【城 跡 名】桂ヶ岡チャシ(桂ヶ岡砦阯、イシメシナイチャシ、チャランケチャシ、ニクルチャシ)
【訪 城 日】1999年7月30日・2002年5月6日・2,018年8月5日
【所 在 地】北海道網走市6条東4丁目
【形 態】面崖式
【主な遺構】壕:半円状1条、直状1条
【訪 城 記】
この日の予定はシャリ陣屋までだったんですが、途中で省略したところもあって網走に着いたのがまだ4時過ぎだったので桂ヶ岡チャシに行ってみました。このチャシの隣には郷土博物館もあるので、それを示す看板があるだろうと思っていたら、見つけられず何度も道を行ったり来たりしてしまいました(^^;)
東京農大の看板があるところから曲がり踏切を渡るとすぐ右側が桂ヶ岡チャシです。
JR石北本線に面した舌状台地上にあり北側の崖に面して開くC字状の内壕と南東斜面を横切る外壕があり、面崖式に分類されるチャシですが、南側から見ると一見お供え餅型の丘頂式チャシにも見えます。「城郭体系」では内濠の深さ80cm、外壕の深さ2mとありますが、そんなに深く感じませんでした。
国史跡に指定されるだけあって、とてもきれいなチャシです。ですが、オタフンベチャシ、モシリヤチャシのような大きなものではなく意外とこじんまりしています。高さもそう高くなく、一番上の郭もそれほど広くはありません。
あまり収穫のなかった道東旅行四日目ですが、最後にきれいなチャシを見ることができ満足でした。(1999/7/30)






道東チャシ巡り第2弾最終日は、この桂ヶ岡チャシからスタートです。このチャシはそれほど大きなものではありませんが、御供山型をしていてとてもきれいな形をしています。前回見落とした外壕も確認しましたが、深さ2mもあるかなあ?という感じです。ちょうど桜の花が咲いていて、芝生の緑とタンポポの黄色と桜のピンク色の三色のコントラストがきれいでした(^^) (2002/5/6)








オホーツク旅行三日目、トイカウシチャシ、ライトコロチャシ、トコロチャシと巡った後網走へと向かいました。道の駅流氷街道網走の後、予定にはなかったのですが桂ヶ岡チャシへと向かいました。なんと16年ぶりの訪城です!夏なのでやや草が伸び、蕗も生えていましたが、「桂ヶ岡砦趾」という石碑もチャシも昔のままでした。いつも思うのですが、主体部は本当に狭いので、どのように使われていたのか不思議に思います。
(2018/8/5)




【城 跡 名】ピットカリチャシ
【訪 城 日】1999年7月31日
【所 在 地】北海道網走市明治
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状2条
【訪 城 記】
このチャシは網走市街地から能取岬の方に北上し、ピットカリ川を越えた辺りで海に向かっている舌状台地上にあります。『北海道のチャシ集成図I』によると舌状台地の先端部を二条の壕が仕切っています。このチャシのすぐ横を道路が通っているので道路沿いに眺めてみましたが、一ヶ所壕らしく窪んだ所を見つけました。ですが、あとはどうもよく分かりませんでした。

【城 跡 名】二ツ岩チャシ
【訪 城 日】1999年7月31日
【所 在 地】北海道網走市二ツ岩
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:直状2条(1条は道路で破壊)
【訪 城 記】
ピットカリチャシの場所からさらに北上すると、水族館を越えた辺りにオホーツク海に突き出すように二つの岩が向かい合うように立っているところがあります。これが二ツ岩で、手前の道路に近い方の岩が二ツ岩チャシです。岩の根本の方に壕があるようですが、道路の丁度カーブの場所でしたので車を止めるわけにもいかず、通りすがりに眺めただけで終わってしまいました。

【城 跡 名】オショップチャシ
【訪 城 日】1999年7月31日
【所 在 地】北海道網走市鱒浦
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
このチャシは網走市街地から244号線を南下し鱒浦漁港の近くのオショップ岬の先端にあります。チャシの下をJR釧網本線が通るトンネルが通過し、また、チャシのある台地先端も国道の工事により削られていますが、チャシ本体は破壊を受けていません。
チャシ周辺は森林となっていて遊歩道が通り、私が行ったときには丁度草刈をしたばかりでした。草が刈ってあったのは壕のあたりまでで、チャシ本体は草が生えたままになっていました。壕は一応確認できましたが、とても浅く壕というよりは溝程度のものでした。
立地的にはオホーツク海に面し周囲を見渡せるという所で、(漁をする時などの)見張り台だったのかもしれません。

【城 跡 名】呼人(よびと)チャシ(ピラチャシ)
【訪 城 日】1999年7月31日
【所 在 地】北海道網走市呼人
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:L字形2条
【訪 城 記】
このチャシは網走市と女満別町にまたがり、網走湖に突き出ている呼人半島に位置しています。半島の西岸の広く湖を眺望できる位置にあり、壕はL字形のものが二つ残っており、長方形の区画が二つ連なっているそうです。
このチャシを探して呼人半島の中をぐるぐるしましたが、周囲は農地になっているようで自由に見て回るというわけにもいかず結局、場所がよく分かりませんでした。
【城 跡 名】チャシポコマナイチャシ
【訪 城 日】1999年7月31日
【所 在 地】北海道北見市端野町協和118(旧常呂郡端野町)
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:短壕2条
【訪 城 記】
網走市をあとにして女満別・美幌と通り、端野町へと向かいます。端野町にはチャシポコマナイチャシというのがありますが、『日本城郭体系』に「協和二○遺跡」という名前で出ているのがそれのようです。
国道39号線を進んでくると、端野町の市街地の手前で遠軽へと抜ける国道333号線の方へ地右折する交差点があります。この交差点で左折し、常呂川を渡り左折すると、前方に道路の方へと伸びる舌状台地があります。この先端がチャシポコマナイチャシです。
『北海道のチャシ集成図I』によると、このチャシには台地先端に二ヶ所壕の一部と思われるものがあります。どうやら崖に面して半円形の壕があったのだが、その一番端の部分だけが残ったものと思われます。
チャシのある台地の横の道を登ると草地になっていて、そこを進むと壕の一部と思われる窪みを見つけることができました。ですが、そこから先は藪になっていて進めませんでしたのでもう一ヶ所の壕跡は確認できませんでした。写真も撮りましたが、やっぱりワケのわからん写真になってしまいました(^^;)
次は北見市にあるアイノナイチャシに行く予定でしたが、雨が少し降ってきたのと、このチャシは無加川を越えた向こう側にありたぶん遺構を確認できないだろうと思ったので、訓子府町から陸別町へと抜け、最後の国指定史跡ユクエピラチャシへと向かいました。


【城 跡 名】トイカウシチャシ(ST-09遺跡内)
【訪 城 日】2018年8月5日
【所 在 地】北海道北見市常呂町栄浦374
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行三日目、前日宿泊した宿のすぐ近くに「ところ遺跡の森」があったので、「ところ遺跡の館」を見学した後、すぐ近くにあるトイカウシチャシに行ってみる。説明板もあり、それによるとトイカウシとはアイヌ語で「そこを渡る」という意味で、サロマ湖を渡る場所と考えられるとのことでした。
このチャシは標高8mの低地に造られているのが特徴で、溝(壕)の深さが約1m20cmと説明板に書かれていましたが、うっすら窪んでるなあという程度で、とてもそんな深さには見えずせいぜい数10cmというところでしょうか?なのですっかり埋まっているものと思われます。
遺跡の館の周りもこの森の中も蚊が多く、防護服のようなものを来た方が森の中に入っていきました。あまりに蚊が多いので、写真をいくつか撮ったら早々に退散し、次のライトコロチャシへと向かいました。





【城 跡 名】ライトコロチャシ
【訪 城 日】2018年8月5日
【所 在 地】北海道北見市常呂町岐阜
【形 態】?式
【主な遺構】?
【訪 城 記】
オホーツク旅行三日目、トイカウシチャシの次にライトコロチャシへ向かいました。ここは「全国遺跡地図」に位置が、「北海道のチャシ」に「ライトコロ川左岸、砂丘上」と載っているだけで、チャシの形式や壕などについても載っておらず、一応森のようになっているそれらしい場所があったので、写真を撮りました。周囲を見てもよくわからないので、次のトコロチャシへと向かいました。

【城 跡 名】トコロチャシ(TK-19遺跡内)
【訪 城 日】2018年8月5日
【所 在 地】北海道北見市常呂町字常呂112-1・3
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:L字状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行三日目、トイカウシチャシ、ライトコロチャシに続いてトコロチャシへと向かいました。トコロチャシは常呂川の河口近くの半円形に蛇行している部分の付け根の辺りに位置しています。ぐるぐるした後ここだと思いチャシの手前にある民家に近づいていったところ、丁度家主の方が車で出かけるところで、「チャシを見学させていただけませんか?」とお願いしたところ承諾いただいたので、敷地に入らせていただきました。
このトコロチャシは、壕があることから古くからその存在を知られていましたが、東大文学部考古学教室によって発掘され、その全容が明らかにされたそうです。オホーツク海と常呂川を望む台地上にあり、台地の端にL字状の壕が掘られ、発掘により新旧2本の壕がほぼ重なって存在し、また壕に沿って柵が存在したこともわかっています。またチャシの内部ではアイヌ人の墓が見つかっており、周囲にはオホーツク文化期の住居跡を含め竪穴住居跡が10基以上存在しており、オホーツク文化期の集落があったと思われます。
チャシの壕は深さ2~3mほどですが、本来はもっと深かったと思われます。写真にあるようにV字状の壕がL字状に掘られ、その内部はかなりの広さがあります。久しぶりに良いもの見せてもらったという感じで、たくさん写真を撮ってしまいました。最後には家主のご家族にお礼を言って車へ戻りました。
常呂でのチャシ巡りはこれで終わり、この後網走に移動しました。










(左が東側、右が南側)
【城 跡 名】つつじが丘チャシ
【訪 城 日】2018年8月3日
【所 在 地】北海道常呂郡置戸町字勝山157
【形 態】?
【主な遺構】?
【訪 城 記】
オホーツク旅行一日目、鹿ノ子ダムの後は置戸のつつじが丘チャシへと向かいました。ここは現在勝山神社になっており、神社の社殿から左側の方を見て見ましたが何も見つけられず、社殿の右の方を見て回ると置戸郷土史研究会が建てた「つつじが丘チャシの跡」という立派な碑がありました。周囲を見て回りましたが遺構らしいものはみつけることができませんでした。
このチャシのある台地の北側を常呂川が流れており、かつては台地上から川を望むことができたと思われます。(2018/08/03)






「安山岩の孤立せる残丘にして天然の城砦である」と書かれています。
【城 跡 名】湧別川左岸チャシ
【訪 城 日】2018年8月3日
【所 在 地】北海道紋別郡湧別町字旭477-1
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:半円状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行一日目、道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯を訪れた後、湧別川方面に移動しチャシを捜してみました。まずは湧別川の対岸から遠景を臨み、堤防の上に出られそうだったので、堤防の上から対岸を眺めてみました。続いて湧別川を渡り、橋のたもとからチャシ方面の遠景を撮りました。
この三つのチャシは湧別川左岸に北から湧別川左岸2・姉崎・湧別川左岸と1~2kmほどの間に並んでいます。湧別川左岸と湧別川左岸2は台地の先端に半円状と弧状の壕が1条ありますが、姉崎チャシは半円状の壕1条の外側に囲むようにもう1条の壕があります。ただし左右にわかれているので、もとは繋がった壕だったのかもしれません。


湧別川左岸チャシ?

チャシ方面を望む
【城 跡 名】湧別川左岸2チャシ
【訪 城 日】2018年8月3日
【所 在 地】北海道紋別郡湧別町字旭267
【形 態】丘先式
【主な遺構】空壕:弧状1条
【訪 城 記】
オホーツク旅行一日目、道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯を訪れた後、湧別川方面に移動しチャシを捜してみました。まずは湧別川の対岸から遠景を臨み、堤防の上に出られそうだったので、堤防の上から対岸を眺めてみました。続いて湧別川を渡り、橋のたもとからチャシ方面の遠景を撮りました。
この三つのチャシは湧別川左岸に北から湧別川左岸2・姉崎・湧別川左岸と1~2kmほどの間に並んでいます。湧別川左岸と湧別川左岸2は台地の先端に半円状と弧状の壕が1条ありますが、姉崎チャシは半円状の壕1条の外側に囲むようにもう1条の壕があります。ただし左右にわかれているので、もとは繋がった壕だったのかもしれません。



チャシ方面を望む
【城 跡 名】姉崎チャシ
【訪 城 日】2018年8月3日
【所 在 地】北海道紋別郡湧別町字旭285
【形 態】面崖式
【主な遺構】空壕:半円状2条
【訪 城 記】
オホーツク旅行一日目、道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯を訪れた後、湧別川方面に移動しチャシを捜してみました。まずは湧別川の対岸から遠景を臨み、堤防の上に出られそうだったので、堤防の上から対岸を眺めてみました。続いて湧別川を渡り、橋のたもとからチャシ方面の遠景を撮りました。
この三つのチャシは湧別川左岸に北から湧別川左岸2・姉崎・湧別川左岸と1~2kmほどの間に並んでいます。湧別川左岸と湧別川左岸2は台地の先端に半円状と弧状の壕が1条ありますが、姉崎チャシは半円状の壕1条の外側に囲むようにもう1条の壕があります。ただし左右にわかれているので、もとは繋がった壕だったのかもしれません。



チャシ方面を望む
