【城 跡 名】オネトマナイ川左岸チャシ
【訪 城 日】2016年8月8日
【所 在 地】北海道稚内市大字抜海村字オネトマナイ234-5
【形 態】?
【主な遺構】?
【訪 城 記】
道北旅行の初日、天塩川口チャシのあと、道道106号線を北上しオネトマナイ川左岸チャシを目指しました。オネトマナイ川の手前で道路脇に若干の高まりがあったので、これがチャシであろうと思い写真を撮りました。このチャシに関しては「北の遺跡案内」に掲載されていたので場所はわかりましたが、形態や主な遺構など詳しい情報がないので、これ以上のことはわかりません。ですが、いかにもチャシらしい立地だなあと思いました。


【城 跡 名】クトネベツ第1・第2チャシ
【訪 城 日】2016年8月8日
【所 在 地】北海道稚内市大字抜海村字クトネベツ1793-10(第1チャシ)・大字抜海村字クトネベツ1793-6・10・11(第2チャシ)
【形 態】?
【主な遺構】?
【訪 城 記】
道北旅行の初日、天塩川口チャシ・オネトマナイ川左岸チャシを周り、クトネベツ第1・第2チャシを目指しました。抜海駅を過ぎたあたりがチャシ周辺ですが、正直なところどこも同じような丘陵でこの辺りかなあということで写真を撮りました。こちらも「北の遺跡案内」に掲載されていますが、形態・遺構などはよくわかりません。


【城 跡 名】弁天1号チャシ
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市港3丁目、国有林
【形 態】丘先式
【主な遺構】直状1条
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、駅近くの北防波堤ドームのあと南下し、まずは弁天1号チャシを目指しました。弁天1号チャシは港3丁目のセイコーマートなかがわ稚内店の丁度裏山に有り、写真2の左上の辺りでしょうか?直状壕が1条あるとのことですが、当然登れるような所もなく、下から写真を撮って次へ向かいました。


【城 跡 名】弁天2号チャシ
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市港3丁目、国有林
【形 態】丘先式
【主な遺構】直状2条、先端部の壕は崩落
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、弁天1号チャシの次は弁天2号チャシを目指しました。弁天2号チャシは1号チャシの南側200mほどの所にあり稚内鈴蘭幼稚園の奥の台地上に位置します。写真1の背後の台地上だと思います。直状壕が2条あるとのことですが、1号チャシと同じく登れるような所はなく、下から写真を撮って次へ向かいました。

【城 跡 名】増幌チャシ
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大字宗谷村字増幌1418-1,1420-1
【形 態】孤島式
【主な遺構】直状1条(4条?)
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、弁天2号チャシのあとは国道238号線を宗谷岬方面へ向かいました。途中で道道1077号線へと右折すると右前方に独立丘が見えてきます。これが増幌チャシです。『北海道開拓記念館調査報告』第43号掲載の「稚内市増幌チャシの地形測量調査報告」によると、この独立丘の中央部分を横切るように直状壕が4条あるようです。今回は全体写真を撮ったのみで先に進みました。


【城 跡 名】増幌川口1号・2号チャシ(増幌川尻1・2チャシ)
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大字宗谷村字富磯13,14
【形 態】丘先式(1号・2号ともに)
【主な遺構】弧状2条(五角形状の壕?)(1号)、直状1条(2号)
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、増幌チャシのあとは再び国道238号線を宗谷岬方面へ向かいました。1~2kmほど進むと増幌川の川口があり、その山側に位置するのが増幌川口1号・2号チャシです。『北海道開拓記念館調査報告』第44号掲載の「稚内市増幌川口2号チャシの地形測量調査報告」によると、チャシ主体部を横切るように直状壕が2条と未完成の壕が1条あるようです。またこの周辺には旧日本軍の塹壕が多く残されており、1号チャシの五角形状の壕もチャシではなく第2次大戦に関連した軍事的遺構ではないかとしています。
いずれにしても今回は遠景写真を撮ったのみで先に進みました。


【城 跡 名】ピリカタイチャシ)
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大字宗谷村字宗谷202
【形 態】丘頂式
【主な遺構】直状3条
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、宗谷に寄ったあと再び国道238号線を宗谷岬方面へ向かいました。宗谷中学校の手前の宗谷海峡に面する海岸段丘、舌状丘陵の先端から頂部にピリカタイチャシがあります。『北海道のチャシ集成図』などに載っている平面図を見ると、この頂部を横切るように大小の壕が3本または4本並んでいるように見えます。


【城 跡 名】ポンチャシュナイチャシ(エンルムエトコチャシ)
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大字宗谷村字清浜170
【形 態】丘先式
【主な遺構】直状2条
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、ピリカタイチャシのあと再び国道238号線を宗谷岬方面へ向かいました。清浜漁港裏の宗谷海峡に面する海岸段丘、舌状丘陵の先端にポンチャシュナイチャシがあります。『北海道のチャシ集成図』などに載っている平面図を見ると、この舌状丘陵先端部を横切るように大小の壕が2本並んでいるように見えます。

【城 跡 名】泊岸1号チャシ(泊岸チャシ)・泊岸2号チャシ(ポンチャシ)
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大字宗谷村字清浜170
【形 態】面崖式(1号)
【主な遺構】弧状1条・直状1条(1号チャシ)・<直状1条(2号チャシ)>
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、ポンチャシュナイチャシのあと再び国道238号線を宗谷岬方面へ向かいました。東へ1kmほど進むと宗谷海峡に面する海岸段丘、舌状丘陵の先端部に泊岸1号・2号チャシがあります。
このチャシは2005年に測量調査を行い、その結果が『北海道開拓記念館調査報告』第45号に「稚内市泊岸1号・2号チャシの地形測量調査報告」として掲載されている。それによると、1号チャシには丘陵を横切るように壕が2本見られ、その他に塹壕のようなものが見られるが、これは第2次世界大戦に関連した軍事的遺構と考えられ、結論としては2条の壕と土塁をもつアイヌ文化期の面崖式チャシであると考えられるそうです。
また2号チャシには竪穴状の窪み1か所、段状に整地された平面2か所が確認されたが、チャシとして遺跡登録された根拠となる壕は塹壕である可能性が高く、アイヌ文化期のチャシではないと判断できるとのことです。

【城 跡 名】大岬チャシ(尻臼チャシ)
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大字宗谷村字大岬242~245,247~249,266
【形 態】丘頂式(?)
【主な遺構】?
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、宗谷岬のあと再び国道238号線を進みました。民家や大岬小学校の裏の山が大岬チャシです。どうやら畑などになってしまっているようで、『北海道のチャシ』では「耕作等により遺構不明」と書かれています。ですので位置の確認のみを行いました。
【城 跡 名】ヤムワッカチャシ
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道枝幸郡枝幸町6961,8801,目梨泊243-1・2
【形 態】丘先式
【主な遺構】弧状1条
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、大岬チャシのあと再び国道238号線を進みました。道の駅さるふつ公園に寄ってから、さらに進み「カムイ岬公園」の少し手前のオホーツクラインとの分岐点に海に向かって突き出ているの舌状台地がヤムワッカチャシです。台地の付け根に横切るように弧状壕が1条あるようです。草が伸びていたので藪に突入はせず、写真の撮影のみを行いました。


【城 跡 名】ウバトマナイチャシ
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道枝幸郡枝幸町8859,目梨泊326-1
【形 態】丘先式
【主な遺構】弧状1条
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、ヤムワッカチャシのあと再び国道238号線を進みます。200~300mほど進んだ所にある「北見神威岬公園」の北側で沢をはさんで隣で海に向かって突き出ているの舌状台地がウバトマナイチャシです。台地の付け根に横切るように弧状壕が1条あるようです。草が伸びていたので藪に突入はせず、写真の撮影のみを行いました。


【城 跡 名】幌別川尻北チャシ(川尻北チャシ、ポンチャシ)・幌別川尻南チャシ(川尻南チャシ)
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道枝幸郡枝幸町下幌別10006
【形 態】孤島式(北チャシ・南チャシともに)
【主な遺構】直状1条、弧状1条(北チャシ)
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、ウスタイベ千畳岩のあと再び国道238号線を進みます。枝幸町市街地を抜け北見幌別川を渡った先で右折し、幌別川尻北チャシ・南チャシの方へと向かいました。途中で砂利道に入り少し進んだところで倒木があり、車では進めなくなり、徒歩で近づくには距離があるので、チャシに近づくのは断念しました。この二つのチャシはともに孤島式で、周囲からは独立した丘陵になっています。残念ながら近づくことができなかったので、南側の道路からチャシ方面の景色だけ撮影して次に進みました。

南方の道路から撮影した景色

南方の道路から撮影した景色
【城 跡 名】兵知安(ぺいちゃん)チャシ
【訪 城 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道枝幸郡中頓別町兵安100-1・2,106-1~6
【形 態】孤島式
【主な遺構】弧状1条
【訪 城 記】
道北旅行の二日目、幌別川尻北チャシ・南チャシのあと道の駅マリーンアイランド岡島に寄ってから枝幸町市街地方面に戻り、道道12号線から内陸に入り中頓別町を目指しました。そしてまずは道の駅ピンネシリに寄ってから兵知安チャシへと向かいました。兵知安チャシは道道120号線を中頓別市街地から歌登方面へ抜ける途中にあります。『北海道のチャシ』や『北海道のチャシ集成図Ⅰ』に載っている平面図を見ると、兵知安川左岸、道道に向かって先端が伸びる三角形状の独立丘陵を横切るように弧状壕が1条あります。
ですが現地では、写真の通り草藪でよくわからなかったのでチャシ周辺の写真を撮って、この日の宿に向かいました。

