【史 跡 名】神居古潭竪穴住居遺跡
【訪 問 日】2000年7月28日
【所 在 地】北海道旭川市神居町神居古潭
【訪 問 記】
先日、旭川方面にチャシ巡りに行ってきましたが、その時に訪れた神居古潭チャシに隣接して位置しているのがこの神居古潭竪穴住居遺跡です。
国道12号線を北上すると神居古潭トンネルの700~800mほど手前に信号があり左折すると留萌方面へと抜ける交差点があります。この交差点を過ぎて50mほどのところの左側に「神居古潭竪穴住居跡」という青い看板がありましたので、その近くに車を停め遺跡の方へと進みました。
しばらく歩くと右側に「神居古潭原住人遺跡」という石碑のような標識があり、左の方にはジュラルミン製の新しい看板がありました。それによるとこの遺跡は擦文文化の集落跡で、竪穴住居跡が219基確認されているそうです。この竪穴住居跡は、深さ50cm~1mほどで一辺が5mほどの方形の窪地で、看板のあるところから数百mほども並んでいました。当然石狩川に面するというその立地から考えてもこの住居跡に住んでいた擦文人たちは鮭漁を大がかりにやっていたのでしょう。




【史 跡 名】(1)国際染織美術館、(2)優佳良織工芸館、(3)雪の美術館
【訪 問 日】1992年8月29日
【所 在 地】北海道旭川市南が丘3丁目
【訪 問 記】
この年の夏は高校時代の友人と道東へ・職場の職員旅行で仙台へと旅行づいていましたが、その最後の大学時代の友人と道北方面に旅行に行きました。
初日は旭川に泊まり、二日目は旭川市の西側にある伝統美術工芸村へ行きました。ここには以前高校時代の友人とちょっと来たことがありましたが、その時はすでに夕方で中には入ることができませんでしたので、実質初めてでした。
まずは国際染織美術館へ行きました。ここはその名の通り世界中の染織を集めたものでヨーロッパのものアジアのもの等たくさんありましたが、その中でも目を引いたのはちょっとうろ覚えですが、ヨーロッパの騎士の時代の様子を描いた巨大なタピストリーでした。
次は優佳良織工芸館ですが、ここは「優佳良織(ゆうからおり)」というこの辺で作っている染織の作品を展示してあり、赤や緑等の色を使った織物が目に鮮やかでした。
最後は雪の美術館で、ここは雪や氷をテーマにした展示で、圧巻は巨大な自然の氷が通路の両側にそびえ立つように伸びているところです。
※運営会社の経営破綻のため2016年に国際染織美術館・優佳良織工芸館が、2019年に雪の美術館が休館し、2021年に3企業が施設を取得した模様です。ここの雰囲気は結構好きなので再開を期待したいです。





【名 勝 名】大雪山
【訪 問 日】2002年5月12日
【所 在 地】北海道上川郡上川町
【訪 問 記】
この日はお城めぐりMLの菅原さんと深川・旭川周辺のチャシ巡りをしました。嵐山チャシを見た後、嵐山展望台まで戻りましたが、旭川市街と大雪山連峰が一望できました。これはなかなかきれいでした。

【名 勝 名】新栄の丘・四季彩の丘
【訪 問 日】2007年8月6日
【所 在 地】北海道上川郡美瑛町
【訪 問 記】
家族旅行の二日目、旭川から富良野へ向かう途中ちょっと美瑛の丘巡りをしました。まずは「新栄の丘」。ここは観光スポットになっていて、ちょうど団体バスが来ていて、そのガイドざんが「写真撮ってあげましょうか?」と言って下さったので、家族3人で撮ってもらいました(^^)
次にガイドブックに載っていた「四季彩の丘」。ここは売店があって、そこで料金を払わないと入れません。中に入ってみると、色鮮やかな花が帯状に植えられていて、それがとてもきれいでした。
美瑛は、今回初めて行きましたが、本当にきれいですね。今度ゆっくり回ってみると楽しいかも。




【史 跡 名】忠別ダム
【訪 問 日】2015年9月20日
【所 在 地】北海道上川郡、東川町・東神楽町・美瑛町
【ダム情報】河川名:石狩川水系忠別川、型式:複合ダム(重力式コンクリートダム+中央コア型フィルダム)、ゲート:振動式高圧ラジアルゲート×2門・ジェットフローゲート×2門・自由越流×13門、完成年:2007年
【訪 問 記】
この日は美瑛の忠別ダムに行きました。ここはロックフィルダムと重力式コンクリートダムの複合(コンバイン)ダムという珍しい型式で、場所によってダムの表情が全く変わります。どうやら複合ダム型式では日本最大級のダムのようです。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)



(ダム湖側)


【史 跡 名】青い池
【訪 問 日】2018年6月9日
【所 在 地】北海道上川郡美瑛町白金
【訪 問 記】
この日は以前から行きたいと考えていた美瑛の青い池に行ってみました。数年前のシルバーウィークにも行ったことがあるのですが、車がものすごく渋滞していて断念したことがありました。この日は前日から雨だったこともあり、混んでおらず駐車場にもスムーズに入ることができました。とはいっても観光地ですので、そこそこ人手はありましたが…
前日から雨が降っていたということもあって、池の色はややくすんだ青でしたが、それでも十分きれいな色で、立ち枯れた樹木と相まってきれいな所でした。
ここは自然の池ではなく、十勝岳の堆積物による火山泥流災害を防ぐために美瑛川に建設された堰堤に水が溜まったもので偶発的な人造湖です。やや色がくすんでいたのが残念ですが、そのおかげでゆっくり見ることができました。夏から秋にかけてが見頃らしいので、また再訪してみたいところです。 (2018/6/9)


【史 跡 名】岩尾内ダム
【訪 問 日】2014年8月16日
【所 在 地】北海道士別市朝日町岩尾内
【ダム情報】河川名:天塩川水系天塩川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:クレストゲート×2門、完成年:1970年
【訪 問 記】
この日は上川北部名寄美深方面の道の駅に行き、士別の岩尾内ダムにも行きました。ダムもかなり堤高が高くて大変立派でしたが、ダム湖である岩尾内湖の眺めが素晴らしく、とても気持ちが良い時間を過ごしました。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)



【史 跡 名】大雪ダム
【訪 問 日】2014年9月14日
【所 在 地】北海道上川郡上川町層雲峡大学平
【ダム情報】河川名:石狩川水系石狩川、型式:中央遮水壁型ロックフィルダム、ゲート:クレストラジアルゲート×2門・オリフィスラジアルゲート×1門・ホロージェットバルブ×1門、完成年:1975年
【訪 問 記】
この日は道央道から旭川紋別道へ進み、そちら方面の道の駅、そして上川町の大雪ダムへと行きました。ダムカードのような前面からの写真が撮れなかったのが残念ですが、ロックフィルダムにしては堤高も高く立派なダムでした。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)


(ダム湖)

(ダム湖)
【史 跡 名】北海道命名の地
【訪 問 日】2016年8月10日
【所 在 地】北海道中川郡音威子府村物満内
【訪 問 記】
道北旅行の三日日、共和チャシのあと道道118号線を北上して、国道40号線との合流地点まで戻り、音威子府方面へと向かいました。途中、筬島駅の少し手前で「北海道命名の地入口」という看板を見つけたので、ちょっと車を停めて歩いてみましたが、なかなか辿り着かず途中で面倒になって戻ってきてしまいました。後で調べてみると100mほどで高橋知事が揮毫したという木製の碑の所まで辿り着いたようなのでそのまま車で行けば良かったと後悔しました。



【史 跡 名】西岡ダム
【訪 問 日】2016年8月10日
【所 在 地】北海道上川郡剣淵町南桜町
【ダム情報】河川名:天塩川水系小沢川、型式:ロックフィルダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:2009年
【訪 問 記】
道北旅行の三日日、北海道命名の地のあと、音威子府→美深→名寄→士別と南下し、士別の旭川建設管理部士別出張所にてダムカードをいただき、それから西岡ダムへと向かいました。ちょっと農村部を抜け奥の方にダムはありました。典型的なロックフィルダムで、人がいないせいか虫がいっぱいいました(^^;) (ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)



【史 跡 名】愛別ダム
【訪 問 日】2016年8月10日、2018年6月9日
【所 在 地】北海道上川郡愛別町字協和
【ダム情報】河川名:石狩川水系狩布川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:1987年
【訪 問 記】
道北旅行の三日日、西岡ダムのあと愛別ダムに行く予定でしたが、もう時間が遅くなってしまったので、取りあえずダムカードだけでももらいに行こうと旭川市の旭川建設管理部へと向かいました。それで愛別ダムはそのうちに行こうと思っていたのですが、もう今年は行けそうにありません(^^;) 来年リベンジしたいと思います。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ) (2016/08/10)

美瑛の青い池と道の駅白金ビルケに行った後、以前ダムカードを入手しただけで実際に訪れていなかった愛別ダムに行きました。とてもきれいな重力式コンクリートダムです。放水しているところも見ることができて良かったです。いよいよあとは鹿ノ子ダムと庶路ダムです。(2018/06/09)




【史 跡 名】金山ダム
【訪 問 日】2015年7月30日・2017年9月10日
【所 在 地】北海道空知郡南富良野町字金山
【ダム情報】河川名:石狩川水系空知川、型式:中空重力式コンクリートダム、ゲート:クレストローラーゲート×3門・ホロージェットバルブ×1条、完成年:1967年
【訪 問 記】
この日は空知方面のダムを巡りました。夕張シューパロダムのあと、南富良野の金山ダムへ向かいました。ここは中空重力式コンクリートダムといいダムの中に空洞があってコンクリートを節約しているタイプのダムで、全国的には珍しいタイプになります。年代を感じさせるダムで、重厚さを感じます。ダム湖の金山湖の周辺ではキャンプ場もあり、ウォータースポーツも盛んだそうです。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ) (2015/7/30)



この日桂沢ダム・金山ダムの新ダムカードを集める旅です。桂沢ダムの新ダムカード、芦別のマンホールカードをGETしたあと、南富良野町の金山ダムへ向かいました。ダムに着くと係の方が近づいてきて、今日は内部の大掃除(?)をしているとのことで管理所内には入れないということで、外でダムカードをいただきました。ダムカードは桂沢ダムと同じく新しい写真を使っていて、50周年記念のシールが貼ってありました。
そのあとダムの下流公園に行きましたが、やはり金山ダムはきれいなダムです。ただ昨年の台風・洪水の影響なのか、アスファルトがはがれたり、石が散乱しているところもありました。早く修復されることを願います。(2017/09/10)





【史 跡 名】留萌ダム
【訪 問 日】2013年11月3日
【所 在 地】北海道留萌市大字留萌村字チバベリ
【ダム情報】河川名:留萌川水系チバベリ川、型式:中央コア型ロックフィルダム、ゲート:ジェットフローゲート×2門・自由放流×5門、完成年:2010年
【訪 問 記】
この日は北空知の道の駅を巡ったあと、最後に留萌ダムに行きました。写真を見て分かるように、典型的なロックフィルダムで、固めている岩石がきれいでした。着いたのがもうすっかり夕方で夕焼けがとてもきれいでした。(ダムカードは「趣味の部屋→ダムカードのページ」へ)
ここで2013年のダム巡りは終了です。

(前面)

(ダム湖側)

【史 跡 名】(1)國稀酒造、(2)旧商家丸一本間家、(3)増毛厳島神社
【訪 問 日】2006年7月26日
【所 在 地】北海道増毛郡増毛町
【訪 問 記】
実は職場の職員旅行で増毛に行き、写真の國稀酒造に行ったのですが、その時に初めて増毛の歴史的建造物群が「北海道遺産」に選ばれているということを知りました(「北海道遺産」は知っていたんですけど(^^;))
それで少し時間があったので、旧商家丸一本間家、増毛厳島神社まで足を伸ばして外観を写真に収めてきました。時間があればもっとゆっくり見てきたかったのですが、それはまた改めてということで(増毛なら我が家からも日帰り圏内ですし)
ちなみに國稀酒造で手に入れた増毛のガイドマップによると、
「旧商家丸一本間家」~増毛を代表する歴史的建造物。国指定の重要文化財で、丸一本間家は呉服商、ニシン漁網元、海運業、酒造業など天塩國随一の豪商として発展し、明かり取りの仕掛けのある奥帳場、有名書家の襖がある奥の間、町で最初に付けられたシャンデリアのある客間、町屋形式の中庭、呉服店舗や蔵など贅を尽くした建物。
「國稀酒造」~明治15年創業の地酒「國稀」は最北の酒蔵で、夕方まで一般公開されている。
「増毛厳島神社」~創建250年で道内有数の歴史を誇る。参道の唐獅子や灯籠は江戸時代のもの。拝殿の絵馬や天井画、日本画など一家の価値がある。
そうです。その他にも増毛駅、旧旅館富田屋、多田商店、旅館増毛館、志満川食堂、増毛小學校などがあるそうです。




【史 跡 名】旧花田家番屋
【訪 問 日】2013年9月21日
【所 在 地】北海道留萌郡小平町鬼鹿字広富
【訪 問 記】
この日は久しぶりに道の駅巡りに行きました。まずは高速で留萌まで行き、そのあと国道232号線を北上しました。そして着いたのが道の駅「おびら鰊番屋」です。ここには重要文化財・旧花田家番屋が敷地内にあるので行ってみました。旧花田家番屋は、松前郡福島村出身の花田伝作が1905(明治38)年に建てた木造一部二階建ての寄棟造で、中央に広い土間があって、左側が花田家の家族や帳場などの居部屋、右側が漁師の溜まり場所になっています。
居部屋にある仏間や居間などを見るととても立派で、欄間なども透かし彫りになっていてニシン漁最盛期当時の羽振りの良さが感じられました。また、道路をはさんだ海側はにしん文化歴史公園になっていて、北海道の名付け親・松浦武四郎の銅像や三船遭難慰霊之碑(終戦直後の1945年8月22日、樺太からの引き揚げ者を乗せた引き揚げ船三隻が、留萌沖でソ連軍の潜水艦の攻撃を受け、二隻が沈没して1700人以上が犠牲となった事件の慰霊碑)がありました。










【史 跡 名】小平ダム
【訪 問 日】2016年8月8日
【所 在 地】北海道留萌郡小平町字滝下
【ダム情報】河川名:小平蘂川水系小平蘂川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:自然調節(ゲートレス)、完成年:1992年
【訪 問 記】
道北旅行の一日日、まずは北竜のひまわりの里に寄ってから、留萌方面へ向かいました。そして小平町の小平ダムへ。まだ午前中だったのでダム管理所でダムカードをいただきました。見ての通り、とても立派な重力式コンクリートダムでした。
小平川流域ではアンモナイトや恐竜の化石が出土していて、ダム手前の公園にはクビナガリュウの像があります。小平町文化交流センターではクビナガリュウの全身骨格模型やアンモナイトなどの化石類を見学できるそうです。




【史 跡 名】有明ダム
【訪 問 日】2016年8月8日
【所 在 地】北海道苫前郡初山別村字有明
【ダム情報】河川名:茂築別川水系茂築別川、型式:重力式コンクリートダム、ゲート:ローラーゲート×1門、完成年:1972年
【訪 問 記】
道北旅行の一日日、小平ダムのあと有明ダムにに向かいました。午後になってしまったので、まずダムカードをいただくために羽幌町にある留萌建設管理部羽幌出張所へ。そのあと初山別にある有明ダムへと向かいました。ご覧の通りなかなか立派なダムでした。


【史 跡 名】(1)宗谷厳島神社、(2)宗谷護国寺、(3)旧藩士の墓、(4)間宮林蔵像
【訪 問 日】1992年8月29日・2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市宗谷
【訪 問 記】
旭川をあとにするとひたすら北上し、名寄を経由して、一度サロベツ原生花園に立ち寄り、稚内まで辿りつくと、今度は宗谷岬方面へと進みました。すると途中で史跡らしきものを見つけたので立ち寄ってみました。
まずは宗谷厳島神社ですが、なぜこんなところに厳島神社が?とも思いましたが、『北海道の歴史散歩』によるとここの鰐口の記録から天明元年(1781)創建のようです。鳥居に「天保六年(1835)」「粂屋(米屋?)八右衛門」という文字が見えますので、この辺りの場所請負人などが建てたのかもしれません。水の神である市杵島姫命を祭神としているそうです。
それから宗谷護国寺ですが、正式名を泰平山松寿寺護国寺といい安政3年(1856)創建で、当時日本最北端の寺でした。明治17年(1884)に廃寺となり、明治45年(1912)火事で焼失しましたが、その後復興したようです。現在の宗谷護国寺の北側に「宗谷護国寺跡」があります。
それからこの時には写真に収めませんでしたが、すぐ近くに旧藩士の墓があります。18世紀末から19世紀初めにかけて北辺警備のため、秋田・会津両藩の藩士がこの地に派遣されましたが、厳寒の地で死亡するものが多く、そうした藩士の墓がかつては点在していましたが、明治44年(1911)にこの地に集めたそうで、13基の墓があるそうです。(1992/8/29)




道北旅行の二日目、宗谷岬に向かう途中で津軽・会津・秋田陣屋跡の標柱を見つけたあと、宗谷公園周辺へと寄り道しました。厳島神社は昔通りでしたが、護国寺は屋根を張り替え周囲をきれいに整備したようです。それから24年前には気づきませんでしたが、奥の方に間宮林蔵の顕彰碑(銅像)がありました。(2016/8/9)








【史 跡 名】間宮林蔵渡樺の地
【訪 問 日】1992年8月29日・2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市清浜
【訪 問 記】
宗谷公園からさらに北上すると泊岸のあたりに「間宮林蔵渡樺出港の地碑」があります。間宮林蔵が蝦夷地(北海道)から北蝦夷(カラフト、現サハリン)に渡ったのは文化5年(1808)のことですが、その記念の場所を示すものです。近くには間宮林蔵の顕彰碑もありました。(1992/8/29)


道北旅行の二日目、泊岸1号・2号チャシのあと再び国道238号線を宗谷岬方面へ向かいました。しばらくすると24年間にも寄った「間宮林蔵渡樺出航の地」碑がありました。昔の写真と比べると碑の方は若干きれいになったようですが大きく変わってませんでした。ですが説明板の方は新しくリニューアルしたようです。(2016/8/9)


【史 跡 名】(1)間宮林蔵銅像、(2)日本最北端の地碑、(3)旧宗谷海軍望楼跡
【訪 問 日】1992年8月29日・2016年8月9日
【所 在 地】北海道稚内市大岬
【訪 問 記】
間宮林蔵渡樺出港の地から北上するととうとう宗谷岬へと到着しました。ここは日本最北端の地として知られていますが、周辺には間宮林蔵の像や日本最北端の地碑があります。またそこから一段高い台地上には旧宗谷海軍望楼跡がありますが、これは明治34年(1901)12月に建てられた石造の望楼で船のブリッジを模したものです。宗谷海峡を通過する船の見張りや気象観測等に使われましたが、1905年の日露戦争の際には軍事上重要視されたそうです。私たちが行った時にはもうすでに日が暮れかけており、海岸近くにある間宮林蔵の像や日本最北端に地碑を見ている時にはまだ少し明るかったのですが、望楼を見に行ったときにはとっぷりと暮れてこのような写真になっています。


(中央にいるのは私と友人です)

道北旅行の二日目、間宮林蔵渡樺の地碑のあと宗谷岬へと向かいました。この日は曇っていて、夏の盛りだというのに宗谷岬に着いた頃には21度くらいしかなく長袖の上着を羽織っていました。(風が強かったせいもありますが)24年ぶりの訪問ですが、間宮林蔵の銅像や日本最北端の地碑はほとんど変わらずでした。丁度お昼時だったので近くの食堂で海鮮丼をおいしくいただきました。(2016/8/9)


【史 跡 名】最北端の線路
【訪 問 日】2016年8月8日
【所 在 地】北海道稚内市中央3丁目6
【訪 問 記】
道北旅行の初日の最後、稚内に着き、稚内駅に併設されている道の駅わっかないへ行きました。すると、駅の前に線路のモニュメントがありました。これは平成23年4月に稚内の駅舎がリニューアルされた際に線路が短くなってしまい、取り外された車止めレールを平成24年3月に元の位置に復元したものだそうです。駅内にはいると、その先の屋外に現在の「最北端の線路」という看板と車止めをガラス越しに見ることができます。


【史 跡 名】北防波堤ドーム
【訪 問 日】2016年8月8日・9日
【所 在 地】北海道稚内市開運1丁目
【訪 問 記】
道北旅行の初日は稚内のホテルに泊まりました。そのすぐ近くにあったのが北海道遺産にの指定されている北防波堤ドームです。全長427m、円柱70本の柱廊風のゴシック建築を模した半アーチ型ドームは1931年から5年をかけて建設され、2001年に北海道遺産に指定されました。
丁度ホテルの窓からライトアップされているのが見えたので写真を撮りに行ってみました。翌朝にも言ってみると、テントを立てて寝泊まりしたらしき人もいました。ちょっと防波堤とは思えません。しばし見とれてしまいました。

北防波堤ドーム




【史 跡 名】ウスタイベ千畳岩
【訪 問 日】2016年8月9日
【所 在 地】北海道枝幸郡枝幸町岬町
【訪 問 記】
道北旅行の二日日、ヤムワッカチャシ・ウバトマナイチャシのあとはウスタイベ千畳岩へ。地図を見ていたら見つけたので寄ってみたのですが、この岩の重なりがとても見応えありました。この岩は安山岩だそうで、1300万年前に噴火した溶岩が冷えて固まったものらしいです。キャンプ場もあるので広い駐車場にトイレもあります。
風があって寒かったので早々に退散したのですが、晴れていて温かかったら気持ちの良いところでしょうね。





