【名 勝 名】万座毛
【訪 問 日】2003年1月8日
【所 在 地】沖縄県国頭郡恩納村恩納
【訪 問 記】
ここは嫁さんのおすすめで行きました。座喜味城の次に行きましたが、最初間違って万座ビーチの方に行きそうになってしまいました(^^;)
国定自然公園にも指定されている県内随一の景勝地で、約250年前の琉球国王・尚敬が崖の上部にある天然芝の美しさと広さから、万人を座するに足りる毛と賞賛したことが地名の由来と言われています。ちなみに毛とは原っぱのことだそうです。
たしかにコバルトブルーの海とそこに突き出るように伸びる琉球石灰岩の断崖絶壁は美しかったですね。断崖の先端は自然の波が彫り込んだ彫刻のようでした。
このあとは北上し名護の方へと向かい、ネオパークオキナワ・名護パイナップルパークをまわったあと、今帰仁城へと向かいました。




【名 勝 名】玉泉洞
【訪 問 日】2003年1月9日
【所 在 地】沖縄県南城市玉城字前川(旧島尻郡玉城村)
【訪 問 記】
これも嫁さんの希望で行った所です。糸数城のあとナビの指示に従い玉泉洞王国村へ行きました。ここは全長5kmもあり、国内第二位の長さを誇る鍾乳洞があります。鍾乳洞の中って涼しいのかと思ったら暑いんですね(^^;) 後半は早く出口に付かないかなと思いつつ鍾乳洞の中を進みました。
外に出るとそこには築100年以上を経た赤瓦の民家を移築し、城下町を再現した琉球王国城下町があり、なかなか雰囲気のある町並みでした。
ある建物の中では沖縄の伝統芸能エイサーの公演がありしばらく見とれていました。







【史 跡 名】ひめゆりの塔
【訪 問 日】2003年1月9日
【所 在 地】沖縄県糸満市伊原
【訪 問 記】
玉泉洞をあとにし、ひめゆりの塔に着いたのは午後5時を回っていました。時間的にももうすでに平和祈念資料館は閉館していましたので、ひめゆりの塔に花を手向け、手を合わせてきただけでした。塔の前には女学生たちが負傷兵を看護したという竪穴式の自然壕である第三外科壕がありましたが、非常に深い壕で、こんなところで彼女たちが最期を迎えたのかと思うと、感慨深いものがあり、ひめゆりの塔や壕の写真を撮る気にはなれませんでした。
今回の旅行では沖縄戦関係の場所はここしか行けませんでしたが、今度沖縄に行く時には他の戦跡にも行きたいですね。


【史 跡 名】玉陵(たまうどぅん)
【訪 問 日】2003年1月10日
【所 在 地】沖縄県那覇市首里金城町1-3
【訪 問 記】
首里城をまわったあと、玉陵へ向かいましたがこのころから少し雨がちらつき始めました。玉陵の入口で料金を払うと少し展示を見てから玉陵へと向かいました。
玉陵は第二尚氏王統歴代の陵墓で、沖縄最大の規模を持つ破風墓で、すべて石造りの荘厳なものです。3室に別れており、中室は洗骨まで遺骸を入れる墓、左側の東室は洗骨後の王の遺骨を納める墓、右側の西室は洗骨後の王族の遺骨を納める墓となっています。玉陵の造営は第二尚氏第三代国王尚真王が父王尚円の遺骨を改葬するため1501年創建したのに始まり、以後歴代王家の人々をここに葬ることになっていました。
この墓を見れば当時の琉球国王の権力と権威が如何ばかりだったかというのが感じ取れるところですね。









【史 跡 名】竜潭
【訪 問 日】2003年1月10日
【所 在 地】沖縄県那覇市首里大中町
【訪 問 記】
玉陵のあと、県立博物館を見学し、そしてその近くにある「潭亭」という八重山料理の店で昼食を撮りました。その県立博物館や潭亭の前に広がる大きな池が龍潭です。
龍潭は1427年、第一尚氏の尚巴志王時代に造営されたと言われています。中国皇帝の全権大使として来琉する冊封使一行を歓待する重陽宴には、この池に竜舟を浮かべ舟遊びを楽しんだそうです。この竜潭も第2次世界大戦の戦禍を受け、戦後修復工事が行われ、首里城の復元に際して整備が行われたそうです。
現在では写真の通り首里城を望む美しい姿を取り戻しています。


【史 跡 名】旧円覚寺
【訪 問 日】2003年1月10日
【所 在 地】沖縄県那覇市首里当蔵町
【訪 問 記】
円覚寺は第二尚氏の菩提寺で、首里城の北のハンタン山の入口に位置しています。かつては荘厳な雰囲気を漂わせた名寺院でしたが、沖縄戦で破壊され、現在は放生橋・総門(復元)が残るだけでかつての面影はありません。
実は今回この円覚寺には行っていないのですが、県立博物館の前庭に旧円覚寺の梵鐘が置かれていたので、それをご紹介します。その説明板によると、円覚寺は第二尚氏の尚真王が父・尚円王の菩提を弔うために1494年に建立したもので、琉球最大の禅宗寺院でした。この梵鐘は1496年に鐘楼に掛けられ、1697年には尚貞王の指示で再鋳され、1944年までその鐘の音は首里の人々に親しまれていました。しかし沖縄戦で円覚寺は全焼し、この梵鐘も戦禍は免れたものの、戦後の混乱でフィリピンに持ち去られ、1950年に返還され、県立博物館入口に展示されていました。その後有志で「円覚寺の鐘を鳴らす会」が結成され、鐘楼が建設され現在位置に梵鐘が甦ることになったとのことです。


