 「家康の族葉」ゲット 投稿者:YUKI 投稿日:2002/06/20(Thu) 19:19 

「日本の古本屋」で検索した所、3600円だったので買ってしまいました。早速今晩から読み始めます。


[682] もしかして三浦氏? 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/20(Thu) 00:08 

>KUBO様
>宝賀先生によると坂東八平氏はみな桓武平氏ではないし
もしかして三浦氏のことですか?三浦氏は古代氏族『御浦氏』の子孫という説があるのを聞いた事がありますが・・・。


[681] いいものGET! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/19(Wed) 23:23 

 今日は二つもいいものを手に入れてうれしいです(^^)
 その1。先日、采女系蠣崎家の末裔の御縁者からメールがあり、采女系蠣崎家の
系図(題名「蠣崎清広家系」)のコピーをいただきました(^^) 蠣崎諸家に関してはな
かなか史料がありませんでしたので、ありがたいことです。すぐにとはいきませんが、
近日中にこの資料をもとに更新させて頂きます。問題は史料が崩し字で書かれている
ので解読せにゃあいかんことです(T_T) また「くずし字辞典」見ながら解読せねば...

 その2。先日話題にした「World Tank Museum」ですが、検索したらなんとトレー
ド掲示板があるんですね。そこで書き込んだら早速トレード希望の方からメールが来
まして、残り3つを手に入れることができました(^^) これで、シークレットアイテ
ムをふくめ19種コンプリートしました(^^) さっそくクリアケースに飾って楽しんで
おります(^^;) 最近はTMに飽きたらず、ハイパーガンダム復刻版にまで手を伸ばし
てしまいまして...(をい(^^;))

 しかし、この2つの落差はなんじゃろ(^^;)

>ひづめさん

>  北海道・東北史研究会「函館シンポジウムII」のお知らせありがとうございます。
> 28日は上ノ国の我らが松田先生が講演されるのですね。残念ながら27,28日
> は仕事なので私は出られませんが、いつものように嫁さんを派遣することにします。
> でも29日の巡検にはぜひ参加したいと思います。また、終わりましたら報告します。
 私も是非参加したいところなのですが、諸事情により参加できそうにありません(T_T)
奥さんに私の分まで聞いてきて下さるようお伝え下さい(^^;)


[680] 「函館シンポジウムII」、参加したいです 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/19(Wed) 18:10 

KUBOさん、こんにちは、函館のひづめです。

 北海道・東北史研究会「函館シンポジウムII」のお知らせありがとうございます。28日は上ノ国の我らが松田先生が講演されるのですね。残念ながら27,28日は仕事なので私は出られませんが、いつものように嫁さんを派遣することにします。でも29日の巡検にはぜひ参加したいと思います。また、終わりましたら報告します。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[679] 6万hit御礼!! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/18(Tue) 23:38 

>みなさま
 おかげさまをもちまして、当サイトも6万ヒットを突破することができました。こ
んなマイナーなネタばかりのサイトにこんなにも足を運んで頂きありがとうございま
す。(6万hitをGETされた方はお知らせ下さいね~(^^))
 お礼をかねまして、何かおみやげを...とは思いますが、まだ先月の道東遠征&旭
川方面チャシ巡りの分の更進がすんでいませんし、公私ともに忙しくなって参りまし
たので、その他の更進がいつになるか皆目見当がつきません(^^;)
 「滅びた(?)名族シリーズの続きを!」なんていう要望もあるんですが、なかなか
手が回らない状態です。(だいたい未だに奥の部屋においてある各種資料が入ってい
る段ボールの片づけが終わってませんし...(^^;)) 申し訳ありませんが、気長にお待
ち下さい(をい(^^;))

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん

> 話はがらりと変わりますが、独眼竜伊達政宗を出した陸奥の伊達氏は一般に藤原氏
> 出身だと言われていますが、実は桓武平氏出身だという説があるのです。

 ええ、そういう話は聞いたことがあります。確かに伊佐氏のことを考えると平姓だ
ったというのも頷けるところです。平姓を捨てて藤姓を名乗ったかですか... 伊達氏
は室町後期になると「奥州探題」大崎氏の権威に対抗する意味合いもあって、それま
で置かれたことのなかった「陸奥守護職」に就き、みずからの権威を高めていきまし
たが、それと同じ文脈で考えられるかもしれません。そのためには平姓では無理だし、
かといって大崎氏と同じ源氏では対等になってしまうので、奥州藤原氏縁の藤原氏を
名乗ったとも考えられます。まあ、伊達氏がいつごろから藤原氏を名乗っていたのか
を調べたわけでもありませんし、これはあくまでも私の推論といいますか、思いつき
にすぎませんけどね(^^;)
 ちなみに、伊達氏に限らず、本来言われていたその出身家系がかなり怪しいという
ことが言われてきているものがいろいろとあります。最近、宝賀寿男先生がその辺を
研究されていますが、宝賀先生によると板東八平氏はみな桓武平氏ではないし、伊達
氏だけでなく上杉氏も藤原氏ではないそうです。阿波の三好氏・信濃の村上・井上氏
も清和源氏ではないとのこと。ちょっとビックリしました(^^;)

> 薩摩系渋谷氏の系図はもちろんのこと武蔵系渋谷氏も知りたいです。
 薩摩藩士になった渋谷氏系の一族の系図は『薩陽武鑑』や『さつまの姓氏』に載っ
ているかもしれません。(まだ段ボールの中なので確認できず(^^;))
 他についてもちょっと今はわからないです。

>筈衛さん
 いつもフォローありがとうございます(^^) #677の渋谷氏・河越氏・髙山氏・小沢
氏についてもフォローお願いしてもいい?(をい(^^;))

>ぴえーるさん
 ご無沙汰しています。加藤百助ですか。自分で載せておいて全然忘れていた、とい
うか気づいていませんでした(^^;) 前に加藤清正の子孫を調べたことがありました
けど、この百助に関してはノーマークでした。なるほどねえ、そんな人物がいたん
だ~。こちらこそ、教えて頂いてありがとうございました。


[678] 謎はすべて解けた! 投稿者:ぴえーる 投稿日:2002/06/17(Mon) 21:07 

どうもお久しぶりです。名古屋で史料漁りまくりのぴえーるです。
たまたま加藤清正関係で検索していたら、
こちらの交代寄合シリーズの山崎家が引っかかりまして、
そこで山崎家盛の弟に加藤清正養子の百助を見つけまして、
清正の宇土城攻めのとき先手一番備之頭・加藤百助というのは
きっとこの人物なのだろうと数年来の謎が解けました。
嫡子の虎熊が亡くなったので妻の縁で百助を養子に迎え、
その後男子が二人生まれたので実家に返されたのだろうと推測しつつ
書き込みを終えたいと思います。ではでは。


[677] 秩父党 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/16(Sun) 02:38 

>hazu様
資料の情報の提供有難うございました。秩父党の分流は同族の三浦党や千葉党に比べて極端に少ないと思っていたのですが、よくよく調べると結構いるんですね。今の所私が入手したい秩父党の分流は次の連中です。

>渋谷氏
薩摩系渋谷氏の系図はもちろんのこと武蔵系渋谷氏も知りたいです。しかし、最も知りたいのは『陸奥渋谷党』です。『党』という名がつくほどですからかなりの大族だったと思います。

>河越氏
平一揆後の系図を。何でも豊後に移住したとか・・・。

>高山党
最も謎なのがこいつです。上野で栄え、新田義貞に仕えたようなのですが詳細な系図を1度も見た事がありません。かなりの大族だったと思います。

>小沢氏
稲毛重成の子孫で『平姓小沢氏家譜』という系図があるようなのです。是非1度見てみたいです。


[676] これも書いておこう(^^;; 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/15(Sat) 19:54 

 これも書いておこう(^_^;

 続群書類従に千葉上総系図というものがあり、千葉氏、上総氏のほか渋谷氏、畠山氏、河越氏、江戸氏などの武基の系統の子孫も載っているようです。

筈衛


[675] 浄法寺氏 投稿者:hazu 投稿日:2002/06/15(Sat) 19:38 

>> そうですねえ、その辺の家系は私もあまり調べたことがないのでいまは何ともコメ
>>ントしようがありませんが、畠山流浄法寺氏については以前ちょっとした引っかかり
>>があって調べたことがあります。ねえ、筈衛さん(^^) (とイキナリ人を呼び出すヤツ
>>(^^;))

 そうでしたね(^^;;
 浄法寺氏については、『岩手県史』、『南部藩参考諸家系図』等で調べるといいでしょう。

 そういえば、埼玉叢書第4に、武蔵七黨系図、秩父家系彦久保氏系図が載っていました。

筈衛


[674] 有難うございます 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/15(Sat) 08:55 

>KUBO様
浄法寺氏の系図有難うございました。浄法寺氏の系図は見たかったんですが、なかなか見つける事ができなくて半ば諦めかけていたので嬉しさは100倍です。
話はがらりと変わりますが、独眼竜伊達政宗を出した陸奥の伊達氏は一般に藤原氏出身だと言われていますが、実は桓武平氏出身だという説があるのです。すなわち伊達氏の前身は伊佐氏で其の根拠地は常陸の国の伊佐荘だったのですが、其処では常陸平氏の一族の平為賢が伊佐の姓を名乗り彼の子孫が栄えているようなので伊達氏は其の系統だというのです。実は系図を見ると初代朝宗の子の名前には伊佐為賢と同じ『為』が付いている連中が沢山いるのです。当時の武家には通字がつく習慣がありますので可能性が十分ありますが、そうなると何故伊達氏が平姓を捨てて藤姓を名乗ったのかが最大の疑問になりますが・・・。


[673] 浄法寺氏の系図 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/15(Sat) 00:34 

 では、「或る氏族の変転の歴史」に載っていた系図を以下に載せます。ちなみに以
前筈衛さんに教えていただいた情報によりますと、「岩手県史」の第2巻・第3巻に
これと同じ系図が載っているそうです。また第3巻には太田氏・松岡氏の系図も載っ
ているそうです。

畠山庄司重能―+―重光       +―重保
       |  太郎      |  太郎
       |  九州薩摩に下向す|  中根氏の祖
       |  伊地知氏の祖  |
       +―重忠―――――――+―重秀
       |  次郎      |  小次郎
       +―重清       |  篠塚氏、片山氏の祖
       |  長野三郎    +―女子
       |  信州住人    |  島津忠久の妻
       +―重宗       +―重慶――――――+―重基―――――+
          六郞         大夫阿闍梨  |  浄法寺太郎 |
          奥州に住す             +―重秀     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重親――+―重仲     +―重興―――――重治―――――忠弘――――+
|  小太郎|  孫太郎   |  参次郎           久治郎  |
+―基吉  +―重武―――――+―忠明                  |
|        太治郎   |                     |
+―友親     兄の跡を継ぐ+―女子                  |
|              |  義氏妻                |
+―女子           +―女子                  |
                  元利妻                |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重久―――+―家重――――+―重友
|  帯刀  |  左近大夫 |  修理亮
+―女子   +―久時    +―重良
|  鹿角氏妻|  寺田源四郎|  左京亮
+―女子   +―久光    +―忠朝
|  常道妻 |  田山藤十郞|  三十郞
+―女子   +―女子    +―重恒―――――――――+―重頼―――――+
   吉行妻    吉田氏妻 |  帯刀        |  右近大夫  |
               |  重友以下兄弟四人、 +―恒光     |
               |  相次いで家督を相続す   松岡覚助  |
               +―女子                  |
               |  時光妻                |
               +―女子                  |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重時――――――重氏―――重持――+―重通――+―重祐――――重光――+
|  修理亮     左京亮  修理亮|  帯刀 |  左近大夫  帯刀 |
+―時秀               +―女子  +―忠易        |
|  松岡藤左衛門             久吉妻   寺田市兵衛    |
+―女子                                 |
|                                    |
+―女子                                 |
                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重郷―――重國――+―重時―――――+―重房――――+―重利―――――+
   修理亮  帯刀 |  右近大夫  |  帯刀   |  修理亮   |
           +―忠郷     |  妻は九戸氏+―女子     |
              寺田八左衛門+―宗興       毛馬内靱負佐|
                    |  松岡覚左衛門  信次妻   |
                    +―女子             |
                       四戸甚四郎義武妻      |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+―重実―――+―重則―――――――重興
|  帯刀  |  左京       佐太郎
+―利宗   |  妻は北信愛の妹  比内に住す
   田山内蔵+―兼高
       |  兵部
       +―重政―――――+―重安――――+―重好
          修理    |  帯刀   |  修理
                +―女子    +―正吉
                   月館氏妻 |  松岡藤右衛門
                        +―忠賀
                           松岡市兵衛


[672] 勝ちましたねえ~ 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/15(Sat) 00:14 

↑チュニジアに...(^^) 今日は職場でテレビ見てました(^^;) といっても、勤務時間
は4時少し前で終わりなので、見てたのは勤務時間外でしたけど(^^;) 日本が勝った
のを見届けてから退勤しました(をい(^^;)) 今日は家で試合を見るために、いつもよ
り早く退勤する人が多かったです。ベルギー戦は見るの忘れてたし、ロシア戦は見て
たんですけど、パソコンやりながらだったのでふと気がついたら終わってたという始
末でしたが、今回はマジメに見てました(をい(^^;))

 で、そのあと例のWorld Tank Museum探索の旅に出ました(^^;) 数日前までは某コ
ンビニに山積みになっていたのが、一昨日あたりから姿を見かけなくなってきたので、
あわてて昨日は市内の店を回ったんですが確保できたのが5箱で、コンプリートまで
まだ3種残ってしまいました。それで、今日は札幌まで足をのばして厚別区・白石区
あたりを絨毯爆撃しましたが、結局まだ置いてあった店は1つだけで、結局残り3つ
のうち1つも確保できませんでした(T_T)
 どうも私は本に限らずコレクトすることに燃えるたちみたいです(^^;)

>ひづめさん

> す。昨年よりもさらに散策路の整備が進んだのは良いのかもしれませんが、搦手の
> 土橋がコンクリートになってしまっていてびっくり、がっかり、といったところ。
 う~ん、そうですか。でも一度確かめなくては...

>  今が最高です。わたしのページにアップしておきましたが、草刈り直後のため今
> ならば見ようと思えば全部見られますよ。
 FSIROのタマジーさんが7日(金)に行ったそうですけど、その時は一番下の郭まで
は行けたけど、その先はちょっと躊躇するものがあったとおっしゃってましたから、
土日に草刈りしたんですかね。ああ、行きたいなあ... でも今週と来週の週末は用事
があるので...

 ところで、今日北海道・東北史研究会の函館シンポジウム(7/27~7/29)の案内が届
いたんですが、2日目(28日)にM先生が「遺構・遺物から見る館とチャシ」というテ
ーマで研究報告をするようです。詳しくはあとでうちのニュースのコーナーで紹介し
ようとおもいますが、こりゃあ行かなくちゃいけないですかね(^^;)

>ヴワディスワフIII世・ヴァルネンチクさん
 はじめまして。大鴉さんのところの掲示板でのご活躍はROMさせていただいてお
ります(^^)

> 私は系図が大好きで、特に桓武平氏に興味があります。いつか『桓武平氏の全家系』
> というホームページを作ろうと思っています。
 『清和源氏の…』は奥富敬之先生が書かれてましたっけねえ。(持ってますけど)
私も中学生の頃清和源氏の系図に関してまとめようとしたことがあります。いま考え
てみればえらく不十分なものでしたし、未完で終わっちゃいましたけど(^^;)

> 前者には浄法寺氏、高山氏、河越氏、後者には白井、総社、足利といった分家が沢
> 山ありますが、群書類従、系図算要等には詳しく載っていないのです。これらの系
> 図の詳細な資料を手にいれるのにはどうしたらよいのでしょうか?
 そうですねえ、その辺の家系は私もあまり調べたことがないのでいまは何ともコメ
ントしようがありませんが、畠山流浄法寺氏については以前ちょっとした引っかかり
があって調べたことがあります。ねえ、筈衛さん(^^) (とイキナリ人を呼び出すヤツ
(^^;))

 浄法寺氏に関しては武田光弘氏による「或る氏族の変転の歴史」という論文(『姓
氏と家紋 第35号』<昭和55年8月発行>所載)があります。その論文によると、浄法
寺氏は畠山重忠の三男大夫阿闍梨重慶の子孫で、その系図は「九戸戦史」に収録され
ていて、「岩手県史」にも引用されているそうです。
 浄法寺氏は南部氏に追われて没落しましたが、その一族である松岡・太田・吉田・
駒嶺・大森らは南部藩士となり、『南部藩参考諸家系図』にその系図が載っておりま
す。
 『南部藩参考諸家系図』の方は膨大ですので、ちょっと置いておきまして「或る氏
族の変転の歴史」に載っている浄法寺氏の系図は別発言でご紹介します。

>YUKIさん

> 「徳川将軍家血族総覧」は持っているので歴代など大まかなところはわかるのですが・・・。
 おやお持ちでしたか。それは失礼しました(^^;)

> 「寛政譜」は個人ではなかなか厳しいですね。ほしい部分だけコピーでも高いかも。
> KUBOさんの蔵書一覧を見ていると相当かかったのでしょうね。
 あはは...(^^;) 私も『寛政譜』を買う時はかなり迷いましたよ。でもその値段分
くらいは活用してるから買ってよかったんでしょうね。まあでも、これほど系図関係
の文献を集めている人間はそうそういないと自負(というより自己満足?)してます(^^;)


[671] ありがとうございました 投稿者:YUKI 投稿日:2002/06/13(Thu) 21:00 

「徳川将軍家血族総覧」は持っているので歴代など大まかなところはわかるのですが・・・。「寛政譜」は個人ではなかなか厳しいですね。ほしい部分だけコピーでも高いかも。KUBOさんの蔵書一覧を見ていると相当かかったのでしょうね。


[670] 資料の入手 投稿者:ヴワディスワフⅢ世・ヴァルネンチク 投稿日:2002/06/13(Thu) 00:16 

初めまして
私は系図が大好きで、特に桓武平氏に興味があります。いつか『桓武平氏の全家系』というホームページを作ろうと思っています。桓武平氏で一番興味があるのは秩父党と長尾氏です。 前者には浄法寺氏、高山氏、河越氏、後者には白井、総社、足利といった分家が沢山ありますが、群書類従、系図算要等には詳しく載っていないのです。これらの系図の詳細な資料を手にいれるのにはどうしたらよいのでしょうか?


[669] 花沢館、今が旬! 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/11(Tue) 17:43 

KUBOさん、こんにちは。

 さっそく昨日上ノ国へ行って来ました。とりあえず勝山館へ行けばM先生に会えるだろうし、会えなければ電話してみようと思って今年もアポなしにしました。予想通り南の駐車場下の墳墓群を掘っていました。来週の「夷王山まつり」に備えて草刈りも急ピッチです。昨年よりもさらに散策路の整備が進んだのは良いのかもしれませんが、搦手の土橋がコンクリートになってしまっていてびっくり、がっかり、といったところ。複雑な心境です。この写真はアップしたくない気分です。

> 今年こそは花沢館を登りたいと思っているのですが、夏じゃあ藪が深いでしょうねえ。

 今が最高です。わたしのページにアップしておきましたが、草刈り直後のため今ならば見ようと思えば全部見られますよ。草刈りは隔年と聞いているのでお時間があれば即行くことをお勧めします。昨年M先生に案内してもらったときはものすごい藪でしたが、そこが遮るもの無く見渡せるのですから、なんかあの藪漕ぎが夢だったかのような不思議な気分でした。

 それにしてもどちらもものすごく広大な範囲を草刈りしていただいてあり、私たちだけで楽しんでしまうのでは申し訳ない気持ちです。KUBOさんに限らず、上ノ国へ行くことのできる方はぜひ花沢館や勝山館を歩いてみてください。

 6月いっぱいは勝山館南駐車場すぐ下の墳墓群内でM先生が発掘調査されていますから、おもしろいお話を聞けると思いますよ。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[668] また一週間ほど... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/10(Mon) 20:34 

↑空いちゃいましたねえ(^^;) でもなんか今日はネタがたくさんあって...(^^;)

 では、ネタその1。きょう家に帰ったら、郵便受けに封筒が入っていたので何かな
と思ったら...ソフトバンクからの郵便でした。アレなんだ?と思いましたが、その
うちに「そういえば、4月の末頃にうちのサイトのお城壁紙をDVD-ROMに収録させて
ほしい」というメールが来ていたことを思いました。
 封を開けてみたらやはりその見本誌でした。どこか隅っこにちょこっと載るのかな
と思ったら、なんと表紙の一隅に会津若松城の写真とともに「KUBOの家系城郭研究所」
の文字が...(^^;) 壁紙のコーナーでも他のサイトを押さえてトップに掲げていただ
きまして二度ビックリです(◎-◎) というわけで、ありがとうございますです>ソフ
トバンク様(こんなところでお礼いうんじゃないってば(^^;))
 ということで、もしよろしければ現在発売中の「PCLife+DVD 7月号」をご
覧になってみて下さい。

 ネタその2。4月の末からかかっていたメインデスクトップPCのパワーアップが
やっとこの前終わりました。Windowsの再インストールなんてのもありまして、時間
がかかっていましたが、これで、P3 500Mhz+128MBからP4 1.6Ghz+512MBにパワーアッ
プしまして、ついでにWin XPとMeのデュアルブートにしました。これでまた3年くら
いは使えるかなあ?

 ネタその3。最近よくコンビニなどでいわゆる玩具菓子というヤツを見かけますよ
ね? 私の子どもの頃には、よくオマケ付きのお菓子(以前話題にしたタイムスリップ
グリコもこのタイプ)というのが売ってましたけど、最近は逆でお菓子がオマケのよう
についているフィギュア等が売っているんですねえ。
 それで最近、近所の某コンビニで売っている「WORLD TANK MUSEUM」というシリー
ズにはまっていまして、ついつい買ってしまいます(^^;) 全18種のうち7種は集めた
んですが、「M4A1/76シャーマン戦車・単色迷走」はだぶってしまいまして、3台も
あります(^^;) そのうちに戦車部隊ができてしまうかも(^^;)

>島公方さん
> ところで、山形県朝日町で長岡氏という豪族がいたようなのですが
> 祖先その他、謎のままです。どなたかご存知の方
> いらっしゃいたら是非教えてください。
 相変わらず、系図関係資料が段ボールの中ですので、お答えのしようがありません
(^^;) もう少々お待ち下さい...って1年くらいかかったりして(をい(^^;))

>ひづめさん
 いよいよ『函館お散歩団』始動ですねえ。ようこそ北海道にいらっしゃいました(^^)

>  KUBOさんは、今年の夏は道南への予定はありますか?北海道
> の貴重な夏に函館ばかりへ来ていたら他を回れないでしょうけ
> ど。
 行きたいのは山々ですが、諸事情がありましてまだ何ともいえません(^^;) またご
一緒したいですね。

>  今年の『函館お散歩団』の予定はまだあまり考えていないの
> ですが、とりあえず上ノ国勝山館をメインに「道南十二館」+
> αを再訪しながら過ごそうかと思っています。
 今年こそは花沢館を登りたいと思っているのですが、夏じゃあ藪が深いでしょうね
え。

>木村信行さん
 はじめまして。当サイトにおいでいただきありがとうございます。ところで木村さ
んのサイトのURLが正しく表示されていないようですが...

>YUKIさん
 はじめまして。ようこそいらっしゃいました(^^)

> 今日、「三河松平一族」(平野明夫著新人物往来社)を買いました。それで次は
> 「家康の族葉」を買おうかなと思っています。ところで18松平の歴史や系図を知
> るにはどのような本がいいですかね?「徳川諸家系譜」とかはどうでしょう?
 『三河松平一族』を購入されたんですか。私もチェックはしておいたんですが、ま
だ購入していません。そろそろ注文しようかな?
 『家康の族葉』ですが、十八松平の諸家についてはなかなか詳しく書かれています
ので、一読されてもよいかと思います。ただし、私が買ったのは古い版のようで、古
本屋で買ったんですが、結構高かったような記憶があります。最近、新しい版が出た
ような話も聞きましたが、どうなのかなあ?
 それから『徳川諸家系譜』は将軍家・御三家・御三卿・連枝(御三家の分家)などの
系譜で十八松平の諸家の系譜は出ていなかったはずです。十八松平の諸家の系譜をみ
たいなら『寛政重修諸家譜』をご覧になったほうがよいでしょう。
 それから『徳川将軍家血族総覧』『徳川御三家・御一門のすべて』『徳川一族 将
軍家への挑戦』(以上、別冊歴史読本)、『徳川十五代と一族の系譜』(歴史と旅臨時増
刊)などの雑誌の別冊・臨時増刊などもご覧になるといいでしょう。ただし、中には
かなり古いものもありますので図書館・古本屋などにしかないものもあると思います
し、十八松平に関しては載っていなかったものもあったと思いますが。

 ああ、長くなってしまった...


[667] はじめまして 投稿者:YUKI 投稿日:2002/06/10(Mon) 00:11 

こちらのホームページは以前から見させてもらっていたのですが、書き込みは今回が初めてです。
今日、「三河松平一族」(平野明夫著新人物往来社)を買いました。それで次は「家康の族葉」を買おうかなと思っています。ところで18松平の歴史や系図を知るにはどのような本がいいですかね?「徳川諸家系譜」とかはどうでしょう?


[666] ご挨拶 投稿者:木村信行 投稿日:2002/06/07(Fri) 11:09 

ホームページを見て感心しました。今は何でもパソコンの時代で御自分の研究内容をいや実に細かくやっていてまずは感心しています。ぜひ私のほームページも見てください。そしてぜひ購入を検討して御自分の研究内容と比べてください。

http://www.tokyo/


[665] 明日、上陸いたします 投稿者:ひづめ 投稿日:2002/06/06(Thu) 21:10 

KUBOさん、こんにちは。

 ご無沙汰です。

 『函館お散歩団』、明日函館へ入港予定です。昨年のKUBOさ
んとのように、北の大地で今年もまたすばらしい出会いがある
ことを楽しみにしています。

 KUBOさんは、今年の夏は道南への予定はありますか?北海道
の貴重な夏に函館ばかりへ来ていたら他を回れないでしょうけ
ど。

 今年の『函館お散歩団』の予定はまだあまり考えていないの
ですが、とりあえず上ノ国勝山館をメインに「道南十二館」+
αを再訪しながら過ごそうかと思っています。

ひづめ@美浦村お散歩団

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/


[664] 山形といえば・・。 投稿者:島公方 投稿日:2002/06/05(Wed) 09:53 

>hazuさん
そういえば、片倉氏は高畠という説もあるようですね。
ただ聞いた話なので長井で合ってると思います。

ところで、山形県朝日町で長岡氏という豪族がいたようなのですが
祖先その他、謎のままです。どなたかご存知の方
いらっしゃいたら是非教えてください。
妙な質問ですいませんm(__)m


[663] 雨が降ったんで... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/06/03(Mon) 22:36 

↑昨日の運動会は火曜日に延期になりました(T_T) 今日は休みですけど、今週は火曜
日の運動会でスタートして土曜日まで休み無しです...ヤレヤレ(T_T)

>D-oneさん
 行き違いになっちゃいましたね(^^;) ええ、絶対旭川のお城の鯉寿司の方が「あや
しい城」らしいです(^^;) いま、道東遠征の更新をしていますので、旭川方面の更新
はそれが終わってからになりますが、もう少々お待ちください。

>コンスタンティノープルからの使者さん
 ご無沙汰してます。そちらの掲示板はのぞいてるんですけど、私の方こそ顔を出し
てなくて申し訳ありませんでした(^^;)

> 50000ヒット越えられたんですね。遅れ馳せながらおめでとうございます。ウチも
> 負けないように頑張らないと(ウチは扱ってるネタがどマイナーだからなぁ…)。
 うちもネタは充分マイナーなんですけどね(^^;) うちと同じ頃に開設したところで
8万だの10万だのいっているところもありますからね。

>  先日、NHK教育の「歴史で見る世界」(高校世界史)の内容が、なんと「ビザン
> ツ帝国の成立」。ようやくビザンティンだけで放送枠一つを使うようになったよう
> です。
 う~、見たかった... 最近、テレビってあまり見ないもんで(^^;) しかしそれだけ
でもかなりの進歩ですよねえ。でも、この前学研M文庫の『ローマ帝国の盛衰』(是本
信義)という本を本屋で見かけたので目次を見てみると東ローマで一章取っていたので
買ってみたんですが、家に帰ってからよく見たらその記述の3分1が十字軍関係、3
分の1がコンスタンティノープル陥落時、残りの3分の1がオスマントルコの勃興と
ティムールとの対決てな感じで、ビザンツに関する記述がほとんどないことに気づき
ました(T_T) よく見たら章のタイトルも「東ローマとイスラム教」ですから、そうい
う感じになったんでしょうけど、でも、ビザンツの最盛期であるマケドニア朝の記述
が全くないなんて、ガッカリしてしまいました(T_T)

>うるとらモモ父さん
 先日はご丁寧なメールを頂きありがとうございました。リンクと引用の件、了解い
たしました。うちのサイトの浪岡氏のコーナーにも近いうちに弘前浪岡氏を追加させ
て頂きますので、よろしくお願いします。


[662] 引用させていただきました。 投稿者:うるとらモモ父 投稿日:2002/06/01(Sat) 13:38 

eメールで母方の弘前浪岡家の系図を送らせていただきました。
小生のホームページに「浪岡(北畠)氏史」を掲載し、
貴サイトのリンクと「系図」と説明を引用させていただきました。
また当方の弘前浪岡氏の系図を挿し込みました。
と言っても概要だけで、詳細は貴サイト参照です。
またよろしくお願いします。

http://isweb33.infoseek.co.jp/animal/u-momo/


[661] お久しぶりです 投稿者:コンスタンティノープルからの使者 投稿日:2002/06/01(Sat) 01:22 

こんばんは。覚えておいででしょうか?「ビザンティン帝国同好会」の「コンスタンティノープルからの使者」です。最近自分のページは更新しないわ、人様のところには挨拶に行かないわ、余りにもひどいので改心してご挨拶回りに伺っている次第です。50000ヒット越えられたんですね。遅れ馳せながらおめでとうございます。ウチも負けないように頑張らないと(ウチは扱ってるネタがどマイナーだからなぁ…)。
 先日、NHK教育の「歴史で見る世界」(高校世界史)の内容が、なんと「ビザンツ帝国の成立」。ようやくビザンティンだけで放送枠一つを使うようになったようです。内容は、ユスティニアヌス、レオーン3世、バシレイオス2世の3人に焦点を当てたものでしたが。ほとんど井上浩一先生の著作の要約というものでした。それでも、私が高校生だった頃はロクに扱われもされてませんでしたから、まあ進歩したと言うところでしょうか。

一方的に書いてしまってすみません。本日はこれにて失礼をば。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9837/index.html


[660] おっと... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/30(Thu) 23:08 

 なんと10日以上も放置してしまいまして、申し訳ありません>みなさま
今度の日曜日が運動会なもんで、何だかあわただしくって... おまけにここ数日のど
の調子が良くなくって、今日はずっと鼻水が出るわ、咳が止まらないわ、のどはイラ
イラするわで参りました。いつも季節の変わり目は調子が良くないんですよねえ。
 そんなこんなで、GWの道東遠征&その後の旭川遠征のまとめもなかなか進みませ
ん(^^;) 先日、道東遠征の初日の分だけアップしましたが、もう少々お待ち下さい。

>留三さん・筈衛さん

> その村の住人達は片倉小十郎景綱以前の世代で片倉氏から分家した人達の末裔では
> ないのかな?と思ってます。
 山形県ならその可能性は捨てきれないですよね。

> その片倉さんが中世の長井郡小松郷付近ならばそうかもしれませんね(^^;;
 ちょっと今調べる気力がありませんので(本もまだ片づいてないし)、後ほど覚えて
いたら調べてみます(をい(^^;))

>こたつ城主さん
> KUBOさま~、お元気ですか~☆ミ
 ちょっと元気じゃないです(^^;)

> いや~、伊勢戦国村に建ってる安土城を検索してたら、
> 「怪しい城」に到着しちゃったんですよ。
 あの安土城だけはちょっと行ってみたい気がしますねえ。登別伊達時代村も白石城
くらい建ててくれたら良かったのに(をい(^^;))

> こたつは改めて師匠を尊敬しちゃいましたよっ!(爆)
 なんかそういうところで尊敬されても...(^^;) 実はこの前旭川で「あやしい城」
を発見(というか教えてもらった)しちゃしました(^^;) 今度、報告に行かねば...

> ところで、4月に山梨県の石和で川中島合戦戦国絵巻という
> 祭りに出て戦をして来て以来、GWには館山城、19日には
> 山中城と、どちらも初めて行って来ました!
 おお、山中城! また行きたいですねえ、あそこは。あの障子堀にはうっとり...で
した(^^) 館山城はまだ行ったことがないので、そのうち行きたいんですが。

> 前にこちらで話した、信州の霞城跡ですが、ウチの「城主の
> たわごと」というコーナーの4月版に写真を掲載致しました。
 見せていただきました。信州も行きたいんですがねえ...いつになる事やら(--;)

>島公方さん
 しばらくでした。お元気でしたか? こちらは相変わらずです。今後ともよろしゅ
う(^^)


[659] 登別市郷土資料館を拝見しました 投稿者:D-one 投稿日:2002/05/30(Thu) 22:12 

こんばんは、あやしい城のD-oneです。
・・・確かに何処が白石城をモデルにしたのか全く判りませんね(笑)
どちらかと言うとさりげなく書いてあるお寿司屋さんの方が興味があったりしますが。

それでは、失礼します。


[658] お久しぶりです♪ 投稿者:島公方 投稿日:2002/05/30(Thu) 15:46 

覚えていらっしゃらないかも・・・(^^;)
随分ご無沙汰してます♪去年忽然と消えた島です。
これからはカキコ怠らず(爆)
精進しますので改めてよろしくお願いします♪


[657] お久し振りです~☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:2002/05/24(Fri) 22:43 

KUBOさま~、お元気ですか~☆ミ
こないだは登別の戦国時代村のお話、ありがとうございました~。

いや~、伊勢戦国村に建ってる安土城を検索してたら、
「怪しい城」に到着しちゃったんですよ。
で、いつも、端末ページだけ紹介するんじゃサイト主催者に
悪いかな~、とか思うんで、掲示板で話題にする時には、
何となくトップページを一緒に提示するんですが、トップページ
見てたら、妙にそそられましてね~(笑)。
あの「定義」ってのがスバラシイ!
思わず「天守閣とはそもそも」なんて考えちゃいました!

で、どんな事話してるのかな、と思って掲示板を覗いたら……。
師匠! 流石ですね!
こたつは改めて師匠を尊敬しちゃいましたよっ!(爆)

でもそうですか。登別にもニャンマゲが……。
特にコレには、繰り返しコメントしませんが(汗)。
(充分に跨りネタですしね)

ところで、4月に山梨県の石和で川中島合戦戦国絵巻という
祭りに出て戦をして来て以来、GWには館山城、19日には
山中城と、どちらも初めて行って来ました!
どっちも敷地が広くて、狭苦しい松戸に住んでる私としては
もぉ羨ましいの妬ましいのって、ありゃしませんでした(TOT)!
そのうち山中城の障子堀の中に家を建てたいです!!!

前にこちらで話した、信州の霞城跡ですが、ウチの「城主の
たわごと」というコーナーの4月版に写真を掲載致しました。
もしもKUBO様が要り用の場合は、あそこから写真取って
構いませんです~!

ではでは(^^)。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[656] 長井郡小松郷 投稿者:hazu 投稿日:2002/05/20(Mon) 20:38 

 その片倉さんが中世の長井郡小松郷付近ならばそうかもしれませんね(^^;;
 ところで、今のどの辺りなんだろう(・・?

筈衛


[655] 身近に居た?片倉氏? 投稿者:留三 投稿日:2002/05/20(Mon) 15:20 

つい先日、自分と仲がよい片倉さんって人と話していたら、
その人の父親の実家は山形県の某村(なんて名前の村かは失念)で、そこの村の住人は「片倉さん」が多いらしい。
その人は歴史に疎い人なのですが、
「ご先祖様は昔の偉い武将の遠い親戚」との事。
多分、この「偉い武将」って言うのは片倉小十郎景綱の事言ってるんだと思うんですよね。
その村の住人達は片倉小十郎景綱以前の世代で片倉氏から分家した人達の末裔ではないのかな?と思ってます。


[654] 無題 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/19(Sun) 08:45 

 4月の転勤以来、毎土曜日が休みになったとはいえ、なんだかんだと予定が入って
くるもので、なんにもない土日はなかったのですが、久しぶりに何もない土日です。
とはいえ、昨日はルーツ探偵談の談長さんの暴走が原因で、午前中は寝てた(起きれ
なかったとも言う)ので結局何もできませんでしたが... (全く酒飲みは...(--;))

>雪豹さん
 ご無沙汰しています(^^)

> Googleでいろいろ検索しているうちに出てきて、「あうう、KUBOさんお返事下さっ
> たのに見落としてた」と最近知ったので来ました。
 いえいえどういたしまして。私もモンゴル系ならそれなりにわかるんですが、突厥
系はちょっと疎いもんで(^^;)

>  それで、ご報告。「世界帝王系図集」を図書館で見つけたのですが、あまりにも
> スゴかったので、思わず自分でも作ってしまいました。やる気を起こさせる、とい
> う意味では、実に有意義な本です(バキ……誰にでも、得手不得手はある……作者
> の専門外だったんだろうな~)。
 あの方は『世界帝王系図集』(の旧版)を出していた近藤出版社から『ブルボン家』
『ハプスブルク家』などヨーロッパの王家について書いた5冊ほどのシリーズも出し
てましたから、きっとヨーロッパ方面が専門なんでしょうね。
 ですからヨーロッパ方面はそれなりに詳しいですが、東洋の方はちょっと...とい
う感じのところが結構ありましたね。まあ、不十分な内容ながら、外国の家系図をあ
れだけまとめた本は他にありませんので、それだけでもありがたいと思わねばなりま
せんけど。

> ……あ、ケシクテン旗の方は全く進展していません。でも、できればこの夏には、
> 心ゆくまで調べたいとは思っています。
 私も「チンギス・ハーンの一族」シリーズはniftyでもここでもすっかり休止状態
ですから、何とかせねばとは思っているんですが、今の調子ですと「ユーグ・カペー
の末裔」シリーズ、「滅びた(?)名族」シリーズの次くらいになりそうですので、今
年中に再開できるかどうか(をい(^^;))

>留三さん
 こちらにまで足を運んでいただきありがとうございます(^^)

> 既にリンクのご挨拶したものだと勘違いしておりました。
 いえいえどういたしまして、近日中にリンクさせていただきますので、よろしくお
願いします(^^)

> 実は自分は伊達家とは血縁も地縁も全然ない、
> 神奈川県の半士半農若しくは豪農の家系でして、
 私も伊達家とは縁もゆかりもない越前の百姓の末裔ですが、なんか好きなんですよ
ね伊達家って。もちろん大河ドラマの影響が一番なんですが、北海道に伊達侍の末裔
たちが入植に入っているというのももちろん影響していると思います。岩出山の伊達
邦直が入植している当別は私の実家の隣町でして、実家から車で15~20分くらいで邦
直等の遺品等を展示している伊達記念館や伊達邸別館まで行けますので、余計親近感
を感じたのかもしれません。
 いまは他のシリーズ手一杯なので、まだ全然手を付けていませんが、そのうちに戦
国大名の一門をまとめたコーナーを作りたいなと思っているのですが、その時はまず
第一に伊達家を取り上げようと画策しております(^^)

> それで本当に“みぃはぁ”な視点から伊達家を色々と調べていたのがいつの間にや
> ら・・って感じで(苦笑)
 最近しばらく他のサイトってあまりじっくり見ていなかったのですが、伊達家のこ
とがたくさん載っていたので、思わず読みふけってしまいました(^^;)
 こちらこそ今後ともよろしくお願いします。


[653] はじめまして・・でしたね 投稿者:留三@仕事中 投稿日:2002/05/17(Fri) 17:20 

>KUBOさん
先日は当方のHPにご来訪頂き有難うございました。
うちは細く長くやってるサイトなんで、どこにいつリンクのご挨拶したか、すっかり失念してまして・・
既にリンクのご挨拶したものだと勘違いしておりました。

実は自分は伊達家とは血縁も地縁も全然ない、
神奈川県の半士半農若しくは豪農の家系でして、
なんとか辿れるのが江戸時代中期位までなんですよ。
うちの系図は調べていて面白い発見が全然ないし・・・
それで本当に“みぃはぁ”な視点から伊達家を色々と調べていたのがいつの間にやら・・って感じで(苦笑)

それから、血統図作成の時に手持ちの文献で追いきれない部分を
参考にさせて頂きました。
今後も宜しくお願い致します。

みぃはぁ版・平成伊達治家記録・別館

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/xd6/tomedas/


[652] 「世界帝王系図集」その他、いろいろお世話になっています。 投稿者:雪豹 投稿日:2002/05/17(Fri) 00:57 

 KUBOさん、ラインの王族での「世界帝王系図集」の話題や、チンギスの子孫の系図(ケシクテン旗の話題)ではお世話になりました。こちらでは初めまして。
 「世界帝王系図集」の話題は、どんどん下の方になってしまった&濃い話になってきたので、見てなかったのですが、Googleでいろいろ検索しているうちに出てきて、「あうう、KUBOさんお返事下さったのに見落としてた」と最近知ったので来ました。本当にありがとうございました。
 それで、ご報告。「世界帝王系図集」を図書館で見つけたのですが、あまりにもスゴかったので、思わず自分でも作ってしまいました。やる気を起こさせる、という意味では、実に有意義な本です(バキ……誰にでも、得手不得手はある……作者の専門外だったんだろうな~)。カプガン=カガンの息子のイネル=カガンとビルゲ=カガンの息子のイネル=カガンを混同しているとか、まずいところは多々あるのですが、西突厥の方が系図になってないのを見ると、ま、仕方ないか……と暖かい目で見守る事にしました(笑)。
……あ、ケシクテン旗の方は全く進展していません。でも、できればこの夏には、心ゆくまで調べたいとは思っています。
それでは。

http://homepage2.nifty.com/i-love-turk/


[651深川・旭川チャシ巡り 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/15(Wed) 01:02 

 先日の日曜日はお城巡りMLの方と深川・旭川方面でチャシ巡りをしてきました。
残念ながら遺構らしい遺構をはっきりと確認できたのは現在北海道東海大学の敷地内
にある立岩山チャシだけでしたが、なかなか有意義なものでした(^^) さあ、今度は
どっち方面に行こうかな?
 あ、それから連休明けからフレッツADSLにInet環境を切り替えました。8Mタ
イプなんですが、我が家は電話局から4kmほど離れているので、測定してみたら0.4
Mbpsほどしか出てないようです(^^;) とはいえ、いままでがISDN回線の64kbpsだ
っただけに、それに比べると格段に早くって非常に快適です(^^)

>なにがしさん
 はじめまして。丹生氏については不勉強でくわしいことはわかりませんが、丹生と
丹比と文字が似ているところから関係づけたのでしょうかね?

>筈衛さん
 家系の検索ですか... 私にできるんだろうか、そんなこと? あ~また宿題が増え
てしまった... うちのサイトに載せている家系図の一覧を作った方が良いかもしれま
せんね~

>蠣崎若狭守さん
 ご無沙汰してます。ご実家の方に戻られたんですか。旭川ならついこの間チャシ巡
りに行ってきたばかりですが(^^;)

> シャクシャイン戦記 新人物往来社 大森光章・著

 へえ、これは知らない... 今度探してみようっと。「蝦夷国まぼろし」も本は持っ
てるんですけど、はじめの方をちょっと読み始めたきりなので、もうすっかり忘れて
しまうもう一度読み返さなくてはいかんと思っていたところですが、さてどの段ボー
ル箱に入れたやら(をい(^^;))

>北条早雲公園を創る市民の会さま
 ご無沙汰しております。最近しばらくそちらをのぞいていませんでした。今度久し
ぶりに訪問させていただきます。

>田村一彦さん
 はじめまして。なんと田村顕允の御子孫ですか。わざわざおいでいただきありがと
うございます(^^)伊達は良いところですよね。私も年に何度も行ってます。去年は東
京から出張で来られた方を案内して開拓記念館や館山チャシ・ポンチャシに行ってき
ました。

> 北海道へ移住した後のことは皆がよく知っているが、北海道に移住する前が興味深
> く、面白いという父が言葉を思い出します。

 移住後のことは私がネタ本にしている榎本守恵氏の『侍たちの北海道開拓』にくわ
しく出てますね。移住前にいた宮城県の亘理にもいったことがありますが、亘理伊達
家の場合、家中まるごと移住してしまったからか、亘理の郷土資料館にはめぼしい資
料があまりありませんでした(^^;)
 なお投稿がダブっていましたので一つは削除させていただきましたのでご了承下さい。


[650] 侍たちの北海道開拓(1)を拝見して 投稿者:田村一彦 投稿日:2002/05/10(Fri) 13:22 

はじめまして、私は自分の家系に強く、興味をもつようになったの
は、やはり北海道を離れて、東京に就職してからです。

大学までは北海道の伊達市に住み、子供のころから、伊達の歴史を
調べたり、興味を持たれた方が父を尋ねて見えられる度に、父の傍
らに座らされ、話を聞かされていました。

私の曽祖父、田村顕允を検索して、初めて 「侍たちの北海道開拓(1)」を拝見する機会に恵まれました。

北海道へ移住した後のことは皆がよく知っているが、北海道に移住する前が興味深く、面白いという父が言葉を思い出します。

今後ともよろしくお願いいたします。


[648] リンクさせていただきました 投稿者:北条早雲公園を創る市民の会 投稿日:2002/05/10(Fri) 12:59 

ご無沙汰致しております。
大分以前に当サイトにご署名をいただきまたリンクして頂きありがとうございます。皆様のご協力に感謝・感激しながら頑張っております。CASTLE LOVERSお城好きさんのページに大分前からバナーだけお借りしていましたが,リンクさせていただきましたので,ご連絡致します。またHPにお越しくださいませ。いろいろ更新致しました。

http://homepage2.nifty.com/hojyo-soun/


[647] ご無沙汰しております 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/05/10(Fri) 10:50 

ご無沙汰しております。蠣崎幕府の蠣崎若狭守です。

 神奈川から実家がある北海道に引っ越ししたのでHPや掲示板の訪問もままならなかったのですが、身辺が少し落ち着いてきたので、久々に訪問してみました。

 先日、旭川の富貴堂に立ち寄ってみたところ、こんな本を見つけました。

 シャクシャイン戦記 新人物往来社 大森光章・著

 「蝦夷国まぼろし」以来の蝦夷地関連の時代小説で、小説の題材としてあまり取り上げられていない「シャクシャインの蜂起」を題材にしています。

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[646] お願い(^^;; 投稿者:hazu 投稿日:2002/05/08(Wed) 21:12 

 お願いします(^^;;(私がお願いしますと言うときは怖いんだぞ(^o^;)
 KUBOさんところのHPに出てくる家系の検索なんかほしいんですけど、できませんか(^。^;
 できれば、日本語圏のHPに出てくる家系の検索システム誰か作ってくれないかな(⌒_⌒) >これは別な人に頼んだほうがいいかな(^^;;

筈衛


[645] 丹治氏家系 投稿者:なにがし 投稿日:2002/05/08(Wed) 02:15 

はじめまして、なにがしと申します。
丹生氏を検索していてこちらにきたのですが、丹治氏について。丹生氏の家系図には丹治氏は宣化天皇の末裔で、家義の子家信が甥であるが故に丹生氏に養子に入ると書かれています。つまり、丹生氏と丹治氏は別々の家系と思われます。時代の流れでどこかで丹治と丹生をくっつけた方がおられたのでしょうね。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~mkn/index.html


[644] 道東チャシ巡りその4 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/06(Mon) 22:40 

 やっと家に戻ってきました。4日間の全走行距離約1170kmでした(^^;) あ~疲れた...
でも風呂に入って根室で買ってきたかにを食べたら元気が出てきました(^^;)
 さてそれじゃあ最終日の報告っと...

(29)桂ヶ岡チャシ(網走市)
 このチャシはそれほど大きなものではありませんが、御供山型をしていてとてもき
れいな形をしています。ちょうど桜の花が咲いていて、芝生の緑とタンポポの黄色と
桜のピンク色の三色のコントラストがきれいでした(^^)

(30)ユクエピラチャシ(陸別町)
 陸別町まで1時間半ほどで移動し、駅前の道の駅で少し休憩してからユクエピラチ
ャシに向かいました。ここも国指定史跡ですが、今まで見てきたチャシの壕がせいぜ
い1~2mほどだったのに対し、ここの壕の深さは3m以上あり、壕底に立つと郭の
底面が頭の上に来ます。半円形の壕が2つ繋がったものとその外側にもう一つ半円形
の壕があり郭が3つあります。このユクエピラチャシは2回目ですが、やはり良いで
すねえ。ちょっとした山城という感じです。

(31)ウェンベツチャシ(陸別町)
 ユクエピラチャシから1kmほど離れたしらかば苑という老人ホームの近くにある小
山がウェンベツチャシです。前回は草が生い茂っていてわかりませんでしたが、今回
は小山の中央部にある壕をしっかりと確認できました。この壕は小山のちょうど真ん
中を仕切るように窪んでいて、ちょっと変わっています。

(32)成人の森チャシ・成人の森第二チャシ(陸別町)
 この2つはユクエピラチャシから南に2kmほど下ったところにあります。第二チャ
シは利別川に面した牧草地の端にあり壕の深さの50cmほどと小規模なものです。ちょ
うど郭部分が周囲より少し高くなっていて段のようになっています。
 成人の森チャシは、第二チャシから道路を挟んで斜め向かいにある舌状台地の先端
部にありますが、登る気力がもうありませんでした(^^;)

(33)トラリ第二チャシ・トラリ第三チャシ(足寄町)
 今回の旅最後のチャシがこの二つです。ここはちほく高原鉄道ふるさと銀河線の大
誉地駅の近くで利別川を渡ってすぐ右側の台地上にあります。ちかくにあったトラリ
交流センターの駐車場に車を止め、牧草地を横切ってそれらしき場所を探すと、すぐ
に第三チャシの標柱を見つけました。
 それほどたいしたチャシではないだろうと予想していたんですが、大間違いでこの
第三チャシにはユクエピラチャシに匹敵するくらい深い壕が2本、その外側にもう1
本少し浅い壕が走っています。それだけではなく壕の先端部ではそれらの壕を区切る
ように小さく切られた部分があり、ちょっと複雑な形になっていました。
 これだけでもすでに驚いていたんですが、第三チャシの近くにあった第二チャシに
行ってもっとビックリ! 第三チャシより深く広い壕があったんです。深さ5~6m
はありそうで、私が今まで見てきたチャシの中でもこれほど深い壕は見たことがあり
ませんでした。(今まで見てきた中ではユクエピラチャシの壕が一番規模が大きかった)
 旅の最後に、予想もしていなかったすばらしいチャシに巡り会えて大満足でした(^^)

 ということで疲れはしましたが、なかなか充実した旅でした。特に3年前に充分遺
構を確認できなかった浦幌のオタフンベチャシ、釧路の鶴ヶ岱チャランケチャシ、根
室半島チャシ跡群の各チャシ、標津のタブ山チャシをじっくりと見ることができたこ
と、そしてホニコイチャシ・トラリ第二・第三チャシなど新たな収穫があったのが良
かったです(^^)
 道東はやはり遠いですが、さすがにこちらに比べると規模の大きいチャシが多いな
あという感じを受けました。
 さあ今度はどこ行こうかな?


[643] 道東チャシ巡りその3 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/05(Sun) 22:44 

 今日は網走のホテルからです。3日目となるとだいぶん足も疲れてきました。草藪
ばかり歩いているから余計疲れるのかも(^^;)

(17)シエナハウシチャシ(根室市)
 ...が最初のはずだったんですが、予定の場所についても何も見つかりません。前
回来た時には標柱のようなものが見えたんですが、今回は見つかりませんでした(T_T)

(18)コタンケシ1・2号チャシ(根室市)
 ここは道路から数百m離れてまして間には湿地帯があるので遠景を眺めるだけでし
た。前回も見つけた標柱が1号チャシの上に立っていました。

(19)ノッカマフ1・2号チャシ(根室市)
 ここは前回遠くから説明板と標柱があるのが見えたんですが、雨が降っていたし間
に笹藪が生い茂っていたので断念したんですが、今回も間に笹藪があるので一瞬躊躇
したものの「行けるところまでいってみよう」と進んだら、なんとかチャシの所まで
たどり着くことができました(^^;)
 1号チャシは半円形の壕が1本ありますが、かなり浅いもので深さ50cmほどしかあ
りません。説明板によると築造途中だったのでは?とのことでした。2号チャシは半
円形の壕が2本繋がった形をしていて、こちらはふかさ2mほどもあるでしょうか。
壕の内側にはその土を盛り上げたのか土塁状になっていました。

(20)サツコタンチャシ(根室市)
 チャシの所まで小川を渡らねばならずちょっと苦労しました。L字型の壕があり、
壕の内側は一段高くなっています。壕の外側には2つ竪穴住居の跡がありました。

(21)コンブウシムイチャシ(根室市)
 サンコタン岬の近くですが民家の裏側にあるので、近くまで行きましたが引き返し
てしまいました。地形図では壕が二重になっていたり、コの字型の壕が4~5つほど
並んでいるというチャシでしたので、断って見せてもらえば良かったかもしれませ
ん(T_T)

(22)トウシャム1号チャシ・トウシャム2号チャシ・ヒリカヲタチャシ(根室市)
 この3つはトーサムポロ沼周辺にあるもので、2号チャシは見つけられませんでし
た。1号チャシはトーサムポロ沼を横断する橋の右側奥に標柱が立っている台地があ
ったので、あれがそうなのかもしれませんが、笹藪を数百mも漕ぐ元気はありません
でした(T_T) ヒリカヲタチャシはその橋の近くにある漁港の裏山で標柱も看板もあり
ましたが、崖が急で登ることができませんでした(T_T) (こればっか)

(23)ヲンネモトチャシ(根室市)
 ここは看板と標柱が見えたものの、やはりそこまでの間には草藪が... そこで近く
の民家の前で子どもたちが遊んでいたので、その民家でお母さんらしき方に近づく方
法はないか聞いてみたところ、「チャシなんて知りません」という冷たい返事...(不
審者と思われたんだろうか(T_T))
 仕方ないので、何とか他の場所から草藪を漕いで何とか近づくことができました。
このチャシは御供餅をずらして2つ重ねたような形をしていて、なかなかきれいでし
た。で、結局あとから漁港の方から浜づたいに行くとチャシに近づけることが判明...
疲れた(--;)
 ちなみにチャルコロフイナ1号・2号チャシやノッカマフ1・2号チャシもそうで
すが、このチャシも国史跡に指定された時に遊歩道が整備されたようなんですが、す
っかり草に埋もれていてどこが遊歩道なのかわかりませんでした(T_T)

(24)ポンモイチャシ(根室市)
 ここは北海道の東の果て、納沙布岬の近くです。場所は前回でわかっていたのです
ぐ到着しました。丁度上ノ国の比石館に似た形(こちらの方がずっと小さいですが)で、
岬の付け根の部分が狭くなっていて、そこに壕が2本あります。写真を撮っていると
雲行きが怪しくなってきたのですぐ車に戻ると、晴れていた空があっという間に雨空
に変わり、どうしたもんかと考え、花咲港の近くにある根室市郷土資料展示センター
に向かうことにしましたが、着いてみたら休日は休館(T_T)、そのころもまだ雨が降っ
ていたので落石岬の方にあるアフラモイチャシ・ニノウシチャシはやめにして標津方
面に向かいました。
 以上で根室半島チャシ跡群は終了です。

(25)タブ山チャシ(標津町)
 ここも前回笹藪&小雨で断念したところですが、今回はしっかり登れました。ここ
は今日一番の収穫だったかも。コの字型の壕が4~5本ほど並び、二重の壕になって
いるところもありました。チャルコロフイナ1号・2号チャシと同じかそれ以上の面
積があると思われ、道東のチャシの中でも大規模なものでしょう。一番奥の郭は堀底
から2mほどの高さのところにあり、ここが主郭だったのではと思いました。

(26)ホニコイチャシ(標津町)
 ここは前回見つけられなかったところですが、作業上のような所の裏にタブ山チャ
シと同じ黄色の標柱を発見しました。ここはかつては会津藩が幕末に建てたホニコイ
陣屋の跡と思われていましたが発掘の結果チャシであることがわかったというもので
す。コの字型の壕とその内側に土塁があり、陣屋跡と思われたのも仕方ないなと思い
ました。

(27)古道チャシ(標津町)
 ここはこのチャシ及び周囲に広がる百数十基の竪穴住居群をあわせ古道遺跡として
国指定史跡になっています。確かに竪穴住居跡がたくさんあり、南東部にあるという
チャシをなかなか見つけられませんでした。半円形の壕が1本ありました。

(28)伊茶仁カリカリウスチャシ(標津町)
 だんだんと夕方が近づいてきたので急いでポー川史跡公園に行きました。ここは古
道遺跡と同じく六群に分かれる多数の竪穴住居跡の集落と2つのチャシ跡が伊茶仁カ
リカリウス遺跡として国指定史跡になっています。
 資料館をさあっと見てその裏にある標津湿原を横断する木道を急いで進むと、途中
で係員の方に呼び止められ、そろそろ熊が徘徊する時間で危険だといわれ一瞬硬直し
てしまいました(^^;) チャシを見たいというと、それほど遠くないからついて行って
あげるといわれ竪穴住居跡のあるところまで連れて行かれたんですが、そこまで行っ
てからチャシはその奥の林の中にあるからやめた方がいいと言われてしまいました(T_T)
どうも私が見たいものを竪穴住居跡と勘違いされたみたいで...(+_+)
 この史跡公園にはカリカリウスチャシともう一つワラビ山チャシというチャシがあ
るんですが、結局見れず仕舞いで宿題が残ってしまいました。
 しかし私ってこの三日、人のいないような笹藪とかばかりに入っていきましたが、
考えてみればかなり無謀だったかも(--;)

 さあ、明日は残り2つの国指定史跡のチャシ、桂ヶ岡チャシとユクエピラチャシで
すな(^^)


[642] 道東チャシ巡りその2 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/04(Sat) 22:13 

 今日は根室のホテルからです。駅前の店でかに定食を食べてきまして満腹です(^^;)
う~ん、久しぶりにかにを食べて満足(^^)
 今日はちょっと小雨交じりの天気でちょっと残念でしたが、なんだかんだいろいろ
と見てきました。

(6)モシリヤチャシ(釧路市)
 こちらも昨日のオタフンベチャシと同じく国指定史跡です。ここは2回目ですが、
やっぱり好きです(^^) 町のど真ん中にどんと小山が残っているのですが、壕とも土
塁とも付かない起伏が縦横に走り、なかなか味のある形状をしております。副砦と主
砦があり、ひょうたん型をしていますが、主砦の方は御供山型をしていて、副砦から
眺めるととても形が良いです。今回も満足(^^) (ただの小山じゃないかと言われそう
ですが(^^;))

(7)鶴ヶ岱チャランケチャシ(釧路市)
 ここも2回目です。(これまた国指定史跡) 前回は夏の最中で草が生い茂り、壕の
形状をほとんど確認できませんでしたが、今回はバッチリ! 丸く囲むような周壕が
2本はっきりと確認できました。

(8)ウライケチャシ(釧路市)
 ここは前回も通りましたが、現在は住宅地と化しており、遺構は破壊されたとのこ
と。とりあえず立地の確認だけしてきました。

(9)桂恋チャシ・桂恋方形チャシ・桂恋フシココタンチャシ(釧路市)
 ここは前回探してよくわからなかったところでしたが、今回もよくわかりませんで
した(T_T) 桂恋チャシは桂恋神社の所ということでまあいいのですが、方形チャシと
フシココタンチャシは周囲をぐるっと回りましたが、ここかなあというところはいく
つかあったもののはっきりと特定できませんでした。
 フシココタンチャシは発掘もされているはずなのに、なんの痕跡もないとは...

(10)厚岸郷土館・国泰寺跡(厚岸町)
 釧路から厚岸に向かい付いたのが丁度お昼頃。まず国泰寺前の厚岸郷土館に寄りま
した。厚岸にあったという仙台藩出張陣屋の場所を聞いたのですが、学芸員さんが留
守とのことで筑紫恋だということはわかりましたが、はっきりした場所はよくわかり
ませんでした。(標柱などもないとのことです。)
 国泰寺は蝦夷三官寺の一つですが、建物は新しくなってしまっているので、往時を
偲ばせるものは門や庭園だけです。門には葵の御紋が刻まれてました。

(11)筑紫恋チャシ(厚岸町)
 筑紫恋チャシも説明板はありませんでしたが、漁港近くの山のてっぺんが御供山型
をしていましたので、たぶんあれがそうでしょう。麓の方に「アイヌ一族之供養塔」
もありました。
 筑紫恋チャシの手前に住宅が建ち並ぶ平場がありましたので、この辺に仙台藩陣屋
があったのかなと思いました。

(12)正行寺(厚岸町)
 厚岸の町に戻ると、正行寺に寄りました。ここの本堂は、現在の新潟県糸魚川市に
あった満長寺の本堂(寛政11年の建築)を移築改造したもので、国の重要文化財に指定
されています。内陣はかなり豪華なもののようですが、時間もないので外観だけ写真
に収めてきました。(ちょっと残念...)
 その後本当は御供山に登り4つのチャシをぐるっと見てくる予定だったんですが、
雨足が強くなったので、御供山の遠景を写真に収めるだけにしました。それから神岩
チャシも遠景の撮影だけして根室に向かいました。

(13)チャルコロフイナ1号・2号チャシ(根室市)
 ここからが前回藪が深くてほとんど確認できなかった「根室半島チャシ跡群」です。
これまた国指定史跡で全部で24ものチャシが指定されていますが、このチャルコロフ
イナ1号・2号チャシはその中でも規模が大きなものです。3年前は藪が深くて遠く
の方に見える説明板や土塁らしきものに全く近づけませんでしたが、今回は藪もほと
んど枯れていてしっかりと近づいて確認できました(^^)
 私がいままで見たチャシはほとんどが壕が1~2本、多くても4本ほどしかなく、
郭も1つか2つのものがほとんどでしたが、このチャシは地形図を見ると壕が10本近
くあり、郭も丸いもの四角いもの含め8つほどもあり、チャシとしては非常に面積が
広いものでした。最初に良いもの見れて良かったです(^^)

(14)ウェンナイチャシ(根室市)
 国道沿いに車を止め牧草地を海の方に歩いていくと、海に面した笹藪のど真ん中に
標柱が見えたので仕方なく藪の中に突入しました(T_T) 藪は膝くらいまでだったんで
すが、歩きにくいし壕も藪でわかりにくくなっていたので、すぐに撤退してしまいま
した(^^;)
 ここはコの字型の壕が2つ並ぶようになっているはずなのですが、1本の壕の一部
分しか確認できませんでした。
 その後そこから1.5kmほど北にあるはずのヲーナイ1・2号チャシを探しましたが、
牧草地の彼方にここかな?というところを見つけたものの、あまりに遠く歩いていく
のを断念しました(T_T)

(15)ニランケウシ1・2・3号チャシ(根室市)
 ここは国道沿いにあり、3号チャシは穂香にある「バイエル」というレストランの
隣の空き地にありました。ここはヨの字型の壕が海の方を向いていますが、真ん中に
ある境界土塁は後世のものだそうで元とは形が変わっているかもしれないそうです。
「バイエル」の隣の建物の裏庭には壕の一部が残っていましたが、あれは2号チャシ
のもののようです。その隣あたりに1号チャシの壕の一部があったはずなのですが、
人の家の裏庭をのぞくわけにも行かず、そこまでで断念しました(T_T) 1・2号チャ
シは壕の一部しか残っていないようですが、もとは半円形または方形だったようです。

(16)アッケシエト1・2号チャシ(根室市)
 ここは西浜町の裏の寂れた倉庫(?)の向かいにあり、2号チャシは半円形の壕が1
本あり、1号チャシは方形の壕が3つ繋がっていました。

 というわけで長い一日でした(^^;) でも、3年前にほぼ「全滅」だった根室半島チ
ャシ跡群のチャシを4ヶ所も確認できて大満足でした(^^) ただしこの4つのチャシ
は、今の時期以外なら藪が深くて全く近づけないでしょうねえ(^^;)さあ、明日は根
室半島チャシ跡群の残りを確認せねば...


[641] 道東チャシ巡りその1 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/03(Fri) 22:01 

 今日は釧路のホテルからです。朝8時頃に家を出たんですけど、調子が良かったの
は夕張で高速を降りるまでで、夕張から日高に抜ける途中で8kmほど渋滞にはまって
しまい、40分~50分ロスしてしまいました。さすがに四連休初日、恐るべし(をい(^^;))
 まあ、その後はだいたい予定通りに行き、一応5つのチャシを見てきました。

(1)シュプサラチャシ(芽室町)
 一応それらしき山を見つけましたが、場所を特定できずとりあえず遠景を撮ってき
ました。

(2)国見山チャシ(芽室町)
 めあての場所に行ったら駐車場があったので「おや?」と思ったら、この国見山は
公園になっていまして山の上に登る遊歩道も付いていたので「登ってみよう」と思っ
たのが大失敗(^^;) 登ってみるとえらく急だし、とちゅう足場が悪くなっているとこ
ろもあって、登るのに一苦労でした。下から見た時に尾根の先端の方に壕らしきもの
が見えたのでそちらに行きたかったのですが、そちらには遊歩道が付いておらずけも
の道のようなのしかないし尾根の上は狭くて滑りそうだったので、そちらに行くのを
断念して下まで降りました。この時点でかなりバテバテになってしまいました(^^;)
 結局直に確認はできませんでしたが、明らかに先端部分に壕があるのを確認できま
した。

(3)礼文内第二チャシ(豊頃町)
 礼文内神社の近くだということなので、周りを探してみましたら、礼文内神社と道
路を挟んで反対側に立派な説明板がありました。このチャシは壕が2本あり、内壕の
方は真ん中にブリッジ(土橋)があり内郭と外郭を行き来できるようになっていました。
とはいってもチャシとしては標準的な広さで、それほど大きなものではありません。
 なぜか鉄条網(といっても古いもので、中には入れましたが)がはりめぐらされてお
り、ズボンに引っかけて穴を開けてしまいました(T_T)

(4)オタフンベチャシ(浦幌町)
 今日のメイン、一応国指定史跡であります。チャシとしては大きな方で高さは40~
50mはあるでしょうか? 頂上近くに周壕があり、御供餅型のチャシですが、特徴的な
のは頂上近くの周壕と麓をつなぐように竪堀がありその両側に土塁があることです。
こうしたものは他のチャシでは見かけないもので、ちょっと違いますけど彦根城の登
り石垣を思い出してしまいました(^^;)
 前回来た時には夏の最中でしたので、背丈ほどもある蕗ははえてるは笹藪は腰くら
いの深さがあるわで、這々の体で撤退しましたが、今回はさすがに蕗は影も形もなく、
笹藪もほとんど枯れていて、やや歩きにくいものの登るのには不自由しませんでした。
前回のことがあるだけに今回はオタフンベチャシの頂上に登れて大満足でした。

(5)サシウシチャシ(白糠町)
 ここは前回も登れず「刺牛の砦址」というモニュメント(碑?)の写真を撮ってきた
だけでしたが、今回も初めから登るつもりはなく全景とモニュメントのアップを撮っ
てきました。

 今日はここまでです。明日は釧路→厚岸→根室とまわる予定ですが、天気予報では
天気が悪いとのことで、ちょっと心配です。


[640] 連休後半は... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/05/03(Fri) 07:11 

↑道東にチャシ巡りに参ります、ということで今朝出発します。数年前の夏に行った
のとほぼ同じコースを予定しています。というのも、以前行った時には夏だったもの
で藪が深くて、訳がわからないところがいくつかあったものでそのリベンジというこ
とで...(^^;) それに前回は古いデジカメで撮ったので、画像が荒かったので撮り直
ししないと...
 浦幌のオタフンベチャシ、釧路のモシリヤチャシ・チャランケチャシ、根室の根室
半島チャシ跡群、網走の桂ヶ岡チャシ、陸別のユクエピラチャシが一応メインのつも
りですがどうなる事やら。
 では行ってきま~す(^^)


[639] 連休前半... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/04/29(Mon) 10:51 

 せっかくの休みなので、昨日はちょっと南の方に行ってきました。白老の仙台藩陣
屋を見て、登別の郷土資料館(建物がちょっと城郭風)に行き、伊達市の黎明観で陣羽
織・裃の展示(今日まで)を見て、最後に有珠の善光寺の桜を見てきました。
 登別は仙台藩の片倉小十郎主従が開拓したところですので、郷土資料館にも若干片倉
家関係の展示(鎧や文書等)がありました。他にもアイヌ文化の伝承者・研究者として
知られる金成マツさん・知里幸恵さん・知里真志保さんの展示もありました。
 伊達の黎明観の展示は札幌の方のコレクションという話ですが、掛川藩太田家・彦
根藩井伊家・岡崎藩本多家などの大名のものから十四代将軍家茂・十五代将軍慶喜の
裃もありました。ただ、展示の説明で太田家が「大田家」、本多家が「本田家」にな
っていたのでよっぽど「間違いですよ」と言ってやろうかと思いましたが、恥ずかし
いのでやめました(^^;)
 有珠善光寺の桜は思っていたほど咲いてませんでした、まだちょっと早いのかなあ?

>くらのすけさん
> しかし、何にせよ貴重な資料。自治体史の資料集に載るとしたら、
> どこなんでしょうか?
 江戸前期の記録ってあまり残っていないようですから、江戸後期の記録でも貴重な
ものでしょうね。まあ、調べていらっしゃったのが知内町郷土資料館の学芸員の方だ
そうですから、知内町史あたりかもしれませんね。

> やっぱり遠いですねぇ。およそ1か月の旅ですか。片倉氏の出迎えが興味ありますね。
 昨日、仙台藩シラオイ元陣屋に行ってきましたが、そこの資料館の説明によると、
この陣屋に詰めた藩士たちも仙台から白老まで早くて二十日ほど、海が荒れた時など
は二ヶ月もかかったそうですから、それくらいかかったんでしょうね。

> 非常に初歩的な質問です。松前藩って、最後まで幕府側だったんですか。ひょっと
> して榎本武揚らに焼き討ちされました?
 えっとですねえ、松前藩は最初は佐幕派が主流だったんですが、尊皇派のクーデタ
ーがありまして彼らが実権を握ったんです。ですから榎本等の旧幕府軍が来た時には、
松前城では防ぎきれないといって、まだ建築途中の館城(厚沢部町)に藩主の徳広は逃
れたんですが、結局松前城も館城も陥落して、徳広は待避先の弘前で病没しています。
松前城も天守は焼けてませんから文書なども残っているかもしれませんけど、館城・
弘前と藩主が逃れてますから、その時に失われているかもしれないという意味で先日
は書いたんです。

>八戸三郎さん

> 早くも第二回目があったのですか。参加した方も増えましたね。(^^)
 前回の第1回目はテレビの取材があったのでイレギュラーでしたけど、基本的には
3ヶ月に1回の割でやるみたいです。次回は7月初めの予定です。

> 皆さん、それぞれの歴史をお持ちなんでしょうね。
 そうですねえ。先日は自己紹介の時に延々としゃべり出しそうだった方もいまし
た(^^;) 私もあまり本格的には自分のルーツを調べてませんので、今年は少しきちん
と調べてみようかなと思ってます。


[638] ルーツ探偵団 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/04/28(Sun) 21:47 

早くも第二回目があったのですか。参加した方も増えましたね。(^^)
やはり時間に余裕が出来た方が多くなりますよね。83歳のおばあさんもですか。知りたい事が少しでも分かればいいんだけどな~。皆さん、それぞれの歴史をお持ちなんでしょうね。


[637] 松前藩日記 投稿者:くらのすけ 投稿日:2002/04/24(Wed) 00:21 

>見つかったのは、天保3年(1832)の第九代章広のときの「道中日記」、
>文久2年(1862)の第十二代崇広のときの「文久二年御参勤御帰国御道中日記心得向」、
>元治元年(1864)の崇広の江戸滞在を記した日記の計三冊だそうです。
やはり幕末に近いのですね。特殊な大名松前氏の江戸勤め、とはいえ、幕末という混乱状況だとそれ以前とは違いそうですね。
しかし、何にせよ貴重な資料。自治体史の資料集に載るとしたら、
どこなんでしょうか?

>、9月11日に松前を出発し、三厩では津軽藩の家臣が出迎え式典が行われ、
>白石では「松前藩主の親せきにあたる片倉小十郎郡代」(記事のまま)の出迎えを受け、10月5日に千住に到着
やっぱり遠いですねぇ。およそ1か月の旅ですか。片倉氏の出迎えが興味ありますね。

>う~、よく知らんです(^^;) あったとしても戊辰戦争の際にかなり焼けてしまっているかもしれませんね。
非常に初歩的な質問です。松前藩って、最後まで幕府側だったんですか。ひょっとして榎本武揚らに焼き討ちされました?
…幕末はとんと分からなくて…(^^;)


[636] ルーツ探偵談その後... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/04/21(Sun) 22:14 

 昨日は以前お話ししたルーツ探偵談の第二回目の会合がありました。前回よりさら
に増え20名ほどの方が集まりましたが、昨日はなぜかお前が講師やれといわれまして、
資料がまだ段ボールの中ですので、うちのサイトをネタに話をしました(^^;)
 ほとんどが50代から上、もう現役をリタイアしてという方が多くて、最高齢は83歳
というおばあちゃんまでいました(^^)
 その会合の前に少し時間があったので北大前の古本屋に行ったら、『日本城郭全集
1』という本があったので手に取ってみると、部分的に『日本城郭大系』よりもくわ
しく書かれているところがあったので買ってしまいました。35年も前の本ですが、
ちょっと得した気分(^^)

>八戸三郎さん
 毎度毎度、窪田(久保田)姓情報をいただきありがとうございます。津軽藩にも久保
田氏がいましたか。

>くらのすけさん
 そちらにも全然顔を出しておりませんね。申し訳ないです(^^;)

> 松前藩の日記発見ですか。史料が少ないだけに、貴重な資料でしょうね。いつ頃の
> 物なのかは新聞には書いてありましたか?それによっても私の驚きは変わってきま
> すが(^^;)

 見つかったのは、天保3年(1832)の第九代章広のときの「道中日記」、文久2年(1862)
の第十二代崇広のときの「文久二年御参勤御帰国御道中日記心得向」、元治元年(1864)
の崇広の江戸滞在を記した日記の計三冊だそうです。
 ちなみに文久二年の道中日記によると、9月11日に藩主御手船「長者丸」で松前を
出発し、三厩では津軽藩の家臣が出迎え式典が行われ、白石では「松前藩主の親せき
にあたる片倉小十郎郡代」(記事のまま)の出迎えを受け、10月5日に千住に到着した
そうです。

> しかし、3(6?)年に一度の参府の松前氏、江戸ではどのようなことをやっていた
> のでしょうかね?
 その辺は元治元年の日記が解読されたらわかりそうですね。

> ところで、藩主家の文書って、存在しないのですか?
 う~、よく知らんです(^^;) あったとしても戊辰戦争の際にかなり焼けてしまって
いるかもしれませんね。

> KUBO様、私的にこちらの掲示板使って申し訳ないです。

 あ、いえいえお気遣いなく(^^)


[635] ついでながら失礼します。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2002/04/19(Fri) 22:12 

いまの投稿で書き忘れました。連続すいません。

蠣崎若狭守様。
こちらこそよろしくお願いします。

八戸三郎様。
秋田の郷土史関係で、由利十二頭の館の論文などがあるようです。
ご参考までに。

KUBO様、私的にこちらの掲示板使って申し訳ないです。


[634] 参勤日記! 投稿者:くらのすけ 投稿日:2002/04/19(Fri) 22:06 

KUBO様、ご無沙汰しております。
以前訪問した直後に50000人突破したんですね。遅まきながらおめでとうございます。

また、引っ越しなさったそうで、お疲れ様でした。

松前藩の日記発見ですか。史料が少ないだけに、貴重な資料でしょうね。いつ頃の物なのかは新聞には書いてありましたか?それによっても私の驚きは変わってきますが(^^;)

しかし、3(6?)年に一度の参府の松前氏、江戸ではどのようなことをやっていたのでしょうかね?
松浦氏は数年に一度では幕閣に官位上昇の工作ができないと、毎年参府を願っているほどです。松前氏、さぞかし江戸では忙しかったのではないでしょうか。

ところで、藩主家の文書って、存在しないのですか?


[633] 奥冨士物語 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/04/18(Thu) 18:35 

まだまだ眠っている古文書もたくさんあるんでしょうね~。

『新編青森県叢書』(五巻)を見ました。中に奥冨士物語なるものが書いてありまして、解題に「津軽藩四代信政公の事績を詳記したものである。」とあり、久保田氏が数ヶ所載ってました。

238p
 貞享三年十二月 ・・・大目付久保田市郎左衛門長吉・・・
285p
 御代久敷御事故さる事なれ共、其頃御側御小姓組・・・久保田源助・・・
320p
 元禄十年閏二月屋敷替・・・久保田数馬 亀甲町江・・・
321p
 古伝之備前町の名は慶長に権現様御改易之備前候浮田黄門秀家公之御家中多く、御当家へ被召久保田数馬 四百石 抔初として、此所に差置名と言ふ。
322p
 久保田甚八と云長者の咄に、先祖市郎左衛門儀津軽大助殿 左衛門殿息 幼少之砌暫々間見継被仰付相勤候。・・・
395p
 延寶年中御用人・・・。久保田市郎左衛門・・・其前より大組足軽頭・・・久保田市郎左衛門・・・
以上です。

春のボーっとは、以外に注意ですよ(^_^;)


[632] 南条氏の日記 投稿者:KUBO 投稿日:2002/04/17(Wed) 20:10 

 またしばらく間が空いてしまいました(^^;) 新学期で忙しいといえば忙しいのです
が、家に帰ってきてからも結構時間があるのに、なんだか毎日ボーッとしています(^^;)
(居眠りしているという日もあったりする(^^;))
 ところで今日家に戻ってきて北海道新聞の夕刊を見たら、「松前藩 参勤交代克明
に」という大きな見出しが目に入ってきました。よく読むと札幌にお住まいの松前藩
家臣の子孫である南条さんという方のお宅から松前藩の参勤交代の道中や藩主江戸滞
在の様子を克明に記した日記三冊が見つかったとのことです。
 南条という苗字にピンと来たので、よくその日記の写真を見ると「南條小辨司信敏」
という名前が見えました。うちのサイトの「日本史の部屋」にある松前藩家臣の系図
の中の南条氏の系図を見ると、信敏という名前がありますので、この札幌市の南条さ
んという方は、道南十二館の一つ脇本館館主でのち松前藩士となった南条家の直系の
御子孫のようです。この日記を見つけたのも知内町郷土資料館の学芸員の方だそうで
す。なんかちょっと発見した気分でした(^^)

>D-oneさん
 こんにちは。よくいらっしゃいました(^^) こちらこそリンクしていただきありが
とうございます。今後とも「あやしい城」発見にご尽力下さい(をい(^^;)) 登別の郷
土資料館と東川の展望閣に行きましたらそちらでも御報告させていただきますので。


[631] リンク御礼 投稿者:D-one 投稿日:2002/04/16(Tue) 21:08 

KUBOさん、こちらでははじめまして。
あやしい城のD-oneです。
この度はリンク頂き有難うございます。
また、情報を沢山頂きとても嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
それでは。


[630] やっと少し... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/04/07(Sun) 09:02 

 やっと少し落ち着きました。奥の一部屋が段ボール箱で埋まっている状況は変化無
しですが(をい(^^;))、パソコンのセットも終わり、とりあえず生活するには支障な
くなりました。今度住む江別市では4月25日から8MのフレッツADSLがスター
トするそうなので早速予約しました。楽しみ~(^^)

>久保昭登さん
 そんなにお気になさらないでもいいですよ。まあ、一応うちは「KUBOの家系城郭研
究所」が正式名称ですので、そう表示してくださるとありがたいです。なかには「家
系城郭研究所」だけで「KUBOの」が抜けている所などもありますけどね(^^;)

>八戸三郎さん
 『紫波町の歴史』ですか。それって前に紀伊国屋BOOK WEBに注文して品切れですっ
ていわれたヤツかな? いずれにしても見てみたいですね。今度は道立図書館が近く
なったので探してみますか。
 『参考書家系図』は私もネットで探していたらそれこそ八戸の古本屋にあって手に
入れることができました。根気強く探せばあるとおもいますよ。『日本城郭大系』も
全巻そろえるために「日本の古本屋」に何ヶ月も通ったし...

>こたつ城主さん
 北海道もやはり例年に比べると雪解けは早いですね。いつもなら4月末くらいにな
らないとチャシ巡りがはじめられませんが、今年はもう一週間もすれば始められそう
です(^^) 今年はまず旭川方面かな?
 風邪ではないと思うんですけど、引っ越しの準備の頃からずっと咳と鼻水が出るん
です。例によって、また気管支炎か? 少し落ち着いたので、明日でも病院に行って
来ようかな?

>酒井 均さん
 はじめまして。おおご同郷ですか、どうぞよろしくお願いします。ちょっと調べて
みましたが、福井県における酒井姓の分布は越前北部にかたよっていて若狭の方には
あまりいないようです。(小浜で4軒、敦賀で28軒ほど)
 福井市の1275軒は県庁所在地ですから当然として、鯖江市に133軒、勝山市
に86軒、丸岡町に84軒、上志比村に65軒、大野市で50軒、武生市で49軒、
松岡町で48軒と酒井姓が多い市町村は県北に偏っています。ですから若狭小浜の酒
井侯とは直接関係ないのではないでしょうか? 分布を見ると県北に福井の酒井姓の
ルーツがあるような気がします。


[629] なぜか丸岡町 投稿者:酒井 均 投稿日:2002/04/06(Sat) 17:54 

私の祖父も約80年前に福井の丸岡町から北海道の池田町に
来ました。若狭小浜藩は酒井の殿様のようですが、なぜか
越前の丸岡町なのです。家紋も丸に剣酢漿草なので小浜
出身であれば、その系統かとも思われるのですが、ちょっと
違うようです。お墓は丸岡町、お寺は福井市の願乗寺で
浄土真宗大谷派で現在こちら池田町のお寺と同じです。
先祖を守っている方が、婿さん(筧)なのでくわしいことが
解りません。
いずれ、福井へ行ってみたいと思います。


[628] 引っ越し終了...(^o^) 投稿者:KUBO 投稿日:2002/04/02(Tue) 22:44 

>みなさま
 やっと本日引っ越しが終了しました。疲れた~(*_*) というわけで、レスはもう少
々お待ち下さい。
 本・ビデオ・その他で奥の一部屋がうまってしまった...(--;) とりあえず寝る場
所は確保したけど、これを片付けると思うと...(;_;) 今日はとりあえずもう寝ます。


[627] こんにちは(^^) 投稿者:こたつ城主 投稿日:2002/03/31(Sun) 00:39 

お久し振りでございます☆ミ
KUBO様、その後お元気でいらっしゃいますか?

千葉はそろそろ桜も終わりでございます。
今年は本当に咲くのが早かったです。一か月は早まったでしょうか。
ただ例年だと、満開を迎えると後はあっと言う間に葉が繁り
出すのですが、やはり何度も冷え込んだせいでしょうか、
満開の頃、まだ下の方で蕾状態だった桜が、後から後から
咲き始め、満開から一週間は経った今でも、まだ鮮やかに
咲いてる枝も残っていて、何とも妙な桜模様であります。

北海道に向う桜前線も、東京並みに一か月早くなるのでしょうか。
いずれにせよ、今はまだ雪なんでしょうね(^_^;)。
お風邪など召しませんように。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[626] こんばんは 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/30(Sat) 22:25 

途中で紛失とは・・・残念ですね(^_^;)

『南部諸城の研究』は、他にあまり本を持っていない私なので重宝してます。沼館氏は出羽や津軽の本も出してるんですよね。本当にすごいですね~。

図書館で三冊見て来たんですが、
『紫波町の歴史』
関連地名は升沢字竹原、彦部字竹原、東長岡字竹洞の3ヶ所。地名だけ載ってました。
東長岡字竹洞には円明山常光寺があるそうです。
『松岡町史』
特にないようでした。
『南部藩参考諸家系図第三巻』
241pに久保田彦右衛門がありました。

早く一巻、二巻、四巻と五巻も見ようと思ってます。
『南部藩参考諸家系図』って一巻だけが、品切れになっているんですよね。・・・なんで一巻だけ(T_T)
インターネットで古本を探してもあったと思った神田の店では、売れてしまっていたし・・・残念。古本屋に入るまで待つのみですね~。


[625] KUBO様へお詫び 投稿者:久保昭登 投稿日:2002/03/28(Thu) 09:22 

お詫び。去年HP「久保郷土文化舘」を開設に当り、貴「KUBO
の家系・城郭研究所」へのリンク見出しを「KUBO研究所」とし
ていました。お許しください。今日リンク見出しを訂正しました。
パソコン・HPの一年生で無我夢中の現状ですが、貴HPの談話室
情報としてあることを漸く今回知り反省したところです。
              久保昭登。

http://www6.ocn.ne.jp/~kubo386/


[624] ありがとうございます(^^) 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/22(Fri) 07:26 

紀伊国屋BOOK WEBに注文した本が届かないな~と思ったら、宅配業者の営業所には届
いてたのに、その後紛失したことが判明...(T_T) くっそ~、○マ○運輸め~(▼▼)
その前後に注文した本はちゃんと届いたのに、なぜに一番待たされた洋書(「LINES OF
SUCCESSION」)が紛失するかな~ いやんなっちゃう...
 そのかわりといってはなんですが、@niftyの城郭フォーラム(FSIRO)のお仲間サル
タヒコさんが出された『岡山の山城を歩く』(吉備人出版)が実家に届いていました。
私は岡山県の城は、まだ岡山城しか行ったことがないんですが、今度岡山県に行く時
には必携の本になりそうです(^^)
 この他にも『ひょうごの城紀行』、『ふるさと古城の旅』(静岡県)、『福岡県の城』
『栃木と近県 名城と城下町の旅』、『埼玉の古城址』、『群馬の古城』、『信州の
山城』など、県ごとにまとまったお城の本が結構あるんですけど、全都道府県のもの
がそろったらいいですねえ。

>八戸三郎さん
 『南部諸城の研究』にそんなことが書かれていましたか。この本、こちらの古書店
でも時々見かけるんですが、まだ買ってないんですよね。他にも『伊達諸城の研究』
だとか数冊ありましたね。今度買おうかな?

> 紫波に地名があると言われていましたが、
> 紫波町東長岡字竹洞   紫波町彦部字竹原
> という所があるんですね。
 あ、「竹原」もありましたか。実は東長岡に「竹洞」があるのは知ってましたが、
「竹原」もあるのは知りませんでした(^^;) この2箇所って近いんでしょうか?
って書いてから、『岩手県都市地図』を見たら(をい(^^;))、彦部は紫波町の南の方、
東長岡は北の方のようですね。しかも地図を見ていたら紫波町の西の方にも「竹原」
というところを見つけてしまったし...(志和稲荷神社の近く)
 一体どこなんじゃろ? やっぱ、早く曾祖父さんの除籍取ってこなくちゃ。

>Kirchiesさん
 ご無沙汰です(^^)

> お城壁紙はいいですね~(^^)。
 でしょう(^^) 個人的には松前藩戸切地陣屋・四稜郭・館山チャシ・盛岡城・安土
城・山中城など建物の残っていないお城もいいもんです。

> 西日本の紹介がいつになるか楽しみにしてます。
 まずはまだ足を踏み入れていない四国・九州に第一歩を踏みしめたいのですが、い
つになることやら(^^;) 高知城・丸亀城・宇和島城・小倉城・熊本城・唐津城・名護
屋城・岡城etc...行きたいよ~

> それと遂に「蒼き狼4・チンギス=ハーン」のプレイを始められたそうで。
 プレイしてないです(^^;) インストールしただけです。プレイするのは引っ越しが
終わって落ち着いてからですねえ..


[623] 祝! 50000Hit 投稿者:Kircheis 投稿日:2002/03/20(Wed) 23:06 

今年になって初めての書き込みになります(^^)/。
色々と私事でバタバタしてまして、殆ど最近は訪問してませんでしたが、コンテンツの充実が進んでいて驚いてます。お城壁紙はいいですね~(^^)。西日本の紹介がいつになるか楽しみにしてます。

それと遂に「蒼き狼4・チンギス=ハーン」のプレイを始められたそうで。KUBO様の扱う題材から予想すると最初にプレイするのはビザンツ帝国かフランスでしょうか? わざわざ私のサイトに書き込みしてもらったのに返事が遅れて申し訳ありませんでした。

http://homepage2.nifty.com/Kircheis/


[622] 50000ヒットおめでとうございます! 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/19(Tue) 19:21 

『南部諸城の研究/沼館愛三』に
新井田城 130項
 扨て新田氏の祖先は、八戸政長の第二子左馬助政持が其祖

田名部城 399項
 此地の里人は正平の後、新田義貞の孫八幡丸が此地に封を受けて入部し、田名部城に居り、其五世の孫民部太夫の時に蠣崎氏の叛乱があった、と伝えているが、それは後人の誤解で、八戸氏の一族に新田氏があり、それが康正の戦以後城代として此地を統治していたので、それを義貞の子孫と直感した為めである。
 八戸系図に「康正二年政経攻田名部城陥之蠣崎蔵人逃匿乃留新田盛守城還」云々とありて、之を証するのである。
とありました。

泉沢舘 402項、蠣崎舘 403項にも新田氏関連がありましたよ。

紫波に地名があると言われていましたが、
紫波町東長岡字竹洞   紫波町彦部字竹原
という所があるんですね。

>くらのすけさん
やはり他の本を見ても詳しく書いてありませんでした。中世なのでしょうがないですね。^^;


[621] 50000hit達成、ありがとうございます! 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/19(Tue) 07:24 

 この前から50000hitが近いな~と思っていたら、一昨日の夜中頃に突破してしまい
ました(^^;) 50000hitをGETされた方は自己申告してくださいね~ お祝いにTOP
にお名前を掲げさせていただきますので(^^)
 ところで、最近『王妃の離婚』『傭兵ピエール』など中世フランスを舞台にした小
説を書かれている佐藤賢一さんが書かれた『ダルタニャンの生涯 ―史実の三銃士―』
(岩波新書)という本を読みましたが、なかなか面白かったです。タイトルの通り、あ
の三銃士の主人公ダルタニャンは実在の人物で、その生涯を綴ったものなのですが、
当時の絶頂期のフランスの姿、そしてその中で出世街道を上ってゆくダルタニャンの
人生を生き生きと描いてます。佐藤さんの小説も良いですが、これもおすすめです(^^)

>くらのすけさん
 しばらくでした(^^) 私もすっかりそちらに顔出してませんね(^^;)

> KUBO様も2周年ということで、1ヶ月遅れですが、おめでとうございます。蠣崎様
> のHPもできて、益々蠣崎・松前関係は盛ん、といったところでしょうか。
 何だかうちの姉妹店ができたようで喜んでおります(^^)

> ところで、『紫波町史』の話題が出ていますが、なぜですか?
 いまうちの母方のルーツについてまとめているんですが、母方の佐々木家は岩手県
の紫波町から北海道に渡ってきたんですよ。母の話だともとは名主だか庄屋をやって
いたという話なので、なにか関連したことが載っていないかな?と思いまして(^^;)

>八戸三郎さん

> 購入は、内容が分かってからでないと・・・危険ですよね(^_^;)
 そうなんですけど、結構タイトルだけで買ってしまって、あとから後悔することも
あります(^^;) 一番しまったと思ったのは買ってみたらくずし文字で書かれていて読
めなかったという時でした(^^;)

>  『紫波町史第三巻』の販売はしているようですよ、5千円になっているようです。
 情報ありがとうございます。そのくらいの値段なら買おうかな?という気にもなり
ますけど。窪田姓情報もありがとうございました(^^)

>蠣崎若狭守さん
>  先日はKUBOさんのHPに松前家の子孫の方からメールが来たという話題がご
> ざいましたが、なんと、我がHP「蠣崎幕府」に新井田家の末裔という方からメー
> ルが舞い込みました。
 実は私も以前、新井田さんという方からメールをいただいたことがありまして、そ
の方は事情によって家紋が3つあり、本来の家紋がどれかわからなくなってしまった
そうです。その3つの家紋というのが、丸に割菱、丸に横木瓜、丸に四方木瓜で、や
はり丸に割菱(丸に武田菱)の紋があります。
 また、こちらでも何度も話題にしている『道産子のルーツ事典』の著者・岸本さん
の所に相談に来られた松前藩士新井田家の子孫という方も家紋は割菱だったそうです。
これだけ揃うということは新井田家のもともとの家紋が割菱なのかもしれませんね。
 松前町史編纂室で見た新井田家の系図によると、その祖は新田左京亮義信という人
物なんですが、これは新田義貞系ではなく八戸南部系の人物ではないかと私は思って
います。八戸南部家の庶流に新田を名乗る一族がいますし、家伝では南部大畑から蝦
夷地に渡ってきたとなっていますので。
 南部家は武田氏の同族ですから、その庶流などを見ても割菱の紋を使っている一族
などもあるんですよね。ですから、松前藩士の新井田家が八戸南部の流れを引くとす
ると割菱の紋を使っていても不思議はないかもしれません。

> 実在か架空かよくわからないのが、沖の口奉行の氏家忠勝と家老の松前監物の二
> 人ですね。このHPの家臣団一覧に氏家という姓があるから実在っぽいけど、松前
> 監物が系図上の誰なのかはよくわかりません。
 『蝦夷地別件』ねえ、懐かしいですね。読んだのはもうだいぶん前です(^^;) 氏家
忠勝はわかりませんが、松前監物は村上系松前氏の人物でしょう。監物を名乗ってい
るのは五代廣長、七代廣雅、九代廣休の三人ですが、年代的にいって五代廣長(『福
山秘府』の著者)じゃないでしょうか?


[620] 新井田家の末裔という方からメール 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/03/18(Mon) 18:01 

 先日はKUBOさんのHPに松前家の子孫の方からメールが来たという話題がございましたが、なんと、我がHP「蠣崎幕府」に新井田家の末裔という方からメールが舞い込みました。
 松前藩新井田家のルーツが知りたいということ、本家が知内から木古内の泉沢というところに移っているということ、先祖代々のお墓には武田菱を丸でかこった物が付いているということがメールに書かれておりました。
(墓に「丸に武田菱」の家紋入りということは、蠣崎一門で新井田家の名跡を継いだ人がいるのだろうか?)
 あいにく私は新井田家に関する知識は情けないことに乏しく、船戸与一の「蝦夷地別件」の記述程度しかわかりません。
 そこで、このHPを紹介しておきました。
 ともあれ、歴史上に名を残した方の子孫の方からのメールは驚きとともにうれしいものです。

 話は少し変わりまして、
 蝦夷地別件は数少ない蝦夷地が舞台の時代小説(蝦夷地が舞台の時代小説は蝦夷地別件、蝦夷国まぼろし、蝦夷天一坊の三作品しか知らないです)ですが、実在の人物が多く出ていますね。
 前述の新井田孫三郎をはじめ、松前道廣も登場してます。
 実在か架空かよくわからないのが、沖の口奉行の氏家忠勝と家老の松前監物の二人ですね。
 このHPの家臣団一覧に氏家という姓があるから実在っぽいけど、松前監物が系図上の誰なのかはよくわかりません。

 長々書きましたが、こんな事がありましたということで。

P.S.くらのすけさんが来てますね。先日は相互リンクありがとうございます。

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[619] 訂正 投稿者:くらのすけ 投稿日:2002/03/16(Sat) 13:05 

『紫波町史』うちの図書館では一巻(通史編)しかありませんでした。
ですので、「通史編のみだと思った」というのは誤りです。失礼しました。

>八戸三郎様
あれから、何か新たな情報は収集できましたか?


[618] 第三巻 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/16(Sat) 11:30 

>KUBOさん
 購入は、内容が分かってからでないと・・・危険ですよね(^_^;)
 『紫波町史第三巻』の販売はしているようですよ、5千円になっているようです。↓のURLに出てました。
 
 東北窪田氏にある同じ人物かもしれませんが『本荘市史 史料編Ⅱ』の岩城氏の系図に
常隆―――女子 家臣窪田山城守某が妻 とありました。

>くらのすけさん
 この間はどうもお世話になりました。またよろしくお願いします。

http://www.town.shiwa.iwate.jp/oshigoto/kaikei/kaikeika.htm


[617] 遅ればせながら… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2002/03/16(Sat) 00:44 

久しぶりに「引きこもり状態」から脱していろいろなところをお邪魔しておりますが、皆さん、最近節目を迎えられておられるようですね。
KUBO様も2周年ということで、1ヶ月遅れですが、おめでとうございます。蠣崎様のHPもできて、益々蠣崎・松前関係は盛ん、といったところでしょうか。

ところで、『紫波町史』の話題が出ていますが、なぜですか?
確か資料編はなく、通史編のみだと思いましたが…(図書館にあって、斯波氏を取り上げようかなと目をつけております)


[616] 紫波町史なんですが... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/15(Fri) 23:17 

 今日、人事の内示がありまして転勤することになりました。とはいっても隣の前住
んでいた市ですが。これで道立図書館まで近くなりそうです(^^;) でもその前に仕事
の後始末も荷物の整理もありますが。というわけでしばらく反応が鈍くなるかもしれ
ませんので、よろしくお願いします。>皆様

>八戸三郎さん
 やはり『紫波町史』ってあるんですね。早速、いつもの古書サイトで検索してみま
したらありましたよ>『紫波町史』 で、でも値段が~(T_T) 全3巻で4万5000
円という値段に一瞬絶句。『松前町史』より高いんじゃないじゃろか? つうことで、
欲しいのはやまやまですがかなり迷っております(^^;)
 ちなみに『松岡町史』もありましたが、こちら2万5000円でした。はあ~、な
んでこう高いんじゃろ... やっぱどこかの図書館で見れないかなあ?


[615] 紫波町史 全3巻 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/14(Thu) 19:36 

という本があるようですよ。
ただ紫波の方でないと見れないかもしれないですね。(^_^;)
私の方には、ないようです。

>あらためて見ましたが、私ゃあ2秒ほど2回映ってました
まあ出演ということで・・・(^_^)


[614] 松岡町史も見たいけど... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/12(Tue) 23:18 

 今日、ルーツ探偵談の談長である志田さんから例のルーツ探しの特集のビデオが届
きました。あらためて見ましたが、私ゃあ2秒ほど2回映ってました(^^;)
 初めがルーツ探偵談の紹介、真ん中が「家康V2」という系図ソフトの紹介、最後
に家系調査アドバイザーの桑田さんの紹介、そして途中に岸本さんのコメントが挟ま
るという形式で、5~6分ほどのものでした。
 最近全然サイトの更新がおっついていませんが、次回は「ユーグ・カペーの末裔」
シリーズの続きか、我が家のルーツ・母方(佐々木家)編にしようと思っています。
(いつになるかは未定ですが(^^;))

>白尾四郎さん
 『伊豆工藤系掲示板』ですか。工藤流というと日向の伊東氏がまず思い浮かびます
が、あと二階堂・久野・岡部・吉川・相良・狩野などを輩出している武家の名門です
ね。ちょっとのぞかせていただきましたが、結構活発にお話がされているようですね
(^^)

>八戸三郎さん
> 丸岡町と松岡町には、なかったように思います。
 そうですか。まあ、しゃあないですね。

> あ、その時に丸岡町史、松岡町史というものもありましたが見たことがありますか?
 丸岡町史は持ってます、あまり読んでないけど(^^;) 松岡町史は見たことないです、
ていうか北海道じゃあ道外の市町村史を見ることができるところがあまりないんです
よね。道立図書館とか道立文書館に行ったこともありますが、それほど無かったよう
に記憶しています。でもその時には松岡町史のことは頭になかったので、見落として
いるかもしれませんが(^^;)
 松岡町史も見たいけど、「紫波町史」ってあるんですかね? あるんなら見てみた
いですねえ...


[613] ざんねんながら・・・ 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/11(Mon) 18:58 

>「庄右衛門」という名前はありませんよね? 私の曾祖父の名前なんですが。

丸岡町と松岡町には、なかったように思います。
他の町でいくつか庄右エ門を見ましたが・・・やはり随分前の宗旨帳で関係がなさそうかなと思いました。

あ、その時に丸岡町史というものもありましたが見たことがありますか?


[612] アーマーナイト... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/11(Mon) 07:22 

 今日のネタはホビーショップで仕入れてきました(をい(^^;))
 今日、久しぶりに篠路のホビーショップに行って来たら、なんと前話題にしたタイ
プスリップグリコが売ってるじゃありませんか! 思わず...買いませんでした(^^;)
買いそうになったけど。今度行ったら買ってしまうかも。
 もう一つはそのホビーショップで、「ナイトコレクション」シリーズのプラモが3
つあったので、つい買ってしまいました(^^;) このシリーズは要するに西洋の鎧を
プラモ化したものなんですけど、高校か大学の頃に見つけて作った頃があるんです。
3年ほど前にあるホビーショップでそのシリーズのキット6種類を見つけたので、つ
い買ってしまいましたが、今回見つけたのはそれのアイアンメッキヴァージョンです。
 なお今回買った3つは(1)ティロルの君主ジーグモンド大公(1427~1496)、(2)ライ
ンプファルツの選帝侯フレデリック1世(1425~1476)、(3)ティロルの君主フェルデ
ィナンドII世大公(1529~1595)のものですが、以前買ったものとシリーズ構成が同じ
であれば、この他に(4)皇帝マクシミリアンII世(1527~1576)、(5)ヘッセン伯フィリ
ップI世(1504~1567)、(6)プファルツ選帝侯オットー・ハインリッヒ(1502~1559)
のものがあるはずです。
 ちなみに(1)(3)(4)はハプスブルク家の、(2)(6)はヴィッテルスバハ家の人物です。

>八戸三郎さん
> 今日は久しぶりに大きな図書館に行ったのですが、そこに『越前国宗門人別御改帳』
> というのがあったので覗いてみました。
 おお、それは! 見てみたかった... そういうものがあるというのは話しに聞いて
いたのですが。

> となっていて、丸岡町と松岡町を見たんですが高椋村はありませんでした。
 う~ん、それは残念。

> 松岡町の最近のもので享保五年の宗旨帳に
> 一、 高持男女六人   九左エ門   慶崇寺
> と記載がありました。
 ん? 全然関係ないかもしれないですが、私の祖母方の曾祖父の名は「中島九左衛
門」といって、その御子孫は今でも丸岡町に住んでいるんですよね。名前だけじゃよ
くわかりませんけど... 「庄右衛門」という名前はありませんよね? 私の曾祖父の
名前なんですが。

>蠣崎若狭守さん
>  我が蠣崎幕府のコンテンツも、修正を検討しようかな・・・。
 修正されたようですね。ご苦労様です。

> 確かに、蠣崎、松前家関係の文書は廣の字を使ってますね。
 当然あの時代ですから旧字体の方を使っているんですが、現在でも松前家の末裔の
方々は「廣」の字を使われているようです。

>  その松前家の子孫の方がホームページを営んでいれば、お近づきになりたいです
> ね。(相互リンクにして)
 ええ、右に同じです(^^;) 尾張徳川家・仙台伊達家の方はHPを開いてらっしゃる
ようですけどね。
 http://honor.mejiro.wide.ad.jp/~toku/
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~date-18/index.html


[611] ごあいさつ 投稿者:白尾四郎 投稿日:2002/03/09(Sat) 22:55 

 はじめまして 白尾という流れ者です。

 『伊豆工藤系掲示板』を立ち上げました。
管理人でありながらまだ穴だらけの歴史知識なので不安ですが、
どうぞお立ち寄りになってなんでも書いてみて下さい。
また間違いなどあったらビシビシ指摘して下さい(そう言う意味で面白いかも)。
多分しばらくはお客様が集まらないと思いますが。

ホームページはまだ表紙が出来てるだけで、他に
『富士山が心配BBS』も立ち上がってます。こちらもまだ『閑古鳥』状態です。
以降よろしくお願いします。

http://bbs12.otd.co.jp/1213620/bbs_plain

http://members.jcom.home.ne.jp/silaosi/index.html

http://bbs12.otd.co.jp/1213621/bbs_plain


[610] な、なんと! 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/03/09(Sat) 19:19 

>つい先日松前家の御子孫の方からメールをいただきまして、「松前家では、広ではなく廣(本来は、旧漢字)を使用しておりますので」とご指摘をいただきましたので、当サイトの松前家関係の所を洗い出しまして、「広」の字を「廣」に直しました。

 それは貴重な情報です。
 我が蠣崎幕府のコンテンツも、修正を検討しようかな・・・。
 (少し、動揺してます)
 確かに、蠣崎、松前家関係の文書は廣の字を使ってますね。
 福山秘府の書名で松前広長は「源朝臣廣長」と署名しているし・・・。
 その松前家の子孫の方がホームページを営んでいれば、お近づきになりたいですね。(相互リンクにして)

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[609] 宗門人別帳 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/09(Sat) 18:09 

今日は久しぶりに大きな図書館に行ったのですが、そこに『越前国宗門人別御改帳』というのがあったので覗いてみました。
第一巻第一編坂井郡 第一章三国町
          第二章芦原町
          第三章金津町
          第四章丸岡町
          第五章春江町
          第六章坂井町

第二巻第一編坂井郡 第六章坂井町
          第七章川西町
          第八章福井市
   第二編吉田郡 第一章森田町
          第二章松岡町
          第三章福井市
   第三編足羽郡
   第四編大野郡
となっていて、丸岡町と松岡町を見たんですが高椋村はありませんでした。
松岡町の最近のもので享保五年の宗旨帳に
一、 高持男女六人   九左エ門   慶崇寺
と記載がありました。

苗字がないので、分かっている人を確かめるぐらいにしか読んでも意味がないかもしれませんね(^_^;)


[608] 「広」じゃなくて「廣」 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/09(Sat) 08:54 

 最近は、あまり面白いネタがないですね~(^^;) あ、一つだけ、つい先日松前家の
御子孫の方からメールをいただきまして、「松前家では、広ではなく廣(本来は、旧
漢字)を使用しておりますので」とご指摘をいただきましたので、当サイトの松前家
関係の所を洗い出しまして、「広」の字を「廣」に直しました。
 なんか松前家の御子孫にメールをいただくなんて感激(^^)

>なおすけさん
 テスト終了ですか、ご苦労様でした(^^) 私はテストをつける立場ですけど...(あ、
算数のテストまだつけてない...)
 毎度、新発田窪田氏情報ありがとうございます。近日中に反映させていただきます。

>蠣崎若狭守さん
> 小山氏は諸説があって謎の部分がありそうですね。
 前にも書きましたけど、小山隆政に関しては『江差町史』を見るのが一番いいと思
いますよ。とはいっても北海道以外の図書館で『江差町史』を置いているところはそ
うそうなさそうですけど(^^;) 私も他の都府県の市町村史を見たいなあと思うことが
よくありますが、道立図書館にも道立文書館にもそれほど揃ってないんですよね(T_T)

>八戸三郎さん
> 紫波は八戸藩と盛岡藩で別れているようですね。
> 名主ですと色々記録に残っていそうですね。
 そうですね~、そのうち紫波には行ってみたいと思っていますが。でも、その前に祖
母と曾祖父の除籍取らなくちゃ。(実はまだ取ってない(^^;))

> 『八戸藩士系譜書上』のp46、53に
> 窪田半左衛門ってありましたね。同じ人物だと思いますが。
 ほんとだ、載ってますね。ありがとうございます。また窪田姓情報が増えました(^^)


[607] 名主ですか~ 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/03/07(Thu) 22:58 

テレビ出演おつかれさまでした!・・・見れないけど(笑)

そうですか河原木弥右衛門から始まる藩士の御子孫ということですか。

KUBOさんとは紫波繋がりですか~色々繋がりってあるんだな~。
紫波は八戸藩と盛岡藩で別れているようですね。
名主ですと色々記録に残っていそうですね。

『八戸藩士系譜書上』のp46、53に
窪田半左衛門ってありましたね。同じ人物だと思いますが。

私は南部を少しぐらいしか知らないので
新発田の方は分かりませんね~


[606] ご教示ありがとうございます 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/03/05(Tue) 22:32 

ご教示ありがとうございます。
家格はこれで理解できました。
町史は役場に問い合わせてみます。
小山氏は諸説があって謎の部分がありそうですね。

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[605] やっとテスト終了です 投稿者:なおすけ 投稿日:2002/03/05(Tue) 11:40 

>  やはりそうでしたか。ところで以前なおすけさんから頂いた情報では「窪田"繚"三郎」
> となっていましたが「窪田"鐐"三郎」が正しいのでしょうか?
史料によってまちまちですが"鐐"が正しいようです(スミマセンデシタ)。
 ついでながら新発田藩江戸家老窪田武文の妻がわかりました。先妻が溝口四郎左衛門善長の娘で、後妻が家老溝口内匠清興の娘です。共に藩主と同姓の由緒ある家柄です。それから、どなたか窪田武文の子孫を御存知ありませんか?新発田市にはいないんですよね。


[604] すっごい吹雪でした... 投稿者:KUBO 投稿日:2002/03/03(Sun) 18:37 

 昨日は久しぶりにすっごい吹雪でした。ここしばらくそんなに雪が降っていなかっ
たので、3月後半くらいの感じになっていましたが、久しぶりに来ました。でももう
終わりにして欲しいなあ。雪はもういい... 早く春になれ~

>蠣崎若狭守さん
 まず松前藩士の家格ですが、『松前町史 史料編第一巻』に載っている松前藩士の
名簿の解題の中に、あるいは『松前町史 通説編第一巻上』に松前藩の家臣団の編成
について書かれています。
 寛政十年(1798)の「家中及扶持人列席調」という史料では、「寄合-准寄合-弓之
間-大書院-長炉席-大広間-御用之間-御鷹部屋-御用部屋」という序列になって
おり、文化四年(1807)の「惣扶持人并家数調扣帳」という史料では弓之間以下は「弓
之間-詰組-大書院-中書院-小書院-臺子之間-広間-用之間-鷹部屋-用部屋」
という序列に、嘉永六年(1853)の「御扶持家列席帳」という史料では、「寄合-准寄
合-中書院-中之間-士席御先手組-古組御徒士-新組御徒士」という序列になって
います。時代とともに変化していったのでしょうね。

> 松前町史ですか。それは市販されてるのでしょうか?
 今でも売っているのかどうかはわかりません。私は古書店で買いましたので。松前
町に問い合わせるか、古書店サイトで検索するか、あるいは図書館で探すか(これは
北海道以外なら難しいかも)してみてはいかがでしょう。

> あと、尾山氏(小山)のことで質問なのですが、KUBOさんの
> 系図では小山若犬丸は朝氏になってますが、鎌倉大草紙では若犬丸は隆政になって
> いるのでどちらが本当なのでしょうか?
> (若犬丸=朝氏は何の史料に記録されていたのでしょうか?)
 一般的な史料では若犬丸は「隆政」となっていますよね。私が見たのは道立図書館
所蔵の「蠣崎氏系図or松前氏系図」とかいう史料に付いていた尾山氏の系図です(ガ
リ版刷りのようなものだったと思う)。ただ『江差町史』にも小山悪四郎隆政に関す
る記述があってそこにも同じ系図が出ているので、もととなる系図はあったようです。
ただどこまで本当の話かということは疑問です。

>八戸三郎さん

> もう、放送された頃かな?!
> とても見たかったです。・・・とほほ
 5~6分程度の特集で、そのはじめの方2分くらいしか「ルーツ探偵談」は出ませ
んでした。でも私もちらっとですけど2回くらい顔が出ました(^^;) まあメインは自
分の家系調べを本にまとめた方(松江藩士の御子孫)と350年前まで家系を遡った方(八
戸藩士の御子孫)でしたけど。

> 八戸藩士の御子孫もいらしたのですか~どの藩士だろ(キョロキョロ)
 忘れちゃいました(^^;) でも昨日その方から電話があって、その話の中に河原木七
郎兵衛宗虎という人物が先祖の一人で、うちの母方の先祖がいた紫波の代官を務めて
いたという話をされていました。『八戸藩士 系譜書上』に確かに河原木七郎兵衛と
いう人物が出てますもんね。

> 2部に佐々木となっていたので、気になっていたんですよ。母方という意味だった
> のですね!!しかも岩手県となると南部ですか!!興味深々です!!
 母の話によると、母方の佐々木家は紫波の辺りで名主をしていたという話です。亡
くなった叔父が以前紫波に行って来て調べた系図を写したものがありますが、江戸中
期くらいには遡れるようです。また、そのメモには「竹原長八」とか「竹洞長左衛門」
なんて名前が載っているんですが、調べたら紫波に竹洞という地名があるんですね。
どうもその辺が佐々木家の先祖がいたところのようです。


[603] 尾山氏 投稿者:蠣崎若狭守 投稿日:2002/03/02(Sat) 08:59 

>すみません。いま実家にいるもので、自宅に戻って確認の上お答>えしますが、松前町史にその辺のことは載っていたと思います。
松前町史ですか。それは市販されてるのでしょうか?

あと、尾山氏(小山)のことで質問なのですが、KUBOさんの
系図では小山若犬丸は朝氏になってますが、鎌倉大草紙では若犬丸は隆政になっているのでどちらが本当なのでしょうか?
(若犬丸=朝氏は何の史料に記録されていたのでしょうか?)

http://sapporo.cool.ne.jp/kakibaku/index.html


[602] 見たかった~ 投稿者:八戸三郎 投稿日:2002/02/28(Thu) 19:12 

もう、放送された頃かな?!
とても見たかったです。・・・とほほ
八戸藩士の御子孫もいらしたのですか~どの藩士だろ(キョロキョロ)

2部に佐々木となっていたので、気になっていたんですよ。母方という意味だったのですね!!しかも岩手県となると南部ですか!!興味深々です!!こちらの方も頑張ってください!!


[601ルーツ探偵談+お城ネタ 投稿者:KUBO 投稿日:2002/02/24(Sun) 10:55 

 今日のネタ一つ目。一昨日は職場の飲み会だったんですが、時間がなかったので車
で行ったんです。帰ってきたのは真夜中だったのですが、FMを聞いているとなぜか
お城の話をしていて、この城が良いあの城が良いなんて話をしていたんです。
 その人がおすすめの城第一位が「松本城」、第二位が「熊本城」。これは「そうだ
ろうなあ」と思いつつ聞いていましたが、第三位「唐津城」第四位「小倉城」、「島
原城も良い」なんていっていると相棒に「もういい!」とつっこまれてました(^^;)
途中から聞いたので、お城の話をしていたのが誰かわからなかったんですが、なんか
声がロンドンブーツの片割れに似てるなと思い、家にかえってからネットで検索して
みたらロンドンブーツの田村淳の趣味の欄に「お城」の文字が... 何か思わず親近感
を覚えてしまいました(^^;)

 今日のネタ二つ目。先日話題に出た『道産子のルーツ事典』の著者・岸本さんから
家系の興味を持っている方の会合があるので出てみませんかというので、昨日の夕方
札幌に行きました。しかもこの日はuhb(といってもわかりませんよね。北海道の
ローカルTV局です(^^;))の取材があるという話(^^;)
 この会合は「ルーツ探偵談」というサークルで、自分のルーツをいろいろと調べて
いる方が10人ほど集まっていました。松江藩士の御子孫、八戸藩士の御子孫もいま
して、なかには江戸初期くらいまでさかのぼることができた方もいました。今回初め
て参加させてもらいましたが、とても楽しく時間を過ごさせていただきました。
 この「ルーツ探偵談」のことについては、岸本さんがされる予定のルーツ調べの講
座とあわせて、近いうちにうちのサイトのニュースのコーナーでも取り上げようと思
っています。
 ちなみにこの会合についての放送は2/28のPM6:20頃から放送されるそうです。北海
道の方は見てくださいね~(^^)

>蠣崎若狭守さん
> 松前藩の序列についてご教示願います。
> (寄合席とか中書院席とか、長路席とかいうやつ)
> あと、それらの事が書かれた書籍があれば教えてくださいまし。
 すみません。いま実家にいるもので、自宅に戻って確認の上お答えしますが、松前
町史にその辺のことは載っていたと思います。

>なおすけさん
 いつもいろいろと窪田姓情報を頂きありがとうございます。いよいよPCデビュー
ですか(^^)

>  ところで、八戸三郎さんのおっしゃっていた窪田鐐二郎は、KUBOさんの推察
> 通り新発田藩剣術師範二十石窪田鐐三郎傳習(ただしげ)のことですね。
 やはりそうでしたか。ところで以前なおすけさんから頂いた情報では「窪田"繚"三郎」
となっていましたが「窪田"鐐"三郎」が正しいのでしょうか?

>八戸三郎さん
 毎度です(^^)

> 『南部藩参考諸家系図』に窪田氏はいないのですか?
 えっと、いなかったと思うのですが、一応自宅に戻りましたら確認してみます(^^;)

>『デーリー東北新聞』で八戸藩士の窪田氏を見ましたが、以前と同じ内容が書かれ
> てました。ただ、最後に「武蔵の窪田氏か?」となっていました。
> ついでにちょっと聞いただけですが、関東の窪田(久保田)「また多摩郡御嶽社の
> 社家にもある」は、久保田のようです。
 またまた情報ありがとうございます(^^) 窪田もあちこちありますが、我が家の先
祖はどういうルーツなのやら... 正直母方の佐々木家(岩手県出身)の方が古いところ
までわかってるんですよねえ(^^;) 今まとめている所なんですけど。