上川管内(15)
神居古潭左岸チャシ(旭川市)

【城 跡 名】神居古潭左岸チャシ
【訪 城 日】1999年10月11日・2002年5月12日
【所 在 地】北海道旭川市神居町神居古潭19
【形  態】面崖式
【主な遺構】
【訪 城 記】
 旭川の中心部の手前の神居古潭に、神居古潭左岸チャシ・神居古潭右岸チャシ・神居古潭チャシという三つのチャシがあるとのことなので神居古潭へと向かいました。左岸チャシがあるとおぼしき辺りに登り口がありましたが、「ストーンサークル入口」とか「○○観音」とかいう表示に?と思いつつ、登り始めました。頂上に到着しましたが、たしかに観音様らしき像や石仏が周囲にあるけれど、それだけ。チャシらしき堀などは見つからず...(; 😉 仕方ないのでそのまま下まで降りました。後から「城郭体系」を見たら、ちゃんと「壕は認められない」と書いてありました(^^;) (1999/10/11)


 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。神居岩チャシから戻って麓に降りてくると、そこはかつての神居古潭駅で、蒸気機関車が展示してあったり、かつての駅舎が休憩所になっていたりしました。かつて駅のホームだったところから眺めると石狩川を挟んで神居古潭左岸チャシが一望できましたので、写真に納めてきました。といってもただの山にしか見えませんが...(^^;) (2002/5/12)

神居古潭右岸チャシ(旭川市)

【城 跡 名】神居古潭右岸チャシ
【訪 城 日】1999年10月11日・2002年5月12日
【所 在 地】北海道旭川市神居町江丹別町春日199先
【形  態】丘頂式
【主な遺構】
【訪 城 記】
 旭川の中心部の手前の神居古潭に、神居古潭左岸チャシ・神居古潭右岸チャシ・神居古潭チャシという三つのチャシがあるとのことなので神居古潭へと向かいました。
 近くにあった案内地図を見ると、対岸にある神居岩という山の所に「サマイクル砦址」の文字を発見。これがたぶん右岸チャシのことだろうと思い、目の前にある吊り橋を渡ろうとすると、吊り橋は危険なため現在閉鎖中との看板が... 仕方ないので写真だけ撮って次へ移動しました。これまた、あとから「城郭体系」を見たら、「神居岩チャシ」というのが出ていたので、神居岩と右岸チャシは別なのでしょう。地形図を見ると左岸チャシと向かい合うように突き出た丘陵が対岸にあるので、これが右岸チャシなのかもしれません。(1999/10/11)


 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。神居岩チャシのあと、旧神居古潭駅のあるところまで降りてくると、その先の方にあるというかむ衣古潭右岸チャシの方へと進みました。旧神居古潭駅のホームだったところからずっと遊歩道が伸びており、そこをしばらく進むと途中で通行止めとなっていてその先に進めなくなっておりましたので、残念ながらそこで進むのを断念しました。途中で山の方に登っていく遊歩道らしきものもありましたが、迷子になるだけのような気もしましたので、神居古潭周辺の探索はこれで終わりにして、次は少し深川方面へ戻り納内(おさむない)周辺のチャシを探索することにしました。(2002/5/12)

神居古潭チャシ(旭川市)

【城 跡 名】神居古潭チャシ
【訪 城 日】1999年10月11日・2000年7月28日・2002年5月12日
【所 在 地】北海道旭川市神居町神居古潭133先
【形  態】面崖式
【主な遺構】壕:半円形1条
【訪 城 記】
 旭川の中心部の手前の神居古潭に、神居古潭左岸チャシ・神居古潭右岸チャシ・神居古潭チャシという三つのチャシがあるとのことなので神居古潭へと向かいました。
 神居古潭チャシは、石狩川左岸の川面との比高10mのところにあるとのことなのでもう少し手前の穴居跡などがある辺りなのかもしれません。結局よく場所が分かりませんでした。いずれにしても、この付近はもう一度行く必要がありそうです(^^;) (1999/10/11)


 先日、旭川方面にチャシ巡りに行ってきました。昨年も一度行っていますが、その時は天気も良くなかったのでほとんど収穫なしでしたが、今回は2つのチャシを見てきました。
 実は先日買った『北の考古学散歩』という本に神居古潭チャシと立岩山チャシについて載っていたもので、見てみたいと思ったのです。
 『北の考古学散歩』によると神居古潭チャシは神居古潭の手前にある「神居古潭竪穴住居跡」(道史跡)の奥にあると書いてあったので、まずはこの遺跡を探しました。国道12号線を北上すると神居古潭トンネルの700~800mほど手前に信号があり左折すると留萌方面へと抜ける交差点があります。この交差点を過ぎて50mほどのところの左側に「神居古潭竪穴住居跡」という青い看板がありましたので、その近くに車を停め遺跡の方へと進みました。
 しばらく歩くと竪穴住居跡の看板があり、その先に数百mほど竪穴跡が並んでいました。神居古潭チャシはこの遺跡の一番奥の方に位置しています。川に面した側に開口部がある半径20mほどの半円形の壕が1条あります。壕の幅は1~3mほど、深さは50cm~70cmほどで壕というよりも溝という感じです。石狩川との比高は10mほどしかないそうです。
 壕で区切られた部分の内部の広さは8畳~10畳ほどで、それほどひろくありませんが、『北の考古学散歩』によると内部に竪穴が四軒あったそうです。また壕も浅くて、かえって住居跡の竪穴の方が深かったりするぐらいですので、このチャシは戦闘目的に作られた砦というよりは鮭漁の際の見張り場などに使われたと考えるのが妥当だと思います。
 草もそれほど伸びておらず、よく手入れされているようです。ちょっと虫がうるさかったですが(^^;)

 このあと神居古潭まで行き以前よくわからなかった神居古潭右岸チャシや神居岩チャシを探索しましたが、前回と同じく石狩川に架かっている釣り橋が通れない(平成12年中工事、平成13年4月開通と看板がありましたが、特に工事が進んでいる様子はなさそうでした(^^;))ので、あっさりと探索を断念し、次へと進みました。
【参考文献】『北の考古学散歩』野村 崇、北海道新聞社 (2000/7/28)


 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。この時は神居古潭チャシには行きませんでしたが、神居岩チャシの頂上の展望台から神居古潭チャシと神居古潭竪穴住居遺跡のある辺りが一望できましたの写真を撮りました。石狩川に沿ったところにあるというのがよくわかりました。(2002/5/12)

立岩山チャシ(旭川市)

【城 跡 名】立岩山チャシ(アサムサクトー上のチャシコツ)
【訪 城 日】1999年10月11日・2000年7月28日・2002年5月12日・2008年10月13日
【所 在 地】北海道旭川市神居町忠和224
【形  態】面崖式
【主な遺構】空壕:半円状1条
【訪 城 記】
 立岩山チャシは北海道東海大学の敷地内にあります。丁度北側に位置する石狩川に向かって突きだした台地の先端部分に当たります。台地の下にある神社の横にあった説明板にも大学の敷地内にチャシ跡があると書いてありましたので間違いないでしょう。
 この日は何か行事でもあるのか、車の乗り入れ禁止と書いた看板があり、学生が交通整理していたので、訪城を断念しました。ただ、大学の敷地内ですから、普段でもちょっと入り込むのは躊躇われるところです。(1999/10/11)


 神居古潭をあとにして、これまた昨年一度探索している立岩山チャシへと向かいました。
 立岩山チャシは神居古潭から十数km上流にあり、石狩川の南側に面した丘陵上にあります。現在は北海道東海大学の敷地になっていますので、まずは大学の受付に行き「ちょっとチャシを見学させてください」と断り、チャシの場所を教えていただきました。
 立岩山チャシは丁度大学校舎の北側の裏手にあたり、石狩川に向かって突きだした台地上にありますが、その西側に半円状の壕がありました。幅は2mほど、深さは1.5m~2mぐらいはあるV字状の壕です。ちょっと草をかき分けて行かなくてはいけませんでしたので、写真に撮るとよくわからないのですが、なかなか保存状態は良好です。
 このチャシのある台地北側に石狩川との間に立岩が数個あり、アイヌ伝説の立岩と一致することから「立岩チャシ」と呼ばれています。別称の「アサムサクトー」とは底なし沼の意味で、「底無沼の妖刀」「悲恋の底無沼」という伝説が残っているそうです。
 その伝説の概要は次の通りです。

 北見アイヌが石狩川を下り忠別太に侵入したため、上川アイヌは立岩のチャシに拠った。酋長は日頃娘を恋していた二人の若者に、戦功の優れた方に娘をやると言ったので、一人の若者は囲みを破り援軍を求めに走り、もう一人の若者は立岩に立ち上がり奮戦したが、敵の矢がその胸を貫いた。若者はその矢を抜き、無限の想いを込めて恋人の胸を狙う。娘は胸を開いて若者の真心を受け取り倒れるが、立ち上がり矢を抱いて底無し沼に走り込む。若者のその後を追う。

 そのあと対岸の嵐山チャシ・オトゥイパウシチャシを探そうと嵐山公園付近に行きましたが、よくわからず探すのを断念したため、結局この日の収穫はこの二つのチャシでした。どちらもなかなか保存状態が良かったです。(2000/7/28)


 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。昼食のあと、北海道東海大学の構内にある立岩山チャシへと向かいました。受付でひとこと断ってから大学の裏手の方にあるチャシへと向かいました。前回は夏のさなかでしたので、草が伸びていてわかりにくかったですが、今回は草もそれほど伸びておらず、壕もはっきりとわかりました。(とはいっても写真に撮るとちょっとわかりにくかったですけど(^^;)) ここはやはり旭川周辺では一番はっきりとわかるチャシですね。菅原さんもちょっとうれしそうでした(^^) (2002/5/12)


 菅原さんから立岩山チャシで発掘調査をしていて、8月に見学会もあると教えていただいたのですが、ちょうどその日は用事があって行けなかったので、後日再訪する予定でいましたが、やっとこの日行くことができました。
 大学の駐車場に車を止め、受付で一言断ってからチャシに向かいました。以前訪れた時には、草が伸び放題でしたが、今回は発掘調査の後ということで、草がきれいに刈られ壕の形もはっきりと見ることができました。郭部分もかなり広く、なかなか規模の大きいチャシだったことが分かります。
 きれいな半円状の壕で、その内側には掘った土を盛り上げたと思われる土塁もありました。壕の端の方には土橋状のものがありましたのでルイカ構造かと思いましたが、8月の見学会に参加した菅原さんの話によると、空堀に倒木があり,そこに堆積した土の可能性が高いという説明があったそうです。確かに位置的に中央ではないので変だなと思いましたが、納得しました。
 見学会で専門家の方のお話を聞けなかったのは残念でしたが、しっかりと壕や土塁を確認することができ大満足でした。見学したあとは、子連れで旭山動物園も堪能してきました(^^;) (2008/10/13)

※ このチャシのある北海道東海大学ですが、2008年に東海大学・九州東海大学と統合され廃止となり、2016年に旭川キャンパスが閉鎖となりました。その土地・建物は旭川市に寄贈されましたが、現在敷地内立ち入り禁止になっているようです。ただし旭川市教委に連絡して入ることができたという情報もありますので、行ってみたい方は市教委に連絡を取るとよいかもしれません。

忠別川右岸チャシ(旭川市)

【城 跡 名】忠別川右岸チャシ(オキクルミのチャシコツ)
【訪 城 日】2002年5月12日
【所 在 地】北海道旭川市宮下通5丁目
【形  態】丘頂式(?)
【主な遺構】なし(破壊)
【訪 城 記】
 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。オトゥイパウシチャシをあとにして、旭川駅方面へ向かいました。この忠別川右岸チャシは現在の旭川駅のすぐ近くにありましたが、市街地の中心部にあったことからかなり早い頃に破壊されてしまったようで、『北海道のチャシ』にもチャシ学会の「チャシ跡遺跡一覧表」にも遺構ははっきりと書かれていません。このチャシがあった辺りは義経伝説とかかわりがあったようでかつては義経台と呼ばれたようで、駅の近くに「義経台跡」の説明板があります。
 その説明によると、宮下通の4~7丁目には低い丘陵があり、アイヌのチャシ跡があったが、明治26年(1893)に最初の上川神社が建てられたが、明治29年に始められた鉄道工事の時に丘陵が崩され、忠別川側に埋め立てられ、神社も移転したそうです。たぶん神社が建てられた頃にはチャシは破壊されてしまっていたんでしょうね。

突哨山チャシ(旭川市)

【城 跡 名】突哨山チャシ
【訪 城 日】2002年5月12日・2012年10月7日
【所 在 地】北海道旭川市東山
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:周壕1条(壕の一部破壊)
【訪 城 記】
 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。忠別川右岸チャシのあと、いよいよこの日最後の突哨山チャシに向かいました。この突哨山チャシは旭川郊外で比布町近くにある男山自然公園内にあります。もう夕暮れ近かったので、公園内への道はすでに閉ざされていましたので、その断崖の下から眺めただけですが、いかにもチャシがありそうな立地でした。実際には登れませんでしたし、写真もちょっと失敗してしまいましたので、今度もう一度行ってみたいですね。
 というわけで、この日一日で深川・旭川周辺のチャシをほとんど回ることができました。案内して下さった菅原さんに感謝!です。どうもありがとうございました。ところで、以前も思ったことですが、旭川周辺は破壊されてしまったチャシが多く、遺構がきちんと確認できるチャシが神居古潭チャシ・立岩山チャシの2つしかないのはとても残念でした。(2002/5/12)


 この日は旭川方面に道の駅巡りに行ったので、ついでに(というよりこちらが主目的)チャシ巡りもしてきました。深川市の北内園チャシ・内園2チャシ、道の駅あさひかわのあとにこの突哨山チャシに行きました。前回一緒にチャシ巡りした菅原さんの情報によると、上の写真3枚は突哨山チャシではなく、アフン・ル・パル洞穴という洞穴遺跡らしく、チャシはそのさらに北東側の舌状台地上にあるようです。
 ただ菅原さんからいただいた情報ではこのチャシのある男山自然公園は、GW前後の1カ月のみ開園ということで、登ることはできませんでした。来年こそは登ってみたいですねえ。(2012/10/7)

嵐山チャシ(鷹栖町)

【城 跡 名】嵐山チャシ(チノミシリチャシ)
【訪 城 日】1999年10月11日・2002年5月12日
【所 在 地】北海道上川郡鷹栖町字嵐山
【形  態】丘頂式
【主な遺構】空壕1条
【訪 城 記】
 立岩山チャシと石狩川を挟んだ対岸に嵐山チャシ・オトゥイバウシチャシがあるそうですが、雨も次第に降ってきましたので探索はここで中止にしました。近くまで行ってみましたが、この二つのチャシがある辺りは野草園か何かになっているらしいです。ここは今度機会があったらもう一度チャレンジしてみたいです。(1999/10/11)


 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。立岩山チャシをあとにして、今度は嵐山チャシへと向かいます。立岩山チャシのすぐ下の辺りから眺めると丁度舌状台地が突き出しているのがよくわかります(写真3)。裏側から嵐山展望台の方へと登り、頂上の駐車場に車を止め、嵐山チャシの方へと今度は遊歩道を下っていきます。途中にチセが建っていた跡(いまは看板しかない)があり、15分ほど下っていくとチャシのある場所にたどり着きます。嵐山チャシという看板はありませんが、案内地図に現在位置が○で記され、そこにチャシコツ(チャシ跡)と書かれています。その案内地図があるところから左下に降りていく道がありますが、どうもその道が壕跡らしく見えますが、定かではありません。『北海道のチャシ』では「空壕1条」とありますが、北海道チャシ学会の「北海道におけるチャシ跡遺跡一覧表」には壕のところが空欄になっていますので、チャシ学会としてもはっきりしていないようです。
 チャシ主体部には「たて穴跡」の看板があるだけで、ほかに見るべきものはありませんが、対岸にある立岩山チャシが木々の狭間からですが一望できました。(2002/5/12)

オトゥイバウシチャシ(鷹栖町)

【城 跡 名】オトゥイパウシチャシ
【訪 城 日】1999年10月11日・2002年5月12日
【所 在 地】北海道上川郡鷹栖町字嵐山
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状1条(鉄道工事で一部破壊)
【訪 城 記】
 立岩山チャシと石狩川を挟んだ対岸に嵐山チャシ・オトゥイバウシチャシがあるそうですが、雨も次第に降ってきましたので探索はここで中止にしました。近くまで行ってみましたが、この二つのチャシがある辺りは野草園か何かになっているらしいです。ここは今度機会があったらもう一度チャレンジしてみたいです。(1999/10/11)


 この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。嵐山展望台から車で上りと反対側に下り、アイヌ文化の森の対岸にある駐車場に車を止めました。橋を渡るとまずはすぐ近くにある野草園へ入りました。なぜかといいますと、この一番奥からオトゥイパウシチャシの先端部が見えるからです。金網越しでしたのでよくわかりませんが、確かに先端部が破壊されているようです。
 今度は野草園から出て、川沿いの遊歩道を進み、線路の手前側からオトゥイパウシチャシの先端部を見てみると、線路で先端部が削り取られているのがはっきり見えました。(2002.5/12)

ニセヲチャシ(士別市)

【城 跡 名】ニセヲチャシ
【訪 城 日】2014年8月16日
【所 在 地】北海道士別市九十九山3441-1
【形  態】丘先式?
【主な遺構】
【訪 城 記】
 この日は夏休み最後の週末に、久しぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。まずは道央道を数時間走って士別剣淵ICでおり、士別のニセヲチャシへ向かいました。ニセヲチャシは士別神社の社殿の裏辺りにあるようで、神社に着いたら坂を上り社殿の裏の方のそれらしき藪をのぞいてみましたが、草が伸びていてよくわからず、たぶんこの辺だろうという藪の写真を撮ってみました(^^;)

智恵文チャシ(名寄市)

【城 跡 名】智恵文チャシ(智北1遺跡)
【訪 城 日】2014年8月16日
【所 在 地】北海道名寄市智恵文3593-1地先鉄道用地
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状1条、中央にブリッジ状遺構あり
【訪 城 記】
 この日は夏休み最後の週末に、久しぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。まずはニセヲチャシ→岩尾内ダム→道の駅「もち米の里☆なよろ」→道の駅「びふか」と回ったあと、名寄に戻って智恵文チャシへと向かいました。
 智恵文チャシはJR宗谷本線の線路のすぐ横にあり、いい感じの舌状台地のうえにあります。すぐ近くに踏切があり、その横に「茶志骨(チャシコツ=チャシ跡)道路」という看板がありましたので、場所は間違いないと思います。ただしその先の道路は藪で覆われて進めませんでした(--;) 線路沿いに進んで上に登れなくはなさそうでしたが、無理せず遠景を写真におさめて次に進みました。

チノミチャシ(名寄市)

【城 跡 名】チノミチャシ(中名寄チャシ、朝日5遺跡)
【訪 城 日】2014年8月16日
【所 在 地】北海道名寄市朝日35林班,193小班
【形  態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
 この日は夏休み最後の週末に、久しぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。まずはニセヲチャシ→岩尾内ダム→道の駅「もち米の里☆なよろ」→道の駅「びふか」→智恵文チャシと回ったあと、チノミチャシへと向かいました。
 チノミチャシは名寄市から下川町へと向かう国道239号線の名寄市のはずれ近くにあり、道路から右側に見える舌状台地にあります。しだいに日が傾いてきたので、無理せず遠景を写真におさめて次に進みました。

上名寄チャシ(下川町)

【城 跡 名】上名寄チャシ
【訪 城 日】2014年8月16日
【所 在 地】北海道上川郡下川町上名寄11線(河川敷)
【形  態】丘先式
【主な遺構】
【訪 城 記】
 この日は夏休み最後の週末に、久しぶりに道の駅&チャシ巡りに行きました。まずはニセヲチャシ→岩尾内ダム→道の駅「もち米の里☆なよろ」→道の駅「ぶふか」→智恵文チャシ→チノミチャシと回ったあと、上名寄チャシへと向かいました。
 上名寄チャシはチノミチャシから東に少し進んだところにあり、名寄市と下川町の境界線付近に位置します。丁度「下川町」という石のモニュメントが道路脇左手にあり、そこから見える河川敷がチャシのようです。日暮れが近づいていましたし、じっくり探索する時間もなかったので、無理せず遠景を写真におさめて帰路につきました。(たぶん写真2か3の奥の手前の方に見える林の辺りだと思うのですが…)

歌内チャシ(中川町)

【城 跡 名】歌内チャシ
【訪 城 日】2016年8月10日
【所 在 地】北海道中川郡中川町歌内ビラウト鉄道用地
【形  態】丘頂式
【主な遺構】弧状1条
【訪 城 記】
 道北旅行の三日目、兵知安チャシのあと道の駅おといねっぷに寄ってから中川町へと向かいました。まず道の駅なかがわに寄って、そのあと国道40号線を北上しJR宗谷本線の歌内駅周辺からチャシ方面へ進もうとしましたが、近づけそうもなかったので遠景写真を撮りました。歌内チャシは天塩川右岸のJRの線路に面した段丘上にあります。

オフイチャシ(中川町)

【城 跡 名】オフイチャシ
【訪 城 日】2016年8月10日
【所 在 地】北海道中川郡中川町国有林12林班い小班
【形  態】丘先式
【主な遺構】弧状1条、短壕1条
【訪 城 記】
 道北旅行の三日目、歌内チャシのあと国道40号線を南下しながら戻り、佐久駅の近くで天塩川沿いに40号線が西に大きく曲がる辺りにオフイチャシがあります。丁度天塩川とその支流・安平志内川にはさまれた舌状丘陵の先端部にチャシがあり、その丘陵を横切るように弧状壕があります。

 2011年11月9日の北海道新聞に「中川のオフイチャシ遺跡 天塩川流域で最大規模」という記事が載りましたが、その記事によるとオフイチャシでササを切り払い測量や土壌を掘る作業が行われ、その結果、面積は約2500平方mで天塩川流域の他のチャシの倍の大きさと判明、地層から16~18世紀の遺跡とみられ、U字形の三つの壕を確認したそうです。また遺跡の規模が大きいことから、天塩川を通じ日本海や宗谷海峡にも近いという地理的条件からオフイチャシが北東アジアとの交易拠点だった可能性もあるのではないかとの調査グループの見解も載っていました。

共和チャシ(中川町)

【城 跡 名】共和チャシ
【訪 城 日】2016年8月10日
【所 在 地】北海道中川郡中川町共和385番地4,720番地
【形  態】丘先式
【主な遺構】弧状1条
【訪 城 記】
 道北旅行の三日目、オフイチャシのあと道道118号線を南下し共和チャシへと向かいました。オフイチャシ付近から10kmほど南下した安平志内川の右岸段丘上にチャシがあります。とはいえ現地に行っても草が伸びていて、位置を確認し写真を撮ったのみでした。

 2005年3月刊行の中川町自然誌博物館紀要「自然誌の研究」第7号に載っている論文「中川町共和チャシの地形測量調査報告」によると、2002年に遺跡見学会等の下見として共和地区の馬頭観音を踏査した際に、この馬頭観音が位置する地点そのものがチャシである可能性に気付き、2004年10月に測量調査を行ったところ、河岸段丘の先端に1条の壕をもつチャシであると考えられるが、壕はほとんどが破壊されており、馬頭観音碑建立の際の整地により破壊されたものと思われる、とのことです。

留萌管内(3)
大別苅カムイトチャシ(増毛町)

【城 跡 名】大別苅カムイトチャシ
【訪 城 日】2006年10月23日、2013年7月13日
【所 在 地】北海道増毛郡増毛町別苅1408-2~5・8
【形  態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状2条
【訪 城 記】
 すっかり忘れていましたが、以前増毛に行く途中にこのチャシを探索に行きました。石狩市浜益区から増毛町に向かう国道231号線を南から進むと、海沿いに出る少し手前の左側に駐車場があり、そこから北側に見える山が大別苅カムイトチャシのようです。近づけるような場所ではないので遠景を写真におさめただけで増毛へ向かいました。(2006/10/23)


 この日は浜益でさくらんぼ狩りをした後、北上して増毛へ向かいました。その際に、途中でここに久しぶりに寄ってみました。増毛の少し手前にある「大別苅防災センター」の裏から見える山が大別苅カムイトチャシですが、全く近づけないので、以前と同じような位置から写真を撮りました。
 余談ですが、ここの駐車場の端の方に留萌管内の市町村のカントリーサインが載っている看板があったので、うちの坊主くんは一生懸命にそれをメモしてました(^^) (2013/7/13)

チャシウンナイチャシ(留萌市)

【城 跡 名】チャシウンナイチャシ
【訪 城 日】2013年7月13日
【所 在 地】北海道留萌市礼受町447-2・4・5
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:直状1条
【訪 城 記】
 この日は浜益でさくらんぼ狩りをした後、北上して増毛へ向かい、第二台場跡と第一台場跡を探索しました。そのあとは、留萌へ行きチャシウンナイチャシを探索する予定でしたが、車のナビの気まぐれで留萌市内まで行ってしまったので、ちょっと黄金岬まで行って、岬の岩場を歩き回ったり、うちの坊主くんが「かき氷が食べたい!」というので近くの店でちょっと休憩したりしてから、帰路の途中にチャシウンナイチャシを探索しました。
 最初は、礼受牧場の方から近づけないかと進んでみましたが、途中で柵が閉まっていて断念。国道231号線に戻り、途中で礼受小学校(7年ほど前に閉校になったらしい)の裏の方かと思って写真を撮ったりしましたが、どうも地図と位置があわないので、もう少し先に進んだところ、それらしい沢が見えたので、たぶんここだろうと判断し写真を収めました。チャシ学会の会報に載っていた平面図を見ると、二つの台地の間の沢の奥の方にある舌状台地にチャシがあるようなので、下の写真の中央部の奥に見える台地がそれではないかと思いますが、定かではありません。この奥まった台地を横切るように一条の壕と段差があるそうです。

 というわけで、この日はさくらんぼ狩り&私の趣味の旅で、往復260kmほど走りました。

天塩川口チャシ(天塩町)

【城 跡 名】天塩川口チャシ
【訪 城 日】2016年8月8日
【所 在 地】北海道天塩郡天塩町字川口2254-1
【形  態】丘先式
【主な遺構】壕:弧状1条
【訪 城 記】
 道北旅行の初日、北竜のひまわりの里や小平ダム道の駅富士見を回ったあと、天塩川口チャシへ。一応、地図ですぐ近くの地点に着きましたが、草むらしか見えず、遠景写真を撮ったのみです。『道北のチャシ』に載っている平面図によると、トーウツナイ川の右岸、川に向かって伸びる舌状台地を横切るように弧状の壕が1条あるようです。