静岡県(0)
山梨県(2)
甲府市(2)
富士山

【名 勝 名】富士山
【訪 問 日】1993年5月3日
【訪 問 記】
 この日は富士五湖の辺りから富士山を眺めてみました。昼からは精進湖からパノラマ台・烏帽子岳・本栖湖経由でハイキングコースを歩きました。始めはこんな遠回りで歩くつもりはなかったのですが、途中に城跡らしきものがあるらしいと案内板に書いてあったので、そちら側に降りていったら、いつのまにか下まで降りてしまい、結局駐車したところまで延々と歩く羽目になってしまいました(T_T)
 精進湖の辺りから見た「子抱き富士」はきれいでしたし、パノラマ台からは富士山と精進湖・本栖湖が一望でき、とても感激しましたが、夕食の頃にはもうバテバテで、食事も残すような状態でした(^^;) ところで、あらためて地図を見てみるとこの時歩いたのはどうも上九一色村(現甲府市)のあたりのようです。のちに別の意味で有名になるとは思いもよりませんでしたが...(^^;)

富士五湖

【名 勝 名】富士五胡
【訪 問 日】1993年5月3日
【訪 問 記】
 「富士山」のところにも書きましたが、この日は精進湖からパノラマ台・烏帽子岳・本栖湖経由でハイキングコースを歩きました。パノラマ台からは富士山と精進湖・本栖湖が一望でき、とても感激しました。あんなに疲れなければ、もう一度行ってみたいところですが、たぶんもう二度と行かないでしょうね(^^;) (もうあんな体力はない...)

長野県(6)
長野市(4)
真田邸

【史 跡 名】旧真田邸
【訪 問 日】1992年5月3日
【所 在 地】長野県長野市松代町殿町
【訪 問 記】
 この年は、岩内から直江津までフェリーに乗り、そこから南下してそこから南下して長野県内を回りました。松代では松代城(海津城)を見たあと近くにある真田宝物館、そしてこの旧真田邸へ行きました。この建物は文久2年(1862)9代藩主真田幸教が参勤交代の制がゆるむと、江戸から母お貞の方を迎えるための住居として建てたものです。入口には黒塗りの冠木門があり、そこから入ると旧真田邸がありますが、大きな建物ではありませんが、幕末期の大名屋敷の面影を今に伝えるものです。またその庭園も小堀遠州の流れをくむ回遊式の庭園で、なかなか綺麗なものでした。

長国寺

【史 跡 名】長国寺
【訪 問 日】1992年5月3日
【所 在 地】長野県長野市松代町田町1015
【訪 問 記】
 この長国寺は松代藩真田家の菩提寺であります。その本堂は正三角形を思わせるその屋根と屋上の鯱(しび)、そして六文銭の家紋が印象的です。
 元和8年(1622)、真田信之が松代に転封とともに上田からこの地に移されました。寺内には初代藩主の真田信之霊屋、4代藩主の真田信弘霊屋があり、その他にも3代藩主真田幸道霊屋を移設した開山堂、真田信繁(幸村)父子や恩田木工民親夫妻の墓があります。真田幸村の墓には参ってみたかったのですが、閉まっており、お寺の方も見えなかったので残念ながら断念しました。ちょっと心残りです(^^;)

善光寺

【史 跡 名】善光寺
【訪 問 日】1993年5月1日・2日
【所 在 地】長野県長野市元善町
【訪 問 記】
 小林一茶旧宅をあとにして長野市に向かいました。すでに真っ暗になっていましたが、善光寺に行ってみました。夜の善光寺もいい雰囲気でした。(でも一人で行くのはイヤ(^^;))
 次の日もう一度行ってみましたが、さすがに人が多く来ていました。本堂の周辺をさあっと見た程度ですが、やはりお寺というのは気持ちが落ち着くもんです(^^)

川中島古戦場

【史 跡 名】川中島古戦場跡
【訪 問 日】1993年5月4日
【所 在 地】長野県長野市小島田
【訪 問 記】
 旅行最終日は再び富士五胡近辺をドライブしたあと、武田神社(旧躑躅ヶ崎館)に行きました。そのあと高速道を通って北上し、長野ICで降りるとすぐ近くに川中島古戦場跡があったので寄ってみました。とはいうもののすでにすっかり暗くなっていましたので、周囲を眺めることもできず、そこにあった武田信玄・上杉謙信一騎討ちの像などを写真に収めただけでしたが...(^^;)

下諏訪町(1)
諏訪大社下社秋宮

【史 跡 名】諏訪大社下社秋宮
【訪 問 日】1992年5月4日
【所 在 地】長野県諏訪郡下諏訪町
【訪 問 記】
 諏訪大社は諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社がありますが、この下社秋宮は幣拝殿・左右片拝殿・神楽殿が国重文に指定されており、建物・彫刻ともに簡素ながら荘重な雰囲気を持っています。
 実はこの諏訪に行った年は御柱祭の年で、あちこちで歓声のようなものが聞こえましたが、祭り自体は見ることができませんでした。

信濃町(1)
小林一茶旧宅

【史 跡 名】小林一茶旧宅
【訪 問 日】1993年5月1日
【所 在 地】長野県上水内郡信濃町柏原49
【訪 問 記】
 この年は長野県・山梨県方面に旅行に行きました。室蘭から直江津までフェリーに載り、南下して長野県に入りましたが、途中、野尻湖の近くで小林一茶旧宅があったので寄ってみることにしました。小林一茶は柏原村の百姓の子で、15歳の時江戸へ奉公に出され、その後俳諧の道で一家を為しましたが、文化9年(1812)故郷の柏原を終焉の地としようと戻ってきました。この建物は土蔵造りで、南面に一つ小窓をつけた造りで、文政10年(1827)の柏原大火の時わずかに残ったもので、この年の11月、一茶は65歳の生涯をここで閉じました。
 着いたのはもう夕方で、近くにある資料館なども閉まっていましたのでここだけを見ましたが、何とも素朴なわびしげな建物でありました。

新潟県(0)
富山県(1)
高岡市(1)
国泰寺

【史 跡 名】国泰寺
【訪 問 日】1991年5月3日
【所 在 地】富山県高岡市
【訪 問 記】
 初めての北陸旅行の時に行ったところです。高岡古城公園に行ったあと、国泰寺に行きました。
 国泰寺は二上山の丘陵、富山湾に面した深い木立に囲まれた禅道場で、庭園竜淵池と石庭月泉庭が見所です。周囲の禅寺らしい建物とそれに囲まれた石庭がなかなか趣がありました。

石川県(2)
金沢市(2)
兼六園

【史 跡 名】兼六園
【訪 問 日】1991年5月3日・4日
【所 在 地】石川県金沢市兼六町
【訪 問 記】
 富山・高岡と回ったあと金沢へと向かいました。金沢といえば兼六園。有名な観光名所でもありますが、さすがにたくさんの人が来ていました。
 兼六園といえば、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、江戸時代の代表的な回遊林泉式庭園です。もともとは金沢城の外郭の庭で、”六つのすばらしさを兼ねて持つ”という意味から兼六園と名付けられたそうです。
 かなり広く、年月を経たらしい古木や緑あふれる木々など見所はたくさんあります。一緒に行った友人はかなり心惹かれたようで次の日にも行こうというので、2回見に行きました。

長町武家屋敷跡

【史 跡 名】長町武家屋敷跡
【訪 問 日】1991年5月4日
【所 在 地】石川県金沢市長町
【訪 問 記】
 この長町の武家屋敷街はとても保存状態が良くて、昔の雰囲気をよく伝えています。土塀が続く道を歩いているとその辺から本物の侍が出てきそうな雰囲気です。彩筆庵で加賀友禅染めを見学したり、ある店(名前忘れました(^^;))で抹茶を頂いたりしました。

福井県(2)
あわら市(1)
吉崎御坊跡

【史 跡 名】吉崎御坊跡
【訪 問 日】1994年8月4日
【所 在 地】福井県あわら市吉崎(旧坂井郡金津町吉崎)
【訪 問 記】
 ここは両親と一緒に我が先祖の地・福井県を訪れた時に行きました。
 吉崎御坊は本願寺の蓮如上人が北陸一帯での布教の拠点としたところで、文明3年(1471)7月に吉崎に来て以来熱心に布教したので、北陸一帯に急速に本願寺教団が形成され、やがて一向一揆蜂起の基盤となりました。文明7年(1475)頃には加賀守護富樫政親の圧力が吉崎御坊にも及ぶようになり、蓮如は吉崎退出のやむなきに至りました。蓮如の退去後、越前守護朝倉氏は、永正3年(1506)越前に侵攻した一向一揆を撃破し、一向宗門徒を加賀へ追放するとともに、吉崎の坊舎も破却し、以後廃坊となりました。
 現在は近くに真宗大谷派(東本願寺)の願慶寺、真宗本願寺派(西本願寺)の吉崎寺があり、嫁威谷の伝説が残っています。蓮如に帰依した嫁を妬んだ姑が、ある一人で参詣に行く嫁を待ち伏せ、鬼の面をかぶって驚かせようとしたが、嫁は全く驚かなかった。姑は面を取り帰宅しようとしたが、面が顔にくっつき離れなかった。困った姑は蓮如の教化を受けざんげすると、やっと面がとれたというのがその伝説で、前記の両寺にはこの伝説の嫁威肉付面があります。
 うちの両親は熱心な真宗門徒ですので、うちの先祖もこの吉崎御坊に参詣したことがあるのかもしれないと思いました。肉付面も両親と一緒に見てきましたが、正直この面のある寺まで東西に別れているのには苦笑いしてしまいました(^^;)

坂井市(1)
東尋坊

【名 勝 名】東尋坊
【訪 問 日】1994年8月4日
【所 在 地】福井県坂井市三国町米ヶ脇・安島(旧坂井郡三国町)
【訪 問 記】
 吉崎御坊跡の次には東尋坊(国名勝)へと向かいました。福井県というとこの東尋坊が思い浮かぶぐらい有名な名勝ですが、高さ70m・長さ1kmに及ぶ複輝石安山岩の柱状節理が素晴らしく、さすがに見事なものでした。東尋坊の名前の由来は平泉寺僧の伝説もありますが、最近はトーセンボ(西風)から出たとの説が有力だそうです。

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