【城 跡 名】オムサロチャシ(オムサロC地区チャシ)
【訪 城 日】2018年8月3日
【所 在 地】北海道紋別市渚滑町川向152
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条
【訪 城 記】
オホーツク旅行一日目、湧別のあと紋別市役所にてマンホールカードをGETし、さらに北に向かってオムサロチャシを目指しました。
オムサロチャシは、東から西に延びる尾根の先端に位置しています。ただこういう場合、普通は尾根の先端を区切るように直状または弧状の壕があるのに対し、このチャシの壕は尾根の南側の先端からS字状に尾根の中央を走って北東側に抜けるという不思議な形状をしています。
国道238号から左折すると駐車場があり、その先にオムサロ台地竪穴群というのがあったので一瞬そちらに行きかけたが、そのさらに奥の台地がオムサロチャシです。草が生い茂りもう日も暮れかけていたので、突入を断念。紋別市街地に戻る途中でエゾシカの親子を見かけました(^^;) 周りに家が少し建っているような場所でしたが、いるんですよね。
これで旅行一日目終了です。

【城 跡 名】音稲府(オトイネプ)チャシ
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道紋別郡雄武町字北雄武804-1
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武の道の駅をめぐった後、雄武町の音稲府チャシへ向かいました。このチャシは音稲府川と音稲府川第三支流の分岐点に位置し、東側から西に延びる台地の先端(青葉第二浄水場の道路をはさんで向かい)にあります。その台地を横切るように直状の壕が1条あるそうです。
ちょっと近づくのは難しそうだったので、遠景を撮影して、同じ雄武町内のもう少し北側に4つのチャシが固まっている場所があるので、そちらに向かいました。

【城 跡 名】トーペッチャシ(フッペチャシ)
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道紋別郡雄武町字幌内804-1~7,幌内川河川敷
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武の道の駅をめぐった後、雄武町の音稲府チャシを巡り、その北の方に固まっている4つのチャシの方に進みました。
まずはトーペッチャシですが、ここは幌内川の南側、幌内ふ化場の東側にあります。南側の道路から望みましたがよくわからず坂の途中だったので写真も撮れずじまいでした(--;)
「道北地方のチャシ」によると、西側から延びる台地の先端に位置し、北側を向いて弧状の壕が1条あるようですが、「北海道のチャシ」によると「採石等で破壊され原形が損なわれている」とのことです。
【城 跡 名】高野チャシ
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道紋別郡雄武町字北幌内566-1~3,幌内川河川敷
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武の道の駅をめぐった後、雄武町の音稲府チャシ、そしてその北の幌内にある4つのチャシを巡りました。トーペッチャシの後、その北側に位置する高野チャシを探索しました。このチャシは高野農場の敷地内にあるようで、幌内川の北側の台地上にあるようで、南に向かった小さな舌状部の基部を区切るように弧状の壕が1条あります。
ここも農場内ですし近づくのは難しそうだったので、遠景を撮影して、次のオロカムイチャシへ向かいました。


【城 跡 名】オロカムイチャシ
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道紋別郡雄武町字北幌内幌内川河川敷
【形 態】丘頂式
【主な遺構】空壕:弧状1条、北側に段を設け先端部を楕円形に区切る
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武の道の駅をめぐった後、雄武町の音稲府チャシ、そしてその北の幌内にある4つのチャシを巡りました。トーペッチャシ・高野チャシの後、その南西に位置するオロカムイチャシを探索しました。このチャシは幌内川が蛇行している部分に面した舌状丘陵の先端部にあり、チャシの北側に壕と段があるようです。
ここも幌内川の橋の手前から遠景を撮影しましたが、後からGoogleMapをよく見てみると、その手前からチャシの方へと行けそうな小道があったようです、残念…
そして次のリーチャシへ向かいました。

【城 跡 名】リーチャシ(カモイチャシ)
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道紋別郡雄武町字北幌内幌内川河川敷
【形 態】丘先・面崖式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武の道の駅をめぐった後、雄武町の音稲府チャシ、そしてその北の幌内にある4つのチャシを巡りました。トーペッチャシ・高野チャシ・オカムイチャシの後、オロカムイチャシの西側に位置するリーチャシを探索しました。このチャシは幌内ダムの近くで、幌内川のすぐ東側の南に延びる狭い舌状台地の先端に位置しており、その基部を区切るように壕があるようです。
北側を走る道道60号から近づこうと試みましたが、どこからダムの方に行けばいいのかわからず、結局近くにあると思われる「幌内北浄水場」の写真を撮影しました。ここも後からGoogleMapを見てみると、その手前からダムの方へと行けそうな小道があったようです、残念…
また北海道チャシ学会が作成したチャシ一覧によると雄武町幌内にはもう一つ、メムプトチャシ(メンフッチャシ)という丘先式のチャシがあったようですが、「ダムに水没」とあるので、このリーチャシのさらに西側にあったものと思われます。
これで雄武町のチャシ探索を終え、次の目的地・道の駅にしおこっぺ花夢へ向かいました。

幌内北浄水場
【城 跡 名】札滑(サッコッ)チャシ(上興部チャシ)
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道紋別郡西興部村札滑44
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武の道の駅、雄武町の5つのチャシを巡った後、道の駅にしおこっぺ花夢へ向かいました。この道の駅の南側を流れる興部川、そのすぐ南にある舌状台地の北端にこのチャシは位置し、その基部を区切るように壕があるようです。
道の駅からは遠景を撮影し、次の目的地・滝上町へと向かいました。

札滑チャシ遠景
【城 跡 名】浜佐呂間チャシ(インカルチャシ)
【訪 城 日】2018年8月4日
【所 在 地】北海道常呂郡佐呂間町字浜佐呂間414,432
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:C字状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行二日目、紋別→興部→雄武→西興部→滝上→湧別→佐呂間の道の駅を巡り、最後に佐呂間町の浜佐呂間チャシへと向かいました。このチャシは、サロマ湖に流れ込む佐呂間別川の左岸にある段丘の東の縁にあり東側の崖に向かってC字状の壕が1条あります。
もう夕方になって日も落ちてきていたので遠景を撮影しただけでしたが、地図をよく見ると段丘上にある浜佐呂間神社の横に壕があったようです。次の機会があったら壕を確認したいところです。


【城 跡 名】リンナイチャシ(チルラトイチャシ、ツルラトエエチャシ)
【訪 城 日】2018年8月5日
【所 在 地】北海道網走郡美幌町西2南5
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:半円状2条連結
【訪 城 記】
オホーツク旅行三日目、北見市常呂(チャシ)→網走市(オホーツク流氷館・網走監獄他)→大空町(女満別・東藻琴の道の駅)と巡り、最後に美幌町へ。本当はもっと早く到着する予定でしたが、ついつい網走観光してしまい夕方になってしまいました。美幌町内には6か所のチャシがありますが、時間もないのでこのリンナイチャシだけ訪城しました。
ナビに従ったら霊園と球場の間に出てしまい、そこに車を停めて探索開始。球場をぐるっと回り陸上競技場の方が怪しいと感じたので行ってみるとありました。後からGoogleMapを見るとスポーツセンターの方から行った方がすぐ行けたようです(^^;)
まずは写真1・2の碑や説明板等がお出迎え。そのすぐ裏がリンナイチャシです。形としては半円形の壕(溝?)が2つ繋がった形をしていて、その外側にもう一つ郭がある3つに郭が並んでいるような形をしています。ただ思ったよりは小ぶりで壕も溝と行っていいほど浅くなっています。『北海道のチャシ集成図Ⅰ道東北編』によるとチャシ主体部はジャンプ台により破壊されており、現在の壕は復元されたものだそうで、本来はもっと深い壕だったのかも知れません。
また『日本城郭大系』によると、北側の陸上競技場となっているところにかつて幅約5m、深さ約2mのクランク状の壕があったといわれており、かつての規模はチャシとしては最大級でこの地方の中心的存在だったようです。
旅の最後に良いチャシを見ることができて満足でした。結局この後帰路に就いたものの、自宅に着いたのは午後10時を過ぎていました(^^;) やっぱりオホーツクは遠い…(2018/8/5)










(左が東側、右が西側)

【城 跡 名】アオシマナイチャシ(ウラシベッチャシ)
【訪 城 日】2019年5月2日
【所 在 地】北海道斜里郡小清水町字浜小清水269,270,273,字倉栄1,4-4
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:半円状2条連結
【訪 城 記】
道東旅行の二日目、根室駅前の観光インフォメーションセンターからスタートし、コンブウシムイチャシ・納沙布岬のあと道の駅を巡り、夕方に小清水町のアオシマナイチャシに辿り着きました。着くまでは「雨も降ってるし、場所確認だけでもできれば…」と思っていましたが、着いてみると見事な壕跡がきれいに残っているので、長靴に履き替えしばらく探索しました。
このアオシマナイチャシはアオシマナイ遺跡とも呼ばれ、縄文期からアイヌ期にかけての貝塚や住居跡なども出土しているそうです。チャシには2条の連結した半円状の壕が残っており、丁度「3」の字の形をしています。堀の幅は4~8m、深さは1~2mほどもあり、かなり大型のチャシです。
手前には駐車するスペースもあり、標柱や説明板もあります。(2019/5/2)













【城 跡 名】ツペットウンチャシ(ピラチャシ)
【訪 城 日】2019年5月3日
【所 在 地】北海道網走郡津別町字共和574-2,国崖
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:コの字形2条連結、枝壕あり
【訪 城 記】
令和最初の旅行、道東の旅三日目。摩周湖、美幌峠と回って津別町へ。ここにあるツペットウンチャシがいいと以前おすすめされてから行きたいと思っていました。21世紀の森がある自然運動公園へ向かい、野球場の近くにあるとのことであったので、野球場の近くにあった駐車場に車を止め、球場を右に見ながら道を進むと、左側にツペットウンチャシの説明板があり、すのすぐウラ側に大きな壕が見えてきました。幅5~6m・深さ2~3mの大きな壕で、小清水のアオシマナイチャシや陸別のユクエピラチャシのようにC字条の壕が2つ繋がって3の字状になっています。また、説明板のところから左に向かって壕が伸びていて、車を停めた駐車場の辺りまで伸びているので、端から端まで100mほどはありそうです。やや草が伸びていますが、チャシとしては規模が大きく、崖面側はやや崩落しているので、本来はさらに大きな規模だった(ひょっとすると8の字状壕だった?)かもしれません。
今回の旅で訪れたコンブウシムイチャシ・アオシマナイチャシ・ツペットウンチャシはもちろんですが、以前訪れた陸別のユクエピラチャシ・根室のチャルコロフイナチャシ・標津のタブ山チャシ等、道東のチャシは近所の道央のチャシに比べると大きなものが多いなあという印象です。(2019/05/02)

(この説明板のウラ側がチャシ)
















