宮城県(16)
仙台市(8)
瑞鳳殿

【史 跡 名】瑞鳳殿
【訪 問 日】1989年5月3日・1992年8月18日・2002年8月13日
【所 在 地】宮城県仙台市青葉区霊屋下
【訪 問 記】
 この瑞鳳殿には前年の旅行の際にも行っていますが、この時にはすでにもう真っ暗で閉まっていて見ることができず残念な思いをしました。ですから実質この時が初めてみたいなものでしたが、さすがに壮麗なものでした。
 この瑞鳳殿は2代藩主忠宗が父政宗の廟所として寛永13年(1636)に着工、翌年に完成したものですが、華麗な桃山風の建造物で国宝に指定されていました。しかし昭和20年(1945)の仙台空襲で消失し、その後昭和54年(1979)に再建されました。2代忠宗の廟所・感仙殿、3代綱宗の廟所・善応殿も続いて再建され、かつての華麗な姿を再び見せています。(1989/5/3)


 3年後、職場の職員旅行で再訪しました。やはり何度行っても瑞鳳殿は美しかったですねえ。職場の皆さんはベンチに座って休憩してましたけど、私ゃあカメラ持って走り回ってました(をい(^^;)) またそのうち行きたいですね。(1992/8/18)


 青葉城のあと瑞鳳殿に向かいました。10年ぶりの訪問は嫁さんと一緒です(^^) 瑞鳳殿の麓にある瑞鳳寺によってから瑞鳳殿に行きましたが、相変わらず観光客で一杯です。感仙殿北側の妙雲界廟には9代藩主周宗・11代藩主斉義・斉義夫人芝姫の墓があります。
 写真を撮るために、人が見えなくなるまで待ちましたが、だいぶん待ちました。この日もとても良い天気で、ちょっと階段の上り下りと暑さにはバテちゃいました(^^;) (2002/8/13)

陸奥国分寺跡

【史 跡 名】陸奥国分寺跡
【訪 問 日】1989年5月3日
【所 在 地】宮城県仙台市若林区木ノ下2丁目
【訪 問 記】
 陸奥国分寺跡は2度目の仙台旅行の時に行きました。聖武天皇に建てられましたが、雷火や戦火などで度々失われ、文治5年(1189)源頼朝の奥州合戦の際に兵火によって廃滅しました。鎌倉時代以降は零落したものの慶長12年(1607)伊達政宗が薬師堂を国分寺講堂跡に建立したもので、桃山文化の特色を示した建物です。薬師堂の南にある仁王門は伊達政宗が作らせたというものですが、ここは国分寺南大門跡にあたります。
 すぐ近くにある現在の陸奥国分寺にも行ってきましたが、新しい門と二重塔がありました。

大年寺山

【史 跡 名】大年寺山
【訪 問 日】1989年5月3日
【所 在 地】宮城県仙台市太白区茂ヶ崎1丁目
【訪 問 記】
 この大年寺山(茂ヶ崎山)には、室町時代の応永年間(1394~1428)に粟野大膳大夫の居城茂ヶ崎城が置かれたそうです(そういえば茂ヶ崎城という標柱を見た記憶があります。)が、元禄8年(1695)仙台藩4代藩主伊達綱村がこの地に大年寺を建立してからは大年寺山と呼ばれるようになりました。禅僧普応鉄牛を開山として黄檗宗日本三叢林の第一と称されました。綱村以後の各藩主の菩提寺となりましたが、明治維新後伊達氏が神葬祭となったため大年寺は外護を失って衰退し、いま残るのは長い石段と近年修復された「東桑法窟」の扁額を掲げる惣門だけとなっています。
 実は伊達家墓所が目当てでここに来たのですが、墓所には鍵がかかっており、近くに住んでいる方がその管理を任されているようで、そちらのお宅にお願いして墓所にお参りしました。さすがに写真を撮るのは憚られましたので写真は残っていませんが、瑞鳳殿など3代までの壮麗な廟所とは違い、石造りの質素なものでした。(もちろん仙台藩主の墓所らしい威厳のある大きなものではありましたが...)

大崎八幡神社

【史 跡 名】大崎八幡神社
【訪 問 日】1989年5月3日
【所 在 地】宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
【訪 問 記】
 大崎八幡神社の創建は古く、天喜5年(1057)八幡太郎義家が安倍貞任を討伐するにあたって守護神として京都男山八幡宮より得た御神体を遠田郡八幡に祀ったのが始まりと伝えられています。中世には大崎氏の尊崇を受け大崎八幡と呼ばれるようになりました。
 その後伊達政宗の岩出山入部に伴い岩出山城内に小社が建てられ、慶長9年(1604)仙台城下鎮護のため現在地に建造されました。
 着いたのはもうだいぶん夕方で暗くなってきましたが、さすがに荘厳な建物でした。

光明寺

【史 跡 名】光明寺
【訪 問 日】1989年5月3日
【所 在 地】宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
【訪 問 記】
 光明寺は北山五山と呼ばれた伊達家ゆかりの臨済宗寺院で、遣欧使節支倉常長の墓があります。支倉常長は晩年は世に隠れるように暮らしていたということで、その墓もとても控えめなものでした。写真は何だか撮るのを遠慮してしまいましたのでありません(^^;)
 緑あふれるとても雰囲気のいいお寺でした。

仙台東照宮

【史 跡 名】仙台東照宮
【訪 問 日】1989年5月4日
【所 在 地】宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目
【訪 問 記】
 この仙台東照宮は2代藩主伊達忠宗が寛永14年(1637)の大水害復旧のため幕府から銀5000貫を拝借したことの返恩として東照宮建立を願い出て許され承応3年(1654)に完成したものです。
 37基の石灯籠が両側に並ぶ石段を登ると随身門がありますが、楼門形式で左右に本多忠勝・藤堂高虎の随身像が置かれています。その先には拝殿がありますが、これは昭和10年(1935)年の失火で炎上したため、昭和39年(1964)に復元されたものです。
 その奥には本殿がありますが、私が行った時には(今もそうなのかもそれませんが)塀で囲まれていて近づけませんでした。ですが、塀越しに見える唐門は金箔で華麗に装飾したもので、とても見応えがありました。

輪王寺

【史 跡 名】輪王寺
【訪 問 日】1989年5月4日
【所 在 地】宮城県仙台市青葉区北山1-14-1
【訪 問 記】
 輪王寺は伊達氏9代政宗夫人蘭庭禅尼を開基として嘉吉元年(1441)に福島県梁川に創建されました。伊達氏の移封とともに米沢・会津などを経て慶長7年(1602)現在地に移りました。明治維新で伊達氏の外護を失い、明治9年(1876)の野火で伽藍は消失しましたが、次第に復興し現在に至っています。ここは寺院よりもその庭園が見所で、仙台では珍しい回遊式庭園だそうです。

瑞鳳寺

【史 跡 名】瑞鳳寺
【訪 問 日】2002年8月13日
【所 在 地】宮城県仙台市青葉区霊屋下
【訪 問 記】
 青葉城のあとは瑞鳳殿の方へ向かいました。瑞鳳殿に行く前に、その麓にある瑞鳳寺を覗いてみました。いままではいつも素通りでしたが、今回はお盆だったせいか墓参りにいらっしゃる方がたくさんいました。瑞鳳寺は寛永14年に香華院として瑞鳳殿と共に二代忠宗公によって建立されたもので、二代忠宗公、三代綱宗公の霊牌所とされたそうです。

松島町(3)
五大堂

【史 跡 名】五大堂
【訪 問 日】1988年5月3日・2002年8月13日
【所 在 地】宮城県宮城郡松島町松島字町内111
【訪 問 記】
 五大堂は初めての本州旅行の時に訪れたところです。苫小牧港からフェリーで仙台港まで行き、そこから松島方面へと向かったのですが、さすがにGW。渋滞で松島に着くまでに2時間...(T_T)
 松島に着いてからも駐車するところが見つけられず、結局一緒にいった友人と交代で車を運転しながら、ざあっと見て回るだけという情けないことになりました(^^;)写真を見たらわかるように五大堂周辺も人でいっぱいでした。
 もっと込まない時期にもう一度行ってみたいですね。(1988/5/3)


 14年ぶりの訪問は嫁さんと一緒です(^^;) 花巻・平泉と巡ったあと、再び東北道を通って南下し、松島へ。駐車場に車を止めると、まずは五大堂です。やはり人で一杯で、なかなか写真が撮れません(^^;) やっと人が少なくなった所で、撮ることができました。そのあと、瑞巌寺→円通院→オルゴール博物館と松島の名所を巡りました。(2002/8/13)

瑞巌寺

【史 跡 名】瑞巌寺
【訪 問 日】1992年8月17日・2002年8月13日
【所 在 地】宮城県宮城郡松島町松島
【訪 問 記】
 塩竈神社の次は松島まで移動し瑞巌寺へと向かいました。実はこの4年前に高校時代の友人と松島を訪れたことがあったのですが、その時はGW期間中だったものですごく込んでいて車も停めるところがないような状態で二人で代わる代わる車を運転し、その隙にちょこっと松島のあちこちを眺めたり写真に収めてくるというような状態で、結局私は五大堂の近くまで行っただけで、瑞巌寺は道路の向かい側から「あの奥だなあ」と眺めただけで帰ってきたという苦い思い出があったもので、ちょっと楽しみにしていました。
 山門を入ると、まず深い杉木立が広がり、それに圧倒されました。そしてその奥に瑞巌寺が...あるのですが、なぜかこの先の記憶があまり残っていないのです(^^;) 撮った写真を見ても中門の写真と庭園らしき写真しか撮っていません(^^;) もう一回行かなくちゃいかんかなあ?(1992/8/17)


 10年ぶりの訪問は嫁さんと一緒です(^^;) 花巻・平泉と巡ったあと南下し、松島へ。まずは五大堂へ行ったあと、瑞巌寺へ行きました。やはり中門までの間にある参道の脇に立つ杉の木(?)にはいつも圧倒されます。本堂を回ると、藩主御成の間である上段の間などたくさんの部屋があり、さすが仙台藩伊達家の保護を受けた名刹だけのことはあります。そのあと、青龍殿(宝物館)を見たあと円通院→オルゴール博物館と松島の名所を巡りました。
 でも前回の写真にある庭園は見つかりませんでした。どこか別の所の写真と勘違いしたのかなあ?(2002/8/13)

円通院

【史 跡 名】円通院
【訪 問 日】2002年8月13日
【所 在 地】宮城県宮城郡松島町松島
【訪 問 記】
 松島に着くと、五大堂、瑞巌寺と松島の名所を回ります。そのあと、瑞巌寺のすぐ隣にある円通院へ。ここは伊達政宗の嫡孫で本来三代目を継ぐはずだった光宗の霊廟・三慧殿があります。中には馬に乗った光宗君の像もあります。また、寄棟造萱葺の本堂・大悲亭やその前にある小堀遠州作と伝わる庭も趣があります。本堂の縁側に腰を下ろし頂い冷たいお茶も大変美味しかったです(^^)

塩釜市(1)
塩竈神社

【史 跡 名】塩竈神社
【訪 問 日】1992年8月17日
【所 在 地】宮城県塩釜市一森山
【訪 問 記】
 この年の夏は旅行づいた年で、夏休み中盤に高校時代の友人と道東へ、夏休み終盤に職場の職員旅行で仙台へ、夏休み直後に大学時代の友人と道北へと行きました。
 職員旅行の初日は、千歳空港から仙台空港へ行き、そしてまずは塩竈神社へと向かいました。
 塩竈神社は陸奥国の「一の宮」的存在で、多賀城の創設にあたり、古くから海に関する祭神が祀られていたこの地の地神を別宮とし、鹿島・香取を総社として建立されたものです。中世には、陸奥国留守職伊沢(留守)氏が神主として支配しましたが、江戸期は伊達氏の尊崇を受け栄えました。
 拝殿は元禄8年(1695)、4代藩主伊達綱村が建てたもので桃山様式を取り入れた壮麗なものです。とにかくこの拝殿といい随身門といい、朱塗りの建物が鮮やかだったのが印象に残っています。

岩沼市(1)
竹駒神社

【史 跡 名】竹駒神社
【訪 問 日】2000年5月5日
【所 在 地】宮城県岩沼市稲荷町1-1
【訪 問 記】
 実は竹駒神社はお城巡りが終わって、飛行機の時間までまだ余裕があったのでついでに寄った場所でした(^^;)
 竹駒神社は陸奥の国守であった小野篁が山城国紀伊郡伊奈利山の稲荷明神を勧請したものと伝えられています。朱塗りの鳥居をくぐっていくと、まず文化9年(1812)造営の重層銅板葺入母屋造の随身門が見えてきます。これをくぐると次に天保13年(1842)造営の向唐門があり、その奥に社殿があります。この社殿は五代藩主伊達吉村の造営でしたが、平成2年(1990)放火により焼失し、現在のものは平成6年(1994)に再建されたものです。
 ついでに寄った場所でしたが、さすがに歴史を感じさせる建物が多く、特に随身門と向唐門は見事なものでした。

白石市(2)
片倉家廟所

【史 跡 名】片倉家廟所
【訪 問 日】2000年5月5日
【所 在 地】宮城県白石市
【訪 問 記】
 片倉家廟所は白石市中心部から米沢に抜ける国道113号線に進むとすぐ左側に見えてきます。駐車場に車を置き、坂道を登っていくと鬱蒼とした森に囲まれた片倉家廟所が見えてきました。正面のすぐ脇には初代景綱に殉死した家臣六人の墓や明治年間に片倉家が北海道移住の際に建てた片倉小十郎惣家中先祖代々の供養塔があります。この廟所内には真っ正面にある初代景綱の墓をはじめとして十代宗景まで片倉家歴代の墓がありますが、宗景以外は阿弥陀如来像をその墓標としています。
 またそこからさらに国道を西に進んだところには片倉小十郎景綱の異父姉・片倉喜多の墓所があります。喜多は鬼庭左月良直の娘として生まれましたが、母が父と離別し片倉景重と再婚し景綱を生んだため片倉家で育てられました。のちに伊達政宗の乳母となって少納言と名乗りましたが、未婚の女性でしたので乳母というよりは教育係のようなものだったと考えられ、政宗の人格形成に強い影響を与えています。

真田阿梅・大八の墓

【史 跡 名】真田阿梅・大八の墓
【訪 問 日】2000年5月4日
【所 在 地】宮城県白石市田町 当信寺内
【訪 問 記】
 真田阿梅・大八はあの真田幸村(信繁)の遺児ですが、大坂の陣の際に幸村より片倉小十郎重長(景綱の長男)に託され、以後片倉家の庇護を受けながら成長しました。そして阿梅は重長の後室に、大八は片倉四郎兵衛守信と名乗って仙台藩に召し抱えられました。(大八の子孫はのち真田姓に復す)
 その二人の墓が当信寺にあるということでしたのでホテルに荷物を置くと、歩いて当信寺まで行ってみました。(当信寺山門[旧白石城東口門]も目当ての一つでしたが...(^^;))
 二人の墓は仲良く並んでおり、大八の墓には六連銭ならぬ一文銭が刻んでありました。また、阿梅の墓は写真を見ればわかるように、何か人の形をしておりました。

七ヶ宿町(1)
七ヶ宿街道

【史 跡 名】七ヶ宿街道
【訪 問 日】1988年5月3日
【所 在 地】宮城県刈田郡七ヶ宿町
【訪 問 記】
 白石から米沢方面に抜けるときに通ったのが七ヶ宿街道です。現在は国道113号線になっていますが、福島県伊達郡境の小坂峠を越えて上戸沢・下戸沢・渡瀬・関・滑津・峠田・湯原の七宿場を経て山形県高畠町二井宿、または上山市楢下に通じる街道で、江戸時代は参勤交代のため出羽諸藩の往来、また江戸廻米の輸送路として重要でした。
 滑津宿脇本陣安藤家は、茅葺き切妻破風の屋根をつけた堂々たる玄関を持っています。その他にもところどころに茅葺屋根の当時の宿場を彷彿とさせる建物が残り、とてもいい雰囲気でした。